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2. 吉川英治『三国志』の創作

2.2. 吉川英治『三国志』の人物像

2.2.1. 主君たち

2.2.1.1. 曹操

2.2.1.1.1. 曹操の初登場と容貌描写

曹操の登場に関して、「李卓吾本」第一回「劉玄德斬寇立功」では、

是夜二更。內外一齊縱火。嵩雋各引兵操鼓。出奔賊寨。火焰張天。賊眾驚 慌。馬不及鞍。人不及甲。四散奔走。殺到天明。張梁張寶引敗殘軍士。奪

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路而走。見一彪人馬。盡打紅旗。當頭來到。截住去路。為首閃出一個好英 雄。身長七尺。細眼長髯。膽量過人。計謀出眾。笑齊桓。晉文無匡扶之才。

論趙高。王莽少縱橫之策。用兵彷彿孫吳。胸內熟諳韜略。官拜騎都尉。沛 國譙郡人也。姓曹。名操。字孟德。乃漢相曹參二十四代孫。

というように書かれ、勇と才のある「英雄」として登場した。そして三ページ をわたって曹操の出身を紹介した。この紹介文の中にも「年幼時好飛鷹走犬,

喜歌舞吹彈,少機警,有權術,遊蕩無度」というマイナス的な描写があった。

『通俗三国志』(初編巻の二『劉玄徳破黄巾賊』)になると、三ページにわた る紹介文が消されて、最初の登場文だけがそのまま残った。

そして吉川『三国志』になると、この登場文がいきいきと描かれるようにな った。

草は燃え、兵舎は焼け、逃げくずれる賊兵の軍衣にも、火がついていな いのはなかった。

すると彼方から、一 彪ぴょうの軍馬が、燃えさかる草の火を蹴って進んでき た。見れば、全軍みな 紅くれないの旗をさし、真っ先に立った一名の英雄も、兜かぶと

よろい

、剣装、馬鞍、すべて火よりも赤い姿をしていた。(「転戦」「桃園の巻」)

それに続き、

いうと、紅の旗、紅の鎧、紅の鞍にまたがっている人物は、玄徳の会釈 を、馬上でうけながら微笑をたたえ、「ごていねいな挨拶。それへ参って 申さん」と、赤夜叉あ か や し ゃの如く、すべて赤く鎧よろった旗本七騎につつまれて、

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玄徳の間近まで馬をすすめて来た。

近々と、その人物を見れば。

年はまだ若い。肉薄く色白く、細 眼 長 髯さいがんちょうぜん、胆 量たんりょう人にこえ、その眸には、

智謀は か り知れないものが見えた。

声静かに、名乗っていう。

「われは沛 国 譙 郡はいこくしょうぐん(安徽省・毫県)の生れで、曹操そうそうあざな字は孟徳もうとく、小字こあざなは阿瞞あ ま ん、 また吉利き つ りともいう者です。すなわち漢の 相 国しょうこく曹参そうさんより二十四代の後胤こういん

して、大鴻臚た い こ う ろ曹崇そうすうが嫡男なり。洛陽にあっては、官騎かんき都尉といに封 ぜられ、今、朝命によって、五千余騎にて馳せ来り、幸いにも、貴軍の火 攻めの計に乗じて、逃ぐる賊を討ち、賊徒の首を討つことその数を知らな いほどです。――ひとつお互いに両軍声をあわせて、天下の泰平を一日も はやく地上へ呼ぶため、凱歌をあげましょう」(「転戦」「桃園の巻」)

というように書き換えられた。危険な戦場を描写することにより、それを制覇 する英雄としての曹操が描かれた。また、馬に跨ることにより、戦場を駆け回 る英雄さを表現し、読者の視線も劉備の視線の高度から、曹操を仰ぐ視線にな る。なお、「草の火を蹴って」「紅の旗、紅の鎧、紅の鞍にまたがっている」に よって、曹操は鮮明な色彩感覚を帯びている。

このような曹操をみて、吉川『三国志』では

玄徳は正直に、彼の人物に尊敬を払った。晋文匡扶しんぶんきょうふの才なきを笑い、

趙 高 王 莽

ちょうこうおうもう

の計策は か りなきを 嘲あざけって時々、自らの才を誇る風はあるが、兵法は 呉子孫子をそらんじ、学識は孔孟の遠き弟子をもって任じ、話せば話すほ

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ど、深みもあり広さもある人物と思われた。(「転戦」「桃園の巻」)

または、

「たとえば先頃、野火の戦野で出会って挨拶を交わした――赤備かぞなえの一軍 の大将、孟徳曹操もうとくそうそうなどという人物は、まだ若いが、人品じんぴんといい、言語態度 といい、まことに見あげたものだった。叡智の才を、洛陽の文化と、武勇 とに磨いて、一個の人格に飽和させているところ、彼など真に官軍の将軍 といって恥かしからぬ者であろう。ああいう武将というものは、やはり郷 軍や地方の草莽そうもうのなかには見当らないと思うな」と、賞ほめたたえた。(「檻 車」「桃園の巻」)

と劉備も彼を尊敬しているように仕立てられた。

また、底本になかった曹操の容貌の描写が施された。

白皙秀眉

はくせきしゅうび

、丹唇たんしんをむすんで、唯々 として何進の警固についてはいる…

(「舞刀飛首」「桃園の巻」)

他の人物と比べて、吉川氏が曹操の外見描写に力を注いでいるように見える。

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「白面郎「曹操」」では曹操の生い立ちを改めて紹介したが、

55 「少年の頃になると、色は白く、髪は漆黒で、丹唇明眸、中肉の美少年ではあり、しかも 学舎の教師も、里人も、「恐いようなお児だ」と、その鬼才に怖れた(「白面郎『曹操』」)」と いうように、少年時代の曹操も美少年として吉川氏に描かれた。

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しかし、人の憎みも多いかわり、一面任侠の風ふうもあるので、

「気の利いた人だ」

とか、また、

「曹操は話せるよ。いざという時は頼みになるからね」

と、彼を取り巻く一種の人気といったようなものもあった。(「白面郎『曹 操』」「桃園の巻」)

ここでは曹操を人望のある青年として描いた。これは前述した『通俗三国志』

では消せられた部分と重なっている部分であり、「任侠の風」という言葉から 考えてみれば、「少機警。有權術。而任俠放蕩。不治行業」と書かれている『魏 志』をも参考にしたかもしれない。