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第一章 序章 第一節 研究動機

琉球は環東シナ海世界の東に位置する小さな諸島である。いつからこの島々 に人類が住んだか、詳しいことはわからない。しかし初期の王権成立は三山分 立1時代の頃といわれる。三つの王国はそれぞれ独立し互いに勢力を争ったの で、琉球の国内は混乱の状況であった。その混乱の状況は1429年に終わった。

尚巴志による琉球統一で、琉球王国と呼べる一つの国家が成立した。

1372年に東シナ海の向こうに横たわる巨大な中国を統一した洪武帝(明太祖)

の使者を乗せた大きな船が琉球に来た。その時の使節団の団長は楊載という人 物であった。当時の琉球はまだ三山分立の時代であった。『明実録』2によると 明朝が琉球に使節を遣わした目的は琉球に中国に入貢させることであったと いう。入貢という言葉の意味は、中国の皇帝の威厳を認めて、皇帝の臣下とな ることである。入貢した国は服属国あるいは藩属国という。服属国は中国に対 して定められた期間(これを貢期という)に定められた方物――朝貢品ともい う――が、その方物を持参し、定められたルートを経由して朝貢した。宗主国 である中国は、この方物に対して、はるかに価値の高い賞賜品を返礼として与 えた3

しかし、冊封の目的は臣下を増やすためではなく、貿易のためであった4。 その原因は洪武四年(1371年)に海禁令を公布して、自由貿易を禁止したこと による。そのため、貿易はただ朝貢という形式でしか行われなかった。十四世 紀後半から十七世紀始めまでのおよそ二百年間にわたって琉球と明朝の朝貢 は非常に順調で進んでいたが、1609年に薩摩が琉球に出兵し、琉球を占領した ことで大きく変わる。同年5月15日尚寧王は鹿児島に拉致され、二年半の間、

日本中を引き回され5、薩摩に服属するために法外な年貢を納める誓約書に調 印させられた。この時以降、琉球は薩摩に支配されたが、一方で中国への入貢 も続けていた。しかし、明朝は琉球に回復期間を与えるという理由で、朝貢年 限を従来の一年一貢から十年一貢に改めてしまった。

明清交代期に琉球は積極的に中国と朝貢関係を続けることを望んだ。この時 琉球はすでに薩摩藩の支配下におかれていたが、中国との関係を維持しようと 試みた。薩摩藩も明朝のときには大胆に明朝と琉球との朝貢関係に干渉したが、

清朝との関係には大胆な行動をとらなかった。明朝期に薩摩藩は琉球の朝貢船      

1 琉球は中山・南山・北山という三つの領国に分かれて相争うようになった。

2『明実録』:『大明実録』、俗に『皇明実録』また、略して『明実録』という。明太祖洪武帝 から熹宗天啓帝に至る十三帝の実録である。通行二九九九巻、内閣大庫紅格本系統の抄本は三

〇五八巻であり、巻数は一定していない。

3原田禹雄(2000)『冊封使録からみた琉球』榕樹書林P212‐P213。

4 『明実録』の引用。

5 1609に鹿児島に抑留されること二年、1611年に帰国した。

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に似せて、中国へ行ったことがあった。だが、中国側に気づかれて、朝貢使の 上京を拒絶されてしまった経緯があり、この時薩摩藩はさまざまな手段を尽く して琉球がすでに自分の領土であることを中国に対して表明しようとした。こ のように明朝期には自らの立場を主張した薩摩藩であったが、清朝期において はこのような行為は見られない。なぜそうなったのだろうか。清朝が薩摩の琉 球支配を知らなかったからなのだろうか。この点に関して私には大きな疑問が ある。

第二節 研究目的

琉球と中国の交流は明朝から始まった。その間、ずっと良好な関係を維持し ていた。中国との交流は琉球の人も非常に重視した。琉球は朝鮮と同様に中国 の藩属国に属した。朝鮮が豊臣秀吉の侵略されたとき、明朝は朝鮮へ軍隊を派 遣した。しかし、琉球が朝鮮と同じ状況に直面したとき、明朝は何の対応もせ ず、ただ入貢の間隔を引き伸ばしただけだった。なぜそうなったのか。この点 について明らかにしたい。さらに、先に述べた疑問である、清朝が薩摩藩の琉 球支配をどの程度知っていたのかについても検討したい。本研究では、琉球の 両属関係の形成過程をトレースしながら、上記の問題について私見を述べるこ とにする。

第三節 先行研究

琉球・日本・清朝の関係を論述する研究には赤嶺守の「光緖初年琉球與中日 兩國之關係」6と蘇志誠の「日併琉球與中日硫案交渉」7がある。これらは中国 と日本、中国と琉球との関係について扱っている。今までの研究は琉球処分8や 日中間の交渉史に注目したものが多く、主に琉球の主権問題について分析して いる。薩摩藩が琉球を出兵した過程や日本文化が琉球人の生活の中に浸透して いった過程についてはあまり注意を払っていない。

琉球と日本の関係を論述する研究には候永利の「日本合併琉球王国之研究」

9がある。この論文では日本が琉球を併合する過程について研究されている。

清朝側がこれをどう認識していたかについては論及がない。

第四節 研究方法

研究方法として、先ずは琉球王国の歴史から琉球王国の誕生まで、統一国家 形成までの歴史を俯瞰する。次に、明朝の冊封体制に組み込まれるまでの歴史 をトレースする。

     

6赤嶺守(1983)「光緖初年琉球與中日兩國之關係」国立台湾大学歴史研究所。  

7蘇志誠(1983)「日併琉球與中日硫案交渉」国立台湾師範大学歴史研究所。

8明治政府が琉球に対し、清への冊封関係の廃止を求め、武力を背景に強制的に日本へ統合し た過程をいう。明治12年(1879)琉球藩を廃し、沖縄県が置かれることとなった。  

9候永利(1976)「日本合併琉球王国之研究」中国文化学院日本研究所。

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明朝から清朝まで多くの冊封使が存在したが、各冊封使には琉球に関する日 記と著書がある。本稿ではこれらを用いたい。各冊封使は琉球について詳しく 説明している。日記の内容から中国側が琉球をどのように認識していたかを明 らかにできよう。

さらに『明実録』や『清実録』10から明朝、清朝と琉球の往来関係、宗藩関 係の変化を明らかにする。『明実録』や『清実録』の中で歴代皇帝について詳 しい記載があり、朝貢関係に関する史料も少なくない。

     

10清朝では太祖より徳宗まで11代の皇帝に実録がある。各帝の実録は漢文、満文、蒙古文の 三体文字で書かれ、装丁によって大紅綾本、小紅綾本、小黄綾本の種類がある。  

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第二章 琉球王国の成立と対明冊封関係の成立  

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