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2. 吉川英治『三国志』の創作

2.2. 吉川英治『三国志』の人物像

2.2.2. 軍師たち

2.2.2.2. 諸葛亮

2.2.2.2.3. 諸葛亮像に対する加筆

吉川氏が諸葛亮に対する加筆は多くないが、おもに、諸葛亮の感情描写に集

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中していた。例えば、曹操を殺さなかった関羽に対して、「李卓吾本」第五十 回「關雲長義釋曹操」では、

孔明曰:「此是雲長想曹操昔日之恩,故意放了。昔日斬丁麼,封雍齒,所 以正軍法也。王法乃國家之典刑,豈容人情哉!既已責下令狀,罪不能免,

推出斬之,以正軍法!」

としか描かれていないところは、吉川『三国志』では以下のように変えられた。

孔明がこれほど心から怒ったらしい容子を見たのは、玄徳も初めてであ った。

めったに怒らない優しい人が怒ったのは、ふつうの者の間でも恐ろしい 気がするものである。いわんや軍師の座にあって、謹厳おのれを持してい やしくもせず、日頃はあまり大きな声すら出さない孔明が、断乎、斬れ!

と命じたのであるから、人々みな慄然りつぜんとすくみ立って、どうなることかと 思っていた。(「功なき関羽」「望蜀の巻」)

また、「李卓吾本」第九十五回「司馬懿智取街亭」では、感情について全然 描かれていなかった部分が、吉川『三国志』では、諸葛亮が戦死した親友の子 の馬謖の才器を鍾愛するあまりに、劉備の忠告さえ忘れるというように描かれ た。

故玄徳は、かつて孔明に、

(この子、才器に過ぐ、重機に用うるなかれ)といったが、孔明の愛は、

いつかその言葉すら忘れていた程だった。そして長ずるや馬謖の才能はい

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よいよ若々しき煥発かんぱつを示し、軍計、兵略、解せざるはなく、孔明門第一の 俊才たることは自他ともにゆるす程になってきたので、やがての大成を心 ひそかに楽しみと見ているような孔明の気持だったのである。

――で今。

その馬謖ばしょくからせがまれるような懇望を聞くと、彼は丞相たる心の一面で は、まだちと若いとも思い、まだ重任過ぎるとも考えられたのであるが、

苦しい戦と強敵にめぐり合わせるのもまた、この将来ある人材の鍛錬であ り大成への段階であろうとも思い直し、その機微な心理のあいだに、自己 の小愛がふとうごいていたことは、さしもの彼も深く反省してみるいとま もなく、つい、

「行くか」

と云ってしまったのである。(「高楼弾琴」「五丈原の巻」)

以上の描写を通じて、『三国志演義』で神格化されていた諸葛亮も初めて人間 性を持つようになってきた。

また、司馬懿の出廬を聞いた諸葛亮の反応はそれぞれの版本で描写が異なっ ている。「李卓吾本」第九十四回「司馬懿智擒孟達」では以下のように描いた。

孔明大喜,厚賞李豐等。忽細作人報說:「魏主曹叡,一面駕幸長安;一面 詔司馬懿復職,加為平西都督,起本處之兵,於長安聚會。」孔明聽畢,頓 手跌足,不知所措。參軍馬謖問曰:「量曹叡何足為道?若得來長安,就而 擒之,丞相何故驚也?」孔明曰:「吾豈懼曹叡耶?平生所患者,獨司馬懿 一人而已。今孟達欲舉大事,若司馬懿得此大權,事必敗矣!達非司馬懿之 對手,必被所擒。孟達若死,中原不易得也!」

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とくに諸葛亮の「頓手跌足,不知所措」という表現が、『通俗三国志』六編巻 之九「司馬仲達擒孟達」では「大におどろき。首くびを低たれて色いろを失うしなふ」と描かれ、

「中原不易得也」もまた「魏を討うつとなりがたし」に変わった。吉川『三国志』

(「鶏家全慶」「五丈原の巻」)は『通俗三国志』のこの描写を受け継ぎ、

(前略)聞くと、愕然がくぜん

「……なに、司馬懿を」

孔明は首を垂れて、その酔色すらいちどに褪せてしまった。(「鶏家全慶」

「五丈原の巻」)

というように酔いが醒めたのを底本よりリアルな表現で用いられた。面白いの は、『毛本』第九十四回「諸葛亮乘雪破羌兵 司馬懿勀日擒孟達」ではただ「孔 明大驚」として描かれ、諸葛亮の感情表現が消さられた。

しかし、諸葛亮の人間性が改編に連れて消せられた例もある。それは後述す る周瑜の死を知った時の諸葛亮の反応である。すなわち、どの版本の作者も、

諸葛亮のいい方面を突き出すために、却って諸葛亮の多面性を犠牲したともい えよう。