世界の食料問題と東アジアの対応
本 間 正 義
(東京大学大学院農学生命科学研究科教授)【要約】
世界的金融危機が生じるまで高騰を続けた世界の食料価格は、世 界の食料需給の構造変化を反映したものである。新興国の経済成長 による需要の増大と、バイオ燃料需要の急増、それに投機マネーの 導入が複合的にからみあった結果であり、従来の市場構造とは様相 を異にした。食料価格の高騰で、世界の飢餓人口である栄養不足人 口は9 億 6 千万人を超えた。東アジアにおける食料問題は中国の動 向に大きく左右されるが、中国の需要変化はすでに市場に織り込み 済みであり、問題は「三農問題」に象徴される生産体制の確立であ る。東南アジアにおいても急激な需給変化は想定しにくい。日本・ 韓国では食料価格の高騰を機に食料自給率の向上が叫ばれたが、食 料の安全保障の確保はむしろ、市場開放により国際市場を厚くして 価格を安定化させること、また、技術協力で東アジア各国の農業発 展に寄与することを通じて行う方が望ましい。【キーワード】
世界の食料問題、食料の安全保障、新興国、バイオ燃料、東アジア の食料問題一 はじめに
リーマンブラザースの破綻をきっかけに世界的金融危機が生じた 2008 年秋まで、世界の関心は食料価格の高騰とそれに端を発した途 上国での暴動に注がれていた。食料価格の高騰の原因は複合的であ り、BRICs と呼ばれる新興国の食料需要の増大に、豪州などでの旱 魃被害が穀物供給を縮小し、そこにオイルマネーやサブプライムロ ーン問題で行き場を失った投機マネーが投入された。さらにはバイ オ燃料ブームでとうもろこしを中心に食料以外の需要が拡大し、世 界の穀物市場は急騰を続けた。 こ う し た 食 料 価 格 の 高 騰 は 、 順 調 な 世 界 の 穀 物 生 産 予 想 な ど で 2008 年後半には反転し、落ち着きを見せている。しかし、穀物価格 の高騰をもたらした要因が払拭したわけではない。実際、穀物価格 は上昇期前の水準まで低下したのではなく、むしろ高止まりしてお り、世界経済の回復如何によっては、実物需要と投機マネーにより 再び高騰する可能性を秘めている。 国際穀物市場が世界の金融システムとリンクしていることは今や 常識であるが、一方で、金融システムと直接には関わりのない栄養 不足人口が、世界には9 億 6 千万人も存在する。栄養不足人口とは、 生命維持に最小限必要な基礎代謝率に加え、生活に関わる運動など 最低必要な食事エネルギーの境界値を満たしていない人口のことで あるが、昨今の食料危機で1億3千万人も増加したといわれる。 世界的食料危機で国内消費を優先するため、穀物の輸出禁止措置 が一部の輸出国で採られたため、コメなどが不足した途上国では暴 動まで起きた。こうした情況を受けて、国内生産の重要性の見直し や、食料自給率の向上を訴える動きが活発化した。しかし、食料を 囲いこむような対策は逆に世界市場を薄くし、国際価格を不安定化させる。今回の世界的食料問題から学ぶべきは、食料の安定供給を 内向きに捉えるのではなく、むしろ世界の食料需給システム安定化 のために国際間の協調を強化することであろう。 本稿では、先の世界的食料価格高騰の背後にあった諸要因を分析 し、そこから何を学ぶべきか、特に、東アジア諸国が今後の食料・ 農業問題にどのように取り組んでいけばいいのかを検討する。
二 世界の食料事情と栄養不足人口
過去に食料問題が地球規模で問題とされたのは、1970 年代初頭で あった。旧ソ連の国際穀物市場への参入と主要生産国の一部での不 作が第一次石油危機の時期と重なって「世界食料危機」と呼ばれる 事態に至った。これを受けて 1974 年 11 月にはローマで国連世界食 料会議が開催され、様々な取り組みが合意された。さらにそれ以後 の食料問題への取り組みを検証する目的で1996 年 11 月には世界食 料サミットが同じくローマのFAO(世界食料農業機関)で開かれ、 当時8 億人とされた栄養不足人口を 2015 年までに半減しようという 「ローマ宣言」が採択された。しかし、栄養不足問題に解決の兆し はみられない。 こうした中で、世界の食料需要構造にドラスチックな変化が生じ ていた。そのひとつが急成長途上国の需要増加である。それは経済 発展に伴う変化であり、これまでも多くのエコノミストが予測して きたし、対策の検討も行われてきた。しかし、想定外の変化はバイ オ燃料ブームである。米国のブッシュ政権が2005 年に発表した新エ ネルギー戦略で、脱石油の切り札としてバイオ燃料の推進を掲げた 事で穀物価格の急騰が始まった。 バイオ燃料ブームに加え、石油価格高騰によるオイルマネーやサ ブプライムローン問題によって住宅投資から引き上げられた資金が商品先物市場に流れ、穀物価格の高騰にさらに拍車がかかった。2008 年までの3 年でシカゴ先物取引価格はとうもろこしと大豆が 2 倍、 小麦が 3 倍になり、世界の飼料価格、食料価格は値上げを余儀なく された。 世界の穀物生産量は22 億 6 千万トン(Cereals 合計、2004-06 年平 均)で、そのうち小麦とコメ(籾米)がともに約 6 億 2 千万トンの 生産量であり、これで世界の約65 億 2 千万人(2006 年)の人口を養 っている(FAO、FAOSTAT)。食料事情を表す指標としてよく用いら れるのが、利用可能な食料を熱量に換算した一人一日当たり食事エ ネルギー消費量(DEC=Dietary Energy Consumption)である。FAO(国 連食料農業機関)によればこのDEC の値は世界平均でみて一日一人 当たり 2810 キロカロリー(2002-04 年平均)であるが、先進工業国 の 3470 キロカロリーに対して途上国は 2670 キロカロリーにすぎな い。これらの数値は世界の食料エネルギーが絶対量として不足して いるわけではないことを示している。しかし、DEC の分布は開発途 上国の間でも一様ではなく大きな開きが存在する。 表 1 はこの一人当たりDEC の推移を世界の地域別に示したもので ある。2002-04 年平均で最も低水準にあるのがサハラ砂漠以南のアフ リカ地域であるサブサハラで、一人当たりDEC は 2220 キロカロリ ーで先進工業国の3 分の 2 でしかない。世界で今日最も食料問題が 深刻なのはこのサブサハラである。表 1 が示すように 1969-71 年か ら2002-04 年の 33 年間で、開発途上国全体で一人当たり DEC は 27% の改善をみたにも拘わらず、サブサハラではわずか6%増加したにす ぎない。
表 1 世界の地域別一人当り一日の食事エネルギー消費量、Kcal (出所)FAO, FAOSTAT. 一方、アジアの食料事情に目を移すと、東アジア、東南アジアは 1969-71 年当時それぞれ 2020、1970 キロカロリーとサブサハラより 少ない食事エネルギー消費量であったが、その後、急速に食料事情 の改善に向かい、今日ではそれぞれ2920、2710 キロカロリーとなっ ている。しかし、南アジアの状況はいささか異なる。1969-71 年当時 は東南アジアと同様に低水準であった DEC は 2002-04 年でも 2430 キロカロリーにとどまっており、アジアの中での格差が広がってい る。 表 1 に示された数値は一人当たり食事エネルギー消費量の地域別 平均値である。すなわち各地域ではこれらの平均値より多くの食料 を得ている人々が人口の半分、この平均値にすら達していない人々 が半分存在することになる。したがって、食料問題を考える際には DEC の平均値とともにその分布が重要となってくる。特に、普通の 生活を支えるために必要な食事エネルギーを摂取できていない人口 は飢餓の危機にあり、早急な対策が必要である。このような栄養不 足人口は世界でどれほど存在するのであろうか。 1969-1971 1990-1992 2002-2004 開発途上国 2110 2530 2670 東アジア 2020 2710 2920 東南アジア 1970 2470 2710 南アジア 2070 2330 2430 中南米カリブ 2470 2710 2880 中近東北アフリカ 2370 2990 3110 サブサハラ 2100 2120 2220 先進国 - - 3340 先進工業国 3050 3310 3470
FAO では、栄養不足人口を以下のような基準にしたがって調査し ている。まず、一人当たり最低食事エネルギー必要量を栄養学的に 性別・年齢別に推定する。これは基礎代謝率(BMR;Basal Metabolic Rate)すなわち個人が完全な休息状態にある時の生体機能維持のた めに消費されるエネルギーを基礎に、地域別、性別・年齢別の定数 を乗じて求めた、長期的に良好な健康状態を保ちかつ経済的・社会 的に必要な身体活動を維持するための最低限必要なエネルギーであ る。DEC の分布からこの最低食事エネルギー必要量を満たしていな い人口を推定したのが栄養不足人口である。 この栄養不足人口を地域別に示したのが表 2 である。生きていく 上で最低限必要とされる栄養を摂取できていない人々は 2002-04 年 で開発途上国人口の 17%にあたる 8 億 3 千万人にのぼり、1990-92 年以来改善しないばかりか上昇に転じている。なかでもサブサハラ アフリカは人口の 31%にあたる 2 億 1 千万人を超える人々が栄養不 足 に 悩 ま さ れ て お り 、 こ の 地 域 の 食 料 問 題 の 深 刻 さ が 読 み と れ よ う。アジア地域では 1969-71 年当時は東アジアと東南アジアを合わ せて5 億人以上が栄養不足に陥っていたが、2002-04 年には 2 億 3 千 万人と半減した。しかし、南アジアの状況はかなり異なる。1969-71 年に2 億 7 千万人だった栄養不足人口は 2002-04 年には 3 億人へと 増加しているのである。 栄養不足人口の削減には世界各国が協調して取り組むことが必要 不可欠であり、実際、先に述べたように、1996 年 11 月にイタリアの ローマで世界各国の首脳を集め「世界食料サミット」が開催され、8 億人以上と推定される栄養不足人口を2015 年までに半減させること を目指す「ローマ宣言」を採択した。この会議自体1970 年代の食料 危機を踏まえて1974 年に国連が開催した「世界食料会議」以降の食 料事情の変化を検証するためのものであったが、その後の栄養不足
人口はむしろ増加する結果となり、さらには近年の食料危機で栄養 不足人口は9 億 6 千 5 百万人に達したと言われる。 表 2 世界の地域別栄養不足人口、100 万人 (出所)FAO, FAOSTAT.
三 新興国の食料需要の変化
世界の飢餓・栄養不足人口の削減がままならない中で、開発途上 国間で経済成長に大きな格差が生じている。BRICs と呼ばれる経済 発 展 が 著 し い 新 興 国 の 台 頭 で あ る 。 ブ ラ ジ ル (Brazil )、 ロ シ ア (Russia)、インド(India)、中国(China)の 4 カ国の頭文字を並べ てそう呼ばれているが、BRICs は広大な国土、豊富な天然資源を持 ち、これら4 カ国の人口は、2006 年で約 27 億 6 千万人に達し、全世 界の人口の 42%を占めた。BRICs の国内総生産(GDP)はまだ世界 全体の 1 割程度であるが、今後の高い成長ポテンシャルが注目され ている。 急速な経済成長は食料需要に変化をもたらす。一国の食料総需要 量は一人当たり食料需要量に人口を掛け合わせたものである。一人 当たり食料需要に大きく影響するのは一人当たり所得である。した 1969-1971 1990-1992 2002-2004 開発途上国 960.7 823.1 830.0 東アジア 392.7 198.7 162.9 東南アジア 111.4 80.0 63.9 南アジア 265.0 290.4 299.6 中南米カリブ 55.1 59.4 52.1 中近東北アフリカ 42.8 25.0 37.3 サブサハラ 92.8 169.0 213.4 先進国 - - 31.6 先進工業国 - - 9.1がって食料需要の変化は人口成長率と一人当たり所得増加率、それ に所得変化に応じて食料需要がどれだけ反応するかを示す食料需要 の所得弾力性に依存する1。すなわち、総食料需要は人口成長に比例 するだけでなく、経済発展に伴い所得が急成長する局面で急速に増 加する。BRICs の人口成長率は 1%以下に低下しているが2、金融危 機前に、一人当たり所得成長率は 8~10%に達した3。穀物の直接消 費に対する所得弾力性は開発途上国では 0.5 前後なので4、これらの 数値からBRICs の穀物の直接消費は年率 5~6%で成長していたと思 われる5。 しかし、穀物への需要は食料としての直接消費需要だけでなく、 畜産物の消費を通じた飼料穀物への需要が加わる。鶏肉1kg の生産 には3~4kg の穀物を必要とし、豚肉で 5~6kg、牛肉に至っては 8~ 10kg の穀物が必要である。畜産物需要の所得弾力性は大きく、した がって飼料として需要される穀物が経済成長とともに急速に増加す ることになる。こうした飼料用穀物の需要を織り込んで、穀物需要 の所得弾力性を1.0 とすれば BRICs の穀物消費は年率 9~10%の成長
1 これを式で示せば、G(D)=G(N)+η・G(y)となる。ここでGは続くカッコ内 の変数の変化率を表し、Dは食料の総需要、N は人口、y は一人当たり所得、そして η は食料需要の所得弾力性を表す。 2 2000 年から 2006 年にかけての人口成長率は、ブラジルが 1.4%、中国が 0.6%、イン
ドが1.5%、ロシアが-0.5%であった(World Bank, World Development Report 2008,
World Bank, 2007)。 3 2005 年から 06 年にかけての一人当たり GDP 成長率は、ブラジルが 2.4%、中国が 10.1%、インドが 7.7%、ロシアが 7.3%であった(World Bank, 2007、同上)。 4 開発途上国の食料需要については、速水佑次郎・神門善久『農業経済論・新版』岩 波書店、2002 年、第 1 章、を参照。 5 経済発展の違いによる食料需要構造の変化については、本間正義「アジア経済と食 料問題」浦田秀次郎・木下俊彦編著『アジア経済:リスクへの挑戦』勁草書房、2000 年10 月、第 6 章、を参照。
となり、国際穀物市場を圧迫した。 ちなみに、世界平均での人口成長率は1.2%(2000~06 年平均)で あり、一人当たりGDP 成長率は 2.8%(2005~06 年)であり、穀物 需要の所得弾力性を0.3 とすれば、世界の穀物需要の伸びは年率 2% 程度にとどまる。 実際、近年の穀物価格はBRICs など新興途上国の所得増加を背景 に上昇し、2008 年までの 3 年で大豆ととうもろこしは 2.3 倍に、小 麦は 3 倍に値上がりした。こうした需要増加に伴う食料価格の上昇 は穀物に限らず、乳製品や肉類、魚介類にまで及んだ。 穀物については、特に小麦需要の増加が著しい。BRICs の中でも インドと中国が輸入を急増させた。インドは2000 年代初めには小麦 の輸出国であったが、近年輸入に転じただけでなく輸入量も拡大に 向かった。こうした変動はインドの国内農業政策の結果でもあるが 6、中国と同様に所得増加が著しい中産階級を中心に食生活の西洋化 が進行し、米食からパン食への変化で小麦の需要が増大したのであ る。 とうもろこしの価格急騰は後述のバイオ燃料需要の増加によると ころが大きいが、新興国をはじめとする途上国の畜産物需要の拡大 も貢献した。大豆についても同様であり、油糧需要と合わせて飼料 用大豆粕の需要が国際価格を押し上げた。特に、中国は植物油の消 費が急速に伸びており、今日では世界最大の大豆輸入国となってい る。近年の穀物価格の上昇は、豪州の旱魃や欧州の熱波といった天 候不順による減産も大きく影響したが、BRICs をはじめとする開発 途上国の食料需要の構造変化が根底にあったと言える。
6 インドの農業政策については、高橋大輔・櫻井武司「インド:「穀物輸出大国」の終 焉」『農林経済』2007 年 1 月 29 日号、時事通信社、8-12 頁を参照。
四 バイオ燃料と食料の競合
新興国の食料消費の変化とともに世界の食料需給構造に大きな影 響を与えたのが、バイオ燃料の需要増加である。イラク戦争をきっ かけに石油価格の高騰が始まったが、脱石油の切り札としてバイオ 燃料に注目が集まり、一方で、地球温暖化対策として再生可能エネ ルギーであるバイオ燃料への期待が大きなブームとなり、とうもろ こしやさとうきび、植物油脂などを利用したバイオ燃料生産が急増 している。 米国のブッシュ大統領は2007 年 1 月の一般教書演説で、2017 年ま でに非食料原料を含め年間 350 億ガロンの再生燃料・代替燃料使用 を目標とすることを発表した。これが達成されるためには約 3 億 3 千万トンのとうもろこしが必要であり、これは 2006/07 年時点の生 産量2 億 6 千 8 百万トンの 1.23 倍にあたる。米国農務省の試算では、 2016/17 年時点でのとうもろこしの需要量(仕向け先)は 3 億 5 千 8 百万トンで、そのうち 1 億 1 千万トン(全体の 31%)がバイオ燃料 向けと予測されている7。 米国のとうもろこしは世界の生産量の38.4%、輸出量の 64.2%を占 める。表 3 に2000 年からの生産と輸出、国内需要の推移を示してあ るが、この期間中、生産量は年平均 2.90%で増加したが、国内需要 はそれを上回る 3.46%で増加し、特にバイオエタノールの成長が年 平均 23.51%と著しい。米国産とうこもろこしの国内需要は 2007/08 年で2 億 6 千万トンのうち 3 分の 1 に当る 8 千 6 百万トンがバイオ 燃料生産向けであるから、今後、更に食料と競合することが予想さ7 バイオ燃料市場と近年の展開については、小泉達治『バイオエタノールと世界の食 料需給』筑波書房、2007 年を参照。
れる。 表 3 米国におけるとうもろこし需給の推移、1000 トン 国内需要 生産量 輸出量 飼料 バイオ燃料 その他 2000/01 251854 49313 148396 15951 33755 2001/02 241377 48383 148958 17932 34051 2002/03 227767 40334 141303 25298 34147 2003/04 256278 48258 147197 29655 34793 2004/05 299914 46181 156428 33604 34548 2005/06 282311 54201 156337 40640 35085 2006/07 267598 53970 142189 54610 34928 2007/08 316499 59693 143517 86360 35312 平均成長率 2.90 2.42 -0.42 23.51 0.57
(出 所)USDA-FAS: US Bio-Fuels Annual 2007.
ま た 、 ブ ラ ジ ル で は さ と う き び か ら バ イ オ エ タ ノ ー ル が 生 産 さ れ、バイオエタノール混合ガソリンが普及しているが、最近ではさ とうきびの半分以上がバイオエタノール生産に向けられている。今 後も価格高騰を反映してバイオエタノールの増産が見込まれている が、世界最大の砂糖生産国・輸出国であるブラジルの砂糖生産量の 減少が懸念される。 バイオエタノールと同様にバイオ燃料として植物油脂などから生 産されるバイオディーゼルは、ディーゼルエンジン用の軽油の代替 燃料であるが、ドイツをはじめ欧州諸国で急速に生産量が拡大して いる。EU では 2007/08 年でなたね油の 64%が、大豆油の 42%がバイ オディーゼル用に向けられている。 アジア諸国でもバイオ燃料の生産は急速に拡大している。中国で はとうもろこしと小麦を原料にバイオエタノールが生産されている が、とうもろこしは需要が拡大している糖化用・飼料用との競合が 激化している。インドではさとうきびから、タイではキャッサバお
よび糖蜜から、またマレーシア、インドネシア、フィリピンではパ ーム油など油糧作物からバイオ燃料を生産しており、程度の差はあ るものの、世界の各地で食料とエネルギーの競合が生じている。 このようにバイオ燃料がもてはやされているのは、一つには、高 騰している石油に容易に代替することが出来るからである。エタノ ールは少なくとも 10%までならば通常のエンジンにガソリンと混ぜ て使うことが可能だし、特別仕様のエンジンであればさらに高い割 合を用いる事が出来る。多くの国でバイオ燃料の原料は自給で賄う ためエネルギーの海外依存度を低め、また、バイオ燃料を輸入する 国でもエネルギー供給元の分散になり、結果としてエネルギーのセ キュリティを高めることに繋がる。 もう一つバイオ燃料が注目される理由は、地球温暖化防止への貢 献である。バイオ燃料が燃焼で放出する二酸化炭素は、生物の成長 過 程 で 光 合 成 に よ っ て 大 気 中 か ら 吸 収 し 固 定 さ れ た 炭 素 で あ る た め、総体でみた二酸化炭素の放出量は変化しないとされる「カーボ ンニュートラル」の性質があり、バイオ燃料は環境にやさしいエネ ルギーと見なされる。実際、温室効果ガス排出量の削減を規定して いる「京都議定書」では、バイオ燃料の燃焼によって発生する二酸 化炭素は排出量合計に参入されない。このことは石油からバイオ燃 料にシフトする誘引の一つともなっている。 このようなバイオ燃料ブームは農家にとってとうもろこしやさと うきびのみならず、他の穀物についても、従来は飼料用グレードと して付加価値の低かった農産物がバイオ燃料用として高価格で売れ ることになり、新たな農産物市場が形成されバイオ燃料の原料とな る農業部門は活況を呈している。 一方で、バイオ燃料へのシフトによるとうもろこしなど飼料用穀 物の減少は、酪農や肉牛、養豚などの畜産部門の生産者の費用を押
し上げる。それによって畜産物の製品価格にも大きな影響が出てい る。農産物のバイオ燃料へのシフトは、直接消費する穀物だけでな く、飼料用に使用されてきた原料の不足を招き、他の農産物にも波 及し食料価格の上昇をも引き起こし、その結果として「食料か、燃 料か」という問題をさらに増幅させる結果となっている。 今後、世界の各国は更にバイオ燃料の増産を掲げている。米国は 先に述べたように2017 年までに再生可能燃料を全体で 350 億ガロン (国産 150 億ガロン、輸入 200 億ガロン)に増やす計画であり、カ ナダは2010 年までに自動車用燃料の 5%を、EU は 2020 年までに 10% をバイオ燃料で代替させることにしている。ブラジルは2013 年まで に3 千 4 百万キロリットル、中国は 2020 年までに 2 千万トンのバイ オ燃料の導入を計画している。 これらの目標が達成されると、エタノール換算で世界のバイオ燃 料は年間1 億 5 千 6 百万キロリットルになるが、その達成にはさら に多くの穀物やさとうきびが必要となる。ある推計によれば、2005 年時点でバイオ燃料を生産している諸国で、その原料となっている 農産物すべてをエタノール生産に向けたとしても1 億 8 千 5 百万キ ロリットルしか生産できないという8。 言い換えれば、これらの国が飼料用のとうもろこしを絶ち、砂糖 の生産を全くやめてバイオ燃料に向けたとしても、高々目標に掲げ た程度のエタノール生産しか出来ないのである。とうもろこしやさ とうきびなど、でん粉質・糖質原料を発酵させて製造するバイオ燃 料を第一世代と呼ぶが、第一世代バイオ燃料の限界がここにある。 また、バイオ燃料自体はカーボンニュートラルであるが、その生
8 野村総合研究所『バイオ燃料に関する報告』野村総合研究所、2007 年 12 月、14-15 ページを参照。
産には大量の石油が使われている。とうもろこしやさとうきびの生 産には石油を原料とする農薬や化学肥料が投入され、農業機械も化 石燃料で動く。さらに、エタノール製造工程で酵母の二酸化炭素が 大量に排出され、多くの工場では天然ガスや石炭の熱で蒸留してい るが、ここでも二酸化炭素が発生する。1 リットルのバイオ燃料を作 るのに同程度の石油が使われているとの指摘もある9。 バ イ オ 燃 料 と し て は 第 二 世 代 の 草 木 を 中 心 と し た セ ル ロ ー ス 系 (木質系)原料によるエタノール生産が望まれる。セルロース系原 料 は バ イ オ マ ス と し て 豊 富 に 存 在 し 安 価 に 入 手 す る こ と が 出 来 る が、アルコール発酵が技術的に困難であり、商業生産が可能なまで には至っていない。しかし、米国や欧州ではスイッチグラスや高成 長材木、間伐材などを活用したバイオ燃料の研究開発が進められて いるし、また、発酵プロセスを経ないでセルロース系原料をガス化 し液化する技術開発も行なわれている。 第二世代のバイオ燃料にしても、克服すべき問題がある。第一世 代のような直接的に食料と競合することは避けられるにしても、価 格次第では農地や農業労働などの農業資源が食料生産から第二世代 バイオ燃料原料の生産にシフトすることはありうる。また、農地が 限られている事から、第二世代バイオ燃料の原料生産のために森林 伐採が多発することも考えられる。いうまでもなく、森林の吸収す る二酸化炭素の量は、伐採された後に育てられるバイオ燃料作物に より削減される量よりもはるかに多い。 より大きな問題は、バイオ燃料が地球温暖化対策として過大評価 されることで、化石燃料であれバイオ燃料であれ、エネルギーの消
9 天笠啓祐「バイオ燃料はクリーンか?」『農業と経済』2008 年 4 月号、43-50 ページ を参照。
費を削減し、エネルギー効率のいい社会システムに変革していく努 力がおろそかになることであろう。バイオ燃料は決して地球温暖化 の切り札とはなりえないだけでなく、このまま補助金付きの生産が 拡大すれば、今後益々食料との競合の度合いを深めていくことにな ろう。
五 東アジアの食料・農業問題
穀物をはじめとする食料価格の高騰は東アジア諸国、特に発展途 上国に大きな影響を与えた。特に貧困層の食料消費が困難になり、 各地で暴動が発生したりした。東アジアでの食料需給を考える上で 最も重要なのは、人口の多さでみても経済成長の潜在的高さでみて も地域全体に影響をおよぼす中国の動向である。以下では、東アジ アの食料需給の動向と食料・農業に関わる問題を、中国を中心に据 えつつ、東南アジア、日本・韓国と地域別に検討してみよう。 1 中国の食料需給と農業構造 中国は広大な土地と多くの労働力を擁し、農業生産に比較優位を 持っているように見えるが必ずしもそうではない。耕地面積は1 億 3 千万ha 以上あるものの農家数は 2 億 4 千万戸を越え、一戸あたり経 営規模は日本の 1.5ha を大きく下回り 0.55ha に過ぎない(いずれも 2000 年値)。また、中国国内でも格差が大きく黒竜江、吉林、遼寧の 東北 3 省は食料基地と呼ばれる一方、中西部地域では食料の生産性 が低く経済も低成長にあえいでいる。 中西部地域に生じている農業の低収益性、農村の疲弊、農家所得 の低迷・都市との所得格差は中国の「三農問題」と呼ばれ、中国政 府は解決すべき最も重要な課題と位置づけている。こうした農業・ 農村の貧困問題の背景には農家に不利な戸籍制度、農業に過重な税金、社会資本の都市偏在などがあげられるが、農地や労働といった 生産要素の流動化を図る構造調整政策が必要である。また、過剰な 農業労働力を吸収するためには農村での農業以外の雇用機会を増や すことが不可欠である。 政府は実際、様々な政策を施し「三農問題」の解消に努めてきた。 近年、農民の都市への移住規制が緩和され、農村から都市への出稼 ぎが増え、また都市に出た者の農地の請負経営権の流動化を促す政 策も導入された。しかしながら、農家所得の増加率は経済成長率に 追いつかず、都市民と農民の所得格差は拡大した。 中国全体で見た食糧生産は1998 年の 5.12 億トンをピークに減少傾 向にある。この背景には 98 年まで続いた価格支持政策の転換があ る。それまで市場価格より高い価格で食糧を生産者から買い付けて いた政府は、買い付け価格を引き下げ、さらに買い付け地域を限定 した。また、これを契機に穀物のうち過剰だった低品質産品の生産 を減らし、高品質生産への転換を図り、一方で需要の伸びが期待さ れる商品作物や畜産物など付加価値の高い農産物に生産をシフトす る政策が採られた。 価格支持政策の転換に伴う食糧価格の低迷は食糧の作付面積の減 少をもたらした。1998 年には 1.14 億 ha あった作付面積は 2003 年に は1 億 ha を割り込んだ。価格低迷に加えて灌漑用の水不足、生産費 の上昇、さらに各種開発に伴う農地の農外転用の増加なども作付面 積減少の要因と言われている。 従来、中国は莫大な穀物在庫を抱えていると見られていたが、上 記の要因で減産が続き在庫の切り崩しが行われたと思われる。それ を受けて2004 年には食料増産へと再び政策が転換した。農業税の減 免や生産農家への直接支払いなどにより2004 年度の食糧生産は増加 に転じたが、「三農問題」の解決には程遠く、中国の農業構造に大き
な変化は見られない。 一方、中国の食料消費は量的に拡大しているだけでなく、多様化 が進んでいる。表 4 には中国の一人当たり食料消費量が、日本と台 湾との比較で示されているが、2003-05 年で見て食肉の消費量が日本 を上回っている。特に豚肉の消費が拡大しており、日本の 2 倍の水 準に達している。中国の食文化と似ている台湾の食肉消費は一人当 たり一日で 200 グラムを超えており、中国もこの水準まで増加する と見れば、さらに20%は食肉消費が増えることになる。 表 4 中国、日本、台湾の一日一人当たり食料消費量(グラム) 中国 日本 台湾 1990-92 2003-05 2003-05 2005 穀物 566 436 314 251 いも類 160 202 88 60 砂糖類 22 21 81 72 豆類・ナッツ 27 6 10 - 油糧種子 15 19 27 75 野菜 284 240 286 287 果実 51 148 156 338 食肉 78 157 121 211 牛乳 17 56 180 55 卵 20 53 52 45 魚介類 39 93 182 82 熱量(kcal) 2680 2990 2750 2955
(出所)FAO, FAOSTAT、台湾農業部 Food Balance Sheet 2005。
しかし、食料消費全体でみれば、これまでのような量的拡大は想 定しにくい。すでに熱量でみたアジアの中では最高水準の3000 キロ カロリーに近づいており、野菜、果実、鶏卵なども日本ないし台湾 の水準に達しており、牛乳と魚の消費量も台湾とほぼ同じである。 一方で、穀物消費の減少が見込まれる。食肉消費の増加は穀物消費
の減少を伴うからである。もし、穀物消費が現在の 436 グラムから 台湾並みの 250 グラム程度まで減るとすれば、40%以上の減少とな る10。 今後、食肉需要の増加は穀物消費の拡大を伴うにしても、大幅な 穀物の直接消費が減少することから、穀物需要が大幅に増加するこ とは想定し難い。ただし、食の洋風化が進展すれば、牛肉や牛乳の 消費が拡大し、飼料としての穀物需要が増加することが考えられる。 中国の食料生産は、先に述べた「三農問題」を抱えつつ、食料価 格が高騰した2008 年には史上最高水準となった。耕地面積が減少し ている中での生産増加は、単位当り収量の増加による。一方、コメ の生産は単収が伸び悩んでいる。これはコメの消費が減少している 中、生産が多収量品種から高品質なコメにシフトしていることによ る。 しかし、一時期の価格高騰期を別にすれば、中国の大豆やとうも ろこし、そしてコメの国内価格は国際価格より高く、国際競争力は ない。「三農問題」を国内価格支持で解決しようとすれば過剰が発生 する。また、WTO 加盟に伴い課された、輸入制限の削減、輸出補助 金の禁止、国内補助金の上限といった制約が、中国政府に食料問題 の舵取りを困難なものにしている。 要は自由貿易体制と整合的な国内対策の下、国内生産の振興を図 るしかない。農業構造を近代化し、貧困の削減を実現していくため には、需要増大が見込まれる付加価値の高い農産物に生産をシフト し、農地の集積を含め農村部への投資の拡大を図る必要がある。
10 坪田邦夫「新興国等の食料需給動向と日本農業の進路」『2009 年度日本農業経済学会 大会シンポジウム報告要旨』を参照。
2 東南アジアの食料と農業 東南アジア諸国は食料の輸入国と輸出国が混在し、また経済発展 の段階もまちまちである。人口は2 億 2 千万人のインドネシアから、 4 百万人のシンガポールまで格差があり、国民所得(GNI)でみても シンガポールの2 万 9 千ドルに対してベトナムは 690 ドルに過ぎな い。 農業についても一様ではない。ベトナムの農業の比重は対GDP 比 率で見て 22%と高く、インドネシア、フィリピンでも 15%を占める が、マレーシアとタイは 10%以下である。就業人口で見た農業の比 重はGDP より大きく、特にベトナムでは全就業人口の 6 割が農業に 従事しており、タイやインドネシアでも労働者の約半分が農業に従 事している。これらの国では農業が就業の場として依然として重要 であることを意味するが、就業人口比率がGDP 比率より大きい事実 は、農業部門の労働生産性が他部門に比べ大きく劣っていることを 示している。 一方、この地域の農業経営の規模は零細である。農業就業者当り の農用地面積をみると、4.6 ヘクタールのマレーシアを除けば、この 地域の平均規模は1 ヘクタールに満たない。ベトナムでは 0.3 ヘクタ ールしかない。また、農業就業人口当りでみた農業の付加価値、すな わち農業の労働生産性では、マレーシアが2 千 9 百ドルに達している のを除けば、千ドルに満たない。タイで554 ドル、フィリピンで 429 ドル、インドネシアで421 ドル、ベトナムは 182 ドルに過ぎない11。 こ う し た 農 業 労 働 生 産 性 の 低 さ は 、先 に 見 た 農 業 就 業 人 口 当 り の
11 本間正義「APEC の貿易自由化と農業-FTA における農業問題」『出現する巨大市場 ・アジア太平洋-日米の戦略と20 年目の APEC』日本経済研究センター、2008 年 12 月、第7 章、を参照。
耕 地 面 積 の 狭 隘 さ と 相 ま っ て 、こ の 地 域 の 農 業 の 比 較 優 位 性 の 低 さ を浮き彫りにする。しかし、これらの指標は土地利用型の農業につい ての比較優位性を示すものであり、農地にあまり依存しない果樹野 菜など園芸型農業ではこの限りではない。実際、東南アジアからの農 産物輸出で成長著しいのは、穀物などバルキーな作物ではなく、果樹 ・野菜、花卉といった単価が高く付加価値の大きい品目である。 一方、食料消費の構造を見ると、総じて東南アジア諸国の消費水 準や構成には大きな変化が見られないことが指摘されている。例え ば、インドネシアでは食肉をはじめとした畜産物の消費水準が相対 的に低く、代わりに穀物やいも類の消費量が多い。また、タイでは 所得水準の割には供給熱量が低いが、穀類の消費量が相対的に少な く、代わりに食肉や野菜、果実、乳製品、魚介類などを多く取るバ ランスのとれた構成となっている12。 このように伝統的食習慣は根強いものがあり、経済成長により所 得水準が上昇しても、あまり大きな変化はみられない。この点は、 経済成長に伴って一人当たり食料熱供給量が着実に増加し、食料消 費の構造が急速に変化した中国と対照的である。タイは中国より一 人当たり所得(GNI)が 20%ほど高いが、熱供給量は逆に 2 割も少 ない。食肉消費量も半分以下である。したがって、この地域では不 況を脱して、経済成長が続いても、しばらくは一人当たり穀物需要 が急増するという可能性は小さいと思われる。 しかし、経済成長が都市部への人口集中を加速させ、大量の都市 中産階級を生み出し、食料消費のパターンを変えつつあることも事 実である。日本、韓国、台湾で起きたように、都会ではスーパーマ ーケットが一般的になり、外食産業が拡大すれば、食生活も変わる。
12 坪田邦夫、前掲書。
実際、東南アジア諸国の農産物の輸出が、穀物や未加工の食材であ ったものが、農産物加工品に大きくシフトしている。これまでの加 工品・調製品の輸出は先進国向けであったが、今後は、途上国間の 農産物の加工品輸出の成長が見込まれる。 3 韓国と日本の農業問題 韓国と日本の農業はそれぞれ工業成長を中心とした経済の急速な 発展に伴い経済に占める比重を低下させてきた。韓国と日本の農業 の比重は2004 年の対 GDP で見てそれぞれ 3.8%と 1.1%、総就労人口 比で見て7.7%と 4.1%となっている。農家数は韓国で 124 万戸、日本 で293 万戸(いずれも 2004 年)であるが、韓国では約 3 分の 2 の農 家が専業農家であるのに対し、日本の専業農家は全農家の 15%でし かない。耕地面積は韓国で184 万 ha、日本で 471 万 ha であるが、農 家1 戸当たりの耕地面積は韓国・日本共に 1.5ha 程度に過ぎない。 兼業化の進んだ日本の農家の平均所得は2002 年で 784 万円にのぼ るが、その内農業所得は102 万円で農家所得の 13%に過ぎない(農 林水産省「農業経営統計調査」による)。一方、専業の多い韓国の農 家所得は245 万円(10 ウォン=1 円)で、その内農業所得は 113 万 円で46%を占める(韓国統計庁「農家経済統計」による)。 このことは農業市場の開放で農産物価格の低下は日本より韓国の 農家への影響が大きいことを意味する。所得に関する限り日本は韓 国より自由化への閾値は低いといえよう。しかし、日韓ともに農業 構造は零細であり、より広域な貿易自由化や経済連携に向けて改革 が必要であることに違いは無い。 韓国は日本よりコメ生産への依存度が高く、2002 年で耕地面積の 61%が水田(日本は 55%)であり、農業生産額でも 30%(日本は 24%) がコメである。先のガット・ウルグアイラウンド(UR)で韓国のコ
メは関税化を猶予されたが、途上国扱いではあるが韓国はミニマム アクセスで国内消費量の4%の輸入を余儀なくされている。 韓国はUR による市場開放対策として 1990 年代に施設野菜などの 輸出戦略品目の育成が図られたが、必ずしも成功しておらず野菜の 生産額シェアは1995 年に 25%を超えていたが、近年は 21%程へと低 下している。この過程で農家の負債が増加し2003 年農家 1 戸当たり 平均で2700 万ウォン(270 万円)と農家所得を上回っている。 日本より重要性の高いコメは日本同様コメ消費の減少に対応しき れず、生産調整を実施している。コメの生産費は日本の 3 分の 1 程 度といわれるが、品質に大きな格差があるので直接的な比較は出来 ない。また、韓国のコメ生産費に占める支払い地代が大きいと言わ れ13、特に5ha 以上の大規模層のコメ生産費の 4 割が支払い地代であ る。このため規模拡大しても生産費の圧縮につながらず、効率的生 産が阻まれている。 韓国では離農後都市に移住しても不在地主として農地の所有が認 められ、賃貸借が進展しているが、農地賃貸市場をより効率化し農 地の集積を図ることが急務となっている。 農地の有用利用は日本でも緊急の課題である。日本の場合、コメ 生産における規模拡大と農地の集積が畜産など他の農業分野に比べ て遅れている。その理由は生産調整による高米価に支えられ小規模 農家でもコメ生産が可能であることに加え、農地の転用期待や固定 資産税や相続税の優遇で、たとえコメ生産自体は赤字でも農地を保 有することに便益が生まれ、保有を継続し賃貸した場合返却の取引 費用がかかることなどから賃貸借による農地の流動化も十分ではな い。
13 石田信隆「韓国農業の現状と日韓 FTA」『農林金融』2004 年 7 号を参照。
日本・韓国にとっての食料・農業問題は食料自給率の低さに象徴 される。日本も韓国も1970 年頃はそれぞれ 60%と 80%の高さにあっ た食料自給率は、40%と 49%へと低下している。これは、両国が開 放経済の下に、比較優位に基づく貿易の拡大を通じて経済成長を果 たした結果でもある。言い換えれば農業部門が差別化や高付加価値 化を通じて生産性の向上を実現できなかったことによる。 しかし、食料自給率の低さが国際食料価格の高騰や、輸出国の輸 出禁止政策によってクローズアップされ、それが食料の安全保障を 脅かすとの議論が活発化した。食料自給率の向上は食料の安全保障 を確保することに繋がるのか。この問題は節を改めて検討すること にしよう。
六 食料の安全保障の考え方
食料価格の高騰や輸出禁止措置がとられたことで、日本など食料 自 給 率 の 低 い 地 域 で は 、 食 料 輸 入 の 安 定 確 保 に 不 安 の 声 が 上 が っ た。おりしも中国の輸入食品に毒物が混入される事件などもあり、 食品の安全の面からも国内産食料にシフトする動きがみられた。様 々な情報を下に消費者が判断し市場で選択することには何の異論も ない。しかし、政策誘導で国産品の保護が強化され、輸入制限の削 減に後ろ向きになることは避けなければならない。以下では、日本 の政策を例に取り上げながら、食料価格の高騰時から議論されてい る食料安全保障について考えてみよう。 日本を例にとれば食料自給率は 40%であり(2007 年)、確かに先 進国の中でもっとも低い。しかし、1960 年には 79%の高さにあった し、1970 年でも 60%の水準にあった。現在の自給率は 1960 年の半 分でしかなく、70 年と比べても 3 分の 2 であり、その低下に歯止め がかかっていない(ここでいう自給率は「供給熱量自給率」、すなわち摂取しているカロリーの内の自給の割合)。 しかし、「安全と安定供給のために自給率をあげよ」というのは議 論のすり替えである。まして、自給率の低下そのもので食料の安全 保障が脅かされているわけではない。かつて米国のBSE 問題で日本 では「牛丼の消えた日」といった情緒的な表現で報道されたが、正 確に言えば「アメリカ産の牛肉を使った、安い牛丼が消えた」ので あり、少々高くていいなら国内産やオーストラリア産の牛肉を使っ た牛丼が食べられた。中国産餃子問題も同様であり、餃子が全て消 えた訳ではない。国内産、各国産という多様な供給源のうちのひと つを失い、その結果、メニューのいくつかが消えたにすぎない。一 方で、中国からの農産物はあらゆる食材に及んでおり、中国からの 輸 入 な し に 今 日 の 日 本 の 食 卓 を 考 え る 事 が で き な い の も 事 実 で あ る。 また、鳥インフルエンザウイルスが日本でも発生したことが示す ように、「国内産だから安全だ」という証拠もなければ、安全を確保 するためのシステムもない。むしろ、海外産の方が検疫を通してい る分、安全性が高いといえるくらいだ。記憶に残るところでは、1996 年には O-157(病原性大腸菌)が国内で発生し、大きな騒ぎとなっ た。そもそも、食品に関しても100%リスクがないということはあり 得ないのである。 だとすれば、仮に自給率を100%にした状態で、国内産の農産物や 畜産物に問題が発生したら、餃子がたべられなくなるどころの事態 ではない。より多くのメニューが消え、大きなパニックが起こるだ ろう。供給源を国内だけにする方がよほど安全と安定供給を危うく するのは明らかであり、供給源を多様化してこそリスクを分散でき るのである。 にもかかわらず「自給率をあげよ」という声が出てくる背後には、
「自分たちを保護せよ」という国内生産業者や、それを政策的に後 押ししようとする農水省の政治的なプロパガンダが見え隠れする。 食料・農業・農村基本計画では、食料自給率を2015 年に 45%までに 上げるという目標を掲げているが、客観的に見て不可能である。こ の目標は食生活の見直しによる食事カロリー摂取量の減少と、現在 438 万(2005 年)ヘクタールしかなく減少を続けている農地作付面 積を 471 万ヘクタールに拡大することを前提にしている。前者はと もかく後者の作付面積が不可能であることは専門家の間で一致した 見解である。たとえ食料自給率が 45%に上昇したところで、国民は どれだけ安全保障が確保されたと感じるであろうか。 同様に、世界の食料価格の上昇やバイオ燃料ブームを受けた議論 でも情緒的反応が多い。日本の大量輸入は途上国の食料を奪ってい るとか、今後日本は世界市場で食料を買えなくなるとか、世界の輸 出国は間もなく輸出禁止に走り、日本はパニックに陥る、といった 声が多く聞かれた。世界の穀物価格市場の変化をしっかり分析した 上での反応ではない。 先に述べたように、日本の食料自給率は非常に低い。「低い」とい うと悪いことのように聞こえるが、そうではない。1960 年に貿易自 由化計画大網が策定されて以来、食品の多くの品目でも輸入が自由 化され、関税率が下がった。そして、国内産と海外産があるとき、 消費者や外食産業、食品産業などは海外産の方を多く選択した。つ まり、海外産を強制したからではなく、市場原理に従ったことがい まの自給率の低さをもたらしたのである。また、いうまでもなく、 日本は国土の多くが山岳であり、限られた平地での農業はコスト高 にならざるを得ない。 日本の農水省が面白い算出を行っている。代表的な調理品目ごと にカロリーの自給率を計算したものだ。たとえば、ラーメンは中華
スープ、焼き豚、ねぎ、ゆで中華麺、油から成り立っているが、カ ロ リ ー の 大 き い ゆ で 中 華 麺 は す べ て 輸 入 で 自 給 率 が 0% で あ る た め、ラーメン全体としての自給率はわずかに 3%。同様に計算する と、カレーライスの自給率 49%、肉じゃがは 43%、スパゲティボン ゴレは7%だという。最近、讃岐うどんが流行っているが、じつはそ の原料はオーストラリアン・スタンダード・ホワイトという輸入小 麦である。あれだけ腰の強いうどんは国内産の小麦では作れない。 蕎麦にしてもタスマニア産の蕎麦は美味しい。美味しい和牛を育て るための飼料は海外産である。こうした例は枚挙にいとまがない。 280 円の牛丼も海外産の牛肉があって初めて実現したことを忘れて はならない。 一般に、国民は自給率の低さをことさら強調されると、戦争など の有事の際に食料が安定供給されるのだろうかと不安を覚える。な らば、不安を取り除くための対策を立て、それを国民に周知させて おく必要がある。たとえば、自給率 55%のスイスは、有事によって 食料の供給危機が起こった場合、それを乗り切るために 2 つの対策 を立てている(もちろん摂取カロリーは制限される)。 ひとつは配給制度の導入である。危機発生後10 日間、国民は商店 などで食料を購入することを禁止され、その間は家庭備蓄を切り崩 す。そして、11 日目から配給を始めることになっている。もうひと つは、国内産の増大だ。危機発生から 3 年かけて牧草地などを転換 して農耕地を増大させ、その間は備蓄の切り崩しと友好国からの緊 急輸入でしのぎ、最終的に自給率を100%に持っていくことになって いる。土地利用から輸送に至るまで、各村、各農地ごとに詳細で具 体的な計画が立てられており、それを実行するための人員配置まで 決められている。違反した場合の罰則規定もある。 こうしたマニュアルはコミュニティごとに保管され、いつでもそ
れを取り出して実行すればいいようになっている。つまり、いざと いうときの青写真と、それを実行するための担保措置が十分とられ ているのである。 スイスでは第 2 次世界大戦中からこうした計画が策定され、その 後、何度か書き換えられている。これこそが真の食料安保である(も っとも、冷戦終了により不測の事態が発生する可能性は低くなった として、90 年を最後に新たな計画は策定されていないのだが)。これ と同様のことは多くのヨーロッパ諸国で行われている。 日本では2002 年 3 月に農水省が「不測時の食料安全保障マニュア ル」なるものを策定し、それを官邸が管理している。そのマニュア ルでは、不測時のレベルが「国民が最低限必要とする熱量(1 日当た り2020 キロカロリーと仮定)の供給が困難となるおそれがある場合」 など 3 段階に分けられ、備蓄の活用、輸入先の多角化・代替品の輸 入の促進、緊急増産・生産転換などによって供給を確保する、とい った対策が記されている。 だが、それは単に青写真(考え方)を描いたものにすぎず、スイ スのように実行するための担保措置が取られていない。これでは実 際に不測の事態が起きたとき、なんの役にも立たない。本来、食料 の問題は軍事やエネルギーの問題と同様、総合安全保障の一環と位 置づけ、有事法制の中に組み込むべきである。当然ながら、食料の 生産や輸送には石油などのエネルギーが必要であり、密接にリンク している。また、緊急時の食料生産システムを具体的かつ詳細に策 定しておくべきである。 一方で、平時の食料供給は国際的協定で輸入の安定化を図るべき である。そのためにFTA の推進とその活用が望まれる。WTO では行 使することが出来る輸出禁止を行なわない取組みや、天候や農業生 産に関する情報の優先的提供、協同での穀物備蓄など、取組みは様
々に考えうる。農業輸出国とのFTA なしに今後の国際的経済連携は 見通せない。 こうした根本的な対策を考慮することなく、国際市場の混乱期に 乗じて、生産者保護のために自給率向上を農業政策の最優先課題と するならば、国民不在の憂うべき政策だといわざるを得ない。
七 食料問題の克服-むすびにかえて
食料問題は古くて新しい課題である。マルサスが『人口論』で「人 口の自然増加は幾何級数をたどるが、生活資料(食料)は算術級数 で増加するに過ぎないゆえ、過剰人口による貧困の増大は避けられ ない」と書いたのは1798 年であるが、人類はそれから幾多の「成長 の限界」を乗り越え、今日65 億人を超える人口を養っている。 成 長 の 限 界 を 乗 り 越 え て き た の は ひ と え に 技 術 進 歩 の 結 果 で あ る。様々な農法の開発や農業技術、新品種、農業機械などにより、 人類は限られた地球資源を有効に活用し人口増加と豊かさを実現し てきた。今日抱える食料問題も、人類の英知を結集して解決にあた らなければならない。 今日の食料問題は貧困からくる栄養不足問題と、所得向上に伴う 食料消費の変化、そして食料か燃料化の選択という 3 つの問題が相 互にからみあい、かつ同時に解決を求められているところに困難が ある。これら 3 つの食料問題に共通するのは、どんな国でも一国で 解決できる問題ではなく、国際間の協調となんらかの国際的共同作 業を行うシステムを必要とすることであろう。 栄養不足問題は市場にアクセスできない貧困者の問題であり、市 場の失敗とみることができる。緊急援助の組織としてはWFP(世界 食料計画)や FAO(国連食料農業機関)などがあるものの、経済発 展のための援助とともに、国際的な社会セーフティネットの構築が求められる。これまでの援助のようにヒモ付き援助や戦略的援助政 策ではなく、世界が協調して国際的弱者を支援するシステムを早急 に必要としているのである。 新興国の台頭による国際食料市場の変化は、市場で解決すべき問 題である。市場価格の上昇は生産者に増産の意欲をもたせ、消費者 は安価で良質な代替品を求めるようになる。そこに新規参入や商品 の差別化が起こり、市場はより成熟していく。実際、豪州の牛肉や 乳製品などはいち早く中国対応に生産体制をシフトさせて、新興市 場に浸透している。 必要な事は国際市場をより大きくすることであり、そのためには WTO や FTA を通じて国境措置を削減・撤廃し、国内市場と国際市場 を正しくリンクさせることである。世界のすべての市場が連動すれ ば 、 そ の と き こ そ 地 球 規 模 で の 効 率 的 資 源 配 分 が 実 現 す る の で あ り、また、国際価格は局所的変動に対して極度に反応することなく 安定する。 バイオ燃料の展開は注意深く見守る必要がある。第一世代バイオ 燃料に限って言えば、石油に代替するには生産が限られ脱石油を実 現するには至らない。また、カーボンニュートラルの性質にしても、 過剰な期待に反して現実の生産工程で排出される二酸化炭素量は無 視できない。第二世代にしても、いつどこまでコストダウンに成功 するのか、生産資源は食料生産と競合するために間接的であっても 食料と競合することは避けられない。 バイオ燃料の課題は技術開発である。日本などの技術先進国がコ メや稲わらのバイオ燃料化を安価に実現する技術を開発し、実際の 生産はアジア各国で行なうことが望ましい。アジアモンスーン地域 ではコメ生産が農業の中心であるが、日本だけでなくアジア各地で コメの消費が減退している。価格高騰時にベトナムやインドのコメ
輸出禁止で国際米価は高騰したが、コメの新たな市場開拓の一環と して、コメや稲わらによる安価なバイオ燃料化を成功させてアジア に投資・援助することは、アジアの農業発展におおいに貢献するこ とになろう。
〈参考文献〉
World Bank, World Development Report 2008, World Bank, 2007.
天笠啓祐「バイオ燃料はクリーンか?」『農業と経済』2008 年 4 月号、43-50 頁。 石田信隆「韓国農業の現状と日韓FTA」『農林金融』2004 年 7 号。 小泉達治『バイオエタノールと世界の食料需給』筑波書房、2007 年。 高橋大輔・櫻井武司「インド:「穀物輸出大国」の終焉」『農林経済』2007 年 1 月 29 日 号、時事通信社、8-12 頁。 坪田邦夫「新興国等の食料需給動向と日本農業の進路」『2009 年度日本農業経済学会大 会シンポジウム報告要旨』。 野村総合研究所『バイオ燃料に関する報告』野村総合研究所、2007 年、12 月、14-15 頁。 速水佑次郎・神門善久『農業経済論・新版』岩波書店、2002 年、第1章。 本間正義「APEC の貿易自由化と農業-FTA における農業問題」『出現する巨大市場・ア ジア太平洋-日米の戦略と20 年目の APEC』日本経済研究センター、2008 年 12 月、 第7 章。 本間正義「アジア経済と食料問題」浦田秀次郎・木下俊彦編著『アジア経済:リスクへ の挑戦』勁草書房、2000 年 10 月、第 6 章。 (寄稿:2009 年 5 月 4 日、審査:2009 年 5 月 25 日、採用:2009 年 6 月 16 日)