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第三章 子どもの葛藤

第一節 恋に対する葛藤

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第三章 子どもの葛藤

はじめに

「今とりかへばや」の面白さは、きょうだいの入れ替わりが終わったところ で大団円を迎えたともと思われる「古とりかへばや」を、大団円のあとに、入 れ替わりの大きなきっかけとなった秘密の子供たちとその親の関係を描くと ころである。また、秘密の子供たちの出生や養育には、作品に登場する第一層 の子どもたち(主人公のきょうだい・四の君・女の一宮・吉野の姉妹)の恋が 大きく関わる。

本章においては、作品に登場する第一層の子どもたちが(主人公のきょうだ い・四の君・女の一宮・吉野の姉妹)「外的葛藤」と「個人的・精神的葛藤」

を分析してみる。まずは二人のきょうだいが異装時代ぞれぞれが出会った恋、

または婚姻生活をめぐる場面を抽出し、それぞれ同性・異性の恋の相手と互い にどう見ているのか、また恋によって自分をどう認識していくのかを明らかに したい。そして物語中段からきょうだいが本性に戻ることで、何かの変化があ ったかを考察する。第二節ではまず第一章で考察した親の視線に基づいて、子 どがたちがどう反応していくかを考察することによって、子供たちの葛藤を考 察していきたい。

第一節 恋に対する葛藤

本節では、男君と女君が恋に対して、どんな行動を取り、どんな反応をして いるのかを分析してみたい。二人は異装時代と異装解除後に出会った恋の相手 に対する行動を分析し、その行動の背後に働いている意識はどんのものか、ま た「恋」は二人にどんな影響を与えたかを解明していきたい。

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三.一.一. 女君の恋

「今とりかへばや」において、女君は「恋」めいた場面では、その異性装及び 状況に応じて「男」も「女」も演ずることをする。そして、「恋」めいた行動 によって、自らが典型的な「男」「女」と異なり、いかなる人間ということを 自覚させるもののようである。

まず、宰相との関係をみてみよう。女君は宰相との関係によって、自らが女 性であることを自覚される。例えば、妊娠した女君は宰相中将に宇治に迎えら れる際に、宰相中将は京にいる同じ自分の子を妊娠する四の君が父右大臣に勘 当を与えられたという窮状を知り、二人の間に往還するようになるにつれ、女 君は宰相中将のいない間に物思いに耽り日々を過ごすしかない自分に対し、以 下のようなことを考えた。

かくてのみあるべきなめり、とる方なくもあるべきかなと見るままに、

人は我に务らず深き方に心を分けて、これに五六日、またかれにさばかり と籠り居たまふ絶え間を、さもならはず、待ちわたり思ひ過ぐさんこそあ いなく心尽くしなるべけれ、さりとてもとの有様に返りあらためなどせん ことはあるべきことならず、ともかくもたひらかにもしあらば、吉野に参 りて尼になりてあらん、と思すを慰めにしたまへるを、中納言は知りたま はず、今はおだしくかくて見るべきものとうち解け思しては、限り限りと 見ゆる有様のいみじく心苦しきにあさからず心を分けて、大方の世にはば かりて歩きもしたまはぬままに、なかなか心やすくこの二所に通ひ見たま ふ。1

1石埜敬子校注、訳『新編日本古典文学全集 39 住吉物語 とりかへばや物語』小学館、2002.

04、p.352

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この場面で注意したいのは、女君が、「かくてのみあるべきなめり」と一般 の女ならばどのように行動するか、ということを考えていることである。しか し、女を演じながらも、「待ちわたり思ひ過ぐさんこそあいなく心尽くしなる べけれ」のように、その行動を否定するのである。

宰相との関係は、「恋」をする女のように模倣による行動は出来るが、宰相 の好色な様子を見ると、自分は典型的な「待つ女」になれないという自覚をす る。その自覚は、宇治に子供を残し、異性装を解いて自ら京に戻るという決断 させるものとなる。そして、京に戻って内侍として東宮の傍に仕えることにな るのだが、その後、帝と契るが女君は女を演技していることが明らかに分かる のである。

女君は帝に部屋に侵入されたときに、次のような考えをめぐらす。

男の御様にてびびしくもてすくよけたりしだに、中納言に取り籠められ てはえ逃れやりたまはざりしを、まして世の常の女び、情けなくは見えた てまつらじと思すには、いかでかは貟けじの御心さへ添ひていとど逃るべ うもあらず乱れさせたまふに、せん方なく、恥づかしうわりなくて声も立 てつばかり思いたるさまなれど、人目をあながちに憚るべきにもあらず2

(下線は筆者による)

「まして世の常の女び、情けなくは見えたてまつらじと思す」というのであ るが、これは、自分も家を守るためという意識があるからか、帝との関係を通

2同前掲注1、p.450‐451

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して、自分は「待つ女」として典型的な女になれないとしても、「待つ女」が 持つ弱いイメージを演じ続けている。つまり、女君にとって、「男」も「女」

も他者の模倣であり、自分の本質とは違うものであるということにも気づいて いくということである。このような「典型的な男/女」とは違う自分というこ とへの自覚は、「恋」めいた行動によって、女君にもたらされたものである。

そして、面白いことに、中将も帝もそのような女君の憂鬱に気がついてはい ない。女君の演技について、菊池仁氏が以下のように指摘している。

『とりかへばや物語』における性別は先天的や生得的ならぬ、演技とい う学習過程を経てこそ初めて獲得され実体化されうるものであることを 示している。……『とりかへばや物語』においては回復すべきアイデンテ ィティーそのものの存在すら不確定である。見方によれば、『とりかへば や物語』を主人公が(たとえ他人の視線に応じた演技を通してであっても)

内面というものを形成してゆく一種の教養小説とも解釈できる。3(下線 は筆者による)

生まれてから男を演じてきた女君は、宰相中将と帝という二人の男性との関 係を通して、「女」のあり方を身に付け、学んできたのである。そして、女君 はそういう過程で世間が築き上げた「男」と「女」の規範に葛藤していると言 えよう。

三.一.二. 男君の恋

女君にとっては、「恋」とは、男女それぞれの「恋」の行動を模倣すること によって、自分の本質を考えるものであった。一方、第二章でも触れたが、男

3菊池仁「『とりかへばや物語』試論-異装・視線・演技-」片野達郎編『日本文芸思潮論』、

桜楓社、1991.01、p.173‐179

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君は女東宮との関わりによって、自分の男性性に目覚め、男性ジェンダーを獲 得するにしたがって、父左大臣の家を取りまとめるもの、いわゆる家長として の役割を徐々に担うようになる。また、男君が男性ジェンダーを獲得するにし たがって、多くの女性と関わりを持つ「好色性」を持つようになる。

そのように、男性的な行動を取るのは、生来のものなのか、それとも模倣し ているものなのか、不明瞭である。ただ、男君が社会が求める男らしさに安易 に順応しているようにも見える。安田真一氏は男君は女として生活していたに もかかわらず、男に戻ったときには四の君に男としての理論を振りかざすと指 摘し4、石埜敬子氏は「男君の造型が、たとえそれが女君の苦悩を反措定的に 際立たせる意味を持つにしても、社会の求める男らしさにあまり安易に順応し 類型的に終わっていることと対照的である」5と指摘しているように、男君の 恋は、男君の女としての経験をすべて消しさり、男の理論のなかに男君が飲み 込まれた行くもののようである。

男君が物語のなかで、初めて男性性を示すのは、女東宮とのかかわりにおい てである。

しばしば夜々のぼりて一つ御帳に御殿籠るに、宮の御けはひ手あたりい と若くあてにおほどかにおはしますを、さそこいみじうもの恥ぢしつつま しき御心なれど、何心なくうち解けたる御らうたげさにはいと忍びがたく て、夜々御宿直のほどいかがさし過ぎたまひけん、宮はいとあさましう思 ひの外に思さるれど、見る目けはひはいささか疎ましげもなく、世になく をかしげにたをたをとある人ざまなれば、さるやうこそはと、ひとへによ

4安田真一「<女>の世界あるいは<女>の不幸―『とりかへばや』四の君をめぐって―」『古 代文学研究(第二次)』第 4 号、1995.10、p.51-52

5石埜敬子校注、訳『新編日本古典文学全集 39 住吉物語 とりかへばや物語』解説小学館、

2002.04、p.534

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き御遊びがたきと思しまとはしたる、世になくあはれにおぼえたまひけり。

昼などもやがて上の御局にさぶらひたまひて、手習ひ、絵かき、琴弾きな

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