馬英九政権の
「台日特別パートナーシップ」
―中台和解の下での対日関係推進―
福 田 円
(国士舘大学 21 世紀アジア学部 21 世紀アジア学科准教授)【要約】
本 論文は 、馬 英九政 権が 掲げる 「台 日特別 パー トナー シッ プ」の 背 景、内容、 および「特 別パートナ ーシップ」 構築の過程 につい て 論 じることを 通じ、同政 権の第二期 に残された 日台関係の 課題に つ いて考察する。 「 台日特 別パ ートナ ーシ ップ」 は、 馬英九 政権 の対外 政策 の基本 方針である「活路外交」と密接な関係にあり、「一中各表」の立場に 立 ちつつ、日 台関係をさ らに発展さ せるために 提起された 概念で あ る。第一期馬英九政権の前半における「台日特別パートナーシップ」 は 、馬英九総 統や国民党 政権の「反 日」イメー ジを払拭す るため 、 経 済・文化領 域の実質的 関係を積み 上げること を重視する もので あ った。2010 年以降、馬英九政権は「台日特別パートナーシップ」は 既 に相当程度 形成された という認識 から、政治 的な意義も 併せ持 つ 日 台交流を追 求するよう になった。 さらに、日 本における 民主党 へ の 政権交代と も相まって 、馬英九は 日米安保体 制に対する 支持や 日 台FTA について、積極的に発言するようになっている。 キーワード:日本、台湾、一つの中国、活路外交一 はじめに
本論文は、 馬英九政権 が第一期に 掲げた「台 日特別パー トナー シ ッ プ」が提起 された背景 、その内容 、および日 本との「特 別パー ト ナ ーシップ」 構築の過程 について論 じることを 通じ、同政 権第二 期 の 対日政策に おける論点 やそれに対 する日本外 交の課題に ついて 考 察するものである。 2008 年 5 月に発足した馬英九政権の対日政策は、総統選挙期間中 か ら注目を集 めていた。 なぜなら、 馬英九総統 個人の経歴 と同政 権 が 対中和解を 推進しよう としていた ことから、 同政権の方 針は「 反 日 」 的 な も の と な る の で は な い か と い う 疑 念 が 持 た れ た た め で あ る 。そのため 、一般的に は「台日特 別パートナ ーシップ」 は、馬 英 九 がこのよう な「反日」 イメージを 払拭し、日 本との良好 な関係 を 継 続する ため に提起 した 概念で ある と捉え られ ている 。ま た、2009 年は「台日特別パートナーシップ促進年」であったが、果たして「台 日 特別パート ナーシップ 」は構築さ れたのか、 その内容は いかな る も のであった のかという 点に関して 充分に分析 がなされて きたと は 言えない1。 そこで、本 論文では馬 英九政権が 「台日特別 パートナー シップ 」 を どのような 文脈で提起 し、第一期 政権の対外 政策のなか でそれ は1 馬英九政権一期目の対日政策と日台関係に関する研究業績として、石原忠浩「馬英 九政権下の日台関係の進展—継続性、挑戦、実務交流枠組みの形成」『問題と研究』 第41 巻 2 号(2012 年 4.5.6 月号)、49~87 ページ;林正義「台海兩岸和解與台日關係 發展」『亞太研究論壇』第53 巻(2011 年 9 月)、頁 69~99;松田康博「日米中関係に おける台湾」王緝思・ジェラルド=カーティス・国分良成編『日米中トライアング ル』(岩波書店、2010 年)、105~124 ページ;浅野和生「国民党馬英九政権の対日政 策」『問題と研究』第37 巻 4 号(2008 年 10.11.12 月)など。
ど のような位 置付けにあ ったのかを 捉え直す。 そのうえで 、日本 は 「特別パートナーシップ」をどのように受け止めたのか、さらに「特 別 パートナー シップ」と 形容される 日台関係に 対して、中 国はど の よ うな反応を 示していた のかについ ても論じる 。そして、 馬英九 政 権 が第二期を 迎えるに際 し、日台関 係がいかな る状況に置 かれ、 い かなる課題を有しているのかを考察したい。
二 「特別パートナーシップ」提起の過程
1 2008 年総統選挙の争点としての対日政策 馬英九政権の対日「特別パートナーシップ」の起源は、2008 年総 統 選挙の選挙 戦に求める ことが可能 である。同 選挙におけ る最大 の 争 点は、中国 との和解か 、緊張の継 続かであっ た。対中和 解とそ れ に 伴う国際的 な緊張緩和 を掲げる馬 英九陣営は 、選挙戦の 中で「 両 岸 和解・活路 外交」の方 針を次第に 明確化させ た。それに 伴い、 自 身 のバックグ ラウンドや 対立候補の 性格などの 要因も相ま って、 馬 英九候補はその対日姿勢を明確に示すよう迫られた。 馬英九陣営は、「台湾とは中華民国である」という立場を採り、「一 つの中国」に関する中台間の諒解であるとされる「92 年コンセンサ ス 」を「一中 各表(一つ の中国の解 釈を各自表 明する」と いうか た ち で認めてい た。これに 対する謝長 廷陣営は「 台湾は主権 独立国 家 である」という立場を採り、「92 年コンセンサス」の存在を認めてい な かった。中 国政府にと って、後者 の立場は受 け容れられ ないも の であったが、中台和解と交流の利益を呼びかけ、「92 年コンセンサス」 を 認めない相 手とは交渉 できないと の立場を表 明した後は 、台湾 内 部 の「台湾ア イデンティ ティ」を刺 激せぬよう 、選挙を静 観する ことに徹した2。 「92 年コンセンサス」を認める馬英九陣営としては、中国との和 解が台湾の利益となること、「一つの中国」の前提に立っても中華民 国 、すなわち 台湾の主権 を失わない ことを、内 政および外 交に関 す る 公約におい て明確に示 す必要があ った。そう した文脈で 提起さ れ た のが「活路 外交」であ る。馬英九 が総統選挙 戦において 「両岸 和 解・活路外交」の考え方を最初に示したのは、2006 年 3 月に母校ハ ーバード大学で行った講演であった。ここで馬英九は、「台湾が国際 社会に参与するための暫定的な枠組み(modus vivendi)」の下、国際 社 会で中台双 方が「共存 」する方法 、すなわち 「活路モデ ル」を 探 し出せるよう希望すると述べた3。後日、馬英九陣営の主要スタッフ の一人であった蘇起立法委員は、「暫定的な枠組み」とはある種の方 法 や枠組みか ら公式ある いは非公式 の協議まで をも含む多 元的な 意 味 で使用して おり、将来 の中国との 交渉に解釈 の余地を残 し、双 方 が「各自で解釈」することを想定していると補足した4。 2007 年にはいり、馬英九は過去 8 年間の「烽火外交」を終結させ、 「 活 路 外 交 」 を 展 開 す る こ と を 選 挙 公 約 と し て 本 格 的 に 打 ち 出 し た。「活路外交」の原則として、①中華民国としての主権を擁護し、 ② 経済力と経 済活動によ って外交空 間を切り開 き、③国際 組織へ の 参 加について 実質を重視 し、名称に こだわらず 、④いかなる名称で あれ平等互恵の原則の下、台湾の尊厳を守ることの 4 点が掲げられ た 。日本との 関係につい ては、東ア ジアの安定 を維持する メカニ ズ
2 総統選挙における両陣営と中国の立場については、拙稿「『新段階』を迎える中台関 係」『東亜』2008 年 2 月号、30~39 ページを参照のこと。 3 嚴安林「論馬英九『外交』理念與主張、特點及其影響」『台灣研究集刊』(廈門) 2009 年第 2 期、頁 15。 4 「台灣國際參與 馬提暫行架構」『自由時報』2006 年 3 月 23 日。
ム として日米 安全保障条 約を重視し 、日本の企 業と連携し て中国 大 陸の市場へ進出し、日台FTA を締結することが目標として掲げられ た5。 「活路外交 」の枠組み の下、日本 との良好な 関係をいか に切り 開 く のかは、馬 英九陣営に とっての課 題となった 。なぜなら 、日台 関 係 は米台関係 ほど中台関 係の影響を 受けて緊張 していたわ けでは な く 、むしろ、 良好な日台 関係にとっ て馬英九候 補の個人的 経歴が マ イ ナスになる のではない かとの懸念 が存在した からである 。浅野 和 生の研究によれば、2007 年の段階で日台関係は過去最良の状態にあ り、2008 年の選挙で日本への留学経験もある謝長廷政権が誕生すれ ば 、この状況 が継承され ることは確 実であると 見られてい た。そ の 一 方で、外省 人であり、 尖閣諸島の 問題を通じ て日本と関 わって き た 馬英九にと っては、自 らの「反日 」イメージ を払拭する ことが 課 題となった。1996 年、2000 年、2004 年の台湾総統選挙において、対 日 政策は選挙 の争点とな りえず、候 補者の対日 姿勢が注目 を集め た ことは、2008 年総統選挙における特徴の一つであった6。 自らの「反 日」イメー ジを払拭し 、対中和解 を目指す方 針への 理 解を求めるために、馬英九は2006 年 7 月と 2007 年 11 月の二度にわ たり訪日した。2006 年の訪日において、馬英九は自民党の森喜朗元 首 相、武部勤 幹事長、中 田宏横浜市 長らと会談 した。訪日 に際し 、 馬 英九は上記 の目標を明 言し、日本 で関心を呼 んでいた北 朝鮮の ミ サイル問題に言及した上で、東アジアに「2 つの火薬庫」を作っては ならないと説き、中台緊張緩和の重要性を訴えた。2007 年の訪日で
5 「馬英九外交政策」財団法人国家政策基金会、http://www.npf.org.tw/printfriendly/4114。 6 浅野和生『台湾の歴史と日台関係—古代から馬英九政権まで』(早稲田出版、2010 年)、201~203 ページ。
は 、同志社大 学で「東ア ジアの平和 と繁栄への ビジョン」 と題す る 講演を行い、日米安保体制や日台経済文化交流の重要性を説いた7。 さらに、この訪日において、馬英九は以降「92 年コンセンサス」と 並び対中政策の基本方針となる、「統一せず、独立せず、武力行使さ せず(不統、不独、不武)」の「3 つのノー」をはじめて表明し、中 国 との和解が 「統一」へ と直結する わけではな いことを示 したの で あった8。 2 「連合号事件」と日台関係の緊張 対日「特別パートナーシップ」提起の直接的な契機となったのは、 馬 英九総統の 就任直後に 発生した、 いわゆる「 連合号事件 」であ っ た と考えられ る。同事件 は馬英九政 権発足直後 、中台緊張 緩和の 急 速 な進展がク ローズアッ プされるな かで発生し たため、同 政権の 日 本に対する強硬姿勢がより際立ち、多くの日本人を驚かせた。また、 新 政権におけ る対日政策 スタッフの 陣容が固ま っていなか ったこ と も 、日台当局 間でのコミ ュニケーシ ョンが後手 に回る一因 であっ た と考えられる。 2008 年 6 月 10 日、尖閣諸島の南南東約 9 キロの東シナ海におい て 、海上保安 庁の巡視船 「こしき」 と、台湾の 遊漁船「連 合号」 が 衝突し、1 時間後に沈没した。事故直後の海上保安庁の対応は台湾側 のみに責任を帰すものであり、後日、双方の過失を認めた際にも「遺 憾 」の意を示 すに止まっ たことが、 台湾側の反 発を招いた 。交流 協 会 台北事務所 前では民衆 による抗議 デモが起き 、立法院で は「日 本
7 同上、203~205 ページ。 8 竹内孝之「中国との関係改善と台湾の国際社会への参加」小笠原欣幸・佐藤幸人編 『馬英九再選—2012 年台湾総統選挙の結果とその影響』(アジア経済研究所、2012 年)、94 ページ。
とは『不惜一戦(一戦も辞さず)』か」との質問を受けた劉兆玄行政 院長が、「そうだ」と答弁するに至った9。6 月 16 日には、台湾海巡 署の巡視船にエスコートされた台湾の漁船(「全家福 6 号」)が抗議 の ために尖閣 諸島の領海 内に侵入し 、日本の海 上保安庁が これを 威 嚇し、警告するという事態が発生した10。 この事件が起きたのは、馬英九政権の発足後 2 週間ほどの時期で あり、6 月 11 日から 13 日には北京にて中台窓口機関トップ会談(「江 陳会談」)が9 年ぶりに開催され、直行便の開設や中国から台湾への 観 光客受け入 れなどに合 意したタイ ミングでも あった。こ のよう な 対 中関係の急 速な進展に 対し、対日 関係につい ては駐日代 表を筆 頭 と する人事さ え固まって いなかった 。日本側は 、町村信孝 官房長 官 が16 日の記者会見で、「遺憾」の意を示し、「尖閣諸島が我が国固有 の 領土である ことは論を またない」 という日本 政府の従来 からの 立 場を示した11。同日、福田康夫首相は記者団に対し、「日台は本来良 い 関係。関係 を損なうこ とのないよ うにお互い 自制する、 特に台 湾 が 冷静に対処 することが 必要で、わ が国もそれ に応じて冷 静に対 処 することが良いと思う」と述べた12。 馬英九総統 が国家安全 会議を開き 、事態の収 拾を本格的 に検討 し はじめたのは、事件発生から1 週間近く経った 6 月 16 日であったと いわれる13。その翌日、馬英九は福田談話に呼応して「国際紛争は平 和 的なやり方 で解決すべ き」であり 、尖閣問題 が「台湾と 日本の 友
9 「釣魚台爭議 劉揆:開戰是最後手段」『中央通訊社』2008 年 6 月 13 日。 10 「保釣船由海巡強力戒護 續行釣魚台一周」『中央通訊社』2008 年 6 月 16 日。 11 「『誠に遺憾』町村官房長官」『朝日新聞』2008 年 6 月 17 日。 12 「日台双方の自制、福田首相求める」『朝日新聞』2008 年 6 月 17 日。 13 池田維『日本・台湾・中国 築けるか新たな構図』(産経新聞出版、2010 年)、36 ペ ージ。
好 関係の発展 に影響を与 えるべきで はない」と の認識を表 明した 。 ただし、馬英九は同時に、「主権維持の決意に変わりはない」とも述 べ、尖閣諸島の領有権に関する主張を改めて確認したのであった14。 6 月 20 日、海上保安庁第 11 管区本部長が台湾側船長に改めて謝罪を し たことをも って、本件 は決着をみ た。しかし 、馬英九政 権の強 硬 な姿勢と、台湾における抗議の盛り上がりは日本側を驚かせた。 3 「特別パートナーシップ」の提起 「連合号事 件」の経験 は、馬英九 政権がその 後の対日政 策を構 想 す る上で、小 さからぬ影 響を与えた と考えられ る。欧鴻錬 外交部 長 は 7 月初旬、外交部亜太司の下に、対日工作の専門グループを設置 す る旨を発表 した。馬英 九政権は民 進党政権下 で設置され ていた 日 本 事務会を廃 止したが、 これに代わ る機関を外 交部の統括 下に設 置 することがその趣旨であった15。また、同月末には、対日政策を強化 す るために、 総統府にも 部会を跨ぐ 対日工作小 組が設置さ れるこ と と なった。同 組織は蘇起 国家安全会 議秘書長の 主管の下、 外交部 、 農業委員会、経済部、教育部など関係機関の部長レベルで2 か月に 1 度 会議を開き 、対日政策 についての 調整を行っ た上で、馬 総統に 建 議を行うものであり、7 月末に第 1 回会議が開かれた16。 8 月 4 日、馬英九は外交部において「活路外交」に関する演説を行 い 、日本との 「伝統的な 友好」を非 常に重視し ていること に言及 し た。そして、過去 2 年間の日本訪問によって自分は「反日派」では ないことを日本の友人に理解してもらい、「知日派」、「友日派」とな
14 「回應日相 馬總統:兩國相交要用和平手段」『中央通訊社』2008 年 6 月 17 日。 15 「對日工作 將成立專責小組」『聯合報』2008 年 7 月 6 日。 16 「強化台日 府設跨部會小組」『中國時報』2008 年 7 月 24 日。
る ことを希望 していると 述べた。そ の上で、馬 英九は日米 安全保 障 条 約への支持 や日台企業 の連携など 選挙戦から 行ってきた 主張を 繰 り返した後に、「連合号事件」を振り返り、日本政府に謝罪を要求す る 一 方 で 、 平 和 裏 に 事 件 を 処 理 し た 点 を 自 賛 し た17。 日 本 に 対 し て は 、江丙坤国 民党副主席 (財団法人 海峡交流基 金会理事長 を兼任 ) が 李嘉進議員 、李鴻鈞議 員など日本 にゆかりの 深い国民党 議員、 外 交 部の蔡明躍 日本担当執 行長らを率 いて訪日し 、馬英九総 統が「 反 日 」ではなく 、過度な対 中傾斜を目 指している わけでもな いこと を 説明した。議員団の役割は、日台漁業交渉や日台FTA に関する議論 を 深めたいと の馬英九政 権の希望を 日本の議員 に伝えるこ とでも あ ったと考えられる18。 こうした経 緯を経て、 馬英九が「 台日特別パ ートナーシ ップ」 の 考えを表明したのは9 月である。2008 年 9 月 16 日、王金平立法院長 が岡崎研究所主催の日米台安全保障対話「戦略対話・東京ラウンド」 に おいて講演 した際、馬 英九政権の 関係者とし て初めて「 台日特 別 パートナーシップ」に言及した19。これに続く 9 月 19 日、馬英九は 駐台湾日本メディア12 社と会見を行い、日台関係は「特別パートナ ー シップ」と 位置付ける ことができ 、投資保護 協定やワー キング ホ リデーに関する協定を通じ、双方の交流を発展させたいと述べた20。 難航していた駐日新代表をめぐる人事も8 月には固まり、9 月 27 日 に馮寄台新駐日代表が着任した。そして、10 月 10 日の国慶節の講話
17 「總統訪視外交部並闡述『活路外交』的理念與策略(2008 年 8 月 15 日)」總統府、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=14041&rmid=514&sd=2008/0 8/04&ed=2008/08/04。 18 「江丙坤明率團訪日 傳達馬總統無親中反日」『中央通訊社』2008 年 8 月 24 日。 19 「王金平在東京籲建構台日特別夥伴關係」『中央通訊社』2008 年 9 月 16 日。 20 「日媒顯著報導馬總統有意加強台日關係」『中央通訊社』2008 年 9 月 20 日。
に おいて、馬 英九は「釣 魚台(引用 者注:尖閣 諸島を指す )の問 題 は 、台湾人民 の公義と尊 厳のための みならず、 台湾と日本 の『特 別 パ ートナーシ ップ』を打 ち立てるこ とを基礎と して処理す る」と 述 べ 、公の場で はじめて「 台日特別パ ートナーシ ップ」の構 築を推 進 していく方針を示した21。 「台日特別 パートナー シップ」は 楊永明総統 府国家安全 会議諮 詢 委 員を中心と するグルー プが提起し た概念であ ると言われ 、その 内 容 が明確に示 された文書 は同委員の 許可を得て 、政治大学 国際関 係 研究センターが出版する日本語学術誌『問題と研究』に掲載された。 た だし、同概 念の提起や 内容を示し た文書の公 表に関して 、総統 府 や 外交部が日 本側の交流 協会と事前 に協議や意 思疎通を行 った形 跡 は確認されていない22。同文書によれば、「台日特別パートナーシッ プ 」の提起に 際して設定 されていた 具体的な対 日政策上の 目標は 、 以下の 3 点に集約できるであろう。第一は、経済および文化領域の 実 務 関 係 を 主 と し て 、 日 本 と の 関 係 を さ ら に 発 展 さ せ る こ と で あ る 。第二は、 日本に対し て政権の対 中和解路線 について説 明し、 中 台 和解が日台 関係の発展 において障 害とはなら ず、むしろ 有益で あ る との理解を 求めること である。第 三は、尖閣 問題の主権 を主張 し つ つも、主権 問題を棚上 げして漁業 権交渉など の対話を進 めたい と いう点である23。
21 「中華民國 97 年國慶 總統講話(2008 年 10 月 10 日)」總統府、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=84&lctl=view&itemid=6542&ctid=95&q。 22 「台日特別パートナーシップ(2008 年 10 月)」『問題と研究』Vol.37(2008 年 10.11.12 月号)171~176 ページ;石原忠浩「馬英九政権下の日台関係の進展—継続性、挑戦、 実務交流枠組みの形成」『問題と研究』第41 巻 2 号(2012 年 4.5.6 月号)、81 ページ; 嚴安林「馬英九上任以来台灣與日本關系新進展及其走向」、頁18。 23 「台日特別パートナーシップ(2008 年 10 月)」『問題と研究』Vol.37(2008 年 10.11.12 月号)171~176 ページ。
「台日特別 パートナー シップ」と いう新概念 の提起を伴 う対日 政 策 の展開につ いて、台湾 から中国に 対して何ら かの相談や 根回し が なされたのかは、重要な点である。中国政府は、「台湾」ないしは「中 華 民国」によ る「外交」 自体を認め ない立場に 立っている ため、 馬 英 九政権が提 起した「活 路外交」や 「台日特別 パートナー シップ 」 を 認めるよう な立場を公 式に表明し てはいない 。しかし、 当時の 胡 錦 濤政権によ る対台湾政 策からは、 これらを事 実上黙認し て馬英 九 政 権を支援し つつ、実際 の政策面に おいては、 馬英九政権 の外交 政 策 が中国政府 の主張する 「一つの中 国」から逸 脱すること を牽制 し ようとする方針が見て取れた。 この時期の中国政府にとっては、「92 年コンセンサス」を認める立 場 に立ち、中 国との関係 を改善しよ うとする馬 英九政権が 台湾の 民 衆 からの高支 持を維持す ることが、 最重要課題 であったと 考えら れ る。しかし、同年 3 月の総統選挙で 58%強の票を獲得した同政権の 支持率は、馬英九総統就任 1 ヶ月後以降はほぼ 40%以下へと低下し た24。また、11 月初旬に陳雲林海峡両岸関係協会会長が訪台した際 も、これを支持する民意は 5 割に満たなかった上に、訪台前後およ び その期間中 に野党主導 の抗議デモ が断続的に 行われた。 両岸の 和 解 が急速に進 む中、その 成果が台湾 の民意に反 映されない 状況に お い て、中国政 府が馬英九 政権の対外 政策方針に 対して何ら かの譲 歩 を行うことはあっても、抗議をすることは考え難かった。 上記のよう な状況下で 、中国政府 の牽制は以 前よりも外 部には 分 か りにくいか たちで展開 された。例 えば、王毅 前駐日大使 が国務 院 台 湾弁公室の 主任に抜擢 されたこと は、王毅の 能力や外交 手腕が 評
24 「罷免馬英九的民調」TVBS 民調中心、 http://www1.tvbs.com.tw/tvbs2011/pch/tvbs_poll_center.aspx。
価 されたこと に加え、外 交、とりわ け対日外交 に長らく携 わって き た ことも関係 していたと 推測するこ とが可能で あろう。王 毅は国 台 弁 主任に就任 した後も、 しばしば日 本の要人と 会見し、中 国の対 台 湾政策を説明し、協力を求めた。例えば、6 月 3 日に国台弁主任に就 任した王毅は、同月 23 日に日本の国会議員団と会見し、「台湾で鳥 インフルエンザが発生した場合は WHO 以外の国際的なネットワー ク を使って各 国が情報共 有できる枠 組みを検討 したい」と 、台湾 の WHO 参加を拒絶する方針を示した25。
三 「特別パートナーシップ」の推進
1 「特別パートナーシップ」促進年 2009 年 1 月 7 日、馬英九は台湾日本人会および台北市日本商工会 に よる新年パ ーティーに 出席し、同 年を「台日 特別パート ナーシ ッ プ 促進年」と 定め、日本 との交流を 拡大すると 同時に、ハ イレベ ル での相互信頼関係を構築したいと述べた26。1 月 20 日、欧鴻錬外交 部長は記者会見の席で、同年を「台日特別パートナーシップ促進年」 と 定め、青年 のワーキン グホリデー 、松山空港 と羽田空港 を結ぶ 新 航路開設など、経済貿易、文化、青少年、観光、対話の 5 つのテー マ を主軸に交 流強化を推 進する方針 を発表した 。さらに馬 英九政 権 は 、日本の財 界との幅広 い人脈を有 し、李登輝 元総統にも 重用さ れ た彭栄次氏を亜東関係協会会長に任命することを決定した27。 2009 年を「台日特別パートナーシップ促進年」と定めた経緯につ い ても、事前 に日台間で 擦り合わせ がなされた 形跡を今の ところ は25 竹内孝之「中国との関係改善と台湾の国際社会への参加」、98 ページ。 26 「馬總統:今年是台日特別夥伴關係促進年」『中央通訊社』2009 年 1 月 7 日;「『台日 特別パートナー関係促進年』馬英九総統が提言」『台湾週報』2009 年 5 月 20 日号。 27 「彭榮次可望出任亞東關係協會會長」『中央通訊社』2009 年 1 月 14 日。
確認できない。前年12 月に呉伯雄国民党主席が率いる国民党議員団 が 訪日してお り、その主 要な任務は 「台日特別 パートナー シップ 」 に ついて説明 することで あったとさ れていたこ とから、そ の機会 に 2009 年を「促進年」とする旨についても説明がなされていた可能性 はある28。しかし、欧鴻錬外交部長の記者会見をうけて、日本側では 外務省の川村泰久副報道官が、「その具体的内容は知らないが、日本 は 台湾との実 務関係を重 視しており 、双方の関 係機関によ る交渉 を 経 て交流が推 進されるこ とを希望す る」との態 度を表明す るにと ど まった29。 胡錦濤政権は、「台日特別パートナーシップ促進年」に対しても、 公式の態度表明を行わなかった。しかし、2009 年を迎えるに際し、 胡 錦濤政権は 「新たな情 勢の下」で の対台湾政 策の「綱領 」とな る 文 書を発表し 、そのなか で台湾の「 国際活動へ の参与」に 関する 基 本的な方針を示した。2008 年 12 月 31 日、「台湾同胞に告げる書」発 表30 周年の座談会で、胡錦濤は「手を携え両岸の平和発展を押し進 め 、中華民族 の偉大な復 興を実現し よう」と題 する談話を 発表し た 30。同談話の内容は 6 項目から成るので「胡六点」とも呼ばれるが、 その第 5 項目として、胡錦濤は「国家主権を擁護し、対外関係を協 議 する」こと を挙げた。 馬英九政権 が掲げた「 活路外交」 にも「 国 家 主権の擁護 」と「協議 」が含まれ ているが、 中国政府の 「国家 主 権の擁護」とはすなわち、「世界上にはただ一つの中国しかなく」、「大
28 「呉伯雄:加強兩岸關係符合日本和亞洲利益」『中央通訊社』2008 年 12 月 10 日。 29 「馬政府重視台日關係 日本政府高度肯定」『中央通訊社』2008 年 1 月 20 日。 30 「 胡 錦 濤 : 攜 手 推 動 兩 岸 和 平 發 展 同 心 實 現 中 華 民 族 偉 大 復 興 」 新 華 網 、 http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-12/31/content_10586495.htm;岡田充「台湾政 策を『平和発展』に転換 『胡六点』の意味を探る」海峡両岸論、http://www.21ccs.jp/ ryougan_okada/ryougan_01.html。
陸 と台湾は同 じ一つの中 国に属す」 という「一 つの中国」 原則に 抵 触しないことを意味する。この前提の下で、「両岸は渉外問題に対応 する 上で不必要 な消耗を避 け」、「実務 的協議を通 じ情理にあ った 対 応をする」ことが掲げられた。同項目は当時、台湾の WHA へのオ ブ ザーバー参 加への道を 開くものと して注目さ れたが、馬 英九政 権 が 掲げる「活 路外交」へ の公式の回 答として、 より大きな 文脈で 捉 えられるべきであろう31。台湾の対日政策に引きつけて考えれば、「主 権 」の問題に 触れない限 りにおいて 、中国側も 「不必要な 消耗」 は 回避する方針であることが確認されたと言える。 2 経済・文化関係の進展 馬英九政権 が提起した 「台日特別 パートナー シップ」の 構築は 、 まず経済および文化領域における実質的な交流活動(表 1)を軸に推 進された。「促進年」と位置づけられた 2009 年には、日台ワーキン グ ホリデー制 度の導入、 政治大学日 本研究セン ターの設置 、台北 駐 日 経済文化代 表処の札幌 分処開設な ど、双方の 人的交流や 観光活 動 を 促進するよ うな枠組み が作られた 。また、台 北駐日経済 文化代 表 処 は同年 6 月のワーキングホリデー実施から同年末までの、「2009 台 日特別パー トナーシッ プ促進計画 」も発表し た。ここで 発表さ れ た 活動は、貿 易・投資関 係の会議や 説明会、文 化・学術・ スポー ツ 分 野での交流 など、これ までの日台 経済文化交 流の延長線 上に位 置 づけられるものであった32。
31 「台湾の世界保健機関総会(WHA)へのオブザーバー参加容認か」『産経新聞』2009 年1 月 1 日。 32 「二〇〇九台日特別パートナーシップ促進年活動計画」『台湾週報』2009 年 5 月 20 日。
表 1 経済・文化関係の深化 2008.10 日台運転免許の相互承認措置 2009.04 日台ワーキングホリデー制度の導入 2009.09 交流協会の支援をうけ、国立政治大学に現代日本研究セ ンター設立 2009.12 台北駐日経済文化代表処の札幌分処開設 2010.10 羽田(東京)=松山(台北)定期航空便の開通 2011.03 台北での東日本大震災チャリティーイベントに馬英九総 統が出席 2011.04/05 王金平立法院長を団長とする東北地方への慰問団(2 度) 2011.05 八田与一記念公園の設立 2011.07 震災復興支援・観光促進に関する「絆(厚重情誼)」イニ シアティブ 2011.10 NHK「のど自慢 in 台湾」開催 2012.03 台北での東日本大震災一周年追悼レセプションに馬英九 総統が出席 2012.04 平成 24 年春の叙勲受章者に台湾から 4 名(旭日重光賞 2 名は断交後初) 2012.04 皇居での春季園遊会に馮寄台駐日代表が出席(断交後初) (出典)公益財団法人交流協会、http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/12/F3CE8A140E 14BA4649257737002B2217?OpenDocument、各種報道などを参考に筆者作成。 上記のよう な経済・文 化交流の促 進を支えた のが、良好 な日台 の 人 々の相互認 識である。 台湾におけ る日本に関 する世論調 査は交 流 協 会が、日本 における台 湾に関する 世論調査は 台北駐日経 済文化 代 表 処がそれぞ れ外部に委 託して行っ ている。設 問などはす べてが 対 称 というわけ ではないが 、互いの親 近感を問う 設問に関し ては、 親 近感を感じるとの回答が日本では56%(2009 年)から 67%(2011 年) に、台湾では62%(2009 年度)から 74%(2011 年度)に増加した(小 数点以下は四捨五入、詳細は下図を参照)。また、台湾においては「最
も好きな国」は2 位の米国(2009 年度、2011 年度ともに 8%)を大 きく引き離し、日本という回答が41%(2011 年度、2009 年度は 52%) を 占めた 。た だし、「今後 最も親 しく すべき 国」 は中国 (2009 年度 33%、2011 年度 37%)が占め、2 位の日本(2009 年度 31%、2011 年 度29%)を上回った33。 図1-1 日本の対台湾認識 1-2 台湾の対日本認識 (出典)注33 の資料をもとに、筆者作成。 さらに、前 出の表「経 済・文化関 係の深化」 からも見て 取れる よ うに、2011 年 3 月に日本で起きた東日本大震災の被災地への慰問や 復 興支援とそ れに対する 日本側の感 謝を通じて 、日台各レ ベルの 交
33 「台湾に関する意識調査(2009 年 4 月 27 日)」台北駐日経済文化代表処(2012 年 10 月5 日現在アクセス不可);「台湾に関する意識調査(2011 年 6 月 1 日)」台北駐日経 済文化代表処、http://www.taiwanembassy.org/JP/ct.asp?xItem=202393&ctNode=3522&mp =202;「台湾における対日世論調査(2010 年 3 月 23 日)」公益財団法人交流協会、 http://www.koryu.or.jp/taipei/ez3_contents.nsf/04/4B83AF9AE8363E8D492576EF002523D 4?OpenDocument;「台湾における対日世論調査(2012 年 3 月)」公益財団法人交流協 会、http://www.koryu.or.jp/taipei/ez3_contents.nsf/Top/9276FC40703656A749257A220031 A5E1?OpenDocument。
流 はより深ま った。震災 直後から、 台湾では被 災地への人 的、物 的 支援の申し出が後を絶たず、同年 9 月の時点で、台湾の公的機関と 民間機関をあわせ約180 億円の義捐金が送られたという34。これに対 し 、菅直人首 相(当時) は感謝のメ ッセージを 送ったが、 これは 、 馬 英九総統就 任時に続き 、日本の首 相から台湾 へ送られた 公式の メ ッ セージとな った。また 、東日本大 震災を通じ て確認され た日本 と 台 湾の「絆」 を今後の交 流へと結び つけるため 、交流協会 と亜東 関 係協会は日台「絆」イニシアティブを共同発表した35。 3 政治的関係の進展 1972 年の断交後、日本と台湾の主要な政治的チャンネルは日華議 員懇談会を中心とする議員交流であった。1973 年に自民党の議員団 体として発足した日華関係議員懇談会は、1997 年に超党派の日華議 員 懇談会に改 組され、今 に至ってい る。また日 華議員懇談 会の他 に も、 現在は自民 党系の「日 本・台湾友 好議員連盟 」、「 日台経 済文 化 交流を促進する若手議員の会」、民主党系の「日本台湾友好議員懇談 会」、「日本・台湾安保経済研究会」など、複数の議員連盟(ないしは グ ループ)が 併存してい る。馬英九 政権下にお いて、これ ら議員 連 盟 に属する議 員との交流 は王金平立 法院長を中 心として活 発に行 わ れた。1999 年から立法院長を務める王金平は、陳水扁政権期は 2007 年に一度日本を訪問したのみであったが、馬英九政権下では2008 年 8 月(アジア・太平洋国会議員連合総会への出席)、同年 9 月(岡崎
34 「台湾からの支援(東日本大震災)」公益財団法人交流協会、http://www.koryu.or.jp/ez3_ contents.nsf/0/6be18444c925ce364925785c00299f24?OpenDocument。 35 「日台『絆(厚重情誼)』イニシアティブ 日台共同記者会見」公益財団法人交流協 会、http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/15aef977a6d6761f49256de4002084ae/f1252464 ed5760474925787d000a8b87/$FILE/07-01.pdf。
研究所主催の戦略対話に出席)、2011 年 4 月および 5 月(被災地訪問) と、4 度にわたり日本を訪れた。 2009 年 8 月末に日本で衆議院選挙が行われ、自民党から民主党へ の 政権交代が 起きた後も 、日本と台 湾の議員交 流の実態は それほ ど 変化していないようである。むしろ、2010 年以降、日台議員の相互 訪問はさらに活発化した。特に、2010 年には断交後初めて、麻生太 郎 、安倍晋三 、森喜朗と 自民党の首 相経験者が 相次いで訪 台した 。 こ れには「活 路外交」や 「台日パー トナーシッ プ」が掲げ る実務 交 流 が成果を上 げているこ とに加え、 日本の政権 交代に伴い 自民党 が 野 党となった ことにより 、これら首 相経験者に よる訪台の ハード ル が 下がったこ とも関係し ていると思 われる。さ らに、これ ら首相 経 験 者の訪台に ついて、台 湾側は「外 交的突破」 などの大々 的な宣 伝 活 動を行うこ とはなかっ たため、中 国側もとり たてて抗議 を行わ な かった36。 また、馬英九政権は 2010 年以降、日台 FTA や日米同盟に対する 支持など、「活路外交」や「特別パートナーシップ」において言及し て いた政策課 題のなかで も、とりわ け政治・安 全保障問題 として の 性 格が強く、 比較的実現 の難しい課 題に触れる ことが多く なった 。 2009 年末、蘇起国家安全会議秘書長は、馬英九政権の対外政策に関 する新たな目標として、「和中、友日、親米(中国と和解し、日本と 友好関係を深め、親米的であること)」を政策の主軸とすることを発 表した。蘇起は日本との関係について、1990 年代の台湾と現在の台 湾 は異なり、 政権交代が 行われた日 本も以前と は異なるた め、新 た な友好関係を構築しなければならないと述べた37。また、年が明け、
36 石原忠浩「馬英九政権下の日台関係の進展」、71~72 ページ。 37 「蘇起:新台湾要與新日本重新做朋友」『中央通訊社』2009 年 12 月 24 日。
鈴木克昌議員ら衆議院議員訪台団と会見した馬英九は、「特別パート ナ ー シ ッ プ 促 進 年 」 と 位 置 づ け た 前 年 の 日 台 関 係 は 飛 躍 的 に 発 展 し 、今後も「 パートナー シップ関係 」を進展さ せる必要が あると 伝 えた38。さらに、2 月に交流協会の今井正新代表と会見した馬英九は、 日本とのFTA 交渉開始や経済貿易関係強化の要請を行った39。 台湾側から 上記のよう な提案がな されるよう になった背 景とし て は 、複合的な 要因を指摘 することが できよう。 まず、第一 は「台 日 特別パートナーシップ促進年」と位置づけた2009 年の対日政策が成 功 を収めたと いう認識と 評価である 。その一方 で第二に、 馬英九 政 権 は日本の民 主党政権の 外交方針に 一定の不安 を抱いてい たこと も 指 摘できよう 。民主党政 権は、対米 依存からの 脱却とアジ ア諸国 と の 連携強化を 掲げ、米軍 普天間飛行 場移設問題 などで対米 関係を 緊 張 させていた ため、日米 同盟体制の 重視を掲げ る馬英九政 権はこ の 動向を注視していた40。第三に、中国とのECFA 締結交渉に目処が立 ち、ECFA を前提とした周辺諸国との FTA 締結を台湾が視野に入れ はじめていたことも指摘できる。馬英九政権は、主要諸国との FTA 締 結を少しで も前進させ 、東アジア の経済統合 に乗り遅れ たくな い との意志を前面に出すようになった41。 実際に、馬英九政権はシンガポールやニュージーランドとの FTA 交渉を進めていた。中国との ECFA 締結後、シンガポールと台湾の 間でFTA に相当する経済協力協定(ECA)の交渉開始が事実上合意 さ れた旨の声 明が発表さ れた際、中 国の国務院 台湾弁公室 スポー ク スマンは、「同国は『一つの中国』原則を守るはずだ」と述べるにと
38 「總統:台日關係突飛猛進 盼再推夥伴關係」『中央通訊社』2010 年 1 月 12 日。 39 「馬總統對日新希望 洽談自由貿易協定」『中央通訊社』2010 年 2 月 4 日。 40 「陸委會:我應積極輿日新政府溝通」『青年日報』2009 年 10 月 14 日。 41 「外交走出活路 拓展經貿下一歩」『中央通訊社』2010 年 3 月 22 日。
ど まった。そ の後、馬英 九政権はニ ュージーラ ンドとの間 でも、 同 様の共同声明を発表した42。しかし、日本とのFTA 交渉に関しては、 当 初は日本国 内の状況か ら直ちに交 渉に入るこ とは難しく 、交渉 開 始 の見通しは 立たなかっ た。とはい え、交流協 会と亜東関 係協会 の 間では、2010 年以降以下のような協定(「協定」の体裁をとらず、「覚 書 」や「取り 極め」とい う文書にな っている) が立て続け に交わ さ れた。 表2 交流協会と亜東関係事務協会の間における取り極め43 2010.04 2010 年におけ る日台 双方の 交流と 協力の 強化に 関する 覚 書(後に、2011 年以降の継続を双方が確認) 2010.12 地震、台風等に際する土砂災害の防止および砂防に関する 取り極め 2011.09 投資の自由化、促進および保護に関する相互協力のための 取り極め 2011.11 民間航空協定業務の維持に関する交換書簡 2012.04 特許手続き分野における相互協力のための覚書 2012.04 マ ネ ー ロ ン ダ リ ン グ 及 び テ ロ 資 金 供 与 に 関 連 す る 金 融 情 報の交換に関する覚書 (出典)公益財団法人交流協会、http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/12/F3CE8A140 E14BA4649257737002B2217?OpeDocument、各種報道などを参考に筆者作成。 上記の協定 の中で、そ の内容と協 定締結のタ イミングが 最も注 目 を集めたのは、「投資の自由化、促進および保護に関する相互協力の ための取り極め(以下、日台投資協定と略)」である。なぜなら、台 湾側は日台投資協定を将来のFTA 締結を視野に入れた、積み上げ式
42 竹内孝之「中国との関係改善と台湾の国際社会への参加」、99 ページ。 43 公益財団法人交流協会、http://www.koryu.or.jp/ez3_contents.nsf/12/F3CE8A140E14BA 4649257737002B2217?OpeDocument、各種報道などを参考に筆者作成。
交 渉の第一歩 と位置づけ ていたから である。ま た、中台間 で行っ て き た実務会談 (江陳会談 )では、投 資協定の交 渉は妥結に 至らず 、 投資に関する取り極めは「コンセンサス」にとどまっていた(表 3)。 表3 中台交流窓口機関トップ会談(「江陳会談」)の成果 締結された協定 備 考 第1 回 08.06.13 北京 ① 大 陸 居 住 者 の 台 湾 旅 行 に 関する協定 ②チャーター機会談紀要 ※翌月より週末チャーター便 就航 ※中国人団体観光客の受け入 れ規制緩和 ※陳雲林訪台に同意 第2 回 08.11.04 台北 ③空運協定 ④海運協定 ⑤食品安全協定 ⑥郵政協定 ※翌月より平日チャーター便 就航 第3 回 09.04.26 南京 ⑦ 犯 罪 共 同 摘 発 ・ 司 法 相 互 協力協定 ⑧金融協力協定 ⑨空運補充協定 ▲大陸資本の対台湾投資に関 するコンセンサス→中国企 業の対台投資大幅解禁 ※同年8 月より定期航空便就 航 第4 回 09.12.22 台中 ⑩農産品検疫検査協力協定 ○11基準・計量・検査・認証 協力協定 ○12漁船船員労務協力協定 第5 回 10.06.29 重慶 ○13経済協力枠組み協定 (ECFA) ○14知的財産権保護協力協定 ・関税引き下げ先行実施品目 ・農産物、労働力市場の開放 求めず 第6 回 10.12.21 台北 ○15医薬衛生協力協定 ▲投資保護協定に関する段階 的なコンセンサス 第7 回 11.10.21 天津 ○16原子力発電安全協力協定 投資保護協定の「共同意見」 ・産業協力の強化については 交渉が進展したものの、協 定締結には至らず (出典)行政院大陸委員會をもとに、筆者作成。
つ まり、日台 投資協定の 内容が、中 台間で交わ された「コ ンセン サ ス」の内容を超える可能性があると考えられたのである。 また、「民間航空協定業務の維持に関する交換書簡(以下、航空協 定改定)」は、双方の航空会社が航路の開設を自由に決定できるオー プ ンスカイに 関する取り 極めを含ん でおり、日 本が米国に 続い て 2 番目に締結したオープンスカイ協定となった(表 2)。これまで、中 国 政府が日台 航空航路の 問題に関心 を示し続け て来た経緯 に鑑み れ ば 、中国側は 同協定にも 強い関心を 有するであ ろうことが 想定さ れ た 。しかし、 日台投資協 定に関して も、航空協 定改定に関 しても 、 中 国政府が公 式な抗議を 行ったり、 コメントを 発表したり した形 跡 は 見られない 。その要因 として、そ れぞれの協 定内容が中 国政府 の 想 定の範囲内 であったこ とに加え、 投資協定や 航空協定改 定が発 表 された 2011 年秋には、既に 2012 年総統選挙戦がはじまっており、 中 国側にとっ ては馬英九 政権に対す る抗議を行 うことで生 じるリ ス クが高まっていたことを推測できる。 上記のよう な要因を踏 まえ、中国 政府は閣僚 や議員外交 のレベ ル で 、日本に対 して台湾と の関係につ いての説明 と意思表示 を行お う としたと考えられる。最も象徴的なのは、2010 年 3 月と 2011 年 11 月に行われた王毅の訪日である。2010 年 3 月、訪日した王毅は鳩山 由 紀夫首相、 谷垣自民党 総裁、岡田 克也外務大 臣、小沢一 郎自民 党 幹 事長などと 会見した。 その目的は 、両岸関係 の「最近の 進展」 を 説 明すること であり、各 会見におい ては「日本 には引き続 き、日 中 共 同声明の基 本的立場を 堅持しても らいたい」 とのメッセ ージが 伝 えられたという44。2011 年 11 月、王毅は前原誠司政調会長、谷垣自
44 「社評:王毅訪日何以最高規格接待?」中國評論新聞網 http://www.chinareviewnews. com/doc/1012/6/5/0/101265005.html?coluid=93&kindid=2772&docid=101265005&mdate=
民党総裁、玄葉光一郎外務大臣、鳩山由紀夫、安倍晋三、福田康夫、 森喜朗ら 4 名の首相経験者らと会見した。この時は、「現下の両岸 関 係の平和的 発展の趨勢 に対する支 持を得たい 」との意志 を前回 よ り明確に示したようである45。
四 「特別パートナーシップ」構築後の日台関係
1 2012 年総統選挙の争点としての対日政策 2012 年 1 月に行われた台湾総統選挙において、対中関係の緊張緩 和 がもたらし た「活路外 交」の成功 は、馬英九 陣営が再選 を訴え る 際 のアピール ・ポイント となり、と りわけ日台 関係の進展 は重要 な 成果の一つとして強調された46。民進党の蔡英文陣営は、馬英九政権 の 「活路外交 」は台湾の 主権を損な うものであ るとの批判 を展開 し たが、「活路外交」に代わる明確な対外政策を提示することはできな かった。また、対日政策についても、2008 年の謝長廷候補とは異な り 、蔡英文候 補自身の経 歴も馬英九 と同様に日 本と密接な 繋がり を 持たず、「親日・知日」かどうかといった対立軸は設定できなかった47。 こうし た状 況を打 開す べく、 蔡英 文 は 10 月初旬に日本を訪問し0321001023;「岡田大臣と王毅・国務院台湾事務弁公室主任の会談」外務省、 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/3/0317_09.html。 45 「台辦主任王毅例外訪日引發揣測」BBC 中国網、http://www.bbc.co.uk/zhongwen/trad/ indepth/2011/11/111117_analysis_japan_china.shtml;「玄葉大臣と王毅・国務院台湾事務 弁公室主任の会談」外務省、http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/11/1114_03. html。 46 「總統主持『黃金十年』系列第五場記者會」總統府、http://www.president.gov.tw/ Default.aspx?tabid=131&itemid=25592&rmid=514&word1=黃金十年。 47 蔡英文の対外政策や対日政策を示す資料として、「台湾経済の最大の課題は内需拡大 だ―蔡英文・台湾民進党主席」『週刊東洋経済』東洋経済オンライン、http://www. toyokeizai.net/business/international/detail/AC/3650215eedf25a820850b3094bf7b6f9/;「十 年政綱:國家安全戰略」十年政綱、http://10.iing.tw。
た 。早稲田大 学での講演 後、民進党 政権が誕生 した場合に 、対日 政 策 はどのよう に変わるの かとの質問 を受けた蔡 英文は、そ れは「 親 近 感」の問題 であり、歴 史的に「中 国と親しく 日本と疎遠 」な国 民 党政権では「本当に日本と親しい関係」は築けないと答えた48。しか し 、蔡英文が この訪日で 明らかにし た対日政策 の内容は、 日本と の 安全保障対話を継続し、日台FTA の締結を目指すことにとどまり、 馬 英九陣営と の大きな違 いを印象づ けることは できなかっ た。同 月 末 、馬英九陣 営の選挙対 策本部長を 務める金溥 聰氏は、同 じ早稲 田 大 学にて講演 を行った。 金溥聰は馬 英九政権が 「特別なパ ートナ ー シップ」を掲げ、2009 年から本格的に対日関係の強化に努めた成果 を 強調し、こ の間に日台 間で調印し た協定はい ずれも李登 輝政権 期 や 陳水扁政権 期に求めた が実現しな かったもの であり、両 岸関係 が 改善したからこそ実現したのであると主張した49。 2012 年総統選挙の最大の争点は、「一中各表」というかたちで「92 年 コンセンサ ス」を認め 、中国との 和解を果た した馬英九 政権の 方 針を信任するか否かであった。民進党は「92 年コンセンサス」に代 わ る「台湾コ ンセンサス 」を提起し たが、その 内容は政権 奪還後 に 決 定 す る と 述 べ 、 具 体 的 な 内 容 を 明 ら か に し な か っ た 。 ま た 、「92 年 コンセンサ ス」を認め ない限り、 交渉相手と して認める ことは で き ないとする 中国側の姿 勢も変化し なかった。 このような 状況に 置 か れた蔡英文 陣営が、馬 英九政権と も、また「 台湾」の主 権を過 度 に 強調して国 際的な緊張 を招いた陳 水扁政権と も異なる独 自の対 外 政 策方針を打 ち出せなか ったのは、 やむをえな いことであ ったと 言
48 「早稻田大學演說 蔡:民進黨堅持民主自由」『自由時報』2011 年 10 月 6 日。 49 「金早稻田演說 建構台日新思維」『中央通訊社』2011 年 10 月 18 日、「金溥聰:馬 總統是行動的友日派」『中央通訊社』2011 年 10 月 19 日。
えるだろう。 2 第二期馬英九政権の対日政策 蔡英文を破り、総統再選を果たした馬英九は、2012 年 5 月の就任 演説において、台湾の安全を守る「鉄の三角形」の重視を掲げた。「鉄 の三角形」とは、「両岸の和解によって台湾海峡の平和を実現するこ と 」、「活路外交に よって国際 空間を拡大 すること 」、「国防能力 によ って脅威を抑止すること」であった。また「活路外交」については、 4 年前には触れなかった日本や欧州との関係にも言及し、日本とは過 去40 年間で最も友好的な「特別パートナーシップ」を打ち立てたと 述べた50。この就任演説や前後の言動、中国との政治的交渉をめぐる 状 況などを観 察すると、 第二期目の 馬英九政権 は対中和解 と国防 ・ 外 交の間でバ ランスを取 ろうとして おり、時に は後者を優 先する 局 面も出てくるのではないかと推測できる。 第二期を迎 えるにあた り、馬英九 政権は対日 政策上の目 標をど の よ うに設定す るであろう か。国防に 関して、馬 英九政権は 日米同 盟 を 支持すると いう態度を 表明するに 今後もとど まり、日本 との直 接 的 な協力には 多くを期待 していない 。しかし外 交について 、馬英 九 政 権は日本の 役割に一定 の期待をか けているの ではないか と考え ら れる。 第一は、馬英九政権が第一期後半から呼びかけているFTA 交渉で ある。馬英九は選挙時の公約において、10 年以内に環太平洋戦略的 経済連携構想(TPP)に参加するという目標を掲げた。実際に、同政 権 は 周辺 国と の 経済 協力 協 定(ECA)締結を進めており、先述のマ
50 「中華民國第 13 任總統、副總統宣誓就職典禮」總統府、 http://www.president.gov.tw/Default.aspx?tabid=131&itemid=27200&rmid=514。
レ ーシア、ニ ュージーラ ンドのほか 、インドネ シアとも共 同研究 に 入っている51。日本が TPP への参加を表明し、周辺国との交渉を進 める場合、台湾側の日台FTA に対する期待は高まり、実現へ向けた 何らかの要請がなされる可能性もあろう。 第二は、台 湾の国際機 関・会議へ の参加に関 する日本の 態度表 明 である。馬英九政権は、WHA へのオブザーバー参加が達成された後 も 、名称や立 場には拘ら ない国連専 門機関への 参加を求め ている 。 既に国際民間航空組織(ICAO)へのオブザーバー加盟については、 米 国務省およ び上下両院 、ベルギー 代議院、欧 州議会の有 志議員 ら が既に支持を表明している。また、国連気候変動枠組条約(UNFCCC) の 締 約 国 会議 (COP)への参加についても、台湾と外交関係を有す る パラオ、ツ バル、マー シャル諸国 などのほか 、欧州議会 の有志 議 員が支持している52。これら組織・会議への台湾代表の参加およびそ の形態について、日本政府もその立場を問われることになろう。 第三は、上 記のように 日台間で協 議すべき案 件のなかに 政治判 断 を 必要とする ような問題 が含まれて くるのに伴 い、相互に 訪問し 、 協 議できるレ ベルを上げ ることを台 湾側が要請 してくる可 能性が あ る 。この点に ついて、馬 英九政権の 第一期目に は、すでに 米国か ら 国 際開発庁長 官およびエ ネルギー省 副長官が訪 台している ほか、 フ ィリピンやマレーシアからも現役の閣僚級政治家が訪台している53。 日 本も必要に 応じ、現役 の閣僚を含 む必要な人 員が台湾側 と協議 す ることを考えなければならないかもしれない。
51 「楊部長立法院第八届第一會期外交業務報告」外交部、http://www.mofa.gov.tw/official/ Home/Detail/ef99f166-ef01-41d9-8fac-6d86d0690ff8?arfid=640a8ac1-119a-4120-b4d2-a400 e0e052c3&opno=e64993ce-392b-4851-9ad8-28ac7acb1fc4。 52 同上。 53 同上。
上記の課題 について、 馬英九政権 の対日政策 が成果を上 げるこ と が できるのか 否かは、中 国の反応に 大きく影響 されること は否定 で き ない。中国 の基本的な 姿勢はあく までも先述 の「胡六点 」に示 さ れ た枠内、す なわち中国 の主張する 「国家主権 」に抵触し ない範 囲 内 ならば、議 論の余地が あるという ものである 。そして何 が「国 家 主 権」に抵触 しないのか という判断 は、その時 々の中台関 係や日 中 関 係の状況に も左右され るため、い ずれかの状 況が一定以 上悪化 し た 場合には、 それ以前と 同様の日台 関係を継続 できるとは 限らな い のである。
五 おわりに
本論文にお いては、馬 英九政権第 一期におい て「台日特 別パー ト ナ ーシップ」 の提起、形 成、発展へ と進む過程 を軸に、同 政権の 対 日 政策を振り 返り、第二 期の対日政 策について 論じる際の 手がか り とした。 「台日特別 パートナー シップ」は 、馬英九政 権の対外政 策の基 本 方針である「活路外交」と密接な関係にある。すなわち、「一中各表」 の 立場で中国 との衝突を 回避するこ とを前提と しつつ、日 台関係 を さらに発展させるための一種のレトリックであるともいえる。「一中 各表 」の前半(「一つの中国 」)は中国側 との共通認 識であるが 、 後 半(「各自が表述 する」)を中 国側は黙認 しているに すぎず、厳 密 に は共通認識とはいえない。「活路外交」や「台日特別パートナーシッ プ 」はこの「 各表」の部 分に基づい た発想なの で、現在の ところ 中 国は黙認しているが、具体的に「主権」の侵害(「一つの中国」原則 への抵触)とみなされる場合は、抗議や攻撃を行う可能性もある。 馬英九政権第一期のうち前半(2008 年、2009 年)の「台日特別パ ー トナーシッ プ」は、馬 英九総統や 国民党政権 の「反日」 イメー ジを 払拭するた めに、経済 ・文化領域 の実質的関 係を積み上 げるこ と に徹していた。しかし、2010 年以降、馬英九政権は既に「台日特別 パ ートナーシ ップ」は相 当程度形成 されたとい う認識から 、高レ ベ ル の政治家の 相互訪問、 交流協会と 亜東関係協 会の間の正 式な取 り 決 めなど、政 治的な意義 も高い日台 交流を追求 するように なった 。 さ らに、日本 における民 主党への政 権交代とも 相まって、 馬英九 は 日米安保体制に対する支持や日台FTA について、積極的に発言する よ うになった 。馬英九政 権第二期の 対日政策も 、基本的に はこの 傾 向の延長線上を進むと考えるのが妥当であろう。 その場合、 日本外交に 求められる のは、日台 関係が置か れてい る 国 際的な構造 や文脈を正 確に理解し た上で、台 湾の対外政 策にど の よ うに反応、 ないしは対 応をしてい くのかを戦 略的に検討 するこ と で あろう。日 中共同声明 に示された 中華人民共 和国の立場 を「理 解 し尊重し」、台湾海峡の安定に関心を示し続けることは、1972 年以降 の 日本政府が 拠って立つ 基本的立場 である。し かし、その 基本的 立 場 に立つこと と、その枠 組みの可能 性や可変性 について思 考をし な い ということ はイコール ではない。 少なくとも 、馬英九政 権の対 日 政策の前提となっている中台関係においては、「原則」や「コンセン サ ス」の解釈 や可変性を めぐり、め まぐるしい 駆け引きが 続いて い るし、これからも続いていくと考えられるのである。 ( 寄 稿 :2012 年 10 月 8 日、採用:2012 年 11 月 12 日)
馬英九政府下的「台日特別夥伴關係」
―中台和解下的對日關係進展―
福
田 円
(國士館大學21 世紀亞洲學部 21 世紀亞洲學科副教授)【摘要】
本 文透 過探討 馬政 府揭櫫 之「 臺日特 別夥 伴關係 」的 背景、 內容 及建構過程,用以檢視留待馬政府第二任期臺日關係之課題。「臺日特 別 夥伴關係」 與馬英九政 府對外政策 之基本方針 -「活路外 交」有 著 密 切的關係, 是一個植基 於「一中各 表」之立場 ,為發展臺 日關係 所 提 出之概念。 馬英九第一 任政府前半 期間之「臺 日特別夥伴 關係」 乃 為消除馬英九總統或國民黨政府「反日」之形象,因而重視累積經濟、 文化領域之實質性關係。2010 年以降,馬英九政府認知到「臺日特別 夥 伴關係」已 然相當程度 地成型,進 而開始追求 政治性意義 上之臺 日 交 流。再者, 加之以日本 政黨輪替至 民主黨,馬 英九也開始 針對支 持 美日安保體制與臺日FTA 積極地表態。 關鍵字:日本、台灣、一個中國、活路外交Taiwan-Japan Special Partnership of Ma’s
Administration: Development of Japan
Relations after the China-Taiwan
Reconciliation
Madoka Fukuda
Associate Professor, School of Asia 21, Kokushikan University
【
Abstract】
This study examines the existing Taiwan-Japan relation issues yet to be addressed during Ma’s second administration through the discussion of the background, content, and formation process of the Taiwan-Japan special partnership announced by the Ma administration.
The Taiwan-Japan special partnership is closely related to the flexible diplomacy of Ma’s administration. Based on the “One China, different interpretations” standpoint, this special policy provides a concept for the development of Taiwan-Japan relations. In the first half of Ma’s first administration, the Taiwan-Japan special partnership sought to eliminate the “anti-Japanese” image associated with President Ma Ying-jeou and the KMT Party, focusing instead on accumulating substantial economic and cultural relations. From 2010, Ma’s administration had to a certain degree formed this awareness of the Taiwan-Japan special partnership and commenced the pursuit of political exchanges between Taiwan and Japan. Adding to this was the ruling political party change in japan to the Democratic Party led Ma Ying-jeou to openly and proactively support the US-Japan security system and the Taiwan-Japan FTA.
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