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が存在していると考えなければならず、「談話管理理論」では、このような用 法を解釈しがたいと言わざるをえない。

2.4. 北野浩章

北野(1993)は「発話行為の連続性(speech act continuum)」10を基に、ネを説 明している。北野(1993)によると、発話行為の連続性とは(25)のようなもの である。

(25)平叙文と疑問文(典型的な発話行為としては、陳述と質問)を従来の ように文類型として、相互に排他的で、対立・断絶したものととら えるのではなく、あくまでもプロトタイプであり、両者の間には 様々な程度の中間的な文が存在すると考える。

(北野1993:78)

(25)のいう平叙文から疑問文までの連続の具体例として、北野(1993)は Givónの英語例を借り、次の(26)を提示している。

(26)most prototypical declarative a. Joe is at home.

b. Joe is at home, I think.

c. Joe is at home, right ? d. Joe is at home, isn't it ? e. Is Joe at home ?

most prototypical interrogative

(北野1993:78)

10「発話行為の連続性(speech act continuum)」は、イスラエルの言語学者 Talmy Givón (1990) によって提唱されている理論である。

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(26b,c,d)はいわゆる中間的な発話行為で、話し手が自分の考えを述べ つつ、同時に聞き手に反応や意見を聞くというものである。北野(1993)は、ネ の文も平叙文と疑問文の中間に位置するものだと述べている。(26)における 中間的な文を日本語訳すると次のようになる

(27)ジョーは家にいますね。 (作例)

北野(1993)はネの基本的な機能について、「『ね』は聞き手に対し、話し手 の発話が妥当かどうかを確認するために用いられる」(P.78)と述べている。

また、ネには「私はこう思うが、どうですか」というニュアンスがあるとして いる。たとえば(27)の話し手は「ジョーは家にいる」と思っているが、情報 に対する不確実さなどの理由から、話し手よりよく知っていそうな聞き手に

「どうですか」と確認を行う。このようなネの振る舞いを、北野(1993)は「発 話確認」と呼んだ。

確認してきた(27)は「必須のね」の例であったが、北野(1993)は「任意の ね」に対しても同様な説明ができると述べている。

(28)a.ちょっと、郵便局行って来ます。

b.ちょっと、郵便局行って来ますね。 (北野1993:80)

(29)A: どこへ行くんですか。

B: ?? ちょっと、郵便局行ってきますね。 (北野1993:80)

確認されるように、(28a)はネがなくても文として成り立っており、よっ て(28b)は「任意のね」と見なされる。(28b)は、話し手が郵便局に行くとい う意志を持ち、聞き手に対して、それが妥当かどうかを聞く場合に使うことが できる。つまり、ネによる「発話確認」の例である。ただし、(29)のように、

単純に「どこへ行くんですか」と聞かれた場合は、話し手Aがどこに行こうと、

聞き手Bには関係がない。したがって、話し手は、聞き手に妥当性を聞く必要

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がなく、自分の意志を表明するだけでよい。そのような場合は、ネの使用が不 自然になると言う。

また、北野(1993)は、「自己確認」のネも「発話確認」の一種と捉えられる と述べている。

(30)a.私はそうは思いません。

b.私はそうは思いませんね。 (北野1993:81)

「発話確認」は「私はこう思うが、どうですか」というニュアンスではある が、(30)の場合は、北野(1993)によると、「確認の力が弱いため、『どうで すか』の部分から『私はこう思う』に重点が移り、内部確認行為が強く感じら れるようになる、と言えるかも知れない」(P.81)とのことである。つまり、

話し手の「~と思う」という側面が強調され、聞き手に対して妥当性を問うと いう側面がほとんど失われていると考えるわけである。そして、こういったネ の使用の効果として、聞き手に尋ねる必要のない内容にもネを用い、聞き手に 尋ねているかのように表現して、話し手自身の主張を弱め、最終的に聞き手を 尊重するような印象を与えることができると述べている。

以上のように、北野(1993)は、ネの機能を平叙文と疑問文の間に存在する中 間的な性質の「発話確認」と定義し、ネのすべての意味を解釈しようとしてい るのであった。

本稿は、確認してきたような、北野(1993)の提唱する「発話確認」が、確か に「必須のね」の説明にはなりうると考える。しかし、「発話確認」という機 能で「任意のね」を説明するのには問題がある。(28)と(29)における「任 意のね」の違いは、聞き手に妥当性を聞く必要があるかないかにある。妥当性 を聞く必要がない場合には「任意のね」が使えない。しかしながら、本稿がコ ーパスで実際に「任意のね」が使われている会話を観察したところ、いずれも 話し手が聞き手に情報の妥当性を聞く必要のない文であった。

(31)BA 01(日本人女性ベース話者)と NS(日本人女性対話者)の雑談であ る。便宜のため、BA 01 を A とし、NS を B とする。A には深い色が

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ついている。

ライン番号 発話文番号 発話文終了 話者 発 話 内 容 85 77-3 * NS あっ、あ、そっかそっか。

86 78 * NS <笑い>よく地理がわからない。

87 79 * NS あ、そうなんだー。

88 80 * NS

《少し間》ポルトガルはポルトガル、だけで、

ポル、ポルトガル語はポルトガルだけ?。

89 81-1 / BA01 じゃなくて、<あとは>{<}ー,, 90 82 * NS <他にも>{>}?。

91 81-2 * BA01 ブラジルー<ですね、一番おっきいのは>{<}。

92 83 * NS <あーそうなんだ>{>}。

93 84 * NS ふーん、そっかそっか[小声で]。

94 85-1 / NS ブラジルー、はポルトガル語,, 95 86 * BA01 はい。

初対面女性ベース雑談(接触、母語)その1【音声】/ 154-11-BA01-NS 「宇 佐美まゆみ監修(2011)『BTSJ による日本語話し言葉コーパス(2011 年版)』」

B (日本人対話者)とA (日本人ベース話者)は二人とも学生で、BがAに大学 で勉強している専門を聞いた場面である。BはAの専門がポルトガル語である ことを知ったが、ポルトガル語はポルトガル以外のどこで使われているのかを 知らず、またAに聞いている。ライン番号91でAは「ブラジルー、ですね、一 番おっきいのは」と発話した。そして、ライン番号92でBは「あーそうなんだ」

とその情報を受け入れた。この場合、話し手のAは、当該情報に関して何も知 らず、答えることなどできないはずの聞き手のBに「ポルトガル語はブラジル でも使われている。どうですか?」と情報の妥当性を尋ねる必要はまったくな いと考えられる。そして(31)は、話し手が聞き手の知らない情報を伝え、聞 き手も問い返すこともなくそれを受け入れている様子である。このような文は

(28)のネの文とは違い、聞き手の判断などとは関係していない。そのため、

聞き手に妥当性を問う必要もないと考えられる。そして、本稿の観察するとこ ろでは、「任意のね」が使われている実際の文は、大概、聞き手に妥当性を聞

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く必要のない文なのである。ゆえに、「任意のね」の意味は「必須のね」のよ うな「発話確認」とは異なり、他の解釈をしなければならないであろう。

また、北野(1993)によれば「発話確認」という意味は、場合により「思う」

という機能だけが働き、「確認」の機能が喪失してしまうとのことであった。

しかし、その場合、北野(1993)の述べる、ネの最も重要な概念「平叙文と疑問 文の中間」という性格がなくなるのではないか。つまり、ネの基本的なニュア ンスは「私はこう思うが、どうですか」であるとする以上、「どうですか」が 失われれば、それは相当の変質である。したがって、北野(1993)の述べるとこ ろには疑問が残され、この点について、もっと詳しい検証が必要だと考えるの である。