その例は、「放浪記」ではいくつも挙げられる。夫に暴力を受けた後、青空を見上げな
52川副國基「林芙美子「晩菊」について」「国文学解釈と鑑賞 近ごろ問題の作品」昭和26・10 9 号 至文堂
53熊坂敦子「女の青春『放浪記』(林芙美子)」「国文学」1979.4 巻号:24-5
54 同注 1
がら、「ああ全世界はお父さんとお母さんでいっぱいなんだ。お父さんとお母さんの愛情 が唯一のものであると云ふ事を、私は生活にかまけて忘れておりました」と思う場面。
男に女郎の如く扱われそうになった時、「お母ァさん!お母ァさん」と「何もかも嫌にな って」女給部屋で寝ころぶ時。男に裏切られて、両親の元に帰りたくなった折、「透徹し た青空に、お母さんの情熱が一本の電線となって、早く帰っておいでと私を呼んでいる」
等々。そしてこの母娘と薄情な夫を、一編の短編小説に仕上げたのが「母娘」である。
いみじくも平林が看破したように、母親に対しては「男性のそれに対してよりも命懸 け」であったのである。そのことを芙美子は次のように語っている。
<何ものにもまして、私は母を強く愛してきた。母は私のお守りのやうだとおも ってゐる。私の母はいはゆる賢母型の母ではない。私を愛してゐながら、母とは 長い間別れて暮してゐる時が多かった。私の「放浪記」は別れてゐる母へ送る手 紙のやうだとも云へるであろう。自分でも自分の性格が厭になるほど、私は母以 外の人間がきらひなのだ。>
●テクストにおける母――息子が語る母から娘が語る母へ
<文学のテクストにおいて、母はどのように語られてきたか。水田宗子
(以下文中敬称略)は、日本の近代小説の中では、文学テクストの母は、ま ず何よりも息子によって語られた郷愁としての、理想化された母だと述べて いる。
たとえば谷崎潤一郎のいくつかの小説に、このような郷愁としての母を 読み取ることは容易であろう。谷崎中期の『吉野葛』(昭和6)は作家である 語り手の「私」を通して、友人津村の早世した母への思慕が語られる。「私」
の取材旅行と津村の所用とを兼ねて、二人は吉野へ赴く。「私」の旅行記とい う体裁のなかに、津村の語る母物語がさしこまれる。>55
<『日本文学アルバム20林芙美子』の終わりに和田芳恵が付した一文 は、この作家の女性観にも仕事をとおして触れている。二、三を引いておき たい。
「芙美子が小説の世界では、本能や激情のおもむくままに行動する女性のタイプを 好んであつかった。」
「芙美子が好んであつかった、男を知りつくしたために、男に求める限度も知って いる女性の姿は、母の生き方に由来しているためで、芙美子の教養とは、ほとんど無関 係であった。」
「教養」からでなく、実生活から作品の基盤が培われたのえある。生活派であったと いってよい。なお、そこには「晩菊」(昭和二十三年)の主人公「きん」に触れた中村光 夫の評も引用されている。
55宇野木めぐみ「父の娘、母の娘、母と娘―文学における精神分析とフェミニズム―」
「作者はきんとともに、世間と闘ひそれに打勝つてきた女の寂しさを歌つてゐるやう です。」>56
<更に昭和二十六年、芙美子急死の後、八十四歳のキクは五十歳の緑敏(娘の夫)に結 婚を迫ったという驚くべき挿話も伝えられている(瀬戸内晴美「林芙美子伝」にある記 述について、竹本千万吉が直接緑敏に確認。『人間・林芙美子』筑摩書房、昭60・10)。 真偽はともあれ、母キクの世間体などものともせぬ型破りな生き方、生活力のたくまし さ、男性との関わりにおける愛憎や出会いと別れの交々をつぶさに学び受け継いだと言 えよう。芙美子がその都度選んだ男性が皆一様に貧乏であったとはいえ、新劇俳優や詩 人、画家であったことは、彼女の求めるものが決して結婚(同棲)による衣食住の充足 のみではなかったことを示している。>57
「人文地理43-4」人文地理学会1991、8、28 場所の経験:林芙美子『放浪記』を中心として
福田珠己
1.故郷と「故郷といえる場所」――尾道と母親
<私>、林芙美子にとって故郷とは何なのだろうか。故郷に関する記述の引用。
故郷を持たないと言いながら、一方では、<私>は何かしら形をもった故郷のイメー ジを描いているのである。この故郷のイメージが創作の過程に作り上げられたものとは 考えるべきではない。むしろ、放浪の中で育った<私>にも故郷といえる場所があるの だろう。
尾道は、林芙美子が両親と共に行商の途中に立ち寄り、7年間程暮らした土地である。
<私>が尾道につながる「海」にどれほど思いを寄せていたかは『放浪記』における 海、海辺に関する親密な表現からもよく理解できる。
故郷のイメージは「汐」「海」のみによるものではない。故郷を考える際に母親の存在 は欠くことのできない要素である。林芙美子にとって母キクは唯一の肉親であり、二人 の強い絆はしばしば指摘されることである。
故郷はある意味では人的なものなのである。場所(place)はある意味では人的なものな のである。
<私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習つた事があつた。
更けゆく秋の夜 旅の空の 侘しき思ひに 一人なやむ
56保昌正夫「林芙美子の女性観―和田芳恵の林芙美子―」
57下山孃子「林芙美子の男性観」
恋ひしや古里 なつかし父母
私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊予の人間で、太 物の行商人であつた。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒に なつたと云ふので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口 県の下関と云ふ処であつた。私が生れたのはその下関の町である。――故郷に入れ られなかつた両親を持つ私は、したがつて旅が古里であつた。それ故、宿命的に旅 人である私は、この恋ひしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習つたものであつた。
>(p66)
2.芙美子の必死なぐらいの社会認識
<(一月×日)
「お前は考へが少しフラフラしていかん!」
お養父さんは、東京行きの信玄袋をこしらへている私の後から言つた。
「でもなお父さん、こんなところへをつても仕様のない事ぢやし、いづれわし達も東 京へ行くんだから、早くやつても、同じことぢやがな。」
「わし達と一緒に行くのならぢやが、一人ではあぶないけんのう。」
「それに、お前は無方針で何でもやらかすから。」
御もつとも様でございます。方針なんて真面目くさくたてるだけでも信じられないぢ やありませんか。方針なんてたてようもない今の私の気持ちである。大工のお上さん がバナナを買つてくれた。「汽車の中で弁当代りにたべなさいよ。」停車場の黒いさく に凭れて母は涙をふいていた。ああいいお養父さん!いいお母さん! 私はすばらし い成金になる空想をした。
「お母さん! あんたは、世間だの義理だの人情だのなんてよく云ひ云ひしているけ れども、世間だの義理だの人情だのが、どれだけ私達を助けてくれたと云ふのです?
私達親子三人の世界なんてどこにもないんだからナニクソと思つてやつて下さい。も うあの男ともさつぱり別れて来たんですからね。」
「親子三人が一緒に住めん云うてのう……」
「私は働いて、うんとお金持ちになりますよ、人間はおそろしく信じられないから、私 は私一人でうんと身を粉にして働きますよ。」>
3.お君さんの叛逆、革命
<夜。
お君さんが私の処へたづねて来た。これから質屋に行くのだと云つて大きい風呂敷包 みを持つていた。
「こんな遠い処の質屋まで来るの?」
「前からのところなのよ。板橋の近所つて、とても貸さないのよ・・・」
相変らず一人で苦労をしているらしいお君さんに同情するなり。
「ね、よかつたらお蕎麦でも食べて行かない、おごるわよ。」
「ううんいいのよ、一寸人が待つてるから、又ね。」
「ぢやア質屋まで一緒に行く、いいでせう。」
その後銀座の方に働いていたと云ふお君さんには若い学生の恋人が出来ていた。
「私はいよいよ決心したのよ、今晩これから一寸遠くへ都落ちするつもりで、実は貴女 の顔を見に来たの。」
こんなにも純情なお君さんがうらやましくて仕方がない。何もかも振り捨てて私は生 れて初めて恋らしい恋をしたのだわ。ともお君さんは云ふなり。
「子供も捨てて行くの?」
「それが一番身に応へるんだけれども、もうそんな事を言つてはをられなくなつてしま つたのよ。子供の事を思ふと空おそろしくなるけれど、私とても、とても勝てなくなつ てしまつたの。」
お君さんの新しい男の人は、あんまり豊かでもなささうだつたけれど、若者の持つり
お君さんの新しい男の人は、あんまり豊かでもなささうだつたけれど、若者の持つり