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(13)について、大曽(1986)は「日本語ではこういう場合、普通、話し手が 自分の観察、判断をそのまま述べるということはない。『ね』をつけて、あな たも知っているでしょうがということを示すわけである」(P.92)と述べてい る。「きれいなブラウスです」の後にネをつけないと、話し手が聞き手を前に して、ただ自分の判断を口にするだけの、不自然な文になるということである。

以上の諸々から大曽(1986)は、ネが使われるのは、話し手と聞き手の間に同 程度の情報や判断などが存在することが前提とされる時である、とまとめてい る。しかし、大曽(1986)は「任意のね」に関しては一切言及していない。「任 意のね」は、ネの使用において、「必須のね」と並ぶ重大なものである。した がって、「任意のね」を分析せずにはネを全体的に説明したとは言えないであ ろう。

2.2 神尾昭雄

神尾(1990、1998)は、「情報のなわ張り理論」によって、終助詞ネを説明し ている。「情報のなわ張り理論」とは情報の帰属に関する理論である。

情報の帰属が話し手にあれば「話し手情報」と呼ぶ。聞き手にあれば「聞き 手情報」と呼ぶ。もし情報の帰属が話し手と聞き手の双方にあれば「共通情報」

となる。そして、この情報の帰属という観点は、日本語の使用や表現などに大 きく影響するものだとされている。神尾(1990)は、ネも情報の帰属の影響によ って次のような性格を持つと述べている。

(14) 「ね」は話し手の聞き手に対する〈協応的態度〉を表す標識である。

〈協応的態度〉とは、与えられた情報に関して話し手が聞き手に同一 の認知状態を持つことを積極的に求める態度である。

(15) 話し手と聞き手とが既獲得情報(ALI)として同一の情報を持ってい ると話し手が想定している場合、話し手の発話は「ね」を伴わねば ならない。

(16) 話し手が自己の発話により特に協応的態度を表現したい場合、話

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し手の発話は「ね」を伴うことが出来る

(神尾1990:77-78)

神尾(1990)の説明によると、ネとは、話し手がある情報に対して一つの認 識を持っており、聞き手にもそのような認識を求めるものということになる。

そして、(15)に見られるように、話し手が、聞き手も元からそのような認識 を持っていると想定する場合には、ネを使わなければならない。つまり、「共 通情報」の文にはネをつけなければ不適切な文になる。いわゆる「必須のね」

の用法である。

一方、本稿の研究対象である「任意のね」は、先掲(16)のような定義にな っている。話し手は、ある情報に対して、聞き手が自分とは同一の認識を持っ ていないと考えている場合でも、ネによって、聞き手に同一の認識を持つよう 求めることができるということである。さらに、神尾(1990)は、ネを、話し 手と聞き手との間で情報が同一であることを示す標識と規定し、「任意のね」

が使われる理由は、話し手が、あたかもそれを聞き手が知っているかのように 仮定することで、仲間意識や連帯感を感じさせるためだとしている。次の(表 2)は、以上のようなネに関する神尾(1998)のまとめである。

(表 2)

1 必須のね H = 1 「よく降るね」

「君は胃が悪いそうだね」

2 強調のね H > n & S > n 「いい絵だろ、ね?」

3 任意·疑問のね H > n & S < n 「一雨来ますかね」

4 任意のね H < n & S ≧ H 「えーと、それは500円ですね」

(神尾 1998:48-49)

(表 2)の中央の H は聞き手を、S は話し手を示している。また、n はなわ 張り内にあるかどうかの基準で、H>n ということは、当該情報が H(聞き手)

のなわ張り内にあり、H<n は、当該情報が H のなわ張り内にないという意味

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である。S(話し手)の場合も同様の規則に従う。また、詳しい計算の仕方に ついてであるが、n の値は 0.6 で、0.6 を超えると大 n になり、超えなければ小 n になる。最小値は 0(なわ張り内にない)で、最大値は 1(なわ張り内にあ る)までと設定されている。(表 2)の 1 の「必須のね」を使う場合は情報が 必ず聞き手になければならない。(表 2)の 2 の「任意のね」は、情報が聞き 手にない上に、話し手が聞き手より大あるいはイコールでなければならない6。 さらに、数値の加算のし方は、以下の四つの条件により構築されている。

(17)情報が話し手または聞き手のなわ張りに入るための条件

a. 情報が話し手または聞き手の内的直接体験によって得られたも のであること。

b. 情報が話し手または聞き手の外的直接体験によって得られたも のであること。

c. 情報が話し手または聞き手の専門的領域またはその他の熟達し た領域に関わるものである。

d. 情報が話し手または聞き手にとってきわめて個人的な事柄に関 するものであること。話し手または聞き手自身に関する事柄をも 含む。 (神尾 1998:30-31)

一つの条件が達成されれば、0.5 の数値が加算される。すなわち当該情報は 一つだけの条件が達成されても、なわ張り内には入らない。必ず二つの条件が 達成され、0.6 を超えなければ、なわ張り内には入らない。さらにメタ条件と いう減点の規則があり、なぜ 0.6 という数値をなわ張りの進出の基準に取った かを説明されるが、本稿の論述には関わりがないので省略する。

6 神尾(1998)においては、「必須のね」の中で、『よく降るね』は「直接ね形」といい、「君 は胃が悪いそうだね」は「間接ね形」という。「直接ね形」の使用場面は1=S=H であると されている。つまり、「共通情報」である。「間接ね形」の使用場面はn>S<H=1 であると されている。つまり、「聞き手情報」である。「直接ね形」と「間接ね形」の使用場面をまと めるため、最大公約数的な「H=1」が抽出され、「必須のね」に対する概観として、表示さ れているのである。

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先掲の(表 2)では、四つの分類が設けられていたが、まず「強調のね」は 間投助詞に当たり、また、「任意·疑問のね」も疑問終助詞「か」が接続して いるので、本稿の分析対象からは外れている。残る二つのうち、「必須のね」

の例文の「よく(雨が)降るね」は、話し手と聞き手が共に「外的直接体験」

に当たる五感を通し、かつ、「内的直接体験」としての判断で、当該情報の認 識が可能であるため、二つの条件が達成されている。つまり、話し手は「よく

(雨が)降る」という認識ができ、かつ、聞き手も「よく(雨が)降る」とい う認識を持っていると想定することができる。この状態は神尾(1990)の規定

(15)に当たり、文末に必ずネを付けなければならない。

一方、「任意のね」の例文の「えーと、それは500円ですね」は、H < n & S

≧ Hという状況に現れる。すなわち、当該情報は聞き手のなわ張り外にある 一方、話し手が聞き手と同等かそれ以上に情報を知っている場合にネを任意で 付けることができる。例えば、この「えーと、それは500円ですね」が、客か ら店の主人が値段を聞かれている状況の文であるとしよう。主人は、いかに記 憶が薄れていたとしても、値段について客よりは知っているはずの立場である。

けれども、主人は「任意のね」を使って、あたかも聞き手がそれを同じく知っ ていたかのように表現し、また、聞き手に「これが500円である」という認識 を持つことを積極的に求めることで、聞き手に対して友好的な印象が与えられ るというわけである。

神尾(1990、1998)の結論を簡潔にまとめよう。「必須のね」は、話し手と 聞き手両方ともが、ある情報をなわ張り内に持っている場合に、義務的に文末 に付けられるネのことである。一方、「任意のね」は、ある情報が聞き手のな わ張り内になく、かつ聞き手のなわ張りよりは話し手のなわ張りの方に近いと いう場合7に、聞き手に丁寧さを表現するために任意で使われるネのことであ る。

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ここまで確認してきたような「情報のなわ張り」という観点に基づく、神尾 のネの理解に関しては、既に北野(1993)によって次のような疑問が提示され ている。

(18) a.今日は暑いですね。

b.今日は暑いです。

(北野1993:79)

(18a)は、先の規定(15)「 話し手と聞き手とが既獲得情報(ALI)として 同一の情報を持っていると話し手が想定している場合、話し手の発話は『ね』

を伴わねばならない」に基づけば、話し手が、聞き手も「今日は暑い」という 認識を持っていると想定し、発話したものということになる。それに対して、

北野浩章(1993)は、(18a)について「話し手が聞き手との共有情報を発話す ることにどんな意味があるのであろうか。素朴に考えれば、伝達価値はゼロで ある8」(P.79)と述べている。もし、話し手が、聞き手にも自分と同じような 認識があると思っていたならば、発話をする必要もなくなるであろう。つまり、

規定(15)によれば、ネは「共通情報」の標識として使われていることになる が、そうした標識にはあまり意味がないように感じられ、よって、本当にネが そのような標識なのかという疑問が生じることになるのである。この北野

規定(15)によれば、ネは「共通情報」の標識として使われていることになる が、そうした標識にはあまり意味がないように感じられ、よって、本当にネが そのような標識なのかという疑問が生じることになるのである。この北野