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第五章 結論

豊臣秀吉の太閤検地・刀狩令・身分統制令で近世封建体制の基礎を作って、

この三つの政策によって近世の百姓のあり方が創出された。さらに、中世の地 方勢力と結びついて、近世の領主がその地方勢力から転換した村方三役によっ て村の底部まで支配の力を尽くした。名主などの村役人は百姓身分で、百姓と 領主の間のパイプである。村請制によると、小百姓が年貢を負担できないまた は逃散する場合、普遍的な状況は庄屋が弁済することになった。もとの上層農 民は中立的と期待されたが、徐々に領主側の立場になる。その現象ものちの村 方騒動を導く。

近世初期の名主は戦国の在地勢力つまり地侍から転換されて、変えて政権の 末端になる。刀狩により地侍は武器を奪われ、武士身分から脱落し、農民身分 になる。ここから、近世初期においての下層武士と上層農民は中世末期では同 じ地侍階層だようだ。豊臣政権と徳川幕府の兵農分離政策によって中近世移行 期に分けられた。しかし、ここから名主の位置付けについて、幕府が百姓身分 になった名主に武士に近い特権を与えることによって、名主を代官の在地支配 の延長を務めさせる。本論は惣五郎という名主の越訴行動で、近世初期におけ るこのような在地支配の不充分を見えた。

惣五郎一揆の発生した時間は承応 2(1653)年であることが、一般的に多数 の研究者に受け入れられる。当時の史料で現在にまで残されたのがわずかしか ない。惣五郎や越訴は存在したかどうかは証明しにくい。また正史である『徳 川実紀』や幕府の法令から見れば、越訴行為は基本的に非法行為ではない。そ の原因は何であろうか。まず、この時期の幕藩体制はまた不安定で、幕府は逃 散や越訴など封建制度の破壊に導く行為を管理できない。さらに、越訴による 幕府は藩主・旗本などの地方領主の力を抑える。以上の理由によって、百姓一 揆研究の中の代表越訴の真実性に対する疑問を持つ。

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本論の研究によって、惣五郎の義民像は二つにわけられる。

① 18 世紀半ばからの政権側が作り出した義民像見本。

18 世紀半ばから、各藩の財政緊縮に従って、百姓の生活も苦しくなった。

それに百姓一揆の参加人数、波及の地域、経済的損害は上昇している。ここか ら生じたのは幕藩体制の不安定状態である。村役人層から有力百姓らが上の武 士階級に近付いていく。そのため、小百姓と有力百姓の間に矛盾が生じ、農村 の支配関係は崩壊して、百姓内部の分裂は激しくなった。

惣五郎が代表越訴の義民として祭られたのは江戸中期以降のことである。藩 側あるいは老中堀田正亮が代表する幕府の対策は制圧のほか、佐倉惣五郎とい う「見本」を当局側が作り出した。惣五郎その人物に関しての物語は宝暦期以 降広く流布している。このような物語は有意に創作したものである。惣五郎の ような自己犠牲の名主は領主に利用されて、佐倉で百姓の信仰対象となった。

当時の百姓にとって、惣五郎に祀ると、自分はこのような苦しい生活から救わ れる。さらに領主に対する抗争の行う勇気を出せる。第四章に提出した公津地 区の年貢減免願いはこの実例である。

領主側の堀田正亮にとって、自分の先祖正信の時代に起こった惣五郎の事件 が堀田正信の除封の原因であると地元に深く信じられた。この状況を知る正亮 が惣五郎を神として祀るのは自分の器量の大きさを百姓に見せるためだ。また 当時の正亮は老中で、自分の領内の不穏状態や百姓の対抗意識を緩和させるの は第一要務で、適当な懐柔策も必要だと思っていたようだ。正亮は宝暦 2(1752)

年に惣五郎を口の明神として祭って、戒名を贈った。

惣五郎物語の広がることに多いに役に立ったのは『地蔵堂通夜物語』『佐倉 義民伝』『堀田騒動記』である。三つの系統の写本は宝暦 2 年以降成立したと 一般的に信じられる。物語の内容は三つの系統のいずれにせよ、佐倉の百姓の 間に享保 7 年より早い年代から流伝していた惣五郎伝説の流れより作成した

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ものである。

②幕末に歌舞伎『東山桜荘子』の流行によって百姓と庶民の反体制代表にな る。

幕末の嘉永 4(1851)年に江戸の中村座で上演された歌舞伎の『東山桜荘子』

と翌年に大阪の『花雲佐倉曙』は観客よりの評価がよかった。歌舞伎の上演は 嘉永期以降の惣五郎物語の内容と全国的な宗吾信仰に対する大きな影響を与 えた。写本の流布や歌舞伎芝居は惣五郎の事跡を全国に広がらせた。現在考察 できる宗吾霊堂は少なくとも二十二社ある。堀田家の旧領以外、嘉永 4 年以降 成立した神社はその二十二社の中の大部である。

また惣五郎だけは全国的に義民として祀られることになった理由は何であ ろうか。惣五郎は明治初期に全国義民の代表とされて、ほかの義民が存在した が、遂に惣五郎物語と合流することになる。惣五郎とは類似する義民のことを 集大成して、全国義民の代表である姿で祀られた。日本の義民信仰の実体化さ れた表現は宗吾信仰と言える。

ここに歌舞伎は当時の庶民思想を表現する機能からみると、惣五郎の物語を 芝居に演じることで、当時の民衆の不満と要求に相応しい部分を佐倉惣五郎と いう人物の行為による表現できる。

本論は史料の制限で、惣五郎一揆の事件経過を論じなかった。周辺背景を詳 しく理解することによって当時の様態を理解することの他、佐倉地方史の史料 を更に発掘すべきであった。

また歌舞伎の『東山桜荘子』などに対して、各時期の台本内容が改写された 理由や時代によって観客の最も印象的な場面の変遷から、惣五郎信仰の時代性 を求め得よう。この二つの問題点を以後の研究課題として深化させていきたい。

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22. 青木美智男編『一揆. 4』、東京大学出版会、1981 年 23. 青木美智男編『一揆. 5』、東京大学出版会、1981 年 24. 勝俣鎮夫『一揆』、岩波書店、1982 年

25. 藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』、東京大学出版会、1985 年 26. 児玉幸多『佐倉惣五郎』、吉川弘文館、1972 年版

27. 深谷克己『百姓一揆の歴史的構造』、校倉書房、1986 年 28. 水本邦彦『近世の村社会と国家』、東京大学、1987 年

29. 深谷克己『日本中・近世一揆史総合年表の作成』、早稲田大学、1985-1988 年

30. 藤井譲治編『日本の近世 3 支配のしくみ』、中央公論社、1991 年 31. 藪田貫『国訴と百姓一揆の研究』、校倉書房、1992 年

32. 西野辰吉『地蔵堂通夜物語』、勉誠社、1996 年

33. 鏑木行廣『佐倉惣五郎と宗吾信仰』、崙書房出版、1998 年

34. 『地鳴り 山鳴り-民衆のたたかい三百年-』、国立歴史民俗博物館、2000 35. 保坂智『一揆と周縁』、、青木書店、2000 年

36. 保坂智『百姓一揆とその作法』、吉川弘文館、2002 年 37. 林基『百姓一揆の伝統. 続』、新評論、2002 年

38. 林基『百姓一揆の伝統』、新評論、2002 年

39. 深谷克己監修『百姓一揆事典』、民衆社、2004 年 40. 藤木久志『刀狩り』、岩波書店、2005 年

41. 保坂智『百姓一揆と義民の研究』、吉川弘文館、2006 年

42. 渡辺忠司『近世社会と百姓成立―構造論的研究―』、思文閣、2007 年