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吉川英治『三国志』とその各底本の概説

吉川英治『三国志』は、新聞連載小説として中外商業新報(現・日本経済新 聞)などで昭和 14 年(1939)8 月 26 日付にスタートした。連載中、日中戦争 が勃発したが、連載は続けられ、吉川氏は連載中の昭和 17 年(1942)には三 度目の訪中で華南地方を旅行していた。そして、昭和 18 年(1943)9 月 5 日 付で連載が終了した。連載終了後、『三国志』は複数の出版社から単行本とし て刊行された。最初の単行本(全一四冊)の刊行は大日本雄弁会講談社(現講 談社)より昭和 15 年(1940)5 月から昭和 21 年(1946)9 月にかけて行われ ている。それから様々な版本が出版されたが、管見の限り序文にしか大きな変 更は行われていなかった。

吉川英治は、『三国志』の序で以下のように述べている。

原本には「通俗三国志」「三国志演義」その他数種あるが、私はそのい ずれの直訳にもよらないで、随時、長所を択(と)って、わたくし流に書 いた。これを書きながら思い出されるのは、少年の頃、久保天随氏の演義 三国志を熱読して、三更こう四更こうまで燈下にしがみついていては、父に寝ろ寝 ろといって叱られたことである。(「序」)

従来の研究によると、この「通俗三国志」は湖南文山の『通俗三国志』を指 し、「三国志演義」は久保天随の『新訳演義三国志』を指している。また、「そ

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文学作品としての完成度が高く、現在『三国志演義』の翻訳として販売されて いるもののほとんどは毛宗崗本を底本としている。

1.4. 吉川英治『三国志』創作において使う底本

吉川英治自身は、「少年の頃、久保天随氏の演義三国志を熱読」すると述べ ているが、従来の研究によると、吉川英治が主に用いる底本は、湖南文山の『通 俗三国志』である。

これに関して、竹内正彦(2007)24は、

その(『通俗三国志』の)刊行から吉川『三国志』が現れるまで、日本 人にとって三国志とは『通俗三国志』であった。これは、吉川英治にとっ ても同様であり、彼が『三国志』を書く際に依拠してのもこの『通俗三国 志』であったことは疑いない。

と述べ、さらに孔明が魏延を焼き殺そうとする挿話が吉川『三国志』、湖南 文山の『通俗三国志』、『三国志演義』の「李卓吾本」という三つの説話にとも にあるが、毛宗崗本には収録されていないことを述べた。すなわち、吉川『三 国志』、湖南文山の『通俗三国志』、『三国志演義』の「李卓吾本」が一脈相通 じていることが推測できるのである。

また、立間祥介(2001)25は吉川『三国志』の「蒼天已に死す、黄夫当に立 つべし」が『通俗三国志』の「黄夫」26という誤記を踏襲した点から、吉川『三 国志』は湖南文山の『通俗三国志』を底本として用いることについて説明する。

24 竹内真彦「泣かずに魏延を焼き殺す--吉川英治の読んだ三国志」『アジア遊学』105、東京:

勤勉出版、2007 年、15

25 立間祥介「吉川『三国志』の魅力」『国文学 : 解釈と鑑賞』66:10、東京:至文堂、2001 年、東京:至文堂

26 李卓吾本では「黄天」と記する。

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本論文は、先行研究に従い、「李卓吾本」―『通俗三国志』―吉川『三国志』

という関連性を踏まえた上、第二章で三作品の描写を取り上げ、その相互関係 を具体的に探求してみたいと思う。

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