2. 吉川英治『三国志』の創作
2.2. 吉川英治『三国志』の人物像
2.2.2. 軍師たち
2.2.2.3. 周瑜
2.2.2.3.4. 周瑜像が持つ意義
柏宏軍・姚東霞(2008)は、以下のように言った。
『三國志』における周瑜のイメージは完璧である。仕官の家に生まれ、
資質風流であり、文武両道にたけ、曲の芸にも精通している。烽火の連綿 たる乱世の中では彼の抜群な才気がなお際立ち、孫策を助け江東を定め、
謀士でありながら武将であり、孫策とそれぞれ大喬と小喬を嫁にし、千古 の佳話として伝えられた。赤壁の戦いで、なおさらその名を天下の轟かし
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しかし、陳寿によると「性度揮廓」とある周瑜が、『三國志演義』では器量の 狭い人物として描かれた。もちろん、羅貫中が周瑜の傑出の軍事才能をも描い たが、この器量の狭い性格を付け加えたことで、彼はあくまでも諸葛亮の智謀 の引き立て役に過ぎないという。陳周昌(1986)72が彼を器量の狭い人物とし て描く原因を、キャラクターが諸葛亮に似ていれば、行動は矛盾と衝突で成り 立たない。諸葛亮を美化するために、諸葛亮の性格と対比することにしたとい う。また、井波律子(1994)は、
異常な予知能力を持つ諸葛亮にキリキリ舞いさせられ、カンカンに腹を 立てては矢傷が破れ、気絶を繰り返して衰弱してゆく周瑜のイメージは、
哀れな道化以外のなにものでもない。(中略)周瑜の存在価値を切り下げ ることによって、相対的に諸葛亮の価値を引き上げようとする操作にほか ならないのである。73
と周瑜の存在を捉えた。
吉川『三国志』では、さらに諸葛亮の価値を引き上げようとする人物として 周瑜を道化的に描き、吉川氏の諸葛亮に対する愛着が周瑜像においても見られ る。
71 柏宏軍・姚東霞『圖解三國演義』香港:中華書局、2008 年
原文:『三國志』中,周瑜的形象是完美的。他出生於官宦之家,資質風流,文武雙全,且精通 曲藝。烽火連綿的亂世更顯其出眾才情,助孫策平定江東,既為謀士又為武將,與孫策分娶大小 二喬,傳為千古佳話。赤壁一戰,更是名震天下。
72 陳周昌「論周瑜和魯肅」『三國演義學刊』(二)、成都:四川省社會科學院出版社、1986 年
73 伊波律子『三国志演義』東京:岩波書店、1994 年、170-172
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結論
本論文は「吉川英治『三国志』とその底本の比較研究―人物像を中心に―」
というテーマを二章に渡って取り扱ってきた。
第一章では、吉川『三国志』について概説するので、創作の際に使われた底 本について検討した。そして、底本になる可能性のある湖南文山の『通俗三国 志』と、久保天随の『新訳三国志』についても説明した。しかし、従来の研究 によると、吉川氏が『三国志』を創作する際に、主に参考にしたのは『通俗三 国志』なので、『通俗三国志』を今回取り扱う材料にした。また、『通俗三国志』
は『李卓吾先生批評三国志』を底本にしたと言われている。なので、本論文で は、「李卓吾本」、湖南文山『通俗三国志』、吉川『三国志』という三作品の描 写を取り上げ、その相互関係を具体的に探求してみた。
第二章では、まず吉川『三国志』の成立と時代背景を見てきた。マス・メデ ィアの発達によって発足した吉川氏は常に読者を意識しながら作品を創作し た。故に、氏が書いた歴史小説でも、常に読者を意識しながら創作していた姿 勢が見られる。氏の創作態度は、読者に物語を完全に信じさせるために、史実 を把握してから推理した上、物語を創作した。『三国志』の創作においても、
氏は時に歴史書を厳密に考証して物語を書き、時にはどの本にもよらずに空想 を生かした。それは氏の言葉でいうと「歴史の余白」を生かすことであった。
その方法として、作中人物を血肉の通った人間として描くことや、人物の骨肉 愛と恋を描くことなどが挙げられる。特に、吉川文学では、母子関係がいつも 濃く描かれている。この濃密な母子関係描写は実際に吉川氏の人生の反映かも しれない。また、読者には嘘だと感じさせないために、吉川『三国志』におい ては、「合理化」という手法が多用された。なお、歴史小説を用いて、氏が一 番重視している「忠」と「孝」も読者たちに伝達しようとした。
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時代背景について、吉川『三国志』は日中戦争期に書かれた作品であったの で、吉川氏と日中戦争の関係を考察してみた。その時、吉川氏は毎日新聞社特 派員として天津・北京と、また、ペン部隊の従軍部隊の一員として漢口・南京 方面と、二度中国を訪れた。このような渡航経験は氏の『三国志』創作にどの ような影響を与えたのであろうか。吉川『三国志』の序文の原文を見れば、日 中戦争と中国に対する関心の高揚の結果として、吉川『三国志』の執筆の念を 固めたことと、日中戦争を背景にした吉川『三国志』の出版意図の二点が分か った。実際、吉川氏は積極的にファシズムに加担したと評され、日中戦争期に 書かれた文章でも、日本を東洋の盟主とした氏の観念が伺える。しかし、一見 ではこのような戦争思想は吉川『三国志』の中に持ち込まれず、その中国体験 は作中の難民描写や、景物描写の基調となった。しかし、天意と王覇の思想を 語った部分では、従来の底本になかった「王道」のためなら、一部の殺戮は許 されるという観念も語られた。これは、吉川氏がその序文の中で言及した「興 亜」・そして氏が日本を東亜盟主とした観念を想起させざるを得なかった。そ れゆえ、氏が意識的にか、無意識的にか、戦争思想を『三国志』に埋め込んだ ことがわかった。
吉川『三国志』の人物像創作に関して、魏・蜀・呉の主君と軍師の人物像を それぞれ一人ずつ分析してきた。
曹操に関して、吉川氏が曹操の描写に力を注いでいるように見える。故に、
彼の死の描写も、底本の態度と違い、まるで偉人が世を去ったように描写され た。また、氏は曹操の優れた政治力と軍事力を称え、詩情豊かな人として曹操 を捉えていた。このように吉川氏が作り上げたのは、英雄のキャラクターを持 っている曹操像であった。しかし、物語の推進に連れて、曹操に対する悪評も どんどん増えてきた。永久的な生命価値を重視する吉川氏の態度が伺える。
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劉備に関しての人物像描写は曹操と対照的に見える。しかし、劉備の死の場 面において吉川氏が加筆しなかった点から、吉川氏が劉備描写にそれほど力を 入れていないようにも見える。また、氏の劉備造形は、『三国志演義』と同じ く、「仁徳」・「人材を求める」・「微温的な性格」という三点にとどまっている ので、その人物像も蒼白になってしまう。しかし、氏は劉備の性格にある両面 性を発見した。
孫権に関してはあまり加筆していなかった。ただ「血気強暴」というイメー ジを用いて孫権を描写した。他の人物に比べて吉川氏が孫権に対する無関心が 伺える。
司馬懿に関して、吉川氏は『三国志演義』の「鷹視狼顧」という描写を受け 継いだ上に、「疎髯」という老人のイメージを司馬懿に与えた。また、他人の 言葉を気にせず常に自適している司馬懿像を作り上げた。性格描写から見ると 吉川氏は司馬懿を肯定的に捉えているとも言える。
諸葛亮に関して、吉川氏は類のない外見を持っている諸葛亮を描いた。そし て、紙幅を尽くしてまで諸葛亮の死を描写する点からも、吉川氏の諸葛亮に対 する愛着が伺える。氏が諸葛亮に対する加筆は多くないが、主に諸葛亮の感情 描写に集中し、諸葛亮に人間性を与えた。しかし、諸葛亮のいい方面を突き出 すために、却って諸葛亮の性格の多面性を犠牲にした。
周瑜に関しては彼の外見を加筆しなかった。また、死ぬ時の狼狽さや、諸葛 亮に対する恨みを強く描いた結果、『三國志演義』以来道化的な役割が吉川『三 國志』をもって最大化した。
総じて言えば、吉川氏の筆力は魏と蜀の人物に集中し、呉の人物に対する無 関心が見られる。また、「三国志は曹操に始まって孔明に終る二大英傑の成敗 争奪の跡を叙したものというもさしつかえない(「諸葛菜」「篇外余録」)」とい う氏の創作態度は、氏が曹操の外見描写を一番多く加筆し、また多方面から若
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い頃の曹操を賛嘆してきた点と、諸葛亮のいいイメージを増強し、諸葛亮の精 神を物語の最後までも称えた点から伺える。
総合的に考えると、吉川『三國志』には吉川氏の経験、または思想の反映が 強く見られる。その歴史小説の創作手法は、氏の読者意識を反映し、そして中 国観は、氏の渡航経験を反映した。また、中国の『三國志演義』の人物造形が 反映したのは当時の「正統観念」や「愛劉憎曹」の観念なら、吉川『三國志』
の人物造形が反映するのは、吉川氏一個人の物語に対する解釈であろう。そこ
の人物造形が反映するのは、吉川氏一個人の物語に対する解釈であろう。そこ