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態度を示すものであると考えることには、根拠が乏しいのではないかと思われ るのである。
上述のように「任意のね」に対する神尾の説明はかなり直感的で、詳しい論 理や証明などはされていない。そして、「任意のね」の使用は数多の状況に出 現するため、本当に友好的な態度を示すだけのために使われているのかも疑問 に残る。以上、本節で述べたすべての疑問点をまとめると以下のようになる。
(21) 「任意のね」の説明が十分ではない。使用環境の説明は見られるも のの、それが確実なものかどうかは曖昧である。そして、「任意の ね」を使用する意味は明らかになっていない。
2.3. 金水敏と田窪行則9
金水▪田窪(1992)は「談話管理理論」を提唱し、それによって、日本語の 指示詞(コ、ソ、ア系列)、モダリティ(だろう)や終助詞(よ、ね)などを 説明している。金水・田窪(1992)は人間の情報交換について、「そのような 情報交換には、言語使用者は、単に思いついたことをコードに乗せて、発信し たり、発された発話をコードに基づいて解読したりする以上のことをしなけれ ばならない。このような対話▪談話における情報の交換を談話管理と呼ぶ事に する」(P.123)と述べている。人と人が話す時には、人間の中に存在してい るデータベースへの登録、検索、推測などの一連の複雑な仕組みが作用し、そ の構造を解釈するのが「談話管理理論」だというわけである。そして、金水(1992)
では、「直接経験的知識」と「間接経験的知識」という二つの領域へのアクセ スが、終助詞ネを説明する上での重要な概念であるとされている。この二つの 領域は、金水(1992)により次のように説明されている。
9 金水敏と田窪行則の論は、「必須のね」「任意のね」という区別をせず、ネ全体として論じて
いる。しかし、本稿では、金水敏と田窪行則の論に触れる際にも、「必須のね」「任意のね」
に該当する例については、それぞれ「必須のね」「任意のね」と呼ぶ。
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ここで「直接経験的知識」とは話し手の過去の体験および現場から得られ る知識等などである。「悲しい」「恐い」「おなかがすいた」等の発話時 における内的な状態も、話し手自身のものであれば直接的知識である。「間 接経験的知識」とは言語的▪概念的に構成されたり、推論によって仮説的 に構成される知識をいう。対話の相手が発話によって新規にもたらした情 報や、聞き手が知覚していると仮定される聞き手の現場に関する知識は、
典型的な間接経験的知識である。 (P.51)
例えば、話し手が実際にある人に会って、彼あるいは彼女の外見を見たとす る。話し手はその人について、自分の観察から彼あるいは彼女がハンサムもし くは綺麗であると述べることができる。仮に他人に理由を聞かれたとしても、
自分自身の経験から、それを返答することが可能であろう。これが「直接経験 的知識」である。しかし、話し手が実際にその人に会わずに、ただ噂でその人 がハンサムあるいは綺麗であると聞いただけだとすると、その人のどこがハン サムあるいは綺麗かと聞かれたら、話し手は答えがたいであろう。これが「間 接経験的知識」である。つまり、「直接経験的知識」は話し手が実際に体験し た、自分の熟知している知識で、各角度からその情報を描写することができる が、「間接経験的知識」は他人からの言語や自分の推測などで獲得した知識で あって、単に一面的な描写しかできないものである。上述の規定に基づき、金 水(1992)は、ネについて「『ね』は情報の同一性の確認を表す。確認すべき 情報の一方は間接経験的領域にあり、一方は直接経験的領域または間接経験的 領域にある」(P.54)と説明する。
(22)(噂から聞いて)
太郎さんはここの大家さんですね。 (作例)
(23)(カレンダーを見ながら)
A:今日は何日ですか。
B:ええと、9 日ですね。 (作例)
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(22)のネの用法はいわゆる「必須のね」で、相手に情報を確認するもので ある。「談話管理理論」によると、これは話し手と聞き手二人の間での知識の マッチングである。話し手は「太郎さんはここの大家さんだ」という噂を聞い ており、聞き手は、その太郎本人である。要するに(22)は、話し手の間接経 験的知識と、大家本人である聞き手の直接経験的知識との照合と言えるであろ う。一方、(23)は聞き手と関係なく、話し手自身の内部に起こる照合で、こ れが、これまでにも触れることのあった「自己確認」である。話し手Aは、自 分自身の内部に存在する「(おそらく)9日である」という判断を、実際に日 付を示しているカレンダーと照合し、間違いなく9日であるという結論に至っ た。さらに、「ええと」という言葉からは何らかの計算が感じられ、照合中で あることの証拠とされている。
以上のような「談話管理理論」に基づくネの理解には、田窪・金水(1996)
において多少の変更が生じた。田窪・金水(1996)の最大の特徴は、ネを以下 のように定義するところである。
(24)終助詞「ね」は、当該の命題の妥当性を計算中であるという標識である。
(田窪・金水1996:72)
この理解によると、「任意のね」は、話し手が命題の妥当性を計算中であるこ との標識ということになり、金水▪田窪(1992)や金水(1992)同様、「自己 確認」という概念で捉えることが可能である。一方、「必須のね」の場合は、
話し手が命題の妥当性を計算中である、と聞き手に示すことによって、聞き手 の側に必要な情報を書き込ませようとするものということになる。
このように「命題の妥当性の計算」とは、ネの性質を規定するものとして設 定された概念である。しかし、ネの実際の用例を見ると、「命題の妥当性を計 算」していると考える材料が乏しく、人間が文を言語化する際に行う思考全般 との差異が明確ではないものも見られる。例えば、次に再掲する(2)である。
(2)JBI 10(日本人ベース依頼)が JSK 10(日本人同輩断り)に電話をかけて、
頼み事をしているシーンである。便宜のため、JBI 10 を A とし、JSK 10
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をB とする。A には深い色がついている。
ライン番号 発話文番号 発話文終了 話者 発 話 内 容
13 12 * JBI10
<笑いながら>あのね(うん)、明日なんかあの友、
うーんと実は、国立国語研究所ってわかる?。
14 13 * JSK10 えっ、あ、聞いたことある<けど>{<}。
15 14 * JBI10
<あー>{>}、なんか私がそこでちょっと言語調査 に関する実験を頼まれていて、(うん)それに行 かなきゃいけなかったんだけど、(うん)ちょっ と急用ができて行けなくなってしまったのね。
16 15 * JSK10 あ、なんかバイト?。
女性同士の断りの電話会話【音声】/ 75-4-JBI10-JSK10 「宇佐美まゆみ監修
(2011)『BTSJ による日本語話し言葉コーパス(2011 年版)』」
(2)のライン番号 15 では、話し手の A が自分の置かれている状況を聞き 手の B に説明している。このライン番号 15 を観察すると、そこで話されてい る内容は、すべて A が熟知しているものであることがわかる。そのため、「ち ょっと急用ができて行けなくなってしまった」という情報に関して、A には「命 題の妥当性の計算」をする必要がない。さらに、この文には「ええと」や「や っぱり」など、「命題の妥当性の計算」をしていると見なす言語的な証拠は一 切ないし、沈黙など、話し手が「命題の妥当性の計算」をしていると解釈でき るような記載も見られない。たしかに、このように文が言語化されている以上、
A は、何らかに自身の中で思考を展開し、まとめる作業をしているであろう。
しかし、それを「命題の妥当性の計算」と呼んでしまったら、文を言語化する 際に展開される人間の思考全般と、ネにおける「命題の妥当性の計算」がどう 違うのかという疑問が生じてくる。よって、本稿は、ライン番号 15 のような ネは、話し手が自分自身の中で「命題の妥当性の計算」を行っているという概 念で説明すべきではないと考える。
前にも述べたように、本稿はネに「自己確認」という意味が存在する可能性 を認めているが、実際のコーパスを観察すると、あらゆる「任意のね」を「自 己確認」とすることは無理である。「任意のね」には「自己確認」以外の用法
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が存在していると考えなければならず、「談話管理理論」では、このような用 法を解釈しがたいと言わざるをえない。