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馬英九政権下の日台関係の進展--継続性、挑戦、実務交流枠組みの形成 馬英九政權下的台日關係的進展--持續性、挑戰、務實交流架構的形成

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馬英九政権下の日台関係の進展

―継続性、挑戦、実務交流枠組みの形成―

石 原 忠 浩

(台湾・国立政治大学国際関係研究センターアシスタントリサーチフェロー・ 日本研究修士カリキュラム助理教授)

【要約】

馬英九政権下の日台関係は、「活路外交」に代表される実務的な姿 勢 の下に進展 した。馬総 統は当初、 日本の世論 から「反日 人物」 で は ないかとの 指摘もされ たが、政権 発足直後に 発生した「 聯合号 」 事 件の際に見 せた強硬な 言動は日本 の各界を驚 かせた。し かし、 そ の 後は日本と の関係を「 台日特別パ ートナーシ ップ」と位 置づけ 、 実務関係の発展を推進する意向を示した。 馬政権の4 年間で進展した日台関係において、際立ったのは、「継 続性」、「挑戦」及び実務交流枠組みの形成プロセスであった。「継続 性 」は双方の 良好な感情 と安定した 経済文化関 係における 民間交 流 である。「挑戦」は馬政権の領土、歴史認識等に対する前政権とは異 な る強硬な姿 勢に戸惑わ された点。 実務交流枠 組みの形成 プロセ ス は、「台日特別パートナーシップ」を発端に、2010 年 4 月に取り決め られた「覚書」とその後の実務関係の強化に具現化されている。 この 4 年間の中で日本も歴史的な政権交代を経験したが、日台関 係 は当初の厳 しい関係か ら、次第に 不安定な状 態を脱し、 安定し た 発 展の軌道に 乗った感が する。特に 、東日本大 震災の際の 台湾社 会 の 日本に対す る思いやり と、友情は 日台友好関 係を更に強 化する も のとなった。 キーワード:日本、台湾、日台関係、活路外交、実務交流

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一 はじめに

二度目の政権交代を成し遂げた台湾は、2008 年 5 月に中国国民党 ( 以下、国民 党)の馬英 九政権が発 足した。国 民党政権は 台湾の 民 主 化を促進し た李登輝政 権以来だが 、李元総統 が日本留学 の経験 を 有 し、日本の 歴史、哲学 などに精通 した「日本 通」であっ たのに 対 し 、馬総統は 過去に国際 法の角度か ら尖閣諸島 (台湾名: 釣魚台 列 島) に関する研 究をし、「保釣運動」(釣魚台列島を 守るキャン ペ ー ン )という台 湾の尖閣諸 島に対する 領有権を強 く主張する 運動に 関 与した過去があった。さらに、2005 年の党主席就任後に日本の植民 地 時代の抗日 指導者の看 板を党本部 に掲げた経 緯から、日 本にお い ては「馬英九は反日人物」と問題視する見方が一部に存在していた。 国 民党政 権発 足直後 に発 生した 「聯 合号」 事件 の際に 、馬 総統が 日 本に対して 見せた強硬 な対応に対 し、日本各 界は名実と もに台 湾 の 政権交代を 実感する機 会となった 。しかし、 その一方で 民主進 歩 党 (以下、民 進党)政権 時代に軍事 衝突の瀬戸 際にまで悪 化した と さ れた中国と の関係を改 善させ、米 国との信頼 関係も回復 させる な ど対中、対米関係は安定するようになった。日本との関係も、「聯合 号 」事件後は 、日本重視 の姿勢を示 し、新たに 日本との関 係を「 台 日 特 別 パ ー ト ナ ー シ ッ プ 」( 原 文 : 台 日 特 別 夥 伴 關 係 ; 英 文 : Taiwan-Japan Special Partnership)と位置づけ、実務関係を中心に交流 を 促進させる 態度を採り 、駐日代表 所札幌分処 の開設、羽 田-松 山 航 空便の就航 、日台実務 交流にかか る覚え書き の締結など 実務関 係 で一定の進展があった。 本稿では、 はじめに日 台関係の原 則と枠組み を整理した 後、馬 政 権 の一期目の 対外政策の 基本原則と なっている 「活路外交 」を検 討 し 、その対外 政策下で展 開された対 日政策と日 台関係の展 開を継 続

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性 、挑戦と実 務交流枠組 の形成とい う側面から 分析し、最 後に今 後 の日台関係を展望する。

二 日台関係の原則と枠組み:一つの中国原則と民間

関係

1972 年の日中国交正常化において、日本政府にとってもっとも重 要 な決定は「 一つの中国 原則」の受 け入れにあ った。当時 外務省 の 中国課長であった橋本恕は「田中訪中の 4 日間に『二つの中国』か ら 一気に正常 化へ持ち込 んだことで あり、日本 が『一つの 中国』 政 策 を 受 け 入 れ た こ と 」 と 回 顧 し て い る1。「 日 本 国 政 府 と 中 華 人 民 共 和国政府の共同声明」の第 2 条では「日本国政府は、中華人民共和 国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」。第3 条では 「 中華人民共 和国政府は 、台湾が中 華人民共和 国の領土の 不可分 の 一 部であるこ とを重ねて 表明する。 日本国政府 は、この中 華人民 共 和 国政府の立 場を十分理 解し、尊重 し、ポツダ ム宣言第八 項に基 づ く立場を堅持する」となっている2。また 1978 年に締結された「日 本国と中華人民共和国との間の平和友好条約3」では、台湾問題への 直 接の言及は なかったが 、冷戦後に 日中関係の あり方を定 義する こ ととなった1998 年の「平和と発展のための友好協力パートナーシッ プの構築に関する日中共同宣言」では、「日本側は、日本が日中共同

1 「橋本恕氏に聞くー日中国交正常化交渉」石井明・朱建栄・添谷芳秀・林暁光編『記 録と考証―日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』(岩波書店、2003 年)、215 ページ。 2 「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」外務省、1972 年 9 月 29 日、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_seimei.html。 3 「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」外務省、1978 年 8 月 12 日、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_heiwa.html。

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声 明の中で表 明した台湾 問題に関す る立場を引 き続き遵守 し、改 め て 中国は一つ であるとの 認識を表明 する。日本 は、引き続 き台湾 と 民間及び地域的な往来を維持する」と従来の立場を確認した4。小泉 政 権時代の対 立、摩擦の 「政冷経熱 」を経験し 、新たな日 中協力 関 係が模索される中、2008 年 5 月に胡錦濤国家主席が訪日した際に福 田康夫首相との間で合意された「『戦略的互恵関係』の包括的推進に 関 する日中共 同声明」で は、歴史問 題を非政治 化するなど 未来志 向 の 姿勢が見え た内容であ ったが、台 湾問題に関 しては簡潔 に「日 本 側 は、日中共 同声明にお いて表明し た立場を引 き続き堅持 する旨 改 めて表明した」とし、従来の立場を踏襲した5 一方で日本 と台湾の断 交は、経済 、人の往来 の断絶を意 味する も のではなかった。断交当時ですら台湾に居住する日本人は約4 千人、 毎年平均約18 万人が観光で訪台していたほか、貿易相手としても日 台双方はともに上位を占める重要なパートナーであった6。したがっ て 、断交後の 実務関係の 維持は日台 双方にとっ て不可欠で あった 。 かかる状況をふまえ、1972 年 12 月に日本が「財団法人交流協会」、 台 湾側は「亜 東関係協会 」を設立さ せ、双方で ビザ発給を はじめ 貿 易 推進、学術 ・文化・ス ポーツ交流 などの業務 を行い、日 台双方 の 「 協会」が関 係を維持す る役割を担 い、その関 係は現在ま で続い て いる。 したがって現在も日台関係を制約する原則は、「一つの中国政策」

4 「平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言」外 務省、1998 年 11 月 26 日、http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_sengen.html。 5 「『戦略的互恵関係』の包括的推進に関する日中共同声明」外務省。2008 年 5 月 7 日、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/visit/0805_ks.html。 6 「交流協会について 交流協会概要」公益財団法人交流協会、http://www.koryu.or.jp/ ez3_contents.nsf/22/19C8404BAEB2BAD949257737001DCA69?OpenDocument。

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の 遵守と「民 間関係」で あり、右原 則の下で日 台双方は関 係の進 展 を模索することになっている。

三 馬英九政権の対外政策:活路外交と外交休戦の実践

馬政権下で 推進した対 外政策は「 活路外交」 であり、対 日政策 も 右 基本政策に 沿って展開 された。こ こでは「活 路外交」の 内容と 理 念、限界と批判、成果、対日政策につき検討する。 1 活路外交の内容と理念 馬総統が総 統選挙の時 から一貫し て掲げ推進 している対 外政策 は 「活路外交」と呼ばれるものである。「活路外交」は中華人民共和国 ( 以下、中国 )との間で 国際社会に おいて国交 国の取り合 いなど を しないとする「外交休戦」(原文:「外交休兵」)が前提となっている。 馬総統は、2008 年 8 月 4 日に外交部で「『活路外交』の理念と戦略」 と題する講演を行い、その理念と戦略につき説明した7。同講演では 同外交の理念、目標から諸外国との関係にまで言及した 8 千字に及 ぶ長いものであるが、重点につき検討する。 は じめに、「『 活路外 交』構 想の発端は 、民進党政 権時代の外 交予 算は増えたが、国交国が 6 カ国も減っただけでなく、大国(主に米 国 を指す)と の信頼関係 もダメージ を受けたこ とにより、 いかに し て 悪化した対 外関係を改 善していく かというこ とにあった 」とし て い る。次に、 同外交の総 体的な目標 を「国交国 との親睦を 強固な も のにす る」、「 非国交国などとも 友好関係を 拡大する 」、「国際舞台 へ

7 馬総統の発言の内容は、以下を参照。「總統訪視外交部並闡述『活路外交』的理念與 策略」中華民國總統府、2008 年 8 月 4 日、http://www.president.gov.tw/Default.aspx? tabid=131&itemid=14041&rmid=514&sd=2008/08/04&ed=2008/08/14。

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参与 する」、「 尊厳を守る」と 定めている 。更にその 基本構想に つ い て は「台湾が 国際社会に おいて中国 と常に対立 や衝突する のでは な く、双方が協力できるモデルを探すことにある」と指摘し、「台湾が 外 交活動を行 うには中国 との協力が 不可欠であ る」との認 識を示 し た。 言 い換え るな ら、台 湾が 外交活 動を 推進す るに あたっ ては 、中国 との 間で「金銭 外交を行わ ない」、「 国交国の奪い合 いをしない 」 な どの点で了解した「外交休戦」が必要になるということになる。 台 湾の専 門家 は、総 統選 挙の時 から 馬総統 の掲 げる「 活路 外交」 と 「外交休戦 」に対して 注視し、様 々な論評を 加えてきた 。林正 義 は、「外交休戦」についてその特徴を「両岸関係における緊張緩和の 象徴 」、「 台湾の 国交国は現 状維持とな るが国際組 織への参加 機会 は 増加 」、「中国の台 湾に対する 外交的圧力 は低減 」、「中国との間 に書 面上 の協定を結 ぶのではな く、暗黙の 了解方式を 取る」、「 台湾に 国 際 空間はある が、右は外 交空間とは 等しくない 」等、前向 きな点 と 同時にその限界を指摘した8 林 碧炤は、「『外交休戦』は一種のプロセスであり、両岸関係と結 合 して一緒に 作用するも のであり、 固定される ものではな く、中 台 双方が相互に学び学習するプロセスである」と説明した9。またその プ ロセスの中 でなされる べき重要な 点として① 主権問題な どで野 党 か らの反発を 引き起こさ ないための 台湾内部の 意思疎通を 行う。 ② 中 国に対して 「外交休戦 」が中国に も有利であ ることを理 解させ る ための中国との間の意思疎通を行う。③国交国に対する「外交休戦」

8 林正義「兩岸『外交休兵』的挑戰」『戰略安全研析』第三十九期(2008 年 7 月)、頁 10。 9 林碧炤「導論:兩岸外交休兵新思維」林碧炤主編『兩岸外交休兵新思維』(財團法人 兩岸交流遠景基金會、2008 年)、頁 5。

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の説明を行う。④台湾に戦略的利益を有する日米に対し、「外交休戦」 を はじめとし た問題につ き意思疎通 をすること が不可欠と 指摘し て いる10 2 活路外交の限界と批判 その一方で 、民進党系 の有識者か らは「活路 外交」への 批判と そ の 限界、さら には実践の 上で重要な ファクター となる中国 側にも 警 戒を指摘する見方が存在している。徐永明は、馬政権の外交政策は、 「親中遠日米」政策であり、台湾が従来推進してきた「親日米遠中」 の 路線と異な るだけでな く、台湾人 の好感度の 順序(日米 中)と も 異なり、台湾人の感覚とずれていると指摘している11。董立文は、「中 国 政府は正式 な場所で一 度も「外交 休戦」につ き言及した ことは な く 、仮に台湾 にある程度 の国際的活 動空間を与 えることが あるに し ても宗主国が付属国に与える恩恵とみなしている」と指摘し、「外交 休 戦」にかか る中台間の 認識のギャ ップが大き いことを強 調して い る12 野党寄り論調が顕著な『自由時報』紙は、2011 年 5 月に世界保健 機関(WHO)の内部文書で、台湾の名称は WHA にオブザーバー参 加した「中華台北(Chinese Taipei)」ではなく、「中国台湾省」と中 国 の一省扱い となってい ることが暴 露されたこ とを大々的 に取り 上 げ、馬政権を批判した13。また同紙は馬政権三周年を機会に対外政策

10 林碧炤「導論:兩岸外交休兵新思維」林碧炤主編『兩岸外交休兵新思維』、頁 6~10。 11 徐永明「兩岸外交休兵對臺灣內部政黨生態的可能衝擊」林碧炤主編『兩岸外交休兵 新思維』、頁37~52。 12 董立文「兩岸外交休兵對兩岸關係之影響」林碧炤主編『兩岸外交休兵新思維』、頁 53~72。 13 「世衛密件曝光 我列中國一省」『自由時報』2011 年 5 月 9 日、第 1 版。

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を総点検し、「外交休戦」は上述のWHO での台湾の地位を矮小化さ れた事例を基に、片思い的に「92 年コンセンサス」(原文:「92 共 識 」)という 政治的な枠 組みを受け 入れた結果 、主権を喪 失する 危 機に陥っていると厳しく批判した14 また中国政 府は公の場 で活路外交 につき肯定 も批判もし ない態 度 を 貫いている が、中国人 研究者は、 馬政権の活 路外交を一 部で評 価 しながらも、「活路外交の策略と中身は台湾の主権を護ることを主張 し現 実との間に 矛盾がある 」、「 中台間 のイデオロ ギー上の対 峙は 依 然と して存在し ている」、「相方が相手の 存在を否定 しないとい う 認 識は92 年コンセンサスの精神に背いている」などと指摘するととも に 、現政権が 民進党や世 論の圧力を 受け政策を 変更する可 能性を 危 惧 し、中国政 府は高度の 警戒心をも ってその動 向を注視し ている と 強調している15 したがって 、中台間で 正式な取り 決めの文書 もない「活 路外交 」 と 「外交休戦 」が、今後 もどの程度 まで実践が 可能か否か は中国 側 の 意向にかか っており、 非常に脆弱 な面を有し ていること は指摘 せ ざるを得ない16 3 活路外交の実践と成果 ここでは、「活路外交」の成果について、先に馬総統自身が主張し

14 「外交休兵誤台 深陥主権危機」『自由時報』2011 年 5 月 16 日、第 3 版。 15 徐曉迪「馬英九當局“活路外交”策略評析」『台湾研究』(北京)第 1 期(2010 年 2 月)、 頁55~56。 16 とは言いいつも、現段階では中国は台湾に対して融和的な姿勢を示しているのも事 実であり、WHA 名称問題では中国国務院台湾事務弁公室の報道官は記者会見で、台 湾のWHO における名称については「中華台北衛生署」であると指摘し、台湾側に配 慮する姿勢を示した。「范麗青稱中華台北『衛生署』」『聯合報』2011 年 5 月 12 日、 第2 版。

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た「国 交国との親 睦強化 」、「非国交国と の友好拡大 」、「国際舞 台へ の参与」といった点を中心に検討する。 表 1 馬総統の正式外国訪問の概要 訪問期間 訪問国 目的 経由地、主な会見者 2008/8/12-8/19 パラグアイ共和国 ドミニカ共和国 大統領就任式 同上 ロサンジェルス サンフランシスコ 米国在台湾協会 2009/5/26-6/4 ベリーズ グアテマラ共和国 エルサルバドル共和国 友好訪問 同上 大統領就任式 ロサンジェルス シアトル 米国在台湾協会 2009/6/29-7/6 パナマ共和国 ニカラグア共和国 大統領就任式 友好訪問 サンフランシスコ ホノルル 米国在台湾協会 2010/1/25-1/30 ホンジュラス共和国 ドミニカ共和国 大統領就任式 友好訪問 サンフランシスコ 米国在台湾協会 現地華僑 2010/3/21-3/27 マーシャル諸島共和国 キリバス共和国 ツバル ナウル共和国 ソロモン諸島 パラオ共和国 友好訪問 同上 同上 同上 同上 同上 グアム 米国在台湾協会 2012/4/7-4/18 ブルキナファソ ガンビア共和国 スワジランド王国 友好訪問 同上 同上 ボンベイ ドバイ ( 出 典 )「 出 訪 專 輯 」 中 華 民 國 總 統 府 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid= 1186、国名は以下を参照:「各国・地域情勢」外務省、http://www.mofa.go.jp/ mofaj/area/index.html。 国交国との 関係は、中 台の外交当 局にとって は「数争い 」は重 点 項 目であり、 長年双方で しのぎを削 るものであ ったが、馬 政権下 で は「外交休戦」がある程度中台間で暗黙の約束となったかのように、

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台湾が国交を有する国は4 年間 23 国から全く増減しなかった。馬総 統は総統就任一期目の間、6 度国交国を友好訪問したが、それらの概 要をまとめたのが表 1 である。台湾の総統が外遊するのは、国交国 の 大統領就任 式への出席 に合わせて 当該国の周 辺国を複数 友好訪 問 す るものがほ とんどであ るが、この モデルは李 登輝、陳水 扁政権 を 踏襲したものともいえる。 馬政権の友好国訪問の特徴をあえて挙げるならば、外交活動の単 純 化と言える 。陳水扁時 代は、中南 米の友好国 を訪問した 際に米 国 をトランジットしたが、ブッシュ政権と関係が良かった時代の2001 年 5 月の中南米訪問の際には、ニューヨークとヒューストンに滞在 し 、親台派の 国会議員と 会見するな ど「トラン ジット外交 」を展 開 し 、これがま た中国を刺 激し両岸関 係の相互不 信頼、敵意 の高ま り に つながった 。一方、馬 総統はトラ ンジットの 際に政治的 に敏感 な 東 部都市を利 用せず、米 側との会見 者も米側の 交流窓口組 織であ る 米国在台湾協会の要人に限られた。 かかるローキーな姿勢を反映してか、李登科は馬総統の2009 年 5-7 月 にかけての エルサルバ ドル、グア テマラ、ベ リーズ、パ ナマ、 ニ カ ラグアの中 南米の友好 訪問の過程 から、過去 の李登輝、 陳水扁 時 代 に比べると 中国の妨害 行為がなく スムーズに 進行したと し、そ の 具体例として以下の事例を列挙した17。①米国でのトランジットに関 し て中国は表 立った抗議 をしなかっ た。②エル サルバドル の新大 統 領 就任式で馬 総統とヒラ リー米国務 長官が挨拶 を交わした が、中 国 は 米国に抗議 をしなかっ た。③パナ マ、ニカラ グアの指導 者は公 に 中 国との国交 関係樹立の 可能性に言 及している が、中国は 静観し た

17 李登科「從馬總統兩次中南美洲之行看兩岸外交休兵」『展望與探索』第 7 卷第 8 期 (2009 年 8 月)、頁 16~17。

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と指摘し、「活路外交」には一定の成果があったとしている。言い換 え るならば、 馬政権下の 外交活動は 、中国との 関係改善が 進み、 パ フ ォーマンス 的な「トラ ンジット外 交」を控え たことによ り、民 進 党 政権時代の ような赤裸 々な外交的 圧力がかか ることは、 大幅に 減 少した。 総統府は馬政権成立から 4 年の時点で総統の執政報告の中で改革 への取り組みとして「活路外交」の欄を設け総括している18。同文書 では、 成果として 「国際交流 」、「ビザな し渡航待遇 国」、「国 際会議 への参加」、「 国交国との関係強化」、「 非国交国との友好拡大」、「 人 道援助の展開」など11 項目に分けて紹介しているが、以下要点につ き説明する。 「 国交国 との 関係強 化」 では、 双方 の指導 者の 往来及 び経 済協力 協 定について 説明した。 「非国交国 との友好拡 大」では、 前政権 で 悪 化した対米 関係は相互 信頼の再構 築がなされ たとされ、 国際開 発 庁 (USAID)長官、エネルギー省副長官の台湾訪問など高官の往来 が あったほか 、台湾への 軍備売却が 進展したと 評価した。 また、 後 述 する対日関 係に関して は、実務関 係が着実に 進行してい ると評 価 し た。「国際 会議への参 加」につい ては、識者 が指摘する ように 現 職の総統はじめ高官の参与はかなわないものの192008 年以降、連 戦元副総統が総統特使として APEC 首脳会議に出席しているほか、 2009 年 5 月以降、長年の目標であった世界保健機関年次総会(WHA) に オブザーバ ーとしての 資格での参 加が実現し ている。ま た実務 交 流の一環として、台湾人がビザなしで渡航できる国は2012 年 5 月の

18 「活路外交」中華民國総統府、http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=1077。 19 門間理良「APEC 参加者に見られる台湾の限界」『東亜』No.522(2010 年 12 月)、60 ページ。

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段階で 100 カ国と地域20、寄港地ビザが取得可能な国は 27 カ国と地 域となり、127 カ国と地域が実質上ビザなしで渡航できるようになっ た旨成果を示した21 民進党政権 の対外政策 は、中国と の関係にお いて「一つ の中国 」 を はじめとし た主権にか かる問題で 合意できず 、中台間の 直接対 話 の 再開が実現 できなくな るにつれ、 日米諸国な どとの関係 を強化 す る ことで中国 の圧力を突 破し、国際 社会で主権 国家として の中華 民 国 或いは台湾 をアピール し、国家の 安全と平和 を守る戦略 を選択 す る ようになっ た。一方、 馬政権は両 岸関係にお いて「一つ の中国 」 については、各自で解釈の余地を残す「92 年コンセンサス」の合意 で 主 権 な ど 敏 感 な イ シ ュ ー は 実 質 上 棚 上 げ し 、 対 話 と 交 流 を 促 進 し 、信頼関係 を醸成する 方向にシフ トしたこと で、制限つ きでは あ る が、台湾が 国際社会に おける活動 空間を確保 することが きるよ う に なった。台 湾政府が実 利路線に転 換した代表 的な事例は 、国連 加 盟 に関して、 李登輝、陳 水扁政権で 継続してき た中華民国 、台湾 名 称 による国連 への正式加 盟を取りや め、国連の 「専門的機 関への 有 意義な参加」を求める現実的な戦略に転換したことにも見てとれる。 4 活路外交下の対日政策 馬総統は、2005 年に党主席当選後、次期総統の有力候補として、 日 米欧諸国を 訪問し、要 人、有識者 との対話、 講演を通じ て自身 の 対外政策の理念を説明した。2008 年 5 月の総統就任演説では、諸外 国 との関係に おいて、米 国、中国へ の言及があ ったのに対 し、日 本

20 地域には仏の実質上の植民地であるニューカレドニア、海外準県ウォリス・フツナ などが含まれている。註21 を参照。 21 「中華民國國民適用以免簽證或落地簽證方式前往之國家或地區」中華民國外交部、 2012 年 5 月 11 日、http://www.boca.gov.tw/ct.asp?xItem=1335&ctNode=270&mp=1。

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に 対する直接 の言及が無 かったこと から、就任 式後の馬総 統と日 本 側 代表団との 昼食会の際 に平沼赳夫 ・日華議員 懇談会会長 から「 四 年後の演説に、『日本』といれていただけるよう努力したい」と発言 し たことが大 きく報じら れるなど日 本の一部に は、馬総統 の姿勢 を 問 題視する論 調もあった が、かかる やりとりは 、今後の日 台関係 が 新局面を迎えることを想起させた22。日本代表団との会談では、実務 交 流の進展を 評価し、青 少年交流を 通じて両国 の協力関係 の基礎 を 固めたい旨の希望を述べるだけにとどまった23。 「聯合号」 事件後の馬 総統は、日 本の賓客と 会見するた びに対 日 友好を示す姿勢が際立った。2008 年 8 月 4 日に矢野哲朗、大江康弘 両 参議院議員 と会見した 際には、日 本側が李登 輝元総統が 流暢な 日 本 語を話すこ とを評価し たことに対 し、馬総統 は「台湾で 常に李 元 総 統のような 日本語が流 暢な総統を 選出するこ とはできな いが、 我 々 は日本に対 し友好的な チームを形 成し、対日 関係を推進 してい き たい」と、「聯合号」事件後も対日関係重視の変わらぬ姿勢を強調し た24 馬総統の対 外政策にお いて最も重 要な人物で あった蘇起 ・国家 安 全会議秘書長(当時)は、2009 年 12 月の米国産牛肉の輸入問題にか かる記者会見で記者からの「中国と和解し、日本と友好関係を築き、 親 米政策を推 進する(和 中友日親美 )の進捗状 況は如何が 」とい う

22 石原忠浩「馬英九政権の一年の回顧と展望:内政と日台関係を中心に」『東亜』No.507、 9 月号(2009 年 9 月)、34 ページ。 23 「總統偕同副總統接見日本特使及國會議員團」中華民國総統府、2008 年 5 月 20 日、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=13761&rmid=514&word1=% e5%b9%b3%e6%b2%bc&sd=2008/05/05&ed=2010/12/09。 24 「 總 統 接 見 日 華 議 員 懇 談 會 訪 問 團 」 中 華 民 國 総 統 府 、 2008 年 8 月 4 日 、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=14040&rmid=514&word1=% e7%9f%a2%e9%87%8e%e5%93%b2%e6%9c%97&sd=2008/05/05&ed=2010/08/09。

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質問の回答で、「対中関係の改善を優先したのは危険を回避するため の ものであり 、日米との 関係は同時 に強化して おり、新た な対日 関 係を築きたい」と強調するところがあり25、同政権の対外、対日政策 が垣間見られた。 2010 年 1 月に交流協会台北事務所代表に就任した今井正との会見 では、「活路外交、外交休戦の推進下で両岸関係は大きく改善し、台 湾 自身の国際 社会への関 与などに成 果が見られ たほか、他 国との 関 係 も日米をは じめ、豪州 、ニュージ ーランド、 アセアン諸 国との 関 係も改善した」と指摘した。日本との関係においては、09 年 8 月の 台風災害の際の日本の緊急援助に改めて礼を述べたほか、「日米安全 保 障条約の存 在は東アジ アの安定と 平和におい て重要な支 柱とな っ ている」と高く評価するなど26、総じて対日政策の重視を一貫して強 調している。 馬総統の日 本に対する 対日関係重 視の姿勢は 、日本側関 係者に 、 「 馬総統は反 日ではなく 、知日を目 指す実務的 な指導者」 との見 方 が定着しつつあるとする一方で、「接近しすぎる中国との関係」に警 戒 感を隠さな い厳しい見 方をする勢 力が並存し ているのも 事実で あ る27。しかしながら、総統一期目の4 年間で「馬は反日」というイメ ージは、かなり払拭された感じがあるのも事実である。

25 「有關擴大美國牛肉進口來台說明會紀要」中華民國外交部、2009 年 12 月 24 日、 http://www.mofa.gov.tw/webapp/ct.asp?xItem=41244&ctNode=1550&mp=1。 26 「總統接見日本交流協會台北事務所新任代表今井正」中華民國総統府、2010 年 2 月 4 日 、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=19948&rmid=514& word1=%e4%bb%8a%e4%ba%95%e6%ad%a3&sd=2008/05/05&ed=2010/12/09。 27 嚴安林「馬英九上任以來臺灣與日本關係進展及走向」『臺灣研究集刊』(廈門)第 5 期(2010 年)、頁 18。

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四 日台交流の進展:継続性と挑戦

今 節では 、馬 政権下 の日 台関係 を継 続性と 挑戦 という 角度 から検 討する。 1 日台関係の継続性 (1) 世論調査から見る日台双方が有する好感度 日本にとっ て国交の有 無にかかわ らず、政治 、経済、安 全保障 全 て の面におい て台湾の存 在が極めて 重要な地位 を占めてい ること は 議 論を待たな い。一方で 中国にとっ ては、台湾 問題の主要 な障害 の 一 つは日米安 保体制であ り、更に米 国、日本の 存在は中国 の台湾 政 策に影響すると考えられている28。しかしながら、中国人学者は日米 の 台湾に対す る影響力は 異なり、台 湾は米国に 対する政治 、軍事 面 で の依頼が顕 著なのに対 して、日本 の台湾に対 する影響は 経済と 文 化関係により見られると指摘している29。戦後初期の日本のエリート 層 には台湾に 対して特殊 な感情を持 つ者が多く 、吉田茂元 首相の 側 近 であった白 洲次郎、松 本重治は英 国人との会 談において 将来の 日 台 関係の在り 方について 「国家連合 」あるいは 「連合王国 」との 観 点を提案したことがあった30。かかる観点が当時のエリートの少なく と も一部の人 々には有さ れていたこ とには留意 すべきであ る。し た が って、中国 側は常に台 湾と日本の 密接なつな がりを警戒 し、日 中 国 交正常化の 際に台湾( 中華民国) と日本の国 交断絶を絶 対条件 に 掲 げた。当時 の日本側も 中国側のか かる憂慮を 理解してい たため 、

28 郭定平「新世紀における日台関係の発展と展望」依田憙家・王元編著『日中関係の 歴史と現在』(白帝社、2007 年)、17 ページ。 29 吳寄南・陳鴻武『中日關係“瓶頸”論』(北京:時事出版社、2004 年)、頁 69。 30 陳肇斌『戰後日本の中国政策』(東京大学出版会、2000 年)、102~105 ページ。

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田中角栄元首相は日中正常化交渉の際に「台湾独立運動を支援せず、 台 湾に対する いかなる野 心も持たな い」と強調 し、中国側 の憂慮 を 消し去る必要があった31 日台間の特 殊な思い入 れは、日本 人特有のも のではなく 、日本 教 育 を受けた台 湾の人々に も普遍的に 共有されて いる記憶で ある。 台 湾 における民 主化の推進 に伴い日本 の台湾統治 の歴史に対 しても 、 好 意的な評価 が許される ようになる プロセスの 中で、李元 総統は 、 日 本の植民地 統治を評価 する論述を 行ったほか 、日本の武 士道精 神 を 賞賛し、難 解とされる 『武士道』 を解説する 著作を発行 し、日 本 世論を感嘆させた32 かかる日台 間に存在す る特殊な思 い入れは、 米台間には 希薄な こ と から、中国 側は「日中 間の台湾問 題は濃厚な 感情の色彩 を持つ 政 治 問題であり 、これらの 感情が日中 関係に与え る影響は深 く、持 続 性のあるものである」とし、「かかる問題を適当に処理しないと、日 中 関係の健全 で安定した 発展を阻害 するだけで なく、両岸 関係に も 予 期できない 影響を与え ることにな る」として 警戒感を隠 さない の である33 したがって 、日台関係 は経済文化 を中心とし た非正式な 関係で あ る が、双方に は特殊な「 思い入れ」 があり、そ の特殊な思 い入れ は 微妙に日台、日中関係に影響することを銘記すべきである。 日台双方が 相手に抱く 良好な感情 は、一部の 年齢層だけ の特権 で は な く 、 幅 広 い 世 代 に 広 が っ て い る こ と が 世 論 調 査 で 示 さ れ て い る。交流協会台北事務所は2008 年 11-12 月、2009 年 12 月-2010 年 1

31 「2 田中角栄首相・周恩来総理会談」石井明・朱建栄・添谷芳秀・林暁光編『記録 と考証―日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』、70 ページ。 32 李登輝『「武士道」の解題―ノーブレス オブリージュとは』(小学館、2003 年)。 33 呉寄南・陳鴻武『中日關係“瓶頸”論』、頁 87。

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月 の二度にわ たり「台湾 における対 日世論調査 」を現地大 手世論 調 査会社であるニールセンに対して委託した34。その調査結果は、良好 な日台関係を裏付けるものとなった。同調査の中から、「好きな国」、 「日 本への親し み」、「現在 の日台関係 の認識」な どにつきま とめ た 結果が表 2 である。「好きな国」に関しては、日本が圧倒的な支持を 得て1 位となった。2008 年度の調査では、自国の台湾という回答も 多 数を占めた が、台湾と いう回答者 を除いた計 算では、一 番好き な 国としての日本は54%となり、二度の調査で日本は圧倒的に「最も 表 2 台湾における対日世論調査の主な結果 質問事項 2008 年調査 2009 年調査 台湾を除き、あなたの 最も好きな国(地域) はどこですか? 日本38 台湾31 米5 日本52 米8 中国5 今後台湾が最も親しく すべき国(地域)はど こですか? 中国34 日本31 米20 中国33 日本31 米16 日本に親しみを感じま すか? 感じる69 感じない12 感じる62 感じない13 現在の日台関係をどう 思いますか? 良い29 どちらとも言えない64 悪い7 良い28 どちらとも言えない63 悪い9 今後の日台関係は、ど のようになって欲しい と思いますか? 経済貿易交流27 文化芸術交流17 より友好的に16 政治外交国防交流11 経済貿易交流20 より友好的に12 文化芸術交流10 全面的に良い方向に発展8 (出典)「台湾における対日世論調査(概要版)」財団法人交流協会、http://www.koryu. or.jp/taipei/ez3_contents.nsf/04/91B9A8152B01A8F3492576EB00322C19?OpenDocu ment。

34「台湾における対日世論調査」財団法人交流協会、2010 年 3 月 23 日、http://www.koryu. or.jp/taipei/ez3_contents.nsf/04/4B83AF9AE8363E8D492576EF002523D4?OpenDocument 。

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好かれている外国」となっている。「親しくすべき国」に関しては、 拡大する経済関係と潜在的な武力衝突の可能性を残す中国に 1 位の 座を譲ったが、日本は僅差で2 位につけている。「親しみ」に関して も、二度の調査とも広義の「親しみを感じるが」6 割以上を占め「親 しみを感じない」の10%代を大きく上回っている。「日台関係の現状」 については、「どちらともいえない」が 6 割を占めるものの、「良い」 の 3 割が「悪い」の 1 割を大幅に上回っている。これらの結果は台 湾社会の対日好感度を明白に示す結果となった。 表 3 台湾に関する意識調査の主な内容 設問内容 2009 年 調査 2011 年 調査 台湾を身近に感じますか、 感じないですか。 感じる 56.1% 感じない 43.2% 感じる 66.9% 感じない 33.1% 現在の台湾と日本の関係は 良いと思いますか、悪いと 思いますか。 良い 76.0% 悪い 11.3% 良い 91.2% 悪い 8.8% 台湾を信頼していますか、 信頼していませんか。 信頼している 64.7% 信頼しない 23.0% 信頼している 84.2% 信頼しない 15.8% (出典)「台湾に関する意識調査」台北駐日経済文化代表処、2011 年 6 月 1 日、 http://www.taiwanembassy.org/JP/ct.asp?xItem=202393&ctNode=3522&mp=202。 一方で台北駐日経済文化代表処も、2009 年 4 月、2011 年 5 月に世 論 調査会社の ギャラップ 社に委託し 「台湾に関 する意識調 査」を 行 なった352 回の調査を比較して目に付くのは、日本人の台湾に対す る 好感度が大 幅に上昇し ている点で ある。この 背景には、 後述す る

35 「 台 湾 に 関 す る 意 識 調 査 」 台 北 駐 日 経 済 文 化 代 表 処 、 2009 年 5 月 1 日 、 http://www.taiwanembassy.org/public/Data/9581946871.pdf;「台湾に関する意識調査」台 北駐日経済文化代表処、2011 年 6 月 1 日、http://www.taiwanembassy.org/JP/ct.asp?xItem =202393&ctNode=3522&mp=202。

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東 日本大震災 に対する台 湾官民の巨 額の義捐金 、援助物資 の支援 と 暖 かい心遣い が好影響を もたらした 。台湾に対 する親近感 の「身 近 に感じる」が56%から 67%に上昇し、日台関係の現状認識について も広義の「良い」が76%から 15 ポイント上昇の 91.2%となったほか、 台湾に対する信頼度の「信頼できる」も65%から 20%近い大幅アッ プ の 84% に 達 す る な ど 、 日 本 社 会 の 台 湾 に 対 す る 好 感 度 が 示 さ れ た 。調査方法 や設問に違 いがあると はいえ、日 中関係にか かる世 論 調 査と比較す ると対照的 な結果とな っている。 内閣府が毎 年実施 し ている「外交に関する世論調査」の最新の2011 年 10 月の調査では36 中国に対して「親しみを感じない」が 71%、日中関係が「良好だと 思わない」が 76%と否定的な回答をしているのと比べると、日本の 対台湾感と日台関係の現状認識の良さが際立っている。 (2) 堅調な実務交流の進展:経済、人文交流 日台経済関 係は、戦後 一貫して緊 密な関係を 築き、冷戦 期の殆 ど の 期間、日中 貿易額を上 回った。近 年の総貿易 額の趨勢と しては 、 2005 年に総貿易額が 600 億ドルの大台を超えたが、2009 年には経済 危機の影響を受け、前年比で 100 億ドル以上も減少した。しかし、 2010 年はその反動もあり、約 190 億ドル増の 699.5 億ドルとなり過 去最高を記録し、翌2011 年には微増ながら初めて 700 億ドルを突破 す ることとな った。日台 貿易は構造 的な問題も あり、日本 の対台 湾 出超が固定化されているが、2011 年の日本の黒字額は約 340 億ドル となっている37。(図 1)

36 「外交に関する世論調査」内閣府、2012 年 1 月 30 日、http://www8.cao.go.jp/survey/ h23/h23-gaiko/index.html。 37 「日台関係と台湾情勢」公益財団法人交流協会台北事務所、2012 年 5 月 28 日、 http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/12/F3CE8A140E14BA4649257737002B2217?Ope

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図 1 日台貿易の趨勢 (出典)台湾財政部統計処、http://www.mof.gov.tw/public/Attachment/1179205364.XLS。 民間交流を支える人の移動は、21 世紀に入り日台双方とも観光業 を 新たな基幹 産業とする べく、観光 誘致、交流 促進のため に様々 な 取り組みがなされている。2005 年に日本政府は台湾住民への査証免 除 措置の恒久 化を決定し たことの影 響もあり、 同年に初め て双方 の 訪問人数が200 万人を突破し、2007 年には 250 万人を超えた。2009 年は経済危機の影響で40 万人以上も激減したが、翌年には日台双方 の景気の回復に伴い、2010 年の往来人数は盛り返した。2011 年は東 日本大震災の影響もあり、台湾人の訪日人数は 100 万人を割り込ん だが、日本人の訪台人数は前年比3 割増の 129.5 万人と過去最高を記 録した。2012 年以降も日台航空路線の増便などに伴い増加すると予

nDocument。

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測されている。(図 2) 図 2 人的交流の推移(日台双方の訪問者数の延べ人数) (出典)「日台関係と台湾情勢」公益財団法人交流協会台北事務所、2012 年 5 月 29 日、 http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/13/F3CE8A140E14BA4649257737002B2217 ?OpenDocument。 実務交流に おいて経済 交流と同様 に重要な比 重を占める のが文 化 交 流である。 戒厳令時代 の「日本」 にかかるも のは、台湾 政府の 意 向 もあり、映 画、書籍等 一定の制限 を受けてき たが、民主 化の過 程 で 随時開放さ れるように なり、ソフ ト面での日 本文化の流 入が起 こ り 、若年層を 中心に「哈 日族」と称 される日本 びいきの人 々が激 増 した。かかる趨勢の中で近年日本語学習熱が高まっている。表 4 は 台 湾における 日本語教育 機関、日本 語教師数、 学習者数の 推移で あ るが、1996 年との比較ではいずれも激増している。また別の日本語 教 育熱の指数 ともなる日 本語能力検 定試験の試 験応募数で みると 、

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1991 年に 1,148 名であったのが、2010 年には約 52 倍の 59,668 名に 激増しており38、台湾における日本語は英語に次ぐ第二外国語の地位 を不動にしている。 表 4 日本語教育機関、教師数、学習者の推移 年度 機関数 教師数 学習者数 1996 342 1,198 161,872 2003 435 2,496 128,641 2009 927(+80.7%) 3,938(+41.1%) 247,641(+29.4%) (出典)財団法人交流協会編「2009 年度台湾における日本語教育事情調査報告書」 (2010 年 8 月)。 交流協会が 支援する日 台文化交流 の新たな試 みとして、 従来の 人 文 分野の日本 研究の支援 に加えて社 会科学分野 の研究支援 がある 。 2009 年 9 月、政治大学に現代日本研究センターが成立したのに続 き、2010 年 6 月には現代日本研究学会が発足、その後中興大学、中 山 大学、台湾 師範大学、 淡江大学、 東海大学に それぞれ日 本研究 セ ンターが成立している。かかる動きは台湾政府が2009 年を「台日特 別 パートナー シップ促進 年」と位置 づけ、経済 、文化、青 少年交 流 な どを促進し たが、同セ ンターの成 立は、台湾 側が促進す る「台 日 特 別パートナ ーシップ促 進年」を具 現化するも のとして交 流協会 、 国 際交流基金 などは肯定 的な評価を している。 現代日本研 究セン タ ー成立の目的には、「日台学術交流の促進」と「日本研究者の育成」 が 挙げられて いるが、前 者に関して は日台間で 多くの学術 シンポ ジ ウ ムなどが開 催され一定 の成果があ がっている 。後者に関 しては 、

38 2011 年の統計では、63,657 人の応募数があった。「過去の試験のデータ」日本語能力 試験、http://www.jlpt.jp/statistics/archive.html。

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政治大学において2011 年 8 月から、現代日本研究修士課程コースが 発足し、後継者の育成にも端緒がついている。 以上、経済 、人、文化 交流の促進 は日台関係 を底支えす るもの と して不可欠の要素なっている。 (3) 元首相の相次ぐ訪台 民進党政権 時代の両岸 関係は緊張 状態にあっ たため、日 台関係 の 進 展、特に日 台要人の相 互往来は大 きな制約を 受けた。し かしな が ら、「外交休戦」が展開する中で、日本の要人が訪台する機会は増え、 2010 年には首相経験者が相次いで 3 名も訪台したことは、日台断交 後初めてのことであり、内外の注目を集めた。 同年にはまず、麻生太郎元首相が4 月に台湾企業家の招きにより、 家 族とともに 訪台した。 私人訪問と いう位置づ けではあっ たが訪 台 中 に馬総統と 会見し、日 台関係、日 米同盟、両 岸関係など につき 意 見交換をした39。次に、安倍晋三元首相が 10 月末の羽田松山航空路 線 の再開に合 わせて訪台 した。安倍 氏は、元首 相の身分で 抗日戦 争 の 戦死者を祀 る忠烈祠に 顕花し、航 空路線就航 関連のイベ ントに 出 席 した。馬総 統との会見 では日台関 係以外にも 、中国問題 、日中 関 係、尖閣問題などに関しても議論したほか40、蔡英文民進党主席、李 元総統とも会見した旨が報じられた41。同年最後の元総理の訪台は森 元 総 理 で あ る 。 森 氏 は 中 国 の 圧 力 が 大 き か っ た 陳 水 扁 政 権 の 2003

39 「馬自誇兩岸政策 要麻生放心」『自由時報』2010 年 4 月 8 日、第 4 版。 40 「馬見安倍 各自表述釣魚台主權」『自由時報』2010 年 11 月 1 日、第 2 版;「總統接 見日本前首相安倍晉三眾議員一行」中華民國総統府、2010 年 10 月 31 日、http://www. president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=22698&rmid=514。 41 「會馬也會李 大啖小籠包」『聯合報』2010 年 11 月 1 日、第 3 版;「綠控外交部 阻擾 安倍見蔡英文」『自由時報』2010 年 11 月 2 日、第 7 版。

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年、2006 年にも私人訪問している。2003 年の訪台では、中国が「独 立派」とみなす李登輝、陳水扁と会談したが、同年12 月の訪台では、 現 地日本企業 に関連した スポーツ活 動に参加し た以外は、 許世楷 前 駐日代表を台中に尋ねただけのローキーな訪台であった42 民進党政権時代であれば、1 年間に 3 名の元首相が訪台したことは 「 日台間の大 きな政治突 破」と宣伝 されること が間違いな い事態 で あ ったが、右 が実現した 背景には、 大きく分け て三つの理 由があ る と 推測できる 。一つ目は 、日本の政 権交代によ り自民党の 元総理 の 訪 台の敷居が 低くなった 。二つ目に 、両岸関係 の改善によ り中国 政 府 が両岸関係 と台湾問題 に対して自 信を得たこ とにより、 中国政 府 は 以前と比べ て日台関係 の動向に気 を遣う必要 が減じられ 、日本 要 人 の訪台に以 前ほど神経 をとがらせ る必要が無 くなった。 最後に 、 台 湾政府が活 路外交、外 交休戦を推 進するにあ たり、日本 をはじ め と した非国交 国との関係 強化は、経 済、文化交 流など実務 的なイ シ ュ ーに焦点が おかれ、民 進党政権時 代のような 政治、軍事 面での 関 係 強化或いは 突破を求め なくなった ことと関連 がある。実 際に、 総 理 経験者の訪 台に関して も台湾政府 は特別扱い せず粛々と 対応し た ことが印象深かった。 いずれにせ よ、両岸関 係の改善と 元総理の訪 台とは一定 の因果 関 係 があり、ま た両岸関係 の改善が日 台関係の進 展に制限つ きとは い え若干の空間を提供しているとみなせるかもしれない。

42 「森喜朗・元首相が訪台、アジアンジャパニーズ・ラグビーカップ開会式に出席」 台北駐日経済文化代表処、2010 年 12 月 6 日、http://www.taiwanembassy.org/JP/ct.asp? xItem=171966&ctNode=3522&mp=202&no。

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(4) 東日本大震災後の要人往来 2011 年 3 月 11 日に発生した東日本大震災は、日台関係の絆の深さ を 再確認し、 更なる発展 を促す契機 となった。 現地では、 地震発 生 直 後から台湾 社会の日本 に対する支 援が報じら れ、地震発 生か ら 1 週 間を機に馬 総統夫妻は 現地のテレ ビチャリテ ィー番組に 出演し 、 自 ら視聴者か らの募金受 付の電話を 受けるなど 、台湾住民 に日本 へ の 支 援 を 訴 え た43。 な お 日 本 に 対 す る 支 援 は 交 流 協 会 の 統 計 で は 、 2011 年 9 月末までに国別トップの約 67 億元、救援物資 560 億元とな っている44 震災後の「慰問外交」も即座に実行された。震災発生から 1 ヶ月 と いう節目に 、日本政府 は交流協会 台北事務所 を通じて菅 直人総 理 の『感謝您的厚重情誼』(Thank you for the Kizuna)とする書信を公 表し、一部台湾紙は菅総理の署名の入り書信を写真入りで報じた45 続いて 4 月 20 日から王金平立法院長を団長とする慰問団が訪日し た 。慰問団は 日本滞在中 、交流協会 東京本部を 訪問し、義 捐金の 目 録 を渡す式典 に出席した ほか、麻生 元首相、鳩 山前首相及 び日華 議 員 懇 談 会 関 係 者 と の 会 見 な ど の 日 程 を こ な し 、 王 院 長 は 帰 国 に 際 し、「今回の震災で台湾と日本の距離は縮まった」と述べるところが あった46。『自由時報』紙の特派員は、今回の震災に対して台湾人が 日 本に対して 示した思い やりは両国 間の距離を 縮めること となり 、

43 石原忠浩「台湾内政、日台関係をめぐる動向(2011 年 3-4 月)総統候補の選出と東 日本大地震をめぐる日台関係」『交流』Vol.842(2011 年 5 月号)、50 ページ。 44 「台湾からの支援(東日本大震災)」財団法人交流協会、2011 年 9 月 20 日、 http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/New/6BE18444C925CE364925785C00299F24?Op enDocument。 45 「菅直人寫信 感謝臺灣厚重情誼」『聯合報』2011 年 4 月 11 日、第 4 版。 46 「王金平:賑災拉近台日關係」『聯合報』2011 年 4 月 23 日、第 11 版。

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日 本政界の台 湾に対する 態度にも微 妙な変化が 見えたとし 、その 例 と して王団長 が率いた「 慰問団」が 空前の歓迎 を受けたと し、台 湾 の「地震外交」はかなり成功したと論評した47。王院長は5 月 12 日 に再び、立法委員14 名、外交部、旅行業界関係者を含む総勢 200 名 以 上の大型観 光団を率い て、震災後 の北海道を 訪問し、高 橋北海 道 知事をはじめとする盛大な歓迎を受けた48。王院長は、視察を終える に あたって「 今訪問を通 じて北海道 の災害復興 を見ること ができ 、 北 海道の海産 物が安全で あることも 確認した」 として、北 海道の 観 光業者を励ました。 2011 年 5 月以降は日本側から要人の訪台が相次いだ。5 月上旬に 衛 藤衆議院副 議長が訪台 し馬総統と 会見し台湾 官民の日本 に対す る 支援の感謝を述べるなどしたほか49、森元総理は八田与一氏の記念公 園の開園式に出席した50。その後9 月には学術シンポジウム参加のた め安倍元総理が訪台し、馬総統と会見した5110 月 10 日の双十節に は 、麻生元総 理、平沼日 華懇会長ら 多数の国会 議員及び関 係者が 再 度訪台した52。一方で、2012 年 1 月の総統選挙を前に、民進党、国 民党両党の関係者は10 月に相次いで訪日した。先に上旬に民進党総

47 「台灣地震外交 漂亮出擊」『自由時報』2011 年 4 月 25 日、第 8 版。 48 「王金平率團訪日 幫北海道拚觀光」『自由時報』2011 年 5 月 13 日、第 4 版。 49 「總統接見日本眾議院副議長衛藤征士郎」中華民國総統府、2011 年 5 月 5 日、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=24168&rmid=514&size=100。 50 「總統參加『八田與一系列活動—烏山頭水庫路跑』活動及『八田與一紀念園區啟用 典禮』」中華民國総統府、2011 年 5 月 8 日、http://www.president.gov.tw/Default.aspx? tabid=131&itemid=24184&rmid=514&size=100。 51 「總統接見日本前首相安倍晉三眾議員」中華民國総統府、2011 年 9 月 6 日、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=25168&rmid=514。 52 石原忠浩「台湾内政、日台関係をめぐる動向(2011 年 9-10 月)馬英九総統の『黄金 十年』構想の公表と『日台民間投資取り決め』の締結」『交流』Vol.848(2011 年 11 月号)、44 ページ。

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統 候補の蔡主 席本人が関 係者を率い て訪日し、 与野党要人 との会 見 の ほか在日台 湾人団体と の懇談、大 学での講演 などの日程 をこな し た53。国民党は、現職の馬総統に代わり曾永權立法院副院長、金溥聰 馬英九選挙対策事務所執行長を代表とする代表団が10 月中旬に訪日 し、要人との会見、大学での講演などを行なった54。 2012 年に入ると、3 月には東日本大震災一周年関連のイベントが 台 湾各地でも 開催され、 主に日本側 から台湾各 界への感謝 の気持 ち が伝えられたほか、4 月に開催された天皇皇后両陛下主催の春季園遊 会 で、日台断 交後台湾の 駐日代表と して馮寄台 駐日代表が 初めて 出 席 し、天皇陛 下は馮代表 に対し台湾 の震災に対 する支援に 関し感 謝 の念を述べられるなどした55。更に、森元総理が 4 月に「日台友好絆 の 桜」植樹活 動に出席す るため八田 与一記念公 園で河津桜 の植樹 活 動に出席した56。森元総理の訪台は 2010 年以降毎年であり既に恒例 化した感がある。 2 日台関係の挑戦 前節では、 堅調な実務 交流の進展 と展開につ いて検討し たが、 本 節 では、新た な日台関係 の動きとし て「挑戦」 となったイ シュー を 取り上げ検討する。

53 「訪日行程滿檔 蔡英文:持續強化與日動能」民主進步黨、2011 年 10 月 3 日、 http://www.dpp.org.tw/news_content.php?sn=5433。 54 「麻生:世界變動大 台日須加強合作」台灣加油讚-馬英九・吳敦義競選辦公室、2011 年10 月 20 日、http://www.taiwanbravo.tw/2011/10/blog-post_20.html;「金溥聰:台日夥 伴共創榮景」馬英九・吳敦義競選辦公室、2011 年 10 月 20 日、http://www.taiwanbravo. tw/2011/10/blog-post_2598.html。 55 「台灣賑災 感恩ㄋㄟ 日皇向我代表致謝」『自由時報』201 年 4 月 20 日、第 8 版。 56 「前日相森喜朗 烏山頭植櫻」『自由時報』4 月 15 日、第 6 版。

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(1) 聯合号事件 馬総統は総統就任前から、陳水扁前総統が、「憲法制定」、「台湾名 義の 国連加盟 」、「住 民投票 」等のイシ ューを政局 や選挙に利 用し 、 両 岸関係の緊 張をもたら した結果、 台湾海峡の 平和に死活 的な利 益 を有する日米両国を当惑或いは激怒させた経験に鑑みて、「自分が総 統 になったら サプライズ は起こさな いし、トラ ブルメーカ ーにも な らない」と言明してきた。しかしながら、2008 年に日台関係を揺る が した「聯合 号」事件と その後の展 開は、日台 関係におい ては「 経 済 文化交流だ けしていれ ばよい」と いった日本 側の甘い幻 想を容 易 に も打ち砕き 、日本にと っては、近 年経験する ことがなか った震 撼 教育の機会となった。 同 事件は 、本 来海難 事故 として 事務 的に処 理す ること もで きたは ず だったが、 日台双方と も対応が後 手に回り、 その間に台 湾の一 部 マ スコミが世 論を煽り、 それに乗じ た一部の立 法委員も馬 総統が 日 本 に対して厳 しい対応を するよう迫 ったため、 馬政府は強 硬な対 日 姿 勢を示さざ るを得なく なった。対 日強硬派と 見なされる 立法委 員 か ら提案され た海軍船籍 による尖閣 諸島海域の 「視察」こ そ、最 終 的 な政治的判 断で回避さ れたが、日 本世論は台 湾政府の一 連の強 硬 姿 勢に対して 驚愕させら れた。具体 的には、馬 総統の日本 に対す る 謝 罪と賠償を 求める強硬 な姿勢、劉 兆玄行政院 長(当時) の「日 本 との開戦も辞さず」発言57のほか、許世楷駐日代表の召還と「辞任」、 台湾政府の巡視船に保護された民間の「保釣船」(尖閣諸島の領有権 を 主張する人 々の乗った 船)の日本 領海内での 示威活動な どの一 連

57 実際は、立法院で立法委員からの「日本との開戦を排除しないか」との詰問に「そ うだ(是)」と返答したのであり、劉院長が自発的に述べたのではない。

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の対日強硬姿勢であった58 中国人学者は日台関係に関し、「民進党政権は日本を台湾独立活動 の 外的保護、 支持者とみ なし、日本 の(台湾独 立への)支 持が必 要 で あったため 、台湾の核 心的利益で あるはずの 尖閣問題を 売り渡 し た」と痛烈に批判するとともに、「馬の対日政策は反日的な立場や政 策 を採ってい るわけでは なく、台湾 の利益を優 先している にすぎ な い が、尖閣諸 島に関する 立場は日本 の日台関係 にかかる既 得権益 に 触れることになった」とその変化を指摘した59。筆者は右観点に必ず しも同意するわけではないが、李登輝、陳水扁政権の20 年間、領土 問 題と漁業問 題を切り離 し、ローキ ーに、事務 的に処理し ていた こ と と比べると 、馬政権が 自国の利益 を強調し日 本に対し強 硬な態 度 を 示し、結果 的に日本を 驚かすこと になったと いう指摘は 的を得 て いる。当時の交流協会台北事務所代表の池田唯は、後に『自由時報』 紙 のインタビ ューで同事 件のプロセ スを振り返 り「雨降っ て地固 ま る」と称する一方で、「日台関係は如何に緊密で良好な関係であって も 、継続して 細心の注意 を払い、注 意深く育ん でいかない と、脆 弱 で不安定な面もある」と指摘したように60、日台関係の脆弱な部分も 垣間見せた。 尖 閣諸島 を中 国固有 の領 土と主 張す る中国 政府 は事件 直後 に、外 交 部の記者会 見で「尖閣 海域は中国 固有の領土 であり、そ の海域 で 日 本の海上保 安庁の活動 により中国 台湾漁船が 沈没したこ とに対 し

58 石原忠浩「馬英九政権の一年の回顧と展望:内政と日台関係を中心に」『東亜』、34 ページ。 59 郭震源「日本在台灣問題上的影響不斷減弱」『中國評論』総第143 期(2009 年 11 月 号)、頁33。 60 『星期專訪』日本駐台代表池田維:馬政權對日關係 還有努力空間」『自由時報』2008 年7 月 7 日、http://www.libertytimes.com.tw/2008/new/jul/7/today-p5.htm。

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強 烈な不満を 抱き、日本 政府に対し 尖閣海域で の違法活動 を停止 す る旨要求した」と従来の立場を表明したが61、日中関係において同事 件が大きく取り上げられることはなかった。また今事件発生後、「保 釣運動」はじめ、日台間では緊張が高まる事態にはなっていない。 (2) 台湾地位未定論発言の波紋と始末 2008 年の「聯合号」事件に続き、2009 年の日台関係を動揺させた のは、「台湾地位未定論」発言が引き起こした軋轢であった。同事件 は、2009 年 5 月1日、斉藤交流協会台北事務所代表が貴賓として出 席 した学術会 議の講演で 台湾の帰属 につき、そ の地位は未 定であ る と する「台湾 地位未定論 」に言及し 、同論点が 「日本政府 の立場 で ある」と表明したことが発端であった62。台湾側は夏立言・外交部政 務 次長が同日 午後に交流 協会側に正 式に抗議し 、斉藤代表 は、同 発 言 は個人的見 解であると 説明し、同 発言自体も 撤回したが 、台湾 側 に は日本側に 特別な意図 があるので はないかと みなされ不 信感が 高 まった。 その背景には「斉藤発言」の数日前、日華平和条約が締結された 4 月 28 日に馬総統が条約締結 57 周年記念のイベントで、同条約につ き 「法理上、 台湾の主権 が中華民国 に返還され た事実を確 認した 」 と説明し63、中華民国の台湾における主権の正当性を強調したが、そ

61 「2008 年 6 月 10 日外交部發言人秦剛舉行例行記者會」中華人民共和國外交部、2008 年6 月 10 日、http://www.fmprc.gov.cn/chn/gxh/tyb/fyrbt/jzhsl/t463819.htm。 62 筆者が同会議に出席した台湾の関係者から仄聞したのは、「台湾地位未定論」は同講 演の主要な内容ではなかたったが、右発言後、会場は急にざわつくようになった。 また、交流協会台北事務所関係者は、事前に講演内容を把握していなかった。 63 「總統出席『百年回眸-臺北賓館的故事』活動揭幕儀式」中華民國總統府、2009 年 4 月 27 日、http://www.president.gov.tw/php-bin/prez/shownews.php4?issueDate=&issueYY =98&issueMM=4&issueDD=28&title=&content=&_section=3&_pieceLen=50&_orderBy=i

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の 場に同席し ていた斉藤 代表が数日 後、馬総統 の同見解を 否定す る 「 台湾地位未 定論」に言 及したこと により、台 湾側が大き な反発 を 引き起こすことになったと指摘された。 斉 藤代表 は同 発言に 対し て陳謝 した が、台 湾の 一部メ ディ アは、 た びたび政府 高官の「斉 藤(代表) が総統をは じめ政府高 官に会 う こ とは困難で ある」等の 言葉を引用 し、台湾政 府の斉藤代 表への 不 満を引き続き表明するなどした64。その後、斉藤代表は2009 年 12 月 に 辞任したが 、同人は任 期途中の辞 任につき「 一身上の都 合」と 説 明したが、同職務の通常の任期が3 年前後であることから、2 年未満 で の辞任は不 正常であり 、日台双方 の新聞各紙 は台湾地位 未定論 発 言との関連性による「辞任」を指摘した65 今事件への対応は、馬政権が、「主権国家としての台湾の尊厳」、 「 対等な日台 関係」を重 視している ことの現わ れではない かと筆 者 は痛 感させられ た。「尊厳 」、「 対等」 は、外交の 場でしばし ば使 用 さ れる文言だ が、中国人 学者が指摘 した「民進 党政権時代 の台湾 は 日本の利益と政策に従属した66」という表現こそ、議論の余地を残す が 、台湾でも 「日台関係 は不平等な 関係」と認 識し、公言 する人 々 が普遍的に存在していることも事実である。「対等な日台関係」とい う言葉が出てくること自体、「今までの日台関係は対等ではなかった と 」いう強い 認識の裏返 しと考えら れる。台湾 側の対日認 識にか か る厳しい見方があることを日本側は冷静に理解する必要がある。 な お中国 の態 度は、 外交 部の報 道官 が定例 記者 会見で 記者 からの

ssueDate%2Crid&_desc=1&_recNo=2。 64 「齋藤失言 我軟抵制」『聯合晚報』2009 年 5 月 29 日、第 7 版。 65 「台湾:日本代表辞任で波紋拡大 馬政権批判も」『毎日新聞』(電子版)2009 年 12 月2 日、http://mainichi.jp/select/world/news/20091203k0000m030039000c.html。 66 郭震源「日本在台灣問題上的影響不斷減弱」『中國評論』頁33。

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質問に答える形で、「斉藤代表の同発言は『日中共同声明』に違反し ており、日本政府に対して申し入れをした」と不満を表明した67。し か しながら、 同問題も表 向きは「聯 合号」事件 同様に日中 政府間 で 問題視されることはなかった。

五 日台実務関係の枠組みの形成と進展

日 台 関 係 の 交 流 原 則 は 、1972 年 に 交 流 協 会 が 成 立 し た 際 の 定 款 に、「民間交流及びその他の諸関係が支障なく維持、遂行されるよう 必 要な調査を 行うととも に適切な措 置を講ずる ことにより 日台間 の 交 流に関する 事業を行い 」との文言 があるが、 総体的に事 後処理 対 応 に終始して きた感があ った。しか しながら、 馬政権後の 日台関 係 においては、日台実務交流のあり方を模索し、紆余曲折を経ながら、 実 務交流の枠 組みが形成 されていっ た。以下、 そのプロセ スにつ き 検討する。 1 台湾政府による台日特別パートナーシップの提出 「聯合号」事件の発生から 3 ヶ月、2008 年 9 月に馬総統は台湾駐 在 の日本メデ ィアとの会 見で日台関 係を「台日 特別パート ナーシ ッ プ 」として位 置付け、台 日間には歴 史・文化・ 経済・安全 保障な ど の 分野で特別 な関係が存 在し、台湾 側は同概念 を中心に据 えて、 対 日関係の強化と交流の拡大を推進する意向を表明した68。台湾側の同 文書の提出は、「聯合号」事件で冷却化した対日関係の改善と重視の 変わらぬ姿勢を示すものと理解された。

67 「 中 方 強 烈 不 滿 日 本 官 員 “ 臺 灣 地 位 未 定 論 ” 」『 新 華 網 』 2009 年 5 月 5 日 、 http://news.xinhuanet.com/world/2009-05/05/content_11316042.htm。 68 同文書の日本語は以下を参照。「台日特別パートナーシップ」『問題と研究』Vol.37 No.4(2008 年 10、11、12 月号)、171~176 ページ。

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同文書によ ると、台湾 側が望む優 先課題とし て、①日本 との全 面 的 な交流の促 進、②日本 各界の憂慮 を排除する ために対中 国関係 を 含 む各政策に ついての説 明、③主権 問題を棚上 げし、漁業 問題の 解 決に取り組むの三項目を挙げた。2009 年初頭には、台湾側は同パー ト ナーシップ を積極的に 推進するた めに同年を 「台日特別 パート ナ ー シップ促進 年」と位置 づけ、①経 済貿易関係 、②文化交 流、③ 青 少年交流、④観光交流、⑤対話の 5 項目の促進を積極的に推進する 意向を示した69。これら台湾側が重視する交流の中身は、民進党時代 に議論された「1972 年体制の打破」を目指すような政治議題は含ま れず、「活路外交」でも強調される実務的な態度で対日関係の強化を はかる姿勢が伺えた。 2008 年 9 月の「台日特別パートナーシップ」、2009 年 1 月発表の 「 台日特別パ ートナーシ ップ促進年 」の文書は 、馬政権に おける 対 日 政策で重要 な役割を果 たした楊永 明・総統府 国家安全会 議諮詢 委 員 を中心とし たグループ が作成した 文書である が、同文書 の公表 、 提 出に対して 事前に交流 協会と協議 、意思疎通 をした形跡 は見当 た らない70。また、筆者の知りうる限りでは、同文書に対して交流協会 が特定の見解を表明したこともない71。しかし、同促進年に掲げられ た ワ ー キ ン グ ホ リ デ ー の 導 入 や 青 少 年 交 流 は 、 着 実 に 実 現 し て お り 、日本側も 実施できる ものは粛々 と実施して いくという 態度が 伺 える。2009 年末には、朝日新聞の台北支局長が「台湾地位未定論」 発言が引き起こした軋轢により、斉藤代表が辞任した問題に関し「冷

69 「我國政府訂 2009 年為『台日特別夥伴關係促進年』」中華民國外交部、2009 年 1 月 20 日、http://www.mofa.gov.tw/webapp/content.asp?cuItem=36735&mp=1。 70 嚴安林、前掲書、頁 18。 71 石原忠浩「馬英九政権の一年の回顧と展望―内政と日台関係を中心に」『東亜』、35 ページ。

數據

図 1  日台貿易の趨勢  (出典)台湾財政部統計処、http://www.mof.gov.tw/public/Attachment/1179205364.XLS。    民間交流を支える人の移動は、 21 世紀に入り日台双方とも観光業 を 新たな基幹 産業とする べく、観光 誘致、交流 促進のため に様々 な 取り組みがなされている。 2005 年に日本政府は台湾住民への査証免 除 措置の恒久 化を決定し たことの影 響もあり、 同年に初め て双方 の 訪問人数が 200 万人を突破し、2007 年には

參考文獻

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頁 337;長尾雅人: 〈空性 に 於ける「余 れるもの 」〉,頁 546。英譯為:when something is absent in a receptacle, this receptacle is (then rightly regarded as) devoid

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