• 沒有找到結果。

第三章 子どもの葛藤

第三節 世に対する葛藤

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

83

三.二.四. まとめ

女君の嘆きは、子どもへの純粋な愛情だが、自分のこれまでの身の上に対す る心細さの表現でもある。そして、男君は女君に反して、子どもに対する葛藤 や嘆きは見られない。そして、宰相中将は、嘆きで終えるが、その嘆きは女君 への思慕や役に立つ子どもを失ってしまったという、家の論理にのっとった嘆 きのようにも見える。

第三節 世に対する葛藤

はじめに

「世」という言葉を『古語大辞典』16で調べてみると、以下の意味が含まれ ていることが分かる。

①生涯。

②寿命。

③年代。時代。時世 ④時節。時期。

⑤仏教語。前世。現世。来世の三世の一つ。

⑥統治者が国を治める期間。

⑦(転じて)国政。また、それを行う人、機関。天皇。朝廷。

⑧世間。世の中。

⑨夫婦の仲。男女関係。

16中田祝夫、和田利政、北原保雄ほか編『古語大辞典』小学館、1983.10、p.1700

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

84

⑩時流。

⑪身辺の環境。身の上。

⑫俗世間。浮き世。

⑬世俗的な欲望。

⑭生活。家業。

⑮(「世に」「世の」の形で)比類ないこと、まれなことを強調する。

①~④のように時間に関わるもの、⑤仏教と関わるもの、⑥・⑦のように政 治的な潮流を示し社会を示すもの、⑧・⑨のように小さな空間を示すもの、⑩

~⑭のように俗世間を示すもの、⑮のように程度を示す比喩的表現として使わ れるものなどがあるが、総じて見るに「世」という語には、<内と外>の関わ りが内包された意味があるようである。自分という内に対して、それを取り巻 くものとでも言えようか。

『源氏物語』における「世」という言葉については、既に藤田佳代氏が以下 のように述べている。

摂関政治体制下にある平安朝貴族社会そのものを最大半径に、一夫多妻 制の矛盾を内包した男女の仲を最小半径に、作中人物たちが直接かかわっ て い く も ろ も ろ の 生 活 空 間 を 「 世 」 と 呼 ぶ こ と に す る 」 17

17藤田加代著『「にほふ」と「かをる」-源氏物語における人物造型の手法とその表現-』1980.11、

風間書房、p.235

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

85

また、高木和子氏が「「世」ないしは「世の中」の語は、認識の主体と他者 との関係についての意識を鮮明する語」18と解釈した。さらに乾澄子氏は両氏 の説を踏まえ「「世」という言葉は「「個人」と「社会」の関係性である。」

19と指摘した。三氏の説によると、物語人物の「外部」(社会的・物理的)と

「内部」(個人的・精神的)との関係性を検討する際には、世という言葉は関 係を形成する時の境界線を鮮明に提示する役割を果し、おろそかにできない存 在と言えよう。特に、『今とりかへばや』を見れば、「世」に関する描写が数 多く見られ、乾澄子氏の調査によると、「宿世」という言葉を除き、総体的に は約三四七例見られる。内訳は巻一 一二七例、巻二 四三例、巻三 一一八 例、巻四 五九例20となっている。計 355 ページの中で、15 行に一度の頻度で

「世」という語が多用されている。これは作者が意図的に「世」という言葉を 用い、語ろうとしているように思われる。また、物語創作背景の摂関政治体制 下(平安末期)の「世」を強調するのと同時に、何かの問題を炙り出そうとし ているのではないだろうか。本節はこれらの問題意識を抱きながら、『今とり かへばや』における「世」という言葉を分析して行きたい。

『今とりかへばや』の「世」に関わる言葉を分析するに当ては、まず「世づ く」と「世の常」という両語に注目したい。何故なら、かつて石埜敬子氏が指 摘したように、

『とりかへばや』の女君の苦しみは、身と心の離れではない。身と心は 女でありながら、社会的には男として生きる違和感なのである。社会によ って定められた姿とあるがままの自己の対立の構図と読み替えることも

18高木和子『源氏物語の思考』2002、風間書房

19乾澄子「『とりかへばや』物語における「世」『古代文学第二次』(16)、2007.10、古代文学 研究会

20同前掲注 15、p.78

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

86

できる。それはまた逆に、異装して生きる女君に、世の常の男らしく演ず ることを強いることでもあった。作中に頻繁に現れる「世の常」と「世づ かぬ」の語は、そうした女君の心の反映するものと見ることが

できる。21(下線は筆者による)

両語から葛藤する人物が「個人」と「社会」の対立構図が読み取れるからだ。

更に用例をみると、「世の常」三一例、「世の常めく」「世の常めかしく」各 一例、「世づく」は三十六例あり、そのうち、三十五例は否定形とともに用い られている。以下はまず「世の常」をめぐって、分析していきたい。

三.三.一. 「世の常」に拘る人々

「世の常」という言葉は『古語大辞典』22で①世間並み。普通。②あまりに も普通すぎて表現に事欠くさま。言うもおろか。という二つの意味がある。

『今とりかへばや』の中を見て見ると、物事の美や価値の「程度」を示すも のと、世の中の「規範」にあっているか否かを示すものとして使われているよ うである。たとえば、『今とりかへばや』ではじめて「世の常」という言葉が 出るのは、巻一において、若君が元服する所に、「その日になりて、この殿の 御しつらひ世の常ならずみがきたてて、姫君渡したてまつりたまふ。東の上も 渡りたまへり。大殿ぞ御腰は結ひたまふ。」23という寝室の美しさを描写する 部分である。(「程度」についての描写)。これに対し、「規範」についての 描写は女君が梅壷女御を見て、自分の身を嘆きながら「あはれ、我も世の常に 身をも心をももてなしたらましかば、かならずかくてぞ下り上らまし、あない

21同前掲注 1 解説、p.532

22同前掲注 15、p.1700 23同前掲注 1、p.176

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

87

みじ、ひたおもてにて身をあらぬさまに交じらひ歩くは現のことにはあらずか し」24と自分の身の異常さを意識した。そして「世の常」への意欲も示してい る。また、きょうだいの男君を思い出し、「我こそ契りつたなくてかからめ、

姫君だに世の常にてかやうの交じらひしたまはましを飽かぬことなからまし」

25と考えて男君の人生を祈る。特にここで注目したいのは、男君を「姫君」と 呼ぶことである。つまり、ここでは、弟である異性装の「男君」は、この場面 の女君の頭のなかでは、<女という「規範」>に従った「姫君」である、とい う意識なのではないか。きょうだいである男君に対し、男という意識はないの である。そして、そのような女君の感覚を引き起こすのは、弟の行動なのであ る。つまり、『今とりかへばや』の中においては、行動は「規範」が強く意識 されていることがわかる。

上述したように、『今とりかへばや』における「世の常」は 1.程度の描写、

つまり行いや装飾、支度などの豪華なことを表す場合と 2.官人社会一般の規 範認識という意味がある。このように、その場面、立場、状況似合った行動や 反応をする、二つ方向に分けられる。『今とりかへばや』に見られる「世の常」

については【表一】のようになる。

【表一】を見れば、「世の常」の分布は:巻一 十五例、巻二 七例、巻三 五例、巻四 六例。左大臣家の二人のきょうだいが社会的な性別を交換、つま り元服し宮中に出仕する、女君が中納言として右大臣の娘四の君と結婚し、男 君は尚侍として入内した。その後、四の君と宰相中将の密通を知り、夫婦関係 が疎遠し、厭世になる女君は吉野に訪れ、また京に戻る内容を語る巻一の用例 が一番多いことが分かる。全部の用例三十三例の中で、「規範」に属する用例 は二十一例、これに対し、「程度」の用例は十二例数えられる。『今とりかへ

24同前掲注 1、p.188

25同前掲注 1、p.188

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

88

ばや』の「規範」、つまり社会的規範認識が分かるためには、まず二十一例の 用例を検討しなければならないだろう。

巻一の十五例の中、十二例は「規範」の範囲に属し(例②③④⑤⑥⑦⑧⑩⑪

⑫⑬⑭)、これに対し、「程度」の範囲は僅か三例(例①⑨⑮)しかないので ある。

「世の常」という言葉が男性的なあり方と女性的なあり方の規範として用い られているだけではなく、その70%が女君の言動を決めるものとして使われ ている。つまり、「世の常」というのは、女君の中のジェンダーとセックスの 分離を浮かび上がらせるものとしてあるようだ26。以下、例を見ると分かるだ ろう。

⑦いとつつましうややましけれど、世の常のさまに乱れ入りなどすべうも あらず(p198)

⑩世の常の迷ひなどありと聞かれたてまつらずもがなと(p.224)

⑫世の常の懸想びてはあらねど、ただあはれに心深く、訪ね入るよしをい みじくなつかしげに言ひなしたまふに、すこし面馴れゆくにや(p244)

⑬うち続きたまひぬべき気色なれば、世の常めかしく引きとどめて、(p247)

⑭今の間もおぼつかなきにたちかへり折りてもみばや白菊の花 と、世の 常めきたるを、むげにさやうにとりなし気色ばむを、(p248)

26この部分のジェンダーとセックスという表現は、第一章のなかの研究史⑱の文献で挙げた、

片岡利博「とりかへばや物語考-その趣向と表現-」『文林』(17)、1982.12、神戸松蔭女子 学院大学、p.39-41 の考え方を用いた。

‧ 國

立 政 治 大 學

N a tio na

l C h engchi U ni ve rs it y

89

例⑦は、その年の五節に、中院の行幸があったとき、女君と宰相中将は共に

例⑦は、その年の五節に、中院の行幸があったとき、女君と宰相中将は共に