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第四章 結論および今後の課題

この『今とりかへばや』を検討をすると、さまざまな葛藤が組み合わせられ た物語であることが分かった。特に、左大臣家、右大臣家、吉野の宮の父女な ど、親たちと子どもたちの関係の中にあるさまざまな人間の造型や関係の変化 を検討すると、そこには、親子、愛情、家の繁栄、世の中の規範などさまざま な葛藤の様相が示されていた。またそれらの葛藤によって人間が変化したり自 己を確認していく「葛藤の物語」と言えるだろう。

そして、その葛藤の根源にあるのはすべて「家」の論理であることも分かっ た。ただ、この物語の人物たちはその葛藤の中を生きるために、異性装が解け たあとでも、それぞれのジェンダーを意志によって選び取っていく。日本文学 史を顧みれば、早くも上代において『古事記』の天照大御神、小碓命、『日本 書紀』の神功皇后などの異装の記述があり、また『源氏物語』、『紫式部日記』、

『土佐日記』などの作品において、主人公を異性として幻視することや、異性 に仮託する描写が窺われるが、『今とりかへばや』のように異装を一つの媒介 として、物語世界の親子愛情、恋、権力関係、世間を巧みに絡み合うものとし て語るものはない。何故なら、『今とりかへばや』の異装は親に決められたジ ェンダーによるものであり、取り換えられたきょうだいの優れた外見及び才能 も世間の注目を浴び、父左大臣の政治的な布石に沿って天皇家の権力の中心に 接近することができたが、家の繁栄をもたらすものであると同時に異装も左大 臣一家の親子愛情、それぞれの恋を苦しませる矛盾した決定でもある。更に、

自ら家に存在する親子関係の矛盾も、異装するきょうだいに出会った恋の相手 や、恋の経験によって提起され、重層な葛藤構造の物語世界を編み出したので ある。ジェンダーは意志によって多元的に流通できるものであり、これは正に 主人公きょうだいの取り換えられた「もの」を通して喚起された概念である。

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『今とりかへばや』のジェンダーの交換は、物語の発端で親の意志が決定 するものである。そのため、出仕・入内の経由で、社会を認識しながら形成し た外的葛藤及び恋・結婚によって自ら生物性を越えられないセックス、妊娠で 自分自身が男・女の間において戦っているという精神的葛藤になるのである。

そして、これらの内外的な葛藤で主人公のジェンダーが揺らいてしまう過程が、

物語の後半部において自らのジェンダーが自分の意志で選択できるものへと 移り変わっていくのである。

女君の行為を検討すると、殿上で出会った様々な人や吉野の宮一家との触れ 合いの中で、場合に応じて、男性的なジェンダーでも女性的なジェンダーでも 選んでいく。つまり、自分でどのようなジェンダーで生きるかを決めることが できるのである。一方、男君は強い意志によって異性装を解いたあとは、家の 論理に生きるために、より強固な男性ジェンダーの中に、意志を持って取り込 まれていく。つまり、この『今とりかへばや』という物語は、意志によってジ ェンダーを決める人間の姿と葛藤を描いた物語であるといえる。また、葛藤の 中でジェンダーを選び取るというところに、この異性装物語が切り拓いた面白 さがあると言えるのである。

だが、第三章第二節で検討した二人の子供の嘆きから分かるように、女君は 自分の意志でジェンダーを選択し、大切な皇子を産んで、帝の寵愛を独占する とき、一家の将来の栄えに喜びを見せるはずなのに、宇治の若君を想起するこ とで、嬉しい気持ちは見せなかったこと、及び男君が「家の論理」に生きるた めに、やや不自然な程に内気な個性から強い男性に一転した設定の背後には、

「家の論理」が頸木となって、(第三章第二節で引用した出口氏の言葉を用い れば「社会心理学的エージェントとして機能して」いる家の理論)は『今とり かへばや』の男君、女君、また、この二人と浅からぬ関係をもつ宰相中将の行 動を規制する。だが不自然な程に自発に権威に服従し、一家の繁栄を守って行

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く男君に対して、女君はその「家の論理」という社会権威構造と戦う役割を担 わされていることも分かった。

最後に今後の課題について述べておきたい。本論は『今とりかへばや』の「親」

と「子」それぞれのジェンダーによる葛藤を検討したが、まだ数々の問題が残 っている。

まずは、平安末期から鎌倉時代にかけて現れた異性装物語、特に『堤中納言 物語』に収録された「虫めづる姫君」と『有明の別れ』の検討も行いたい。『今 とりかへばや』と同じく、異性装物語における親子関係、異装、ジェンダーは、

どのような共時的な現象を持っているか、ということも視野に入れて、ぞれぞ れの作品には異なる性質を示しているのかを検討してみたい。そうすることで、

より明確に『今とりかへばや』の親子関係と異性装の特異性を炙り出せると考 える。

また、中間発表の折にご指摘いただいた、意識的にジェンダーを演じるのか、

または、身体的無意識によってジェンダーが決定されるのかという「身体的無 意識とジェンダー」という問題についても、本稿では考察が進められなかった ので、今後の課題としたい。特に異性装の解除の後も、異性装をしていた時代 に習得した交渉方法で物事を運んだり行動をしたりする女君、および異性装の 女君の系譜として考えていくと、より広い視野での考察が行えるのではないか と思う。

更に、王朝物語史の流れで『今とりかへばや』はどう位置づければよいかと いう問題も考えるべき問題としてある。通時的な物語の発展の推移に従って、

このような異性装の物語を検討することは、その発生の時代において、異性装 の物語が何を訴え得たのかということを究明することができるのではないか と思う。

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最後に、「母」の問題も考えたい。『今とりかへばや』に現れた母たちは、

かなり異質に造型されている。たとえば、女君の母親は、不自然な結婚になる と知りながら四の君との結婚を推し進めるし、女君が妊娠出産という苦境に陥 っても、四の君の母親とは異なり娘の出産に関わったり父親との間をとりもっ たりなどはせず、娘の異常さにさへ気が付かず、出産にも関わってこない。こ のような母親の造型は『今とりかへばや』においての親子関係と有機的に繋が るものなのかどうか、また「異質な母」という設定は、物語史においてどのよ うなものがあり、どのような役割をしているのかなどを考えたい。そして、そ の成果をもって、平安末期の物語群を読んでみた場合に、『今とりかへばや』

がどのような容貌を持った作品として立ち現れるのかも考えてみたい。

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れば、(P441)

29 男の御様にてびびしくもてすくよけたりしだに、中納言 に取り籠められてはえ逃れやりたまはざりしを、まして世 の常の女び、情けなくは見えたてまつらじと思すには、い かでかは貟けじの御心さへ添ひていとど逃るべうもあら ず乱れさせたまふに、せん方なく、恥づかしうわりなくて 声も立てつばかり思いたるさまなれど、人目をあながちに 憚るべきにもあらず、(P450)

規範

30 「世の常の懸想文のさまならんことのやうに、こはかや うに艶なるべきことのさまにもあらぬものを」とのたまふ ものから(P457)

程度

31 思ひなく世の常のさまにて参りたまひて、后の位にも居 たまはんに飽かぬことあるまじき御身を、何となきさまに て御覧ぜられぬるぞ、いみじく口惜しき。(P458)

規範

32 昔もかやうなる宵々は目馴れしかば、今とても世の常の 乱りがはしき御もてなしはあるべきならねば、うちたゆみ たるに(P477)

規範

33 やがて四月に后に立たせたまふ。儀式有様世の常ならん や。(p505)

程度

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【表2】

番号 テキスト

1 我はいとうちとけ睦びられず。うち出づるごとには、人 の御身の世づかざりけることのみ知らるるに、胸うちつぶ るれば、いたくもあひしらはず、言尐ななるほど(p182)

2 父大臣にも聞こえやまへば、をかしと思しながら、なに かは、いかに言ひてかあるまじきこととはものせん、と思 して、「いかなるにか、かやうに世づきたる心はゆめにも はべらざめるは。さりともまめやかなる方ばかりは、いと よく人に御覧ぜらるべきものにはべり。」と受けひき申し たまひつ。(P183)

3 「世づかぬ有様をも、異人に言ひあはせたまはんよりは

3 「世づかぬ有様をも、異人に言ひあはせたまはんよりは