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ポンペの見た日本の医療

第四章 シーボルトとポンペの見た日本の疾病と医療

第四節 ポンペの見た日本の医療

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ら遥かに人々を悩ませる梅毒がなかなか社会からなくならない。ポンペは売春 と梅毒との因果を指摘しながら、「このもっとも恐るべき状態がますます深刻 に拡大しつつある」と記している。また、「遊女屋に対しては厳重な医学的監 督が必要である」と日本政府に求めた。158

以上から見た日本の病気は、ほとんど生活習慣や社会風習の原因で生じた病 気である。というのは、ポンペは西洋の角度から見た日本社会は、かなり時代 に遅れたのだろう。

第四節 ポンペの見た日本の医療 4- 4- 1 ポンペの見た日本の湯治

入浴は日本人にとって、健康を保つことだけでなく、日本の風習との関係も 深い。まずポンペは医者の立場から日本人の入浴習慣を見る。

入浴。日本では、皮膚の手入れは健康上もっとも確実な保証と一般に考え られているが、それは大変もっともなことである。この点では日本人には 入浴によって有害なガスが放散されるという同じ考えがある。皮膚の穴か らこのガスが排出されねばならない。穴が詰まると当然この排気が困難と なる。お産の後、すぐ嬰児は入浴させられる。そして一週間に三回ぐらい 熱い湯に入れる。嬰児が大きくなるにつれ、いっそうそれが頻繁になる。

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日本人は入浴が皮膚の養生と健康を保持の一つ方法であり、体内に有毒な気 体が除くこととして認識されている。また、子供が生まると、すぐ子供を入浴 させ、子供の成長に伴い、回数を多くさせる風習もある。ポンペにとってこの ような入浴には弊害があると映った。

この温浴の弊害は、亦その度数に於いても極めて甚しく、更にその上、余 り時間がなが過ぎる。その温度は、時として極めて高く、手を浸けている 事が出来ない位である。摂氏五十度は極めて普通であり、時にはもっと高 い事もある。日本人が風呂から上がるのを見ると、一度茹でた海老のよう に見える位で、この湯の中に日本人は十五分乃至三十分位入っている。然 も何時も頭を全く濡れらさぬように注意する。従ってあらゆる害が悉く一 緒に併発する。この入浴は身体を弱め、皮膚の抵抗を弱め、毎日新しく起

158 前掲、P345。

159 前掲、P304。

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こる頭部の欝血の原因と成る事は此処に説く迄もない。 160

日本人が温度の非常に高いお湯に入ることは、ポンペに驚きを与えた。風呂 に上がると、一見に見ると海老のように赤く見えたというのである。お湯に入 るの時間は、大体15 から 30 分ぐらいかかったという。温泉の温度はなぜか高 いのか。『病の世相史』には、「汗を出すのがよい」と書いてある。しかし、入 浴には、弊害もある。例えば、熱いお湯で皮膚の抵抗力が弱くなる可能性もあ り、しかも頭には欝血になる恐れもある。すなわち、ポンペの言う通り、何で もしすぎると逆に副作用が出る。

だが、ポンペは温泉に含まれた鉱物質が医療上に効果があるとも記している。

日本には冷泉や温泉がたくさんある、特に硫黄温泉があって、そのうち九 州の嬉野温泉は大変な高い。この温泉は一般に知られているように皮膚病 患者の入浴するものが多く、皮膚病の病人がずいぶんたくさん集まってく る。さらにまた炭酸泉・鉄分泉・ヨジュウムやアルカリ含有泉もある。161 硫黄温泉、炭酸泉・鉄分泉・ヨジュウムやアルカリ含有泉など様々の温泉の 種類がある。これらはそれぞれの効用があり、硫黄温泉が皮膚病の患者によい とされる。ようするに、ポンペは日本の温泉に批判ばかりだけでなく、彼は「日 本人は確かに古くからこれらの医療効果のある温泉で規則的な温泉療法を行 ってきたのである」と温泉の治療効用を認めた。

4- 4- 2 ポンペの見た日本の艾

従来来日した外国人はみんな灸にかなり興味を持っていた。ポンペは灸療法 について、『日本滞在見聞記』に記している。

(前略)多くの日本人は年に一回または二回、自分たちがもっとも病気に 適したと思うところにあちこちにもぐさをすえさせている。私はこの珍し い例をまのあたりに何度も見た。日本人はいかにも楽しんで、このかなり 痛い手術を受けている。162

ポンペはもぐさの治療を「手術」として見ていた。しかし、日本人にとって この治療は単に身体の中の有毒なガスを身体の表面から体外に放出するとい う「一般的な」予防にすぎない。ポンペは「かなり痛い手術」と思ったが、17

160 前掲、P305。

161 前掲、P306。

162 前掲、P302。

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世紀に来日したケンペルはそう思わなかった163。ケンペルにとって、西洋の外 科手術より日本の灸治のほうが温和だと思っていた。このような認識の違いは、

たぶんポンペにとっては、西洋の外科手術がまず麻酔をした後行い、患者の痛 みを和らげようとするのに対し、日本人が行った灸治が、麻酔をせずに直接に 人体にすえていたからであろう。ポンペはそれで、灸治を痛いものと思い込ん だのかもしれない。

だが、ポンペが常に灸治の作法に感嘆していたようである。例えば灸治を行 う鍼医の作法には、

日本の鍼医がいかにも落ち着いて静かにこの鍼を使っているところを見 て、驚いたことが何回かある。(中略)私はこの鍼医がほとんど信ぜられ ないようなことをするのを見たことがある。彼は病気のあるところを見つ けるとすぐに、相互に六本ないし九本の鍼を刺し込む。そして一定の決ま った図型に鍼を入れる。(中略)この鍼医は今までにただの一度も、一本 の血管も一本の神経も傷つけたことがないと私に断言していた。またいか なる組織に当たっても、特異の反応によってどんなところでもすぐ看破す ることができるともいっていた。これこそ多年の習練によってはじめて習 得できたものであろう。164

と記されている。鍼を廻しながら奥深く刺し込み、日本の鍼医が静かに落着 いて鍼を使う有様にポンペは驚いた。また、鍼師の成熟な技術により、鍼を行 い、血管を傷つけないように、多年の練習がなければできないとポンペは推測 した。さらに、鍼医はどこのつぼにすえ、どんな反応が生じるのか彼らには難 しいことではない。この点について、ポンペは鍼医の技術に感服した。

また、ポンペは鍼技術について、以下のような発言があった。

(前略)鍼の際に怪我したり不幸な事故の起こったことはないということ である。これは日本人の解剖学的の不足を考えると、それだけいっそう不 思議でたまらぬことである。

ポンペを驚かせることは、日本人が解剖学についての知識が乏しいのに(す なわち、人体の組成には詳しく知らないままで)人体に鍼をすえて、一回間違 うこともないことは、ずいぶん不思議だと思った。彼の述べたことには、日本 人の医学程度に軽蔑している印象を与える。ポンペの著書『日本滞在見聞記』

には、彼が日本人の時代遅れ、考え方が古いなどの軽視な見方が窺える。しか し、日本人の医療は彼が思うほど乏しくないだろう。それは、田中圭一氏が江

163 本論の第三章第三節を参考。

164 前掲、P304。

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戸の医学を褒め、西洋医学を批判した通りである。165

ポンペは漢方医学より、西洋医学のほうが優れたという優越感を持ち、この ような思想は当時幕末の列強が鎖国日本を脅かせてきたという政治背景と関 連があるのではないだろうか。

4- 4- 3 ポンペの日本の医療に対する評価

ポンペは日本の医療について、彼の前に来たケンぺルとシーボルトより詳し く分析した。なぜならば、ポンペの時代の医療技術はその二人の頃より進歩し、

さらに、彼は幕府の要請に応じて「医師」の仕事をしていた。しかし、シーボ ルトは医師の身分として来日していたが、実際彼はオランダ政府の命令を受け、

鎖国日本の事情を観察し、オランダ政府に報告する者でもあった。

また、ポンペは幕府の干渉が厳しいという文句があったが、彼はシーボルト より患者と接触する機会が多かった。なぜならば、幕末に来日したポンペはち ょうど幕府が西洋文明を輸入しようとする時期であるからである。そのため、

ポンペは幕府からもらった医学の資源はケンペルより多かった。

日本の医学がずっと低いレベルにあった。ポンペは以下のように鎖国の日本 を批判した。

おおよそ人口三千万もある日本において、内科の医学も外科の治療法もあ まり知られてないこと、たくさんの病人がいること、その中には重症のも

おおよそ人口三千万もある日本において、内科の医学も外科の治療法もあ まり知られてないこと、たくさんの病人がいること、その中には重症のも