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1915(大正 4)年 9 月 5 日生於豐原,本名賴銘煌。

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(1)

附錄(一)

賴明弘之作品目錄與主要文化活動

編 號

發表作品篇名 發表之刊物 時間 註

1915(大正 4)年 9 月 5 日生於豐原,本名賴銘煌。

1931(昭和 6)年 12 月 24 日於《台灣新聞》發表〈做個鄉土人的感想〉(包括此篇文章在內,

1932 年發表的部分討論鄉土文學之篇章,目前散佚未見)後,開始加入鄉土文學•台灣話文論 爭,支持中國白話文與普羅文學。

1 俺達の文学の誕生について--一 つの提議

台灣文學 2 卷 1 號

1932 昭和 7 年

2 月 1 日 18 歲

2 兩個駁論 台灣文學

2 卷 3 號

1932 昭和 7 年

6 月 25 日 18 歲 3 對最近文壇上的感想(一) 新高新報

337 號

1932 昭和 7 年

8 月 26 日 18 歲 4 對最近文壇上的感想(二) 新高新報

340 號

1932 昭和 7 年

9 月 16 日 18 歲 1933(昭和 8)年 7 月,與賴慶獲聘《新高新報》特約記者。

5 「文藝春秋」專欄 新高新報 390 號

1933 昭和 8 年

9 月 8 日 19 歲 6 「文藝春秋」專欄 新高新報

391 號

1933 昭和 8 年

9 月 15 日 19 歲 7 「文藝春秋」專欄 新高新報

392 號

1933 昭和 8 年

9 月 22 日 19 歲 8 對 鄉 土 文 學 台 灣 話 文 徹 底 的 反 對

(一)

台灣新民報 954 號

1933 昭和 8 年

10 月 16 日 19 歲 9 對 鄉 土 文 學 台 灣 話 文 徹 底 的 反 對

(二)

台灣新民報 956 號

1933 昭和 8 年

10 月 18 日 19 歲 10 對 鄉 土 文 學 台 灣 話 文 徹 底 的 反 對

(三)

台灣新民報 957 號

1933 昭和 8 年

10 月 19 日 19 歲 11 對 鄉 土 文 學 台 灣 話 文 徹 底 的 反 對

(四)

台灣新民報 958 號

1933 昭和 8 年

10 月 20 日 19 歲 12 對 鄉 土 文 學 台 灣 話 文 徹 底 的 反 對

(五)

台灣新民報 959 號

1933 昭和 8 年

10 月 21 日 19 歲 1934(昭和 9)年 2 月 2 日,《新高新報》第 410 號「漢文總支社啟事」刊載,漢文欄為期與和 文並駕齊驅而做出人事更動,賴明弘名列編輯擔當者。

13 論戰 絕對反對建設台灣話文推翻一 切邪說(一)

新高新報 410 號

1934 昭和 9 年 2 月 2 日

20 歲

(2)

14 論戰 絕對反對建設台灣話文推翻一 切邪說(二)

新高新報 411 號

1934 昭和 9 年

2 月 9 日 20 歲 15 論戰 絕對反對建設台灣話文推翻一

切邪說(三)

新高新報 412 號

1934 昭和 9 年

2 月 16 日 20 歲 16 「新高評論」專欄 新高新報

412 號

1934 昭和 9 年

2 月 16 日 20 歲 17 論戰 絕對反對建設台灣話文推翻一

切邪說(四)

新高新報 414 號

1934 昭和 9 年

3 月 2 日 20 歲 18 論戰 絕對反對建設台灣話文推翻一

切邪說(五)

新高新報 415 號

1934 昭和 9 年

3 月 9 日 20 歲 19 論戰 絕對反對建設台灣話文推翻一

切邪說(六)

新高新報 416 號

1934 昭和 9 年

3 月 16 日 20 歲 20 論戰 絕對反對建設台灣話文推翻一

切邪說(七)

新高新報 417 號

1934 昭和 9 年

3 月 23 日 20 歲

【備註】《新高新報》418 號刊載〈領臺以來の大思想犯 臺共公判開始──果して全被告がマ ルキスト?辯護人の意見を聽く〉,之後在新高新報上大幅報導一系列被審判人的相關介紹。賴 明弘的連載有此號開始便暫停刊出,到一個月後再刊,422 號同時刊出〈吾島空前未有之全島文 藝大會──訂來五月六日之佳日,各地文星將集於臺中〉。之後陸續有關於台灣文藝的報導。

21 論戰 絕對反對建設台灣話文推翻一 切邪說(完)

新高新報 422 號

1934 昭和 9 年

4 月 29 日 20 歲 1934(昭和 9)年 5 月 6 日,參加第一次台灣文藝聯盟大會。

22 哀春榮先生 台灣新民報 1934 昭和 9 年 4 月

缺 20 歲 23 敬呈全島文藝同志書 台灣新民報 1934 昭和 9 年

5 月 20 歲 1934(昭和 9)年 5 月 6 日,和張深切與林越峰等糾和召開第一回全島文藝大會,結成台灣文藝 聯盟。11 月發刊《台灣文藝》。

1934(昭和 9)年 5 月 15 日,《新高新報》「編輯餘墨」刊登「本報漢文欄編輯主任賴明弘氏,

邇來身體漱弱,有害健康,是故乃辭厥職,欲渡內地,轉地靜養,本報諸同人,莫不為之惋惜 也。」

1934(昭和 9)年 10 月 5 日,《新高新報》「編輯餘墨」刊登「本社前漢水編輯主任賴明弘因健 康上辭退後上京靜養,現住在東京市本鄉區本鄉一丁目十三之二、定兼方。」

1934(昭和 9)年 10 月,楊逵〈新聞配達夫〉登上日本文壇,發表在《文學評論》。

24 讀者評壇——殖民地文學指導せよ 東京:文學評論 1 卷 9 號

1934 昭和 9 年

11 月 1 日 20 歲 1934(昭和 9)年 11 月 5 日,台灣文藝聯盟的機關誌《台灣文藝》創刊號發行。

1934(昭和 9 年)12 月 2 日,與蔡嵩林訪問郭沫若於東京。

25 郭沫若先生的信 台灣文藝 2 卷 2 號

1935 昭和 10 年

2 月 1 日 21 歲

(3)

26 訪問郭沫若先生 台灣文藝 2 卷 2 號

1935 昭和 10 年

2 月 1 日 21 歲 1935(昭和 10)年 3 月 30 日,《新高新報》「編輯餘墨」刊登「元本報漢文部編輯賴明弘君自 去年九月初旬,抱遠志而負笈東都,在京研究文藝,稗益斯途不尠,此回歸來,仍在本報編輯部 活躍,幸祈讀者諸彥,倍舊愛顧,是荷。」

1935(昭和 10)年 4 月 20 日,《新高新報》第 470 號「編輯餘墨」刊載「前般所聲明本報漢文 欄編輯係賴明弘君『自東都歸台後,仍在編輯部活躍之事』奈因同氏依然身體軟弱,現在自宅靜 養中,數日前曾寄郵到社,聲明辭退云。」

1935(昭和 10)年 4 月 21 日發生大地震,中部受災嚴重,賴明弘和文聯同人一起投入救災。

27 漢譯:森次勳〈中國文壇的近況〉 台灣文藝 2 卷 5 號

1935 昭和 10 年

5 月 5 日 21 歲 28 感想•書信——我們目前的任務

(與此同時,也刊載了台灣文藝與在京台灣 人刊物『フオルモサ』合流的消息)

台灣文藝 2 卷 5 號

1935 昭和 10 年

5 月 5 日 21 歲

1935(昭和 10)年 5 月到 6 月,圍繞文聯的編輯論爭先由惡龍之助點燃,後因 6 月 1 日楊逵回應 贊成惡龍之助而擴大,論爭延燒整個 6 月。

1935(昭和 10)年 6 月 8 日,《新高新報》刊登【社告 漢文總支社記者 賴明弘 右記今般依 願退社,特此社告】,正式宣布賴明弘退職。

1935(昭和 10)年 6 月 10 日,《台灣文藝》「編輯後記」刊登「編輯のことは次號から楊逵 氏、賴明弘氏、陳瑞榮氏に援兵して貰ひます」,賴明弘加入台灣文藝雜誌編輯群。

29 編輯後記 台灣文藝

2 卷 7 號

1935 昭和 10 年

7 月 1 日 21 歲

30 編輯後記 台灣文藝

2 卷 8、9 號

1935 昭和 10 年

8 月 4 日 21 歲 1935(昭和 10)年 8 月 11 日,參加第二次台灣文藝聯盟大會。

31 詩〈病褥吟之一〉、〈病褥吟之 二〉、〈病褥吟之三〉

台灣新聞之原文未 見,引自月中泉漢譯

1935 昭和 10 年

10 月 21 歲 1935(昭和 10)年 12 月,協力台灣新文學社,與鄭定國、林快青、賴明弘、江燦林四人提倡殖 民地文學理論,並開始創作之路。

32 反省と志向 台灣新文學

1 卷 1 號

1935 昭和 10 年

12 月 28 日 21 歲 33 台灣新文學社第二回檢討會 台灣新文學之新文學

月報(第一號)

1936 昭和 11 年

2 月 6 日 22 歲

34 明信片 台灣新文學之新文學

月報(第一號)

1936 昭和 11 年 2 月 6 日

22 歲

35 小說〈夏〉 台灣新文學

1 卷 2 號

1936 昭和 11 年 3 月 3 日

22 歲

36 小說〈魔の力——或ひは一時期〉 台灣新文學 1 卷7號

1936 昭和 11 年 3 月 3 日

22 歲

37 小說〈結婚した男〉 台灣新文學 1937 昭和 12 年 23 歲

(4)

2 卷 2 號 1 月 31 日

1937 年(詳細日期不明)大阪朝日新聞的「南島文藝欄」刊登賴明弘〈臺灣作家の行くべき 途〉。

38 《台灣日日新報》刊載賴明弘小說

〈 秋 風 立 つ 〉 入 選 佳 作 , 小 說 未 見。

台灣日日新報 第 13435 號,頁 8

1937 昭和 12 年 8 月 18 日

23 歲

39 〈 隨 感 — — 新 し き 年 を 迎 へ て 〉

(二回連載)

台灣新民報 1938 昭和 13 年 1 月 1、3 日

缺 24 歲 40 詩〈或る少女の墓前を捧げる〉 台灣新聞 1938 昭和 13 年

5 月 27 日

缺 24 歲 41 小說〈曇花〉

(三回連載)

台灣新民報 1938 昭和 13 年 12 月 8∼10 日

缺 24 歲 1939(昭和 14)年 12 月,前進中國戰區,任記者一職。

42 鄉土隨筆集〈行雲片片〉 台灣新民報 1939 昭和 14 年 5 月 7 日

缺 25 歲 43 〈或旅行者の手記〉

(三回連載)

台灣新聞 1940 昭和 15 年

1 月 24、27、31 日 26 歲 44 劇作〈或る夜の出來事〉 台灣新聞 1940 昭和 15 年

3 月 23 日 26 歲 1941(昭和 16)年 5 月 4 日,回台結婚。

45 〈公餘漫記〉 台灣藝術 1943 昭和 18 年 9 月 1 日

缺 29 歲 46 〈重見祖國之日——台灣文學今後

的前進目標〉

上海 新文學(半月刊)

1946 民國 35 年

2 月 32 歲 47 〈六•一七有感〉 和平日報「新世紀」

副刊,第 18 期

1946 民國 35 年

6 月 17 日 32 歲

49 〈光復雜感〉 新知識

第 1 期

1946 民國 35 年

8 月 15 日 32 歲 1948(民國 37)年 8 月 1 日,與廖毓文任台灣省通志館協纂。

1954(民國 43)年,台北市文獻委員會發行的《台北文物》,計畫出刊「新文學、新劇運動專 號」,邀請到日治時期從事這些運動的工作者會聚一堂。

50 〈台灣文藝聯盟創立的斷片回憶〉 台北文物 3 卷 3 號

1954 民國 43 年

12 月 10 日 40 歲 51 〈豐原志初稿〉 中縣文獻

第 1 期

1955 民國 44 年

6 月 41 歲 1956(民國 45)年,台語片「薛平貴與王寶釧」的熱賣,帶動了往後數年間台語片的熱潮,賴明 弘、林越峰等人加入豐原臺灣影業公司的班底,賴明弘在當時曾任電影〈血戰噍吧哖〉編劇。

1958(民國 47)年 3 月 29 號逝世於豐原,享年 44 歲。

(5)

附錄(二)

賴煌〈或旅行者の手記〉

(一)

一月六日 快晴

旅を好まない性分ではあるが氣分の轉換と人生再出發の意味で明治温泉ゆきを決行 した。自分に取つて此の新しい年頭真劍に再出發を誓つた事はなかつた。

向ふべき道は判然と解つてゐながら確かに自分は岐路にさ迷ふてゐる。

何故さ迷ふか!それは云ふ迄もなく非知性の結果であつた。

今年はその岐路を決然と自己の知性に向つて前進したい。

「宿命」私の常用語であるがそれは諦められない諦めの世界に沈淪してゐるのでは なからふかそして自分はやつぱり唯の人間でしかなかつたと強く深く知つて來たやうに 思ふ。又今年程、今年と去年とをはつきり感じた年もなかつた。社の庭で祈りながら深 夜の鐘を聞く心、餘音惻惻として胸に迫まるその哀調を生れて始めて體驗した時胸をし めつけられるやうに苦しかつた。

無限を包むエタイの知れない空氣を透して鐘の音が私の心を抉ぐるそして何人の假 借もなく我れに再出發を促す。

空は秘中の秘をひめてゐる樣に見える。

星のささやき、石燈籠のにぶい光り。

境內の樹木の葉ずれ、參道の砂利を物靜かに踏んで來る人のかげ、どれを見ても寂 寞感を唆らないものはない。

無限に擴がつて行つては無限に響いて來る鐘の音、私は靜かに頭を下げた「元旦」。

私の心はあの大きな撞木で胸を撞がれるやうにたへがたい。

わがきみの御代やすかれとわが 祈るやしろの庭に除夜の鐘きく

✕ ✕

十時二十七分の汽車に乘り込む車內にも春の氣配が見えられた。

豊原驛で汽車を捨てゝ乘合自動車に乘り替へた。見た所路は坦々として廣がつた。しか し動搖がはげしいやつぱり目に見えない所に苦悶の種があると思つた。自動車は何んの 苦もなく一心に走る。

蕃地境界標幟を過ぐれば深山らしくなる。一面の青山に點綴する紅葉が目にさやか に映つて珍らしかつた。

こゝ數年來こんな暖かな正月を迎へた事はなかつた乘合がとある蕃社に入つて靜か に止る。入蕃許可書を提示する必要があるらしい。

その間僅か十數分しかない短い時間ではあつたが、私は確かに心の中で春をはつき

りと感じた蕃社から酒盛のうたひ聲がなどやかな春の暖かい光りをふるはして耳に入る。

(6)

私は自動車をおりて太陽を萬遍なく受けてゐる。赤ちやけた大地を踏みしめたかたわら の畑に白菜やしゆんぎくが威勢よく育つてゐるスイートピーが二、三本花をつけて靜か な蕃社の温和な空氣の中で自分の運命を何の悲しみも何の苦しみもなく、生のありがた さを滿喫してゐる樣にさへ見えた。

(二)

自動車は久良栖社を左に見て走る久良栖の駐在所に E と云ふ友人がゐる。

今度も御正月に遊びに來ないかと云つて來たから早速二日久良栖で逢ふと云つた簡 單な手紙を返事として書いた事を思ひ出した。

彼は十四、五の時内地から唯ひとり何んの身寄りもなく遙る遙る職を得んが為めに 臺灣にやつて來た浮過の人であつた、何かの緣か短い間ではあつたが同じ一つの屋根の 下で仕事をした事があつた。二年も居たであらふか。

何か不満あつてこの番地に警丁を勤める事になつたがやつぱり淋しいと見えて時々 手紙をよこして呉れた。

友を餘り澤山持たない自分に取つて、淋しい時に思ひ出して吳れる此の E と云ふ青 年をありがたく思つた。

自動車を路ばたによけて血色のよい蕃童が温相な目なざしで見送つて呉れた。

有り難い御時世だと思つた

道が狹くて通れないので温泉の半里手前で自動車を下つて山墅をけづつてこしらへ た、幅一間半あるなしの道を杖を頼りに歩く。

上を仰げば壁立千仞の剛い岩石、下は深い溪谷だ。谷にはとうとうと清洌そのもの の水が流れてゐる自分の居る所からもはつきりと川底の砂が見える程だ。こゝに棲んで ゐる魚も美味しいだらう。水もうまからうと思つた。

✕ ✕

水に無限に流れてゐる。たゝ運命に従つて流れてゐるだけだ。

岩にぶつつかり「どう」とうなつた水もそこを通れば白泡は直ちに消え靜かな水に 立ち返り今ぬけて來た岩の事もたつた今の白い泡の自分と云ふ感情をもかなぐり捨てゝ 本然の姿に立ち返る水がたまらなく私の心を打つた。

深い空、その空にうつらう白雲、顔を撫でゝ通る微風、路傍に生葉なくつゝ立つて ゐる芒の穗、珍らしくはあつたが偶々頭上をかすめて過ぐる小鳥の鳴き聲、總べて私の 感受性を彌が上にも猛烈と湧かしめるに充分な情景であつた。

ひとり淋しく思索しながら歩いてゐる内に温泉に著く三年前來た温泉とは一棟新築 した外餘り目新しいものは見あたらなかつたがその時自分の氣持と現在の自分とはかな り隔りを覺えた。

山から引いて來た筧の水は旅の疲れをいやすに快よく冷い。

湯に浸つて夕飯をとる。元旦でも興亞奉公日、酒はいけないオオミキはよいと云ふ。

そんな馬鹿な事があつてたまるものかと思つた。又興亞奉公日だと云つて酒は絕對

(7)

いけないと云ふ法もないと思ふ一ケ月三十日間の内、そのどの日でもよい。靜かに考へ る日が皆んなにあつたらそれでよいではないたらうか私は形を忘卻しやうとは思はない。

寬容な心で見れば形の上に案外魂が發見されるからだ宿の後一町の所に湯元がある。鐵 管に沿ふて生ひ茂つてゐる雜草を踏みしだいて歩く。

やつぱり路になつてゐる處を歩いた方が樂だとつくづく思つた。松葉杖と檜笠を唯 一の誇りに山から山へ跋渉して悲、苦、惡、恨、怨を解脫して生を生として生きぬいた 芭蕉の事を偲び寂しみながら夕日の美を落葉にこたまさせてひとり暮行く光りを追ふて 歩く。

床につく。

晝間から間斷なくとうとうと流れてゐる水の音がぢかにあたりの靜寂を破つて耳に 入つて來る。

唯でさへ淋しきものを旅にねて よもすがらきく谷川の水。

(終)

一月二日、一山越えて佳保臺へけはしい山を攀ぢ登ると心臟の鼓動の早さに驚く。

全身に汗がにじん來る。

折角著込んで來た毛の下着とすりツばがにくらしく思はれた併しこんな時の人間の 心情が恐じく危險だ運材車の鐵道線路に出る。

これから佳保臺迄こんな平らかな道ばかりだときくと俄然力が出て來るのを感じる。

この時食べた卵大の蜜柑の甘味さは忘れられない。

✕ ✕

佳保臺の營林所

樂部に投宿す、温泉から待つて來た辨當がものすごく冷たい赤く 燃え立つ火鉢に手をかざして熱い蕃茶をすゝる。

ゆつたりした氣持でツボン一杯に山でひつついて來た雜草の刺みたいな種を一つ一 つ拔き取つて火鉢に投げ込んだ最初は氣がつかなかつたが、燃え上がる煙と一緒に「ぶ すう」とかすかに聞える音に我れながらびつくりしてあわてて手を止めた。

さうだこれは生物だ。これから土と水と光りさへ恵んでやれば何時でも萌え上がる 力を持つてゐる殺生したと思つた。

親の雜草は何人の為めにこんなにもたやすく人樣のヅボタに自分の後代を託したで あらうか、ひよつとしたらこの私がその一部でもよい何處が肥えてゐる適當な個所に拂 ひ落して

れるものと思つてゐるかも知れない。

もうこれ以上考へるにたへ難い氣持で一杯になつて部屋の窓をあけた猩猩木の赤が 強い陽光に燃え上がる樣に目に痛々しい。

私はこんな高慢な花は嫌いだ。

✕ ✕

八仙山神社に參拝した。

(8)

高い所なので展望がきいてよかつた。

新八仙山の頂上にとゞくインフラの鐵線が一條はつきりとそこから眺められた。

山の中の落日は早い。

歸りに晴衣を着けた年七つか八つかの女の子が一人荒れ果てた野つ原にぽつねんと つつ立つてゐるのが見える。何と云ふ無邪氣な子供であらう。黑い髮、小さい口もと、

奧にひそんでゐる淋しいまなざしそして不思議さうにこの未知の旅人を眺めてゐる。何 んだか懷かしみのこもつた表情に見えた。

「オチヤントローカ?」

手に持つたローライを向けたが返答がない。口元に笑みを含めてかすかにうなづい て見せた。その顔が一再は私に寂しみを與へる。

「何といふの嬢ちやん」

「コクレ」

「コクレ」と一度口でくり返してどう書くのかときこうと思つたが知る筈がないと 思つてやめた。

「そして名前は」

「トシコトイフウ」

「ほーとしこちやん!いゝ名前だね」と云つてもつと立ち入つてきゝ度かつたが、

そのまゝ別れた。私も寂しくなつて了つた。靜かに歩きながらトシチヤンがじツと私を 見送つてゐる樣に感じられて仕方がなかつた。

✕ ✕

宿にかへつてから早速手紙に「小暮登志子」とつけ込んだ。

晚がた教へられた家に立寄つて表札をたしかめやうとしたが薄ぐらくて見えなかつ た。

家の中はしんかんとして音一つなく電燈のかけもなかつた。

晚は八時半頃床についた。

しかし目が冴え寝づかれなかつた両親が居るたらうか。あんな淋しい顏を見るとひ よつとしたら、いい母ちやんを失つてゐるのかも知れない。そして兄弟もないのかも知 らない。

友達はあるかしら?

もしお友達でもあつたら御正月だから一緒に出て遊ぶ事もあらうに?と今一度ひ獨 り寂しく立つてゐる幼子の顏を思ひ偲べた。

歸つたら寫真を送つてやらう、きつと喜んで呉れるかも知れない。いや或は旅行人 が澤山通る所だから一日何日も撮つて貰つてゐるかも知れない。こんなとりとめのない 事を夜更け迄考へつゞけた。

✕ ✕ 三日(快晴)

山を下りる時もう一度少女の家に立ち寄つて表札を見たら「木暮」とかいてあつた

運材車に乗つてからポヶツトに入れてある手帳を取り出して小暮登志子手の小を木にな

(9)

ほして手帳を手にしたまゝ邁進する。丸太の上で目をとぢて少女の運命を 自分のそれと見くらべてひとりで悲しんだ久良栖の驛で E が迎へて呉れた。

「お變り御座いませんか」

「しつかりおやりなさい」

言葉少なながら青年の元氣な體を見て安心を通り過ぎて心強くさへ思はれた。

間もなく汽車が山の中を再び動き出す。

汽車の中でもぢやもぢゃとした青年の髪と

何時も寂しさうにつつ立つてゐる木暮登志子の顔が目にこびりついて仕方がなかつ た。再出發何んて云ふ力強い言葉であらうか。

生きてゐる事それが愛の具現ではないか生について餘りに考へ過ぎはしないか、そ うだ。

強く正しく生きて行かう理智と情熱との摩擦をさけてその中庸をと

いや、これが私の情熱の狂つてゐる一瞬間かも知れない。それなら私の宿命と思つ て諦めも出来やう

○あな馴しやまひたみればわれ思ふ

慾の少なき人もかくやとこの部屋だつたと思ふが、電燈がついてゐない、スイツチ を捻つてみたすると自分の机の椅子に腰かけてゐた女の子は心から嬉しさうに微笑んで わたくしを迎へるのである。をぢさんにいゝものを見せてあげると云ひながら、抽出の 中からボール紙の箱を出した。

蓋を開けると人形の寢室が現はた。

ヨーロツパの女と、東洋の女たちがきれいに並んでゐる。和服を着た一つの人形を 取り上げると、女の子はそれを後向きにした。そして結ばれてゐる襦子のお太皷を指さ

して、女の子は言ふのであるきゆーつと斜めに結んだこれい

でせうねえ。をぢさん、

誰に教へて貰つたかたづねるとお母さんがいつも結ぶときに見てゐるから分るのと言ふ。

女の媚態といはれるものが、もうこの頃から潜んでゐるのをわたくしはおどろいた のであつた。

(註:以 表示不確定的字)

附錄(三)

(10)

賴煌〈劇作 〝或夜の出來事〟〉

晚秋のある風の強い夕方でした。宏は夕飯もそこそこにして靴を穿いてゐると母が

「宏、毎日毎日そんなに遊びに熱中しないで一寸は母ちやんの言ふ事もきいて呉れ なければいけないよ」と弱々しい物腰で言つて呉れた。宏は母の言ふ事をてんで耳に入 れてゐなかつたが、またかと思ふと淋しかつた。

時には骨ぱつたお臀をぶたれた事もあつたしきつく叱られた事もあつたが、彼は一 寸も怖くなかつた。その方がむしろ気が楽だつた。一年に幾度か今日みたいにやさしい 言葉でさとして呉れるのがたまらなくつらかつた

といふのはこんな時に限つて母に三年前に死んだ父の事を口にするからでした。

彼は靴紐を解いては結び解いては結びして母の次の言葉を待つてゐた。

「ねえ宏!あんたはこう思はない?」母の語尾を上げて言つた言葉が一層弱々しい 感じを彼にもたせた。

「母ちやんは誰の為めにそして何の為めに生きてゐるのかわかつて呉れる筈ですわ ね」

宏は靴先の破れた穴から顏を出してゐる親指の小さい爪をじつと見ながら、微かに ふるへてゐる母の聲をきくともなくきいてゐたが確に母の眼の中に光つてゐる涙を感じ た。

小さい妹が母の手をひつぱつて、「ネンネシタイ」とせがんだが母はそれにかまは ず。

「わかつてゐるわね!宏、父ちやんはならずものではあつたが悪い人間ではなかつ たよ。外の人の目から見れば父ちやんが死んだ方があなたの為みに幸ひだつたといふか も知れないが妾は決してさうではないと思ふの!」

それは酒と云ふ魔物に一時とりつかれただけなのよ。だから宏はうんと勉強して偉 い人になるのよそして……「あんな呑んだくれの子だからやつぱり」と云はれ度くない の「あの子を見ると父親もさう悪い奴でもあるまい」といはれ度いのよ、わかつて呉れ て?」

とうとうと母はわつと泣き出して了つた。母の泣くのを見て妹もわいわいなき出し た。

宏の母ははんかちを出して顔をおさへながら妹と一緒に居間に入つた。

彼はぼんやりと母の姿を見送つてどうしたらよいものかと思つた。こんな事は幾遍 も聞いた言葉ではあるし彼の頭にびんと来なかつたがそれでも母がいぢらしく思はれて 仕方がなかつた。しかし彼は何うしても出なければならねい用があつた。彼は一生のプ ランを滅茶苦茶に壊されたやうに淋しかつた彼はヂツとして居られなかつた。彼はそつ と裏門から出て、川向ふの森に向つて走つた。風は小やみにはなつたがそれでも時々冷 たく頬をたゝいた。もうとつくに日は落ちてあたりはまつくら闇だつた。西の空だけが 一本の帯状を為して黄色く光つてゐるだけだつた。

✕ ✕

(11)

彼は晝頃學校から歸つて、一人川向ふの森に遊びに行ったが、夏時分よく泳ぎの場 所としてゐた淵のそぽの欅木の下迄來た時、けたゝましい聲と一緒に葉つばを音させて 飛び出した小鳥を見た。びつくりしてあたりを見たら普通なら葉の茂みが或は高い枝の 小暗い所でなければ見られない鳥の巣を何んでもない低いそしてたわゝになつてゐる細 い枝で見つけた。

「シメタ」と思つて彼はその枝を引きよせて見たら、中に卵が三つ入つてゐた彼の頭に はさつきちらと見たしつぼの長い紫色の小鳥が焼きつけられた。

「卵があるから今晩きつと歸つて來るに違ひない」と思つた。

彼は歸つてからも誰にも言はなかつた。そして綺麗な鳥が鳥籠の中で飛び廻つてゐ る有様を頭に描いて見たりしてゐるのだつた。

「うまく行く。といゝがなー―」

彼はさう考へながら川の飛石を飛んで渡つた。誰一人通らない森に入ると彼の胸は さわがしくなつた彼は怖くはなかつた。欅木のあたり迄來ると彼はしのぴ足で近寄つた。

間を置いては吹きすさむ風を彼は利用した。一風毎に彼は前進した。晝間見た鳥の巣が 手にとゞく迄近寄つて来た。彼は息を殺した。その瞬間彼の兩手は巣の小さい口をおほ ひかぶさつた。

「キヤツ」飛び立つ柏子に鳥は彼の掌の中に入つてゐた。彼は無我無中に走つた。

✕ ✕

「母さん鳥籠は?」

さつき叱られた事はとつくに忘れて了つたかのやうに陽氣な聲で言つて母に鳥を小 さい指の隙からのぞかした。

「まあ!この子は!こんな風のひどい晩に風邪でも引いたらどうするの」

子供可愛さに鳥籠を出して鳥を入れてやつて、

「宏、下にスエーターを着て早くお休み」

母は宏に晩のお復習を強ひなかつた。早く冷えた身體を休ませたかつからでした。

「鳥にお米をやつてから」スエーターを着込むと、彼は米の櫃の所迄来たが、

「母ちやん、糠餅こしらへた方がよいかも知れないね」とひとりごとのやうにつぶ やいた。

「明日にしなさい、今日やつても喰はないから」彼は母にそう言はれると成程とも 思つた。彼は床についた。月が冴えて寝られなかつた。彼はパツとはね起きて

「母さん」

「なによ、吃驚するぢゃないの」

「卵が三つ巢に殘つてゐるから取つて來ていゝ?」

「いやな、宏さん、今頃行つたら鬼に喰はれるよ」

「怖くないわ」と言つて見たが行つて来る元気はなかつた。

「だから母ちやんが何時も言ふでせう鳥の巣を突つゝいたらいけないつて、籠の中

の鳥は淋しさうだつたわ、子を巣に残してゐるのですもの。この儘にして置けば鳥も死

んで了ふし、卵も鳥にならないで腐つ了ふでせう明日になつたら放しておやりね!いゝ

(12)

子だから」

「さうね!」

彼は返事して布團にもぐり込んだ併し彼は益々目が冴えて寝れなかつた。彼は彼が 寝つかれないと同様にあの紫色の鳥も寝られないだらうと思つて見た。

「わるかつた。明日はなしてやらう親鳥の為にそして卵の為に」

「そうだ卵は未だ孵つてゐないからよいものゝ小鳥だとすればきつと今時分親を待 ちあぐんで泣いてゐるであらう」

その夜夢が彼と襲つた。彼は妹と泣きながら父と母が喧嘩してゐるのを見てゐた。

母も泣いてゐた父は母の髪を掴んで投げ倒し、足で蹴つて大きな聲で「勝手にしろ」と 言つたなり出て了つた。

母はわいわい泣いてゐる子供達を床に連れて行つて「もう泣くのをおよし母ちゃん が惡いの!」と言つて一緒に寢て

れた。彼は夢の中で妹の泣き聲を聞いた。そして目 が覺めた彼ははね起きた。

「どうしたの宏」針仕事をしてゐる母の聲を聞くと安心して布團を引きあげた。

「何かいい。夢でも見てたんだね!」といつて母がのぞき込んだが彼は五年前に起つた 事を夢の中で再現された恐ろしさにふるへながらその出來事を反芻するのでした。五年 前と云へば彼が七つ妹が三つの時で宏の父が酒を呑み出した頃であつた。父と母との争 の始まりもこの頃であつたであらうし、彼の頭には幾多の事件がほのかに残つてゐたが 特に彼の一生を通じてかつてない感銘を受けたのは忘れもしない月のよい八月十五夜の 事でした。

今でこそ中秋だ。觀月だと云つてさわぐのですが、その時分は村全體そんな事はな かつた。誰でもさうだが氣分の落著いた時でない限り靜かに月を眺める心も起らないや

うに生活に追はれてゐる農夫の多い彼の村では觀月などイキ

、 、

な事は出來なかつたが、こ の時分は農閑期だし土地公の誕生日でもあるので

年此の月の十五日は村芝居をやるの が慣はしになつてゐた。其の

、宏は芝居を見に廣場に出た事は出たが大人程面白くな かつたし、ねむたかつたので早く歸つて寢て了つた。

どの位ねたであらうか、宏は大きな物音に目が覺めると、母がしくしく泣いてゐた が、「殺すなら早く」とわめき出した。

彼は寢臺のかやをかきわけて見ると母は父の為めにぶつ倒されてゐた。

こんなあらしのやうな情景を見ると宏は大きな聲で泣き出した。今考へて見ると母 をかばふだとかいふ氣持ちでなくつて恐ろしいから泣いたのであらう。それ程父は彼を 愛してゐた彼は父と一緒に寢るのだがよく夜中に口笛をふきながら歸つて來るのを記憶 してゐた。

「この儂はなあ!お前見たい女に用はないのだ出て行け」

父は呂律の廻はらない口で云つて出て了つた。

「もう泣くのをおよし、みな母ちやんが惡いの」と云つて母が一緒に寢て

れた彼

は母のそばで直ぐ寢入つて了つたが妹の泣聲で再び目が覺めた時は母は何處にも居なか

(13)

つた「母ちやんは父が云つた樣に出て行つたに違ひない。そしても□かへつて來ないか も知れない」と思ふと彼は居ても立つても居られなかつた。「母ちやん!」彼が大きい 聲で叫ぶ。妹は火がついた樣に「母ちやんあーい」ともつと大きな聲で泣いた。二人は 下駄もはかず外に出た「母ちやん!」「母ちやん」と呼びながら母をさがし廻つた。

月は咬々と輝いてゐた

彼はこゝ迄追憶する時ひとりで

が出て來て仕方がなかつた。

✕ ✕

翌日起き上がると同時に彼は鳥を放さうと思つて鳥籠の所にやつて来た。

「あつ!」彼の目に映つたのは鳥の死骸でした鳥は頭と

が一直線になつて冷たくなつ て死んでゐた。

「母ちやん」彼は大きな聲で母を呼んだ。

母は臺所で食事の準備をしてゐるらしく返事だけして容易に出て來なかつた。

「鳥が死んぢまつたよ。」

宏はそれ以上母を呼ぶ元氣はなかつた。朝食後彼は鳥の死骸を玩具の箱に入れて、庭の 片隅に埋めた「すまなかつた」彼は手を合して登校した。それ以來宏は小鳥を取らない やうになつた。彼は成長して四人の子供の父になつたが今以て小鳥を愛し、その啼き聲 を聞くと死んだ紫色の名も知らない鳥の事を思ひ出すのでした。(終り)

(昭和十五年三月十八日稿)

(14)

附錄(四)

賴明弘〈魔の力〉中文翻譯 劉貴枝譯

他雖然還在輕輕喘息著,卻再次凝視她那嬌媚的雙眼,然後迅速地強吻住她微張的雙 唇。

過了一會兒,他稍微跪坐起來,緩慢地將與女人緊密貼合的沉重身軀移開來,然後翻 身躺在女人的身邊。之後一片鴉雀無聲。

但是,化妝品及乳液的香味又對著他撲鼻而來,雖然很疲累,不過剛才的快感又再度 席捲而來令他無意中微笑了起來。她彷彿是累攤了似的,不像往常一樣立刻起身,而是幾 不可聞地急促的喘氣著。

就像是吸取了甜美的荔枝汁液一樣,痛快的感覺充滿心中,同時,他陸續地回想到今 晚所發生的事。

看電影的時候,她有時會悄悄地把頭靠在自己的肩膀上。在咖啡廳裡,為了不讓女服 務生靠近自己,她會故意坐在自己身旁。之後在舞廳裡,她踩著輕盈的步伐、臉上總是掛 著微笑、緊挨在自己的胸膛上,輕輕地抱著自己起舞。…

他一邊凝視著天花板,一邊想著這個禮拜每晚和她進出咖啡廳和舞廳的自己的身影。

然後,林信三的視線忽然停留在蚊帳中央,如碗口般大小的污漬上。結果,剛才的回憶彷 彿被洗腦似的忘記了,悔悟及自責的感覺忽然地湧上心頭。平靜的心房被擾亂了之後,他 彷彿也焦躁起來。然後忍不住回顧自己不停重複的動作。有種像是被自己的軟弱緊緊勒住 胸口般喘不過氣來的感覺襲來,為此突然怨恨起女人來。他想將自己到目前為止的舉止合 理化,但卻找不到認定自己的行為是正確的理論。就連崇拜、信賴他的同志們也看不下 去、給他忠告。此時,他乾脆下定決心要和女人明確的分手。不過,一見到女人,那些話 就說不出口。雖然他鞭策著自己的良心而且相當煩惱,但是剛才又一如往常的,和女人約 好了下次見面的時間。

信三常常想著要讓女人跳離如泥沼般的生活。

「月美,妳怎樣都不和吳分手嗎?」

信三想要撫平急躁的心情,於是重新面向女人,打破沉默說到。

「信三你還不相信我嗎?不管如何我一定會加入你們的,不是嗎?」女人也是一副疲 憊的樣子面向男人。兩人的視線互相接觸。

「那要和人道主義的吳在一起到什麼時候?」他鼓起勇氣窮追猛打,打算今晚說服她

離開吳,然後拉她到自己身邊來。

(15)

「我已經有覺悟早晚會離開吳。信三,我一定會回到你們陣營的。我已經這樣發事 了,還不相信我嗎?」

女人忍不住說道。她已經不想再被指責了。她最近每次和信三見面,就會頻頻被嚴厲 指責。

「月美,如果妳不離開他的話,不久的將來我們也一定會分開的。」

信三一仰起身來就拋下這句話。他終於說出口了。他原本只是想,再把女人拉回自己 的陣營賣力的話,至少可以對同志們有個交代,和自己的關係也可以劃清界線。他突然沉 默了起來。

他的視線再次停留在蚊帳的污漬上。現在自己的行為就像這個蚊帳的污漬一樣,並且 這個汙點不斷的擴散開來。

他不禁再次回想道自己在同志們面前解釋的丟臉的身影。……最後,在家中那柔順妻 子的身影出現在眼前,羞恥湧上心頭,令他更加急躁了。

「喂,信三。」女人柔軟的手突然穿過枕頭的縫隙,繞在他的脖子上。他那急躁的念 頭忽然消失了。他任由女人的動作,而且沒有仰起身來就慢慢地貼近女人。女人的臉緊挨 在他的胸膛上,他若無其事地緊緊抱起女人。女人身上的香味又再次麻痺了他的神經。

「喂,信三,愛情不違背主義的不是嗎?你不這麼認為嗎?」女人將臉埋在男人的胸 膛、撒嬌的說道。

「……」他彷彿失去了知覺似的一言不發。

「我總覺得好難過喔。」「嗯,妳的心情我了解。」信三感覺到女人的呼吸變得激動 起來,趕緊用雙手抱住她,安撫般的說道。

月美凌亂的秀髮,在燈光下看起來更加嬌豔可愛。

黎明時分的旅館,啼啼不休的蟲鳴,聽起來只是悽涼、讓四周震動而已。

林信三和黃月美之間的關係,是不久之前開始的。只不過,兩人的相識是再很久以 前,當時島上的社會運動家還沿著合法的管道,積極地嶄露頭角的時候。工會或是農民組 織是公然存在,文化運動的合法團體雖然帶有政治色彩,卻相當活躍。有鑒於內地、中國 的情勢,嗅到時代氣息的青年們,蜂湧而至地參加各個團體。八年前正是島上最輝煌的時 候。當時和 T 市的同學們罷課,毅然地相攜到內地的林信三不管還有一年就大學畢業,一 回台就立刻投入文化團體的實際工作。在少有大學生人才的當時,這樣的舉動,令島上的 人們瞠目結舌。最讓周圍的人們談論的理由還有一個,那就是他是富有資產家的子弟。他 那肥胖龐大的身軀,也一定是獲得人們信賴的原因。

林信三沒多久就當選中央委員。每次有集會,他就會激烈地評論日本和中國的情勢。

而且我們只能朝著這條道路前進……,用很有自信的口氣,並且在嘴唇邊咕嘟咕嘟地吹出 白色的口沫,同時長時間的訴說自己的意見。在只知道膚淺理論的同伴間,的確令每個人 都相當佩服。他也訂閱了其他人不太看的「中央公論」和「改造」。並且如飢似渴地閱讀 大山郁夫、山川均、堺利彥等人的著作。和同志們議論的時候,一定會引用大山的理論,

或是堺、山川的理論來駁倒同志。因此,沒多久他就被同伴間推崇為優秀的理論家。

(16)

由於當時政府不太干涉,所以他們的觸角迅速地延伸,每當在全島巡迴演講,就會給 予人們極大的刺激,而且一定能從各地獲得同伴,因此信三豪不吝嗇地將自己龐大的財產 投入團體中。眼看團體的勢力更加擴展了。甚至有 23 位女性也離開廚房來參加。運動終於 展開了。

可是三年之後,團體中產生了黨派。委員們做出了要肅清異己份子和機會主義者的決 議。但是,那也是留下理論和傾向比較好的那樣的程度而已。改組之後,信三也仍舊是擔 任指導的職務。和黃月美相識,也是剛好在改組之後的事情,月美當時已經在支部工作 了。她也是在 23 位女會員中特別年輕的。而且,月美也不是主婦。她從公立學校畢業後馬 上在某家公司做小妹,然後做電話總機,之後又擔任信用合作社的女職員。19 歲的她,黝 黑的雙眼總是閃耀著光芒,純真又可愛。但是有時候看到她彷彿在專心思考似的那孤單的 樣子,看起來又像是歷經了世間的滄桑。

女職員的工作被解雇了之後,她儼然暫時住在支部,也長和男同伴們一起睡在床上。

她的父母當時神色都變了。她的父母沒有兒子,只靠她微薄的薪水在支撐家計。失去唯一 支柱的父母,聽說她最後還是不回來後,一邊用袖子頻頻擦拭著流個不停的淚水,一邊緊 握著香,跪在神明面前訴說。某日,她母親像洪水決堤一般,悲憤一下子就湧了上來,後 來就嚴厲地皺起眉頭,氣喘吁吁、張牙舞爪地跑到支部來,大聲哭泣且滿口惡罵「把我女 兒還來!你們這些畜生!」

× × ×

她自從在信用合作社工作開始,每當有文化團體的演講會,即使心中忐忑不安也一定 會離開家去聆聽。在街頭散發傳單的年輕人們,十分引起她的好奇心。晚上,聽著台上男 人們熱烈辯論的她,在台下身體也不由自主地漸漸熱起來。她覺得那些有力的聲音,還有 伸出或是舉起緊握的拳頭的男人們很了不起,連她在手中都捏了一把汗。

「真是值得信賴的男人們。」她不由得憧憬起那些青年演講者們。演講會結束後,她 雖然一邊走著步出會場,但還是一邊不停地回頭,用很羨慕的眼神,偷偷望著留在會場的 演講者們。

她一回家就躺在床上,也不是要睡覺,只是長時間一個人描繪出演講者每個人的表 情,然後想著他們各自的動作。

「那個戴眼鏡、瘦瘦的姓張的人,高談闊論的時候真帥。」

「那個姓許的人的動作,有一股難以言喻的力量。」

「姓王的那個人,還有姓劉的那個人,每個人都好了不起。……」她的眼睛越發亮了 起來。

「我也想站在台上發揮。用充滿熱情的演說來號召民眾…。哇,那有多棒啊。」

「可是像我這樣可以嗎?畢竟我是女人啊…」不知從幾時開始自己也想成為演講者,

然後反覆各式各樣的自問自答。她心裡興奮地撲通撲通跳,並且更加睡不著了。

她非常想接近青年們。幾乎一個月之間,她持續被這個念頭纏繞著,感覺頭變沉重 了。

她終於下定決心,在某天晚上,一個人偷偷地出門去參加青年們所舉辦的讀書會。雖

然受到青年們的歡迎,但是她也只是低著頭、咬著下唇,沉默不語。

(17)

「我們非常高興且歡迎黃小姐入會。」

「月美小姐,為了長久以來被關在牢獄的台灣女性,請你一定要揚眉吐氣。」

「成為我們台灣女性的先覺者。」

「……」受到了男人們的期待與激勵,她終於沉不住氣,不過內心還是充滿了害羞與 喜悅。

她側著耳朵傾聽資本主義社會的話題,和青年們激烈的討論。後來在不知不覺中,感 到臉上發熱了起來,結果完全像青年們一樣興奮。

自此以後,她一邊顧忌著旁人的眼光,一邊又抽空幫忙支部的工作。而且常向男人們 詢問。「讀什麼樣的書比較好呢?」向青年們借來簡單的山川均的「資本主義的策略」或 是小冊子,然後在睡前靜悄悄地爬起來閱讀。她努力地將不知道的字或是艱澀的句子事先 詳細地寫在小筆記本上,一到隔天,就立刻趕到支部去請教。而且,如果青年們教她各種 新的語彙或是艱難的理論的話,在回家的路上也會一邊走一邊努力地默背。

由於和青年們多次的接觸,她開始模糊地了解到現今世界上的組織,於是反抗或是對 未來的憧憬的念頭,在小小的心中萌芽了。她的心情激動。對於被陳腐的道德遮蔽的自己 家庭不滿到了極點。很不喜歡總是眨著老花眼,假作姿態的父母。之後沒多久,由於她陳 述了自己新的意見,因此常常和父母發生爭執,或是被父母嚴厲地斥責而哭到天亮也是屢 見不鮮。但是,只要和青年們碰上面,就覺得好像擁有一大群夥伴似的,陰鬱的心情頓時 一掃而空,她還昂然自得且很有自信地認為「現在一定是我們的新世代來臨了。」

不久,她就變得即使在青年門面前也能無所顧忌地昂頭發表意見,有時候連青年們圍 繞著桌子討論時,也會從旁插話,爭論著自己的意見。當中,談話漸漸變得熟練,常常把

「為了我們女性…」或是「不…的話…」之類的話掛在嘴邊。和女性友人碰面時,態度也 是完全改變。有一次,和兩個朋友在原野間散步時,月美直爽地說道。

「阿秀、阿英,我們現在就像腳下的青草一樣被人們踐踏。即使如此,青草還是想存 活下去不是嗎?所以,我們也不能一直沉默地放任別人的作為了。我們現在仍舊是把自己 推向那非常狹窄的廚房。我們一定要抵抗那個黑暗的地方。你們還不知道世界上的一切都 改變了吧。就像即使天黑了,明天清新的太陽也會迎接我們一樣。如果我們一直這樣軟弱 下去的話,是沒有出頭的日子的。阿秀、阿英,我們不管到哪裡都是自由之身…」月美一 邊側眼看著低頭默默走著的阿秀和阿英兩個人,一邊不停地自言自語。朋友們對她過於急 劇的變化都瞠目結舌,並且漸漸地疏遠她。但是對她而言,朋友們每個人都是可憐的盲目 者,因而嗤之以鼻。因此,即使朋友們疏遠,她也一點都不後悔,索性驕傲地認為自己才 是幸福的女性。

不過,自信地認為變得了不起的她,另一方面還是不禁覺得有種美中不足的空虛感。

日日夜夜為了站上講台而焦急著。好幾次被同伴們鼓勵,下定決心想要站上演講台,但是 一旦逼近演講會的日子,她就會變得滿臉通紅而被迫取消。

她特別喜歡在同伴間一致認為是優秀理論家的林信三演講的樣子。「能像他那樣的話 就太棒了。」她每當有演講會,就會非常感動,然後一個人在家模仿信三演講時的動作。

她看到同伴們越來越被民眾接受,就越發焦慮不安,在家中不停地持續猛練演講。

「為了馳名,首先只能在公眾面前發揮口才。」她時時刻刻都在努力地追求自己完全成為

(18)

一流演說家的幻想。

只要讓他們看到我的氣度,她想著。於是在某個晚上的演講會中,自己主動地站上 台。萬綠叢中一點紅。聽眾一看到她那小小的身軀,立刻響起如雷貫耳的掌聲,並且騷動 著。她微微臉紅地俯視會場裡座無虛席的聽眾。掌聲終於平復下來之後,她小聲地開口說 話。雖然聲音顫抖著,不過由於已經盡可能大聲了,所幸演講也不算太失敗。一下了演講 台,她也不理會已經溼透的襯衣,馬上逃也似的直奔演講者的休息室,才放心地鬆了口 氣。直到散會之後也無法平息她的亢奮。

當晚即使躺在床上,她也是一直閉著眼睛回想今晚自己的成果。雖然他因為自己演講 的樣子到內容,沒有一處是不模仿林信三而感到有點兒羞恥,但另一方面卻也興高采烈地 覺得完全模仿到了。之前從沒像今晚這般被理論家的林信三讚賞。她一想到這裡,臉上就 再次浮現愉快的笑容。她沒辦法一動也不動地待著,而站起來在房裡走來走去。一定可以 成為女性的夥伴中最棒的辯論家。不,說不定連超越男性的夥伴都可以。隨著精神的興 奮,慾望的羽翼也逐漸無止盡地延伸。

即使穿著薄的衣褲也不會感到寒冷的春天到訪時,她已經成為像夥伴們一樣的雄辯家 了。入會之後僅僅四個月,就出席了 23 次全島的巡迴演講。也出席了×會議等等。因此她 在四個女會員中,理所當然地被同伴們讚揚、期待著。

20 歲的明眸少女。不知從何開始,男性夥伴們對她懷以思慕之情。只不過剛開始時,

月美還獨自雀躍、沉醉在自己的成果當中,但是隨著日子一久,不由得感到淡淡的煩惱。

突然親身感受到在自己周圍人們一樣的表情時,月美比以前更加覺得被某種美中不足的空 虛束縛著。

她總是把全島頭號的理論家林信三當作老師一樣,尊敬、崇拜著。不知從何時開始,

崇拜變成思慕,不知不覺當中,心忽然地落在信三身上。某一天,和同伴們討論女性問題 的時候,信三還幫自己的理論辯護,並且以他一流的雄辯來展現理論,結果輕而易舉的讓 同伴們降服。她當場就被信三那戴著黑色眼鏡、閃著銳利光芒的眼神深深地吸引。對自己 的同志愛一定比別人還多吧,她不停地想著信三的事。而信三那魁梧的身軀彷彿在挑逗自 己似的。但是,在她感受到信三的魅力的同時,不由得躊躇著是否對他進一步表明心意。

因為信三已經是有婦之夫了。所以,她一下子就變得憂愁起來,甚至努力的避開信三。可 是無法放棄的她,另一方面也沒有拒絕其他男人的愛。與眾不同、苗條且眉清目秀得陳克 仁,是繼信三之後的男人。陳克仁沒有像林信三那般的地位以及理論,但卻是個沉默寡言 的老實青年,連動作都很溫柔,讓她頗有好感。

但是隨著深秋的到來,島內捲起了一場大風暴。陳克仁由於出版法被帶走之後,每個 人也都先後被帶走了。初冬的時候,林信三接著被帶走。擴及全島的大××開始了。然後很 多同志都相繼失蹤。

黃越美也在三個月之間,未判決被羈押調查。她出來之後,島上的運動就像大風吹過

一樣寂靜無聲。民眾感覺到曾經那樣喧騰一時的氣氛,又回復到往日的平靜。認識她的朋

友們一遇到她總是很冷淡,看不起她。她很寂寞。沒有陣營可回去。連僅存的少數同伴們

也都只是無力地嘆息,沒有一個可依賴。她彷彿像在大海上失去舵的船一樣,只能暫時茫

然地過日子。同伴們也沒有復出的打算。日子一久,她迫於自己的生活壓力,不得不去工

(19)

作。可是沒有人要雇用她。她萬念俱灰地敲響酒館的門。習慣了從未有過的生活之後,在 爵士樂、酒、粉、口紅和低級男人們的體臭的空氣中過著日子的她,在腦海裡,以前的事 情、自己走來的道路已經逐漸模糊。沒有客人的時候,雖然偶爾會不經意想起過去自己的 成就,但是不得不馬上用嘆氣來忘掉。

不久之後與姓吳的青年相識了。吳是有婦之夫,但說起來的話,是個老好人的人道主 義者。這個青年一來到酒館,總是不喝酒,只是不斷地用手掌拍桌子,然後宣傳慘虐戰爭 的罪惡,以及主張一定要提升女性的地位和男人平等。月美有時候失常地嘗試來反駁,可 是最後卻喜歡上本性善良的吳。吳擁有遺產。他毫不吝嗇地買高價的項鍊等給她。過去的 事物一度出現在現在的壓力面前,然後脆弱地崩潰似的,她也從無所用心的日子中,漸漸 變得眼花撩亂,並且迅速地被有錢又溫柔的吳吸引。

不久,他們在郊外開始了小而舒適的同居生活。

林信三在拘留所第二年被放出來時,患了嚴重的心臟病,聽說從警察局回家的路上,

在車上突然心臟麻痺。他橫臥著急劇瘦下來、無法走動的身軀,看著時代的變遷。冷清的 訪客們,已經沒有以往的同志了。

某個下大雨的翌日,林信三隔了許久,一邊被家人支撐著肩膀,一邊走道庭院看看。

他就著柺杖一坐在椅子上,就眺望著昔日自己親手修剪的庭園。薔薇一點兒不留地被折 斷,悽慘地橫躺著。長滿雜草的庭園,已不復見昔日爛漫的風貌而荒蕪著。他不自覺嘆了 口氣。持續到昨日的大雨像夢一樣過去了,但是天氣還為晴朗,默默群聚起來的雲,無止 盡的在天空馳騁著。他又不自覺嘆了口氣。他想起昨天以前的自己的樣子,然後和現在的 樣子聯繫起來思考。想著想著,冷酷的感慨變成沉重的枷鎖,勒緊他那損壞的心臟。

兩個月過去、四個月過去,隨著林信三的病逐漸痊癒,他的胸口又開始感到刺癢似的 跳躍起來。已經經得住短暫的散步了。變得可以到處走動了。然後恢復到可以自由地闊步 前進了。體重回復到原來的樣子之後,林信三不由得對長久的養病生活感到莫大的空虛。

他想要回到如往常般的生活。被送往監獄的以前同志們的臉,漸漸在他眼前復甦起來。某 天晚上就寢的時候,不知不覺間,以前的同志王欽明一頭篷亂的頭髮、顴骨高高突出,用 寒冷的雙眼瞪著他。而且不停地滿口咒罵他。他因為過於害怕而突然用雙手矇住自己的眼 睛。清醒過來後才發現是作夢,但是從那時開始,在獄中死去的王欽明始終在腦海中揮之 不去。

他想過,無法捨棄自己的信仰。可是世界已經面目全非了。而且一回顧兩年在獄中的 辛苦生活,就覺得幾乎要死心了……。他一個多月的時間裡一直在瞻前顧後,因此頭變得 沉重了起來。但是他仍然覺得無法放棄。雖說如此,也沒有積極復出的意志。最後在迷惑 尚未解決的情況下,他會見了正在活躍的新夥伴們,並提供了若干的金錢。可是還是不打 算出席集會等等。

剛好在那個時候,信三在台北巧遇了黃月美。月美在太平町通見到林信三身影的瞬

間,情緒突然地激動了起來,呆呆地一直注視著兩年前像老師一般尊敬的林信三。下一瞬

間,從前令人懷念的回憶湧現,不自覺地走近尚未發現的信三身邊,然後叫出聲。信三回

(20)

頭之後發現是月美,一時之間也說不出話來。不久,兩人在某間餐廳坐下來,然後互相訴 說分開之後的事情。

月美望著與兩年前沒什麼改變的信三,用比以前冷靜從容的態度,說明各種裡面的情 勢之後,又回到睽違已久的兩年前的心情,一邊胸膛顫動著,一邊追憶那輝煌的過去。

信三詢問她這兩年在外面的生活。月美一被問到自己的事情,馬上含淚低下頭去。

「我從裡面出來之後,同志們都還沒出來,而且外面的事物每個人都撒手不管,所以 我就頓時失去了依靠,不知如何是好。光靠柔弱的女人一個人的力量,果然什麼事都辦不 到。我總是責備自己的沒出息,可是還是一點辦法都沒有。之後,迫於生活的壓力,我最 後…。」她說到這兒就沉默下來了。

「最後怎麼了?」

「我…最後…在酒館…」

她突然抖著肩膀嗚咽起來。

「當女招待。現在也--。」

「……」信三進一步詢問,但是她什麼都沒有回答。不知道是不是和以前的人說以前 的事而難過,她只是不明原因的淚流不止。

信三看著她比以前消瘦的身影,略略可以察覺到她已經結婚了,但是應該是以前的同 伴的原因吧,不由得也想知道她現在的生活。

「月美,不要哭。我們是以前的同伴。沒什麼好丟臉的不是嗎?」她聽到後就抬起 頭,擦拭著被淚水沾濕的雙頰,一邊臉紅地說道。

「我現在和一個姓吳的人同居,雖然不是很願意…。」她又垂下頭去了。對自己曾經 崇拜、甚至是喜歡的男人,坦白說出這些事,的確是令人難過。信三確認她如自己所猜想 那樣已經結婚之後,就轉移了話題。並且從各方面詢問女人的心情。結果她說道。

「我想要過和以前一樣的生活。我們果然是為了正義而必須戰鬥的。」她提起久違的 勇氣。信三聽了月美的話也很高興。

那晚,她拜訪了林信三住宿的旅館。她問他今後要怎麼做才好,要如何擺脫更加困難 的今日情勢等等。信三最後也對她那熱心的樣子感到興趣,心想一定要把她拉回陣營效 力,所以用冷靜從容的態度來說明,因此更加鼓勵她。兩個人不知不覺中變得很融洽。夜 更深了,但是她彷彿想要和他一直說下去似的,也不打算回家。最後,由於太晚了他提議 留下來,所以她決定住一晚。共枕躺下來後,兩個人顯得非常心神不定,無法回到以前那 理所當然的樣子,而格外地拘謹。兩人都沉默了許久,但是女人突然哭了出來。

他不由自主地仰起頭,一邊搖晃她的肩膀,一邊安慰她為什麼哭泣,可是她一點兒也 沒打算回答的樣子,光是啜泣著。他已經不知所措了。不過,雙手摀著臉,顫抖著肩膀哭 泣的她,看起來卻非常可愛。他不由得對她那可愛的模樣看得出神。

看起來像哭了一整夜似的,她的雙眼又紅又腫,自言自語地說道。

「喂,信三。我想和吳分手--」剛一說完,信三就握住月美的手。柔軟又小小的

手。她也握回去。信三從剛才就一直想著,為了將月美拉回陣營,一定要和不是同志的暫

時丈夫、人道主義者的吳分手,卻開不了口。沒想到現在月美親口說出要分手,反倒高興

事情出乎意料地容易解決。他不禁將她拉到身旁。她也由得他那麼做……。

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從那之後信三和月美就結下了密切的關係。把剛買回來的梳子帶給女人用。或是拿信 三的妻子尚未有孩子之前的東西給女人。信三覺得很滿足。對月美而言,雖然她給信三的 沒有信三給她的多,但是經常從信三那裡得到生活的物資,因此日子過的比以前輕鬆、快 樂。

不過,兩人的關係被同志們知道了以後,責備的言論全部指向信三。受到指責的他向 同志們發誓,只要將月美拉回自己的陣營,馬上就和她斷絕不可告人的關係,同時也這樣 說服自己。但是,隨著和女人牽扯不清,他好不容易股起所有的勇氣所著手的事情,也無 法有所進展,僅僅在和女人見面的時候,責問她兩三句後,住一晚就回家了。

月美每次被信三指責,就會感到胸口被勒緊般的痛苦,也下定決心要馬上和吳分手。

她在內心角落的某一處,還潛在著階級的意識,但是只要她和吳介山在一起,即使心裡存 在著陰影,也無法斬釘截鐵地和溫柔的吳介山分手。

「月美,我從不懷疑妳的愛。即使妳和別的男人在一起,我也始終相信你的愛,我會 永遠愛妳的。--」吳介山不是不知道她和信三的關係。但是,吳總是像初戀一般,對她 獻出全部的心意。

「介山,我們分手吧。到目前為止的事情都付諸流水,分手吧。」她只要一想到被信 三責問之後那心痛的感覺,就無法對吳提出分手的要求。

「月美,我捨棄了一切來愛妳。我不能想像妳離我而去。我始終愛著妳。」吳介山毫 無保留地表白自己的心意,並且無法克制對她的愛。一看到從沒做出惹人生氣的表情,為 了她總是竭力誠懇、親切的吳,就算是憤怒的心情也會粉碎成微塵。對她而言,吳不只是 被自己征服的俘虜,或是保證她生活一切的溫馴綿羊,對她而言,吳就像自己的弟弟一 樣、第一次接觸女人的初學者似的令人感到心情愉悅。

「開玩笑的啦。對不起啊。我最喜歡你了。」她緊抱住吳,並且如雨點般親吻著他的 唇。

但是,吳介山從她的地方回去之後,她又被縈回在腦海中的信三的身影所盤據,因此 翻來覆去、輾轉難眠,同時也在思考自己的去留。

--永遠和吳在一起,離開信三他們。背叛主義。

--如果回信三他們那裡的話,一直,不,恐怕一輩子都見不到天明,必須在黑暗的 地下折磨身心,必須將自己的青春封鎖在又髒又臭的拘留所裡。…啊,想起來真是毛骨悚 然的生活。

--對了、對了,我果然還是想過這種緊湊又安定的生活。想過稍微普通的生活。我 怎麼也無法忍受那麼激烈的地下生活了。雖然信三也是好人……。她不停地打開雙腳又合 上,拉扯、捶打著羽絨被,還用雙手敲著頭或胸膛思考,最後,她仍然決定無法捨棄現在 這種無憂慮的生活。回顧信三的身影,她的手、腳、身體卻還是逐漸地被純情的吳介山吸 引過去。

× × ×

黃月美雖然被吳介山吸引,但是還是不忘讓林信三一直待在自己身邊。因為她覺得比

(22)

起一個人,從兩個人那裡得到的物資可以過更好的生活,另外,跟信三交往的話,多少可 以矇蔽自己的階級上的良心。因此,面對信三的反覆催促,她或是用甜美的雙唇搪塞,或 是像鐘擺般扭動腰部,來敷衍他的指責。

隨著林信三和黃月美的關係加深,委員們終於決定將他們之間的事情送交委員會。因 為林信三他越來越疏遠工作了。

信三屢次地被同志們勸告。他焦急地想要清算過去,然後回到原來的工作崗位上。但 是現在即使王欽明的幻影再次浮現在眼前也會馬上消失,取而代之的是月美那聰穎的雙 眼。她嫣然地渴望他的唇。

他一決定不要想起她就又急躁起來。鼓舞著燃燒正義的熱情。描繪著和工人一起揮舞 榔頭、強力打倒×,那勇敢的積極的身影。可是不久就清醒過來了。然後描繪出瀰漫著混濁 空氣的天色。又回顧到了黑暗的牢獄生活。而且馬上預想到那恐怖的心臟病又再度襲來 時,不由得打了個冷顫。他閉起了雙眼。漆黑的日子籠罩了他的全身…。

到了委員會的日子。也是和女人約定的日子。林信三從早上開始就非常坐立不安、無 法鎮靜下來。在四方形的桌子前來回踱步著。儘管打開窗子仰望著蔚藍的天空,卻還是感 到沉重的東西壓在頭上似的,在肥頭大耳的鬢角上冒出了豆大的汗珠。他想要用雙手摀住 耳朵逃離同志們的責備。

他打算果斷地和女人分手,然後獻身於工作。決心為了正義而戰鬥。可是,可愛女人 的小小雙手觸感很柔軟。女人的身體有一股像薔薇般的香味。她那小小的嘴唇,蘊藏著如 栗子般的甜味。他想要永遠地將她緊抱在自己的懷裡……。

不清算就要被除名的委員會的時刻終於到來。他趕緊整理裝束。他一邊穿著上衣,一 邊下定決心要出席委員會的清算,並且將月美的容貌拋在身後。但是一走出門外,月美的 模樣就又出現在他的腦海中、盤踞著。他再次用力地搖搖頭,然後往委員會的方向走去。

被一股不知名的力量推著走。可是走著走著,胸口就像被勒緊似的變得鬱悶起來,不管怎

麼壓抑,某種像瘋了似的熱情,卻還是突顯出來。無法滿足、且非常強烈的慾望,以深沉

的氣勢不斷地在心中燃起,最後完全地遺忘了同志們的身影。彷彿黑暗的陰影映照在臉上

和胸口上,被牽引著走似的,林信三突然往旅館的方向走去。

參考文獻

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