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ケンペルの見た日本の伝統療法

第三章 フロイスとケンペルの見た日本の疾病と医療

第三節 ケンペルの見た日本の伝統療法

立立 政 治 大

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る」82と記されている。

フロイスは差別された癩病者83たちに同情し、彼らに治療を与えた。一見す ると、キリシタンは人々皆平等な愛を与える。キリシタンは被差別民-癩病者 を救うのは単に彼ら口にする「人々を愛する」だけなく、彼は病者の病気を治 すのは宣教の手段である。また、フロイスは異教徒だからこそ、悪魔にやられ 病気が生じるという考え方があり、このような考え方はある意味で異教徒たち を差別しているのではないだろうか。フロイスが日本に来た頃の医術は、まだ 宗教の呪いや祈祷などの迷信と深く関連があった。彼は見た日本の医療面は、

当然に信仰の角度から見ていたのだろう。

第三節 ケンペルの見た日本の伝統療法

3- 3- 1 日本の薬剤

江戸時代の日本人が使用した薬剤は二種類があり、第一種類は外国(中国、

朝鮮、ヨーロッパなど)から輸入された薬、第二種類は日本人が自らの土地で 発見した植物や動物の内臓84であった。ケンペルが二度の江戸参府の時、道中 で日本の庶民がどのように植物を使用するか、彼が著した『江戸参府日記』で 多少見られる。例えば、彼が第一次江戸参府した時、浜松から江戸までの途中 で、以下のように書いている。

江尻から一時間半で清見に着いた。(中略)ここではまた、先に述べた林 にある松の樹脂から有名な膏薬が作られ、木の皮やアシの葉で包んだもの を売っている。85

清見というところに着いた。ここでは、人々が松の樹脂から有名な膏薬を作 り、そして、木の皮や葉で包んで売る。というのは、江戸時代の人は、身近な 植物を利用し、薬剤として使った。また、江戸時代の医師たちが植物の利用状 態も記されている。

この土地の草は、医師が特に薬効があると考えて採集するが、これらの中 にはディアントゥムあるいはヴィーナスの髪という濃い紅色を帯びた黒 色の、つやのある茎や葉脈のあるものが、たくさん見つかる。他の地方の

82『伊達政宗遣欧使節記』P36。

83 癩病については、「江戸時代には、癩病はかったい、白癩( びゃくらい) 、三病などと呼ばれ、

社会からしめ出された癩乞食は、食物を乞い、醜い姿をさらしばがら、不気味にさまよい歩い ていた。」(立川昭二『日本人の病歴』中央公論社、1976 年)P108。

84 参照本論の第二章、古医方の医師後藤艮三は患者に熊の胆を与えた例。

85 ケンペル著、斉藤信訳『江戸参府旅行日記』(平凡社、1977 年)P156。

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小田原に立ち寄り、オランダの薬がここで売れていると気が付いた。

(前略)ここでは香りの高い阿仙薬を製造し、それを丸薬や人型・花型など いろいろの形にして、小さな箱に入れて売るのである。その薬は歯のぐら ぐらするのをなおすと共に、口から良い香りが出るので、特に婦人は毎日 それを飲む。オランダ人や中国人はこの煮つめに液を原料のまま日本に送 り、京都や小田原で精製し、アンブラ[ 芳香を放つ興奮剤] や竜脳[ 樟脳の 一種] やその他のものを調合して、それを再び仕入れて輸出する。91 阿仙薬という薬がここで製造され、そしてそれを丸薬や人型、花型などの形 にして、小さな箱に入れて販売する。阿疝薬という東インドに産する植物と、

この付近の蔓草と草根の三種を混ぜ、これを粉末にしたもので、これを四横指 程の紙袋に入れ、袋の上に赤と黒の字で薬の名前・効用・用法等を記している。

日本人の女性は毎日この薬を飲む、なぜならば、阿仙薬を飲むと、口からいい 香りが出るからのである。

当時、オランダ人は日本に外国の薬剤を輸入するだけでなく、またここで日 本の材料と調和し、様々な薬を製造し、その加工したものをまたオランダや外 国に送った。

3- 3- 2 日本の灸治と鍼

江戸時代の日本人は、よく灸治を行っていた。灸は漢方療法の一つであり、

体表のつぼなどの上にももぐさを置いて燃やし、温熱刺激を与え、治療効果を 得る。ケンペルの『日本誌』によれば、以下のように書いている。

日本醫モ又支那醫モ凡ソ患者ニ對スレハ。必ラス先ツ灸治セシ〆。以テ速 力ニ其病原ヲ駆除シ。(後略)92

すなわち、日本の医師と中国の医師は患者に対すると、必ずまず灸治をさせ、

この方法で其病原を駆除しようとする。邪気によって体調が乱されるとする疾 病観を日本人が持っている故に、邪気を体内から追い出す役目をする灸は万病 に効くとする。

鍼についてのことは彼が著した『日本誌』に書いている。

人唯其名ヲ聞テ恐ルヘシ。則チ火ナリ。及鑛なり。然レトモ日本人ハ、此 法ヲ残酷ナリトセスシテ、却テ欧羅巴外科術ヲ粗暴ナリト言フ。凡ソ烙銕

91『江戸参府旅行日記』P166 。

92『日本誌』P2553。

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及截刀又他器械ノ一変セル者ハ我カ手術ニ必要トスル所ナレトモ患者及 看護人モ嘗テ一面之ヲ歴視シタル者ニ非サルヨリハ大ニ之ヲ恐怖シ。日本 醫家亦此術拙劣ナリ。93

日本人は、鍼が温和な治療方法と認めているが、ヨーロッパの外科手術は粗 暴の手段と思った。烙銕及び截刀、また他の器具で使い、様子が患者や看護人 に見られると、恐ろしい感じを与えた。日本の医師はまだ外科手術に手馴れて いなかった。ケンペルにとっては、ヨーロッパ人の外科手術と比較すると、鍼 のほうが温和だと思っていた。

また、外科手術に使用した金属や鉱物については、ケンペルも記録した。

(前略)又其外科術ニ使用スル鑛属ハ学者ノ説ニテハ王家宮殿ノ粧飾ナリ。

日月ノ造成スル所ナリ故ニ天體ノ性質及力徳ヲ具スル金及銀ヲ以テ一種 ノ法ニテ鍼ヲ製シ大ニ清潔。且滑澤ナラシメ、之ヲ人體ニ刺入スルナリ。

土醫大ニ之ヲ貴重シ。坐臥之ヲ携帯シ外箱ヲ粧飾シ、更に之ヲ珍襲シテ以 テ臨時ノ用ニ供ス。94

外科術に使用する鑛属は、学者の説よれば、それは王家宮殿の飾りであった。

日月の経り、天体の性質及びその力徳をつけ、金と銀よりある方法で鍼が製造 され、清潔なものであった。それゆえに、鍼は医師たちに対し、貴重なもので あった。

また、灸をすえる対象については、以下のように書いている。

是疾病ノ治法ニモ豫防ニモ然リトス。而●(ママ)日本ニ於テハ。健康人 ニモ、疾病者ニモ之ヲ施コスナリ。即チ確乎タル醫家モ、賣薬客モ冨者モ、

貧者モ之ヲ行フナリ。95

疾病を治療することと予防すること両方に効果があるとされた。日本では、

病気に罹った人だけでなく、健康な人にも灸治を施す。医家、売薬の人、冨者 や貧者などみんな灸治を行う。

さらに、灸治の目的と作用については記されている。

灸治ノ目的ハ疾病ヲ治癒シ、或ハ豫防スルニアリ。殊ニ醫家ハ豫防法ナリ トシ〆。之ヲ賞用ス故ニ病者ニヨリハ、健康人ニ施コスコト多シ。醫家ハ 灸治ヲ以テ左ノ効アリトス。現在ノ疾病ヲ駆除シ、且治癒シ、又後来ノ疾

93『日本誌』P2520。

94『日本誌』P2521。

95 前掲、P2529。

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病ヲ起スヘキノ種子ヲ拒絶スルナリ。

故ニ東方極端ニ於テ、凡ソ健康ノ保持セント欲スル者、自ラ六ヶ月毎ニ一 回之ヲ行フナリ。此習慣ハ日本ニテモ、普ネク保持スル所ナリ。96

灸治の目的は疾病を治すことにあり、あるいは予防することにある。特に、

医者たちは灸治を予防の方法として認めた。よって灸治を使用する対象は、健 康人のほうが多い。なぜならば、江戸時代の人々は「養生」という観念がもう あったからであった。また、病気が治った後、また疾病を起こさないように灸 治をする。それ故に、東方の人々は健康を保つために、極端的に灸治を施す。

人々は自ら六ヶ月に一回行う。こういう習慣は日本では普通である。すなわち、

灸治は江戸時代の人にとって、健康を保つ医療行為と認められていたのである。

3- 3- 3 日本の湯治

江戸時代の日本人にとって、薬草と同じく重要な治療方法の一つが温泉であ った。お湯に入るのは、日本人には、日常生活中に不可欠な行為である。

田中圭一の『病の世相史-江戸の医療事情-』によると、江戸時代の人々がそ れぞれ温泉の質と効能について、かなり深い知識を持っていた。どこの湯はど のような病気に効果があるということは、百姓たちの耳にも聞こえた。ケンペ ルが江戸参府の道中、江戸時代の庶民から温泉の話も耳にした。また、彼は百 姓たちが湯治の方法を取ることにも目にした。

灸後三日ハ、入浴スルコト勿レ。日本人大ニ浴ヲ好ム。毎日入浴スル者ア リ。盖シ此ノ如キ人民衆多ナル地ニ比例スレハ、天行痘ノ蔓衍スルコト案 外少ナキノ理ハ、此浴ニ由ルナリ。97

日本人は大変入浴することが好み、毎日お風呂に入る人もいるが、天行痘の

日本人は大変入浴することが好み、毎日お風呂に入る人もいるが、天行痘の