日
本
近
代
の
南
洋
文
学
に
お
け
る
多
様
性
目
次
序
章
… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … 1第
一
章
旅
人
の
〈
南
洋
行
〉
ー
ー
中
島
敦
と
高
見
順
を
中
心
に
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
9
第 一 節 は じ め に 9 第 二 節 中 島 敦 と 高 見 順 の 〈 南 洋 行 〉 10 第 三 節 南 洋 島 民 の 言 動 に 対 す る 眼 差 し 14 第 四 節 現 実 の 南 洋 に 対 す る 印 象 19 第 五 節 結 び 23
第
二
章
高
見
順
の
南
洋
作
品
探
究
ー
ー
『
高
見
順
日
記
』
と
の
比
較
を
中
心
に
…
…
…
…
…
…
33
第 一 節 は じ め に 33 第 二 節 『 高 見 順 日 記 』 の 位 置 付 け 34 第 三 節 蘭 印 旅 行 に 関 す る 作 品 と 日 記 「 渡 南 遊 記 」 38 第 四 節 結 び 49第
三
章
徴
用
作
家
の
高
見
順
が
見
た
南
洋
ー
ー
作
品
と
日
記
と
の
比
較
を
中
心
に
…
…
55
第 一 節 は じ め に 55 第 二 節 徴 用 作 家 と し て の 従 軍 生 活 56 第 三 節 作 品 に 表 現 さ れ て い る ビ ル マ に 関 す る 言 説 57第 四 節 結 び 67
第
四
章
金
子
光
晴
の
南
洋
放
浪
体
験
ー
ー
『
マ
レ
ー
蘭
印
紀
行
』
を
中
心
に
…
…
…
…
…
…
…
75
第 一 節 は じ め に 75 第 二 節 金 子 光 晴 の 南 洋 放 浪 体 験 と 関 連 作 品 76 第 三 節 『 マ レ ー 蘭 印 紀 行 』 に つ い て 78 第 四 節 南 洋 作 品 に お け る 反 植 民 地 主 義 の 言 説 87 第 五 節 結 び 90第
五
章
森
三
千
代
の
南
洋
文
学
ー
ー
「
国
違
ひ
」
と
「
帰
去
来
」
を
中
心
に
…
…
…
…
…
…
…
97
第 一 節 は じ め に 97 第 二 節 「 国 違 ひ 」 と 「 帰 去 来 」 99 第 三 節 女 性 作 家 と し て の 視 点 か ら 見 た 南 洋 106 第 四 節 結 び 108終
章
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
…
113
主
要
参
考
文
献
119
年
譜
123
初
出
一
覧
154
1
序
章
日 本 人 が 〈 南 〉 に 特 に 強 い 思 い 入 れ を 寄 せ る よ う に な っ た の は 明 治 以 降 で あ る 。 政 治 、 経 済 の 面 か ら の 関 心 だ け で は な く 、 柳 田 國 男 が 「 南 島 は 我 々 の 故 郷 」 と 指 摘 し て い る よ う に 、 あ る い は 島 崎 藤 村 が 「 椰 子 の 実 」 の 中 で 謳 い 上 げ て い る よ う に 、 人 々 が 〈 南 〉 に 対 す る 憧 憬 と 興 味 は 文 学 作 品 に も 反 映 さ れ て い る 。 文 学 作 品 の 中 で 〈 南 〉 に つ い て 言 及 す る 場 合 、 「 南 方 」 、 「 南 島 」 、 「 南 国 」 、 「 南 洋 」 、 「 東 南 ア ジ ア 」 な ど 、 様 々 な 言 葉 で 表 現 さ れ て い る 。 一 般 的 に は 、 「 南 方 」 と は 方 向 を 指 示 す る 用 語 と し て 理 解 さ れ て い る 。 従 っ て 、 「 南 島 」 、 或 い は 「 南 国 」 と は 、 日 本 を 基 点 と し て 「 南 方 に 位 置 す る 島 」 或 い は 「 南 方 に あ る 国 」 で あ り 、 い ず れ も 日 本 の 本 土 と 相 対 し て 南 の 方 に 位 置 す る と い う 明 確 に 規 定 さ れ な い 曖 昧 な 地 域 を 指 し て い る 。 一 方 、 「 南 洋 」 と は 、 第 一 次 世 界 大 戦 の 頃 か ら 頻 繁 に 使 わ れ て い る 地 理 的 呼 称 で あ る 。 主 に 第 一 次 大 戦 後 の 日 本 委 任 統 治 領 南 洋 群 島 ( グ ア ム を 除 く ) と イ ン ド ネ シ ア に 属 す る マ レ ー 諸 島 、 フ ィ リ ピ ン 諸 島 な ど を 総 称 す る 名 称 と し て 使 わ れ て い る 。 「 南 洋 」 と い う 用 語 は 昭 和 初 期 に は 盛 ん に 用 い ら れ て い た が 、 戦 後 に は ほ と ん ど 使 用 さ れ な く な り 、 代 わ り に 現 在 一 般 的 に 認 識 さ れ て い る 「 東 南 ア ジ ア 」 と い う 地 理 的 な 概 念 を 指 す 用 語 に 定 着 す る 。 言 葉 の 表 現 が 異 な る と は 言 え 、 文 学 的 な 側 面 か ら 〈 南 〉 を 捉 え れ ば 、 「 南 方 」 に せ よ 、 「 南 島 」 に せ よ 、 「 南 洋 」 に せ よ 、 い ず れ も 同 様 な 概 念 を 示 し て い る と 考 え ら れ る 。 日 本 人 に と っ て の 〈 南 〉 は 、 日 本 を 基 点 と す る 独 自 の 方 向 感 覚 か ら 生 ま れ 、 流 動 的 な 関 係 性 に よ っ て 生 成 さ れ た も の で あ り 、 未 知 の 発 見 と 出 会2 い の あ る 、 ロ マ ン チ ッ ク な ユ ー ト ピ ア と し て 認 識 さ れ て い る 場 所 で も あ る 。 一 方 、 土 屋 忍 氏 が 「 南 洋 」 に つ い て 次 の よ う に 定 義 す る 。 東 洋 で も 西 洋 で も な い 、 い わ ば 第 三 の 地 域 ( 主 に ミ ク ロ ネ シ ア 、 イ ン ド 、 東 南 ア ジ ア 等 ) の こ と を 、 日 本 で は 主 体 的 か つ 曖 昧 に 、 そ し て そ の 都 度 の 関 係 性 に お い て 南 洋 と 呼 ん で い た 。( 注 1 ) こ う し て 、 第 一 次 世 界 大 戦 の 頃 か ら 頻 繁 に 使 わ れ 、 特 に 昭 和 の 初 期 に 盛 ん に 使 用 さ れ て い た 「 南 洋 」 と い う 呼 称 は 、 「 東 洋 」 で あ る 日 本 が 「 西 洋 」 へ の 対 抗 意 識 が 徐 々 に 高 ま っ て い く 時 代 の 流 れ の 中 、 「 東 洋 」 、 「 西 洋 」 と 相 対 化 さ せ る た め に 生 成 さ れ た 言 葉 と も 言 え よ う 。 本 書 は 昭 和 初 期 に 〈 南 〉 へ 発 っ た 作 家 中 島 敦 、 高 見 順 、 金 子 光 晴 、 森 三 千 代 の 作 品 を 中 心 に 探 究 す る 。 ミ ク ロ ネ シ ア 、 蘭 印 、 ビ ル マ 、 マ レ ー 半 島 、 シ ン ガ ポ ー ル な ど 、 そ れ ら の 作 家 が 描 い た 〈 南 〉 は そ れ ぞ れ 異 な っ て い る 。 し か し 、 彼 ら が 〈 南 〉 へ 発 っ た 時 期 は 恰 も 「 東 洋 」 と 「 西 洋 」 の 対 抗 意 識 が 最 も 高 ま っ て い る 昭 和 期 で あ る 。 そ の 意 味 に 基 づ き 、 本 書 で は 昭 和 期 に 最 も 普 遍 的 に 用 い ら れ て い る 「 南 洋 」 と い う 用 語 を 採 用 し 、 そ れ ら の 作 家 の 〈 南 〉 に 関 す る 作 品 を 全 て 「 南 洋 文 学 」 と 呼 ぶ こ と に す る 。 日 本 近 代 に お け る 南 洋 文 学 の 起 源 は 幕 末 に 遡 れ る 。 一 八 六 二 年 に 海 外 へ 派 遣 さ れ た 竹 内 遣 欧 使 節 団 の 記 録 で は 、 使 節 達 が 新 嘉 坡 に 寄 港 し た 体 験 に よ っ て 書 い た 絵 や 詩 歌 が 既 に 見 ら れ る ( 注 2 ) 。 明 治 時 代 に 入 る と 、 海 外 視 察 や 留 学 な ど 様 々 な 目 的 で 、 数 多 く の 日 本 人 が ヨ ー ロ ッ パ に 渡 航 す る よ う に な っ た 。 永 井 荷 風 の 「 新 嘉 坡 の 数 時 間 」 や 三 宅 克 己 の 「 新 嘉 坡 と 彼 南 」 や 島 村 抱 月 の 「 新 嘉 坡 よ り 」 等 の よ う に 、 彼 ら は 欧 州 航 路 に よ っ て 南 洋 を 経 由 し て ヨ ー ロ ッ パ へ 行 く 途 中 、 南 洋 で の 見 聞 を 文 字 化 し て 、 数 多 く の 紀 行 文 を 残 し た 。 一 方 、 明 治 以 降 、 日 本 国 内 の 情 勢 に よ っ て 発 展 さ れ た 「 南 進 論 」 に 従 い 、 日 本 中 が 南 洋 に 目 を 向 け
3 始 め 、 南 洋 に 対 す る 関 心 も 徐 々 に 高 ま っ た 。 経 済 的 、 政 治 的 な 目 的 で 南 洋 へ 向 か っ た だ け で は な く 、 日 本 中 に 広 が っ て い る 「 南 洋 ブ ー ム 」 の な か 、 多 く の 作 家 は 南 洋 へ 旅 立 ち 、 南 洋 に 関 す る 作 品 を 書 き 、 或 い は 実 際 に 南 洋 に 行 か ず と も 、 想 像 や 虚 構 に よ っ て 南 洋 を 背 景 と し て 作 品 を 描 い た 。 更 に 昭 和 十 年 代 の 戦 争 期 に 入 る と 、 戦 時 下 に 南 洋 へ 派 遣 さ れ た 徴 用 作 家 た ち が 書 い た 南 洋 作 品 に も 特 別 な 南 洋 風 景 が 提 示 さ れ て い る 。 そ れ 故 、 日 本 近 代 の 南 洋 文 学 に お け る 南 洋 の 風 貌 は 、 多 様 な 要 素 に よ っ て 豊 か な 様 相 で 描 か れ て い る の で あ る 。 筆 者 は 博 士 論 文 で 「 中 島 敦 の 南 方 観 」 を テ ー マ に し て 中 島 の 南 洋 作 品 を 研 究 し て き た 。 作 家 の 生 い 立 ち 、 西 洋 思 潮 の 受 容 、 個 人 的 な 境 遇 、 時 代 背 景 な ど 、 様 々 な 要 素 が 如 何 に 融 合 し て 作 家 の 作 品 に 影 響 を 与 え た の か は 実 に 興 味 深 い 課 題 で あ る 。 フ ィ ク シ ョ ン に せ よ 、 ノ ン フ ィ ク シ ョ ン に せ よ 、 作 家 は 常 に 自 分 の 立 場 で 自 ら の 視 点 に よ っ て 自 分 な り の 作 品 を 描 き 出 す 。 日 本 近 代 の 南 洋 文 学 自 体 は 既 に 複 雑 な 要 素 が 含 ま れ て い る 。 作 家 た ち が そ れ ぞ れ 独 自 の 視 点 に よ っ て 描 い た 南 洋 文 学 は ど の よ う な 様 態 で 示 さ れ て い る の か 。 日 本 近 代 に お け る 南 洋 文 学 の 研 究 が 盛 ん に 行 わ れ て い る 現 在 、 様 々 な 角 度 か ら 南 洋 文 学 を 探 究 す る の は 南 洋 文 学 の 全 貌 を 掴 む た め の 不 可 欠 な 作 業 と 考 え ら れ る 。 本 書 は 、 中 島 敦 、 高 見 順 、 金 子 光 晴 、 森 三 千 代 の 南 洋 作 品 を 取 り 上 げ 、 旅 人 、 徴 用 作 家 、 浮 浪 者 、 女 性 の 視 点 を 通 し て 、 全 面 的 に 日 本 近 代 の 南 洋 文 学 を 探 究 す る こ と を 試 み た い 。 本 書 の 構 成 と 各 章 の 目 的 に つ い て 以 下 の よ う に ま と め る 。 第 一 章 中 島 敦 と 高 見 順 は 、 両 者 と も 日 本 近 代 の 南 洋 ブ ー ム の 中 、 南 洋 へ 旅 立 ち 、 南 洋 に 関 す る 作 品 を 書 い た 作
4 家 で あ る 。 昭 和 十 六 年 、 中 島 敦 は 当 時 日 本 に 委 任 統 治 さ れ た パ ラ オ へ 旅 に 出 た 。 同 年 、 高 見 順 は 蘭 印 へ 旅 立 っ た 。 南 方 に 多 大 な 憧 憬 を 持 っ て い た 二 人 に と っ て 、 昭 和 十 六 年 の 〈 南 洋 行 〉 は 共 に 初 め て の 南 洋 体 験 で あ っ た 。 多 く の 類 似 点 を 持 つ 二 人 の 作 家 が ほ ぼ 同 じ 時 期 に 南 洋 へ 旅 立 っ た が 、 二 人 の 作 品 に お け る 南 洋 に は 大 き な 差 異 が 見 ら れ る 。 第 一 章 で は 、 中 島 敦 と 高 見 順 の 南 洋 作 品 を 取 り 上 げ 、 二 人 の 作 品 に お け る 南 洋 の 様 態 や 作 家 の 見 方 を 比 較 し 、 旅 人 作 家 に よ る 南 洋 文 学 の 様 態 を 検 証 す る 。 第 二 章 高 見 順 は 昭 和 十 年 代 に 海 を 渡 っ て 南 洋 へ 行 っ た 経 験 を 二 回 も 有 し て い る 。 一 回 目 は 昭 和 十 六 年 の 一 月 か ら 五 月 ま で 、 画 家 の 友 人 三 雲 祥 之 助 と 共 に 、 当 時 の 蘭 印 へ の 旅 で あ り 、 二 回 目 は 昭 和 十 六 年 十 二 月 か ら 十 八 年 一 月 ま で 、 徴 用 作 家 と し て ビ ル マ に 派 遣 さ れ た 一 年 余 り の 従 軍 体 験 で あ っ た 。 二 回 の 南 洋 体 験 に よ っ て 、 高 見 は 「 蘭 印 の 印 象 」 、 「 蘭 印 点 描 」 、 「 南 へ の 旅 」 、 「 ビ ル マ 記 」 、 「 ビ ル マ 雑 記 」 な ど 、 数 多 く の 作 品 を 描 い た 。 一 方 、 南 洋 に 滞 在 し て い る 間 、 高 見 順 は 殆 ど 一 日 も 欠 か さ ず に 日 記 を 付 け て い た 。 高 見 自 身 の 話 に よ る と 、 旅 日 記 は 、 後 日 の た め の メ モ と し て 残 さ れ た も の で あ る 。 し か し 、 そ れ ら の 南 洋 に 関 す る 作 品 は 高 見 順 が 自 分 の 日 記 の 内 容 に 基 づ い て 添 削 し て 書 い た も の と は 言 え 、 「 公 的 」 な 作 品 と 「 私 的 」 な 日 記 を 比 較 し て 見 る と 、 そ の 内 容 に は 明 ら か な 差 異 が 見 ら れ る 。 本 章 で は 、 高 見 順 が 一 回 目 の 南 洋 体 験 に よ っ て 書 い た 蘭 印 に 関 す る 作 品 を 取 り 上 げ 、 当 時 公 開 出 版 さ れ た 作 品 と 彼 の 日 記 を 比 較 し 、 両 者 の 内 容 や 描 写 の 異 同 を 分 析 し た 上 で 、 そ の 背 後 に 隠 れ て い る 意 味 を 究 明 す る 。
5 第 三 章 高 見 順 は 昭 和 十 六 年 十 二 月 か ら 十 八 年 一 月 ま で 、 徴 用 作 家 と し て ビ ル マ に 派 遣 さ れ 、 一 年 余 り の 軍 隊 生 活 を 体 験 し た 。 そ し て 、 そ の 徴 用 生 活 を き っ か け と し て 、 「 渡 南 遊 記 」 の 後 に 一 時 的 に 中 断 さ れ た 日 記 を 入 隊 直 前 か ら 再 開 し た 。 二 度 目 の 南 洋 体 験 で 、 徴 用 作 家 と し て ビ ル マ に 派 遣 さ れ た 高 見 順 は 、 ビ ル マ に 関 す る 作 品 の 中 で ど の よ う な 描 き 方 で 南 洋 を 描 写 し た の か 。 第 二 章 の 延 長 線 上 に 、 本 章 は 高 見 順 が 南 洋 徴 用 体 験 に 基 づ い て 書 い た 『 ビ ル マ 記 』 や 「 ビ ル マ の 印 象 」 な ど の ビ ル マ に 関 す る 作 品 に 着 眼 し 、 作 家 の 日 記 を 参 照 し な が ら 、 徴 用 作 家 と し て の 高 見 順 の 作 品 に お け る 南 洋 言 説 を 探 究 す る 。 第 四 章 日 本 の 南 洋 文 学 の 生 成 は 明 治 、 大 正 時 代 に 遡 る 。 南 洋 ブ ー ム の 中 で 、 数 多 く の 作 家 や 文 人 た ち は 南 洋 へ 向 け て 旅 立 ち 、 南 洋 に 関 す る 作 品 を 書 い た 。 し か し 、 岡 谷 公 二 が 『 島 の 精 神 誌 』 の 中 で 評 し て い る よ う に 、 戦 時 中 徴 用 さ れ て 南 洋 へ 派 遣 さ れ た 徴 用 作 家 を 別 と し て 、 当 時 、 南 洋 に 旅 立 ち 、 そ し て 南 洋 に 関 す る 作 品 を 書 い た 作 家 や 芸 術 家 は 大 方 「 一 時 的 」 に 南 洋 に 滞 在 し て い た の で あ る 。 彼 ら が 内 地 に 帰 る か 否 か 、 ま た 、 い つ 内 地 に 帰 る か は 全 て 本 人 の 意 志 に よ っ て 決 め ら れ る の で あ る ( 注 3 ) 。 言 い 換 え れ ば 、 そ れ ら の 作 家 た ち は 皆 、 興 味 本 位 で 南 洋 に 旅 立 ち 、 「 旅 人 の 立 場 」 か ら 、 「 旅 人 の 目 」 を 通 し て 南 洋 の 風 物 を 観 察 し た と 言 え る 。
6 金 子 光 晴 も 日 本 近 代 に お い て 、 南 洋 に 関 わ っ た 文 学 者 の 一 人 で あ る 。 し か し 、 金 子 光 晴 の 南 洋 体 験 は 他 の 旅 人 の 作 家 た ち の と や や 異 な っ て い る 。 最 終 的 に は 祖 国 へ と 帰 っ て ゆ か ざ る を 得 な い が 、 南 洋 の 邦 人 社 会 に 骨 を 埋 め る よ う な 人 生 を 選 ん だ わ け で は な く て も 、 光 晴 は 南 洋 で 必 死 に 働 い て 旅 費 を 稼 ぎ 、 放 浪 生 活 の 苦 し み を 味 わ い な が ら 自 分 な り に 南 洋 を 体 験 し た の で あ る 。 本 章 で は 、 金 子 光 晴 が 南 洋 放 浪 の 体 験 に 基 づ い て 書 い た 作 品 『 マ レ ー 蘭 印 紀 行 』 を 中 心 に 、 も う 一 つ の 視 点 で 日 本 近 代 の 南 洋 文 学 を 探 究 す る 。 第 五 章 伝 統 的 な 家 父 長 制 度 が 崩 壊 し て い た 日 本 の 近 代 に お い て 、 女 性 た ち は 良 妻 賢 母 と い う 従 来 の 枠 か ら 外 れ 、 政 治 ・ 経 済 ・ 文 化 な ど 様 々 な 面 に お い て 積 極 的 に 関 与 し た 。 南 洋 が ブ ー ム に な っ た 時 代 の 流 れ の 中 で 、 そ れ ら の 新 し い 女 性 も 南 洋 ブ ー ム に 乗 っ て 南 へ 旅 立 ち 、 自 分 の 身 で 自 ら 南 洋 生 活 を 体 験 し 、 自 分 な り の 方 法 で 自 分 の 見 た 南 洋 を 記 録 し た 。 こ の よ う な 時 代 背 景 の も と に 、 女 性 作 家 に よ る 作 品 は 、 女 性 の 視 点 か ら 出 発 し た 南 洋 文 学 と し て 注 目 す べ き で あ る 。 森 三 千 代 は 昭 和 期 に 南 洋 に 訪 れ た 女 性 作 家 の 一 人 で あ る 。 夫 の 金 子 光 晴 と の 異 国 放 浪 を き っ か け と し て 、 彼 女 は 昭 和 三 年 半 ば か ら 年 末 に か け て 約 五 ヶ 月 間 南 洋 に 滞 在 し て い た 。 南 洋 を さ す ら う 期 間 、 三 千 代 は 夫 の 光 晴 を 伴 い 、 ほ ぼ 同 様 の 風 景 を 見 て 、 同 じ 人 た ち と 交 流 し て い た 。 そ し て 同 じ 南 洋 体 験 を 有 し て い る 二 人 は 、 各 自 に 自 分 の 南 洋 作 品 を 書 い た 。 女 性 か ら の 視 点 に よ っ て 描 か れ た 南 洋 は ど の よ う な 様 態 で 示 さ れ て い る の か 。 本 章 で は 、 森 三 千 代 の 小 説 「 国 違 ひ 」 と 「 帰 去 来 」 を 中 心 に 、 光 晴 の 作 品 と 対 照 し な が ら 女 性 作 家 の 視 点 を 通 し て 描 い た 南 洋 像 を を 分 析 す る 。
7
【
注
】
1 土 屋 忍 著 『 南 洋 文 学 の 生 成 ー ー 訪 れ る こ と と 想 う こ と 』 、 新 典 社 、 二 ○ 一 三 年 、 頁 三 六 。 2 西 原 大 輔 は 『 日 本 人 の シ ン ガ ポ ー ル 体 験 』 に お い て 、 幕 末 の 遣 欧 使 節 団 に つ い て 詳 し く 考 察 し 、 幕 末 の 記 録 に よ っ て 日 本 人 の 眼 に 映 っ た シ ン ガ ポ ー ル の イ メ ー ジ を 探 究 す る 。 ( 『 日 本 人 の シ ン ガ ポ ー ル 体 験 ー ー 幕 末 明 治 か ら 日 本 占 領 下 ・ 戦 後 ま で 』 、 人 文 書 院 、 二 ○ 一 七 年 、 頁 二 四 ー 四 〇 。 ) 3 岡 谷 公 二 著 『 島 の 精 神 誌 』 、 思 索 社 、 一 九 八 一 年 、 頁 一 二 九 ー 一 三 ○ 。9
第
一
章
旅
人
の
〈
南
洋
行
〉
ー
ー
中
島
敦
と
高
見
順
を
中
心
に
第
一
節
は
じ
め
に
明 治 以 降 、 日 本 は 南 進 論 に 基 づ き 南 方 に 進 出 し た 。 日 本 中 が 南 に 目 を 向 け 始 め 、 南 洋 に 対 す る 関 心 が 徐 々 に 高 ま っ て い た 。 多 く の 作 家 は 南 に 発 ち 、 南 洋 に 関 す る 作 品 を 書 き 、 或 い は 実 際 に 南 洋 に 行 か ず 、 想 像 や フ ィ ク シ ョ ン に よ っ て 南 洋 を 舞 台 と し て 作 品 を 描 い た 。 そ れ 故 、 日 本 の 南 洋 文 学 に お け る 南 洋 風 貌 は 、 多 様 な 要 素 に よ っ て 豊 か な 様 相 で 描 か れ て い る 。 中 島 敦 ( 一 九 〇 九 ー 一 九 四 二 ) と 高 見 順 ( 一 九 〇 七 ー 一 九 六 五 ) は 、 両 者 と も そ の 南 洋 ブ ー ム の 中 、 南 洋 へ 旅 立 ち 、 南 に 関 す る 作 品 を 書 い た 作 家 で あ る 。 中 島 敦 は 昭 和 十 六 年 に 、 南 洋 島 民 向 け の 教 科 書 を 編 纂 す る た め に 、 当 時 日 本 に 委 任 統 治 さ れ て い た ミ ク ロ ネ シ ア へ 行 き 、 南 洋 庁 の 職 員 と し て 約 一 年 間 南 洋 に 滞 在 し た 。 南 洋 に 滞 在 し て い る 間 、 中 島 は よ く 現 地 視 察 と い う 名 目 で ミ ク ロ ネ シ ア の 島 々 を 回 っ て 旅 を し た 。 そ し て 南 洋 か ら 帰 京 し た 後 、 彼 は 「 南 島 譚 」 三 篇 と 「 環 礁 」 六 篇 な ど の 〈 南 洋 物 〉 を 書 い た 。 一 方 、 高 見 順 は 昭 和 十 六 年 に 、 二 度 も 南 洋 へ 行 っ た 。 一 回 目 ( 昭 和 十 六 年 一 月 か ら 五 月 ま で ) は 画 家 の 友 人 三 雲 祥 之 助 と 和 蘭 領 イ ン ド ネ シ ア へ 旅 立 ち 、 二 回 目 ( 昭 和 十 六 年 十 二 月 か ら 昭 和 十 八 年 一 月 ま で ) は 徴 用 作 家 と し て ビ ル マ へ 派 遣 さ れ た の で あ る 。 一 回 目 の 蘭 印 旅 行 の 後 、 高 見 順 は 「 蘭 印 の 印 象 」 や 「 蘭 印 点 描 」 な ど の 文 章 を 書 き 、 蘭 印 で の 南 方 体 験 を 活 字 化 し た 。 そ し て 、 二 回 目 の ビ ル マ で の 徴 用 体 験 に よ っ て 、 「 ビ ル マ 記 」 や 「 ビ ル マ 雑 記 」 な ど の 作 品 を 描 い た 。10 中 島 と 高 見 は 少 年 時 代 、 と も に 旧 制 第 一 高 等 学 校 文 科 甲 類 の エ リ ー ト 学 生 で あ っ た 。 二 人 と も 文 学 を 愛 好 し て い た こ と か ら 、 文 芸 部 の 文 芸 委 員 を 担 当 し た こ と も あ る 。 高 見 は 一 九 二 七 年 に 東 京 帝 国 大 学 の 英 文 学 科 に 入 っ た 一 方 、 中 島 も 一 九 三 〇 年 に 東 京 帝 国 大 学 の 国 文 学 科 に 入 学 し た 。 母 親 の 愛 に 恵 ま れ な か っ た 中 島 と 父 親 に 愛 さ れ な か っ た 私 生 児 の 高 見 に は 、 二 人 の 生 い 立 ち や 学 歴 や 南 方 へ の 深 い 憧 憬 な ど 、 類 似 し た 点 が 多 い 。 し か し 、 多 く の 類 似 点 を 持 つ 二 人 の 作 家 は ほ ぼ 同 じ 時 期 に 南 洋 へ 旅 立 っ た が 、 二 人 の 作 品 に お け る 南 洋 に は 大 き な 差 異 が 見 ら れ る 。 中 島 と 高 見 は ど の よ う に 南 洋 を 見 て い た の か 、 そ し て 作 品 の 中 に ど の よ う に 南 洋 を 描 い た の か 、 本 章 で は 、 中 島 敦 と 高 見 順 の 南 洋 に 関 す る 作 品 を 取 り 上 げ 、 二 人 の 作 品 に お け る 南 洋 の 様 相 や 作 家 の 見 方 を 比 較 し 、 昭 和 時 代 の 南 洋 文 学 の 様 相 を 検 証 し た い 。 た だ し 、 徴 用 作 家 と し て ビ ル マ に 滞 在 し て い た 時 期 に 書 い た 作 品 の 分 析 に は 、 政 治 的 要 素 な ど 複 雑 な 原 因 も 配 慮 し な け れ ば な ら な い た め 、 高 見 順 の ビ ル マ で の 徴 用 体 験 を 基 に し て 書 か れ た 作 品 に つ い て は 、 第 三 章 に 譲 る こ と と す る 。
第
二
節
中
島
敦
と
高
見
順
の
〈
南
洋
行
〉
周 知 の よ う に 、 中 島 敦 は 南 洋 へ 行 く 前 に 、 既 に 南 洋 に 多 大 な 憧 憬 を 抱 い て い た 。 病 弱 の た め 自 分 の 思 い 通 り に 各 地 へ 旅 に 出 ら れ な か っ た が 、 文 学 作 品 の 世 界 に お い て 、 彼 は 精 神 的 に 各 地 を 遍 歴 し た 。 ゴ ー ガ ン の 『 ノ ア ・ ノ ア 』 や ス テ ィ ヴ ン ソ ン の 関 連 著 書 な ど 、 中 島 は 南 洋 に 関 す る 作 品 を 大 量 に 読 み 漁 り 、 そ し て 詩 歌 「 あ る 時 は ゴ ー ガ ン の 如 逞 ま し き 野 生 の い の ち に 觸 れ ば や と 思 ふ 」( 注 1 ) や 、 「 あ る 時 は ス テ ィ ヴ ン ソ ン が 美 し き 夢 に 分 け 入 り 醉 ひ し れ し こ と 」( 注 2 ) な ど の よ う に 、 自 分 の 作 品 の 中 に 南 洋 へ の 憧 れ を 表 現 し た 。 彼 は 文 壇 の デ ビ ュ ー 作 「 光 と 風 と 夢 」 の 中 に も 、 自 分 の 南 方 夢 を 主 人 公 の ス テ ィ ヴ ン ソ ン に 託 し 、 心11 の 中 に 潜 ん で い る 南 方 憧 憬 を 十 分 に 表 し た の で あ る 。 「 南 へ の 憧 れ 」 の 他 に 、 中 島 を 昭 和 十 六 年 に 南 洋 へ 行 か せ た の は 「 転 職 へ の 願 望 」 と 「 南 洋 の 地 に 療 養 に 行 き た い と の 願 い 」 な ど の 理 由 も 含 め て い る( 注 3 ) 。 当 時 宿 痾 の 喘 息 に 苦 し め ら れ て い た 中 島 は 南 洋 の 暖 か い 環 境 で 療 養 し た い と い う 期 待 を 抱 き な が ら 、 南 洋 と い う 新 し い 環 境 の 中 で 得 た 見 聞 を 活 か し て 良 い 作 品 を 書 こ う と す る 決 意 を 持 ち 、 つ い に 南 洋 へ 出 発 し た 。 そ し て 、 南 洋 庁 の 職 員 と し て 約 一 年 間 の 南 洋 生 活 を 体 験 し て い た の で あ る 。 一 方 、 高 見 順 は 日 記 の 中 で 、 「 鮮 や か な 色 彩 に あ こ が れ て い た 。 灰 色 か ら 抜 け 出 た か っ た 。 ― ― 事 実 、 真 赤 な 大 き な は げ し い 花 な ど を 見 た い と 思 っ た が 、 そ う い う こ と は 私 の 気 持 ち の い わ ば 、 象 徴 と い え る 」 ( 注 4 ) と 述 べ て い る 。 昭 和 十 二 、 十 三 年 の 頃 か ら 、 自 分 の 内 に は ず っ と 南 へ の 憧 れ が 燃 え て い た と い う 気 持 ち を 表 明 し た の で あ る 。 南 洋 へ の 憧 憬 は 勿 論 高 見 を 南 洋 へ 旅 立 た せ た 一 因 で あ る 。 し か し 一 方 、 高 見 順 の 〈 南 洋 行 〉 は 「 創 作 活 動 に お け る 行 き 詰 ま り や 停 滞 感 、 私 生 活 上 の ト ラ ブ ル な ど 、 い わ ば 『 手 負 い 』 『 満 身 創 痍 』 と も 形 容 す べ き 心 を 抱 い て 旅 立 っ た 」( 注 5 ) 旅 と も 言 え る 。 作 品 「 如 何 な る 星 の 下 に 」 は 昭 和 十 四 年 一 月 号 よ り 昭 和 十 五 年 三 月 号 ま で 十 二 回 に わ た っ て 雑 誌 『 文 芸 』 に 連 載 さ れ た 小 説 で あ る 。 作 者 の 分 身 と も 呼 べ る 主 人 公 「 小 説 家 の 倉 橋 」 は 、 全 う な 小 説 を 書 き た い 「 欲 求 が 衝 き 上 げ て く る だ け で 、 そ れ を 小 説 に 具 体 化 す る こ と が 出 来 な い 」( 注 6 ) た め 、 自 分 の う ち に 鬱 積 し 、 「 一 種 の ヒ ス テ リ ー み た い 」( 注 7 ) に 成 っ て い た 。 そ し て 「 戦 場 へ 行 っ た ら 、 そ の ヒ ス テ リ ー み た い な の か ら 救 は れ る か も し れ な い 」( 注 8 ) と 思 い 、 南 洋 へ 行 こ う と す る 気 持 ち を 表 し て い る 。 ま た 、 彼 が 蘭 印 旅 行 か ら 帰 っ た 後 の 作 品 「 あ る 晴 れ た 日 に 」 の 中 に も 、 登 場 人 物 の 「 小 説 家 高 見 が や や 偽 悪 家 的 に デ フ ォ ル メ し て 造 形 さ れ た 」 網 代( 注 9 ) と 「 高 見 の 心 性 や 感 情 そ の も の を 抽 出 し て 造 形 さ れ た 」 野 崎( 注 10) を 通 し て 、 「 自 己 の 改 造 」 や 「 心 の 方 向 転 換 」
12 な ど の 目 的 の た め 、 当 時 南 洋 へ 行 こ う と し た 原 因 を 語 る 。 蘭 印 へ 旅 立 っ て 行 く 動 機 は 作 品 に お け る 登 場 人 物 を 通 し て 述 べ る だ け で は な い 。 高 見 は 日 記 の 中 で 、 南 洋 へ 行 く 理 由 に つ い て も 、 次 の よ う に 記 述 し て い る 。 ー ー 私 は 、 た し か に 行 き づ ま っ て い る 。 何 か 新 生 面 を ひ ら か ね ば な ら ぬ 。 そ の た め の 蘭 印 だ と も 思 う の だ っ た 。 は た し て こ の 旅 で 私 の 心 が ひ ら け 、 私 の 文 学 の 新 し い 面 が ひ ら け る か ど う か 、 そ れ は わ か ら な い 。 し か し ひ ら け る か も し れ な い と い う 希 望 は 持 て る 。 か く て 出 て 来 た わ け で も あ る 。( 注 11) 彼 は 文 学 創 作 上 の 行 き 詰 ま り を 打 開 す る た め 、 蘭 印 へ 向 け て 旅 立 っ た と 考 え ら れ る 。 更 に 、 高 見 は 昭 和 十 五 年 の 年 末 、 長 女 の 由 紀 子 の 死 に 出 遭 っ た 。 長 女 の 死 に よ る シ ョ ッ ク を 受 け 、 悲 し み な が ら も 、 彼 は 「 意 地 で も 行 っ て 見 せ る 」 と い う 思 い が 募 り 、 南 洋 へ 行 く こ と に 決 然 と 心 を 決 め た の で あ る 。 中 島 と 高 見 の 南 方 へ 行 く き っ か け と 目 的 は 異 な っ て い た が 、 戦 争 が 勃 発 す る 寸 前 の 昭 和 十 六 年 に 、 不 安 定 な 時 局 の 中 、 危 険 を 冒 し て 南 洋 へ 旅 に 出 た 最 も 大 切 な 要 因 は 、 二 人 の 心 の 中 に 潜 ん で い る 未 知 の 南 洋 に 対 す る 憧 憬 と 文 学 創 作 上 の 窮 し た 状 態 を 打 開 し た い 願 望 と 言 え よ う 。 〈 南 洋 行 〉 の 経 験 は 中 島 と 高 見 の 作 家 人 生 に 、 共 に 大 き な 影 響 を 与 え 、 二 人 の 〈 南 洋 行 〉 以 降 の 作 品 も こ の 〈 南 洋 行 〉 の 体 験 に よ っ て 大 き く 変 貌 し た と 言 え る 。 南 洋 で の 生 活 に お い て 、 中 島 は 持 ち 前 の 鋭 い 観 察 力 を 充 分 に 発 揮 し 、 南 洋 独 特 の 周 り の 環 境 、 風 土 、 習 慣 、 人 情 な ど を 発 見 し な が ら 、 生 活 上 の 不 便 さ に よ っ て 、 家 庭 生 活 の よ う な 小 さ く て 平 凡 な こ と が 如 何 に 貴 重 で あ る か も 悟 っ た 。 こ の よ う な 「 『 細 部 』 の 価 値 の 発 見 と 確 認 は 、 彼 の 既 に も っ て い た 人 間 観 や 歴 史 観 を 内 側 か ら 濃 や か に 肉 付 け す る も の で あ り 」( 注 12) 、 更 に 彼 を 従 来 彼 自 身 が 抱 い て い た 「 『 唯 一 の か け が へ の 無 い 所 与 な の だ 』 と 断 定 し た 『 形 而 上 学 的 迷
13 蒙 』 」( 注 13) か ら 目 覚 め さ せ る 契 機 に な っ た 。 〈 南 洋 行 〉 以 前 の 作 品 に 頻 繁 に 表 現 さ れ た 、 所 謂 「 自 己 懐 疑 」 「 自 己 分 析 」 は 、 も ち ろ ん 後 期 の 作 品 に お い て も 完 全 に 消 滅 し て は い な い 。 し か し 、 木 村 一 信 が 論 じ た よ う に 、 観 念 性 が 強 く 、 物 語 と し て の ふ く ら み に 乏 し い 初 期 の 作 品 か ら 、 晩 年 ( と 言 っ て も 、 あ ま り に 若 す ぎ る 晩 年 で あ っ た が ) の 歴 史 や 資 ( 史 ) 料 の う ち に 想 像 力 を 駆 使 し て 構 築 さ れ た 豊 か な 物 語 世 界 、 ま た 、 「 南 洋 」 の 自 然 や 風 物 に 寄 せ た 目 の 輝 き に 至 る ま で 、 中 島 文 学 は 短 時 間 の う ち に 大 き な 変 貌 を み せ て い る 。( 注 14) 南 洋 へ 行 く 前 に 中 島 が 抱 い て い た 「 自 己 懐 疑 」 「 自 己 分 析 」 の よ う な 観 念 的 、 抽 象 的 な 発 想 が 、 パ ラ オ か ら 帰 国 し た 後 は 、 具 体 的 、 積 極 的 な 行 動 へ と 変 化 、 発 展 し た 。 そ し て 、 そ の よ う な 変 化 も 中 島 の 後 期 文 学 に 反 映 さ れ て い る の で あ る 。 他 方 、 〈 南 洋 行 〉 以 前 の 高 見 順 に は 自 己 卑 小 感 と で も 言 う べ き 感 覚 が 顕 著 で あ っ た 。 彼 は 自 分 が 弱 者 だ と 感 じ る 意 識 を 持 つ だ け に 、 自 分 以 外 の 弱 者 の 苦 し み や 悲 し み を よ く 実 感 で き た の で あ る 。 軍 事 的 ・ 政 治 的 ・ 経 済 的 な 領 域 の み な ら ず 、 文 化 的 な 領 域 で も 和 蘭 に 侵 略 さ れ た 蘭 印 で 、 高 見 は 和 蘭 の 圧 倒 的 な 政 治 的 優 位 の 前 で 屈 辱 的 な 立 場 に 置 か れ て い る イ ン ド ネ シ ア 人 の 悲 哀 に 深 い 共 感 を 寄 せ た 。 高 見 は 蘭 印 で の 体 験 に よ っ て 、 「 『 芸 』 の 持 つ 力 に 眼 が 見 開 か れ 、 と 共 に そ れ が 被 支 配 民 族 の 『 芸 』 で あ る こ と に ジ レ ン マ を 覚 え 、 自 ら の 作 家 と し て の 生 き る 方 向 に 啓 示 を 得 る 」( 注 15) と 言 え る 。 そ し て 、 そ の 貴 重 な 経 験 を き っ か け と し て 、 彼 は 「 芸 」 を 尊 重 し 、 「 芸 」 を 守 ろ う と す る 思 い が 生 じ 、 そ の 後 常 に 口 に し た 「 身 は 売 っ て も 芸 は 売 ら ぬ 」 と い う 意 識 を 形 成 さ せ た の で あ る 。 〈 南 洋 行 〉 に よ っ て 、 高 見 の 意 識 の 変 革 は 大 き く 進 み 、 そ
14 の 後 の 作 品 創 作 に も 深 く 影 響 し た と 考 え ら れ る 。
第
三
節
南
洋
島
民
の
言
動
に
対
す
る
眼
差
し
初 め て 温 帯 の 内 地 か ら 熱 帯 南 洋 に 着 い た 人 々 は 、 誰 も が 眼 に 入 る 熱 帯 南 洋 の 独 特 な 自 然 の 景 色 と 現 地 の 人 々 の 生 活 に 興 味 を 持 つ で あ ろ う 。 感 受 性 が 一 般 の 人 よ り 繊 細 な 作 家 は い う ま で も な く 、 風 俗 や 習 慣 な ど 内 地 の 人 と ま っ た く 違 う 生 活 様 態 を 持 つ 現 地 の 住 民 に 着 目 す る の で あ る 。 し か し 、 現 地 の 住 民 を 詳 し く 観 察 す る 一 方 、 作 品 に お い て 表 現 さ れ た の は 、 作 家 の 自 分 の 意 思 に よ っ て 、 異 な る 視 点 と 解 釈 で 描 写 さ れ た も の で あ る 。 中 島 敦 の 〈 南 洋 物 〉 に お い て 、 南 洋 の 島 民 の 言 動 に 対 し て 全 て 「 不 可 解 」 に 描 か れ て い る 。 例 え ば 、 「 夾 竹 桃 の 家 の 女 」 で は 、 島 民 の 女 の 不 可 解 な 行 動 に つ い て 描 い て い る 。 産 後 間 も な い 島 民 の 女 は 、 エ ロ チ ッ ク な 眼 差 し で 内 地 か ら 来 た 〈 私 〉 を 凝 視 す る が 、 〈 私 〉 に 拒 否 さ れ る と 、 酷 い 侮 辱 を 受 け た と 怒 り の 表 情 を 示 す 。 と こ ろ が 、 三 十 分 ほ ど 経 っ て 再 び 〈 私 〉 と 擦 違 っ た 女 は 、 〈 私 〉 に 視 線 を 向 け る こ と は な く 、 怒 っ て い る 様 子 も な く 、 全 く 〈 私 〉 を 認 め な い よ う な 澄 ま し 顔 で あ っ た 。 パ ラ オ の 民 俗 に よ る と 、 「 夾 竹 桃 の 家 の 女 」 に お け る 女 性 は 、 生 ま れ て 二 ヶ 月 に も な ら な い 赤 ん 坊 を 抱 い て い る た め 、 性 交 は タ ブ ー で あ る 。 そ れ 故 浦 田 義 和 は 、 「 は っ き り と 対 象 を 見 よ う と す る 意 志 と 情 熱 の 表 れ で あ る 凝 視 ( 文 明 人 の 失 っ て し ま っ た ) を 、 欲 情 と 取 り 違 え る ほ う が こ の 島 で は む し ろ 異 常 で あ る 」 ( 注 16) と 述 べ 、 中 島 が 島 民 の 女 の 挙 動 を 誤 っ て 理 解 し た と 指 摘 し て い る 。 更 に 、 濱 川 勝 彦 は 中 島 の 昭 和 十 七 年 一 月 十 九 日 の 日 記 と 「 夾 竹 桃 の 家 の 女 」 の 内 容 を 比 較 し 、 事 実 を 無 視 し て 自 分 の 意 思 に よ っ て 書 か れ15 た 〈 南 洋 物 〉 の 背 後 に 、 中 島 が 懸 命 に 「 選 択 す る 眼 」 を 獲 得 し よ う と す る 姿 が 見 ら れ る と 指 摘 し て い る( 注 17) 。 つ ま り 、 中 島 は 自 分 の 意 思 に よ っ て 、 南 洋 島 民 の 心 理 を 読 み 取 っ た の で あ る 。 更 に 、 彼 は 自 分 な り の 作 品 を 作 り 出 す た め に 、 意 図 的 に 事 実 か ら 背 離 し た 解 釈 で 島 民 の 心 理 を 説 明 し た と 言 え よ う 。 中 島 の 〈 南 洋 物 〉 に は 、 南 洋 で 知 り 合 っ た 民 俗 学 者 土 方 久 功 の 話 に よ っ て 構 成 さ れ た 描 写 が 多 く 見 ら れ る 。 そ の 中 で 特 に 「 雞 」 と い う 作 品 の 原 話 は 、 土 方 氏 の 日 記 か ら 出 た も の で あ る 。 土 方 に よ る ギ ラ メ ス ブ ヅ 爺 さ ん は 優 し い 心 を 持 ち 、 土 方 に 頼 ま れ た 民 芸 的 な 小 道 具 や 人 形 を 常 に 丹 念 に 彫 っ た 人 物 で あ る( 注 18) 。 病 気 に な っ た 爺 さ ん は 土 方 氏 か ら 医 者 と 交 渉 す る と い う 恩 を 受 け 、 土 方 に 感 謝 の 気 持 ち を 持 っ て い た た め 、 亡 く な る 前 に 、 牝 鶏 を 土 方 氏 に 届 け て く れ る よ う 、 三 人 の 青 年 に 頼 ん だ 。 三 匹 の 牝 鶏 を 送 ら れ た 土 方 氏 は 、 爺 さ ん が 最 後 ま で 自 分 の こ と ば か り を 考 え て い た こ と に 感 動 し て い た と 日 記 に 書 い て い る( 注 19) 。 そ れ に 対 し 、 中 島 の 「 雞 」 に お け る マ ル ク ー プ 爺 さ ん は 、 ギ ラ メ ス ブ ヅ 爺 さ ん を モ デ ル と し て 描 か れ た 人 物 で あ る が 、 優 し い ギ ラ メ ス ブ ヅ 爺 さ ん と 違 い 、 欲 張 り で 奸 悪 な 人 物 と し て 描 か れ て い る 。 出 来 た 模 型 を 〈 私 〉 に 渡 す 時 、 約 束 し た 以 上 の 値 段 を 要 求 し 、 更 に 時 々 贋 物 や 盗 ん で き た 物 を 〈 私 〉 に 売 っ た 。 賞 金 の た め に 密 告 者 に な っ た り 、 〈 私 〉 の 懐 中 時 計 を 盗 ん で 逃 げ た り と 、 常 に 悪 質 な 行 為 を し て い た 。 し か し 、 そ の よ う な 貪 婪 な マ ル ク ー プ 爺 さ ん は 悪 質 な 行 為 ば か り を し て い る 人 物 で は な い 。 死 ぬ 前 に 、 〈 私 〉 に 感 謝 す る た め に 、 牝 鶏 を 〈 私 〉 に 送 っ て く れ る よ う に 他 人 に 頼 ん だ 。 し か も 、 牝 鶏 を 確 実 に 届 け る た め に 、 三 人 も 青 年 に 頼 ん だ の で あ る 。 〈 私 〉 の 時 計 を 盗 ん だ 奸 悪 な マ ル ク ー プ 爺 さ ん は 、 島 民 の 生 活 に 於 い て 大 切 な 鶏 を 三 羽 も 〈 私 〉 に 送 っ た 。 そ の マ ル ク ー プ 爺 さ ん の 行 動 に 対 し 、 中 島 は 理 解 で き な い と 書 き 、 更 に 「 南 海 の 人 間 は ま だ
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私 な ど に は ど れ 程 も 分 つ て ゐ な い の だ と い ふ 感 を 一 入 深 く し た こ と で あ つ た 」( 注16 20) と 付 加 し て 説 明 し て い る 。 土 方 氏 の 話 に よ る と 、 最 後 に 土 方 氏 に 三 羽 の 牝 鶏 を 送 っ た の は 優 し い ギ ラ メ ス ブ ヅ 爺 さ ん で あ り 、 土 方 氏 の お 金 や 時 計 を 盗 ん だ の は も う 一 人 の ア マ ラ エ ル 爺 さ ん で あ る( 注 21) 。 作 品 中 の 、 密 告 に よ っ て 賞 金 を 手 に 入 れ た 仕 業 が 、 実 際 に ど の 人 物 の 行 為 に 当 た る か は 土 方 氏 の 日 記 に は 触 れ て お ら ず 、 恐 ら く 中 島 が 他 の 島 民 を モ デ ル と し て 描 い た の で は な い か と 考 え ら れ る( 注 22) 。 中 島 の 「 鶏 」 に お け る マ ル ク ー プ 爺 さ ん は 、 ギ ラ メ ス ブ ヅ 爺 さ ん と ア マ ラ エ ル 爺 さ ん な ど 、 多 く の 南 洋 島 民 の イ メ ー ジ を 組 み 合 わ せ て 創 出 さ れ た 人 物 で あ る 。 中 島 は 、 善 と 悪 と い う 両 極 化 し た 行 為 を 故 意 に 全 て 一 人 の 人 物 に よ っ て 表 し た の で あ る 。 こ の よ う な 描 写 手 法 に よ っ て 、 南 洋 の 人 間 の 不 可 解 さ が 読 者 の 前 に よ り 一 層 印 象 深 く 現 れ る の で あ る 。 「 雞 」 だ け で は な く 、 同 じ く 「 南 島 譚 」 に お け る 「 夫 婦 」 と い う 作 品 は 、 女 同 志 の 喧 嘩 や モ ゴ ル 制 度 な ど を 南 洋 の 慣 習 に 基 づ い て 描 い た 作 品 で あ る が 、 作 中 の 人 物 像 も 同 様 に 不 可 解 な イ メ ー ジ を 読 者 に 与 え る 。 中 島 は 、 南 洋 の 民 俗 学 者 と も 呼 ば れ た 土 方 久 功 と 親 し く 、 土 方 氏 か ら 南 洋 に 関 す る 風 俗 ・ 知 識 を 多 く 学 ん だ た め 、 南 洋 の 慣 習 を 知 ら な い わ け で は な か っ た 。 濱 川 氏 の 指 摘 の 通 り 、 自 分 な り の 眼 差 し で 島 民 の 心 理 や 言 動 を 読 み 取 っ た の は 、 中 島 の 「 選 択 す る 眼 」 が 作 用 し た 結 果 だ と 考 え ら れ る 。 中 島 は 南 洋 島 民 ( 他 者 ) を あ り の ま ま に 表 象 す る の で は な く 、 自 分 の イ メ ー ジ に 合 わ せ て 南 洋 島 民 ( 他 者 ) の 人 物 像 を 作 り 出 し て い る 。 こ の よ う な 意 図 的 に 作 ら れ た 「 不 可 解 な 南 洋 人 物 像 」 の 背 後 に は 、 サ イ ー ド が 指 摘 す る 、 「 『 彼 ら 』 に は 『 我 々 』 の ご と く 行 動 し 理 解 す る こ と は で き な い 」 と す る オ リ エ ン タ リ ズ ム の 言 説 が 存 在 し て い る の で あ る( 注 23) 。 元 来 、 オ リ エ ン タ リ ズ ム は 西 洋 人 の 東 洋 に 対 す る 自 己 中 心 の 思 考 様 式 を 指 す 。 東 方 の 後 進 性 、 神 秘 性 、 官 能 性 な ど を 強 調 し 、 先 入 観 で 東 方 を 見 詰 め る 西 洋 人 の 思 考 様 式 は 、 十 九 世 紀 後 半 の 西 洋 人
17 の 南 方 の 未 開 地 に 対 す る 見 方 に も 同 じ く 反 映 し て い る 。 実 際 に 南 洋 で 生 活 し 、 南 洋 の 島 民 を 観 察 し て い た 中 島 は 、 自 分 な り の 架 空 の 南 洋 人 物 像 を 作 り 出 し た 。 事 実 の 上 に 想 像 力 を 作 用 さ せ 、 特 別 な 雰 囲 気 を 作 る た め に 作 品 の 素 材 を 処 理 す る 中 島 の 手 法 に は 、 西 洋 人 が 先 入 観 で 東 方 や 南 方 を 描 く オ リ エ ン タ リ ズ ム の 概 念 が 潜 ん で い る 。 即 ち 、 中 島 が 「 選 択 す る 眼 」 で 南 洋 の 島 民 を 見 る の は 、 西 洋 人 の オ リ エ ン タ リ ズ ム と 同 様 に 、 「 日 本 人 の オ リ エ ン タ リ ズ ム 」( 注 24) と い う 自 己 中 心 の 思 考 様 式 か ら で あ る と 考 え ら れ る 。 一 方 、 中 島 敦 と 同 様 に 昭 和 十 六 年 に 南 洋 へ 旅 に 出 た 高 見 順 は 、 中 島 と は や や 異 な る 視 点 で 南 洋 の 島 民 を 観 察 し た 。 彼 は 作 品 「 土 民 の 女 」 に お い て 、 日 本 人 の 家 で 奉 公 し て い た 土 民( 注 25) 夫 婦 の 話 を 描 い て い る 。 普 段 は 人 の 前 で お と な し い と い う よ り 寧 ろ 卑 屈 な 位 の ジ ョ ン ゴ ス が 、 酷 い 夫 婦 喧 嘩 を し て 、 細 君 を ポ カ ン と 殴 り 、 そ し て 間 も な く 細 君 と 別 れ た と い う 話 で あ る 。 ジ ョ ン ゴ ス 夫 婦 の 離 婚 に つ い て 、 高 見 は 、 そ れ が 「 土 民 特 有 の 奇 妙 な 心 理 」 だ け で は 簡 単 に 説 明 で き な い と 主 張 し 、 更 に ジ ョ ン ゴ ズ の 立 場 に な り 、 そ の 夫 婦 の 離 婚 の 理 由 を 一 々 推 測 し よ う と す る 。 ま た 、 ジ ョ ン ゴ ス 夫 婦 の 離 婚 を 例 と し て 、 彼 は 一 般 的 に 「 文 明 人 」 に と っ て 「 不 可 解 」 と 思 わ れ る 土 民 の 行 動 に 対 し て 、 下 記 の よ う に 述 べ て い る 。 土 民 の 男 女 の 浮 氣 と か 、 簡 單 な 夫 婦 別 れ と か は 、 文 化 の 高 い 民 族 か ら 見 れ ば 不 可 解 な 心 理 と い ふ こ と に な る が 、 す な わ ち 、 そ れ だ け 土 民 が 非 文 化 的 な 無 智 蒙 昧 の な か に 置 か れ て ゐ る 、 と い ふ こ と を 示 す も の で あ る 。( 注 26) 高 見 順 の 言 葉 を 言 い 換 え れ ば 、 南 洋 の 慣 習 と し て 一 般 的 だ と 考 え ら れ る こ と は 、 文 明 人 に と っ て は 「 不 可 解 」 な こ と だ と 見 な さ れ 、 ま た 、 そ の 「 不 可 解 」 に よ っ て 、 南 洋 は 「 未 開 」 や 「 非 文 明 化 」 と 見 な さ れ る の で あ る 。 こ の 点 か ら 考 え れ ば 、 高 見 の 南 洋 島 民 に 対 す る 眼 差 し は 、 故 意 に 自 分 の 意 思 に よ っ て 南 洋 島 民
18 の 習 慣 ・ 風 俗 を 解 釈 し 、 彼 ら を 非 文 明 人 と 看 做 す 中 島 の 眼 差 し と 完 全 に 異 な っ て い る と 言 え る 。 ま た 、 内 地 の 蘭 印 紹 介 の 本 で 描 か れ て い る 「 土 民 が 好 ん で 汚 い 川 で マ ン デ ー を す る 」 奇 習 に 対 し 、 高 見 は 「 蘭 印 の 印 象 」 に お い て 、 確 か に 土 民 が 汚 い 河 で マ ン デ ー を し て い る が 、 一 方 で は 、 水 道 を 使 っ て い る 土 民 も い る と 客 観 的 に 指 摘 し て い る 。 「 一 度 水 道 を 使 ひ つ け た ら 、 汚 い 河 は 使 へ な く な つ て ゐ る の だ 。 こ の 事 實 も 見 の が し て は な ら な い 」( 注 27) と 、 蘭 印 で 自 分 の 目 で 確 か め た 事 実 を 如 実 に 描 い た 。 更 に 、 彼 は 「 も し 土 民 が 現 在 の い は ば 非 人 間 的 な 無 知 蒙 昧 か ら 人 間 的 な 生 活 と 文 化 へ と 高 め ら れ た な ら ば 、 決 し て う ん こ 色 の 河 で う ん こ を し 身 體 を 洗 ふ と い ふ や う な 奇 習 を 好 ん で 守 ら う と は 、 さ ら さ ら し な い で あ ら う 」( 注 28) と 述 べ 、 当 時 の 蘭 印 土 民 の 立 場 に な り 、 汚 い 川 で マ ン デ ー を す る 習 慣 が 蘭 印 土 民 の や む を 得 な い 選 択 で あ る と 弁 明 し て い る 。 奥 野 政 元 は 中 島 が 〈 南 洋 物 〉 に お い て 、 「 自 己 と 異 質 な 未 開 、 南 洋 の 現 実 に あ っ て 、 か え っ て 自 己 の 文 明 人 で あ る こ と と 、 ま た 文 明 人 で あ る こ と の 独 自 な 姿 が 象 徴 さ れ て 描 か れ て い る と 捉 え 得 る 」 と 論 じ て い る( 注 29) 。 奥 野 氏 が 論 じ た よ う に 、 中 島 は 南 洋 に 未 開 の 楽 園 と い う イ メ ー ジ を 抱 き な が ら も 、 自 分 の 中 に は や は り 無 意 識 に 文 明 人 の 自 覚 が あ っ た と 言 え る 。 彼 は 南 洋 に 来 て い る ガ リ ガ リ の 内 地 人 よ り 、 単 純 で 可 愛 い 土 人 が 好 き だ と 言 っ た 。 し か し 、 南 洋 島 民 の 単 純 さ に 好 感 を 持 っ て い る に も か か わ ら ず 、 自 分 の 子 を 南 洋 で 育 て れ ば 、 南 洋 の 児 の 顔 付 き に 似 て し ま い 、 頭 も 島 民 の 子 に 近 く な っ て し ま う 。 こ れ を 怖 が っ て 、 家 族 を 南 洋 に 来 さ せ る の を や め た の で あ る( 注 30) 。 彼 は 土 人 の 原 始 的 な 生 き 方 を 羨 ま し く 感 じ て い た が 、 島 民 が 集 ま る 教 会 で 、 日 本 人 女 性 が 島 民 の 言 葉 に よ る お 祈 り に 合 わ せ て 頭 を 下 げ て い る の を 見 た 時 、 「 何 だ が 、 い た ま し い や う な 氣 が し た 」( 注 31) と 述 べ て い る 。 未 開 の 南 洋 で の 原 始 的 な 暮 ら し 方 に 憧 れ て い る
19 と は 言 っ て も 、 文 明 人 が 土 人 の 生 活 に 溶 け 込 も う と す る 行 動 に 対 し 、 中 島 は や は り 痛 ま し く 感 じ て い た の で あ る 。 「 寂 し い 島 」 で は 、 〈 私 〉 は ご 馳 走 し て く れ た 老 婆 に 「 日 本 語 」 で 礼 を 言 い 、 「 夾 竹 桃 の 家 の 女 」 に お い て も 、 〈 私 〉 は 女 に 日 本 語 で 「 サ ヨ ナ ラ 」 と 言 っ た 。 〈 私 〉 は 南 洋 で 暮 ら し て い る に も か か わ ら ず 、 意 識 的 に 南 洋 島 民 と は 異 な る 言 語 を 使 っ て い る 。 「 内 地 人 」 ( 文 明 人 ) と い う 意 識 を 強 く 抱 い て い る 中 島 は 、 終 始 自 分 と 未 開 の 南 洋 と の 間 に 一 線 を 画 し て い た 。 こ の よ う な 文 明 人 と し て の 意 識 の も と に 、 彼 は 南 洋 を 未 開 地 に 看 做 し 、 作 品 に は 南 洋 島 民 を 意 図 的 に 「 不 可 解 」 な 他 者 に 造 形 し た の で あ る 。 確 か に 物 質 生 活 や 精 神 生 活 の 面 か ら 考 え れ ば 、 当 時 の 南 洋 は 先 進 国 と 比 べ れ ば 「 未 開 」 「 非 文 明 化 」 の 境 地 か ら 抜 け ず 、 当 時 の 南 洋 島 民 も ま だ 無 知 蒙 昧 な 段 階 に 留 ま っ て い た と 言 え る 。 し か し 、 南 洋 の 固 有 な 慣 習 を 全 て 「 不 可 解 」 と 看 做 し 、 更 に 南 洋 島 民 の 言 動 を 故 意 に 「 不 可 解 」 に 造 形 し た 中 島 の 描 写 は 、 高 見 順 の 南 洋 に 対 す る 客 観 的 な 理 解 と は 大 き な 差 異 が あ る 。
第
四
節
現
実
の
南
洋
に
対
す
る
印
象
長 い 間 南 方 に 憧 れ て い た 中 島 に と っ て 、 南 方 は 未 開 で 自 然 の 豊 か な 、 原 始 的 な 美 し い 楽 園 で あ っ た 。 し か し 、 彼 は 現 実 の 南 洋 を 見 た 後 、 こ の 未 開 の 理 想 郷 が 文 明 の 侵 入 に よ っ て 消 え て い っ た こ と に 気 付 い た 。 こ の 消 え た 楽 園 に 対 す る 痛 ま し い 気 持 ち は 、 「 マ リ ヤ ン 」 に お け る 南 洋 風 景 の 描 写 を 通 し て 表 さ れ て い る 。 實 際 、 此 の コ ロ ー ル と い ふ 街 ― ― 其 處 に 私 は 一 番 永 く 滯 在 し て ゐ た 譯 だ が ― ― に は 、 熱 帶 で あ り な が ら 溫 帶 の 價 値 標 準 が 巾 を き か せ て ゐ る 所 か ら 生 ず る 一 種 の 混 亂 が あ る や う に 思 は れ た 。 最 初 此 の 町 に 來 た 時 は そ れ 程 に 感 じ な か つ た の だ が 、 其 の 後 一 旦 此 處 を 去 つ て 、 日 本 人 が 一 人 も 住 ま な い 島 々 を 經20 巡 つ て 來 た あ と で 再 び 訪 れ た 時 に 、 此 の 事 が 極 め て ハ ツ キ リ と 感 じ ら れ た の で あ る 。 此 處 で は 、 熱 帶 的 の も の も 溫 帶 的 の も の も 共 に 美 し く 見 え な い 。 と い ふ よ り 、 全 然 、 美 と い ふ も の が ― ― 熱 帶 美 も 溫 帶 美 も 共 に ― ― 存 在 し な い の だ 。 熱 帶 的 な 美 を 有 つ 筈 の も の も 此 處 で は 溫 帶 文 明 的 な 去 勢 を 受 け て 萎 び て ゐ る し 、 溫 帶 的 な 美 を 有 つ べ き 筈 の も の も 熱 帶 的 風 土 自 然 ( 殊 に 其 の 陽 光 の 強 さ ) の 下 に 、 不 均 合 な 弱 々 し さ を 呈 す る に 過 ぎ な い 。 此 の 街 に あ る も の は 、 唯 、 如 何 に も 植 民 地 の 場 末 と 云 つ た 感 じ の ・ 頽 廢 し た ・ そ れ で ゐ て 、 妙 に 虛 勢 を 張 つ た 所 の 目 立 つ ・ 貧 し さ ば か り で あ る 。( 注 32) 内 地 人 が 温 帯 の 価 値 観 を 熱 帯 島 に 持 ち 込 ん だ た め 、 美 と い う も の が 混 乱 の 状 態 に な っ て い る 。 「 溫 帶 文 明 的 な 去 勢 」 に よ っ て 、 熱 帯 的 な 美 が 萎 れ 、 残 っ た の は 「 植 民 地 の 場 末 と 云 つ た 感 じ の ・ 頽 廢 し た ・ そ れ で ゐ て 、 妙 に 虛 勢 を 張 つ た 所 の 目 立 つ ・ 貧 し さ 」 だ け で あ る 。 つ ま り 、 文 明 開 化 に よ っ て 未 開 の 南 洋 は 元 の 風 貌 を 失 い 、 既 に 純 粋 無 垢 の 理 想 郷 で は な く な っ た の で あ る 。 ま た 、 こ の よ う な 温 帯 の 価 値 観 が 混 ざ っ た 南 洋 で 、 〈 私 〉 は マ リ ヤ ン と 呼 ば れ る 島 民 の 女 と 知 り 合 っ た 。 南 洋 島 民 の 典 型 的 な 体 格 と 外 貌 を 持 つ マ リ ヤ ン に 、 〈 私 〉 が 「 眞 白 な 洋 裝 に ハ イ ・ ヒ ー ル を 穿 き 、 短 い 洋 傘 を 手 に し た 」( 注 33) マ リ ヤ ン の 盛 裝 し た い で た ち を 見 る 場 面 で も 、 「 何 か し ら 可 笑 し さ が こ み 上 げ て 來 る の を 禁 じ 得 な か つ た 」( 注 34) と い う 描 写 が あ る 。 南 洋 の 風 景 と 同 じ く 、 マ リ ヤ ン の 身 に も 文 明 開 化 が も た ら し た 影 響 に よ っ て 不 調 和 が 見 ら れ る の で あ る 。 ま た 、 「 マ リ ヤ ン 」 だ け で は な く 、 「 夫 婦 」 の 中 に も 、 南 洋 の 伝 統 的 な 風 俗 に 現 代 文 明 が 混 ざ っ て い る と い う 不 調 和 な シ ー ン が 入 っ て い る 。 「 夫 婦 」 に は 、 当 時 の パ ラ オ で も 伝 統 的 な 恋 喧 嘩 を 盛 ん に 行 わ れ て お り 、 中 島 自 身 も パ ラ オ に 滞 在 中 直 接 そ れ を 目 撃 し た こ と が あ る と 書 い て い る 。 た だ 昔 の 恋 喧 嘩 と 違 っ た の
21 は 、 そ れ を 取 巻 い て 囃 し 応 援 し 批 評 す る 観 衆 の 中 に 、 「 ハ モ ニ カ を 持 つ た 二 人 の 現 代 風 な 青 年 」( 注 35) が 交 っ て い る こ と で あ る 。 し か も 、 二 人 と も 、 「 最 近 コ ロ ー ル の 町 に 出 て 購 め た に 違 ひ な い ・ 揃 ひ の ・ 真 青 な 新 し い ワ イ シ ャ ツ を 着 込 み 、 縮 れ た 髪 に 香 油 を べ つ と り と 塗 り 付 け て 、 足 こ そ 跣 足 な が ら 、 仲 々 ハ イ カ ラ な い で た ち 」( 注 36) で あ る 。 二 人 の 現 代 風 な 青 年 は 、 パ ラ オ の 伝 統 的 な 風 俗 に 対 し 、 「 活 劇 の 伴 奏 の つ も り な の で あ ら う か 、 如 何 に も 気 取 つ た ポ ー ズ で 首 を 振 り 足 踏 を し な が ら 、 此 の 烈 し い 執 拗 な 鬪 爭 の 間 ぢ ゆ う 、 ず つ と 輕 快 な マ ー チ を 吹 き 續 け て ゐ た 」( 注 37) と い う 皮 肉 な 描 写 で あ る 。 南 方 は 未 開 で 原 始 的 な 所 で あ り 、 文 明 開 化 の 「 汚 染 」 が 波 及 し て い な い 理 想 郷 の は ず で あ る 。 し か し 、 現 実 の 南 洋 を 目 の 当 た り に し て 以 来 、 中 島 の 南 方 に 対 す る 理 想 郷 の 幻 像 は 破 滅 し て し ま っ た 。 中 島 は 現 実 の 南 洋 に 表 れ て い る 不 調 和 に 痛 ま し さ を 感 じ 、 〈 私 〉 を 通 し て 、 理 想 的 な 南 方 の 消 失 に 対 す る 痛 ま し さ を 訴 え た の で あ る 。 一 方 、 蘭 印 に 上 陸 し て か ら 、 高 見 順 の 目 に 映 っ た の は 、 文 明 開 化 が も た ら す 不 調 和 よ り 、 む し ろ 和 蘭 人 の 殖 民 政 策 に よ る 厳 し い 階 級 制 度 の 下 に い る 「 哀 れ な 土 民 」 の 姿 で あ る 。 「 褐 色 の 顔 は 無 表 情 だ が 、 卑 屈 な も の が 全 身 に 漂 つ て ゐ る 」( 注 38) ジ ョ ン ゴ ス は 、 「 和 蘭 治 下 の イ ン ド ネ シ ア の 土 民 姿 を 思 ひ 浮 か べ て み る の に 、 一 番 強 く 鮮 や か に 來 る 」( 注 39) 印 象 で あ る 。 い つ も 和 蘭 人 の 前 で お ど お ど し て お り 、 見 て い る 人 に 「 し つ か り し ろ ! と 怒 鳴 り た い 位 」( 注 40) ほ ど 「 馴 ら さ れ た 犬 の や う な そ の 卑 屈 さ 」( 注 41) を 持 つ ジ ョ ン ゴ ス に 対 し 、 高 見 順 は 作 品 の 中 で 、 な ん と も 堪 ら な い 気 持 ち を 何 回 も 表 明 し た の で あ る 。 ま た 、 土 民 は 勤 勉 に 働 い て い る に も か か わ ら ず 、 給 料 が 非 常 に 少 な い 。 和 蘭 人 の 豪 華 な 住 宅 と 皮 肉 な 対 照 を な す の は 、 一 般 土 民 の ご た ご た し た 汚 い 家 で あ る 。 そ れ だ け で は な く 、 物 持 ち の 土 民 は 欧 風 の 服 装 を 着 よ う と し て も 、
22 「 被 征 服 民 族 が 征 服 者 の 和 蘭 人 と 全 く 同 じ 服 裝 を す る こ と を 禁 じ て ゐ る 」( 注 42) た め 、 欧 風 の 服 装 を 着 る 際 に は 、 土 民 の 伝 統 的 な カ パ ラ カ イ ン と い う 帽 子 の よ う な も の を 被 り 、 全 身 欧 風 と い う 格 好 を 避 け な け れ ば な ら な い の で あ る 。 和 蘭 の 植 民 地 政 策 の 下 、 蘭 印 社 会 で 最 も 下 級 の 「 哀 れ な 土 民 」 の 姿 は 高 見 の 描 写 に よ っ て 鮮 明 に 提 示 さ れ て い る 。 中 島 は 南 洋 の 文 明 化 に よ っ て も た ら さ れ る 混 乱 ・ 不 調 和 な 状 態 に 着 眼 し 、 作 品 の 中 に 所 々 そ の 文 明 と 未 開 が 交 錯 し て い る 不 調 和 な 現 状 を 描 写 し て い る 。 中 島 が 注 目 し た 「 不 調 和 」 に 対 し 、 高 見 も 蘭 印 の 社 会 現 象 、 例 え ば 、 毎 土 曜 の 夜 、 夜 中 の 二 時 頃 ま で 陽 気 に 賑 や か に 踊 っ て い る ダ ン ス の 話 や 、 兵 舎 に は 兵 隊 が 細 君 と 一 緒 に 住 ん で い る こ と な ど を 可 笑 し く 感 じ て い た 。 し か し 、 高 見 が 作 品 の 中 で 言 及 し た そ の 「 異 様 な 感 じ 」( 注 43) は 、 全 て 和 蘭 人 の 習 慣 や 制 度 に よ る も の で あ る 。 パ ラ オ は 一 八 八 五 年 よ り ス ペ イ ン に 植 民 さ れ た 。 そ の 後 、 ス ペ イ ン の 国 力 の 衰 退 に 従 い 、 一 八 九 九 年 以 降 ド イ ツ 植 民 地 と な っ た 。 ド イ ツ は パ ラ オ で コ コ ナ ッ ツ 、 タ ピ オ カ 栽 培 、 ア ン ガ ウ ル に お け る リ ン 鉱 石 採 掘 な ど の 産 業 振 興 を 行 っ た が 、 他 の ド イ ツ の 植 民 地 と 同 様 に 、 道 路 や 水 道 な ど の イ ン フ ラ ス ト ラ ク チ ャ ー の 整 備 や 現 地 人 へ の 教 育 は ほ と ん ど 行 わ れ な か っ た 。 そ し て 、 第 一 次 世 界 大 戦 以 降 、 戦 後 処 理 を し た パ リ 講 和 会 議 に よ っ て 、 パ ラ オ は 一 九 一 四 年 か ら 日 本 に 占 領 さ れ 、 二 次 大 戦 ま で の 二 十 年 間 日 本 に 委 任 統 治 さ れ て い た 。 一 方 、 蘭 印 は 一 六 〇 二 年 に 「 オ ラ ン ダ 東 イ ン ド 会 社 」 が 設 立 さ れ て 以 来 、 オ ラ ン ダ 東 方 貿 易 の 拠 点 と し て 、 都 市 建 設 な ど を 進 め て お り 、 三 百 年 余 り に 和 蘭 に 統 治 さ れ て い た 。 パ ラ オ と 比 べ れ ば 、 昭 和 十 六 年 の 時 点 で 、 何 百 年 間 も 植 民 地 と し て 和 蘭 に 支 配 さ れ て い た 蘭 印 は 、 確 か に 文 明 化 ・ 近 代 化 の 程 度 は パ ラ オ よ り 遥 か に 高 か っ た の で あ る 。 そ れ 故 、 高 見 が 見 た 当 時 の 蘭 印 に は 、 中 島 が パ ラ オ で 見 た よ う な 「 不
23 調 和 」 な 雰 囲 気 が 既 に 薄 く な っ て い た の か も し れ な い 。 し か し 、 初 め て の 南 洋 体 験 に も 拘 ら ず 、 彼 の 現 実 の 蘭 印 に 対 す る 印 象 は 何 よ り も 蘭 印 当 局 の 横 暴 な 植 民 地 政 策 に 留 ま っ た の で あ る 。 高 見 順 の 作 品 に お け る 蘭 印 に 関 す る 言 説 に は 、 明 ら か に 植 民 地 支 配 者 の 和 蘭 に 対 す る 批 判 が 読 み 取 れ る の で あ る 。
第
五
節
結
び
昭 和 十 六 年 、 中 島 敦 は 当 時 日 本 の 植 民 地 で あ っ た パ ラ オ へ 旅 に 出 た 。 同 年 、 高 見 順 は 蘭 印 へ 旅 立 っ た 。 南 方 に 多 大 な 憧 憬 を 持 っ て い た 二 人 に と っ て 、 昭 和 十 六 年 の 〈 南 洋 行 〉 は 二 人 の 初 め て の 南 洋 体 験 で あ っ た 。 中 島 と 高 見 は そ の 〈 南 洋 行 〉 に よ っ て 南 洋 に 関 す る 作 品 を 書 い た 。 し か し 、 二 人 の 作 品 に お い て 、 南 洋 に 対 す る 描 写 に は 大 き な 差 異 が 窺 え る 。 南 洋 で 民 俗 学 者 の 土 方 久 功 氏 と 親 し く 交 流 し て い た 中 島 は 、 南 洋 の 民 俗 ・ 慣 習 を 知 ら な か っ た わ け で は な い 。 そ れ に も 拘 わ ら ず 、 彼 は 作 品 中 に 故 意 に 南 洋 島 民 の 言 動 を 「 不 可 解 」 に 描 い て い た 。 中 島 の 〈 南 洋 物 〉 に お い て 、 彼 が 文 明 人 と し て の 意 識 を 持 ち 、 南 洋 島 民 の 慣 習 を 理 解 し よ う と せ ず 、 自 己 中 心 の 思 考 様 式 に よ っ て 、 南 洋 を 「 未 開 」 「 非 文 明 化 」 の 場 所 と 看 做 す 意 図 が 窺 え る 。 他 方 、 一 教 育 者 と し て 、 彼 は 当 時 、 島 民 を 労 働 者 と し て 使 い つ ぶ す と い う 日 本 の 植 民 地 政 策 に 反 発 し 、 島 民 を 文 明 開 化 の 道 に 導 こ う と す る 願 望 を 持 っ て い た 。 し か し 、 そ れ と 同 時 に 、 南 洋 が 文 明 に 汚 染 さ れ ず 、 も と の 純 朴 さ の ま ま で 残 さ れ て い く よ う に と 望 ん で い た 。 中 島 の 作 品 に お け る 南 洋 に 対 す る 複 雑 な 心 境 に 対 し 、 高 見 の 作 品 に お け る 南 洋 言 説 に は 一 貫 し た 論 理 が 読 み 取 れ る 。 彼 は 客 観 的 に 蘭 印 土 民 の 習 慣 や 蘭 印 の 現 状 に つ い て 説 明 ・ 解 釈 し た が 、 そ の 説 明 ・ 解 釈 の 背24 後 に は 、 高 見 の 蘭 印 土 民 に 対 す る 親 愛 感 と 和 蘭 人 の 植 民 地 政 策 に 対 す る 強 烈 な 批 判 が 窺 え る 。 作 品 に お い て 、 偶 に は 蘭 印 で 見 た 現 象 に 「 異 様 な 感 じ 」 で あ る と 評 し た が 、 彼 に 「 異 様 な 感 じ 」 を 覚 え さ せ た の は 、 全 て 和 蘭 人 の 習 慣 や 制 度 に よ る も の で あ っ た 。 高 見 順 は 蘭 印 行 を 決 意 し た 昭 和 十 五 年 は 、 日 本 の 南 方 進 出 の 一 拠 点 と し て イ ン ド ネ シ ア の 存 在 が 大 き く ク ロ ー ズ ・ ア ッ プ さ れ た 年 で あ っ た 。 当 時 、 日 本 内 地 で 蘭 印 に 関 す る 書 物 が 数 多 く 出 版 さ れ て お り 、 日 本 中 に 一 種 の 蘭 印 ブ ー ム と い う 現 象 が 起 こ っ た と 言 え る 。 こ の 蘭 印 ブ ー ム の 背 後 に は 、 梅 本 宣 之 が 論 じ た よ う に 、 「 蘭 印 に 対 す る 国 民 的 関 心 が 高 ま っ て い た こ と を 示 す 」( 注 44) と 同 時 に 、 「 日 本 政 府 の 政 治 的 関 心 、 よ り 具 体 的 に は 蘭 印 進 出 の 政 治 的 野 心 の 高 ま り 」( 注 45) を も 示 し た の で あ る 。 昭 和 十 五 年 、 当 時 の 外 相 松 岡 洋 右 の 談 話 内 容 か ら 、 「 大 東 亜 共 栄 圏 」 と い う ス ロ ー ガ ン が 唱 え ら れ た 。 欧 米 勢 力 を 排 除 し て 、 日 本 を 盟 主 と す る 満 州 ・ 中 国 及 び 東 南 ア ジ ア 諸 民 族 の 共 存 共 栄 を 説 い た 「 大 東 亜 共 栄 圏 」 の 概 念 は 日 本 中 に 広 げ ら れ て い た 。 こ の よ う な 意 識 を 念 頭 に 置 き な が ら 、 高 見 順 は 長 い 間 西 洋 の 覇 権 に 支 配 さ れ て い た 蘭 印 で 、 初 め て 南 洋 の 現 実 を 見 た 。 言 う ま で も な く 、 当 時 、 西 洋 の 勢 力 に 対 抗 し 、 南 洋 島 民 と 共 存 共 栄 す る 意 識 も 彼 の 南 洋 に 対 す る 見 方 に 影 響 し た 。 彼 は 蘭 印 で 現 地 の 殖 民 地 政 策 を 見 た 後 、 「 日 本 は 一 視 同 仁 の 精 神 で あ り 、 和 蘭 の や り 方 は 輕 蔑 的 差 別 の 精 神 で 、 土 臺 、 精 神 が ち が ふ 」( 注 46) と 和 蘭 の 植 民 地 政 策 に 反 発 し た 。 「 蘭 印 で の 感 想 」 に お い て 、 高 見 は 「 私 は 、 私 た ち 日 本 人 と 同 じ や う な 皮 膚 を し ( ほ ん た う は 幾 分 黑 い が ) 、 そ し て ま た 、 私 た ち と よ く 似 た 容 貌 を し た 住 民 に 心 祕 か に 親 愛 の 情 を 抱 い て ゐ た 」( 注 47) と 述 べ 、 「 私 た ち と よ く 似 た ジ ャ ワ の 住 民 が 、 白 人 に 征 服 さ れ 、 そ し て そ の 土 地 を 植 民 地 に さ れ て ゐ る こ と に 、 同 情 と 憐 憫 と 義 憤 と 苦 痛 を 感 じ て ゐ た 」( 注 48) と 自 分 の 気 持 ち を 伝 え て い る 。 更 に 、 そ の 意 識 の 下 で 、 彼 は 蘭 印 の 映
25 画 を 見 た 時 さ え も 、 そ の 「 使 い の 虎 が 神 通 力 を 持 つ 修 行 者 の 主 人 公 を 救 う 」 と い う 普 通 な 内 容 を 語 る 映 画 に 対 し 、 「 白 人 に 征 服 さ れ た 憐 れ な 土 民 が 、 自 分 達 を 現 在 の 境 涯 か ら 救 つ て く れ る 何 か 超 人 的 な 力 を 夢 見 て ゐ る 」( 注 49) と 、 自 分 な り に 深 く 解 釈 し た の で あ る 。 昭 和 十 年 代 の 頃 、 日 本 中 は 高 見 順 の よ う に 、 「 日 本 が 先 進 國 か ら い ろ い ろ と 學 ぶ こ と に よ つ て 、 今 日 の 偉 大 な 日 本 た り 得 た 」( 注 50) こ と か ら 、 「 奇 怪 な 西 洋 崇 拝 」( 注 51) を や め 、 「 東 洋 の 自 覺 」( 注 52) を す べ き と 唱 え る 知 識 人 も 少 な く な か っ た と 思 わ れ る 。 日 本 が 南 方 へ 進 出 し 、 西 欧 列 強 と 拮 抗 し た 最 中 、 高 見 順 の 作 品 に お け る 南 洋 言 説 は 、 土 民 に 同 情 し な が ら 和 蘭 を 批 判 し す る 意 思 を 強 く 表 現 す る の も 不 思 議 で は な い と 言 え よ う 。 一 方 、 「 蘭 印 の 印 象 」 に お い て 、 高 見 順 は 「 ほ ん た う の 親 切 と い ふ の は 、 土 民 の 無 知 蒙 昧 を そ の ま ま 『 尊 重 』 し て 、 字 の 讀 め な い や う な 無 教 育 狀 態 に い つ ま で も 突 き 落 と し て お く こ と よ り 、 字 の 讀 め る や う な 文 化 的 な 高 さ に 土 民 の 一 般 を 高 め る こ と の 方 に あ る の で は な い か 」( 注 53) と 、 和 蘭 当 局 が 土 民 に 教 育 を 受 け さ せ な い こ と を 批 判 し て い る 。 高 見 の 批 判 と 対 照 的 に 、 中 島 の 手 紙 の 中 に 、 日 本 が パ ラ オ で 実 施 し て い た 土 民 教 育 に 関 す る 記 述 は 興 味 深 い と 思 わ れ る 。 妻 タ カ へ の 手 紙 で 、 中 島 は 「 今 度 旅 行 し て 見 て 、 土 人 の 教 科 書 編 纂 と い ふ 仕 事 の 、 無 意 味 さ が は つ き り 判 つ て 来 た 。 土 人 を 幸 福 に し て や る た め に は 、 も つ と
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大 事 な こ と が 澤 山 あ る 、 教 科 書 な ん か 、 末 の 末 の 、 實 に 小 さ な こ と だ 」( 注 54) と 嘆 い て い る 。 父 ・ 田 人 へ の 手 紙 で も 、 彼 は 「 現 下 の 時 局 で は 、 土 民 教 育 な ど 殆 ど 問 題 に さ れ て を ら ず 、 土 民 は 勞 働 者 と し て 、 使 ひ つ ぶ し て 差 し 支 へ な し と い ふ の が 為 政 者 の 方 針 ら し く 見 え ま す 」( 注 55) と 述 べ 、 当 時 日 本 の 植 民 地 政 策 に 不 満 を 表 明 し 、 教 科 書 編 纂 と い う 仕 事 へ の 熱 意 を す っ か り 失 っ て い る 。 実 際 に パ ラ オ で 日 本 の 植 民 地 政 策 を26 体 験 し た 中 島 敦 は 日 本 の 植 民 地 教 育 方 針 を も 批 判 し た の で あ る 。 初 め て 南 洋 に 行 っ た 高 見 順 は 、 そ の 時 点 で 日 本 の 植 民 地 政 策 に つ い て 、 ま だ 自 分 の 目 で 確 か め た こ と は な か っ た 。 高 見 の 蘭 印 旅 行 に 関 す る 作 品 の 底 流 に は 、 西 洋 勢 力 を 批 判 し 、 日 本 を 贔 屓 す る と い う 意 識 が 一 貫 し て 流 れ て い る の で あ る 。