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日米同盟関係の変遷と今後の東アジア地域の秩序 美日同盟關係的演變與東亞區域秩序的未來

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日米同盟関係の変遷と今後の

東アジア地域の秩序

鈞 池

(高雄大学政治法律学科副教授兼主任)

【要約】

日米安全保障条約は 2010 年に改定から 50 周年を迎えたが、1960 年代以降の日米安全保障体制の変遷は、おおむね 4 つの段階に分け ら れる。まず 、単なる二 国間の経済 貿易関係が 、政治的な パート ナ ー 関 係 に 発 展 し 制 度 的 な 調 整 メ カ ニ ズ ム を 構 築 す る ま で で あ る 。 1990 年代以降は地域レベルにおいて軍事同盟関係の構築に尽力した。 21 世紀に入り、日米同盟関係は世界的な争点における協力に乗り出 すが、2009 年に民主党が政権の座に就くと、日本政府は「東アジア 共 同体」をよ り重視し、 アジア隣国 との友好関 係を強化す る必要 が あ るとの認識 を示した。 そして、日 米関係は「 対等な日米 関係」 を 目 指し、日本 により大き な自主権を もたらした が、鳩山前 首相の 主 張 した「日本 ・中国・米 国」の正三 角形の等距 離関係は、 その実 践 に おいて非常 に大きな争 議を醸し出 し、鳩山前 首相は極め て重大 な 政 治的代償を 支払うこと となった。 そして民主 党政権のも とでの 日 米 関係は悪化 し、東アジ ア地域の秩 序に多大な 影響をもた らして い る。 キーワード:日米関係、日米安全保障条約、日米同盟、自由民主党、 民主党

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一 はじめに

日米安全保障条約は 2010 年に改定から 50 周年を迎えたが、1960 年代以降の日米安全保障体制の変遷は、おおむね 4 つの段階に分け られる。①1960 年代には単なる二国間の経済貿易関係であった。② 1970 年代に政治的なパートナー関係に発展し、首脳レベルのサミッ ト と双方向の 相互訪問の 制度が整い 、日本の外 務大臣と米 国国務 長 官の間にも制度的な協議メカニズムが構築された。③1990 年代以降 は地域レベルにおいて軍事同盟関係の構築に尽力した。④2000 年代 に入り、日米同盟関係は世界的な争点における協力に乗り出した。 しかし、2009 年に民主党が政権の座に就くと、鳩山由紀夫前首相 は 、米国の国 力が相対的 に低下する 中、活力あ るアジア新 興国の 経 済 体に直面し 、民主党政 府は「東ア ジア共同体 」の概念を より重 視 し 、日本とア ジアの隣国 との友好関 係を強化す る必要があ るとの 考 えを示した1。そして、日米関係は「対等な日米関係」を目指し、日 本 により大き な自主権を もたらした が、鳩山前 首相の主張 した「 日 本 ・中国・米 国」の正三 角形の等距 離関係は、 その実践に おいて 非 常 に大きな争 議を醸し出 し、鳩山前 首相は極め て重大な政 治的代 償 を 支払うこと となった。 そして民主 党政権のも とでの日米 関係は 悪 化し、東アジア地域の秩序に多大な影響をもたらしている。

1 鳩山由紀夫「私の政治哲学」『Voice』2009 年 9 月号。

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二 日米同盟関係の変遷

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1 1960 年代から 1970 年代の日米同盟関係:完全なる米国主導の 時代

第一段階は1952 年の日米安全保障条約(U.S.-Japan Security Treaty) の 締結からベ トナム戦争 の終結まで であり、日 米同盟関係 は完全 に 米 国主導であ った。この 段階で日本 が果たした 主な役割は 冷戦時 代 に おける米国 の戦略設計 に歩調を合 わせたもの で、米軍部 隊に各 種 基地を提供した。1960 年改定の新安保条約第 6 条の規定によると、 在 日米軍は日 本と東アジ アの安全の 維持に寄与 するために 日本国 に お い て 施 設 と 区 域 を 使 用 す る こ と が 許 さ れ る 。 ま た 日 米 地 位 協 定 (U.S.-Japan Status of Forces Agreement)にも定められているように、

これら基地のうち比較的大きな 7 つの基地は朝鮮半島で衝突が発生 し た際には自 動的に米軍 が使用して もよいとし ている。冷 戦が終 結 す るまで、日 本の自衛隊 は米軍の作 戦に組み込 まれ、東京 も冷戦 時 の 西側同盟の 経済および 科学技術の 作業にまで 手を広げる ことと な った。 この段階で 最も代表的 な日本の防 衛思想は吉 田茂首相( 当時。 以 下、変遷過程における各人敬称は当時の敬称を用いる)が示した「吉 田ドクトリン」-「軽武装(自衛武装)」、「経済優先で軍事は後」、「米 国依存」を中心とした外交路線である3。簡単に言うと、日本が 1970

2 日米同盟関係の歴史的な変遷については、主に以下の書籍を参考にしている。國防 部史政編譯室譯、Gerald L. Curtis 著『美日關係的新觀點』(台北:國防部史政編譯室、 2002 年);國防部史政編譯室譯、Michael J. Green & Patrick M. Cronin 著『美日聯盟: 過去、現在與未來』(台北:國防部史政編譯室、2002 年);國防部史政編譯室譯、 Nishihara, Masashi 編『美日聯盟的新挑戰』(台北:國防部史政編譯室、2000 年)。

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年 の「防衛白 書」で提示 した「専守 防衛」の基 本原則であ る。い わ ゆ る自衛武装 とは日本が 共産主義の 脅威にさら されたとき のため の も ので、日本 は地理的に 米ソが極東 で対峙する 最前線に位 置する た め 、戦略的に も極めて重 要な地位を 占める。こ のような条 件のも と で 、日本は自 身の防衛力 を高める以 外、安全を 確保するた めには 米 国 の保護に依 存するほか ない。また 「経済優先 で軍事は後 」とい う の は日本の経 済復興や資 本の蓄積に 影響しない とする前提 を強調 し たうえで、日本の自衛武装を構築していくことであった。 つまり、日 本の防衛と は主に同盟 国の米国の 軍事力に依 存する も の であり、日 本自身は人 々の生活に 向上の活力 を与えるべ く戦争 で 失 った国力の 回復に尽力 した。当時 はほかに、 日本の安全 保障を 国 連 に依存する ことが可能 だとする主 張もあった ものの、吉 田茂首 相 は 果たして国 連で多数の 支持を受け られるかは 疑問が残り 、確実 で は ないとの認 識を持って いた。米国 との防衛協 定締結だけ が日本 の 安全を保障できると考えたのである。 この段階に おける日米 戦略関係は 、日本にと って「専守 防衛」 を 以って安全保障の基本原則とし、「最小限度」の自衛力を維持するだ け でよかった 。日本は地 域安全の責 務を負わな いという状 況のも と で 、米国の庇 護の約束を 取り付け、 日本の東ア ジア地域に おける 政 治 および経済 関係を損な うことなく 、また国内 政権の政治 的意味 に お いても防衛 に関する共 通認識が脅 かされるこ ともなかっ た。同 時 に、日本は先制攻撃を行わず、武力による侵略を受けたときにのみ、 日 本の領空と 領海、およ び周辺海域 に限っての み限定的な 武装自 衛 を行うというものであった。

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2 1970 年代~1990 年代の日米同盟関係:次第に「共同責任」を負 う時代へ 第二段階は ベトナム戦 争の終結後 、米国が世 界の軍事配 備を再 編 し 、当時のニ クソン大統 領が日本に も「自身の 防衛という 主要な 責 任 」を負うこ とを期待す ると表明し たことに始 まる。つま り米政 府 が 日本に軍事 責任を共同 で負うこと を期待した この態度こ そ、日 米 安 保体制の質 的変化の始 まりと言え る。このよ うな関係性 の質的 変 化は、米ソ両国が1980 年代に冷戦が新局面に入るとより明確になっ た 。特に日本 は経済的な 実力が大幅 に増し、経 済と科学技 術の力 を さ らに活用し 「不沈空母 」となるこ とを強調し た。米国は ソ連太 平 洋 艦隊の海軍 基地から太 平洋に至る 戦略上の要 地において 、日本 の 自 衛隊の作戦 能力を東ア ジア地域の 軍事バラン スの一環と して組 み 入 れ、日本の 国土におけ る基本的な 防衛の必要 にとどまら ないも の と する必要が あった。つ まり、朝鮮 戦争とベト ナム戦争の 時期に お い て、米国の 冷戦戦略に おける日本 の役割は後 方基地の支 援にと ど まっていたのが、1980 年代には徐々に米ソの地域軍事バランスに参 与 することと なり、日本 の力量の増 強とは本島 の防衛のみ ならず 、 オ ホーツク海 のソ連海軍 艦隊とシベ リアの沿岸 区域の中距 離爆撃 機 を封じ込めるためでもあった。 この段階で最も目立った変化とは、1978 年の日米安全保障協議委 員 会で初めて 「日米防衛 協力のため の指針」が 定められた ことで あ る 。この最初 の指針は、 日本防衛の 共同作戦を 円滑かつ効 果的に 行 う ため、共同 作戦計画に ついての研 究を行い、 必要な合同 演習及 び 共 同訓練を適 時実施する ことを強調 していた。 日米は防衛 協力の 指 針 を確立し、 海上共同演 習であれ空 中共同演習 であれ、規 模の上 で も頻度の上でも明らかに拡大した。 この段階の日米同盟の変化に対応するため、大平正芳首相は1979

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年に「総合安全保障戦略4」を提唱した。総合安全保障戦略とは主に、 日 本が新たな 国際情勢に 直面するに あたり、経 済的な利益 を追求 す る のみならず 、総合安全 保障の観点 から国益を 追求するべ きだと 強 調 するもので ある。総合 安全保障に よる国益を 実現するた めには 、 日 本は「限定 的で質・量 共に高い防 衛力と日米 安保条約を 適切に 運 用」し、「整然たる秩序かつ活力にあふれた民主政治を軸とした日本 内政を運営」した上で、「外交努力の積極展開」を図るべきだとした。 大平正芳首 相から鈴木 善幸首相、 中曽根康弘 首相に至る まで、 日 本の観点から1980 年代の日米同盟の変化をみると、主に米国の国力 が 衰退しソ連 の脅威が増 大する国際 情勢の中、 日本は自身 の国力 が 高まるという情況のもとで、米国やその他西側諸国との協力を通じ、 各 種手段を用 いて日本と 西側諸国の 安全の確保 を検討し、 さらに は こ れを機に日 本の国際的 地位を向上 させた。日 米同盟関係 はこの 段 階においてより実体化する傾向にあった5 3 1990 年代以降の日米同盟関係:二国間関係から地域レベルの協 力へ 第三段階、 すなわち冷 戦の終結後 には、日米 双方が新た な日米 同 盟の定義を模索した6。米国はまず、日本は「小切手外交」Checkbook diplomacy)の行使にとどまるべきではないと呼び掛け、日本国内で は「普通の国としての日本7」の論争が勃発した。湾岸戦争において、 日 米両国は軍 事協力の範 囲を地域的 な緊急事態 以外にも拡 大する 可

4 渡邉昭夫「日米同盟の史的概観」渡邉昭夫・北岡伸一編『日米同盟とは何か』(中央 公論社、2011 年)、21 ペ-ジ。 5 五百旗頭真、前掲書、201 ペ-ジ。 6 船橋洋一『同盟を考える』(岩波書店、1998 年)。 7 小沢一郎『日本改造計画』(講談社、1993 年)。

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能性を検討したが、日本は従前どおり資金援助の提供のみを希望し、 自 衛隊の役割 と目的に対 する国内政 治の規制は 、依然とし て日米 共 同 軍事作戦を 拡大するに あたり重大 な足かせで あり続けた 。しか し ながら、1980 年代後半から国際的な冷戦秩序が瓦解するにつれ、日 本 と米国はポ スト冷戦時 代における 日米安保体 制の存在意 義を積 極 的に探求した。 1990 年 5 月には、外務省が「日米安保条約の今日的意義」とする 研究報告を作成、同年 6 月、日米両国は共同声明を発表し、日米両 国 は平和を守 るためにパ ートナーシ ップを構築 しており、 この関 係 の 基礎は日米 安保条約に あると表明 した。今後 日米両国が 国際的 な パ ートナーシ ップを構築 する中で、 日米安保条 約は両国の 自由と 安 全 を確保し、 アジア太平 洋地域の平 和と繁栄の 促進に欠か せない 手 段であり続けるとした。 1992 年 1 月、米ブッシュ大統領と日本の宮沢喜一首相は「東京宣 言 」を発表し 、日本と米 国が日米安 保体制を堅 持し、協力 関係を グ ロ ーバル・パ ートナーシ ップに拡大 することを 再確認した 。米国 は 米 軍の前方展 開を維持し 、日本は米 軍に基地の 提供と駐日 米軍費 用 の 相応な負担 を約束した 。しかし国 際情勢の変 化により、 一部の 米 国 専門家は日 米同盟を修 正するよう 提言を行っ た。また日 本でも 一

部の専門家が、国連の平和維持活動(U.N. peacekeeping operation)

に 参加するな ど多国間の 安全保障体 制の構築を 目指し努力 すべき だ と の認識を示 し、さらに 日米同盟の 必要性を疑 う声も上が った。 当 時 朝日新聞の 記者であっ た船橋洋一 氏は、この 段階の論争 は日米 同 盟の漂流期であったと論じた81994 年の朝鮮半島危機の勃発で日本 は初めて、自衛隊はPKO 法案を通じて国連の平和維持活動に参加で

8 船橋洋一『同盟漂流』(岩波書店、1997 年)。

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き るものの、 この新たな 任務では自 国の裏庭で 起こった敵 対事件 を 処 理すること はできない と認識する ようになり 、日本は米 国と改 め て 日米安保体 制に関わる 問題を再検 討する必要 性を認める ことに な った。 1994 年 8 月 12 日、日本の防衛問題懇談会は村山富市首相に研究報 告 (いわゆる 樋口レポー ト)を提出 した。この 報告は、ポ スト冷 戦 時代 の国際情勢 における脅 威は主に大 国間の軍事 衝突からで はなく 、 多 くの「不明 瞭」で「不 確定な情勢 」が生み出 す脅威と危 険に対 峙 す るものであ り、日本の 国家安全政 策は冷戦時 代より大き な難局 に 直 面するため 、他国との 同盟関係に も調整を加 える必要が あると 強 調した。同報告は日本が今後以下の 4 つの危機①米国を中心とした 大 国の協調の 失敗が招く 世界安全情 勢の悪化、 ②多発する 局地的 な 武 装衝突事件 の性質の複 雑化、③局 地的な武装 衝突が招く 武器お よ び 軍事関連技 術の拡散問 題、④経済 的な貧困と 社会的な不 満があ る 国 において社 会的動乱が 発生する危 険性、に直 面すると指 摘した 。 そこで、日米同盟について 1.日米安保条約の意義の再確認、2.日米 安保条約の適用範囲のアジア太平洋地域ないし世界への拡大、3.日本 の 防衛システ ムを調整し 日本の自衛 力の強化を 堅持し、日 米軍事 協 力 を強化、多 国間の安全 保障協力を 拡張する、 との提言を 行って い る。この報告は日米同盟関係について、1995 年に日本で閣議決定さ

れた「防衛計画の大綱」(National Defense Program Outline)に反映さ れ ている。こ の文書は特 に日本の基 盤的防衛力 構想を「限 定的か つ 小 規模な侵略 」に対する 防衛から「 日本の安全 に直接衝撃 を与え る 日 本の周辺地 域」での防 衛へと拡大 し、また日 本は防衛力 の「質 的 向 上」を目指 し、海・空 合同で長距 離の攻撃能 力を持つ新 型作戦 の

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能力を追求するべきだと強調した9 日本の防衛 研究報告が 発表された のち、米国 防大学国家 戦略研 究 所は1994 年 11 月、「日米同盟の再定義」というレポートを発表、日 米同 盟の新たな 機能と任務 について日 本との対話 を行うと主 張した 。 1996 年 4 月には米クリントン大統領と橋本龍太郎首相が「日米安保 共 同宣言」を 発表し、そ の中で両国 が一致した 見解のもと で日米 防 衛協力のための指針を見直すことに同意すると表明した。 いわゆる「一致した見解」とは1995 年 2 月、当時の米国防次官補 の ナイ氏が発 表した「東 アジア太平 洋地域にお けるアメリ カの安 全 保障政策」(United States Security Strategy for East Asia-Pacific Region、 い わゆるナイ ・イニシア ティブ)報 告にみるこ とができる 。同報 告 は冷戦後における米国の東アジア安全戦略は 3 つの部分から成り立 っ ていると指 摘する。第 一に二国間 の同盟関係 の強化、第 二に東 ア ジ アにおける 米国の軍事 的プレゼン スの維持、 第三に地域 的な多 国 間 安全保障メ カニズムの 構築である 。この報告 はさらに、 日米の 二 国間 関係は米国 の太平洋安 全保障政策 と世界戦略 目標の基礎 となり 、 日 米安全同盟 はアジアに おける米国 安全政策の 鍵となるで あろう と 述べている。「ナイ・イニシアティブ」は日米同盟関係は「再定義」 の 段階に入る べきだとす る一方で、 沖縄での米 兵による少 女暴行 事 件 が引き起こ した駐日米 軍に対する 現地住民の 反発を解消 しよう と している。 日米双方は1990 年代に軍事協力関係を強化し、日米安保体制の再 定義を行ったが、これは1996 年の「日米安保共同宣言」と「日米物

9 Akio Watanabe, “The Past and future of Japan-U.S. Alliance,” Japan Review of International

Affairs, Vol.15, No.3 (Fall 2001), pp. 171~188; Akio Watanabe, “Has Japan Crossed the

Rubicon? defense policy since the Higuchi Report,” Japan Review of International Affairs, Vol.17, No.4 (Winter 2003), pp. 238~254.

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品 役務相互提 供協定」を 合わせた、 ナイ・イニ シアティブ の具体 的 な実践と言える。1997 年 9 月 23 日には日米は朝鮮半島での「有事」

を前提とし、「日米防衛協力のための指針」(Guidelines for US-Japan

Defense Cooperation)を改定、日米の平時における協力について情報 交 換と政策協 議の面を強 化し、平和 維持、軍縮 、軍備調整 、安全 対 話 の面での協 力も取り入 れた。戦時 の協力につ いては初め て日本 の 「 周辺有事」 に際し、日 米が合同軍 事行動を採 るとし、か ついわ ゆ る 周 辺 有 事 と は 地 理 的 (geographical ) な も の で な く 、「 事 態 (situational)」を指すと強調している。1999 年には「周辺事態安全

確保法」(Law on Situations in Areas Surrounding Japan)まで制定され、 周 辺事態の定 義を「某国 で内乱、内 戦が発生し 、国際問題 に発展 し た とき」を含 めると明確 に示してい る。周辺事 態安全確保 法は一 定 程 度まで米国 との軍事パ ートナー関 係の構築に 関する国内 の政治 的 障壁を排除し、1997 年に決定された「新」日米防衛協力のための指 針につなげられたのである。 言い換える と、北朝鮮 の核兵器危 機や中国の ミサイル実 験など が もたらす不確定な情勢を受け、日米同盟関係は調整の必要があった。 また1997 年の日米防衛協力のための指針に関する検討と改定を経て、 日 米同盟が「 地域的協力 」の性質を 持つという 質的変化が もたら さ れ た。日本の アジア太平 洋地域の地 域安全にお ける役割も 徐々に 従 来 の「専守( 自己)防衛 」などの基 本原則を採 用した安全 政策か ら 変 化し、米同 時多発テロ の発生で、 日米同盟関 係はグロー バルな レ ベルへと拡大するのである。 4 米同時多発テロ以降の日米安保同盟の強化とその影響 変遷の三段 階を経て、 日米同盟関 係は二国間 から地域的 なもの に 広 がり、 経済 から政 治、 軍事の 各レ ベルで の協 力に拡 大し た。1996

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年 に米クリン トン大統領 が訪日し、 橋本龍太郎 首相と発表 した「 日 米 安保共同宣 言」は、日 米両国が冷 戦終結後の 政治と経済 、軍事 戦 略 における不 均衡な発展 が生み出し た「同盟漂 流」と「日 米同盟 の 再 定義」とい った論争か ら抜け出す 両国の軍事 同盟関係の 転換点 と なった。 ブッシュ大 統領の就任 後、日米同 盟はさらに 重視されそ の協力 範 囲の拡大が続き、クリントン時代の、日本が軽視される「ジャパン・ パッシング」の懸念は払拭された。2001 年に米同時多発テロが発生、 日 米同盟はグ ローバル・ レベルでの 軍事協力の 色合いを深 めると 同 時 に、日本の 軍事大国化 を促すこと となった。 自衛隊の軍 備は拡 大 し 、海外派兵 の回数は増 加、また海 外派兵にか かる法制化 と正常 化 が 進み、日本 戦後以来の 「専守防衛 」と「集団 的自衛権」 という 基 本方針にも徐々に調整が加えられた。 (1) 日米同盟がグローバルパートナーシップへと拡大:有事法制の 成立 米同時多発 テロが世界 の秩序に与 えた重大な 影響は、米 国とそ の 他 の同盟国が 弾道ミサイ ルや核兵器 、生物兵器 を含む大量 破壊兵 器 と その関連生 産技術、お よび流通に よる拡散を 積極的に防 止する と い う面に表れ た。アーミ テージ米国 務副長官は 日本も米国 のテロ と の 戦いに協力 し、日米が 二国間同盟 関係を強化 し、いかに 大量破 壊 兵器の拡散を防止するかの点で歩調を合わせるよう求めた。2004 年 6 月にはブッシュ大統領と小泉首相が会談し、双方が大量破壊兵器の 拡 散を防止す る関連措置 を強化し、 ミサイル防 衛システム で緊密 な 協 議を続行す ることで確 認を行った 。これは日 米両国が弾 道ミサ イ ル防衛システム(ballistic missile defense; BMD)の技術を共同開発す

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の拡散防止に対する協力を確認した。これを受け、日米同盟は21 世 紀 初頭にグロ ーバルレベ ルへと拡大 したのであ る。日米同 盟のグ ロ ー バルレベル への拡大と はいわゆる 「テロとの 戦いにおけ る協力 」 を 包括するが 、特に小泉 純一郎首相 は同時多発 テロ事件後 ただち に 米国のテロとの戦いを支援すると決定し、2001 年 10 月 29 日には国 会で「テロ対策特別措置法」(Antiterrorism Special Measures Law)が

成立、「海上保安庁法改正案」、「自衛隊法改正案」の法律3 項目につ いては2 年の時限立法措置が採られた。 日米同盟の 協力範囲は 日本の周辺 事態からイ ンド洋に拡 大し、 ま た 自衛隊のイ ンド洋での 米軍支援の ため、一部 の自衛隊員 は英領 デ ィ エゴ・ガル シア島にも 出動した。 つまり、テ ロ対策特措 法は自 衛 隊 に活動の法 的根拠を与 えたほか、 活動の空間 と範囲を拡 大した の である。 日本は米国のテロとの戦いに合わせ、2003 年 6 月にはさらに「有

事 関 連三 法 」、 す なわ ち「 武 力攻 撃事 態 法案 」(The Law Concerning Measures to Ensure National Independence and Security in a Situation of Armed Attack)「自衛隊法改正案」、「安全保障会議設置法改正案」を 成立させ、日本の武力攻撃事態に対応する基本理念と姿勢を確立し、 自 衛 隊 の 円滑 な 行 動 に必 要 な 措 置を 確 保 、「 有事 法 制 」(contingency laws)の確立を以って日本の緊急事態対応の危機管理体制とし、支 援を行うための法的基礎としたのである。 日本におけ る有事法制 の成立は、 一方では米 国からの圧 力、つ ま りアーミテージ米国務副長官による政策提言報告「アーミテージ・レ ポート10」に応えるものであった。同報告は日本に有事法制を整備し、

10 “The United States and Japan: Advancing Toward a Mature Partnership,” INSS Special report,

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集 団 的 自 衛 権 の 行 使 を 認 め 、 国 連 平 和 維 持 軍 (PKF)への参加凍結 を 解除するよ う求める提 言を行った 。次に日本 の政界も世 代交代 の 時 代に入り、 安倍晋三氏 や石破茂氏 などの戦後 世代や新国 防族が 台 頭 、これら若 手の閣僚が 徐々に日本 政治の主導 権を握って いる。 こ れ に対し、宮 沢喜一氏や 野中広務氏 といった往 年の自民党 内の「 ハ ト 派」が相次 いで表舞台 から退き、 日本の政治 と安全保障 への影 響 力を失っていった。 (2) 日本の「専守防衛」と「集団的自衛権」の調整における解釈と 成果 2003 年 7 月 、 国 会 で 「 イ ラ ク 復 興 支 援 特 別 措 置 法 」( Special Measures Law for Humanitarian and Reconstruction Assistance in Iraq) が 成立し、小 泉政権が陸 上自衛隊を イラクの安 全確保作業 のため 派 遣 すると決定 すると、日 本はこれま で堅持して いた「専守 防衛」 方 針 と「集団的 自衛権」の 行使におけ る課題に直 面した。日 本の超 党 派 議員による 「新世紀の 安全保障体 制を確立す る若手議員 の会」 で 発表された「国の安全保障に関する緊急声明」は、小泉内閣に対し、 北 朝鮮の核兵 器保有を許 さず、弾道 ミサイルを 迎撃する武 器装備 の 配備と、情勢の変化に対応した「専守防衛」方針の検討、「集団的自 衛権」に関する問題の政府解釈の改定、といった提言を行っていた。 しかし、これら超党派議員の表立った行動は、近隣の中国や韓国、 北 朝 鮮 と い っ た 東 ア ジ ア 諸 国 の 注 目 を 集 め た 。 特 に 中 国 の 学 者 が 2002 年から「対日関係新思惟-日中民間之憂」やこれにまつわる論 争を発表したが、2004 年のサッカー・アジアカップの結果やその後 の群衆の動きは、日中間に安保体制の調整が招く「中国脅威論vs 中 国 平和台頭論 」など「民 族感情」に ついての議 論が存在す ること を 明らかにした。

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日本による 日米同盟関 係の変遷と 将来的な発 展に関する 積極的 な 議 論は、朝鮮 半島や台湾 海峡地域な どの東アジ ア地域にお いて冷 戦 が 遺した衝突 が緩和され ていないこ とを反映す るものであ る。日 本 の 新聞メディ アでは日常 的に、北朝 鮮の拉致問 題や工作船 による 領 海 侵犯の懸念 が報道され 、日本の一 般市民や政 治家に日本 は合理 的 で 必要な安全 保障体制を 持つべきだ との注意を 促している 。日本 が 堅 持してきた 「専守防衛 」などの基 本原則は、 既に質的変 化の可 能 性をはらんでいるのである。 第一の質的 変化は日本 が米国の軍 事技術を導 入したり、 米国と 軍 事 技術の共同 開発を行う にあたり、 或いは自衛 隊が日米で 相互利 用 で きる軍備を 大量に配置 することで 、自衛隊の 軍備・作戦 能力が と もに大幅に向上したことである。日本は米国の E-3 早期警戒管制機 と情報交換を行えるよう1998 年と 2002 年に E-767 早期警戒管制機 2 機 を配備し、 さらに日本 の地上レー ダー基地と 太平洋地区 の米国 レ ー ダーステー ションとを 結んで、多 面的で全方 位的な早期 警戒シ ス テムおよび空中指揮統制システムを構築した。次に、日本政府は2004 年 以降の米国 とのミサイ ル防衛シス テムの共同 開発を決定 し、地 対 空ミサイル、パトリオットの「PAC-3」の購入を続行、イージス艦ク ラスのミサイル防衛の迎撃として配備し、100 億米ドルの予算を計上

し2007 年には「戦域弾道ミサイル防衛(Theater of Missile Defense; TMD)」システムを配備している。 第二の質的変化は日米同盟において「日本の防衛」が、「周辺地域 の緊急事態」を重点とするよう拡大されたことである。1997 年 9 月 23 日に発表された「日米防衛協力のための指針」ではアジア太平洋 地 域の緊急事 態が取り入 れられた。 同指針では アジア太平 洋地域 で 緊 急事態が勃 発した際に 、自衛隊は 米軍に対し 、後方補給 や海上 で の 護衛航行、 海域封鎖、 海・空の警 戒、情報提 供、機雷除 去のた め

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の 掃海、武器 装備の輸送 、未確認船 舶の調査、 兵士の護送 、救助 難 民の保護、緊急に必要となる軍事施設と民間港湾や空港の提供など、 直接参戦以外のあらゆる支援を提供しなければならない。2003 年に 成 立した「有 事法制」は 日米の「能 動的な防衛 」メカニズ ムの枠 組 み を提供し、 緊急事態の 発生前に、 デリケート な地域およ び論争 に 介入し、事態の拡大局面をコントロールするものである。

三 日本の主な政治勢力による日米同盟関係の議論

日米同盟関 係は時代の 移り変わり に応じて調 整が加えら れ、両 国 間 の同盟関係 は冷戦時代 とポスト冷 戦時代とを 問わず、国 際関係 の 「 同盟理論」 から予測さ れるプラス の利益と発 展にほぼ完 全に合 致 するものである。 しかしながら、2007 年の世界金融危機の発生以降、米国の経済力 が 低下するに つれ、米国 がアジアか ら撤退する とのうわさ が流れ 、 常 にアジア諸 国から懸念 を持たれて いた。近年 中国の経済 が急発 展 し 、現在日本 を超えて米 国に次ぐ世 界第二の経 済大国とな るにあ た り 、もし中国 が国家の総 合力の向上 をさらに追 求するなら ば軍事 力 の 増強も当然 予測され、 軍事力を十 分に利用し ながら経済 発展の 成 果 を保障する こととなる であろう。 このため、 東アジア地 域にお け る 中国と米国 のリーダー シップの逆 転現象は、 日本がここ 数年来 大 き く注目して いる重要な 争点の一つ になってい る。これは 日本の 主 要 な政治勢力 が、日米同 盟の将来的 な発展につ いて、さま ざまな 見 方と見解を示すところにまで影響が及んでいる。 日本のこれ まで日米関 係に関する 議論は、以 下の図に表 すこと が できる。

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図 日本の主要政治家による代表的な主張(冷戦時代) (出典)筆者整理作成。 中でも社会 党と共産党 は長期にわ たり日米同 盟反対の立 場を採 っ ており、国際社会で平和主義の立場に立ちたいとしている。 上述した吉 田茂首相の 「吉田ドク トリン」か ら、大平正 芳首相 の 「総合安全保障戦略」、橋本龍太郎首相の「日米安保体制の再定義」 に 至るまでの 時期、日本 の政界は「 親米」現実 主義路線を 歩んで い た といえる。 しかし吉田 茂首相の時 期には、自 民党内に「 (国際 ) 中 立路線」、 または「親 米」ナショ ナリズム路 線を唱える 者もあ っ た 。うち吉田 茂首相を中 心とする親 米現実主義 路線と、岸 信介首 相

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を 中心とする 親米ナショ ナリズム路 線が内部で 最大の二大 勢力で 、 そ れぞれ「保 守本流」と 「保守傍流 」と呼ばれ た。そして この二 大 勢 力が手を結 ぶことで、 社会党や共 産党を圧倒 し、自民党 が一党 長 期政権を維持することができたのであった。 日本が1980 年代に世界的な経済大国となるにつれ、自民党内では さ らに急進的 な「反米現 実主義路線 」を提唱す る者も現れ た。石 原 慎太郎氏(現東京都知事)の「No と言える日本」や、小沢一郎氏の 「 日本は普通 の国になれ る」などの 主張である 。この二人 は共に 、 日 本の軍備を 整えるべき であるとい う急進的な 主張をして いるが 、 異 なるのは、 石原慎太郎 氏は急進的 なナショナ リズムの色 が濃く 、 必 要に応じて 軍備を拡張 すべきだと する一方、 小沢一郎氏 はやや 態 度 を留保しつ つ、日本は 国連の枠組 みのもとで 積極的に国 際的業 務 に 参加し、ま た国連の国 際平和維持 活動への参 加を通じ関 連の軍 事 力を強化することを期待した。 日 本 の 各 界 で は そ れ ぞ れ 日 米 同 盟 に 対 す る 異 な る 見 解 は あ っ た が 、基本的に は親米現実 主義路線が 日本の政界 を主導して いた。 こ れは1990 年代に入っても同様で、宮沢喜一首相から橋本龍太郎首相、 小 渕恵三首相 に至るまで すべて親米 現実主義路 線であった 。北朝 鮮 の 核兵器およ び中長距離 弾道ミサイ ル開発によ り朝鮮半島 危機が 、 中国 が台湾に向 けミサイル を発射した ことで台湾 海峡危機が 起こり 、 日 本にとって はこれを機 に軍備拡張 を積極化す ることもで きたが 、 国 内では改革 の基本的な 共通認識が ないことは 明らかであ った。 し か も、橋本龍 太郎政権は 社会党との 連立であり 、小渕恵三 政権も 公 明 党と小沢一 郎氏の自由 党との連立 であったた め、自民党 にとっ て は親米現実主義路線が唯一の選択肢であった。 2000 年以降は親米ナショナリズム路線が、政界の主流見解となっ て いった。理 由として「 日米安保体 制の再定義 」による日 米同盟 の

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適 用範囲の拡 大、そして 米同時多発 テロ事件を きっかけと した日 米 同 盟関係のグ ローバルレ ベルへの広 がりがある 。より重要 な要素 と し て、中国の 勢力台頭が あり、日本 は小泉純一 郎首相から 安倍晋 三 首 相、麻生太 郎首相まで 徐々に親米 ナショナリ ズム路線へ シフト し ていった。 日本経済新 聞社のベテ ラン記者、 春原剛氏の 分析による と、こ れ ま で日本の主 要な政治勢 力を分類し てきた親米 保守、反米 保守、 親 米 自由主義、 反米自由主 義などのく くりでは、 既に現時点 の主要 な 政治勢力と日米関係に対する見解を説明するのは難しい11。現段階の 日本の主要な政治勢力は、日米同盟に対する見解、対中政策の主張、 憲 法改正の主 張、核兵器 に対する主 張に応じて 、親米現実 主義、 親 米ナショナリズム、親米穏健派、反米穏健派、反米ナショナリズム、 反米自由主義の6 勢力に分類できるとしている。(表参照) 表からもわ かるように 、小泉純一 郎首相から 安倍晋三首 相、麻 生 太 郎首相まで は、親米ナ ショナリズ ムが政界を 掌握してい た。彼 ら の 主張は、日 米同盟を強 化し、英米 同盟のよう な特殊な同 盟関係 を 目 指すという ものである 。またこの 一派は中国 に対し日本 の潜在 的 脅 威であると いう見方を しているた め、安全保 障における 日本の 役 割 を拡大、憲 法改正をも 行ったうえ で核兵器を も保有する として い る 。彼らが日 本の核兵器 保有を求め るのは、単 に米国が日 本に対 し て 本当に「核 の傘」によ る保護の約 束を具体的 に履行する かにつ い て、不信感を持っていることの表れにすぎない。

11 Tsuyoshi Sunohara, “The Anatomy of Japan’s Shifting Security Orientation,” The

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表 現階段での日本の主要な政治勢力 政治勢力 日米同盟に 対する見解 中国に 対する主張 憲法改正に 対する見解 核兵器に 対する主張 代表的な 人物 親米 現実主義 現状維持 戦略的 三角関係 現状維持 非核三原則 の維持 福田康夫 橋本龍太郎 小渕恵三 親米 ナショナリ ズム 英米同盟に 準ずる 潜在的威脅 安全保障に おける日本 の役割拡大 必要があれ ば変更可 麻生太郎 安倍晋三 小泉純一郎 親米 穏健派 既存の枠組 みのもとで 日本の自主 性を模索 協力するが 一定の距離 を保持 憲法維持だ が、再解釈 は可能 非核三原則 の維持 前原誠司 岡田克也 反米 穏健派 より大きな 自 主 性 模 索、国連業 務参加で普 通の国を目 指す 戦略的三角 関係 現状維持だ が再解釈は 可能 非核三原則 の維持 鳩山由紀夫 小沢一郎 反米 ナショナリ ズム 完全自主も 米国との協 力関係を維 持 威脅 日本の主権 回復 あいまい 平沼糾夫 石原慎太郎 反米 自由主義 国際的中立 を維持 親中 現状維持 核兵器を永 遠に放棄 社民党

(出典)Tsuyoshi Sunohara, “The Anatomy of Japan’s Shifting Security Orientation,” The

Washington Quarterly, Vol.33, No.4 (October 2010), p.44.

しかし、2009 年の民主党への政権交代以降、鳩山由紀夫氏、小沢 一 郎氏が日本 の政界を主 導すること となり、日 米同盟関係 につい て の 論争が起こ った。特に 普天間基地 の移転問題 では日米両 国で論 争 が起こり、同盟関係はほぼ1990 年代初頭の「同盟漂流」の状態まで 後退した。 鳩山由紀夫 氏は政権の 座に就くと 、米国の国 力低下と活 力ある ア ジア新興国の経済体に向き合う中で、「東アジア共同体」構想を提唱

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し 、アジアの 隣国との友 好関係をよ り重視する 構えをみせ た。ま た 鳩 山首相は「 対等な日米 関係」を呼 び掛け、日 本により大 きな自 主 権 が与えられ るよう求め た。しかし 、鳩山首相 の「日本・ 中国・ 米 国 」の等距離 の正三角形 の関係とは その実践に おいて極め て大き な 問 題に直面す る。春原剛 によると、 主な原因は 鳩山政府が 官僚の 交 渉 力を十分に 活用できな いと同時に 、鳩山首相 も自身のパ イプを 使 っ て米国にメ ッセージを 明確に伝え られず、米 国が全くこ れに応 じ ることができなかったことにある12。米国の政治学者、ジョージ・パ ッカード氏も、一種の「不器用」な外交(ham-handed diplomacy13 であったとの認識を示した。 民主党は2009 年の衆議院選挙で政権の座に就いてからこれまで 2 年足らずのうちに、外交と内政において数多くの課題を抱えてきた。 外 交では尖閣 諸島問題に おける中国 との対立が 深刻化し、 ロシア の ドミトリー・メドベージェフ大統領が 2010 年 11 月 1 日、南千島列 島(「北方四島」とも呼ばれる)の国後島を初訪問し、日露間で深刻 な領土論争を引き起こした。さらに2010 年 3 月に韓国哨戒艇沈没事 件(天安沈没事件)、同年 11 月には延坪島砲撃事件などが発生、こ う いった外交 の変化の中 、日本の安 全保障政策 はいかに効 率的に 対 応 す る よ う 適 切 な 策 定 が 行 わ れ る べ き か を 視 野 に 、 与 党 民 主 党 は 2010 年末に「中期防衛力整備計画」などを策定、防衛の重心を北方 諸 島から南西 諸島へと移 し、海上の 防衛力を強 化するとと もに中 国 を 重点的な防 衛対象とし た。なお、 民主党は同 文献以外に 、具体 的 かつ有効な行動指針を持っていない。

12 同上、pp.51~52。

13 George R. Packard, “The United-States-Japan Security Treaty at 50: still a grand bargain?”

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鳩山政権時 代に最も批 判を受けた 外交政策は 、鳩山首相 の主張 す る「 対等な日米 関係」や「 日・米・中 関係の等距 離構想」、「駐日 米 軍 基地の調整 」であった 。しかし鳩 山首相はそ の任期中、 普天間 基 地 の移設問題 を適切に処 理できなか ったばかり か、選挙公 約とし て 掲げた「米軍基地の沖縄以外の地域への移転」も実現できなかった。 こ れが社会民 主党の政権 離脱を招い たほか、鳩 山内閣自身 も就 任 8 カ月足らずで支持率20%を割りこんだことで、辞任に追い込まれ、 民主党は菅直人氏を次期首相に選出した。 菅政権の対 米政策は緊 密な日米関 係を維持す る構えをみ せた。 鳩 山前首相の「対等な日米関係」に対し、菅首相は「緊密な日米関係」 を 強調、その 差は菅首相 の実務的な 態度と行動 に表れた。 菅首相 が 2010 年 9 月 23 日に米オバマ大統領と会見した際両国は、日米同盟は 世 界の安全の 礎であり、 地域安全に とって極め て重要で、 かつ日 米 両 国が太平洋 地域におい て長期的な 利益を有す るものであ ると改 め て 表明した。 米軍の普天 間基地移転 問題につい て菅直人首 相は、 日 本政府が両国が 5 月に発表する日米共同声明の協議内容において実 現 すると強調 した。菅首 相が沖縄の (基地)負 担の軽減に 尽力す る と 表明し、オ バマ大統領 も理解を示 したものの 、菅首相は 米軍基 地 に 対し揺れ動 き続けた鳩 山前首相の 姿勢を踏襲 しないとの 考えを 示 し た。菅首相 はまた、オ バマ大統領 に対し、日 本が進める 東アジ ア 共同体の活動は将来的に米国をも含めると表明した。 前原誠司前外相は、ウォールストリート・ジャーナルのインタビュ ー(2010 年 9 月 17 日)に応え、米ヒラリー国務長官と会見した際、 双 方が今後の 日米戦略の 対話におい て、朝鮮半 島や中国、 その他 ア ジ ア諸国の情 勢、イラン の核開発問 題、アフガ ニスタン、 パキス タ ン 、中東和平 プロセスな どの分野で 緊密な協力 を行ってい くこと に 同 意したと述 べた。また 前原前外相 は、民主党 が構築を推 進する 東

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アジア共同体は、米国をその枠組みの外に置くことは「なく」、逆に 日 本は米国と ともに自由 市場を立ち 上げたいと 期待してお り、こ れ こ そが東アジ ア共同体の 意義である と語った。 日本と米国 は率先 し て 自由貿 易シ ステム を構 築し、 環太 平洋戦 略的 経済連 携協 定(TPP: Trans-Pacific Partnership)など関連の問題を討議していくとの意向を 示した。 民主党政権 のもとで日 米関係が真 の意味で転 換点を迎え たのは 、 2010 年 3 月の韓国哨戒艇沈没事件と 11 月の延坪島砲撃事件を受け、 米 国が全面的 に韓国を支 援したこと にある。米 国は韓国と 行った 合 同 軍事演習に 日本からの 視察を要請 し、米国が 日本と行っ た演習 に は韓国からの視察を要請した。これらは2010 年 12 月 3 日から 8 日 間 にわたる大 規模な軍事 演習などで 、米海軍の 空母「ジョ ージワ シ ン トン号」も 参加した。 この時の演 習はミサイ ル防衛を中 心とし た 空 中作戦を主 とし、沖縄 東部や四国 南部、九州 西部の島嶼 防衛な ど 制海権と制空権を確保する演習であった。2011 年 1 月に日米が九州 で行った「山桜」軍事合同演習では、米兵1,500 人と自衛隊員 4,500 人 が参加した 。国際メデ ィアによる と、同演習 は日米が弾 道ミサ イ ル 攻撃により 日本の南西 の主要島嶼 が攻撃を受 けたとの仮 想下で 行 わ れ、つまり 北朝鮮のミ サイル攻撃 などの各種 の脅威や、 この区 域 に おける中国 海軍の影響 に対応する ため、日本 が南西諸島 の防御 を 強化するというものであった。2011 年 2 月 28 日には米韓、日米が同 時 に合同軍事 演習を行い 、米国と日 本のイージ ス艦が初め て弾道 ミ サイルを迎撃する模擬演習を行った。 民主党政権 のもとでの 外交および 安全保障政 策上で、比 較的具 体 的な成果とされるのは 2010 年末に策定された「防衛計画の大綱14

14 「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書、2009 年 8 月、http://www.kantei.go.jp/jp/

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で あり、日本 はいわゆる 「南西諸島 の防衛戦略 」を強調す る傾向 に あ る。民主党 は政権の座 に就いてか ら、著名な 国際関係学 者や各 界 著名人を改めて招聘し、岩間陽子(政策研究大学院大学教授)、佐藤 茂雄(京阪電気鉄道CEO)、白石隆(日本貿易振興機構アジア経済研 究所 所長)、添谷 芳秀(慶応 義塾大学法 学部教授 )、中西寛(京 都 大 学大 学院法学研 究科教授 )、広瀬崇子( 専修大学法 学部教授 )、松 田 康博(東京大学東洋文化研究所准教授)、山本正(財団法人日本国際 交流センター理事長)、伊藤康成(三井住友海上火災保険顧問、元防 衛事 務次官)、加 藤良三(前 駐米大使 )、齋藤隆(前 防衛省統合 幕 僚 長 )の各氏に よる「防衛 力整備に関 する有識者 懇談会」か ら「佐 藤 報 告」と呼ば れる「防衛 計画の大綱 」の改定に 向けたたた き台が 提 出された。 同 報告の主な 内容は以下 の通りとな っている 。(1)日本の防衛は 「平 和の創造」 を目指す 。(2)日本は米国との同盟協力関係を強化 し 、緊密な日 米軍事協力 の前提のも と、韓国や オーストラ リアな ど の諸 国と防衛協 力をも強化 、ロシアや 中国とも対 話を進める 。(3) 日 本と周辺地 域が直面す るおそれの ある脅威と は、不確定 な朝鮮 半 島 情勢や、中 国の台頭に よる地域パ ワーバラン スの変化、 および 中 東 ・アフリカ 地域から日 本近海の海 岸線と沿岸 諸国にかけ ての不 確 定要素である。(4)日本の対応策とは、米国家安全保障会議(NSC) に準ずる日本版NSC 設置の再検討、武器輸出三原則の改正の再検討、 防 衛問題を専 門に研究す るシンクタ ンクの設立 、南西諸島 の防衛 戦 略 と 軍 備 の 強 化 に よ る 監 視 能 力 の 発 揮 で あ る 。 同 報 告 は 上 述 し た 日 ・米・韓の 三カ国が相 次いで行っ ている二国 間或いは多 国間の 合 同 軍事演習の スケジュー ルとの重複 が多くみら れ、今後の 同報告 の

singi/ampobouei2/090928houkoku_j.pdf。

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影響に関してはさらに踏み込んで観察するに値するであろう。 いわゆる南西諸島の防衛戦略とは、主に 2 方面の戦略に基づくも の で 、 第 一 に は 中 国 海 軍 の 遠 洋 へ の 拡 大 に 対 応 す る も の で あ る15 2010 年 3 月中旬に、軍艦 6 隻と搭載ヘリコプター2 機から成る北海 艦 隊の混合機 動編隊が、 中国を囲む 領海線内で 遠洋訓練を 実施、 同 編 隊は渤海か ら黄海、東 シナ海、太 平洋、南シ ナ海海域を 通過し 、 全航程では三大艦隊と 5 区分の兵士が参加し対抗した。同艦隊は沖 縄 本島と宮古 島の間の宮 古海峡を通 過し、バシ ー海峡から マラッ カ 海 峡の東海域 を抜けた。 日本にとっ て、中国の 海軍が宮古 海峡を 通 過 するという ことは、中 国海軍が第 一列島線を 通り抜けら れるほ ど の 実力を備え たことを意 味する。こ れを受け日 本は、宮古 島への 駐 屯 で中国海軍 による第一 列島線の通 過の監視ま たは阻止を 検討し て いる。産経新聞が 2010 年 7 月 25 日に報道したように、日本は潜水 艦 の数を増や し、海上防 衛の重点を 南西海域に 移し「中国 海軍へ の 対 抗」を検討 している。 また、与那 国島への駐 屯による防 空識別 圏 の拡大も検討している。共同通信は 2010 年 7 月 20 日、防衛省は 5 ~8 年の期間をかけ、沖縄と尖閣諸島の間にある宮古島と石垣島に 「 国境警備部 隊」を、与 那国島には 陸上自衛隊 の「沿岸監 視部隊 」 を配備し、「東シナ海での活動を活発化する中国海軍に対応」し、主 に 「中国海軍 の監視」に より周辺海 域の監視・ コントロー ル力を 高 める方針であると報道した。 二番目の要因は資源である。日中両国は2008 年 6 月に東シナ海ガ ス 田開発問題 の原則につ いて共通認 識を確立し 、境界線画 定前の 過

15 防衛省防衛研究所は 2011 年 3 月に「中国安全保障レポート」を作成、同レポートの 12~17 ページには、中国海軍の遠海機動作戦能力が向上し、南シナ海と東シナ海で 訓練を行っていることについて、詳細な説明と分析がなされている。「中国安全保障 レポート」防衛省防衛研究所編(防衛省防衛研究所、2011 年)、12~17 ページ。

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渡 期には、双 方が法的立 場を損なう ことなく協 力を進める ことで 同 意した。しかし、日本が2007 年に制定した「海洋基本法」は東シナ 海 およびその 他日本の周 辺海域に及 ぶ問題を戦 略的観点に 基づき 処 理 しようとす るものであ り、東シナ 海問題にお いて日本の 態度は よ り強硬となることが予想される。

四 結論─東アジア地域の秩序における日米同盟関係

の重要性

日米同盟関 係は米国と 日本の重要 な外交・防 衛戦略とい うだけ で な く、東アジ ア地域の安 定と世界の 平和に極め て大きな影 響力を 持 っ ている。し かしながら 、日米両国 は同盟関係 に対する見 解の相 違 が ないわけで はない。米 国は日本が 長年の経済 問題で自衛 隊の軍 備 増 強を支える ことができ るのかどう かについて 深い懸念を 示して い る 。また日米 間の貿易摩 擦が日米軍 事同盟に影 響するのか どうか 、 米 国は日本で 台頭するナ ショナリズ ムを牽制す ることがで きるか な どの懸念もある。日本にとっては、東アジア地域の地政学的な関係、 特 に日本と隣 国間との関 係の移り変 わりが、外 務省や防衛 省とい っ た政府の各部門でさまざまな論争を生み出している。 このほか、 米国が懸念 するように 中国が今後 継続して軍 事力を 強 化 するならば 、日米双方 が等しく義 務を負担す る一般の同 盟関係 を 確 立するため に、日本は 禁止してい る「集団的 自衛権の行 使」に 関 連 する問題に 真剣に向き 合う必要が あり、これ こそが現段 階の日 米 同盟関係に相応しいと言える。 今後の日米 同盟の発展 を見据え、 とりわけ東 アジア諸国 からす る と 、日本がい かに「国家 安全保障基 本法」とそ の内容を制 定する か は 非常に関心 の高い問題 である。特 に米国は軍 事展開のグ ローバ ル な 調整を行う と表明して いるため、 アジア太平 洋地域の米 軍配置 に

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は 極めて大き な変化が発 生する可能 性がある。 よって、日 米同盟 が グローバルレベルへと拡大し、「普通の国」のものとしての日本政府 と 自衛隊を実 現するにあ たり、次の 段階では必 ず東アジア 地域の 安 全秩序に変化がもたらされることになるであろう。 翻訳:津村あおい(フリーランス翻訳者) (寄稿:2011 年 5 月 11 日、採用:2011 年 6 月 8 日)

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美日同盟關係的演變與

東亞區域秩序的未來

楊 鈞 池

(高雄大學政法系副教授)

【摘要】

2010 年是美日修訂安保條約後 50 周年,從 1960 年代起,美日安保 體 系的演變大 致可以區分 為四個階段 :從原本只 是偏重於雙 邊的經 貿 關係,逐漸朝向政治夥伴關係,以及建立制度性的協商機制;到了1990 年代起則致力於在區域層級建立軍事同盟關係;進入2000 年以來,美 日同盟關係更跨向全球議題的合作。但是2009 年日本民主黨執政後, 由於民主黨政府較重視「東亞共同體」,認為日本有必要強化與亞洲鄰 國的友好關係;至於美日關係則朝向「對等的美日關係」,讓日本有更 大 的自主權。 然而鳩山前 首相的「日 本、中國、 美國」三角 等距離 關 係 在實踐上卻 出現相當大 的爭議,鳩 山前首相甚 至因此而付 出沉重 的 政 治代價。而 日本民主黨 執政時期美 日同盟關係 陷入低潮的 影響, 對 東亞區域秩序產生相當大的影響。 關 鍵字:美日 關係、美日 安保條約、 美日同盟、 日本自民黨 、日本 民 主黨

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Evolution of the U.S.-Japan Alliance and

Future of East Asia

Chun Chih Yang

Associate Professor, Department of Government and Law, National University of Kaohsiung

Abstract】

On January 19, 1960, U.S. Secretary of State Christian Herter and Japanese Prime Minister Nobusuke Kishi signed a historic treaty, in which U.S. gained basing rights in exchange for securing the Japanese homeland. Since the 1960s, the evolutions of U.S.-Japan security system can be roughly divided into four phases: from the original sole emphasis on bilateral economic and trade relations to the gradual establishment of political partnership and a system of consultation mechanisms. After the 1990s, U.S. and Japan tried to establish a military alliance at the regional level, an alliance that progressed towards cooperation on global issues after entry into the new millennium. However, when the Democratic Party of Japan came into power in 2009, its higher emphasis on “East Asian Community” oriented Japan towards strengthening friendly relations with its Asian neighbors. Hence, U.S.-Japan relations face a new landscape: one in which the new Japanese government wants more autonomy. However, Prime Minister Hotoyama’s “Japan-China-U.S.” equidistant triangular relationship has generated considerable controversy in practice, leading Prime Minister Hatoyama to pay a heavy political price. The ham-handed diplomacy of the ruling Democratic Party of Japan and the downturn in US-Japan alliance have a considerable impacts on the regional order in East Asia.

Keywords: U.S.-Japan Relation, U.S.-Japan Security Treaty, U.S.-Japan Alliance, Liberal Democracy Party (Japan), Japan Democratic Party

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〈参考文献〉 「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書、2009 年 8 月、http://www.kantei.go.jp/jp/ singi/ampobouei2/090928houkoku_j.pdf。 「中国安全保障レポート」防衛省防衛研究所編(防衛省防衛研究所、2011 年)。 五百旗頭真『戦後日本外交史』(有斐閣、1999 年)。 小沢一郎『日本改造計画』(講談社、1993 年)。 鳩山由紀夫「私の政治哲学」『Voice』2009 年 9 月号。 船橋洋一『同盟を考える』(岩波書店、1998 年)。 渡邉昭夫「日米同盟の史的概観」渡邉昭夫・北岡伸一編『日米同盟とは何か』(中央公 論社、2011 年)、21 ペ-ジ。 國防部史政編譯室譯、Gerald L. Curtis 著『美日關係的新觀點』(台北:國防部史政編譯室、 2002 年)。

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Watanabe, Akio, “The Past and future of Japan-U.S. Alliance,” Japan Review of International

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數據

図  日本の主要政治家による代表的な主張(冷戦時代)  (出典)筆者整理作成。    中でも社会 党と共産党 は長期にわ たり日米同 盟反対の立 場を採 っ ており、国際社会で平和主義の立場に立ちたいとしている。   上述した吉 田茂首相の 「吉田ドク トリン」か ら、大平正 芳首相 の 「総合安全保障戦略」、橋本龍太郎首相の「日米安保体制の再定義」 に 至るまでの 時期、日本 の政界は「 親米」現実 主義路線を 歩んで い た といえる。 しかし吉田 茂首相の時 期には、自 民党内に「 (国際 ) 中 立
表  現階段での日本の主要な政治勢力  政治勢力   日米同盟に 対する見解 中国に 対する主張 憲法改正に対する見解 核兵器に 対する主張 代表的な人物 親米 現実主義 現状維持 戦略的 三角関係 現状維持 非核三原則の維持 福田康夫 橋本龍太郎 小渕恵三 親米 ナショナリ ズム 英米同盟に準ずる 潜在的威脅 安全保障における日本の役割拡大 必要があれば変更可 麻生太郎安倍晋三 小泉純一郎 親米  穏健派 既存の枠組みのもとで 日本の自主 性を模索 協力するが一定の距離を保持  憲法維持だが、再解釈は可能

參考文獻

相關文件

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東協 10 國與中國、日本、韓國、紐西蘭、澳洲等 5 國在 15 日簽署「區域全面經

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