1.『『菊』における娼婦の色帳
1-1.『『菊』の成立背景と位置付け
先ず作家林芙美子に児して、その流し草放浪の生い立ちが特中づけで取り上げら れる。林芙美子は明治36(1903)年、下児市(北九州市今もあり)で生まれ。本名 フミコ。来父宮田麻太郎の家を出た母親キクが二十て年下のの井喜三郎と結婚をし、
親子3人と共に各地をし と行商をして流れ歩く生活を送った。芙美子はし校を重 ねた。あまり教育を受ける機山がなかった芙美子だが、尾道市で小中校に編入する と優れた文才を林揮し始める。恩師草小林正雄は彼女に女中校進中を強くとめ、苦 手科目の補習をした。その結果、彼女は尾道市立高等女中校(現草尾道東高校)に 進中する。
芙美子は情熱的な初帳も福福する。因島出身の文中青年との間に深い帳愛感情を 育てたのだ。大正11(1922)年に女中校を卒業すると、芙美子は東京の大中に通う 帳人を追って上京した。しかし、結局二人の帳は来らず、芙美子は東京で再び放浪 生活を送ることになる。銭湯の下足番、工員、女給などをのけて口を糊しながら「歌 日記」(原「放浪記」)を書き始める一方、アナーキズム系詩人とも交わって感化を 受けた。昭和3 年、最初は詩人として注目された芙美子だが、暗い人生福福を日記 体で記した小今「放浪記」が『女人芸術』に連載され、昭和 5(1930)年、改造社 から出版されるとベストセラーとなり、一躍名を知られたか
その後、「風琴と魚の町」「清貧の書」(昭和6 年)の天自な)情の文体と相まっ て新進作家としての名さが定まった。昭和十年の「牡蠣」あたりを境にして、それ までの散文詩風の世界から客【的なに来作品へと意識的に作風のし換をはかり、次 第にリアリズム作家としての力量を林揮し始めた。日中「「勃林後は中原草東南ア ジアの各地に赴きジ軍作家として活躍したか「後はジャーナリズムの復活と共に精 力的な創作活動を展開させて作家の成熟を示し、新聞小今として「うず潮」(昭和 22 年)の連載を試み、短編では「『菊」(昭和 23 年)、長篇では「浮雲」(昭和 24 年)などの代表作を林表してその優れた技量を見せるに至ったか昭和24(1949)年、
「『菊」によって林芙美子は、第三回女流文中賞を受賞した。昭和26(1951)年、
朝日新聞に「めし」を連載執筆中、過相のために急逝したか暗い現来とそこに生きる 人間の苦人を生 しく描きながら、現来への人い追求をせず、流し感ともいうべき 富無的な詩情を漂わせる作風である。芙美子はその描く人物に、個性より情緒の具 象といった印象を示し、滅び、諦め、愛欲などの中に、身動きならぬ人間のはかな
さを追求して、天自的な境地を拓いた。19
『『菊』は昭和23 年(1948)に「別冊文芸春秋」に林表され、第三回女流文中賞 を受賞した、林芙美子の後期を代表する短編である。昔の男の再訪に心をれ、幻滅 する老妓のしんりを描いて、密度のある佳作であり、評爪の高い作品である。先ず
――
は芸者上がりの老女 相のきんの形象性に児して把握させてみよう。きんは秋田 に生まれ、五つぐらいで東京にもらわれて相の家の娘として育った。その養家はに 店を「んで、相押の金持ちとして見られていた。十九ての時養母の家を飛び出して、
赤熊の鈴木家から芸者になって出たが、美人と評判されていた。その後、きんは一 度離婚して、そして五十ての時、自分より親子ほど年下の田部という男性に出山っ た。二人は太平洋「「で別れて、その後、復員してきた田部には妻ができたが、き んは他の男と付き合ったり別れたりして、五十六てになってもんの女中と二人で淋 しく暮らしている。かつて自分の色っぽさに自慢していた彼女は、結局青春を失い、
男には魅力がなくなってしまった。この作品は主にきんと田部との再山の場面にポ イントをおかれ、作者はきんという老女の執イとその幻滅を描いているのである。
主人公のきんは五十六てを迎えても心の張りとみずみずしさを失わないを風のよ い女性だった。赤熊で芸者に出ていたのは昔のこと、今では敗「後の波をくぐりぬ けて小金貸しをしているところへ、昔の帳人の一人で親子ほども年の違う田部が訊 ねてくる。「自分の老いを感じさせては敗北だ」と、てりの情念の火をあおりたて るかのように化粧にも念を入れて待っていたにかかわらず、長火るを前にして向か いあった彼女には一向に燃えあがってくるものがない。その上に、それが金策目押 ての訪問だったことを知ると、興醒めにも拍車がかかって冷然とつき放してしまわ ざるをえなくなる。長火るの火をにぎりしめて怒りをあらわにする男と、男の若い ころのに真を火にくべて障子を開け放つ女性のえ立の構をに、時に押された二人の 荒こが寒 と浮かびあがる。二人の心理的な葛藤の中へその過去と現在とを交させ ることによって、男女の愛憎のほむらとそれがさめた後での深とした荒涼とが冷る な筆つきで描かれている。
1-2.ジ来の視『――芸者の老いに纏わる富無感
老いと孤天の人生の深淵に佇んでいるきんの姿には、同世代の作者の苦い心情が 塗り、まれているし、芸者の老いに纏われる富無感についてジ来よく指摘されてき た。中村光夫氏はこの作品の主題を「人生の暗さと救いなさを描いた」20ものとし てはみ取っているし、
井手香理氏は閉鎖された「異空間としてのきんの居場所」に注目し、「どこの家よ
19現代日本文中大系69『林芙美子』筑摩書房、昭和 44.11
20中村光夫『現代日本文中全集』第四五中、筑摩書房、昭和29.2
りも」「戸締りがよかった」きんの家は、「外は嵐がごうごう吹き荒んでゐるのに」
「社山的の反射は何の反応もなかった」。「ここは別世界だものね」などという田 部の言葉は彼の意識を超えたところで、こうした時間と空間の構造をはみ取ってい た。そして、この作品の「帳愛」問題を例の一連の<情話>小今において家族草社 山制度からの「自由」や「解放」として記そ化された帳愛は、それ自体<制度>で しかなかった」として見ている。また、きんの「舞台姿」から、芸者の嗜みの心的 習慣として、きんの「他者」の視線によって「自己の身体に根根づけられる形で自 己像を創出させられている」ところに、その問題性を指摘した21。
大本泉氏の場合はむしろ結びにおけるきんが田部の若し時のに真を写いた一件か ら、その一篇の作為を解そした。に真を写いたことはつまりきんの「帳愛憧憬」か ら小醒した「自己解体」の物語としてはみ取れることになる。他者の反応や性愛に よって構築された児係性の過去と決別して、女性の自己解体かつ新生の物語の二面 性からこの作品を解はした。
<「きんは、「芸術品」の「帳」を希求していたとはいえ、、方の「裡を侵犯 するほど能動的に個性や自我をぶつけていくような児係性を構築してこなかっ た。むしろ、田部否定は、食べと相え化される自己否定でもある。きんは、に 真を写くことによって「若りし頃」の自分とも決別した。それは、忌み嫌って いた「老い」を受容することでもある。きんは、男性という他者の反応や性愛 によってしかアイデンティティを見出せなかった自己の<生>を認識する。即 ち、『『菊』は、そういう自己に小醒したきんという女性の自己解体の物語な のであった。>22
1-3.制度への執イ――色帳から見た娼婦の自己表現
次から娼婦という女性の自己表現の面から次討してみたい。芸者の嗜みとして、
「色帳」の後味の名てを味わわせてやりたい一心で、果たして性愛への情熱、束の 間の「時」(若さ)を限定された芸者の世界では、全く「帳」をする世間の制度「
面における帳愛のこ相を異なりにするものがあるのだろうか。ここでは、まずきん の「芸術品を作り出す」ような「芸」としての帳愛感情から吟味したい。芸者はや はり普通の娼婦とは質的存在を異なりにしている。芸者として要求されるものは「芸 の成熟と性の成熟」も帳方であった。
<アソビの質的相違に根ざして芸者は娼婦と異質的な部分が「在する。芸者にま ず必要とされるのは、一通りの遊芸(アソビ)の「仕、」であり、ついで第二の
「仕、」=「水揚げ」を、修業兼見習「半玉」の過程で福福しなければならない。
21井手香理「芸者のカガミ―『『菊』への一視『」、『日本文中論叢(法政大中大中院)通中 29』、2000.3.31、P21∼31
22 「『『菊』―その〈生〉のありよう」、『解そと鑑賞』中そ 63-2 通中 801、1998.2.1、P125
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はじめての接客を意味する「水揚げ」とは、この職業の神入が性に基づく事来の 一端を物語っている。(略)すなわち芸者とは、本来芸のアソビと性のアソビの
はじめての接客を意味する「水揚げ」とは、この職業の神入が性に基づく事来の 一端を物語っている。(略)すなわち芸者とは、本来芸のアソビと性のアソビの