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川上弘美文學之後現代戀愛 - 政大學術集成

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Academic year: 2021

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(1)國立政治大學日本語文學系研究所 碩士學位論文. 川上弘美文学におけるポスト恋愛. 治 政 川上弘美文學之後現代戀愛 大 立 ‧ 國. 學. Postmodern Love in Kawakami Hiromi’s Literary Works. ‧ er. io. sit. y. Nat. al. n. v i n Ch 指導教授:黃錦容 e n g c h i U博士 研究生:陳婉瑜 撰. 中華民國 104 年 7 月.

(2) 謝辭 本篇論文的完成,要感謝一路走來的家人、和所有師長、同學、朋友 們對我的支持與鼓勵,讓我擁有恆心和毅力,堅持努力的完成論文。 感謝指導教授黃錦容老師,對於論文的指導與建議,讓我受益良多。 感謝在政治大學日文系及日研所的所有老師們的指導,讓我在日文系及日 研所的課程當中,透過多元課程的學習,在論文書寫增添許多助益。 謝謝在大學時期培養我日文能力和通識課程的老師們。謝謝日文系的 小林幸夫老師,在大學時給予我的日文口語的教導以及對於日研所選組的. 政 治 大 培養與訓練。謝謝日本研究中心蔡增家老師,透過國際時事議題以及日本 立 詳細分析說明。謝謝日文系的吉田妙子老師,大學時期對日文寫作能力的. ‧ 國. 學. 漫畫等課程,讓我對於日本研究有更進一步的了解與認識。謝謝政大師資 培育中心的陳木金老師,透過深入淺出的講解課程,讓我對於日文教育和. ‧. sit. Nat. 期許,讓我得以用更謙和的心態去面對許多挑戰。. y. 培育英才具有理想與憧憬,順利考取教師證。更感謝陳木金老師的鼓勵與. er. io. 在研究所期間,特別感謝政大日研所的徐翔生主任,無論在課程或人. n. 生規畫上,耐心親切的給予我很多的指導與幫忙,更教導了我許多待人處 a v. i l C n hengchi U 事的道理。因為有徐主任對我的信心與支持,讓我能夠堅持到底。也要謝 謝日文系的賴庭筠助教和徐欣瑜助教對於研究所相關事項以及口試安排. 等諸多方面給予我的協助。還有感謝教會的朋友宜璇和明霓,透過聚會活 動和禱告,因著對天主的信仰,使我能夠堅定信念且安定心靈,專注於論 文的寫作。也感謝佛教真如苑提供獎學金,讓我赴日蒐集資料,使我得以 在論文書寫更加順利。 最後,由衷感謝我的父母,在這漫長的四年研究所生涯當中,一直給 予我源源不斷的鼓勵與支持,讓我能夠不忘初衷的憑藉著對文學的熱愛, 勤奮不懈的將本篇論文完成。感謝天主!. 1.

(3) 川上弘美文學之後現代戀愛 摘要 本論文對於川上弘美文學作品之後現代戀愛進行研究。以越界和變 身、後現代的身體性、戀愛的不可能性以及後少女的戀愛為各章標題 進行探討。透過川上弘美對於異界空間的幻想、日常和非日常的轉換. 政 治 大. 和後現代戀愛之型態和不可能性等議題,筆者針對川上弘美文學當中,. 立. 異界空間、戀愛形態、死亡描寫等特徵進行考察。並且比較在東日本. ‧ 國. 學. 311 大震災之後,川上弘美文學的變化。. ‧ sit. y. Nat. io. n. al. er. 關鍵字:川上弘美文學、越界、變身、後現代戀愛. Ch. engchi. i n U. v. 2.

(4) 川上弘美文学におけるポスト恋愛 要旨 本論文は川上弘美文学におけるポスト恋愛を研究する。 各章のテーマは越境と変身、ポスト現代の身体性、恋愛の不可能性、 ポスト少女の恋愛を分けられている。ここでは、川上弘美文学にお. 政 治 大. ける異界空間への幻想、日常と非日常の変換とポスト恋愛の形態と. 立. 不可能性などの議題について考察を試みる。さらに、東日本 311 大. ‧ 國. 學. 震災が発生した後の、川上弘美文学の変化を比較している。. ‧ er. io. sit. y. Nat. al. n. v i n Ch キーワード:川上弘美文学、越境、変身、ポスト恋愛 engchi U. 3.

(5) 目次 第一章 序論 1.1 研究動機と目的…………………………………………………………………..5 1.2 先行研究…………………………………………………………………………12 1.3 研究範囲と方法…………………………………………………………………15 1.4 論文構成…………………………………………………………………………18 第二章 越境と変身―ファンタジーとしての日常空間に 2.1 はじめに…………………………………………………………………………19 2.2 変身した「異種」…………………………………………………………………25 2.3 主人公と異種における日常と非日常…………………………………………38 2.4 おわりに…………………………………………………………………………50. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 第三章 『センセイの鞄』におけるポスト現代の身体性 3.1 はじめに…………………………………………………………………………52 3.2 ポスト家族の現在―疎外しがちの家族関係…………………………………53. ‧. 3.3 恋愛と結婚―差異化されたジェンダーへの抵抗……………………………62 3.4 セクシュアリティとしての身体性―無性恋愛………………………………72 3.5 おわりに…………………………………………………………………………80. sit. y. Nat. n. al. er. io. 第四章 恋愛の不可能性―川上弘美文学における愛欲の形 4.1 はじめに…………………………………………………………………………81 4.2 恋愛における不安―『溺レる』と『ニシノユキヒコの恋と冒険』………82. Ch. engchi. i n U. v. 4.3 母性神話の原形―『なめらか熱くて甘苦しくて』における性と死……..100 4.4 おわりに ………………………………………………………………………117 第五章 ポスト少女の恋愛―成熟はいかにして可能なものか 5.1 はじめに……………………………………………………………………......118 5.2 恋愛小説における少女性と成熟……………………………………………..120 5.3『神様 2011』における非日常とファンタジー……………………………..126 5.4 震災後の文学―ファンタジーの変容………………………………………..136 第六章 結論……………………………………………………………………….143. 4.

(6) 第一章. 序論. 1.1 研究動機と目的 川上弘美は、1958 年に東京都に生まれ、5 歳から 7 歳までアメリカ合衆国で 過ごした。小学校 3 年生のある 1 学期間を休まざるをえない病気にかかり、こ のときに自宅で児童文学を読み始めたことがきっかけで読書家になる。雙葉中 学校・高等学校を卒業後、お茶の水女子大学理学部生物学科に入学し、SF 研 究会に所属、のちの漫画家湯田伸子も同じ研究会のメンバーになった。 1980 年、大学在学中に山野浩一発行・山田和子編集のニュー・ウェーブ SF. 政 治 大. 雑誌『季刊 NW-SF』第 15 号にて、 「小川項」名義の短篇「累累」を掲載。次号 の第 16 号で旧姓「山田弘美」名義の短篇「双翅目」を発表、また「女は自ら 女を語る」という座談会にも編集者として加わった。1980 年に大学を卒業し、 NW-SF 社で働くが 1982 年『季刊 NW-SF』が第 18 号で休刊。それから、同 1982. 立. ‧ 國. 學. 年に田園調布雙葉中学校・高等学校で生物科の教員となる。. ‧. n. al. er. io. sit. y. Nat. 1986 年までの 4 年間の教員生活でまもなく退職した。結婚・出産から主婦 を経て、1994 年に「神様」で第 1 回パスカル短篇文学新人賞を受賞。次いで 1995 年に「婆」が第 113 回芥川龍之介賞候補作品となり、翌 1996 年に『蛇を 踏む』で第 115 回芥川龍之介賞を受賞。1999 年、 『神様』で第 9 回紫式部文学 賞、第 9 回ドゥマゴ文学賞。2000 年、『溺レる』で第 11 回伊藤整文学賞、第 39 回女流文学賞を受賞。2001 年に第 37 回谷崎潤一郎賞を受賞した『センセイ. Ch. engchi. i n U. v. の鞄』では、中年女性と初老の男性との淡い恋愛を描き、ベストセラーとなっ た。2007 年、 『真鶴』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。その後、 『風花』、 『ど こから行っても遠い町』などの作品を発表され、1 年に 1~2 冊の本を発表し ている。 しかし、東日本大震災(2011.3.11)以後、発表される小説の数が減り、『天頂 より少し下って』(2011)、『神様 2011』(2011)、『七夜物語 上・下』(2012)三 冊しか書かれていない。その上『神様 2011』は 1998 年の『神様』の二次創作 となるものである。それにひきかえ、2013 年からは『なめらかで熱くて甘苦 しくて』(2013.2)、 『晴れたり曇ったり』(2013.7)、 『猫を拾いに』(2013.10)、 『水 声』(2014.9)の四冊が出版されている。. 5.

(7) 以下はこれまでの川上弘美の作品のリストとなる。 1. 2. 3. 4. 5. 6.. 『物語が、始まる』、中央公論社、1996.8 『蛇を踏む』、文藝春秋、1996.9 『いとしい』、幻冬舎、1997.10 『椰子・椰子』、小学館、1998.5 『神様』、中央公論社、1998.9 『溺レる』、文藝春秋、1999.8. 7.. 『あるようなないような』、中央公論新社、1999.11 『おめでとう』、新潮社、2000.11 『なんとなくな日々』、岩波書店、2001.3 『センセイの鞄』、平凡社、2001.6 『ゆっくりさよならをとなえる』、新潮社、2001.11 『パレード』、平凡社、2002.5 『龍宮』、文藝春秋、2002.6 『光ってみえるもの、あれは』、中央公論新社、2003.9 『ニシノユキヒコの恋と冒険』、新潮社、2003.11. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 8. 9. 10. 11. 12. 13. 14. 15.. ‧. 16. 『古道具 中野商店』、新潮社、2005.4 17. 『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』、平凡社、2005.9 18. 『此処 彼処(ここ かしこ)』、日本経済新聞社、2005.10 19. 『夜の公園』、中央公論新社、2006.4 20. 『ざらざら』、マガジンハウス、2006.7 21. 『ハヅキさんのこと』、講談社、2006.9 22. 『真鶴』、文藝春秋、2006.10 23. 『東京日記2 ほかに踊りを知らない。』、平凡社、2007.11. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. i n U. v. 24. 25. 26. 27. 28. 29. 30. 31.. 『風花』、集英社、2008.4 『どこから行っても遠い町』、新潮社、2008.11 『これでよろしくて?』、中央公論新社、2009.9 『パスタマシーンの幽霊』、マガジンハウス、2010.4 『機嫌のいい犬』、集英社、2010.10 『東京日記3 ナマズの幸運。』、平凡社、2011.1 『天頂より少し下って』、小学館、2011.5 『神様 2011』、講談社、2011.9. 32. 33. 34. 35. 36.. 『七夜物語 上・下』、朝日新聞出版、2012.5 『なめらかで熱くて甘苦しくて』、新潮社、2013.2 『晴れたり曇ったり』、講談社、2013.7 『猫を拾いに』、マガジンハウス、2013.10 『水声』、文藝春秋、2014.9. 6.

(8) 川上弘美の作品では一つ大きな特徴として、「異界との関わり」である。 高橋広満は『近代小説<異界>を読む』の後書きにおいて「<異界>論のいざない」 という題で以下な見解を示している。 『大辞林』によると、「異界」という言葉の意味は「人類学や民俗学で の用語。疎遠で不気味な世界のこと。亡霊や鬼が生きる世界」とある。 なぜ異界などという言葉が必要だったのか。小松和彦は民俗学の分 野で村落社会の向こう側を表すのには「他界」という語があるが、そ れに付随してきた「死後の世界、神々の世界」というイメージが、 フォークロア1の問題をもっと広くとろうとした氏には不都合であっ た。幽霊屋敷や古い蔵や人影のない神社や墓地といった、子供時代 から感覚的に受け止めてきたものを包含するために、氏は他界では なく異界を用いたのである。2. 政 治 大. 『物語が、始まる』(1996)では、粗大ゴミの日に<ゆき子さん>が団地の端に ある公園の砂場で<雛型>を拾った。最初は一メートルほどの大きさの男の<雛. 立. ‧ 國. 學. 型>であったが、家に連れ帰り、食事も与えて一緒に生活しているうちに、段々 と大きくなり、<ゆき子>さんによって<三郎>と名付けられる。 以下の引用は雛型が男性を変化し、また雛型に戻る描写である。. ‧. n. al. er. io. sit. y. Nat. 「雛型は、もう雛型ではなくなり、男になってしまった。奥まった目 の、考え深そうな表情の、若い男になったのである。若い男になった からには、特別な会話だのある種の葛藤だのが私との間に生じるかも しれない、と、最初は考えたのだが、雛型だった時とまったく雛型の 様子は変わらなかった。よくよく考えてみれば、雛型のまま男になっ てただそれだけなのだから、変化が生じようはずもなかったのだ。も. Ch. engchi. i n U. v. う雛型ではなくなったので、三郎という名前をつけた。」 (『物語が、始まる』、P.20) しかし、ゆき子は雛型を拾ったことを誰にも告げずに、彼氏である本城にも 言えずにいた。しかも、ゆき子は本城との結婚を拒み、雛型と一緒に暮してい くような生活を選んでしまった。最終的に、雛型は瞬間的に老化し切ってしま ったにも関わらず、ゆき子は最後まで男性的かつ異種的な雛型の側から離れる ことなく、つきそってしまった。. 1. フォークロア【folklore】 :民間伝承。民俗。民間伝承学。民俗学。伝説、習慣、生活様式、芸 能、迷信、諺、方言などの研究。(JapanKnowledge) 2 東郷克美・高橋広満『近代小説<異界>を読む』、双文社、1999.3、P.233 7.

(9) 「三郎の老化は、あれよあれよという間に進んだ。一日に一年分と ちょっと老化する。一週間たつと、やく十歳年をとっている、という 寸法である。」(『物語が、始まる』、P.70) 「結局、三郎は紙おむつを五枚残して、三郎ではないものに戻った。 雛型なので、死ぬわけではない。最後は、口をきかなくなり、ほどな く体が縮みはじめ、一時間くらいで最初の一メートルほどの原始雛型 に戻ったのである。」(『物語が、始まる』、P.72) ここで一つ興味深い問題はゆき子はなぜ日常的な世界の生身の男性と結ば れることを望まず、却って偶々偶然に公園で拾いあげた非日常的な世界の存在 である奇形的な異種と共に生活していくことに決心したのかということであ る。しかも、老化してしまった雛型はもはや一度その人間化した人間的な外形 までも失われていき、機械的なモノに戻ってしまったというの描写は正に無残 な姿が、読者の我々には、いかにもぎくしゃくした印象を与えてくれるもので ある。ここの「モノ化された異種の原形」にはどうも『センセイの鞄』における 終末部の「空っぽのセンセイの形見である鞄」、そのものの前後呼応しあって、. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. ‧. 二つの作品には似通った無性的なポスト恋愛及び死の二重的な意味といった 二つの隠喩的な表れとして、重ね合わされているのだ。. n. al. er. io. sit. y. Nat. 『センセイの鞄』(2001) は 30 後半で未婚の大町ツキコは駅前の居酒屋で高 校の恩師、70 代の松本春綱先生と十数年ぶりに再会し、以来、憎まれ口をた たき合いながらもセンセイと肴をつつき、酒をたしなみ、キノコ狩りや花見、 またある時は島へと出かけた。そして、ツキコがセンセイとの恋を描写する時 点はもうセンセイが死んだ 2 年後である。センセイはもう異界の死者になって. Ch. engchi. i n U. v. しまったのだ。ツキコとセンセイ、その二人がかなり年齢的にかけ離れた恋人 同士としては生死の問題について度々取挙げている。 「センセイ」 「なんですか、ツキコさん」 「お元気なんですね」 「ワタクシが死んでいるとでも思いでしたか」 「思ってました、ちょっと」 センセイは、声を出して笑った。わたしも笑った。しかし笑いはその まま収束してしまう。死ぬ、なんて言葉を使わないでください、セン セイ。わたしはそう言いたかった。でもツキコさん、人は死ぬもので す。そのうえワタクシの年齢であると、死ぬ確率はツキコさんよりも はるかに高い。これは道理です。センセイは答えるにちがいなかった。. 8.

(10) いつだって、死はわたしたちのまわりに漂っている。 (『センセイの鞄』、P.235) 『蛇を踏む』(1996)において主人公のヒワ子は藪で蛇を踏んだ。そして蛇は 女の姿になり母性的な良妻賢母として役割を果たしていく。そして人の形を取 った蛇は五十歳くらいの女性の姿で、自分がヒワ子のお母さんと名乗った。こ の作品は最後にヒワ子を蛇の世界へと誘うところで終結している。 巻きつきながら、女が言った。 「ヒワ子ちゃん、蛇の世界はあたたかいわよ」 うんうんと頷くと、女はつづける。 「ヒワ子ちゃんも蛇の世界に入らない?」 いやともいいとも取れる首の振り方をして私は蛇の抱擁から静かに 身をはがした。蛇の世界にはそれほど魅力を感じなかった。私がそう 考えていることは蛇にもわかっているのだろう、こんどは腕を巻きつ きずに私の正面に座って膝をかかえた。(『蛇を踏む』、P.37). 政 治 大. 學. ‧ 國. 立. 吉田文憲によると、川上文学における変身とは異界に渡る時の人間の精霊化 なるものとして看做される。. ‧. n. al. er. io. sit. y. Nat. 川上ワールドの基本は、変身譚である。変身、メタモルフォーゼ (metamorphose)とは、次元を超えることである。次元を超えると きにもののかたちが変わる、異界へ渡る時人はなにものかに姿を変 える。3. i n U. v. 廻りくどい言い方をしているが、センセイとは人であって人ではな い―もはや人が老いてなかば精霊化した存在、いわばセンセイは日 本文化の中の翁の系譜に属する存在だ。翁とはもはやカミの領域に 属するものだ。それは人間離れしたものの別名である。同じように. Ch. engchi. へんげ. ツキコさんもまた月の世界からこの世に下りてきた変化の人なのだ ろう。センセイとツキコさんの出会い、これはなかば人が精霊化し たもの同士の出会いであり、恋なのだ。そして作者はその出会いの 場所に駅前の一杯飲み屋を選んだ。これはこの物語の重要なトポス である。4. 3. 吉田文憲「黒い鞄と魔法の時間--『センセイの鞄』を読む」、 『総特集 川上弘美読本』、青土 社、2003.9、P.80 4 吉田文憲「黒い鞄と魔法の時間--『センセイの鞄』を読む」、 『総特集 川上弘美読本』、青土 社、2003.9、P.82 9.

(11) なお、カトリン・アマンの見解では「変身」とは異類婚姻譚や人間と動物の性 関係および結婚を巡ることが多いと指摘している。 「変身」とは、「身のさまをかえること。からだを他のものにかえるこ と。姿をかえること」と定義される。(中略)そしてまた、変身は主 動的であるか、他動的であるかである。日本の伝統的な変身譚と考 えられる異類婚姻譚では、例えば恩返しのために、動物は主動的に 人間へ変身する場合が多い。5 たとえば『蛇を踏む』のイメージは以下のようなものである。 「もう寝るわ」突然女が言って、食べたものを片づけもしないで、部 屋の一つだけある柱にからまった。どういう仕掛けになっているの か、女の体は薄くなって柱にぴたりと貼りつき、するすると柱にか らまりながら天井に登った。天井に登ってしまうとそこで落ちつき、 いつの間にか蛇に戻った。(『蛇を踏む』、P.20). 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. そして『物語が、始まる』となると、また変幻自在にできる人間的な感情表 現をする雛型のイメージも強烈に顕現化されている。. ‧. er. io. sit. y. Nat. 「笑うと、雛型はもう雛型ではなくなり、中くらいの人間になるのだ った。人間になった雛型は、しばらく笑ってから、またすぐに雛型 に戻った。」(『物語が、始まる』、P.13) 以上の二作に見られる異種の動物は人間的身体に変身する例となる。しかし、 それにひきかえて、『神様』においては周縁化される山林に生きているはずの. n. al. Ch. engchi. i n U. v. 「くま」は人間に変身することなく、ただ人間社会に馴染もうと努力する「くま」 である。そのような異種な「くま」が姿を変えないまま、人間世界にやってきて、 一緒に日常生活を営むことで、動物が人間界への「越境」6を行った例となる。 例えば、以下の描写は共同生活をする上で、「くま」はあくまでも人間的な習性 を馴染っているような心遣いをする表現である。 「くまは、雄の成熟したくまで、だからとても大きい。三つ隣の 305 号室に、つい最近越してきた。ちかごろの引越しには珍しく、引越. 5. 『《歪む身体》現代女性作家の変身譚』カトリン・アマン、専修大学出版局、2000.4、P.3~5 越境:人間の動物界および植物界への移行(動物への変身、離人化)とその逆、女性/男性およ び自分/他者という区別を超えたり裏返したりする越境、同類への変身(分身/自我分裂)、冥界 および異界への移行(幽霊への変身)、無機物、液体および気体(声など)への移行とその逆など となる。(『《歪む身体》現代女性作家の変身譚』カトリン・アマン、専修大学出版局、2000.4、 P.4). 6. 10.

(12) し蕎麦を同じ階の住人にふるまい、葉書を十枚ずつ渡してまわって いた。ずいぶんな気の遣いようだと思ったが、くまであるから、や はりいろいろとまわりに対する配慮が必要なのだろう。」 (『神様』、P.9) それから、川上文学が取り扱う主題として、「恋愛」というテーマが顕在化し 遍在している特徴が取り挙げられる。しかし、その恋愛の成就や、セクシュア リティの満足においては、ジェンダー的な意味から捉えてみると、常に生身の 身体が排除されているところから、一種の成熟の困難さが示されていることも 特徴づけられる。 例えば以下は斎藤環による川上文学の性的身体の不毛性への指摘となるも のである。. 政 治 大 言葉への信頼から、異者への親和性、とりわけメタルフォーゼへの 立 偏愛と考え進めていくと、それは要するに終始一貫した「身体性の回. ‧ 國. 學. 避」なのではないか、ということに思い至る。そう、川上作品は生身. ‧. の身体を排除しているのではないか。それは単に、身体性が薄いと いうのではない。物語から身体を取り除けば寓話かファンタジーに なるのが普通だが、川上作品がそれに近いたたずまいを持っている ことが、何よりの証となるだろう。7. sit. y. Nat. n. al. er. io. 又、和田勉の見解となると、例えば『センセイの鞄』における恋愛関係の有 様は、一種の擬似家族的な父娘的関係として把握されている。. Ch. engchi. i n U. v. 『センセイの鞄』は、センセイと月子の生殖を伴わない恋愛を描く ことに主眼はあるが、根底にあるのは、二人に共通の浮世離れした 感性である。そこには男女の関係を越えた、同じ感性を持つ者同士 の父と娘のような擬似家族的なつながりがある。8 それから、山崎真紀子はむしろ『センセイの鞄』における恋愛関係は独身の 都会生活を余儀なくされるポスト少女の未熟性の退行現象として、そこから、 恋愛相手の異性であるセンセイを仮の代理的な母性的存在の表徴として捉え ようとしている。. 7. 斉藤環『文学の徴候 身体を回避する虚構』、 『文学界』2003.12 月号、P.332 和田勉「川上弘美論」、『九州産業大学国際文化学部紀要』 (第 38 号) 、2007、P.7. 8. 11.

(13) 無条件に甘えられ、自分を肯定してくれるもっとも近しい養育者を 仮に《母》的な存在とするならば、ここでのセンセイは、ツキコに とっての代理母的な存在である。 (湯豆腐を頼んだということも暗示 9 的だ)。 しかし、尾形大は『センセイの鞄』におけるポスト恋愛について、死者の空 気が濃厚に漂わせる空間性に触れながらも、他界する死者の世界に近づきつつ、 死者の不在が同時に懐旧されるノスタルジー10的な恋愛関係などを評価して いる。 「恋愛を前提としたおつきあい」を申し込む七〇歳過ぎのセンセイと、 驚き喜び少し泣く四〇歳近いツキコさん。この物語はセンセイが没 した後、ツキコさんによって語られているのだが、二人の「おつきあ い」はセンセイの死を遠くない未来に見据えながら了承されている。 ツキコさんにとってセンセイは愛情の対象であると同時に居心地の いい故郷のような存在だったのだろう。11. 立. 政 治 大. 本研究は従来の研究によって指摘される川上作品に表現されている日常的. ‧ 國. 學. sit. al. er. io. 先行研究. y. Nat. 1.2. ‧. 世界と異界の問題に著眼し、さらに両方の越境性とポスト少女のセクシュアリ ティ及びポスト恋愛の不可能性を取り挙げ、川上文学における退行的な少女の 自律的に完結される身体性を研究課題として探求したいと思う。. n. v i n Ch 以下は『センセイの鞄』に関する先行研究の諸説である。 engchi U 岩淵宏子はセンセイとツキコの恋愛は日本の恋愛イデオロギーからはずれ ていることを指摘した。 近代以降の日本における恋愛イデオロギーの中心は、異性愛中心主 義と、いわゆるロマンティック・ラブ・イデオロギー―恋愛・結婚・ 性愛の三位一体であったが、七〇代の「センセイ」は明らかにはずれ ているし、単なる性愛のパートナーとしても、「できるかどうか、ワ タクシには自信がない」と「センセイ」自分が「厳粛」に口にする通り 9. 山崎真紀子「母と妻と恋愛をめぐる三つの鞄」―『センセイの鞄』、 『現代女性作家読本① 川上弘美』 、鼎書房、2005.11、P.93 10 ノスタルジア:(nostalgia )《ノスタルジー》 遠く離れた異郷にいて、故郷を懐かしく 思う気持。また、幼年時代など、遠い過去の時を懐かしんであこがれる気持。郷愁。(日本国 語大辞典) 11 尾形大「愛・性」、 『老いの愉楽―「老人文学」の魅力』 、東京堂、2008.9、P.293 12.

(14) だる。だがそのような「センセイ」との関係性においてこそ、「わたし」 は安寧を見出すことができるのだ。12 又、尾形大は老人の「愛・性」をテーマにし、以下のような論点を述べてい る。 川上弘美『センセイの鞄』は元高校教師のセンセイとその教え子だ った大町ツキコの出会いから始まる。二人が会う場所はたいてい何 の色気もない居酒屋だった。約束しなくても二人は出会い、憎まれ 口をたたきあいながら、不思議と居心地のいい時間を共有する。「恋 愛を前提としたおつきあい」を申し込む七〇歳過ぎのセンセイと、驚 き喜び少し泣く四〇歳近いツキコさん。この物語はセンセイが没し た後、ツキコさんによって語られているのだが、二人の「おつきあい」 はセンセイの死を遠くない未来に見据えながら了承されている。ツ キコさんにとってセンセイは愛情であると同時に居心地のいい故郷 のようなぞんざいだったのだろう。13. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 以下は『蛇を踏む』に関する先行研究の諸説である。. ‧. io. sit. y. Nat. 日野啓三によると、『蛇を踏む』とは、現代日本の若い女性の深層意識の見 えない戦いを含んだ人間と蛇との神話的な戦いの物語である。. n. al. er. 「つまり、この作品は《蛇》と《人間》との神話的な戦いの物語であ ると同時に、自足的な《存在》と自覚的な《意識》との言語表現上 の戦いの記録でもあって、この戦いも作者に永遠である。」14. Ch. engchi. i n U. v. 又、黒井千次は『蛇を踏む』における蛇が人間に代わって蛇の世界に人間を 誘うことで反変身的変身譚と考えられている。 「話としては一種の変身譚だが、人間が蛇に変わるのではなく、蛇が 人間に変わって自分の世界に人間を誘いこもうとする。それに惹か れつつも主人公の若い女性が抵抗し、蛇の世界を否定しようとする 姿勢が面白い。その意味では、これはただの変身譚というより、変. 12. 岩淵宏子 (編集)・ 長谷川啓 (編集)『ジェンダーで読む 愛・性・家族』 、東京堂出版、2006.10、 P.93 13 尾形大「愛・性」、 『老いの愉楽―「老人文学」の魅力』 、編者:尾形明子・長谷川啓、東京堂出版、 2008、P.292 14 日野啓三「戦いの物語」、 『文藝春秋』1996 年 9 月号、P.431 13.

(15) 身への誘惑に対する闘いを足場にして生み出された、反変身的変身 譚といえるだろう。」15 そして、押山美知子はこの物語の中に蛇の変貌は女性性なるものの権化と述 べている。 作中に登場する<私>、<ニシコさん>、<住職>に取り憑く<蛇>が、 <お母さん>、<叔母>、<女房>とそれぞれ女の姿に変わることは偶然 ではないはずだ。女の姿になり変わる<蛇>たちは、個々の立場に応 じて母性なり、良妻の資質なりを発揮し、模範的な女性役割の担い 手となって甲斐甲斐しく振る舞う。女性性なるものの権化とも言う べき<蛇>と<私>の、のっぴきならない駆け引きを描いた「蛇を踏む」 は、これもまた、「いまだ覚めず」や「どうにもこうにも」と同様に、 女と女の関係性を描いた作品なのだということに気付いた私は、目 から鱗が落ちるような思いだった。16. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 又、星野久美子は『蛇を踏む』の主人公ヒワ子は一人暮らしで自立した己の 世界で力を尽くすことで人生の枢要と考える日本社会における典型の女性で. ‧. ある。その上、蛇の出現は近代日本社会を脱出してきた家族性の表徴と家族関 係の変化に関係があると述べている。. n. al. er. io. sit. y. Nat. ヒワ子は静岡の親元を離れて一人暮らしと思しく、前述のように<求 められていないこと>を誰か他人さまから強制的に与えられるのを 拒否するような価値観を持っている。自立した己れの世界で力を尽 くすことをこそ人生の枢要と考えるような、ある意味現代日本社会 に典型的な若い女性である。(中略)蛇が何なのかといえば、ヒワ子が. Ch. engchi. i n U. v. 切り捨ててきた自己の価値観になじまないもの、異界の住人である といえよう。自立した己の価値観とは別個にある世間、《お母さん》 と言うからには血のつながりを基準に取るようななにものかである。 この作品は発表当時から《家族》をめぐる物語であると正確にとら えられており、近代日本社会が大家族から核家族へ、ディンクスや 単身世帯へと《脱出》してきた家族性の表徴としての《蛇》という 読みは広く受け容れられている。17. 15. 黒井千次「反変身的変身譚」、『文藝春秋』1996 年 9 月号、P.434 押山美知子「『蛇を踏む』―女たちの果てしない戦い―」、『現代女性作家読本①川上弘美』、 原善、鼎書房、2005.11、P.27~28 17 星野久美子『蛇を踏む』 『現代女性作家読本①川上弘美』 、原善、鼎書房、2005.11、P.30~31 16. 14.

(16) 1.3. 研究範囲と研究方法. 本研究の目的は、川上弘美における「異界」空間のファンタジーの幻想性、「変 身」に移動性及び日常性・非日常の変換とはどういう隠喩的な意味が暗示され ているのか、という問題を提起していきたい。 まず、「変身」とは、「身のさまをかえること。からだを他のものにかえるこ と。姿をかえること」と定義される。 「変身」および「変形」と訳されるこのギリシャ起源の言葉では、 「メタ」(meta)が「変化」、「間」および「後」を表し、「モルフェー」 (morphe)が「形」を表す。ところで「変」という部分も共に、A から B へ 移行における過程、すなわち、ある時間軸上での展開を示している。 この時間軸で行われる変化という特質は、変身譚における重要な点 である。18. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 変身譚における重要な点としては、差異化された空間的な身体の移行と越境. ‧. 性にあるものである。なお、そういった移動性に伴われる現象としては、名前 の変化という言語表現にもあるという特徴が取り挙げられる。. n. al. er. io. sit. y. Nat. 越境とは、人間の動物界および植物界への移行(動物への変身、離人 化)とその逆、女性/男性および自分/他者という区別を超えたり裏返 したりする越境、同類への変身(分身、自我分裂)、冥界および異界 への移行(幽霊への変身)、無機物、液体および気体(声など)への移 行とその逆などとなる。(中略)だが文学における変身譚での他の重. Ch. engchi. i n U. v. 要な要素としては、名前の変化がある。つまり、文学で変身を表す 唯一の方法は、言語表現の仕方に基づいているからである。19 また、竹村和子は『愛について』における欲望は欠如の別名と指摘している。 そうした異界に伴われる無名化あるいはその言語表現には一種の幼児的要求 のように聞こえるものだと理解していいだろう。 欲望が何かを「求める」ものであるかぎり、欲望は欠如の別名である。 そして人間にとって、欠如を埋めるものは、欠如したもの自体では なく、置換によって代理されたものとなる。なぜなら泣き叫ぶ幼児 の要求を言語化して聞きとる養育者を通じて、快感の満足を与えら 18. カトリン・アマン『《歪む身体》現代女性作家の変身譚』 、専修大学出版局、2000.4 、P.3~4 カトリン・アマン『《歪む身体》現代女性作家の変身譚』 、専修大学出版局、2000.4 、P.4~6. 19. 15.

(17) れる人間は、生存の与件において、すでに言語という「欠如」と「置換」 を前提としているからだ。言い換えれば、要求はつねに言語によっ て翻訳され、したがってつねに置換され、始源にあるものは、それ 自体を取り出すことはできない。むしろ言語的な存在の人間にとっ て、言語以前に何かがあると語ること自体が、自我撞着を起こすも のとなる。20 それから、幼児的な要求である性的欲望の欠如感覚においては、なお加藤秀 一は他者の欲望から捉えられた従属性と主体化の再認である一種の成長的段 階に起こるアイデンティティの再形成として看做して、分析している。 <従属>とは、すでに定義していたように、欲望の対象と用法にかか わる規範によって規定される関係性の様態であった。繰り返すなら ば、他者の欲望を自己の欲望とすること―単なる優先順位の問題で はなく、自己の欲望の志向対象が他者の欲望であるような事態―が、 <従属>の理念型的なあり方であった。(中略)これに対し<主体化>と は自分が何者であるかを知ること、すなわち自分の欲望を―より正 確には、ある欲望を自己のものとして―再認することであった。21. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. ‧. 例えば、『蛇を踏む』の主題に関しては、蛇の欲望としての代理的な母性的 な役割が人間化され、一度自我の自らの欲望の反映として編成される。それか ら、いざ異種の蛇が主人公の誘いを通して、人間界に滑り込んでしまった後は、 これまで欠如していた母的存在への欲望を補足してくれることになる。それに しても、まさか蛇の世界へ移行していくような自らの変身などは考えるよしも なく、拒絶したところの描写から見ると、既に主人公は一種の身体的成長が遂 げられていたことを意味するように思われる。. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. i n U. v. 大庭みなこは近代家庭の変化と家族の崩壞を次のように指摘している。 しかし、家庭の崩壊の本質は、社会的、経済的な制約というよりも もっと本質的なものから起き始めていると言うべきだろう。同性愛 からできるカップルもいれば、セックスレスの夫婦もあり、また非 婚のままの子供作りも主張されるし、家庭作りは社会形成の前提で はなくなった。西欧文明との接触で触発された自我の発見で膨張す る自己主張は、あらゆる制約を否定して自由を求める。ついこの間 まで文学作品の中で大きな部分を占めていた、男も女も縛られてい た「家」が崩壊した後に何があるかと思いめぐらせば、やはりそこに は人間があり、男女の関係があるのだが、いわゆる自己を確立した 20. 竹村和子『愛についてーアイデンティティと欲望の政治学』、岩波書店、2002.10、P.91 加藤秀一『性現象論 差異とセクシュアリティの社会学』 、勁草書房、2002.8、P.203~204. 21. 16.

(18) 人間が、解かれた制約の後に己を失ってしまっていると言ったら皮 肉だろうか。22 そして、ポスト家族の崩壞と再編成、あるいは任意的で擬似的な家族の出現 としては『センセイの鞄』におけるセンセイとツキ子の両者の関係性の構築に も髣髴させる。ポスト家族の内面における孤独なポスト少女の未熟性として見 られる。 また、吉本隆明は『共同幻想論』の中に、共同幻想・自己幻想・対幻想とい う三つの概念を提示した。そして、共同幻想における他界の問題は幻想や整理、 それに思想的に<死>と関わりがあると指摘している。 いうまでもなく共同幻想の<彼岸>に想定される共同幻想は、たとえひ とびとがそういう呼びかたを好まなくても<他界>の問題である。そし て<他界>の問題は個々の人間にとっては、自己幻想か、あるいは <性>としての対幻想のなかに繰込まれた共同幻想の問題となってあ らわれるほかはない。しかしここに前提がはいる。<他界>が想定さ れるには、かならず幻想的にか生理的にか、あるいは思想的にか <死>の関門をとおらなければならないことである。だから現代的な <他界>にふみこむばあいでさえ、まず<死>の関門をくふりぬけるほ かないのである。23. 立. 政 治 大. ‧. ‧ 國. 學. y. Nat. sit. n. al. er. io. こうして、異種異類の変身譚に付与された恋愛の不毛性や、無名化された言 語表現、あるいは朦朧とした中間的な空間の、あるような、ないような身体的 な連帯のあり方からみると、吉本隆明が取り挙げている『共同幻想論』につき まとわれる性と死の両義性、他者の不在である幻想的なファンタジーの空間が. Ch. engchi. i n U. v. 設定されることなど、そこからは既にポスト恋愛の困難さを物語っているよう にも読み取れる。以上の通りに、異界の異種ないし他界する死者との関わり合 いや、両者の共生共存する有様から、さらに、ポスト恋愛の関係性が構築され る上で、ポスト擬似家族の現在やポスト恋愛に見られる性的身体の退行現象を 取り挙げ、川上文学におけるポスト少女の浮遊的な身体性の内実を分析し、ポ スト恋愛の困難さの意味に着眼し、考察を行ってみたい。又、311 東日本大震 災以後、川上弘美の作品の未熟的な身体性と越界する異界的象徴がどのような 変貌を遂げていったのか、という問題にも言及し、分析していきたい。. 22. 河合隼雄、大庭みな子(編集)『現代日本文化論2 吉本隆明『共同幻想論』 、角川書店、1968、P.118. 家族と性』 、岩波書店、1997.6、P.4. 23. 17.

(19) 1.4 論文構成 第一章. 序論. 第二章. 越境と変身―ファンタジーとしての日常的空間. 第三章. 『センセイの鞄』におけるポスト現代の身体性. 第四章. 恋愛の不可能性―川上弘美文学における愛欲の形. 第五章. ポスト少女の恋愛―成熟はいかにして可能なものか. ‧ 國. ‧. io. sit. y. Nat. n. al. er. 結論. 學. 第六章. 立. 政 治 大. Ch. engchi. i n U. v. 18.

(20) 第二章. 越境と変身―ファンタジーとしての日常的空間. 2.1 はじめに 本章では、 『物語が、始まる』(1996)、 『蛇を踏む』(1996)、 『神様』(1998)に おける「変身」した異種は人間にとってどのような役割を担っているか、なぜ異 種が主人公の生活に入り込むのか、また、「異種」というテーマを含む作品から、 『パレード』(2002)と『龍宮』(2002)を一緒に取り上げ、川上文学における 「変身」と「異種」の特徴性を論述してみたいと思う。 まず、それぞれの作品についてあらすじを紹介する。作品の中の物語の篇数 を表示するため、<第*篇>という表示で提示する。. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 『神様』は川上弘美が 1993 年に書いたデビュー作と見られ、この作品は第 1 回パスカル短篇文学新人賞、第 9 回(1999 年)ドゥマゴ文学賞、そして第 9 回(1999 年)紫式部文学賞を受賞した。この小説には九つの物語がある。こ. ‧. こでは中央公論新社版の『神様』を考察の対象とする。. n. al. er. io. sit. y. Nat. 第一篇は表題作の「神様」である。わたしは隣人のくまに誘われて散歩に出る。 川原に行く途中に様々な出来事にあった。くまは人の生活に馴化されるしてい るとはいえ、川の中の魚を見ると、つい獣性が表れ、手で魚を摑み上げてしま った。最後、家に帰るとき、くまとわたしは抱擁してお互いの家に戻った。. Ch. engchi. i n U. v. 第二篇は「夏休み」である。わたしは梨畑の主人である原田さんの畑梨をもぐ 仕事をする途中で、白い毛の生えた3匹の生き物を見つけた。しかも、その梨 の 2 倍くらい大きさの生き物は人間の言葉を喋るので、わたしはその 3 匹を家 に連れて帰り、毎日梨を与えて一緒に生活し始めた。梨の収穫の最後の日に、 原田さんから、あの生き物はシーズンが終わると消えてしまう、ということを 教わった。その後、その 3 匹の生き物は木守りの梨をを食べ終わると、ぴった りと梨の木についた姿は木にできた白い瘤のように見えた。わたしは瘤の中に 吸い込まれそうになるのを怖れて、凄い速さで部屋に飛んで帰った。翌日、わ たしは原田さんを訪ね、他の仕事を探すことを告げる。帰りがけに梨畑を通る 時、どの木に白い瘤についているのかわからないが、わたしは梨の木の1本を 叩いて、 「いろいろとありがとう」と呟いて、もう一度梨の木を撫でて、それ から歩き始めた。. 19.

(21) 第三篇は「花野」である。わたしは秋の野原を歩いている時、五年前に交通事 故で死んだ叔父に声をかけられた。叔父はわたしにいろいろな世間話を聞いた 後、姿を消した。毎度、叔父が突然現われて、突然消えるような循環である。 ある日、叔父は「もう出ない」と言い、「わたしには世話になったから一つ願い 事をかなえてやる」と言った。わたしは叔父と最後の午餐をとることに願った。 叔父が大好きなそら豆を食べると、聖人のように輝いて見えた。最後、叔父は わたしに対する感謝を述べた後で「いつか、また、会おう」と言ったとたん姿 を消した。 第四篇は「河童玉」である。わたしはウテナさんと寺で精進料理を食べながら ビールを飲んだので、二人は眠くなり、縁側で眠った。その時に、池の中から の河童に恋の相談を持ち掛けられ、わたしとウテナさんは池の底の河童の穴に 入った。ウテナさんは河童たちに愛や恋においては体と心は不可分のものだと 言い、付き合う時間は長くにしろ短くにしろ、だめなときは諦めることを説教 した。そして、河童はウテナさんに「河童玉」というのは河童界に伝わる河童 の神の霊験あらたかな聖石であると言った。それから、河童は二人を連れて聖 なる石に座った後、わたしたちを送り帰った。数日後、わたしはウテナさんと. 學. ‧ 國. 立. 政 治 大. お茶を飲みながら河童の世界を話した。. ‧. 第五篇は「クリスマス」である。ウテナさんが出張するため、螺鈿模様の壷を. n. al. er. io. sit. y. Nat. わたしの部屋に置いておく。わたしが布巾でその壷を擦ると、コスミスミコと 自称している女が壷から現われてくる。わたしはコスミスミコが痴情のもつれ で亡くなった女の子の幽霊であると思っている。その後、わたしが部屋に帰る と、壷を擦ってしまう習慣になっている。その後、ウテナさんが出張から帰り、 ウテナさんはワインを持って部屋にきて、三人で意味のない言葉を繰り返しな. Ch. engchi. i n U. v. がら酒とワインを飲みながら、抱きしめている。. 第六篇は「星の光は昔の光」である。コスミスミコが壷から出なくなったが、 えび男くんがたびたびわたしを訪ねてくる。えび男くんはわたしの隣人で 304 室に住む少年で、時々部屋に尋ねてきて、とぎれとぎれに話している。私は牛 乳やお菓子をえび男くんにやった。えび男くんは学校の話だけでなく、彼の母 は「ニンゲンフシン」であることも話した。ある日から、えび男くんは姿を見せ なくなった。その後、ある日わたしは散歩する途中にえび男くんに会って、二 人は話しながら歩いた。そして、二人は空を見上げた時、えび男くんが「昔の 光はあったかいけど、もう今はないものの光でしょ。いくら昔の光が届いても その光は終わった光なんだ。だから、ぼくは泣いたのさ」と言った。最後二人 は並んで手を握り、歌いながら坂道を下った。. 20.

(22) 第七篇は「春立つ」である。おばあさんのカナエさんが一人で「猫屋」という 飲み屋をやっている。カナエさんは常連のわたしに対してとても親切である。 そして、カナエさんは若いころのことを話し始めた。ある年、いつもと違う道 を歩いてみると、地面から鈴の音を聞こえたので下方を覗きこむと、目眩を感 じて丘陵から滑り落ちた。底に着くと、ある若い男から「カナエ、こっちにお いで」と言った。カナエさんは男と一緒に住んで、まるで男の妻のように掃除、 食事の準備、洗濯、男の帰りを待つなどをしている。しかし、毎年雪が降れば 男のところにきて、春になるとまだ帰ってきた。カナエさんは「呼ばわれば帰 される、好きと言えば拒まれる」といった。カナエさんは伝承話の中から、い つまでたっても抜け出せなかった。結局、カナエさんは引っ越して商売を始め た。その話を聞いた後、わたしはしばらく猫屋に尋ねなかった。四月にいくと、 もう閉店して、それに貼り紙で「雪の降る地方で、これからの余生をすごすつ もり」と書かれていた。わたしはたくさんのことをカナエさんに聞きたかった が、彼女はもういなかった。. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 第八篇は「離さない」である。エノモトさんはわたしの隣人で、折角知り合っ たので時々おいしいコーヒーをいれますよという電話をかけてきた。ある日、. ‧. エノモトさんから相談に乗ってもらえないかという電話がやって来た。エノモ トさんの部屋にいくと、いつもと同じだが、何かの匂いがした。それに、エノ モトさんは痩せている。相談したいことは 2 ヶ月前に旅行に行く時に、ある人 魚を拾ってきたことだった。でも、人魚のそばを離れたくない気分になってし まった。エノモトさんが人魚を預かってほしいと頼まれた。いつの間にか、わ たしもエノモトさんと同じ状態で人魚を離せなくなってしまった。一週間後、 エノモトさんは人魚を取りに来る時、わたしは人魚を彼に返したくなくなって しまった。でも、エノモトさんは黒いビニール袋を持って、人魚を袋に入れて、. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. i n U. v. 海に帰すと言った。わたしは何度も止めようとしたが、止められなかった。人 魚を海に放り投げたとたんに、人魚が「離さない」と言った。最後、エノモト さんとわたしは元の生活に戻った。 第九篇は「草上の昼食」である。主人公のわたしはくまに誘われて、ひさしぶ りに散歩に出る。くまとお喋りしながら、くまは車で里帰りすると言った。雷 がますます多くなり、くまはおおおおと吠えた。わたしは雷とくまを怖く思っ ていたが、くまはわたしの存在を忘れるように、神々しいで獣の声を続けた。 終わったときに、わたしが「熊の神様って、どんな神様なの」と聞いた。くまが 「熊に似たもの」と答えた。そして、「人と熊は違うものなんだ」、「故郷に帰っ たら、手紙書く」と言った。その後、熊の手紙が届いて、私は何度も読んで泣 いてしまった。寝床で熊の神様と人の神様にお祈りをして、熊の手紙を思いな がら、深い眠りに入っていった。. 21.

(23) 次いで『物語が、始まる』は「物語が、始まる」、「トカゲ」、「婆」、「墓を探 す」その 4 つの物語から構成されている。その中の「婆」は第 113 回(1995 年)芥 川龍之介賞候補作品となった。 第一篇「物語が、始まる」は雛型の三郎と主人公の山田ゆき子とのせつなく不 思議なラブ・ストーリーを描く表題作である。内容は主人公の山田ゆき子が粗 大ゴミの日に、公園の砂場で男の雛型を拾う。ゆき子はその雛型を三郎と名付 け、一緒に暮らしている。しかも、ゆき子は彼氏の本城のプロポーズを断り、 三郎との生活を選んだ。しかし人間になった三郎は老化が早いスピードで、ま た雛型に戻ってしまった。最後にゆき子はその雛型の三郎を公園に捨てた。た だ記憶の中で三郎のことを思い出した。 第二篇は「トカゲ」は三人の主婦で隣人であるマナベさん、ヒラノウチさんと 私(カメガイ)が<トカゲ>をめぐって発生した物語である。ある日、隣人のマナ. 政 治 大 ベさんは二つのトカゲを買って、わたしに一つの「幸運の座敷トカゲ」をくれた。 立 その後、ヒラノウチさんは子供の冬休みの宿題という理由でわたしにトカゲを. ‧ 國. 學. 一ヶ月貸したいと言った。その後、私とマナベさんがトカゲを見に行く時、ヒ. ‧. ラノウチさんはなかなかトカゲを見せようとしなかったから、様子が変わった と言った。わたしもトカゲを見て、びっくりした。ヒラノウチさんは生き物を 育てる愛情を持って見守っていた。その後、マナベさんはわたしを彼女の家に 誘った。それに「いつもねえ、トカゲ様の上に乗らせていただくの。カメガイ さんも、ぜひ一度におやりになってね」と言った。そのことによって、生まれ 変わってトカゲ様の御子になり、みんなと仲間になれるといった。私は抵抗で きず、眠りに引き込まれてしまった。. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. i n U. v. 第三篇は「婆」という四段落を組み合わせた物語である。ある日、わたしは恋 人の鰺夫のことに考える途中、ある高橋という婆に手招きされて、わたしはそ のまま知らぬ婆の家に上がり込んだ。それから、わたしは鰺夫と一緒に婆に会 いに行った。婆はわたしと鰺夫を連れて、わたしは穴に行くことになってしま った。穴の中にいる時には、自分が誰だか忘れていた。しかも、その穴の中で その気配はとても複雑で、笑いたくなるような泣きたくなるような不思議な気 持ちになった。でも、穴に入ってから、わたしは「味」が変わってしまった。し かも、人や物事に対しても、わたしの性格が変わって昔と違う態度にしていた。 その後、わたしと鰺夫はまた婆の家に行った。穴の世界に入り、雷と稲妻の後、 婆に似た人が次々と降ってきた。婆はそろそろ自分が死ぬといいながら泣き出 して、婆たちみんな泣きながら集まった。わたしも鰺夫も涙をぼろぼろと流し ていた。婆の家を出た時、わたしは鰺夫と互いに「好きだ」と言い合い、嵐が上 がった夜の中を一緒に黙って歩いた。. 22.

(24) 第四篇は「墓を探す」という、二人の姉妹である寺田はる子と寺田なな子が父 のために先祖の墓を探す旅程という物語である。しかし、二人ともどこが先祖 の墓なのか分からなかったため、まず、父の机に「寺田正夫」という名前を書い た手紙を発見した。先祖の墓を探す途中、姉は何度も、父やら母やら寺田正夫 やら寺田フミなどに憑霊(=霊魂がとりつくこと)されてしまった。その後、妹 はいったいどれが姉なのか区別ができなくなった。妹はもう墓を探さずに、そ のまま帰るという考えがあったとしたが、姉の執着心に感動したため、姉と一 緒に奥の突き当たりにある墓をめざして、まっすぐに進み続けた。 『物語が、始まる』の四つの物語の共通点は、普通の生活を過ごしている主 人公がある事件によって、可笑しくて考えられない方向に向かっていくことで ある。しかも、この物語の中で、第三篇の「婆」だけ主人公の名前を論じていな かったが、そのほかの物語はすでに主人公の名前を提起している。なぜ川上は この小説で主人公に名前を付けるだろうか。. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 川上は、「婆」や「墓を探す」の中で内容を先祖や死者を書く理由は生物学的に DNA 的なイメージを持つからだと述べている。. ‧. 先祖というと、日本的な地縁とか宗教とかそういう印象をその言葉 自体から受けてしまいますけれど、生物学的には DNA の流れがあっ てその果てに私がいるわけですよね。私にとって先祖のイメージは DNA 的なものです。だから自分の先祖だけじゃなくて、たとえば日本 人なら日本人全体の先祖集団みたいなものをいつも考えています。24. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. i n U. v. 『蛇を踏む』は第 115 回(1996 年)に芥川龍之介賞を受賞した作品である。. engchi. その中には「蛇を踏む」、「消える」、「惜夜記」の三つの物語がある。 「蛇を踏む」は主人公のサナダヒワ子は藪で蛇を踏んだ。その蛇は五十歳の女 に変身して、ヒワ子に食事を作り、ヒワ子の母さんと自称しながらヒワ子の家 に住み始めた。そして、蛇はヒワ子を蛇の世界に入ることを誘惑しつつある。 それに、ヒワ子の周りには蛇と関わりがある人がたくさんいる。勤務先店主の 奥さん、寺の住持と大黒さん、みんなが蛇の世界に入りたがっている。ヒワ子 は周りの人々に影響されたが、ヒワ子はどうしても蛇の世界に入ることに抵抗 しているため、その女と争いを続けながら互いに激しく首を絞めて部屋が流さ れてゆくようになったことで物語が終わった。 「消える」はある家族の人が次々と消える物語である。最初に消えたのは曽祖 母であったが、結局一年後帰ってきたから、誰もそのことを詮索しなかった。 そして、上の兄が消えた。しかし、兄は毎日見合い対象のヒロ子さんと電話で 24. 川上弘美・榎本正樹<川上弘美全作品を語る>、文芸 42(3)、2003、P.18~19 23.

(25) 睦言を言ったので、次の兄は代わりにヒロ子さんと電話した。家族の人数が五 人と決められたのが風習らしく、書式上結婚後三ヵ月以内に家族の内の一人が 出て行かなければならないのである。上の兄は戻って来ないので、月下氷人の テンさんは上の兄とヒロ子さんの婚約を解消して、かわりに次の兄とヒロ子さ んの婚約が決まった。しかし結婚した後、ヒロ子さんの姿は日々縮むばかりで、 最後はすっかり縮んで芥子の実の大きさになって、ガラスの入れ物にしまって ヒロ子さんの家族に渡された。その後、次の兄も消えてしまった。 季節が変わり、家族は香を焚くので、お嫁に行く前に私の体が大きな筒のよう に膨れていった。父は毎日念仏を唱え、母は毎日香を選び、私は家で上の兄が 出るのを待ってはぼんやりと膨れ続け、家族は毎朝柱に向かって柏手を打つこ とになっていった。 「惜夜記」は 19 篇の短篇によって作り上げた物語である。各篇の篇名は馬、 カオス、紳士たち、ビッグ・クランチ、ニホンザル、非運多数死、泥鰌、シュ レジンガーの猫、もぐら、クローニング、ツカツクリ、ブラックホール、象、 アレルギー、キワイ、フラクタル、獅子、アポトーシス、イモリである。. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. ‧. 『パレード』は『センセイの鞄』刊行にあたって外されたエピソードを、独 立した短篇として再構成したサイドストーリー作品であり、平凡社より刊行さ れた。ここでは、2007 年の新潮社版の『パレード』を考察の対象とする。 『パ レード』の中の主な内容はツキコが小学校三年生のときに周りから「天狗」が出 てきたことで、不思議な物事が現われることである。. er. io. sit. y. Nat. al. n. 『龍宮』は人と、人にあらざる異形のものとの交感を描いた短篇連作集であ る。この小説の中には、「北斎」、「龍宮」、「狐塚」、「荒神」、「鼹鼠」、「轟」、「島. Ch. engchi. i n U. v. 崎」、「海馬」など八つの幻想譚をちりばめた構成になっている。 精霊譚、変身譚、霊験譚、因果応報譚、異種婚姻譚など、数々の説話的モチー フと日常的なリアリティの融和による川上弘美の超日常的世界の構築は、『龍 宮』連作において一つの様式化された美学に達している。 本章では、『神様』、『物語が、始まる』、『蛇を踏む』、『パレード』、『龍宮』 の内容を取り上げ、それぞれの物語に<変身>した異種は人間にとってどのよう な役割を果たすのか。それに、主人公は何かを欠如したから、異種と関係性を 持つようになったのか。さらに、虚構のファンタジーと現実の世界はいったい どのくらい距離があるか、どのように分けるかなどの問題について考察する。. 24.

(26) 2.2 変身した「異種」 川上文学に<変身>した異種を持つ作品の中に、必ず主人公と異種の間に何か の関係性があり、何かの役割を果たしている。親子関係、恋人関係、友達関係 などである。それぞれ異種の役割はちょうど主人公が欠如している関係性の表 れだと考えられている。まず、「変身」はどのような意味から出現したのかを考 察しよう。先行研究で吉田文憲は、川上文学における変身とは異界に渡る時の 人間の精霊化なるものとして見なされる。 そして、カトリン・アマンの見解によると、変身譚には「異類」と「異界」とい う二つの概念が重要だと指摘している。. 政 治 大. 日本文学における多くの変身譚においては、「異類」と「異界」という 二つの概念がとりわけ重要である。「異類」とは、禽獣、変化25などの. 立. ‧ 國. 學. 人間でないものを指し、特に異類婚姻譚、つまり人間と動物の性関 係および結婚を巡る物語に関連する。「異界」は日常的世界から離れ. ‧. た別世界、化物、妖怪と慿者および異類、幽霊、鬼などの世界を言 い、特に怪談と関連する。26. er. io. sit. y. Nat. しかし、小松和彦は「異界」と「他界」という言葉の違いについて以下のように 解釈している。 しかし、「他界」と「異界」には微妙な違いがある。「他界」が「死後の世 界」、「あの世」という性格を強く帯びているのに対して、「異界」の方 はもっと空間的でかつ身近な世界というニュアンスが含まれている。 「異界」や「他界」に対立する語として通常想起されるのは「この世」で あり「現世」あるいは「人間の世界」「生者の世界」などである。27. n. al. Ch. engchi. i n U. v. 以上の論点から、「変身」、「異類」、「異界」、「他界」という四つの言葉が論じ られている。それらをまとめると、「変身」とは次元を超えることによって精霊 や妖怪などと見なされている。「異類」とは、禽獣、変化などの人間でないもの を指す。「異界」や「他界」に対立するのは「人間の世界」である。「他界」とは「死 後の世界」にひきかえ、「異界」の解釈は二つに分けられている。一つは日常的 世界から離れた別世界、化物、妖怪と慿者および異類、幽霊、鬼などの世界を. 25. 「変化(へんげ)」:霊魂や動物などが姿を変えて現れること。化けて出ること。また、その現 れたもの。(『大辞林』第二版、三省堂) 26 カトリン・アマン『《歪む身体》現代女性作家の変身譚』 、専修大学出版局、2000.4、P.11 27 小松和彦『異界と日本人―絵物語の想像力』 、角川書店、2003.9、P.10 25.

(27) 言う。もう一つは空間的でかつ身近な世界と言われている。 さらに、小松和彦は「異界」の解釈について次のように説明している。 たとえば、空間的にいえば、つき合いの少ない人々の住居や見知ら ぬ人々が住む異郷、未知の部分が多い山や森、水界などが「異界」な いし「異界」の入り口とされる。個人の歴史でいえば、誕生以前の世 界や死後の世界が「異界」とされ、また人類の歴史でいえば、宇宙や 人類の誕生以前の世界と人類や宇宙の滅亡後の世界が「異界」とされ ることになる。それだけではない。「異界」は人間の内部にも存在し ている。秩序づけられた社会的な意識や欲望と、反社会的な、しか し通常は抑圧され封じ込められている意識や欲望である。28 要するに、「異界」に含まれる範囲はかなり広いと見なされる。たとえば、異 郷や未知の所、人類が誕生以前の世界や宇宙の滅亡後の世界、人間の内部にお ける意識や欲望なども「異界」のカデコリ―に属している。. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. そこで、川上の作品の中に「変身」というイメージを含むを『蛇を踏む』、 『物. ‧. 語が、始まる』、 『神様』、 『パレード』、 『龍宮』という五つの作品を取り上げて 「異種」と人類の関係性、「異界」と「人間界」の境界性について探究したいと思う。. er. io. sit. y. Nat. 『蛇を踏む』で蛇から五十歳女に変身した異種がヒワ子に自分がヒワ子の母 親ということを説得した。 「あなた何ですか」つづけて、聞いた。するりと聞くことができた。 「ああ。わたし、ヒワ子ちゃんのお母さんよ」(『蛇を踏む』、P.17). n. al. Ch. engchi. i n U. v. そこで、蛇は 50 歳くらいの女と変身し、ヒワ子のお母さんと自称した。し かし、夜になるとその女はまた蛇に戻っている。なぜヒワ子はこのことに対し てちっとも驚きも怖いも感じていないのか。しかも、なぜヒワ子は簡単に蛇が 自由に自分の家に入住してしまい、蛇を外に追い出すことさえなかったのか。 それはこの物語の中に蛇が母親の役割としてヒワ子を世話する原因だろうか。 難儀な体を動かして卓に向かう。こんなになっても食欲はじゅうぶ んにあり、私は女の用意した食事を口にする。ほうれんそうのごま よごし。昆布と細切り人参のあえもの。さわらの西京漬け。えびい も。白胡麻のかかるしらす飯。食っている間も口の粘膜は蛇になっ. 28. 小松和彦『異界と日本人―絵物語の想像力』 、角川書店、2003.9、P.10~11. 26.

(28) たり元に戻ったり、忙しいことこの上ない。蛇になどなるまいと念 じながら、蛇の用意したものを余さず丹念に噛んでのみこむ。 (『蛇を踏む』、P.50) その五十歳女に変身した蛇は毎日ヒワ子に食事を作ってあげた。ヒワ子はそ のうちに、蛇の存在に慣れているだけでなく、蛇の作ったご飯にも慣れてしま った。なぜヒワ子は本当の母が静岡にいると知っていても、蛇と偽の母娘の状 態として過ごしているのか。また、なぜ蛇はヒワ子に「蛇の世界」に入るように 誘惑するたびに、ヒワ子は明確な態度を取らずに、蛇の要求を拒否しなかった のか。元々不明な態度を取っていたヒワ子はなぜ最後に蛇の世界などい存在し ていないとはっきり意思表示したのか。ここで様々な疑問が浮き上がってくる。 伊原美好によると、ヒワ子は蛇から変身した女と血縁関係がなくても、一緒 に生活できる「家族」のような団体として暮らしていると述べている。. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. 大家族から核家族へ、共働世帯や単身世帯へと変遷した現代のジェ ンダー社会においてもなお、考え方も価値観も趣味も異質で、共に. ‧. 語り合うものを何も持たない人たちが、血のつながりだけを理由と して共存することを「家族」と定義すると、ヒワ子の奇妙な「蛇」 との日々は正に「家族」との生活そのものの表現である。つまり、 ヒワ子につく蛇は、「お母さん」の姿で、夕食を用意し、仕事から帰 ったヒワ子とビールを飲みながらその日の団欒を一緒にをとる。し かし、その時の会話には、共有する話題が一つもないのだ。(中略) 盲目の母の愛そのものである。「家族」とは議論の場でもなく、一緒 に生活する人々の価値観の擦り合わせも必要もない集団である。共. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. i n U. v. 同生活者の受容でのみ成立する生活空間であるからである。29 現代のシェンダー社会からみれば、「家族」とはたとえ血縁関係がなくても 成立できることである。そこで、ヒワ子はただ蛇とルームメートのように「同 居」するだけだろうか。しかし、なぜヒワ子はその蛇のことを受け入れたのか というのが主な問題ではないだろうか。それに、蛇はヒワ子を世話し、盲目の 母愛を与え、その原因はすべてがヒワ子を「蛇の世界」に誘うためだったのか。. 29. 伊原美好<川上弘美の「蛇を踏む」「センセイの鞄」から―ポスト・ジェンダー社会の中で 「他者」との共存をさぐる―>、(Rim)アジア・太平洋女性学研究会会誌、第 11 巻第 3 号、城西 大学ジェンダー・女性学研究所、2009.12、P.33 27.

參考文獻

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