日本神道と天皇思想の源流ー中国思想からの試論 - 政大學術集成
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(2) 謝辭 從來都覺得指南山多雨煩躁不堪,擁擠的道南橋也毫無一點人文薈萃的氣 息。直到要前往北京清華大學交換前,看了看北京清華來政大的交換生寫的交 換心得,短短半年,能體會的卻是在指南山待了無數年的我所不能得、所不能 見的。他說政大雖然遠於市區,但卻空谷幽蘭。大概是因為愧對了政大,指南 山的雨又開始爬到我的身上,沾濕我的背包跟卡著游泳館旁紫藤花泥的鞋子, 細語譴咎。只能踏著濕透了的鞋襪,兜轉在季陶樓跟百年樓。 很多人都說讀研究所會發展第二專長。也許應了這句話,碩士班的求學期 間,除了季陶樓外,我很大部分的時間流連在百年樓的台灣文學研究所裡。在 台文所的日子,感謝陳芳明老師以及吳佩珍老師懇切又令人難忘的指導,還有 台文所辦時不時捎來的工讀機會。 而在日文系,指導教授的徐翔生老師,周全了我以及其他碩士班同學的求學 之路,使我們暢通無阻,也給我們無以回報的溫暖及信心。不只在學術教育方. 政 治 大 面給予強而有力的輔助與指導外,生活面、心理健康面,徐翔生老師也一一兼 立 顧。論文本身也許事在人為,但我很慶幸能夠得到徐翔生老師的指導。另外, ‧. ‧ 國. 學. 如果沒有口試委員的山藤夏郎老師細心推薦的文獻、耐心的指導,加上楊永良 老師針對論文內容所提出的精闢疑問及建議,這本論文也許根本無從完成。除 了以上幾位老師,多虧了日文系堅強的古典、近代文學分野,語言學分野,歷 史、文化分野的諸位老師所具備的多樣化甚至是跨領域專業,以及日文系辦一. n. al. er. io. sit. y. Nat. 屆又一屆的助教幫忙處理各項事務,讓我有所斬獲之餘也沒什麼後顧之憂。 純文系的論文之路常被認為孤獨萬分,實際體感之後,我想路並不能夠很精 準的描述建構論文過程中的況味。對我來說論文的書寫大概可以說是搭著一葉 扁舟,划著一支無力的木槳,上下浮動在荒緲無際又無聲的無光之海。能找到 的只有為數不多的黯淡浮標,找到一個之後,再沒入沒有邊緣的黑暗,沒什麼 好想的,只能趕快找到下一個指引你航路的浮標。好在我的論文少了颱風跟梅 雨的陪伴,讓過程不是這麼的險峻。 當你真心渴望某件事時,全宇宙都會聯合起來幫助你,《牧羊少年奇幻之旅》 裡的這句話好像到哪裡都通用。既然如此,就讓我對聯合起來幫助我的全宇宙 致上最深的謝忱。最後,家人朋友跟同學自不必說,我想我也該好好感謝台北. Ch. engchi. i Un. v. 每一間開到凌晨的咖啡廳。對,就是在說你們,路上撿到一隻貓、Rebirth Cafe、H*ours Cafe。. 吳赫 二○二○年八月於指南山麓 i. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(3) 要旨 日本の神道は、古より「随神の道(かんながらのみち)」と称されている。 これは、日本の神代から伝わり、神慮のままで、まったく人為を加えない道で あると言われている。また、神道は仏教やキリスト教のように、国境や民族な どに拘らず布教される「普遍教」ではなく、ユダヤ教、インド教、道教のよう に、ある民族に限って信奉される「民族教」として知られている。神道は、古 代の原始的シャーマン信仰から中世の神仏習合により体系化され、近世の国学 者によって優位性を提唱される。最後に、近現代化国家である大日本帝国に固. 政 治 大 当然ながら、「国体」である神道の唯一性を唱えるのに、他の宗教に影響を 立. 有的、独特性のある「国体」にされたのである。. ‧ 國. 學. もたらされている、というようなことは容認されない。中国の思想である道教 は言うまでもなく、神道に受容された事実が承認されていなかった。. ‧. ところが、神道と天皇思想に中国思想の影響が及ばされていることは、現在. sit. y. Nat. の日本では受け入れられてはいるが、その受容の過程、伝播の経緯などについ. n. al. er. io. ては、数多くの解釈や説明が見られている。本研究は神道と天皇思想を考察し、. i Un. v. 神道と天皇の本質とそれぞれのあり方を探り、その中に存在する中国思想の受. Ch. engchi. 容を明らかにし、加えて比較思想的視点から検討も試みる。そして、受容に関 する多種多様な立場が見られるため、その論理の過程もまた興味深いことであ る。 神道の研究については、概して神道の宗教家や神道の家柄を持つ学者による ものである。台湾では、神道そのものと神道と中国思想との関わりにまつわる 研究が極めて少ないため、この研究が少しでも台湾の神道への理解と日中思想 文化の比較ができれば、幸いに思う。. キーワード:神道史、かんながらのみち、神話、天皇、道教 ii. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(4) Abstract The phrase “Kannagara no Michi,” the epithet of Japanese Shinto, originated from the Age of Gods, the mythological age of Japan, meaning “the way of Kami” or “the way of gods,” demanding believers to stay aside, follow, and obey the Kami without any human’s preference. Dissimilar to world religions that could be preached interethnically like Buddhism or Christianity, Shinto bears more resemblance to Judaism, Hinduism, and Daoism as an indigenous religion. Started as a primal shamanic belief, Shinto developed into a systematic. 政 治 大 superiority by the Kokugaku立 scholars during the early modern period. As a result, the religion in the medieval age through Shinbutsu-shūgō, and was recognized for its. ‧ 國. 學. Empire of Japan identifies Shinto as its inherent and unique “Kokutai.” As Kokutai, the sacredness and inviolability of Shinto ought to be secured. By. ‧. forbidding alternative religions, the empire intended to banish all religious influence,. sit. y. Nat. including the one from Chinese Daoism, of which the leverage on Shinto was only. n. al. er. io. recognized until after pre-war. Although it has been affirmed that bountiful Daoism-. i Un. v. originated concepts could be found within Shinto and the divinity of Tenno, the process. Ch. engchi. of Shinto accepting Daoism still remains debatable. The purpose of this study was to investigate the essence of Shinto while signifying the impact of Daoism by differentiating the premises of the two religions. This study also aimed to open dialogues on the numerous theories regarding Shinto’s acceptance of Daoism. Previous studies on Shinto were mostly carried out by religionists and Shintoists. The current Taiwanese academia lacks research on Japanese religion and its relation with Chinese ideologies. The study findings may serve as a guide for further Taiwanese research on Shinto and Sino-Japan comparison. Keywords: Shinto, Kannagara no Michi, mythology, Emperor of Japan, Daoism iii. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(5) 摘要 日本神道自古被稱為「惟神之道」 。此稱自日本神話時代所傳,其指惟神之側, 聽神之命,其中全無人為之道。神道並非類似於佛教、基督教、天主教,可跨越 國境,不拘於特定民族進行布教的「普遍教」 。神道更作為如同猶太教、印度教、 道教等,限定於特定民族信奉的「民族教」而廣為人知。 神道自古代的原始薩滿信仰到中世藉由神佛習合而得以體系化,至近世以國學 者為主提倡其優位性。最後則被近現代化國家,即大日本帝國稱為具固有性、獨 特性之「國體」。. 政 治 大 受認可。作為中國思想之一的道教思想更是如此,神道接納受容道教的事實在戰 立. 理所當然,為提倡身為「國體」的神道之唯一性,其受他宗教影響之情狀皆不. ‧ 國. 學. 前並不被承認。神道以及天皇思想受到中國思想影響所及之情事,雖已在現今之 日本受到認同,但關於神道接納受容道教的過程,以及道教於日本傳播的經緯,. ‧. 仍有諸多的解釋及説明。本研究針對神道以及天皇思想進行考察,探討神道以及. sit. y. Nat. 天皇的本質及狀態,將其中所見中國思想之受容明朗化,並以比較思想之觀點進. al. n. 討之可能性。. er. io. 行檢討。此外,有關神道受容道教過程中多彩多樣的立場,其論理過程亦具備探. Ch. engchi. i Un. v. 關於神道的研究,大多皆由神道的宗教家,或是具備神道信仰相關家系所出之 學者進行。惟台灣針對神道信仰抑或神道與中國思想關聯之相關研究極其稀少, 希冀藉此研究能對台灣於日本神道之理解及中日思想文化之比較發揮棉薄之力, 若可至此將深感萬幸。. 關鍵字:神道史、惟神之道、神話、天皇、道教. iv. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(6) 目次 第一章 序論 ....................................................... 1 第一節. 研究の動機および目的...................................... 1. 第二節. 先行研究.................................................. 4. 第三節. 研究方法.................................................. 7. 第二章 神道の形成および神仏習合 ................................... 9 第一節. 神道に関する言葉の定義.................................... 9. 第二節. 神道の起源―古神道....................................... 12. 第三節. 神仏習合の中の神道....................................... 17. 第四節. 仏教を忌む神道の姿....................................... 23. 立. 政 治 大. ‧ 國. 學. ‧. 第三章 神道と天皇―武士「道」から国家神「道」へ .................. 31 神道の理論化(中世から近世へ)........................... 31. 第二節. 武士道における神道思想................................... 37. 第三節. 近現代国家神道の形成―国家神道へ......................... 43. n. al. er. io. sit. y. Nat. 第一節. Ch. engchi. i Un. v. 第四章 神道における中国思想 ...................................... 49 第一節. 神道の古典............................................... 49. 第二節. 神道古典に残す中国思想の痕跡............................. 53. 第三節. 道教の日本伝来と神道..................................... 58. 第五章 降臨神話と天皇号 .......................................... 65 第一節. 降臨神話における王権思想................................. 65. 第二節. 天皇号と璽............................................... 69. v. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(7) 第六章 結論 ...................................................... 76 第七章 参考文献 .................................................. 81 I.. 著書..................................................... 81. II.. 論文..................................................... 82. 立. 政 治 大. ‧. ‧ 國. 學. n. er. io. sit. y. Nat. al. Ch. engchi. i Un. v. vi. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(8) 第一章 第一節. 序論. 研究の動機および目的. 二〇一六年八月八日に、宮内庁は「象徴としてのお務めについての天皇陛下 のおことば」 (以下「おことば」)をテレビ放送を通じて日本国民に発していた。. 「本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのよ. 政 治 大 触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを 立 うな在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に. ‧ 國. 學. 話したいと思います。(中略)天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至 った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしに. ‧. も様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたり. sit. y. Nat. として、天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ 2 ヶ月にわた. io. er. って続き、その後葬儀に関連する行事が、1 年間続きます。その様々な行. al. iv n C hengchi U 人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ま n. 事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる. せん。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸 に去来することもあります。」1. つまり、当時高齢たる天皇は、象徴的国事行為の履行の能否に対して懸念を 表明した。そのような支障が生じる前に、あらかじめ政府に対策を練ってもら いたいと懇願する意向を示した。そして、二〇一七年六月に衆議院による審議. 1.宮内庁(2016)、 「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」 、宮内庁ウェブサイト、 http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41、(参照 2018-01-09) 1. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(9) を通じて、退位の特例法を公布した。退位の日程については、皇室会議によっ て二〇一九年四月三十日に決定された。 現在の日本憲法には、天皇は日本国と日本国民の総合的象徴であることを明 記した。それは、旧来の封建社会の頂点に立つ「天皇」を君主の実を失った「象 徴的天皇」にすることである。そして、その象徴天皇制の成立は、第二次世界 大戦での敗戦と日本国憲法の制定によるものである。 戦後の憲法改革により、天皇という制度は存続したものの、国民主権が明記 され、天皇は「象徴」であって憲法が定める限定された形式的な君主になった。 「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」2と規定され. 政 治 大. ることになった。象徴天皇には、通常の立憲君主のもっている政治上の外形的. 立. 権限およびそれに基づく危機に際しての介入権限も与えられておらず、その点. ‧ 國. 學. では君主とも元首ともいえない存在となった。また旧皇室典範も廃止され、国. ‧. 会の制定した法律としての新たな皇室典範にかわり、神勅に基づく万世一系の 君主に応じた制度として存在していたが、大嘗祭などの諸儀式は法文から削除. er. io. sit. y. Nat. された。3. それに対して、憲法改革前の大日本帝国憲法の第一章第一条では、「大日本. n. al. Ch. i Un. v. 帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」4と載っている。条文の「万世一系」とは天. engchi. 子の血統が永遠にわたって、かわらず続くことという。 確かに日本は王朝交代の発生はほぼ存在しておらず、中国の易姓革命による 王朝の更迭のような歴史的事件がない。徐翔生によれば、中世の歴史書『神皇 正統記』には、日本は「神の国」と説かれ、天皇は日本の国土を創成した神の. 2.『日本国憲法』 「憲法条文・重要文書」国立国会図書館。 3.家永三郎、 「天皇制」 、 『国史大辞典』 、 https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=30010zz335110(参照 2018-01-09) 4.『大日本帝国憲法』 「憲法条文、重要文書」国立国会図書館。 2. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(10) 子孫であると述べられているという。5 『古事記』『日本書紀』からも天皇の血筋は天津神と繋がっている記述も見 られる。古代の皇室は記紀の神話によって、「天」との連結を強めるのを図っ たことは明白である。そして近代に至って、国家神道はさらにその連結を堅め、 天皇の持つ神性が一層に上がったと考えられる。一方で、「天」という思想お よび「天皇」号の由来は中国の思想によるものだと津田左右吉や福永光司など の学者が主張していた。6 日本には、数多くの宗教が存在している。その中で「純粋」な日本的民族宗 教は、おそらく神道であろう。当然ながら、日本は古来より、儒教、道教、仏. 政 治 大. 教のような外来宗教はあったが、仏教が公式的に伝来される前に、神道は原始. 立. 的で、祖先信仰と精霊崇拝が主な構成となっており、正式的な宗教化は、仏教. ‧ 國. 學. との習合に関係している。仏教が主導的な立場になるのが中世であり、信者は. ‧. ともかく、宗教としての絶大な政治的実力も握っており、神道はそれを附随す る組織のような地位にあった。「本地垂迹説」の内容から、中世の普遍的な宗. y. Nat. er. io. sit. 教観が見られる。7. ところが、神道と天皇思想に中国思想の影響が及ばされていることは、現在. n. al. Ch. i Un. v. の日本では認められてはいるが、その受容の過程、伝播の経緯などについては、. engchi. 数多くの解釈や説明が存在する。本研究は神道と天皇思想を考察し、神道と天 皇の本質とそれぞれのあり方を探り、その中に存在する中国思想の受容を明ら かにし、加えて比較思想的視点から検討も試みる。神道の研究については、概 して神道の宗教家や神道の家柄を持つ学者によるものである。台湾では、神道. 5.徐翔生(2010)、 「日本神道と中国思想―天皇思想をめぐって」 、 『台大日本語文研究 19』 、台北:台湾 大学、P.227。 6.以上、津田左右吉の『日本・シナ思想の硏究』 (岩波書店) 、福永光司の『道教と日本文化』 (人文書 院)を参照。 7.グスタフ・メンシング(1983)、 「宗教とはなにか」 、法政大学出版局、P.23。 3. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(11) そのものと神道と中国思想との関わりに関する研究は極めて少ないため、少し でも日本神道への理解と日中思想文化の比較ができたらと考えている。. 第二節. 先行研究. 中国思想が神道および天皇制への影響は、前記のように、今までその関係は なかなか認められない。儒教はともかく、特に中国の道教思想は、明らかに排 除されている。例えば、小林正博の『日本仏教の歩み』では、天台僧である慈. 政 治 大. 遍は、「根葉花実説」を提出したが、道教だけを神道に影響を与えた宗教から 取り除った。. 立. ‧ 國. 學. 「短期間ではあったが後醍醐の天皇親政の復活は、皇祖神を祀る伊勢信仰. ‧. と神国日本が宣揚され、神道教義の体系化が進められていく契機となった。. sit. y. Nat. すでに鎌倉時代までの成立とされる神道五部書が現れ、そこでは神を仏よ. io. er. り上位に位置づける理論が表明されている。伊勢外宮の神官であった渡会. al. iv n C hengchi U ると説き、結果的に伊勢神宮信仰の底上げにつないでいく。 (中略)また n. 家行は、外宮の祭神である豊受大神を内宮の天照大神より根源的な神であ. 天台僧であった慈遍は『旧事本紀玄義』を著し、神道は根であり、儒教は 枝葉、仏教は花実に過ぎないとする根葉花実説を立て、神道の優位性を主 張した。」8. 以上の引用文は、つまり伊勢神宮の外宮の神官は、外宮の主祭神である豊受 大神の神位高揚を図るために、神道の体系化に貢献したことである。そして天 台僧である慈遍は、 『旧事本紀玄義』において、 「根葉花実説」という神道の優. 8.小林正博(2009)、 『日本仏教の歩み』 、第三文明社、P.194。 4. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(12) 位性を主張する説を提唱したということである。 続いては、中国の歴史学者葛兆光は「日本における道教―神道と天皇制の争 論」において、明治時代の大日本帝国では、神道と道教を関連付けようとする 学説は当然ながら右翼団体の不快を招いてしまったのである。それによって、 津田左右吉の著書『古事記と日本書紀の研究』は発禁処分となり、出版社の岩 波書店の社長である岩波茂雄も発行元として、津田と共に出版法違反で起訴さ れた。一九四二年に有罪判決が下された。これで神道と天皇について中国思想 の有無を論ずることは背景に激しく影響されているのが明白であると指摘し た。9. 政 治 大. 以上述べたことから、戦前の時代的背景が想像できる。では、なぜ道教は採. 立. 用されていなかったかについて、福永光司の『道教と日本文化』には、以下の. ‧ 國. 學. 記述から答えが確認できる。. ‧. 「これまで日本の古代史、特に古代宗教思想史は、中国古来の宗教思想す. y. Nat. er. io. sit. なわち道教とは殆ど見るべき影響関係を持たないと考えられてきました。 (中略)その一つは、江戸時代の本居宣長などを代表者とする国粋主義の. n. al. Ch. i Un. v. 思想家たち、すなわち国学者と呼ばれる人々の学説であります。彼らは日. engchi. 本の古代を神代として捉え、そこでは神道=清く明らけき神の真理=がさ ながらに行われていたと説き、歴史的な事実とは異なる純粋に理想的な宗 教的世界を観念的に設定しました。もう一つは六世紀の頃、中国・朝鮮を 経て日本に伝来し、皇室や宮廷貴族に多くの信奉者を持ち、その後も日本 の宗教思想で永く主導的な地位を占めてきた仏教の学僧たちの主張であ ります。. 9.葛兆光(2009)、 「日本における道教、神道と天皇制の争論」 、『中国社会科学 5』 、北京:中国社会科 学院、 P.79。 5. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(13) 彼らは仏教が世界で最も優れた宗教であり、仏教をさえ信仰すれば他の宗 教は無用である。仏教に比べて他の宗教は低俗であり、迷妄であり、宗教 の名に値しないと主張してきました 特に中国の道教に対しては激しい非難と攻撃を加え、中国の道教は単なる 鬼道―シャーマニズムでしかない。日本国にこのような低俗迷妄な鬼道が 宗教として存立しうる余地はなく、それは真の意味で宗教の名に値する仏 教によって超克されなければならないと主張してきました。」10. つまり、日本の古代史と古代宗教思想史に、道教とはおおよそ見るべき影響. 政 治 大. 関係を持たないと考えられてきたのは、仏教による影響がほとんどであると福. 立. 永は以上のように述べている。. ‧ 國. 學. 道教と天皇制の関係、特に天皇号の由来については、家永三郎によれば、天. ‧. 皇という語は中国の古典に見える。文化の移植として天皇号をとったのである。 『旧唐書』などの史書や『枕中記』などの道教経典その他に出典があるが、と. y. Nat. er. io. sit. くていできない。七世紀の文章と認められる天寿国繍帳銘・野中寺弥勒菩薩像 銘などが現存で最古の用例であり、七世紀に入ってからそれまでの「おおきみ. n. al. Ch. i Un. v. (大王)」に代わる公式称号として使用されるようになったという。. engchi. そして訓みについては、『古事記』から見ると歴代名をすべて天皇号で統一 してはいない。「すめらみこと」などの国訓が伝えられているが、「てんのう」 という音読がいつ始まったかは不明である。11以上のように、最古の天皇号の 使用は、七世紀の帳銘や像銘から確認できる。出典は『旧唐書』或いは道教の 経典であると言われている。 中国思想が神道への影響は認められてはいるが、上述のように様々な立場が. 10.福永光司(1982)、 『道教と日本文化』 、人文書院、PP.7-8。 11.家永三郎、 「天皇制」 、 『国史大辞典』 、 https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=30010zz335110(参照 2018-01-09) 6. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(14) 見られ、その過程もまた興味深いことである。本研究はこれらの研究成果を踏 まえつつ、加えて比較的立場を利用し、新しい比較的視点を見出し、それぞれ の立場を理解したうえで分析していきたい。. 第三節. 研究方法. 本研究論文の作成については、主に文献分析法を採用する。文献分析法は収 集したデータ、資料、文献を通じて、あらゆる角度から研究対象の本質と状態. 政 治 大 の歴史的動態をも掌握できるようになる。これから収集した内容を分析し、帰 立 を正確に把握する。これにより研究対象の一般的イメージを形成し、研究対象. ‧ 國. 再分析する。. 學. 納的に整理し、中国思想が神道への影響、お互いの背景、形成の原因を探究し、. ‧. まず、第二章「神道の形成および神仏習合」に神道の起源である古代神道に. sit. y. Nat. ついての先行研究を確認し、邪馬台国12、精霊崇拝、祭器の使用などを述べな. io. er. がら、その起源を探究する。次に中世の神道を両部分に分割し、神仏習合をテ. al. iv n C hengchi U 日本は古来、中国から多くの文明を受容してきたにもかかわらず、本地神への n. ーマに第三節のところに置き、具体的には村岡典嗣の『神道史』を中心とする。. 信仰は消えることなく、江戸時代に国学が勢力を拡大し、神道学者によって神 道の信仰の理論がたてられるようになった。なぜそうなったかということも非 常に興味深い問題であり、この点についても考察を深めていきたい。第四節で は、神道が仏教への反抗的姿勢について確かめたい。 第三章では中世の神道から近代神道の由来を考察し、さらに国家神道による 王権集中についても検討してみる。整備化と宗教化された中世神道については. 12.中国の史書『三国志』の魏書東夷伝倭人篇に記載され、伝えられる三世紀に倭にあった女王国の名 である。卑彌呼という女王によって支配される国である。 7. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(15) 第一節に集中する。また伊勢、垂加、古学、平田神道などの神道の教派の整理 もこの節で分析してみたい。第二節に奉公精神を基準として行動する武士の精 神指標、つまり武士道に秘められている神道思想を新渡戸稲造の『武士道』か ら確認し、分析する。最後に、神国思想のある国は日本だけではないが、今ま で一二六代の天皇が継承され、万世一系と呼べるまでになったのは世界中では 特例と言っても過言ではない。 このような思想、いわゆる国家神道に辿りつく理由だと考えられる。第三節 では、近現代国家神道の形成に、つまり昔ながらの「随神の道」から国家神道 へ成り変わった契機を見つけ出し、分析する。. 政 治 大. 第四章では福永光司の著書を中心に、神道と中国思想に類似する点および相. 立. 違する点を究明する。特に道教思想を中心に述べてみる。本研究は以上のよう. ‧ 國. 學. に、神道、天皇思想と中国思想に関連するテーマを中心に、神道と仏教、道教. ‧. の受容をまとめ、日本の神への信仰の歴史的な展開から天皇制への影響まで解 明したい。前提的な論述を羅列し、次に比較分析法によって比較検討を加える。. y. Nat. er. io. sit. 比較分析法は物事の本質を見極めることにより正確な意見、評価を出す分析法 であり、これによって影響の有無を前述の前提を踏まえて判断し、結論を見出. n. al. す。. Ch. engchi. i Un. v. 8. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(16) 第二章 第一節. 神道の形成および神仏習合. 神道に関する言葉の定義. 神道は昔ながら「かんながらのみち」だと言われている。随神の道というこ とばをまず確認しておくことにしよう。随神の道は、神代の昔から伝わり、神 慮のままで、まったく人為を加えない道である。神代から伝えられた、日本固 有の物の見方や考え方である。. 政 治 大 る。一つは、霊妙なる教えであり、人知でははかり知ることのできない不可思 立 引き続き、神道についても確認しておきたい。神道は二つの意味を持ってい. ‧ 國. 學. 議な道である。天地自然の道理である。もう一つは、前述した「随神の道」の ように、神代の昔から伝わり、神慮のままで、まったく人慮を加えない道であ. ‧. る。神道は日本固有の宗教で、『古事記』、『日本書紀』などに見える神代の故. sit. y. Nat. 事に基づいて、神を敬い、祖先を尊び、祭祀を行なうことという。平安時代以. io. er. 降はこれに儒仏二道や陰陽道13の影響が加わり両部、吉田、垂加などの流派が. al. n. iv n C hengchi U 鎌田東二の『神道のスピリチュアリティ』から、神道についてはこう言われ. 多くあった。. ている。鎌田によれば、神道とは日本固有の民族宗教で、アニミズムやシャー マニズムや八百万の神々の民俗信仰を基盤として習合的な歴史的展開をとげ た信仰と生活文化の総体であり、その具体的表現が神話と祭祀とその伝承の場 としての神社であるという。14 また、梅田義彦の定義によると、 「神道は、 『シントウ』と訓む。広い意味で は、神道も宗教信仰であるが、それはわが日本民族の発生とともに古い信仰で 13.陰陽五行説に基づいて、天文、暦数をつかさどり、吉凶を占うことを目的とした学問である。ま た、その学派である。 14.鎌田東二(2003)、 『神道のスピリチュアリティ』 、作品社、P.24。 9. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(17) あり、また日常生活の実践道である。」15と言っている。 以上のように、神道にはいくつかの属性がある。まず神道は「普遍教」でな く、「民族教」である。普遍教とは、仏教やキリスト教のように、国境や民族 などに拘らず布教されるものであるが、民族教とは、ユダヤ教、インド教、道 教、神道などのように、ある民族に限って信奉されるものである。 神道は教派を別にすれば、教祖を持たない自然発生的宗教であり、主として 日本人の間で行われている民族宗教である。その観念は基本的に多神教的であ って、神々に対する祈り、祭、修行、社会活動などを伴っている。そして神道 の信奉する神は一柱に限られている一神教とは違い、信奉する神が二柱以上あ. 政 治 大. るため、インド教と道教と同じく多神教に属し、原始的な宗教でもある。. 立. つまり、随神の道も神道も、神代からの伝わりで、日本固有で、神の思うが. ‧ 國. 學. ままに、人為を加えない道である。また、神道は宗教ではあるが、「教」とい. ‧. う文字を使わないのは、華道、剣道、茶道のように人が歩むこころの道であっ て、精神的で内面的な仕組みでできているからである。だが、神道に対する解. y. Nat. er. io. sit. 釈は曖昧で明白ではない状況である。以下、書籍によってその定義を確かめる。 「神道」ということばの定義について、津田左右吉の『日本の神道』から、. n. al. Ch. 歴史用語としての「神道」を確認する。. engchi. i Un. v. (一) 古くから伝えられてきた日本の民族的風習としての宗教(呪術も含め ている)。神の権威、力、はたらき、しわざ、神としての地位、神である こと、もしくは神そのもの。 (二) 民俗の風習としての宗教に何らかの思想的解釈を加えたもの(両部神 道、唯一神道、垂加神道)。 (三) 特定の神社で宣伝されているもの。 (四) 日本に特殊な政治もしくは道徳の規範としての意義に用いられる。. 15.梅田義彦(1974)、 「神道の歴史」 、 『神道の思想第一巻』 、雄山閣、P.12。 10. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(18) (五) 宗派神道(天理教、金光教)。 さらに、伊藤聡の『神道とは何か』によると、古代の神道は上記の(一)と (二)に当たり、現代のイメージでは、 (一)に近いと考えられる。16次に、上 田正昭の「神道の原像―日本文化の基層」によれば、 「神道」ということばは、 養老四年(七二〇)に成立した『日本書紀』において、はじめて見いだせると いう。 (一) 天皇弘法を信じ、神道を尊ぶ。 (二) 仏法を尊び、神道を軽んず。(生国魂神社の樹を伐りたまふ類是なり) (三) 随神(随神は神道に随ふを謂ふ。亦己づからに神道有るを謂ふ。). 政 治 大. これらの語は同時代の文献『古事記』、 『萬葉集』、 『風土記』に全く登場せず、. 立. 『日本書紀』のみの特殊語彙である。まず、最初の(一)は用明天皇の即位前. ‧ 國. 學. 紀に載っており、用明天皇が「日本の神を祀ること」をうけての表現である。. ‧. (二)は孝徳天皇即位前紀に載っており、孝徳天皇が難波の宮の造営のおりに、 生国魂神社の聖なる樹林を伐採しての利用を指しての記述である。最後の(三). y. Nat. io. sit. は大化三年(六四七)四月の詔のなかの「随神」に関する「随神道」と「自有. n. al. er. 神道」の注記であった。17. Ch. i Un. v. また、現代の我々は、「神道」を歴史過程のなかで見出されてきた称呼であ. engchi. るということを棚上げして、日本の民族宗教を指す語として使用している。 「神 道」に対して一般的に共有されている意味には、単なる民族宗教というだけで なく、日本人の心性の拠り所、あるいは道徳規範の源泉といったニュアンスを 含まれている場合が多いと指摘している。つまり、伊藤の視点では、神道を単 に民族宗教だと定義するは望ましくない。また、神道は「固有」、 「不変」とい うのではなく、「変容」するものだと言っている。. 16.伊藤聡(2012)、『神道とは何か』、中央公論社、PP.10-11。 17.上田正昭(2015)、 「神道の原像―日本文化の基層」 、 『國學院雑誌』 、P.30。 11. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(19) 神道の起源については、安蘇谷正彦の『神道とはなにか』はこう言っている。. 「神道の起源は、仏教やキリスト教などのような釈迦やキリストというよ うな創唱者がいないため、何年に始まったかを明確に決定するのがはなは だ難しい。ユダヤ教やインド人の大部分が信奉しているヒンドゥー教など の民族宗教は、その起源を明白にすることが困難であることと同様である」 18. 。. 神道の起源は、創唱者がいないため、特定できない状態にある。それだけで. 政 治 大. なく、神道の長い歴史において、神道を「ことばで説明する」という営みは極. 立. めて稀な現象であったことも挙げられるのである。その理由は、安蘇谷によれ. ‧ 國. 學. ばまず第一は、神道に決まった教典や定まった教義が存在しない。第二、神道. ‧. は、日本人の生活様式の構成要素ではあるため、神道との関係は無自覚であっ たことから、説明の必要もなくなるのであろう。第三では前述のとおり、神道. y. Nat. er. io. sit. の長い歴史においても神道信仰の言葉化は限られた人々の営みであり、神職も 神道を一般の日本人に積極的に説こうとしなかった、などと推測される。しか. n. al. Ch. i Un. v. しながら、長い歴史を有していることから、存続の期間を区切りすることは可. engchi. 能である。以下、第二節に神道の起源である古神道について分析する。. 第二節. 神道の起源―古神道. 神道の大もとは縄文人の思考に求められる。縄文人はあらゆる生き物に善良 な霊魂を持っているとする精霊崇拝(アニミズム)であった。どの民族も極め. 18.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、P.22。 12. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(20) て古い時代に精霊崇拝の段階を経験したという。19 古神道とは神道史の第一期で、奈良時代以前の神道を指すことが多い。仏教 との習合がまだはいらないものである。村岡典嗣の『神道史―日本思想史研究』 によると、神祇史と神道史はともに文献を対象に史的研究をしてきたのである が、神祇史には仏教神霊、風俗との混合が標準として分けられ、神道史には仏 教以外に儒教などの要素が加わる。20本章は神道史を主要的な研究対象にする。 さらに、村岡の神道史分類については、以下の四つに分けられる。 (一) 太古および上世(奈良時代まで) (二) 中世(平安、鎌倉、吉野、室町時代まで). 政 治 大. (三) 近世前期(江戸時代の中葉まで). 立. (四) 近世後期(明治初年まで). ‧ 國. 學. 第一期は古神道およびアニミズムの発達時代であり、第二期では、中世に仏. ‧. 教や儒教などに影響を及ぼされた神道を指す。この時期では、神道と仏教が習 合して学説が進んでいたもので、両部神道、伊勢神道、吉田神道などが完成さ. y. Nat. er. io. sit. れたと言われている。第三期では、神道は仏教を脱離しつつ、儒教などの思想 を取り入れて儒家神道となったのである。吉川神道、度会神道、垂加神道など. n. al. Ch. i Un. v. はこれに当たる。最後の第四期では、神道が学問上信仰上の独立を迎え、本居、. engchi. 平田派の神道および俗神道、教祖神道はこの時期に提出されたのである。 まずは古神道の前期に当たるアニミズムからまとめていきたい。アニミズム は、小林道憲の『宗教とは何か』から、その定義を確かめる。原始宗教の本質 は、アニミズムだと言われている。 アニミズムとは、人間ばかりでなく、ほかの動物、植物、無生物、それぞれ がそれぞれの魂を持ち、作用を及ぼしているという考え方で、霊魂そのものと. 19.武光誠(2000)、 「神道思想の研究―日本古代国家誕生と和の思想」 、 『明治学院大学教養教育センタ ー紀要 12 巻』 、東京:明治大学、P.1。 20.村岡典嗣(1956) 、『神道史』 、創文社、P.7。 13. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(21) 離れても存続することができ、それ自身の死滅もない。この世のあらゆるもの に霊力が宿っていると感じていたという。太陽や月や星、雷や風や雨、水や火、 川と山、動物と植物、洞窟や石、さらに弓矢のような道具にも、霊魂が宿って いると感じ、これを畏敬するのである。21 日本列島に人間が住み始めたようになったのは後氷期の末期である。つまり 二万年ほど前のことを指す。西暦前八〇〇〇年頃から縄文時代に入った。村上 重良の指摘によると、日本の宗教の始まりは、縄文時代の前である先土器時代 には石器での生活をしており、はっきりした宗教観念はまだ明らかではないが、 縄文時代に入ると土器がつくれるようになり、遺跡や出土した品が大量だった. 政 治 大. ため、この時期の人間の宗教観念を窺えるようになったと言っている。22. 立. 縄文時代の生活は、採集、狩猟、漁撈がほとんどであり、西暦前二〇〇〇年. ‧ 國. 學. にはグループ化された集落はすでに構成されていた。その遺跡から出土するも. ‧. のは土器もあれば石器もあり、それ以外でも骨角器もあった。そのなかには、 土版、土偶、石棒、勾玉、または宗教儀礼か呪術に使う石製の用具と骨角器が. er. io. sit. y. Nat. ある。. 日本最古の宗教遺物は縄文早期の上黒岩遺跡に出土した女性の土偶である。. n. al. Ch. i Un. v. 土偶のほとんどが女性像であり、女性の身体的特徴が強調されているのが生殖. engchi. 力への崇拝ないし信仰が窺われる。そこに特筆すべきものは墳墓である。縄文、 弥生時代の墓は大きく三つに分けられる。一つは土壙墓、土に埋葬するシンプ ルなタイプで、一つは甕にいれる甕棺墓、最後は石の箱にいれるという形の石 槨墓である。 埋葬される死体は手足を折り曲げられている状態で、死霊や亡霊などへの畏 怖だと考えている。また、副葬品には護符のような玉類の装飾品が呪術用具の. 21.小林道憲(1997)、 『宗教とはなにか』 、日本放送協会、P.26 。 22.村上重良(1981)、 『日本の宗教』 、岩波書店、P.2。 14. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(22) 機能として果たしているのである。 村上重良によると、縄文時代の宗教思想は世界の諸民族の原始宗教だとみら れるアニミズム(精霊崇拝)、マナイズム(人力を超える神秘的な力の信仰)、 自然崇拝、死霊崇拝などの原始的宗教観が存在し、様々な呪術が行われていた ものと思われる。以上によると、集団で祭りが行われており、宗教生活と宗教 観念がかなり整ったと言えるだろう。 弥生時代になると、稲づくりを基盤とする生産力の発展とともに、各地に小 さい国が生まれ、小国家が連合して広い地域を統一し、支配する連合国家があ った。そのなかに紀元五七年、九州北部の倭奴国の王が後漢の光武帝に使者を. 政 治 大. 送り出し、金印を授けられたという。この金印取得事件は中国の歴史書である. 立. 『後漢書』23に載っており、一〇七年にも使者を派遣していた。24. ‧ 國. 學. 二世紀の中葉から倭国に内乱が起こされたが、このような時期に内乱を鎮め. ‧. た女王の卑弥呼が現れ、三〇余りの国の連合を促した。二三九年に卑弥呼は中 国の魏明帝に使者を送り出し、貢ぎ物を捧げ、「親魏倭王」の称号を授けられ. y. Nat. er. io. sit. た。称号の意味は「魏に親しむ倭王」である。倭の諸小国の中にはこれ以前に も中国の王朝に通じ、「王」号を授けられたものもあるが、倭国全体の支配権. n. al. Ch. i Un. を対象とした「倭王」号はこれが最初であるという。. engchi. v. 「其國本亦以男子為王、住七八十年。倭國亂、相攻伐歴年、乃共立一女子 為王、名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫婿、有男弟佐治國。 自為王以來、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人給飲食、傳辭出入、 居處宮室樓觀、城柵嚴設、常有人持兵守衛。」25. 23.中国の後漢時代を記した歴史書であり、正史の一つである。合計一二〇巻ある。 24.村上重良(1981)、 『日本の宗教』 、岩波書店、P.9。 25.『三国志』魏書東夷伝倭人条。 15. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(23) つまり、卑弥呼は鬼道につかえ、よく衆を惑わしたと伝えられており、宮殿 の奥深くに住み込み、配偶者はいなく、弟がその補佐を担い、邪馬台国を統治 していた。また、鬼道ということは、シャマニズムのことであり、神を自らに 憑依し、神の意志を伝えるシャマンである。 松田智弘の『古代日本の道教受容と仙人』によると、 『三国志』26魏書の倭人 について記したところからは、卑弥呼がかなりの年齢の女性で、しかも独身者 であり、弟が補佐している様子をうかがうことができる。また、卑弥呼の住む 場所に出入りできるのは、特定の一人の男性だけであり、飲食の世話と、居処 の内外の話をとりつく役をしたというのである。卑弥呼自身は、ほとんど宮室. 政 治 大. に閉じこもったままであった。また、この卑弥呼を、神託を請う巫女とみるみ. 立. かたがある。27. ‧ 國. 學. 邪馬台国は、卑弥呼の死後、男王が立ったが、国が乱れたため、卑弥呼の娘. ‧. である壱与をたてて国を静穏にしたというのであり、卑弥呼自身の王位につい た事情と重なり、男性の政治的手腕により国を統治するのではなく、女性の巫. y. Nat. er. io. sit. 女的性格に負うところが明らかである。その巫女的性格とは、シャーマン的で あることを意味している。. n. al. Ch. i Un. v. また、シャーマニズムと呪術的要素の存在は、『古事記』と『日本書紀』の. engchi. 山幸彦・海幸彦伝説にも見える。兄より優れた能力を、弟が海宮から帰った時 に持っている話がある。山幸彦が海幸彦に叱れられ、海の宮に住み込み、兄よ り優れた呪術力を手に入れたという話だった。 これによると仏教が伝来以前の日本では、すでに神の観念が存在しているこ とは明らかである。仏教伝来を中心に、完全とは言い切れないが、ある程度組 織化された神話や儀式によって民族宗教が形成され、これが仏教受容の一般的. 26.中国の正史である。六五巻。晉の陳寿撰。魏・呉・蜀三国の歴史。魏志三〇巻、呉志二〇巻、蜀志 一五巻からなるのである。 27.松田智弘(1999)、 『古代日本の道教受容と仙人』 、岩田書院、P.99。 16. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(24) 基礎だと言われている。 以上述べたように、この民族宗教を「古神道」または「原始神道」と称呼し ている。その源流を明確に確かめることはまだできていない状態であり、固有 信仰の最も原始的な様態というアニミズムである。その起源の立証は縄文時代 の資料によるものだと考えられる。 弥生時代に入ると農耕時代が開始され、農耕の儀礼やシャーマニズムが伝来 し、もともと存在していた神の観念と儀礼に大きな影響を及んでいたという。 農耕儀礼は古来の祭祀の基本形式として継承され、シャーマニズムは、神の降 臨の思想や憑依・託宣の風習を固有信仰の中に定着させたという。ついで古墳. 政 治 大. 時代前期には農業技術が発達し、生産力が飛躍的に増大した結果、階級社会も. 立. 成熟をとげ、統一国家が形成された。また、農業社会が安定した世代を重ねる. ‧ 國. 學. と、耕地や灌漑施設など、先祖の恩恵が強く意識されるようになる。原始神道. ‧. を特色づける祖先祭祀(氏神信仰28)は、この時期、このような条件のもとに 急速に成長したものである。. n. al 神仏習合の中の神道 Ch. engchi. er. io. sit. y. Nat. 第三節. i Un. v. 現在では、部分的な神社でも、無病息災などを願う護摩焚き神事を開催して いる。護摩焚きは一般的に寺院で行われるもののはずであるが、神仏習合の名 残りで行われている。神仏習合の影響は、神仏分離ののちにも特定のところで 明らかに表現されていることが、興味深いことである。 明治元年(一八六八)三月十七日「神祇事務局ヨリ諸社ヘ達」という法令で、 明治政府は従来の仏教政策を否定し、神道国教化政策が進んでいた。その過程. 28.主に氏人がまつる、氏族と関係の深い神や氏族の祖先神などである。また、村落共同体が共通の守 護神として祭る神。 17. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(25) で神社の中から仏教的色彩を排除しようとしたことが、神仏分離政策である。 明治元年より神仏分離政策が発布される前に、仏教と神道はこのような複雑 状況にいたことは考えられる。しかしながら、神仏分離の終わった現在でも神 社と寺院を混同してしまうことはあるという。通説は、「本地垂迹説」がほと んどで、神道をメインにする学説をなかなか窺えることはできない。このこと に関しては、おおよそ神仏習合=本地垂迹という枠組みで神仏関係を捉えてい る。また、神道の歴史から神仏習合の歴史的影響抜きでは全貌が見えないため、 次節では、神仏習合の基盤的研究を確認したうえに、神道の反動的な作為をい くつか引き出し、通説とは相違する視点で神仏関係を考察する。. 立. 政 治 大. 3-1 神仏習合に関する基本論―時代順. ‧ 國. 學 ‧. 神仏習合を完全に解明することは非常に難しいことであり、「神」という言 葉に関しては、公家29、武家30、民衆、朝廷など、様々な立場によって異なる観. y. Nat. er. io. sit. 念と視点が存在する。また仏教には、神に対する視点がそれぞれ存在しており、 布教の地域も多様であるため、かなり複雑な要素が含まれている。また神仏習. n. al. Ch. i Un. v. 合は歴史的に考えるとかなりの比重を占めている。全部の学説や理論をまとめ. engchi. ることは困難である。前述の理由で、以下、小林正博の『日本仏教の歩み』か ら、時代別に分けた神仏習合の状態、またはまとめた理論を引用する。 (一) 飛鳥時代―氏族の仏教(仏と神は同格としてみなされる) 六世紀半ばに仏教が公伝すると、仏を番神と捉えているので、仏は独自のも のとみなす認識はまだ醸成されておらず、仏は神の一種として受容される。し かし、仏教を信奉する氏族は急激に増え、氏族の寺院、すなわち氏寺が建立さ. 29.天皇そのもの、さらに天皇を中心とする朝廷をいう。または朝廷に仕える人々である。 30.武士の家筋であり、武門である。また、中世以後の幕府、将軍家、およびそれに仕える守護、地 頭、御家人以下の一般の武士の総称である。 18. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(26) れる。 (二) 白鳳時代―国家の仏教(仏と神の違いが明確になる) 天武・持統期は日本と天皇が始まる時代であり、天孫たる天皇を位置づける 根拠として天照大神・伊勢神宮に対する崇拝が強調される。皇室の祭祀神祇信 仰に則り天皇主催行事となっている。一方、持統天皇の仏教政策を見ると、国 立寺院、すなわち官寺の建立(再建された法隆寺や薬師寺)や官僧の育成を制 度化する。仏教は氏族の仏教から国家の仏教へとその地位を高めている。 (三) 奈良時代―天皇の仏教と神仏習合(仏は神を吸収し、神は仏を護る存 在. 政 治 大. 仏教の圧倒的な教義体系を前に、体系なき神祇信仰は包み込まれていく。神. 立. は苦悩する存在であり、その苦しみを脱するために仏を求め、仏に救われるこ. ‧ 國. 學. とにより仏を護る役割を果たすという神祇観、すなわち「護法善神」が広まっ. ‧. ていく。これを「神仏習合」という。神仏習合のもとでは神々は僧侶が読誦す る神前読経により生命力を蓄え、仏教を護る善神として仏に従っている。称徳. y. Nat. n. al. er. io. り」とある通りである。. sit. 天皇のみことのりにも「仏の御法を護り尊みまつるは諸々の神たちにいましけ. Ch. i Un. v. ただし、この考えは中国の仏教にすでに存在し、日本で創作された概念では. engchi. ない。神仏習合の具体的な形として、寺院に隣接する鎮守、神社に建立された 神宮寺が現れる。比叡山と日吉大社、興福寺と春日大社は神仏習合の典型例で ある。31 以上のように、仏教が最初伝来する際には、日本本来の神とはまだ同格であ ると見做されている。しかし、奈良時代に入ると、形の薄い神道はだんだん堅 実な教義体系を持つ仏教に吸い込まれ、最終的に「神仏習合」により仏教を護 持し、仏よりも下という存在となった。有名な神宮寺もこの時代より出現した. 31.小林正博(2009)、 『日本仏教の歩み』第三文明社、P.192。 19. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(27) という。次に平安時代から神仏習合について述べてみる。 (四) 平安時代―本地垂迹(仏は本体、神は影ということから神の本地は仏 にする) 神の地位の低下は、逆に仏の絶対化へとつながる。護法善神たる神の力の源 が仏教にあるという神仏習合はさらに進んで、護法善神そのものの本源的存在 は実は仏であるという本地垂迹説へと進展する。本地垂迹の理論的根拠は『法 華経』に求められる。すなわち『法華経』では、前半は垂迹の仏であるインド 応誕の釈迦による説法であり、後半は本地の仏である久遠の釈迦による説法が 展開されている。これを垂迹の神と本地の仏という仏神観に発展させたのであ る。. 立. 政 治 大. この本地垂迹説は日本独自の神仏観といってよく、当時の日本仏教が主体的. ‧ 國. 學. に提示した仏神の勝劣観である。しかし、これによって神の地位は低下したと. ‧. いうより、仏教によってむしろ引き上げられたと考えるのが妥当である。八幡 大菩薩というように、八幡神は仏に準ずる菩薩という高みに引き上げられたの. er. io. sit. y. Nat. である。. (五) 鎌倉時代―起請文. n. al. Ch. i Un. v. 鎌倉の武家政権の神祇観はよく表れているものに、最初の武家法となった 32. engchi. 『御成敗式目』 がある。それは第一条第一項に「神社を修理し祭祀に専らに すべき事、神は人の敬うに依って威を増し、人は神の徳に依って運を添う」と あるように、神祇信仰の励行から始まる仏教は第二条だから神祇優先がうかが える。そもそも鎌倉武士団の精神的支柱は鶴岡八幡宮であったから、八幡神(八 幡大菩薩)の加護に依って立つ幕府の安泰が第一にあったのである。(中略) 鎌倉時代は密教を主流として、念仏、禅などの新興の仏教も出現し、仏教への 帰依も篤いが神祇信仰も劣らず武家社会の中に浸透していたことがわかる。. 32.鎌倉幕府の基本法典、初の武家法である。 20. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(28) (六) 南北朝時代―神国日本 短期間ではあったが後醍醐の天皇親政の復活は、皇祖神を祀る伊勢信仰と神 国日本が宣揚され、神道教義の体系化が進められていく契機となった。すでに 鎌倉時代までの成立とされる神道五部書が現れ、そこでは神を仏より上位に位 置づける理論が表明されている。伊勢外宮の神官であった渡会家行は、外宮の 祭神である豊受大神を内宮の天照大神より根源的な神であると説き、結果的に 伊勢神宮信仰の底上げにつないでいく。 (中略)また天台僧であった慈遍は『旧 事本紀玄義』33を著し、神道は根であり、儒教は枝葉、仏教は花実に過ぎない とする根葉花実説を立て、神道の優位性を主張した。. 政 治 大. (七) 室町時代―逆本地垂迹(仏の本地こそ神であるという神道論の出現). 立. 吉田家は「神祇管領長上」という職階に就いて権勢を誇り、全国の神社の格. ‧ 國. 學. 付け、神官の人事を掌握し、神道史の画期を成した。それ以上に理論面では本. ‧. 地垂迹説に対して逆本地垂迹説を標榜する。これを神本仏跡論という。 (八) 江戸時代―国学の古神道. y. Nat. er. io. sit. 安土桃山時代、天下統一を成した豊臣秀吉を豊国大明神として祀ったのは吉 田神道であった。死去した徳川家康に対しても、吉田神道は大明神号を贈ろう. n. al. Ch. i Un. v. としたが、幕府は天台僧の天海の主張を取り入れ、東照大権現の神号を贈って. engchi. 日光東照宮に祀った。しかし吉田神道は幕府の神道統制に加担し、室町時期以 来の権限を保持している。一六六五年の『諸禰宜神主法度』は、吉田家が神道 社会に君臨することを保証するものであった。そして全国の鎮守の祭神から菩 薩や権現などの仏教色を廃し、明神号に改めさせ神仏習合を否定した。 吉川惟足に学んだ山崎闇斎は垂加神道を立て、尊皇思想を唱えた。江戸時代 の神道理論において重要なのは、国学者によって古神道の理論体系が提唱され たことである。日本人がもともと持っていた独自の思想が存在したことを前提. 33.当書は神本仏迹論を説き、神道の政治論を展開して皇位、神器について説いている。 21. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(29) に、朱子学34、陽明学35、古学36、あるいは仏教のような外来の思想・宗教に依 らずに日本の伝統的思想の継承を宣揚するものであった。 (九) 幕末時代―伊勢信仰(尊王論と皇室の神・天照大神の結びつきから神 道が仏教を凌駕していく) 幕末になると明治政府の廃仏毀釈を先取りしたような弾圧が、水戸藩で断行 されている。水戸藩は一八四三年に寺院整理をし、百九十カ寺を廃寺にし、翌 年神道に対して氏子帳の作成を命じ、仏教寺院の宗門改めを廃止した。さらに 仏葬祭を神葬祭に改める方針を打ち出すなど、廃仏政策を徹底する。この唐突 な変革は失敗に終わるが、のちの明治政府の採った宗教政策と重なるものであ. 政 治 大. り、興味深いものがある。(中略)その伊勢神宮の内宮の祭神は天照大神であ. 立. る。もちろん近世のお伊勢参りには天照大神とその末孫たる天皇という認識が. ‧ 國. 學. 明確にあったわけではないが、明治政府は昂揚する伊勢信仰ブームを最大限に. ‧. 利用して天皇の神格化を周知徹底することで神道イデオロギーの確立をめざ そうとしたのである。. y. Nat. n. al. er. io. く). sit. (一〇) 明治時代―廃仏毀釈(国家主導の神道の発展が仏教界を侵食してい. Ch. i Un. v. 維新政府は国家主導の神道重視路線に則り、次々に神道政策を打ち出した。. engchi. それは天皇を頂点とする国家の宗教を新たに創出する大胆な試みであった。こ れは少なくとも古来、日本人の心の中に宿っていた古神道の復活ではなく、国 家が立案した神道なのである。この意図的な国家的神道体系のもとで、仏教は 苦しい立場に追い込まれていく。. 34.中国で宋の時代に周敦頤、程明道、程伊川などに始まり、朱子に至って大成した儒教の学説であ る。 35.中国で明の時代に王陽明が宋の陸象山の説を継承して唱えた学説である。人は生来備えている良知 (是非・善悪・正邪の判断力)を養って、知識と実践とを一体化すべきだとするものである。 36.江戸時代に起こった儒学の一派。朱子学、陽明学などの性理学に対して、宋代の注釈によらず、経 書の直接研究により孔孟の真意を探究しようとするものである。 22. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(30) 慶応四年(一八六八)三月、維新政府は神仏分離令を発する。これが民衆レ ベルに降りると廃仏毀釈となり、仏教は存亡の危機に直面した。政府は神祇官 37. を新たに置き、太政官の上に位置づけ祭政一致に突き進んだ。寺領没収や神. 葬祭の徹底まで打ち出され、仏教界は経済的にも追い込まれていった。しかし 神葬祭は民衆の支持を得られずに失敗し、仏教界は最後の砦ともいうべき葬送 儀礼だけは死守できたが、かえって葬式仏教体質を決定づけてしまう。38 以上のように、神仏習合を単に団塊的な概念ではなく、線形に伸展すること ができる。各時代はそれぞれの理論や文化によって影響を及んでいる。しかし、 神仏習合の歴史上の流れに、特に注目すべきものが、奈良時代の護法善神思想、. 政 治 大. 平安時代の本地垂迹説、および明治時代の廃仏毀釈、どれも周知されてはいる. 立. が、その反面、神道側の抵抗姿勢はなかなか見られない。. ‧. ‧ 國. 學. 第四節. 仏教を忌む神道の姿. er. io. sit. y. Nat. 前節のように、奈良時代の「護法善神説」、平安時代の「本地垂迹説」、およ. n. al. Ch. i Un. v. び明治の「廃仏毀釈」は神仏習合を代表する説としてよく知られている。神仏. engchi. 習合とは、日本の原始的信仰と仏教が融合した宗教の現象であって、それによ って独自の教義が生み出された。日本以外の地域でも異なった宗教の触れ合い で新しい信仰を生み出すことはあったが、日本は千年以上の折衷が続けられた 結果で、歴史や風土に適した形に変わり、独自の習合文化が誕生したのである。. 37.令制で、朝廷の祭祀を執行し、鎮魂祭、大嘗祭、卜兆などの神事を取り扱い、官社の祝部と神戸を 監督する官司である。伯、大、少副、大、少祐などの職員がある。また、明治元年(一八六八)に置 かれた七官の一つ。神祇、祭祀、祝部、神戸に関することをつかさどった。知官事、副知官事、判官 事、権判官事、書記、筆生、使部の職員を置く。同四年の八月八日に神祇省と改称し、他の省ととも に太政官の下に列せられた。 38.小林正博(2009)、 『日本仏教の歩み』 、第三文明、PP.192-196。 23. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(31) 日本における神仏習合は、平安時代の初期より一八六八年(明治一年)までに 存したものである。 仏教が日本へ伝来以降、聖徳太子の積極的な仏教奨励策、また仏教そのもの 同化性のあったことも影響して、白鳳時代ころより神前で読経・写経などが行 われ、天平時代より日本の神は仏道に帰依し、修行しようと欲しているものに なり、そのための場として、神社に付属して神宮寺を建立したことなどは、神 仏調和というべきことである。 仏教がすみずみにまで浸透すると、固有の神祇信仰との間にさまざまの関係 および交渉が生じた。これを大別して二つとする。一は仏教との対決を通じて. 政 治 大. 固有信仰の自己形成が行われたことであり、他は神仏の接近と融合、いわゆる. 立. 神仏習合現象が見られたことである。39. ‧ 國. 學. 次に神仏習合現象について見ると、神宮寺を建立し、神前で読経することは、. ‧. 神も迷える衆生であり、仏法を信じ、それによって神身を離脱しようとするこ とを願うという思想にもとづいたものである。奈良時代中期になり、この思想. y. Nat. io. sit. がさらに進んで、神は仏法を悦び、仏法を擁護する護法善神の思想が出てきた. n. al. er. のである。平安時代になると、最澄40が比叡山の鎮守として日吉山王を祀り、 41. Ch. i Un. v. 空海 が高野山の地主神として丹生明神を祀ることをはじめ、天台と真言の両. engchi. 宗は神仏習合観を積極的に推進し、これを有力な道具に、神祇信仰に閉ざされ た地方共同体社会の内部に仏教を拡張したという。42 平安時代中期以降、特に院政期には神仏習合思想の発達が著しく、神仏関係 について仏教教理にもとづいた種々の解釈がためされたようになり、天台系を. 39.村山修一、 「神仏習合」 、国史大辞典、JapanKnowledge、https://japanknowledge.com 、 (参照 2019-09-20) 40.平安時代の僧侶である。日本天台宗の祖。諡号伝教大師。叡山大師ともいう。 41.平安時代前期の真言宗僧である。 42.村山修一、 「神仏習合」 、国史大辞典、JapanKnowledge、https://japanknowledge.com 、 (参照 2019-09-20) 24. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(32) 山王神道に、真言系を両部神道にしたという。また、伊勢の本地は大日如来、 八幡神の本地は阿弥陀という付会説が行われ、これを本地垂迹説という。こう して神は迷える衆生とする考えから、神は仏の化現であり権現であるとする思 想が生み出されたのである。 以上のようにまとめると、やはり奈良時代の護法善神説、平安時代の本地垂 迹説が代表的である。そのために、本章はこれから神道がこの神仏習合の流れ で採取した対抗的姿勢を引き出し、考察する。. 4-1 神仏習合の流れで、神道が採取した抵抗的姿勢. 立. 政 治 大. 神仏習合の定着とともに、神と仏が一体になり、このような見方が普及され、. ‧ 國. 學. 神は仏の影になった。神は仏教を護るという護法の善神として、仏、菩薩より. ‧. 下の存在になっており、伊勢神宮や出雲大社など、格高い神社では、仏教化を 拒む伝統が生み出された。しかしながら、ほとんどの有力神社では、主導権が. y. Nat. 社の神職、社人が従属するようになった。43. n. al. Ch. er. io. sit. だんだん神宮寺に移ってしまい、別当寺の僧侶である社僧、別当のもとに、神. i Un. v. ここからみれば、伊勢神宮や出雲大社のような格別なやしろを除き、ほとん. engchi. どの神社は仏教化され、有力神社も例外なくそうなったが、仏教化される流れ の中でも、それを抵抗して神道の優位性を唱えている伊勢神道という教派があ った。 神道家による神道思想の展開の濫觴となったのが伊勢神道である。中世に起 こった伊勢神道は、伊勢神宮の外宮の神官が唱えた神道思想で、また外宮の神 官を代々務めた家が渡会家であったため、「渡会神道」と呼ばれている。そし. 43.村上重良(1981)、 『日本の宗教』 、PP.66-67、岩波書店。 25. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(33) て伊勢神道の「聖典」というべき書が『神道五部書』44であり、それは『天照 坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』45、 『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』46、 『豊 受皇太神御鎮座本紀』47、 『造伊勢二所太神宮宝基本記』48、 『倭姫命世記』49の 五書を指す。 この五つの書物の共通内容は、書名から推測することができる。神宮の内宮 と外宮の縁起、その由来を述べているということである。神宮の縁起書はなぜ 神道思想の書物と言えるのだろうか。安蘇谷正彦の見方からすれば、その理由 は外宮の御祭神である豊受大神の神位の高揚を図るために独自の主張が見え ることという。また、断片的ながら、神道思想の上で重要な神道論や人間観が. 政 治 大. 窺われる。しかもそれらの説がのちの吉田神道や垂加神道に影響を与えたと考 えられるからである。50. 立. ‧ 國. 學. 前述のように、伊勢神道に対して、神道五部書はその「聖典」に当たる存在. ‧. である。そして、何故この「神道五部書」を作成したのかは、外宮祭神・豊受 大神51の神位の高揚が目的であると引用文の通りであるが、その内容に入る前. sit. y. Nat. io. 書の総称である. er. 44. 鎌倉時代の神道書。伊勢外宮の神官の間で形成され、伊勢神道(度会神道)の経典とされた五部の. al. n. iv n C ものであり、内外両宮の祭神の神格と、両宮の伊勢鎮座に至るまでの次第を述べた書物である。 hengchi U 46.著者は奈良時代以前の彦和志理命に仮託されているが、鎌倉時代の外宮神官によって作られたもの. 45. 著者は奈良時代以前の阿波羅波命などに仮託されているが、鎌倉時代の外宮神官によって作られた. で、伊勢二宮の鎮座次第を述べ、猿田彦神の子孫の大田命の託宣に付会して、天照大神の祭祀と五 十鈴川上鎮座の由来を説き、豊受大神との関係を述べており、伊勢神道の教説がよく出ている。伊 勢神宮の歴史を記す書物である。 47.外宮の神官によって作られたと考えられ、度会行忠を作者と見る説があり、外宮の沿革と両宮の関 係を述べ、外宮の祭儀を説明する書物である。 48.遷幸、鎮座、造宮、仮殿、遷宮など、両宮の殿舎の造営や形について神秘的な解説を加える書物で ある。 49.伊勢鎮座以前、倭姫命が天照大神の神体を奉じ、その鎮座地を求めて各地を巡幸する伝承を記すも のである。また、その中に伊勢神宮の伝統的奉仕態度であった清浄や正直などの神道教理を説く書 物である。度会行忠を作者と見る説がある 50.安蘇谷正彦(1994)、 『神道とはなにか』 、ぺりかん社、P.151。 51.伊勢神宮の外宮豊受大神宮正宮に奉斎される神であり、和久産巣日神の子である。 26. DOI:10.6814/NCCU202001532.
(34) に、一つの疑問は残っている。それは偽書だと判断されていることである。. 「この問題については、江戸時代の中頃に活躍した吉見幸和が、一つの回 答を提出している。垂加神道に入門したこともある幸和は、晩年考証学に すぐれた業績を発表する。近世初期に至るまで神道家の中で重んじられた 『神道五部書』を批判的に研究し、五部書は奈良時代以前に編集されたと いう奥書を有するが、一三世紀につくられた偽書であったことを論証した。 それが有名な『五部書説弁』52である。同書の中で幸和は、外宮祠官が五部 書を編作した理由、外宮への信者をより多く獲得するため外宮祭神・豊受. 政 治 大. 大神の神位高揚をはかろうとして、豊受大神は天御中主神や国常立尊と同. 立. 一神であるなどの新設を設ける必要があった。」53. ‧ 國. 學 ‧. しかしそれを偽した理由は豊受大神の神位高揚であるため、単なる仏教への 反動的な作為や忌仏思想の発掘材料として、影響はないと本研究は判断してい. y. Nat. er. io. sit. る。また、偽書であると言われても、ある程度は当時当代の神道家の思想を反 映することができるため、以下、伊勢神道に出現した忌仏思想や排仏思想の源. n. al. Ch. となる部分を引き出してみたいと考えている。. engchi. i Un. v. 伊勢神道の神仏関係を考える場合、「屏仏法之息」ということばをどのよう に理解するかが一つのポイントとなるであろう。以下、神道五部書の中から関 連部分を摘出してみよう。. 「神垂以祈禱為先。冥加以正直為本。夫尊天事地。崇神敬祖則不絶宗廟。 經綸天業。又屏仏法息奉再拜神祇。(『倭姫命世記』). 52.吉見幸和著。伊勢神道の根本書とされて来たいわゆる『神道五部書』を批判し、その偽書たること を論じた書物である。 53.安蘇谷正彦(1994)、 『神道とはなにか』 、p.152、ぺりかん社。 27. DOI:10.6814/NCCU202001532.
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