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台灣日本研究的人力資源探討

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Academic year: 2021

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(1)台灣日本研究的人力資源探討* 傅琪貽 國立政治大學日本語文學系教授兼系主任. 中文摘要 關於我的題目:「台灣日本研究人力資源探討」,我想從教育層面探討。人 力資源過於偏重日語教育,我覺得很沉重。蔡茂豐教授寫了兩冊台灣日本語教 育史(1950-2002),介紹台灣的日語教育發展史,可以借資參考。學日語的人 非常多,但從事日本研究的人力資源很少。說到中央研究院的研究學者,有研 究女性史、語言學的,但留日又從事日本方面研究的可以說少之又少。大學方 面是學日文的很多,但都停在初級階段,到了中級或高級或更往上發展的寥寥 無幾。在政大有一個輔系課程,第一階段有 150 人,到了二、三階段,或者念 完這個課程者,至多只有 10 人左右。為什麼學一點點就可以滿足他的需求了 呢?此外,日文系出身的學生,到日本深造拿到博士回國,為什麼以教日語為 目標呢?再者老師忙著教初級的東西,沒有時間作更深入的研究。另外過多的 研究僅針對文學或是日本語言學的研究,鮮少涉及其他領域。還有,說到文化 的範圍,只要不屬於語學範疇的都放進去,但卻將社會科學排除在外。關於翻 譯的問題,為什麼要包括在人文科學領域內(詩歌、小說等等)呢?像藝術、 文學等創作為什麼不能視為教授們的著作,列入升等的評鑑當中呢? 就日語教育來看,學日語原本不是很熱門的領域,熱衷日語的時代是 1985-1990 年。主要是因應日本國內的需求,例如移民,從中國回歸日本的殘 留孤兒,以及日本躋身成為經濟大國後,眾多東南亞、中東人士來到日本,於 是外務省把日語、日本文化當作外交手段。加上台灣的李登輝,韓國的金大中 對日本態度一改從前,改採親日態度。整體而言,不是內在需求,而是外在原 因影響到台灣,突然間日語教授法、新的教材等等紛紛出現在台灣。雖然很多 *. 本文初稿發表於中央研究院亞太區域研究專題中心主辦,「台灣的日本研究回顧與展 望國際研討會」,2004 年 5 月 28 日。 119.

(2) 120 亞太研究論壇第二十六期 2004.12. 教材是針對日本的外勞所需,但也能造福台灣學生,成為學習日語的好教材。 我聽到很多人說日語教育很需要,但卻很少聽到日本研究很需要,甚至有 人說區域研究已經不需要了,已經沒有東西可以跟日本學習。過去嚮往的日本 已經式微,曾為經濟大國的日本,現在是經濟低迷。還有過去學生很認真學日 文,但現在的學習者會因日本人的真心話和表面話困擾,或者為何要認真學只 有日本人才用的日文呢?現在是缺乏誘導日本研究的年代,我們要如何促進學 生去研究呢?從事日本研究有很多障礙,例如要學 2-3 萬字才能說普通話,外 來語、漢字、人名地名的念法也很難等等,像這些問題都會妨礙日文本身成為 世界語言的發展。 日本研究目前最迫切的領域是加強探討日本與台灣的戰略利益-包括經 濟、金融等方面。其次是中國研究。再者日語教學應更細緻,例如加強史料閱 讀的指導以及聽力的培訓。. 一、序 台湾における「日本研究」人の資源の焦点をどこに置くかが、まず論の始 めに課題となる。現在、台湾には日本好きの哈日族は見えなくなって、日本 語熱もさめかけてきている。しかし、「日本研究」人才の不可欠さは政府当 局を含め,企業界、文化界でも模索探求し続けている。日本語が上手だからと 言って「日本研究」ができるわけではなく、日本語ができなくても「日本研 究」のある領域で活躍している人がいる。ここでは、まず日本語学習に偏重 する台湾の現状の中から、なぜ「日本研究」の学術研究者が誕生発展しにく いかを、日本的セクト主義の中でしかモデルを見つけだせないために台湾独 自の展望と人的資源の誠に困惑する台湾事情を論じてみたい。 事実、台湾にとってあらゆる領域での人材の育成は最優先されるべき課 題であるのに、困難な面が多い。本論は蔡茂豐、川島真、徐興慶及び藤井彰 二の研究成果を踏まえているので、重複する角度は避けたつもりであるが、 「日本研究」の範囲をどこまで設定するのか、日本統治台湾史などを含むの かどうかなどについては論じていない。.

(3) 專題研究 I:台灣的日本研究 121. 二、日本語教育に極端に偏重 東呉大学教授蔡茂豐著『台湾日本語教育の史的研究』(上、下)は、戦後 1950 年代から 2002 年までの台湾における日本語教育の歩みを具体的詳細に資料 を網羅して紹介している。台湾における日本研究人材の濫觴をなす日本語教 育機関は、1985 年から 1990 年代にかけて国立大学台湾、政治両校に日本語 文学系が誕生して以来、応用日語を冠する学系が 40 余校も誕生し、日本語 は台湾における第二外国語として、英語に次ぐ外国語としての地位を確得し た。台湾人口 1300 万のうち日本語学習者 20 万人と称され、社会人公務員か ら中高レベルの学生まで日本語学習層は極めて広く厚い。 台湾には大学民間機構の専任兼任等を含めると、日本語教師であるもしく は日本語教師体験者は千人以上になるであろう。それだけ需要が高く、日本 語が話せれば誰でも教えられるという時代があった。ところが、「日本研究」 の領域では、どれだけの人材と学問的累積があったかというと、一部領域を 除いては、ほとんど壹又は零に近い。台湾大学社会科学院を例にとると、 1950、1960 年代日本留学の学者が退陣すると、政治、経済、社会、国際関 係、商業、マスメディア等には「日本研究」者が全くの零となった。法律関 係では一、二あるが、政治大学の例でも極めて数少ない。日本語学習者の大 多数が、日本語文学系から輩出するため、将来の進路はやはり言語(含言語 教育)か少数の文学希望となり、文化研究領域でもなかなか人才が育たない。 ましてや社会科学の領域においては、である。 あの幅広く厚い学習者層を形成する日本語修得者たちの存在は、これから すると必ずしも「日本研究」には有利に働かないようである。逆に誰もが手 軽に日本の人・物・事に頻繁に接触できるがために、台湾では「日本研究」 の必要性が意識されにくくなっている。つまり誰もが日本が好きで、日本を 見物してきていて、日本事情が語れて、日本通の好日家となっている。アニ メやマンガ、テレビゲームは若者の日本入門の必携となっているが、それな りに日本大衆文化の愛好層を形成する。 極端に偏重する日本語教学者従事者の立場からすると、初級レベルの需用 は最大だが、中級、高級とレベルがあがるにつれ、大きく萎縮していく。初 級レベルの対応に暇のない教師陣たちは、大学での第二外国語でも社会人教 育ででも、同じ句型の繰り返しをいつまでも迫られる。教学は知的探求欲を.

(4) 122 亞太研究論壇第二十六期 2004.12. 刺激することなくマンネリ化しやすい。新しい日本語には分かりにくい外来 語が多く、漢字も日本人ならコンピューター操作で簡単に入力できるため、 逆に外国人の日本語学習を難くしてしまっている。教師にはそれを消化する 情報整理の暇もサービス機構の手助けもない。 台湾では日本語は英語に次ぐ第二外国語であっても、大学生は一年に入学 してから日本語の文字、発音を学びはじめるので、大学の英語コースとは格 段の差がある。高校レベルからの第二外国語との一貫連続もテストケースな どで摸索されてはいるが、まだ主分な方針もでていない。概して大学の教員 とは言っても、教学と研究の両立を理想とするが、やはり重点は学生相手の 教学に移行せざるを得ない。そこで教学レベルでの実務や実用が強調される ようになればなるほど、研究よりも言語教育上につきあたった問題点に教師 自体の関心が向けられていくのは無理もないことである。また実務、実用が 要求されればされるほど教師の側の欠点例えばマルチメディアが使えないと か、教材が古過ぎるとかの面が突出してめにつく。研究と教学が不一致であ り、教学時間の長さも教師の大きな負担となっている。現今、純粋な意味で の日本語学の研究者は数が極めて少なく、おおかたは日本語教授法の論者で ある。戦後五十年にして、中央研究院に言語・文学のアメリカ留学者が大多 数を占めるのに、日本の留学研究者が皆無なことが問題の核心を象徴的に物 語っている。. 三、日本語学習者数の低迷傾向 語学が実際に役に立つ面で必要性が強調されると、専門知識との関連性が より鮮明とならざるを得なくなる。例えば、歴史学の研究上、史料や法律文 書の閲読力が優先される場合と、商用ビジネス用の対話又は外交上での談 判・辞令用語とで、それぞれに重点の置き所が違ってくる。同じ翻訳でも筆 訳と通訳(同時と逐次)とでは訓練に大差がある。これまでの一般初級日語 の概念で、全ての需要者に一律同じ教え方で対応していっては、実際、間に 合わない。浅くて軽い趣味レベルで初級クラスを学習するのと、研究の需要 上学びたい読解用日本語とでは教材も異なってくるはずである。日本語専攻 者は大学一年から四年間、猛烈に聴説読写訳の五能力の均等授受を目指して 頑張った結果、研究領域に踏み込む方法論を身につける暇がもてなくなった。.

(5) 專題研究 I:台灣的日本研究 123. 大学院コースに進もうとする学生たちが研究計画を書ききれない状況を見る と明了である。 日本国内で 1985 年頃の日本語教育ブームがおこった背景を眺めてみると、 中国人残留孤児の帰国、東南アジア難民の受入れ、外国人定住者や労働者の 大量移入、日系ブラジル移入の入居など、国内での日本語教育の緊急必要性 が高まり、国際化社会の到来に伴う日本国内「外国人問題」 「異文化摩擦」が 課題となった。同時に、経済大国から政経大国を目指す日本外務省の外交政 策が、日本語・日本文化の海外推進を掲げ、日本語専門家が海外に派遣駐在 されるようになった。東アジアでの日本語、日本ブームは、台湾の李登輝、 韓国の金大中両大統領が積極的に親日政策とったことも関連しよう。 日本国内での日本語教育研究の発展の中、台湾もその恩恵を受けて、にわ か教授法、文法解析、構造文分析等と次々と紹介された。台湾の日本語教育 学界は日本側からの積極的攻勢に加えて、政府当局の対日政策の転換の煽り の中、急劇に哈日族を膨張発展させていった。しかし、なぜか目前の大市場 である教材作成には教師側は消極的であった。特に大学専任教師は教材編著 や翻訳が、研究論文ではないからして教師の成績に数えられないとする国家 政策に大いに影響された。そこで台湾の店頭には、日本人学者の編著した日 本語教材が並び、日語教材市場を殆ど独占していた。翻訳作品も、学者の参 与は殆どなく、市場志向の著作のみが出回って、しかも訳文の質にも良否の 大差があった。日本の学者の大著が中国語に翻訳されることもなく、日本認 識を深化させる契機も失っていた。日本語教材書による日本社会、文化の紹 介のみが、台湾の人々に接触する文化交流の一環を担っていたとも言える。 実に貧弱である。 「外因」が台湾における日本語・日本文化ブームの背景として大きな影響 力を発揮していたが、では、「内因」としての台湾内部での「日本研究」に 至る切実な需要がどこにあるか、は考えるに値する問題である。日本ブーム は昨今の韓国熱に押され気味で後退しがちに見えるが、日本語・日本への興 味には一定の厚い基本層がある。しかし、若者・大衆層では低迷の模様を示 し始めた。少なくとも彼らはかつての哈日族であっても、現在では余熱のさ めたクール派に転身してしまった。 台湾内部の切なる需要がどこにあるかを模索してみると、実は論点として.

(6) 124 亞太研究論壇第二十六期 2004.12. は極めて不明了であり、主体性を欠く。もともとニーズは浅く広い大衆面に あったのみではなく、実はもっと細分化された聴説・読訳と作文の専門性に もあったけれども、未だ初級レベルのニーズにあ和しているのが現状である。 「日本研究」にまで辿りつくには、長い言語との付き合いがあるが、それぞ れのニーズに密着した細分された机能別言語教育の在り方が再考されるべき であろう。低迷する日本語学習志向者の数から、日本語教育のこれからの在 り方を軌道修正してみるのも大切だ。. 四、現今台湾の「日本研究」の困難 台湾では「日本語は大切だ」との確信的な声が今も聞かれるが、「日本研 究」については、「もう地域研究の時代は去った」とか、「日本研究はもう 不用」との声が聞かれるようになった。日本の近代化の成功、伝統と現代を マッチさせた文明化、科学技術の進歩、礼儀正しさ、清潔さなどを否定する のではないが、当代のグローバル化の潮流に合わない面もだいぶ目について きた。日本でしか使えない、各メーカーによって規格や尺度が違うことなど、 日本的とか特殊性とか日本単一主義的な面は、傍らからは国際化に遅れをと ったと見える。それに加えて、内部に残存する日本的因習の深さが、外国人 をしてイライラさせる。タテマエとホンネは、日本人社会では当然墨守すべ き礼儀作法と思いやりかもしれないが、NO!の在り処が探りあてえない外 国人にとっては大変困惑させる。 多国籍企業と EU 大統合がグローバル化の先端を切って、国家を越え、人 間関係の狭い地縁血縁を越え、イデオロギーの壁を乗り越えて 21 世紀文明 を創造しようとしている時、日本語・日本文化の「特殊性」や「優秀無比」 を強調したがる傾向は自らを狭めているように見える。事実、翻訳の領域に おいても、日本語と中国語の二カ国語のみでは不足である。必ず第一外国語 英語の翻訳能力があって、はじめて中日ニカ国語の通訳なりがつとまる。英 中間の転換にはない、日本語等第二外国語翻訳者の必須課題である。しかも 台湾は日常的に二種以上の二言語と国際習慣の差が共存して隣合せな状況に ある。言語や文化、国籍感覚は日本人と大きく異る。 アメリカの対アジア政策の中心が中国に移ってから、日本研究の重要性は 相対的に低下し、日本は韓国やシンガポールなど中国周辺諸国の一国に過ぎ.

(7) 專題研究 I:台灣的日本研究 125. なくなった。単独の日本専門研究は必要性をなくした。元来、アメリカの日 本研究は太平洋戦争の敵国日本を熟知するために進められ、戦後は対共産圏 中国封鎖政策のために唱えられた「日本近代論」であった。だから、中米関 係の変化は、日米又は日台・米台関係を直撃して、微妙なかげりを落す。現 今台湾のクールな対日観からは、「日本はモデルになれない」、「日本から もう学ぶものがなくなった」、とすら言わせるまでになった。 では、本当に台湾はもう日本から学ぶものがなくなったのか、と言うと、 実はそうでもない。だが「日本研究」推進にとって困難さが増加しただけで ある。 これまで台湾では、日本は未来像、「日本人になりたかった」とすら言い 切る若者もいたくらいであった。同じく東アジア海洋性の地理条件と近代の 歴史上植民・被植民地であった要素もあって、日本的生活、日本的価値は憧 れの的であった。日本例も台湾や韓国における日本ブームが成功の第一歩と 見て、大いに自信をつけた。しかし、日本は大切なことを見逃した。それは、 日本語を教えることに一生懸命で、日本文化を理解させ、日本的価値の特殊 性を宣伝することに熱心になりすぎて、逆に相手の価値、相手側の立場、言 語習慣等相手文化への理解とコミュニケーションをおこたと言わなければな らない。つまり、日本語・日本文化を国際言語・世界文化の一つに設定し見 直す努力をおこったのではないか、と言うことだ。 日本製品は各メーカー間にコミュニケーションがなく、それぞれが単位独 立して縦切り型で横の連結を欠いている。同様に、台湾も日本的価値の影響 下、なかなか横の連結が進行しない。低迷する経済、一向に延びなやみ情況 を脱却できない逼迫感は、個人も会社も学校も孤立の不安に追い込む。自殺 者の年少化、憂鬱症状の蔓延化、病的に少年齡下の傾向を強めていく援助交 際等。台湾社会は日本に数年もしくは数ヶ月遅れて、殆ど同時期に同じ社会 現象を呈する。日台社会の同一致性は驚くべきである。だから、日本が解決 できない問題は、台湾では解決できるはずがないとされる。80 年代まで日本 をトップに、NIES、ASEAN、最後に中国と「雁行」序列が唱えられたが、 それが今でも台湾では教条的に残留しているのであろうか。21 世紀新型「雁 行」は過去を逆転させた形に作り変えられつつあるが、「日本研究」が不足 する台湾では現状と認識に大いに落差を示し、混迷に陥っている。.

(8) 126 亞太研究論壇第二十六期 2004.12. 日本を無批判にモデル化した台湾の問題と背中合わせに日本がグローバリ ゼーションに遅れをとった問題が、現在台湾「日本研究」人的資源の課題を 論ずる時に深刻な問題として表面化してきているのである。 設立が待たれるのである。. 五、「日本研究」は台湾では必要 日本語の普及に尽力し、歌舞伎や能など日本文化を代表する芸能として海 外で公演されたりしても、日本語が世界言語・アジア言語の単なる一系であ り、日本文化も世界各国にある文化の一つとして意識的に位置づけされ直さ れない限り、台湾や世界における「日本研究」の前途は暗いと言わなければ ならない。幕末明治初期の欧米人が見た日本は異国情緒を掻き立てるエキゾ チックな「特殊性」をもって世界に紹介された。かつて、百年前日露戦争で 日本があの大国ロシアに勝ったことで、東洋の盟主のように仰がれて、中国 からインドから多くの留学生が日本へ渡った。1985 年頃、バブル経済の中、 大国意識なら日本は経済大国と称されて、東南アジア、中近東からの移住労 働者を大量に引き付けた。しかし、どの時期をとってみても、例えば中国に おける義和団事件賠償金以来の連続一貫系列的対米留学勢力の太いパイプの 拡大のように中国における親米勢力が日本留学例では成長していかなかった。 どうやら近代史上に消えては興隆する対日留学現象は、強い日本に強者のモ デルを求めようとしたアジアの側に問題があったし、いつでも霸権志向を善 とする日本側にも問題がある。日本の大衆文化が世界を制霸したと嬉々する 日本人学者文化人が、台湾の援助交際は日本から直輸入した悪質文化として 現地で顰蹙を買っていることを知ったら、日台文化交流の浅さと質の不良さ に気づくことだろう。 良い文化が入りにくくて根付かない問題は、台湾側の主体性にもかかって いる。日本からもう何も学ぶものがないとして、台湾における日本研究の必 要性を完全に否定することはできない。台湾が日本から学ぼうというのは、 功利主義の面から唱えられるのであれば、世界中にはもう学ぶ対象はなくな っているはずだ。功利主義からの学習には限界があって、実は台湾内部から の主体的研究力の開発の過程で出てくる問題意識がなければならない。真先 にコピーを考えたり、単に学位をとるだけのために、論文を書こうとして日.

(9) 專題研究 I:台灣的日本研究 127. 本をテーマにするのと違う。台湾主体の問題意識の欠如のままで「日本研究」 の発展をいくら考えても、やはり今までのように立ち消え断絶していってし まうだろう。どこか精神文化の再構築、哲学的思索にまで至る何かがなけれ ばならない、人文科学ではまず比較文明論の課題を文化間対等の立場で、そ れぞれの価値の差異を比較解析することなどによって、問題の解決なり新し い法制度構築等に結合していくことも考えられる。ただそれには現行の教育 研究面に対する再考修正が迫られるよう。 現実的には、台湾における「日本研究」は、唯一、戦略構想上、台湾の安 全保障への考慮から最も大切となる。2004 年 5 月 WTO の席で日本がアメリ カと共に、台湾のオブザーバー加入に賛成を表明したことが、台湾外交又は 対日外交上での大きな成果と見なされ、意義づけられるのは、そのためであ る。得票の上では、ただの一票か二票だけであるのに、なぜ外交上の勝利と 高く評価され得るのかである。日台関係は事実上、対中国戦略的価値に重点 がおかれるからである。だから、日本語学習者 20 万人は「親日」台湾のイメ ージ作りには有効であっても、専門的な戦略研究は別格である。つまり、「日 本研究」とは政府機構の例えは陸委会、国安系統主導の研究とならざるを得 ない。それはアメリカの日本研究の後退を受けないばかりか、それだからこ そもっと大切な台湾独自の研究対象となる。ここでは、戦略的と言うのを、 単に国防のみでなく政経、金融、科学技術、ハイテク等も含めているつもり だ。 日本にとっても台湾は世界における「日本研究」の好適地となるはずだが、 親日イメージが強すぎて、逆にアカデミックな「日本研究」の素地の育成を 妨んでいる。「日本研究」人的資源の育成は、今後の大きな課題であるが、 2004 年、一国にしか適用しない日本語を学ぶことに疑問を抱きはじめた世 代が、次の「日本研究」の担い手となる時代に、未知数は多い。. 六、結論 台湾には戦後 1950、1960 年代留学の「日本研究」のエリートたちが団塊を なして一陣を張っていた。しかし、その人々はもう殆ど退陣し、今では「点」 として優秀な若手の学者がいるのみである。近年では博士号をもち帰る若者 が多くなったが、ただその多くがやはり日本語教師を志し、言語、文学、歴.

(10) 128 亞太研究論壇第二十六期 2004.12. 史(主に日台関係に)が多い。時代を反映してか、かつての日本賛美の評価 はなく、姿勢としては日本を対等にみようとする構えがある。日本的価値の 「特殊性」を強調することもなくなっている。日本語を学んだ学生たちも、 卒学後アメリカ留学を優先させる例が増大してきたことも注目すべきだし、 逆に非日本語専攻者から日本留学希望者も出てくるようになった。 展望としては、台湾にとっての「日本研究」に繋がる問題意識をいかに焦 点ぼけしないで探求するには、どうしたらいいのか。台湾のニーズに密着し た、しかも一国研究でない視点が求められよう。現在「点々」として各地域 にある日本研究者たちが、「面」としての広がりを持ち、深みと立体性を増 していくには、やはり現状への反省と批判に立った再建のための努力が必要 だし、更にもっと大切なのは台湾の学界に「日本研究」の中核的組織の設立 が待たれるのである。.

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