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戦後日本農業の歴史と現状

第五章 地方再生計画

第一節 戦後日本農業の歴史と現状

第二次世界大戦直後日本は深刻な食糧不足に直面した。その大きな原因は多くの軍 人が復員した事や、海外から多数の民間人が引き揚げてきたことに加えて、終戦直前 に日本政府は本土決戦に備えて多数の農民を徴兵していたからである。それ故、就農 人口の不足のため農業生産高が大幅に減少していたのである。

そこで、日本政府はこの深刻な食糧不足を補うため、1945 年 11 月 9 日の閣議で「緊 急開拓事業実施要領」を決定した。この法案の狙いは、食糧の増産ばかりでなく、敗 戦による海外からの帰還者と、多数の徴兵されていた農民を農業に復帰させることに より、就労を促進することでもあった。その具体的な目標として、当時の政府は 5 年 間で 100 万戸を農業に復帰させ、155 万町歩58の農地を開墾し、新たに 10 万町歩を干 拓する方針を掲げている。

しかし、終戦直後の深刻な食糧危機を徐々に脱出するにつれ、農耕地拡大の必要性 は次第に薄れていった。そこで、農林省は 1947 年 10 月 24 日、「開拓事業実施要領」

を制定した。この要領からは、食糧不足への対応や海外からの帰還者等の農業への就 労を促進する対策が削られ、農地の効率的な利用対策のみが掲げられた。開墾目標面 積は 155 万町歩で「緊急開拓事業実施要領」と同じのままだったが、新規就農者の目標 人数を 100 万戸から 34 万 6 千戸に下方修正している。しかし、昭和 20 年代(1945~1954 年)は日本人全員が満足に米を口にすることが出来なかったばかりでなく、全ての食 糧が不足していて、特に都市部では、児童の栄養状態が劣悪の水準にあった。そこで、

政府は外米を輸入したほか、「ガリオア・エロア」資金59(Government Appropriation for Relief in Occupied Area, GARIOA)を活用して大量のメリケン粉を輸入し、学校給食で パンを提供し始めた。

そして、このパンを使い始めた事が後に日本人の米食離れを引き起こして、食習慣 の欧米化を招き、米の消費量を大幅に減少させて、日本の食糧生産体制に大きな影響 を与えることになった。

さらに、昭和 30 年代後半になると、化学肥料や農薬が使用され始め、農業機械も徐々

58 町歩とは:田畑、山林の面積の単位。1 町歩は約 1ha (9917 ㎡)。

59 「ガリオア・エロア」資金とは、第二次世界大戦後、アメリカ政府が占領地の疾病や飢餓による社 会不安を防止し、占領行政の円滑化を図るため、陸軍省の軍事予算から支出した援助資金である。

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主要食糧の生産、流通、消費について政府が全て管理するシステムであり、食糧の需 給のバランスと価格の安定を図るものであった。供出価格と供出数量は政府によって 決定され、管理された。

そして、1994 年 12 月 14 日、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律《食糧法》

が公布され、一部の条項を除き翌 1995 年 11 月 1 日に施行され、これと同時に《食糧 管理法》は廃止された。

(二) 農地改革

1945 年 12 月 9 日、「連合国最高司令官総司令部」(General Headquarters、GHQ 最高 司令官ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)は日本政府に『SCAPIN-411 農 地改革に関する覚書』63を送り、数世紀に亘った日本の封建的な地主制度を打破し、

農地の所有制度を徹底的に改革するよう指示した。そして、日本政府はその指示通り、

第二次農地改革法を作成、1948 年 10 月に成立した。

日本政府による農地の買収、譲渡は 1947 年から 1950 年まで行われ、全国で 193 万 町歩の農地が、延 237 万人の地主から超低価格で買収され、延 475 万人の小作人に売 り渡された。そして、農地改革は GHQ の行った戦後改革のうち最も成功した例とし て評価された。しかし、この農地改革の結果、日本には殆ど大規模農家が無くなり、

多数の零細兼業農家を生み出すこととなった。

現代の視点に立って考察すると、生産性を高めるために,機械を導入して経営を合 理化しようとしてもあまりにも規模が小さく、日本の農業は多くの問題点を抱えるこ とになった。

(三) 農業者戸別所得補償制度

農林水産省の農業者戸別所得補償制度の概要に於ける本制度の説明を要約すると 大体以下のようになる。

本制度は、食糧自給率の向上を図ると共に、農業と地域を再生させ、農山漁村に暮 らす人々が将来に向けて明るい展望を持って生きていける環境を作り上げていくた めの施策である。

1.目的

販売価格が生産費を恒常的に下回っている作物を対象に、その差額を交付すること により、農業経営の安定と国内生産力の確保を図り、もって食糧自給率の向上と農業 の多面的機能を維持することを目的とすると謳っている。

63この農地改革に関する覚書に関しては、以下参照:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E5%9C%BO%E6%94%B9%E9%9D%A9

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2.対象作物の範囲

(1) 農業者の農業経営の安定を図るため、恒常的にコスト割れしている作物。

(2) 食糧自給率の維持向上を図るため、国民の食生活上特に重要な作物。

(3) 多面的機能の維持を図るため、農地の有効活用と農業生産力の維持が重要であ ることから、他の作物と組み合わせた生産が広く行われている作物。

(4) これらを満たす作物として、米、麦、大豆,こん菜、でん粉原料用馬鈴薯、そ ば及び十菜種を対象とする。

(5) なお、水田活用の所得補償交付金については、水田における主食用米との所得 格差を補償する交付金であり、水田作の麦、大豆,飼料作物、米粉用米,飼料 用米、稲発酵粗飼料用稲、そば、なたね、加工用米を戦略作物とし、これ以外 の地域特産物についても都道府県又は地域の判断で対象にできる。

3.対象農業者

本制度の交付金の対象者は、対象作物の生産数量目標に従って販売目的で生産(耕 作)する 1「販売農家」(法人を含む)と 2「集落営農」である。この制度は 3 専業農家 と 4 兼業農家にも適用される。

(1) 販売農家:経営耕作地面積 30a 以上または農作物販売金額が年間 50 万円以上 の農家。

(2) 集落営農:複数の販売農家により構成される農作業受託組織で、組織の規約 及び代表者を定め、かつ対象作物の生産販売について共同販売経理を行って いるもの。

(3) 専業農家:世帯員の中に兼業従事者が一人もいない農家。

(4) 第一種兼業農家:世帯員の中に兼業従事者が一人以上おり、かつ農業所得の 方が兼業所得よりも多い農家。

(5) 第二種兼業農家:世帯員の中に兼業従事者が一人以上おり、かつ兼業所得の 方が農業所得より多い農家。

そのため、農業収入がそれ程大きな割合ではない兼業農家にも適用され、本来農業 を担っている専業農家が優先的に保護されていない。又専業農家が主に生産している 園芸作物への保護が軽視されているなど、多くの問題点が指摘されている。

(四)減反政策

第二次世界大戦末期から戦後しばらくの間、日本は食糧不足に悩まされた。そのた め戦争中の 1942 年に《食糧管理法》を制定し、米の大増産を進めた。農家が作った 米を政府が高く買い取り、消費者に安い価格で転売した。生産量が増えれば増えるほ

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ど国の赤字が増大し、売れ残りの在庫米が増え国の財政負担が大きくなった。

そこで、政府は 1970 年から、米の生産を制限する、「減反」64と呼ばれる生産調整制 度を実施した。毎年農協を通じて全国の農家に田んぼを減らす目標値を割り当て、目 標値を達成した農家に補助金を支給したのである。1995 年に食管制度が廃止され、農 家が自由に米を作って販売できる新しい食糧法が施行されたが、減反政策は米の需給 と価格の安定を保つために現在まで継続されている。しかし、政府は減反政策自体を 2018 年 4 月に廃止する方針を正式に決定した。

現在、国の生産目標に従って減反している農家に、10a(1 反)当たり年間 1 万 5,000 円が支給されているが、2014 年度から半分の 7,500 円に減額され、2018 年度から廃止 される。

農地の集約化、大規模化をすすめて米の生産性を高めるには、補助金で零細農家を 支えている減反政策を廃止して、意欲ある専業農家を育成する必要があると政府は考 えているようだが、広大な耕作面積を誇る諸外国と異なり、80%以上が森林で耕作面 積が極端に狭い日本では、大規模農業経営は相応しくないと、政府の方針に異議を唱 える人も多く、日本特有の地形や気象条件等を生かした、コンパクトだが大規模農業 経営に引けをとらない収益性の高い農法の開発を急がねばならない。

二、 農山漁村の復興

人口の東京圏一極集中を解消し、地方再生を図る為には、農山漁村の復活が求めら れる。そして、その為には大都市圏から農山漁村地域への有効な移住策を強力に推し 進めなくてはならない。しかし、ここで一番問題なのは現在大都市で暮らしている住

人口の東京圏一極集中を解消し、地方再生を図る為には、農山漁村の復活が求めら れる。そして、その為には大都市圏から農山漁村地域への有効な移住策を強力に推し 進めなくてはならない。しかし、ここで一番問題なのは現在大都市で暮らしている住