第三章 ダロウと終助詞
B. 文末
3.4.3 ダロウニの意味・機能
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立 政 治 大 學
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体言・文+ デアラウ
①ニテがデに変化する。
②アランの長音化【(aram → arau)、表記はア ラウだが発音はアロウ。鎌倉時代以後~第二 次世界大戦前で】
体言・文+ デアロウ (発音と表記の一致 arau → aroo :第二次大 戦後)
デアロウの縮約化【(dearou → dearou → darou)デアロウは書き言葉、ダロウは話し言 葉と「棲み分け」がはっきりさせられる。】 体言・文+ ダロウ
このような変化の過程を経たものと思われる。従って、現代語ではダロウは
「断定の助動詞ダの未然形ダロ+推量の助動詞ウ」と分析されるが、このウは 上記のことからまぎれもなく古語のムの異形態と思われる。ダロウという語は 推量の助動詞ウ(古語ではム)を含むからモダリティと言われているのである。
このようにダロウという語は語は多分に古語の痕跡を残した語であるため、古 語の文法どおり、ノニでなくニがつけられるのではないだろうか。
ちなみに、文学作品やインターネットで実例を探せば、ダロウニの使用が圧 倒的である18が、「だろうのに」という形態が使われることもある。
(88) お掃除は苦手だ。本当は、綺麗にできるところがいっぱいあるだろう のに、途中で嫌になる19。
これは多分ダロウの終止形と連体形が同じ形態であるので使用では揺れが 生じてくるということなのではないだろうか。
次にダロウニの用法について検討する。
(89) 智弁和歌山を5安打に抑えて完投したエース新西貴利選手については、
「疲れがたまっているだろうに、よく投げた。準々決勝も力を出し切 って、自分たちが果たせなかった4強入りをしてほしい」と話した。
(朝日新聞2009 年 08 月 21 日
http://www2.asahi.com/koshien/91/miyazaki/news/SEB200908210013.html)
(90) かなりの蕎麦屋が機械を使っているだろうに、これほどの硬さに出会 ったことはない。機械以外に何かあるに違いない。(朝日新聞2009 年 3 月 31 日http://www.asahi.com/food/column/oyaji/TKY200903310160.html)
18 グーグルで検索すれば、「だろうに」は約16,900,000 件であるが、「だろうのに」は1,270,000 件がある。青空文庫で検索すれば、「だろうに」は約1,090 件があるが、「だろうのに」は約360 件がある。
19 ブログhttp://marron.nyaos.net/archives/2006/03_index.php?page=2 (2009.12.30 検索)
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(91) スタッフ関係者からも「本人も疲れているだろうに、相手のことを先 に思いやる姿にみんながひかれている」と称賛の声。(朝日新聞2009 年7 月 27 日http://www.asahi.com/showbiz/korea/TKY200907260094.html) 上記の例ではダロウニは文と文を接続する働きをしているので、明らかに接 続助詞として使われている。そして前件のことから推量したことが、後件と食 い違いになっていることは、ノニ/ニの「行動/慣例の逆接」用法であると思 われる。だが、違いはノニ/ニにおいては、前件はある事実である。そして前 件の事実を基づいて推量するのである。それに対してダロウニにおける前件は、
話し手が確実できない事柄であるので、推量を表すダロウが用いられるのであ る。つまり、次のように表示できる。
図14 ノニとダロウニの比較
P ──┬─→[ Q (順接的帰結)]
(確実な事柄) │
└─→ R (逆接的結果)
【P のに R】:
P ──┬─→[ Q (順接的帰結)]
(不確実な事柄) │
【P だろうに R】:
└─→ R (逆接的結果)
以上はダロウニを接続助詞として使われる表現である。次に下の例を見てみ よう。
(92) 佐伯を始め、もちろん君原も、全員が居間の床に座っているのである。
「あの……。ソファに座った方が楽ですよ」
と、分り切ったことを言うと、
「いいんだよ」
と、佐伯が肯いて、「何しろみんな汚れているからね。床は後で|拭け ばきれいになるが、ソファを汚しちゃそうはいかない。だから床に座 ってるのさ」
お尻が痛いだろうに。大体、今までトラックに揺られて来たのだ。
亜紀は、佐伯たちの「礼儀」に感動した。 (『くちづけ 下』)
(93) ユリエがかかえている二缶のビールへ目をやって、「二人か」
「二人だけど、これは一人で飲むのよ」
何の話をしてるんだか……。缶ビールのこと以外にも、何か言うこと はあるだろうに。 (『天使は神にあらず』)
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一見(92)と(93)には後件がないとされるが、実際に省略されるに過ぎな いと思われる。(92)の場合は「床に座った」で、(93)は「何も言わなかった」
などのような後件が推定できよう。また、(89)~(93)と同じく、話し手が 前件の事柄について発話態度が確信を持っていないので、ダロウという推量形 式を使うのである。そしてニは前件と後件の相違を示すほかに、話し手の意外 や疑惑などの気持ちも表している。
(94) 「死体はどうせ見つかるんだ。それなのにどうして服だけ川へ捨てた んだろう?」
「知るもんか」
「川へ捨てるより、どこか山の中へ埋めれば見つからずに済むだろうに
。川へ流したばかりに、いくつかは見つかっちまった」
「気が転倒してたのさ」
加賀見はあまり細かいことにはこだわらない男だった。
(『一日だけの殺し屋』) (95) 「終わりに行くにつれて良くなったぞ。初めからあの調子だったら、
あまり文句も言わずにすんだろうにな」 (『やさしい季節 上』)
(94)と(95)にはいずれも仮定とニの共起表現である。すなわち、起こっ た結果は話し手の想定した前件と相違するものである。この表現では後件が希 薄になり、無関心に扱われることが多く、ダロウニ全体は終助詞的な用法にな ってくると考えられる。その時のダロウは推量の働きを担っていると思われる
まとめてみると、ダロウニは、発話者がある事柄について不確かな態度で扱 う時に、ダロウの推量を用いて発話するのである。また、ニの働きの上で、ダ ロウニには接続助詞や終助詞的な用法がある。意味では前件と後件の相違によ って話し手が不満・意外、愚痴を言うような意味を表している。特に終助詞的 な用法のときに、その気持ちがはっきり感じられる。