2.5 本章のまとめ
3.3.1 意味用法
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の現象に焦点を絞りたいと思う。
3.3 「ぜんぜん(全然)+肯定表現」の意味用法
この節においては、「ぜんぜん(全然)+肯定表現」の意味用法を見る。また、
肯定表現と共起する場合、「ぜんぜん(全然)」と「とても」・「非常に」の意味 用法の違いも明らかにする。さらに、野田(2000)におけるアンケート調査を 概観し、なぜそのような調査結果があるのかを本稿の立場から解釈する。
3.3.1 意味用法
「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は話者自身が想定した前提を否定する際に用 いられると考えられる。まず、会話文で使われる「ぜんぜん(全然)+肯定表現」
を見る。
(1)(問) 社会人の方で仕事帰りに映画館行く人いますか?1人で見れます か?カップルばっかりで恥ずかしくないですか?
(答)全然大丈夫。一人で観にいっちゃいます。 (Yahoo!知恵袋)
例(1)は「質問」に対する「返答」の中で「ぜんぜん(全然)+肯定表現」
を用いる文である。例(1)を見ると、話し手は聞き手の質問から「一人で映 画館に映画を見に行くのが恥ずかしい」という情報を読み取ると考えられるが、
その命題に対して異なる意見を持っている。その意見に反論するために、上記 の情報を前提として想定し、それを否定するのに「全然大丈夫」という表現を 使うと考えられる。それに対して、「大丈夫」という表現だけを使って返答す る場合、話者の考えを強く主張するという意味がなくなる。つまり、「全然大 丈夫」という表現を用いる場合は「大丈夫」という表現だけを使う場合と比べ て、話者の考えを強く主張するという意味が読み取れる。その話者の主張を強 く強調するという意味は、「ぜんぜん(全然)」によって付与された意味と考え られる。つまり、「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は話者が自ら想定した前提を
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否定するという意味を表すため、「肯定表現」のみを使う場合と比べて、自分 の主張を強くする強調するという意味が生じるのである。次に会話文ではなく、
地の文で使われる「ぜんぜん(全然)+肯定表現」の例を見る。
(2)廃校っていっても、今は、俺の伯父さんが仕事部屋みたく使ってて、
水も通ってるし手入れもされてるし、ぜんぜん余裕で暮らせるんだ。
(『夏は、夜。』)
例(2)では「廃校だから余裕で暮らせない」という社会の一般通念がある と考えられる。しかし、「水も通っているし手入れもされている」という実際 の状況があるため、話者は上記の一般的事実に対して否定的な意見を持ち、「ぜ んぜん(全然)+肯定表現」で「廃校だから余裕で暮らせない」という事実を否 定すると考えられる。それに対して、「余裕」という表現だけを使って返答す る場合、話者の考えを強く主張するという意味がなくなる。つまり、「ぜんぜ ん余裕」という表現を用いる場合は「余裕」という表現だけを使う場合と比べ て、話者の考えを強く主張するという意味が読み取れる。その話者の主張を強 く強調するという意味は、「ぜんぜん(全然)」によって付与された意味と考え られる。つまり、「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は話者が自ら想定した前提を 否定するという意味を表すため、「肯定表現」のみを使う場合と比べて、自分 の主張を強くする強調するという意味が生じるのである。ここでも「ぜんぜん (全然)+肯定表現」は話者が自ら想定した前提があり、それを否定する場合に 用いられることが分かる。
このように、質問に対する返答文でも平叙文でも、「ぜんぜん(全然)+肯定 表現」は、話者が自ら想定した前提があることが分かる。その前提は例(1)
のように、聞き手の質問から形成されるものもあり、例(2)のように何らか のものやこと(廃校など)に対する社会の一般通念や実際の状況から形成され るものもある。そして、「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は、そのような前提を 否定する場合に用いられる。したがって、「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は、
話者が「自ら想定した前提を否定する」という意味用法があり、それによって、
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相手や一般の人々と異なる意見や考えなどを表すという機能を果たすと考え られる。
それに対して、何らかの前提が想定しにくい場合は、「ぜんぜん(全然)+肯 定表現」は用いられにくいと思われる。以下は作例である。
(3)(はじめて会った人に)「*ぜんぜんきれいですね」 (作例)
例(3)は目の前で初めて会った人に「きれい」と褒める場合である。この 場合は何らかの前提が想定しにくいので、「ぜんぜん(全然)+肯定表現(きれ い)」を用いると、不自然な文になってしまう。それに対して、何らかの前提 が想定しやすい場合には、例(4)のように「ぜんぜん(全然)+肯定表現(き れい)」を用いることが比較的自然になる。
(4)(友達は自分の彼女がきれいではないと言って、写真を見せた。その後、
友達の彼女に会った。彼に言う)「ぜんぜんきれいですね」 (作例)
例(4)は一度友達から彼女の写真を見せられた状況である。写真を見たと き、友達の話から「(友達の)彼女はきれいではない」という情報を読み取っ た。しかし、実際本人に会うと、その情報に反するような事実が分かった。こ の場合は「ぜんぜん(全然)+肯定表現」の使用が自然になるが、これは話し手 が「友達の彼女はきれいではない」ということを前提として想定し、それを否 定するという文脈的条件があるからである。それによって友達と異なる意見を 表すことができると考えられる。
このように、「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は何らかの前提が想定しにくい 場合は用いられにくく、何らかの前提が想定しやすい場合は用いられやすいこ とが分かる。「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は単に肯定表現の「程度のはなは だしさ」を修飾するのなら、(3)のような何らかの前提が想定しにくい場合も、
どのくらい「きれい」なのかを修飾することができると思われる。しかし、例
(3)に示すように、何らかの前提が想定しにくい場合には、「ぜんぜん(全然)
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+肯定表現」を用いると、不自然な文になってしまう。したがって、「ぜんぜ ん(全然)+肯定表現」は単に「程度のはなはだしさ」を修飾するのではなく、
話者自身が何らかの前提を想定し、それを否定するという意味用法があると考 えられる。そして、それによって、相手や一般の人々と異なる意見や考えなど を表すという機能を果たすと考えられる。
茅野他(1993)は、「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は、以下の例のように、「非 常に」「とても」の意味で使われると指摘している。
(5)新しいあの歌手のレコードは全然すてきですね。
茅野他(1993:142)
しかし、「ぜんぜん(全然)」の意味は「非常に」「とても」の意味とまったく 同じではない。例(5)は「新しい歌手だからレコードがあまり期待できない」
という社会の一般通念を前提とした発言である。話者は何らかの状況を根拠に 上記の一般通念に反するような意見を持つようになるため、「ぜんぜん(全然)
+肯定表現」で「新しい歌手だからレコードがあまり期待できない」という想 定した前提を否定すると考えられる。このように、「ぜんぜん(全然)+肯定表 現」は話者自身が想定した前提を否定する際に用いられる。また、その意味用 法によって、相手やかつての話者自身と異なる意見や考えなどを表すという機 能を果たすと考えられる。したがって、例(5)の「全然すてき」を「非常に すてき」「とてもすてき」に言い換えられると、「話者自身が想定した前提を否 定する」という「ぜんぜん(全然)+肯定表現」の意味用法がなくなってしまい、
単に程度のはなはだしさを強調するようになると思われる。
以下の例(6)(7)のように、想定された前提が前文脈を通して明示される 場合、「ぜんぜん(全然)」と「とても」「非常に」の違いが一層明らかとなる。
まず、次の例を見る。
(6)第6弾の時に「最高気温二十度、殺す気か!」なんて言っていました
が、二十度なんて{ぜんぜん(全然)/とても/非常に}暖かかったね!!
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(Yahoo!ブログ)
例(6)を見ると、話者以外の誰かが「最高気温二十度」という天気予報に 対して、「最高気温二十度、殺す気か!」と言っていた前提が明示されたとい うことがわかる。しかし、話者はその人の発言に対して否定的な気持ちを持ち、
「ぜんぜん(全然)+肯定表現」を用い、「最高気温二十度、殺す気か!」とい うほかの人の発言を前提にし、その前提を否定すると考えられる。このように、
「ぜんぜん(全然)+肯定表現」は話者が自ら想定した前提を否定する際に用い られる。また、その意味用法によって、「二十度なんて全然暖かかったね!!」
というほかの人と異なる意見や考えなどを表すという機能を果たすと考えら れる。したがって、「ぜんぜん(全然)」を「とても」「非常に」に言い換えると、
話者が自ら想定した前提(「最高気温二十度、殺す気か!」)を否定する意味用 法がなくなり、単に「暖かい」の程度のはなはだしさを強調するようになると
話者が自ら想定した前提(「最高気温二十度、殺す気か!」)を否定する意味用 法がなくなり、単に「暖かい」の程度のはなはだしさを強調するようになると