第五章 降臨神話と天皇号
第二節 天皇号と璽
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れている。前述の真人と神器の詳細ついては、次節にまとめていきたい。
第二節 天皇号と璽
天皇には、日本固有の「テンノウ」と中国古代の「テンコウ」とは区別でき る二種の概念だと福永光司が言っている。中国古代の天皇は、中国の秦、漢の ころから、六世紀の梁、陳の頃までであり、日本の時代観からみるとだいたい 弥生時代から古墳時代、つまり紀元前三〇〇年ごろから紀元後六〇〇年頃まで の間で、宇宙の最高神とされていた天上世界の神の名称である。148
それは宇宙の最高支配者という意味で、全称では、天皇大帝と呼ばれている。
周知のとおり、日本の天皇も第二次世界大戦の敗戦までは神、現人神と呼ばれ ており、敗戦後は人間宣言をしていたが、それまでは天皇大帝と同じように神 であったと福永が指摘している。149さらに福永によれば、このような神として の天皇は、古くは「オオキミ」と呼ばれ、王、または大王という漢字が当てら れている。
記紀には神武天皇以来天皇を以て呼ばれるが、それは記紀の編者によって書 かれたものであり、いつから使われたかの証拠とはならない。推古天皇朝の金 石文の銘文に天皇号が見えるから、推古天皇の時期では天皇号を用いられたの は確実であるという。それは、法隆寺金堂薬師像光背銘に、「池辺大宮治天下 天皇」(用明天皇)、「小治田大宮治天下大王天皇」(推古天皇)がみえ、推古十 五年(六〇七)に造ったとあるのが最大の論拠であると大津は言っている。150 つまり、推古朝の時期では、仏像に「天皇」と書く銘文があったということ
148.福永光司(1978)、「天皇と真人」、『道教と古代の天皇制』、徳間書店、P.17。
149.福永光司(1978)、「天皇と真人」、『道教と古代の天皇制』、徳間書店、PP.17-19。
150.大津透(1999)、『古代の天皇制』、岩波書店、PP.3-5。
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である。津田左右吉の説明からも、日本の「天皇」という称号は当然ながら漢 語であり、それに当たる和語すらもないという記述が見え、さきほどの解釈を 裏付けた。さらに、「すめらのみこと」というのが和語の称号であり、『隋書』
「倭国伝」の記載によると、「たりしひこ」という語も称号として用いられた かと思われるが、それは「天皇」という漢語とは意義の上に何等の関係のない ものであるとという。151
天皇という称号が採用せられたのは、それに宗教的意義が含まれているから であって、その直接の由来が道教にあるということは、かなりの可能性があり、
唐の高宗の時にこの称呼が用いられたのも、道教から来ている。『旧唐書』「高 宗本紀五」上元元年八月の条に「皇帝は天皇と称し、皇后は天后と称す」152と ある。また、唐の皇室が李氏であるために老子を特に尊敬したことは周知の事 実である。そして老子が道教の祖として一般的に考えられていたと津田が言っ ている。153
中国の「皇帝」と日本の「天皇」との違いについて、ここでは上山治平の説 明をみていきたい。「皇帝」と「天皇」の違いは、律令の上で比較するのであ り、律令により国家構造の根本的な違いが明らかに見られると思われる。上山 によれば、中国の皇帝には、三つの機関がそれぞれ独立に直属している。それ は中書省、門下省、尚書省のことである。中書省は詔勅を起草し、皇帝の意思 表示を助ける機関であり、皇帝の周りの貴族集団の意見を反映させる機関が門 下省である。最後の尚書省は、執行の機関であるという。強い独裁権力のもと に、それぞれ孤立して直属しており、皇帝の独裁が実現されるシステムとなっ ている。
日本の天皇の場合は、神祇官と太政官二つの機関が直属している。太政官と
151.津田左右吉(1996)、『道教と日本第一巻―道教の伝播と古代国家』、雄山閣、P.25。
152.劉昫(2000)、二十四史大系『旧唐書』、北京:中華書局、P.67
153.津田左右吉(1996)、『道教と日本第一巻―道教の伝播と古代国家』、雄山閣、P.38。
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いうのは、中国の三省を一本化する統一的な機関である。神祇官というのは、
祭祀を司る官庁であるが、中国では、祭祀関係の官庁は尚書省のひとつの部局 にすぎないのに対して、日本では、それが中書省、門下省、尚書省を一本化に した形の太政官と対等のような形になっていると上山は指摘している。154
政治については、ほとんど太政官が最高決議機関として決定している。ここ でも高級官僚の人事が処理できる。中国では高級官僚の人事は皇帝が直接進級 させ、または任官させる。日本の場合では、太政官がほとんどの人事が処理で きる構造になっている。最終の決議も、太政官によるものである。その上には 当然ながら天皇がいるわけであるが、かなり大幅に天皇の政治を代行できる仕 掛けになっている。天皇のもとには、不可欠な機関として、神祇官という祭祀 の機関がある。中国では、祭祀関係の機関は尚書省の下にある一つの部局とし て役割が小さい。155
以上の説明をまとめてみれば、日本の官庁の設置から、祭祀という機能を備 える神祇官が非常に大きい役割を持っている。日本の天皇というものは、祭祀 というものに非常に大きな役割を担われた君主である。政治の方は、概ね太政 官に任せ、祭祀の方の比重が重く、政治の方の比重が軽くなった皇帝像であり、
祭祀者的な機能は強いというものであると上山が言っている。156
ここまでの内容からみれば、天皇は祭祀者的な機能が強い一方で、自らの神 性の高揚をも図っている。本節の冒頭にも言及したように、天皇という称号は 道教の最高神にあたる天皇大帝に深く関わっている。最高神のことについては、
福永光司の説明を引用する。
「ところで天皇大帝と申しますのは、もともと北辰の星、すなわち北極星
154.上山春平(1978)、「天皇制と祭祀」、『道教と古代の天皇制』、徳間書店、PP.106-107。
155.上山春平(1978)、「天皇制と祭祀」、『道教と古代の天皇制』、徳間書店、P.108。
156.上山春平(1978)、「天皇制と祭祀」、『道教と古代の天皇制』、徳間書店、P.108。
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を神格化したものです。だいたい、紀元前三世紀、中国の戦国時代の終わ りごろから発達してくる星占術的な天文学のなかで、天体観測の最高基準 になる北極星が神格化されて天皇大帝が出現してきます。そして紀元六世 紀の後半―日本の古代の古墳期の終わりごろ―までは、宇宙の最高神とし ての座を占めますが、道教の最高神として元始天尊が出現しますと、その 地位を新しい最高神である元始天尊に譲るようになります。
道教の最高神としての元始天尊は、もともと老子もしくは老子の説く
「道(ダオ)」の真理をのちに神格化したものです。(中略)元始天尊が六 世紀後半ごろ道教の最高神として出現しますと、それまでの最高神「天皇 大帝」は格下げになります。」157
つまり、もともと宇宙の最高神である天皇大帝は、「道」という哲理的概念 が神格化される神が出現し、格下げされたとのことである。続いては、「天皇」
という称号に顧みていきたい。福永光司の説明によると、『日本書紀』に天武 天皇は中国風の諡を有している。それは「天渟中原瀛真人(あまのぬなかはら おきのまひと)」である。
中国から来たものという根拠であることは、瀛という字からはっきり見られ る。また、瀛は司馬遷の『史記』始皇本紀に載っている神仙の住む海中の神山 である。紀元前三世紀に、徐福という道士が秦の始皇帝の命を受け、童男童女 数千人を引き連れ、海中の蓬莱、方丈、瀛洲という三つの神山に仙人を探し求 めたという話があった。「天渟中原瀛真人」という諡は、三神山の一つである 瀛洲に住む真人という意味である。158
真人を天上の神仙世界の高級官僚として侍らせながら、紫宮に宇宙の最高神 として住む天皇、すなわち天皇大帝の聖なる権威を象徴する二種の神器が鏡と
157.福永光司(1978)、「天皇と真人」、『道教と古代の天皇制』、徳間書店、PP.20~21。
158.福永光司(1978)、「天皇と真人」、『道教と古代の天皇制』、徳間書店、PP.20~21。
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161.福永光司(1982)、『道教と日本文化』、人文書院、P.14。
162.藤原不比等らが「大宝律令」を改修した律と令である。
163.令の篇目である。養老令では第六篇、二〇条からなる。神祇信仰に基づく公的儀礼の大要を定めた ものであり、神祇官が行う恒例の祭の一覧に始まり、天皇の代替わり、または儀礼、官司、官人に よる祭祀運営の細則、中央・諸国で行われる大祓と神社財政などについて定めている。
164.福永光司(1982)、『道教と日本文化』、人文書院、PP.9-10。
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習わしてきたという。後にもみえるように、八咫鏡は伊勢神宮、草薙剣は尾張 の熱田神宮、八尺瓊勾玉は宮中に、それぞれ奉安されてきたという。165
習わしてきたという。後にもみえるように、八咫鏡は伊勢神宮、草薙剣は尾張 の熱田神宮、八尺瓊勾玉は宮中に、それぞれ奉安されてきたという。165