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第二章 親たちの葛藤

第一節 左大臣家-女君・男君への愛情

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第二章 親たちの葛藤

はじめに

『今とりかへばや』は性格の「男らしい女君」と「女らしい男君」という社 会基準に合わない二人きょうだいが、その性格、そのままに公の場に導かれる ことによって起こした一連のストーリである。そしてそのこどもたちが公の場 に出るかどうか、つまり誰が御裳着、誰が御元服を行うかを決められるのは、

親(主に父左大臣)に他ならないのだが、親が元服/裳着を行った結果、二人 きょうだいを異性装をさせ、同性結婚をさせるという子供を嘆かせる道に導い てしまう。また、その物語において子どものジェンダーと将来を方向付ける重 要な役割を担っている「親の決定」は、親のどのような判断や基準によるもの なのか。また親の愛情は子供の道を「決定」する過程でどんな様相を呈してい るのか、さらに物語に現れた家々の親子関係も共通しているかを、本章で検討 してみたい。

第一節 左大臣家-女君・男君への愛情 二.一.一. 女君への愛情

父左大臣が二人きょうだいを異性装の形で御裳着・御元服したあと、女君は すぐ侍従として殿上した。そして、社会の人々と接触が増えるにつれ「などて めづらかに人に違ひける身にか」1という疑問を持ち始めるようになりながら も、「よからぬ身を思ひ知りながら」2人と距離を保ち、悩みを抱えるまま慎 重に身を処し、宮中で自分の優れた才能を発揮していく。女君の才能は帝に肯

1石埜敬子校注、訳『新編日本古典文学全集 39 住吉物語 とりかへばや物語』2002.04、小 学館、p.178

2同前掲注 1 p.180

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定され、女一宮の将来の婿にと望まれるまでになる。帝の意向を聞いた父は以 下のように反応する。

殿は胸うち騒ぎて、あはれ、かからざらましかばいかに面目ありうれし からまし、と口惜しく心憂きものから、すこしほほ笑まれてぞききたまふ

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「あはれ、かからざらましかばいかに面目ありうれしからまし」と、女君が 本当は息子でない情況を口惜しく考えながらも「ほほ笑まれ」た。この父の矛 盾する動作に注目したい。もし娘が本当の男なら面子がどれほど立つかと残念 な思いを抱いても、わが子に対する帝の評価に対して笑顔を禁じえない。この 笑顔は何を意味しているのか。「口惜しく心憂きものから」とあるので、面前 の帝に対する礼儀として、内憂を露呈しないようにという配慮もあろうし、演 技をさせた自分の子供が帝に肯定される慰みもあったろう。一家将来の栄達を 予想できることもあるだろう。

森本葉子は「男君に託せなかった期待による失望を慰めるための存在として、

父の視線は女君に向けられてゆく。彼の「もの思ひ」は、「うつくし」き様で ある女君を見て「うち笑む」ことで癒されていくのである」4と指摘している が、帝の意向を知ることは、父親の困惑を引き起こすものであると同時に、女 君に対する期待を増長させるものでもあっただろう。また、この出仕早々にお こった出来事は、将来女君を婿として誰かの娘と同性婚させてしまう可能性を 父に受け入れ易くさせるものであり、父左大臣はこの場で女君を演じさせ続け

3同前掲注 1 p.180

4森本葉子「『とりかへばや物語』父左大臣の期待-失望と慰め-」『愛知淑徳大学国語国文』

(23)所収、2000.03、愛知淑徳大学国文学会 p.80

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ることに自信を持ったとも言えよう。後に右大臣家の娘四の君の縁談が来ると きにも「御文書かせたてまつりたまふ」5と女君に命令し、女君と四の君の縁 談を決めた。四の君との同性婚は、女君を一層窮地を追い詰めることとなる。

そして、男として評価されながらも、じわじわと窮地に立たされる女君は、四 の君が宰相中将との間に子供をもうけるに至って、厭世遁世の望みを持ち始め、

吉野へと一時的に失踪してしまうほどの精神状態になる。

だが、このような窮地に陥った女君に対して、父親の反応はやはり女君の素 晴らしさによって慰められる要素はなくならない。女君が吉野から帰ってきた とき、父左大臣は以下のような発言をする。

「(前略)世離れて人に知られて歩きたまふは、なほいと軽々しきこと を」とて、日ごろはものもをさをさまゐらざりけるを、今ぞ御前にものま ゐらせたまふついでに、もろともにきこしめす。世づかぬ御有様を、今は さるべきなりけりと、かかるさまにつけてもめでたくすぐれて世に交じら ひつきたまへば思し慰みはてつるに、うれしくいみじと思したる御気色、

いとあはれなり。見れども見れどもはなやかに飽く世なくめづらしくうつ くしげなるを、うち笑みてつきせずまぼりたまひて、「右の大殿も日ごろ 思ひ嘆きて、心苦しきことの添ひてしも心とまらぬやうになりゆくこそ嘆 かれけれ。などて、さはた見ゆる。人目はめやすくもてなしこそ」など教 へのたまはせて、そそのかしたまふものから、「世にあらんほどは、なほ 朝夕の隔てなく見えたまへ」とて、涙ぐみたまふ6。(下線は筆者による)

5同前掲注 1 p. 184

6同前掲注 1 p.252

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女君が妻四の君の懐妊することを苦に、吉野へ一時的な失踪をしたことに理 解を示しながら、女君に対する対応は「いと軽々しきこと」と批判し、「人目 はめやすくもてなし」と、女君に対して世間一般の婿に見えるように四の君に 対応するように、「男」として演技し続けるようにと諭す。そして目の前に異 装している娘の立派で優れた様子に、いつまでも見てみたいとにこにこと満足 げに微笑むのである。演技への要求と異装する女君への肯定は、先に挙げた森 本葉子氏が指摘するように7、父左大臣の娘としての女君への期待があるだろ うし、ひいては、女君がこの問題を露見させずに秘密裏に処理することによっ て右大臣家との関係を保ち、左大臣家の栄達への欲望があるとも読み取れるだ ろう。

しかしだからといって、父左大臣はわが子である女君の苦悩が理解できない わけでなない。これまで述べたように「人目はめやすくもてなし」という女君 の心情よりも世間体を重視した指示をだしながら、「世にあらんほどは、なほ 朝夕の隔てなく見えたまへ」と、涙ぐみ懇願する。この「世にあらんほどは」

の部分は、通常「左大臣が生きている間は」8と解釈されているが、父親は女 君の失踪に対して「思わぬ山なく」と出家を想像し、また右大臣家の四の君は

「いかに思しなりにけるぞ」と婿である女君の出家を疑っている。四の君の妊 娠を契機にした失踪は、女君の出家を想起させるものであったことを考えると、

この部分の「世にあらんほどは」というのは、「姫君在家の間は」という意味 で理解するほうが適当であろうから、父親の「世にあらんほどは」というのは

「出家する前に、毎日隔てなく顔を見せてください」と女君に言っているので あろう。体面を保とうとしながら、いつか出家してしまうことを肯定するこの 言葉は、女君の苦悩を察した父親の愛情の示し方であるとも言える。このよう

7同前掲注 4 p.80

8同前掲注 1 p.253 頭注十五「自分(左大臣)が生きている間は」新編古典文学大系「とりか へばや」p.169 脚注十八「私が生きている間は」とある

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に父の葛藤は①<家>の栄達を保つために女君を苦しませる要求を次々と出 してしまう一方②女君は演技をすればするほど、「世づかぬ身」が起こした身 と心の衝突が原因で厭世観を持ち始めた女君を見、自分もつらい気持ちを味わ った。このように、異性装している女君を話題にする時、父左大臣の<笑む>

と<嘆き・涙>という行為が交錯する場面が物語中に散見していることには注 意しておきたい。これは前述の①と②の気持ちがいつも父親の中で葛藤してい るためであろう。自らの期待を実現してくれる子供である女君に注ぐ愛情であ る。期待とは無関係に親として子供に注ぐ愛情。その気持ちは前述の①と②が あるからであった。そして、ここに親から女君に対する愛情の葛藤を見ること ができる。

二.一.二. 男君への愛情

二.一.一の考察によると、父左大臣は女君に<笑む>と<嘆き・涙>行為 が交錯する傾向があることから、女君に対し、<家>の栄達という自分の欲望 と親子愛が混雑することによっての葛藤が現れることが確認された。では、男 君の場合はどうだろう。以下分析してみたい。

男君が誕生したとき「いとど世になく玉光る男君」9と描かれており、『源 氏物語』の光源氏の系譜の流れを継承して理想的な主人公として造形されると 言えよう。この点について、既に森本氏が「主人公の理想像として造形される

男君が誕生したとき「いとど世になく玉光る男君」9と描かれており、『源 氏物語』の光源氏の系譜の流れを継承して理想的な主人公として造形されると 言えよう。この点について、既に森本氏が「主人公の理想像として造形される