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第一章 序論

第一節 研究動機と目的

まず、日本の医療史の概略から考えはじめたい。

飛鳥時代の仏教は「西から来た神」として一括してとらえられるだけで、諸 尊の利益の特徴や相違は意識されておらず、経典などに説く利益に応じて祈祷 する呪術1宗教としては、いまだ極めて未熟であったといえよう。しかし時代 が下るにつれ、この異なる多様な呪術的効験が、日本人の間でも、次第に理解 されるようになってきた。中でも特に注目されたのは、治病の効験である2

奈良時代も後期になると、仏教自身にも含まれていた呪術的な作法、祈祷の 方法が重んじ伝えられるようになった。また中国、朝鮮を通じて仏教というよ りは道教や陰陽道のほうに近いような方術も、これまた一応知識人の側から摂 取され、やがて広く知られるようになった3

飛鳥、白鳳時代以来、1875 年( 明治 8) に医師の資格試験が西洋学のみに限ら

1 呪術について『歴史学事典 第 11 巻 宗教と学問』には「日本古代において、僧尼令の第 2 条で、僧尼が吉凶を卜相したり、小道( 道教的な呪術) や巫術により病気治しを行えば、還俗さ せられたが、仏呪によって病気治しをすることは認められていた。奈良時代には、雑密が行わ れていたが、平安時代に入って最澄、空海により密教が伝えられ、天台宗・真言宗が成立した。

密教、とりわけ真言宗では、病気や災難を除くため、印を結び陀羅尼を唱えて加持を行った。

安産祈願のための牛黄加持や、病を除き死者の罪を消滅する土砂加持などであり、仏教的な呪 術と言うことができる。」とある。( 『歴史学事典 第 11 巻 宗教と学問』弘文堂、2004 年、

P322) 。

2 速水侑『呪術宗教の世界』(塙新書、1987 年)P29。

3 和歌森太郎『三伏』(中公新書、1965 年)P39。

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たさまざまな交渉についても詳しく書いている。

本論では、フロイスの『日本史』と『ヨーロッパ文化と日本文化』、ケンペ ルの『日本誌』及び『江戸参府旅行日記』、シーボルトの『日本』、ポンペの『日 本滞在見聞記』から彼らの日本における疾病と医療に対する見方の相違点を見 つけようと思う。

フロイスの『日本史』と『日欧文化比較論』の原典はポルトガル語で書かれ、

ケンペルの『日本誌』の原典はドイツ語であり、シーボルトが書いた『日本』

はオランダ語であり、ポンペの『日本滞在見聞記』の原典はオランダ語である。

本論では、松田毅一・川崎桃太訳のフロイスの『日本史』全十二巻( 中央公論 社出版、1977 年) 、岡田章雄訳の『ヨーロッパ文化と日本文化』( 岩波文庫、

1991 年) を使う。また、坪井信良訳『検夫爾日本誌上・中・下』、( 霞々関出版、

1999 年) 、中井晶夫訳のシーボルト『日本』全六巻付たり図録三巻( 雄松堂書 店出版、1977 年) 、沼田次郎と荒瀬進訳ポンペの『日本滞在見聞記』( 雄松堂 書店、1968 年) などの日本語訳を使用する。

第二章 日本の医療の概観