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2. 吉川英治『三国志』の創作

2.2. 吉川英治『三国志』の人物像

2.2.1. 主君たち

2.2.1.2. 劉備

2.2.1.2.3. 劉備像に対する加筆

吉川『三国志』における劉備の血統がより強調され、それは王の血統を重視 する日本読者に受け入れやすくするための手段であろう。その表現として、劉 備の母が劉備に以下のように語った。

「……お忘れかえ、阿備。おまえのお父様も、お祖父 様も、おまえのよ うに沓くつを作り 蓆むしろを織り、土民の中に埋もれたままお果てなされてはいる けれど、もっともっと先のご先祖をたずねれば、漢の中 山 靖 王ちゅうざんせいおうりゅうしょう劉 勝の

正しい血すじなのですよ。おまえはまぎれもなく景帝けいていの玄孫げんそんなのです。こ の支那をひとたびは統一した帝王の血がおまえの体にながれているので す。あの剣は、その印綬いんじゅというてもよい物です」(「桑の家」「桃園の巻」)

この血統と国を救う使命は劉備の母の口によって何度も強調された。この血

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統を強調しなければ、蜀の正統性がなくなってしまう。また、劉備から吉川氏 の筆の下で活躍している曹操に読者は傾いてしまう可能性もあるだろう。それ で蒼白なる劉備のイメージを強めなければならない。しかし、多方面にわたっ て曹操を賛美した吉川氏の筆力は、劉備の造形においては弱く感じられる。氏 の劉備造形は、やはり『三国志演義』と同じく、「仁徳」・「人材を求める」60

「微温的な性格」という三点にとどまっている。

仁徳に関して、吉川氏は、

「玄徳にはなんの野心もありません。ひたすら朝廷をうやまい、丞相にも 服しております。のみならず土地の民望は篤く、よく将士を用い、敵のわ れわれに対してすら徳を垂れることを忘れません。まことに人傑というべ きで、ああいう 器うつわを好んで敵へ追いやるというのも甚だ策を得たもので はあるまいと存じまして」(「奇舌学人」「臣道の巻」)

「自分を慕うこと、あたかも子が親を慕うようなあの領民を、なんで捨 てて行かれようぞ。国は人をもって本もととすという。いま玄徳は国を 亡うしなっ たが、その本はなお我にありといえる。――民と共に死ぬなら死ぬばかり である」と云ってきかなかった。

このことばを孔明から伝え聞いて、将士も涙を流し、領民もみな哭いた。

(「亡流」「赤壁の巻」)

60 例として以下の章段が挙げられる。

求めてやまなかったものは「物」でなく、「人物」であった。司馬徽に会ってからは、なおさ ら、その念を強うし、明けても暮れても、人材を求めていたことは、その日の彼の歓び方をも っても察することができる。

そうした玄徳であるから、

(この人物こそ)と見込むと、実に思いきった登用をした。(「吟嘯浪士」「孔明の巻」)

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というもとより『三国志演義』にある描写に従い、劉備の仁徳を描いてきた。

さらに、

拝されても、嘲弄されても、玄徳はいずれにせよ、気にかけなかった。

自分が畑に働いていた頃の気持をもって、土民の気持を理解しているから だった。(「檻車」「桃園の巻」)

というように、民の気持ちを分かるのを、彼の生涯から原因を求めた。庶民の 中から出てきた貴族ともいえよう。

性格については、情熱的な曹操とは異なり、劉備は以下のように微温的に描 かれた。

玄徳はもとより、そう腹も立っていない。こらえるとか、堪忍とか、二 人はいっているが、彼自身は、生来の性質が微温的にできているのか、実 際、朱雋の命令にしてもそう無礼とも無理とも思えないし、怒るほどに、

気色を害されてもいなかったのである。(「檻車」「桃園の巻」)

元来、玄徳は、よほどなことがあっても、そう欣舞雀躍きんぶじゃくやくはしない性であ る。時によると、うれしいのかうれしくないのか、侍側の者でも、張合い を失うほどすこぶるぼうとしていることなどある。(「殺地の客」「赤壁の 巻」)

しかし、こういう微温的な性格は、読者に強力な印象を与えた行動や事件を起 こせなかったので、劉備の人物像はやはり薄く感じる。

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2.2.1.2.4. 劉備像が持つ意義

もとより、『三国志演義』では「愛劉憎曹」の傾向が鮮明になっている。そ れは、「統治階級の封建的正統思想の体現ではなく、封建時代民衆の審美観念 の体現」61と言われている。

このような審美観が人物の造形を制約し、『三国志演義』では劉備の歴史に おける「梟雄」の一面が消せられ、仁義の主・賢君のイメージだけが残された。

その代わりに封建統治者が持っている悪徳を「非常之人、超世之杰」と歴史家 に評された曹操に強要した。しかし、この一つも欠点がない仁君のイメージは 却って魯迅に「似偽」と評された。吉川氏も、魯迅と同様、この「似偽」の性 格を感じ取って、劉備の微温的な性格を用心深い性格として解釈した。例えば、

有名な「青梅の宴」の場面では、曹操と劉備の性格がぶつかり合う場面が描か れた。劉備が曹操に「当今の英雄は誰か」という質問を投げかけられた時、容 易に答えやしない劉備に対して、吉川氏は以下のように解釈した。

よく取れば、それは玄徳が人間の本性をふかく観つめ、自己の短所によ く慎み、あくまで他人との融和ゆ う わに気をつけている温容おんようとも心がけともいえ るが、悪く解すれば、容易に他人に肚をのぞかせない二重底、三重底の要 心ぶかい性格の人ともいえる。(「雷怯子」「臣道の巻」)

すなわち、微温の性格を持っている劉備を吉川氏は完全に肯定的に取らなか った。吉川氏は劉備の行動を底本と異なる観点から見ることにより、劉備の性

61 傅隆基「從『三國演義』看歷史小說實與虛的藝術辯證法」『三國演義學刊』(一) 、成都: 四 川省社會科學院出版、1985 年、183-184