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第三節 近世から近現代まで日本人の他界観
近世の日本文学には日本人の他界観も見られる。江戸時代に町人物や心中物 や好色物など、いろいろな庶民的な文学作品が書かれた。まず、井原西鶴の町 人物『日本永代蔵』を取り上げたい。「されば天地は万物の逆旅、光陰は百代 の過客、浮世は夢幻といふ。時の間の煙、死すれば何ぞ、金銀、瓦石にはおと れり、黄泉の用には立がたし。然りといへども、残して子孫のためとはなりぬ」
(「巻一・初午は乗てくる仕合」)64というように、この現世でいくら貯金して も、死後黄泉に赴いたら、財物や金銭などは無用になるから、むしろ子孫のた めにお金を儲けると書かれている。そして、「西方極楽へ只一道に、どこへも 寄ずに参る事を忘給ふな」(「巻三・国に移して風呂釜の大臣」)65と、ある店 の主人は臨終の時、身内と医者がどこへも寄らず西方極楽へ赴くことを忘れな いようにと勧められた。その店の主人は「死では何も入ぬぞ。帷子ひとつと銭 六文を四十九日の長旅のつかひ、地獄の馬に乗給ふも成まじき」(同巻・同上)
66と言い残して亡くなった。
五来重に書かれた『日本人の地獄と極楽』では、六文銭のことが次のように 述べられている。人間が亡くなったら、冥界の旅立ちを始め、三途の川という ところに行く。昔の葬送礼儀では、頭陀袋という死装束があって、死者の頭陀 袋に六文銭を入れなければならない。死者の生前の罪穢を無くすためには、六 文銭を渡す必要がある。この六文銭は三途の川の渡し賃で、三途の川で死者の 服を剥ぎ取る奪衣婆に六文銭を出さなければならない。奪衣婆に六文銭を出し てから三途の川を渡すことは一種の禊であるという67。
『日本永代蔵』では、また次のように述べている。「心入ならく迄も通じて、
64 野間光辰校注(1960)日本古典文学大系『西鶴集下』岩波書店 p.33
65 野間光辰校注(1960)日本古典文学大系『西鶴集下』岩波書店 p.91
66 野間光辰校注(1960)日本古典文学大系『西鶴集下』岩波書店 p.91
67 五来重(1991)『日本人の地獄と極楽』人文書院 p.165、p.175
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突にける。此鐘を突て分限にならば、今の世の人、末の世には虵になる事もか まふべきか。増て蛭の地獄など恐しからず」(「巻三・紙子身代の破れ時」)68と いうように、忠助という男は来世に無間地獄に堕ちることはともかく、無間の 鐘をついて現世での幸せを祈った。谷脇理史の解釈によれば、無間の鐘は来世 では無間地獄に堕ちるのが現世では富貴になれると伝える鐘であるという69。 以上述べてきたように、『日本永代蔵』では極楽や地獄などという他界の記述 が見られるが、このような他界についての記述は中世の日本文学より現世主義 の傾向がある。徐翔生の解釈によれば、近世の町人物には、仏教の要素が希薄 化されていく傾向があり、来世より現世の幸せを望む傾向が強くなっていると いう70。
しかし、近世の日本文学作品では、極楽浄土を願うことも見られる。近松門 左衛門の『曾根崎心中』がその代表的なものとも言えよう。『曾根崎心中』は、
手代の徳兵衛と遊女のお初が恋のために心中した物語である。この作品では、
日本人の他界観が見られ、特に欣求浄土の思想が見られている。「神や仏にか けをきし現世の願を今こゝで、未来へ廻向し後の世もなをしも一つ蓮ぞや」
(「徳兵衛おはつ道行」)71というように、お初は来世一つの蓮になると祈りな がら、徳兵衛と曾根崎の森へ心中に行った。そして、「あつとばかりに喉笛に。
ぐつと通るが「南無阿弥陀。/\南無阿弥陀仏」と。くり通しくり通す腕先も。
弱るを見れば両手を伸べ。断末魔の四苦八苦。(中略)誰が告ぐるとは曾根崎 の森の下風音に聞こえ。取伝へ貴賤群集の廻向の種。未来成仏疑ひなき恋の。
手本となりにけり」(「徳兵衛おはつ道行」)72というように、徳兵衛とお初は
68 野間光辰校注(1960)日本古典文学大系『西鶴集下』岩波書店 p.106
69 日本古典文学全集『井原西鶴集三』(1972)小学館 p.170 を参照。
70 徐翔生(2017)「他界像から見る日本人の死生観―文学の観点からの試論」(『政大日本研究 第14 號』所収 p.28)
71 松崎仁・井口洋・原道生・大橋正叔校注(1993)新日本古典文学大系『近松淨瑠璃集上』
岩波書店p.126
72 松崎仁・井口洋・原道生・大橋正叔校注(1993)新日本古典文学大系『近松淨瑠璃集上』
岩波書店p.129-p.130
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「南無阿弥陀仏」と何回も念仏して、「断末魔の四苦八苦」という死への苦痛 を経てからついに極楽浄土で未来成仏を遂げて、恋の手本になったという。
また、『曾根崎心中』では、死後死出の山、三途の川などの冥途に赴くこと も見られる。「会ふに会はれぬ其時は、此世計の約束か。さうしたためしのな いではなし。死ぬるをたかの死出の山三途の川は堰く人も。堰かるゝ人もある まい」(「生玉神社の場」)73というように、お初はこの世でどうしても会えな かったら、死後あの世の死出の山や三途の川で会えると述べている。そして、
心中する前に「あれこそは人魂よ。こよひ死するは我のみとこそ思ひしに。先 立つ人も有しよな。たれにもせよ死出の山の伴ひぞや。南無阿弥陀仏、/\の 声の中」(「曾根崎の森」)74と、徳兵衛は人魂に気付いて、冥途の死出の山に 一緒に行く人がいるだろうと言う。以上のように、『曾根崎心中』では、三途 の川や死出の山などについての記述は中世日本文学の記述とはほぼ同じであ る。つまり、人間が亡くなったら、死出の山と三途の川に行くという。
近世の武士道文献には他界のことも見られる。まず、山本常朝の『葉隠』を 取り上げたい。『葉隠』では、武士の倫理、道徳などが述べられている。この 本の中で、儒教と仏教の思想、特に仏教の世界観がよく見られている。「大名 の御死去に、御供仕候者一人も無之候ては、さびしきものにて候。是にて能し れたり。擲ちたる者は無きものにて候。只擲さへすれば澄也」(『聞書一・十二』)
75というように、山本常朝は藩主が亡くなってから一人で他界に行くのはとて も寂しいことだと考えている。だから、主君に殉死することはどうしても必要 である。以上述べたことから、近世日本人の他界観が窺える。つまり、殉死と は主君と一緒に他界へ赴くことである。
『葉隠』では、殉死することとともに、武士が主君に忠を尽くすことも強調
73 松崎仁・井口洋・原道生・大橋正叔校注(1993)新日本古典文学大系『近松淨瑠璃集上』
岩波書店p.113
74 松崎仁・井口洋・原道生・大橋正叔校注(1993)新日本古典文学大系『近松淨瑠璃集上』
岩波書店p.126
75 斉木一馬・岡山泰四・相良亨校注(1974)日本思想大系『葉隠』岩波書店 p.224
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されている。「此主従の契より外には、何もいらぬ事也。此事はまだなりとて、
釈迦・孔子・天照大神の御出現にて御勧めにても、ぎすともする事なし。地獄 にも落よ、神罰にも中れ。此方は主人に志立る外は入ぬ也」(「聞書二・六十五」)
76、「士たる者は、名利の真中か、地獄の真中に駈入ても、主君の御用に可立 と也」(「聞書二・一四〇」)77というように、武士はたとえ地獄に行っても、
主君に忠を尽くすべきであるという。徐翔生の解釈によれば、『葉隠』では主 君に忠を尽くすためにただ命を捧げることが高く評価されているという78。そ して、「武士道と云は、死ぬ事と見付たり。(中略)毎朝毎夕、改めては死々、
常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく家職を仕課すべき也」
(『聞書一・二』)79というように、武士は死のことを身に付けるべきで、死の 覚悟が強調されている。以上のように、『葉隠』では死というものが美化され て、死の神聖化を見て取ることができるという80。
以上述べた殉死については、森鷗外によって書かれた『阿部一族』にも見ら れている。「先代が格別入懇にせられた家抦で、死天の旅の御供にさへ立つた のだから、家中のものが羨みはしても妬みはしない」(『阿部一族』)81という ように、武士は殉死を通じて、主君とともに死天の旅、すなわち死出の旅をす るという。また「死天の山三途の川のお供をするにも是非殿様のお許を得なく てはならない。その許もないのに死んでは、それは犬死である」(同上)82と いうように、誰でも勝手に殉死ができるものではない。殉死とは主君と一緒に 死出の旅に死出の山と三途の川の供をするためである。ここで述べたことは前 述した「大名の御死去に、御供仕候者一人も無之候ては、さびしきものにて候」
76 斉木一馬・岡山泰四・相良亨校注(1974)日本思想大系『葉隠』岩波書店 p.291
77 斉木一馬・岡山泰四・相良亨校注(1974)日本思想大系『葉隠』岩波書店 p.313
78 徐翔生(2017)「他界像から見る日本人の死生観―文学の観点からの試論」(『政大日本研究
78 徐翔生(2017)「他界像から見る日本人の死生観―文学の観点からの試論」(『政大日本研究