第三章 日本における地獄の思想
第三節 『十王経』と地獄
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受けた人は、 この地獄に堕ちる126。
源信は『観仏三昧経』、『瑜伽論』、『正法念経』などの経典における無間地獄 に関する記述をまとめて、無間地獄について述べている。無間地獄では、猛火 があちこちから来て、罪人の体を焼く。また、罪人は舌を抜き出されたり、口 に熱い鉄丸を呑ませたりして、口や喉などが焼き尽くされる。仏像を焼いたり、
仏に供えた物を取ったりする人は、その悪の報いとしてこの地獄で以上述べた 苦しみを受ける。無間地獄は前述した七大地獄より、受けた苦しみが一千倍し ている。
以上は『往生要集』における地獄の記述である。石田瑞麿によれば、源信は いろいろな経典から地獄の記述を取り上げて、地獄の有様、および地獄で受け た罪業について述べているが、地獄全体の構造については少し混乱があるとい う127。それにもかかわらず、『往生要集』が日本仏教の地獄思想に大きな影響 を与えたことは明らかである。ところが、平安末期に『地蔵菩薩発心因縁十王 経』という偽経は登場し、地獄思想に新たな局面をもたらしてきた。この経典 では、地獄の裁判者の閻魔は一人から十人にもなっている。そして、三途の川 と死出の山という死後赴くところもこの経典に出ている。以下、『地蔵菩薩発 心因縁十王経』について論じたいと思う。
第三節 『十王経』と地獄
『地蔵菩薩発心因縁十王経』(以下略称『十王経』)は日本製の偽経であり、
平安末期に完成されたという128。この経典には地獄に十王の裁判者がいて、人
126 石田瑞麿によれば、五逆罪は大乗仏教・小乗仏教によって違うという。小乗では、五逆罪 は父や母を殺すこと、聖者である阿羅漢を殺すこと、仏を傷つけて血を出させること、教 団の和合を破壊することである。そして、四重とは殺生、偸盗、邪淫、妄語という四つの 罪である。石田瑞麿校注『往生要集』(1970)日本思想大系『源信』所収、岩波書店 p.26
-27 を参照。
127 石田瑞麿(1998 年)『日本人と地獄』春秋社 p.77 を参照。
128 五来重(1991 年)『日本人の地獄と極楽』人文書院 p.161 を参照。
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は亡くなってから七七日まで、七日ごとに十王の裁判を受けると述べられてい る。初七日は秦広王で、二七日は初江王で、三七日は宋帝王で、四七日は五官 王で、五七日は閻魔王で、六七日は変成王で、七七日は太山王である。そして、
死者は死後の百日目、一周年と三周年にも十王の裁きを受ける。百日目は平等 王で、一周年は都市王で、三周年は五道転輪王である。このように死者は七日 ごと及び百日、一年や三年に十王の裁判を受けるということで、一七日から七 七日、百箇日、一周忌、三回忌という死者の追善供養を行うことが必要である
129。
『十王経』における十王は各々の本地仏がいる。この経典における十王は仏 や菩薩などの化身である。たとえば、秦広王は不動明王で、初江王は釈迦如来 で、宋帝王は文殊菩薩で、五官王は普賢菩薩で、閻魔王は地蔵菩薩で、変成王 は弥勒菩薩で、太山王は薬師如来で、平等王は観音菩薩で、都市王は阿閦如来 で、五道転輪王は阿弥陀仏である。五来重によれば、この経典における十王十 仏に虚空蔵菩薩などを加えて、日本では十三仏の信仰が形成されたという130。
『十王経』では、人が亡くなってから、死出の旅に赴くことが書かれている。
人が臨終するとき、閻魔から奪魂鬼、奪精鬼、奪魄鬼という使者を送って、使 者は亡者を死天の山、つまり死出の山の門の前に連れていく131。亡者は死出の 山で無常鳥、抜目鳥という鳥に呵責されて、脳をすすられたり、目を抜かれた りする。そして、死出の山の南門を通るとき、門柱が迫って、体が砕けたり、
骨が折られたり、髄が漏れたりして、再び死ぬ。亡者がここで再び死ぬという ことで、死出の山と呼ばれている。死出の山は山の坂が険しくて、道がぼこぼ こしている。亡者は死出の山を越えなければならないので、葬送の時三尺の杖、
鞋を備えることが必要である。また、亡者はちょっとした善行を行ったら、死
129 石田瑞麿(1998 年)『日本人と地獄』春秋社 p.83-84 を参照。
130 五来重(1991 年)『日本人の地獄と極楽』人文書院 p.164 を参照。
131 死天の山と死出の山は同じである。ただ『十王経』に死出の山は死天の山と表記されてい る。
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出の山の門柱に迫られる苦痛を受けないので、地蔵の状及び随求陀羅尼という 経を持つことが必要である。死出の山から冥途まで五百臾繕那である。それか ら、十王の裁きを受け始め、初七日に秦広王の裁判を受ける。
その後、葬頭河という三途の川の辺に着いて、奈河津という渡し場から三途 の川を渡して、奪衣婆と懸衣翁という鬼に呵責されて、二七日に初江王の裁判 を受ける132。奪衣婆と懸衣翁は亡者の服を脱いて、衣領樹という木の枝に服を かけて、亡者の罪の軽重を量って、初江王に報告する。そして、初江王の裁判 を受けてから、三七日に宋帝王の官庁に赴く。宋帝王の官庁の前に猫と大きな 蛇は集まり、亡者の体を割いて破ったり、巻いて縛ったりする。
四七日に亡者は五官王の官庁に着いて、五官王に裁かれる。五官王の官庁に は秤量舎と勘録舎というところがある。秤量舎には秤量幢があって、亡者の罪 の軽重を量る。重罪は地獄罪で、中は餓鬼罪で、軽は畜生罪である。勘録舎に は鏡があって、亡者の罪を確認する。獄卒はその量った結果を五官王に知らせ る。『十王経』によると、五官王の官庁には善と悪の童子がいるが、二人の童 子は亡者の善悪の行為を証明するという。石田瑞麿の解釈によれば、この二人 の童子は人が生まれてから同時に肩にすわる倶生神であるという133。
五七日に亡者は閻魔王のところに着く。ここに城門があるが、城門の右に黒 闇天女の幢、左に太山府君の幢がある。この二人は亡者の本性を見抜くことが できる。そして、前述した二人の童子は人が生まれてから、亡者の生前の行い を記録し、その善悪を閻魔王に報告する。閻魔王城には浄頗梨鏡があるが、こ の鏡は衆生の生前の行いを映すことができる。閻魔王は浄頗梨鏡を見て、二人 の童子と黒闇天女、太山府君の報告を聞き、正しく亡者を裁判する。それから、
死後の四十九日まで、変成王と太山王の裁判を受ける。変成王は亡者の罪を責
132 『十王経』によれば、葬頭河と三途の川は同じ所であるという。この冥界にある川はいろ いろな転訛があるから、『十王経』には三途の川は葬頭河と表記されている。五来重(1991)
『日本人の地獄と極楽』人文書院p.166 を参照。
133 石田瑞麿(1998)『日本人と地獄』春秋社 p.84 を参照。
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めて、善を勧める。太山王は変成王、閻魔王と五官王の裁判によって、亡者の 転生の条件を整理し、明らかにする。その後、死後の百日になったら、平等王 の裁判を受ける。平等王は欲張りな人に罰を与える。そして、死後の一年にな ったら、都市王の裁きを受ける。最後に五道転輪王の裁きを受け、生前の善果 と悪果によって、来世にどこに生まれることを決める。
以上は『十王経』に書かれている死出の旅についてのことである。『往生要 集』と比べると、『十王経』では死後裁きを受けることや死者に行う追善供養 などが強調されている。そして、この経典には中国道教の色彩が含まれている。
すでに述べたが、「閻魔羅國大城(中略)右黑闇天女幢 左太山府君幢」(『地 蔵菩薩発心因縁十王経』)134というように、閻魔王城の城門には太山府君の幢 がある。太山府君は泰山府君という中国道教冥界の神である。地獄の十王の中 の太山王は、中国道教の太山府君とは同じ冥界の神ではないかと思う。
石田瑞麿によれば、『十王経』は中国の『仏説預修十王生七経』という経典 から強い影響を受けたという135。前節にも述べたが、原始仏教では、地獄の支 配者はただ一人で、地獄は業の報いを受ける場所である。しかし、仏教が中国 に伝わると、地獄は死後裁判を受ける場所になった。中国では、仏教の地獄思 想に古代中国の法廷の制度を入れたが、仏教が伝来する前に民間信仰の泰山信 仰や道教の思想なども含まれている136。そのために、地獄は体系的な組織にな って、現世の法廷のようなところになったという137。
『十王経』には中国の道教思想や仏教の地獄思想だけではなく、日本人の独 特な他界観も含まれている。この経典には死出の山と三途の川のことについて も記述されている。すでに述べたように、死出の山と三途の川は『蜻蛉日記』
『十王経』には中国の道教思想や仏教の地獄思想だけではなく、日本人の独 特な他界観も含まれている。この経典には死出の山と三途の川のことについて も記述されている。すでに述べたように、死出の山と三途の川は『蜻蛉日記』