第一章 序論
第二節 先行研究
14伴資芳『閑田耕筆』享和元年(1801)刊。安藤為章『年山紀聞』文化元年(1804)刊。とも に後『日本随筆全集第六巻』所収、国民図書株会社、1927.07
15例えば、『取替波也物語類標』と小山田(高田)与清の『取替早詞寄』など索引としてのも と浚明本系統に多く付されている序文は有名である。
16岡本保孝著「取替ばや物語考」室松岩雄編『国文註釈全書十五』所収、1910、国学院大学出 版部。後に折口信夫『国文学註釈叢書 12』所収、1929.08、名著刊行会
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所収、大岡山書店、1937.07
18長谷川福平『古代小説史』富山房、1903.09
19同前掲注 11、p.634
20例えば池田亀鑑氏「日本文学書目解説(二)平安時代(上)」『岩波講座 日本文学』所収 1932.
01、五十嵐力『平安朝文学史 下巻』岩波書店、1939.07。宮田和一郎『物語文学攷』、文進堂、
1943.03。ほぼ「怪奇不自然」、「病的」、「文学の末路」、「淫猥露骨」などと評してある。
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であると思ふ。「人情の微を穿てるなく、同情の禁じがたきなし」といふ やうな藤岡博士の批評は、修正されなければならない。21
この後、1942 年⑨塩田良平氏がはじめて『今とりかへばや』における心理 描写の巧みさと親子関係に注目し、特に作品における母性描写を高く評価した。
氏は次のように述べている。
この物語のテエマは勿論男女をとり違へた喜悲劇から生ずる事件の紛争 にあるので、かなり怪奇な非現実的な一面があり、そこに末期の平安朝文 学が当然赴くであらう「筋の変化」に中心をおきすぎる点があり、その故 この小説は末期的頽廃的傾向を有してゐると謂はれるが、部分的には立派 な心理小説になつてゐる。(中略)又、女性心理としては、男装の中納言 及び見破られた後の中納言が浮気な宰相を疑ひながら、次第に女心に変化 して行く過程は実に優れてゐて、男性作家では書けないほど女性心理を追 究してゐる。末章、中宮が宇治に残して来た愛子をかき撫でながら、それ となく母の健在を知らせる邊りは、源氏にすらみることを得ざる当代随一 の母性描写であり、写実に徹して読者をして泣かせずにはおかない。22
続いて、1947 年⑩中村真一郎氏は物語の親子関係のみならず、夫婦関係に も言及した評言を示している。
21田辺つかさ「取りかへばや物語の怪奇性その他」『鹿児島日本文学』(5)所収、1932.05、鹿 児島日本文學研究社
22塩田良平『古典の伝統』育英書院、1942.04、p.140-142
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人はこの不出来な物語の中に、当時没落貴族の親子や夫婦間の素朴で強 烈な恩愛の絆を、芸術の外で知ることができる。歴史学派ならば、そこに 近代人間感情の仄かな夜明を発見するであらうまでに。23
1950 年、⑧田辺⑨塩田⑩中村三氏の説を受け、⑪鈴木弘道氏は「『とりか へばや』に現れた愛情-倫理的な愛情を中心として-」24という題名の論文で、
『今とりかへばや』の中における愛情の問題-倫理的な愛情の問題に研究史上 はじめて言及した。そして『今とりかへばや』において愛情が根本的な要素で あると主張した。氏は⑪の論文で、以下のように述べている。
とりかへばや物語は、左大臣の、子に対する愛情が最も根本的な要素を なし、そこから兄妹愛が生れて物語が発展し、最後には、宇治の若君に対 する大将(女)の愛情を大きく点出して結末を飾るなど、倫理的な愛情が 主流となってゐると言ってもよいであらう。何か事件が起れば悲しんだり する親を登場させるのも、そのやうな一貫した主流から自然に現れた趣向 ではなからうか。しかしながら、退廃的な社会の現実を反映して成ったこ の物語は、他方に於て猥雑な性生活の乱倫を取扱ってゐることを思ふと、
些か奇異の感なしとせず、それだけに、この時代の退廃的な文学精神の中 にも家族的な人間観が存在することを認めねばならぬと共に、その倫理的 な愛情描写はこの物語の特筆すべき性格であると考へねばならないであ
23中村真一郎「とりかへばや物語」小田切秀雄『古典発掘』所収、真善美社、1947.08、p.89
24鈴木弘道「『とりかへばや』に現れた愛情-倫理的な愛情を中心として-」日本文学懇話会
『日本文学教室』(9)所収、1950.09、蒼明社。後に鈴木弘道『平安末期物語についての研 究』所収、赤尾照文堂、1971.08
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らう。25
これに対し、池田亀鑑氏が⑪鈴木の論文の講評として、
この物語の作者は、いかなる人間の真実を、いかにゑがかうとし、かつ いかににゑがいたかといふ主題と構想の根本に遡り、そこからすなほに見 直してゆかねばならない。(中略)この論文の筆者は、倫理性を構成する 要素としての愛情問題をば、さういふ根本的な立場に高めて検討してゐる。
26(下線は筆者による)
と述べ、池田氏をはじめとする諸氏が⑪鈴木説を支持した。⑪鈴木論文によ って、これまで主流だった⑦藤岡作太郎の示した「醜穢読むに堪へざるところ 尐からず」という、『今とりかへばや』観が覆ったといってもよい。このとき から『とりかへばや』研究に対する態度は徐々に変ってきたと言ってもよいだ ろう。最も顕著な変化と言えるのは、『とりかへばや』を題名とした多方面に 亘る作品論的な研究が次々と発表されたことである。
現在、『とりかへばや物語』研究の史的推移、現況、動向、展望課題などに ついて、さらに筆者は研究史の中で扱われた論文と従来全般的に論じられてき た研究テーマは次のようにまとめられるだろう。
一・伝本研究及び本文研究 1.注釈と本文研究
25鈴木弘道著『平安末期物語についての研究』赤尾照文堂、1971.08、p.336-337
26池田亀鑑氏は同雑誌の審査委員で、鈴木氏論文に対し講評を添えた。その内容は鈴木弘道著
『平安末期物語についての研究』、赤尾照文堂、1971.08、p.340 所収
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2.文章・文体 二・作品論的研究
1. 構造、構成、形成論 2. 主題論
3. 表現論 4. 素材論 5. 人物論
5-1 作中の人物像
5-2 家族愛や愛情について 6. 他者論:見る/見られる関係
7. ジェンダー論:変身・異装をめぐって 8. 物語史への定位
9. 享受論・引用論
9-1『源氏物語』の享受をめぐって
9-2『有明の別れ』『夜の寝覚』などとの比較 10.和歌をめぐって
11.「世」という言葉をめぐって 三、作者論
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大概、このような分野において、数多くの論究がなされているが、その中で、
筆者が興味を持つのは「5-2 家族愛や愛情について」に関わる親と子、きょ うだいの間に見られる愛情の諸相と「7ジェンダー論」に関わる性役割、社会 規範、または権力構造の問題である。本論もこの二つの点について考察を行っ た。以下に、この問題意識に深く関わる「親子関係」に関する先行研究、「ジ ェンダー」に関する先行研究、「異装」に関する先行研究を見ておくことにす る。
一.二.一. 親子関係に関する先行研究
『今とりかへばや』の愛情に関する研究は、上述した⑧田辺つかさ氏⑨塩田 良平氏⑩中村真一郎氏のそれぞれが次々と物語の「人情主義」「心理描写」「母 性描写」「親子や夫婦の恩愛の絆」要素を強調しており、親族間で互いに抱い ている愛情という点に早くから注目されている。前述⑪鈴木弘道氏が 1950 に 発表した「『とりかへばや』に現れた愛情-倫理的な愛情を中心として-」27 では、この物語は倫理的な愛情を主流をしたものとなっていると論じた。その 後、⑫大原一輝氏が女君に用いられた「あはれ」という言葉を考察した結果、
「之には(筆者注:あはれ一語を指す)父大臣、若君、男主人公等に対する親 子姉弟間の肉親的愛情や同情を意味するものが多く注目されるほか、四君や大 君に対する異性的愛情を示すものも尐ない(中略)女主人公が之等の人々に対 してそゝぐ愛情と相俟って従来この物語に於ける「愛情」が注目されて来てゐ る所以も明らかに見出し得るのである。従って此の点でも矢張り女主人公が
「あはれ」中心に置かれてゐるといへるのである。」28と述べ、『今とりかへ ばや』の肉親的な愛情は「あはれ」という精神に富み、しかも女君を中心に表
27同前掲注 23
28大原一輝「とりかへばや物語の世界」『語文研究』(13)所収、1961.10、九州大学国語国文学 会 p.18
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他者論が導入されるにつれ、同性愛・異性愛・偽装・視線などの研究が考察の 中心になって、親子間の愛情という問題への関心は薄れて行ってしまった。親 子愛情の問題が再び注目をされるのは 2000 年⑮森本葉子氏の論によってであ る。⑮森本氏は、父左大臣の働きかけ、和歌、「とりかへばや」という用語の 使用という三点に着目し、きょうだいを如何に見つめていたのかを考察した結 果、男君が父の期待としての存在であるのに対し、女君は父の失望を慰めるた めの存在という役割を当てていると主張した。氏は次のように述べている。
左大臣の視線は平等ではなく、その父の期待は男君が一心に受けていた。
それは、誕生時の描写、男君の幼時の「なまめかし」き姿、後継ぎとして
それは、誕生時の描写、男君の幼時の「なまめかし」き姿、後継ぎとして