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第二章 神道の形成および神仏習合

第四節 仏教を忌む神道の姿

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慶応四年(一八六八)三月、維新政府は神仏分離令を発する。これが民衆レ ベルに降りると廃仏毀釈となり、仏教は存亡の危機に直面した。政府は神祇官

37を新たに置き、太政官の上に位置づけ祭政一致に突き進んだ。寺領没収や神 葬祭の徹底まで打ち出され、仏教界は経済的にも追い込まれていった。しかし 神葬祭は民衆の支持を得られずに失敗し、仏教界は最後の砦ともいうべき葬送 儀礼だけは死守できたが、かえって葬式仏教体質を決定づけてしまう。38

以上のように、神仏習合を単に団塊的な概念ではなく、線形に伸展すること ができる。各時代はそれぞれの理論や文化によって影響を及んでいる。しかし、

神仏習合の歴史上の流れに、特に注目すべきものが、奈良時代の護法善神思想、

平安時代の本地垂迹説、および明治時代の廃仏毀釈、どれも周知されてはいる が、その反面、神道側の抵抗姿勢はなかなか見られない。

第四節 仏教を忌む神道の姿

前節のように、奈良時代の「護法善神説」、平安時代の「本地垂迹説」、およ び明治の「廃仏毀釈」は神仏習合を代表する説としてよく知られている。神仏 習合とは、日本の原始的信仰と仏教が融合した宗教の現象であって、それによ って独自の教義が生み出された。日本以外の地域でも異なった宗教の触れ合い で新しい信仰を生み出すことはあったが、日本は千年以上の折衷が続けられた 結果で、歴史や風土に適した形に変わり、独自の習合文化が誕生したのである。

37.令制で、朝廷の祭祀を執行し、鎮魂祭、大嘗祭、卜兆などの神事を取り扱い、官社の祝部と神戸を 監督する官司である。伯、大、少副、大、少祐などの職員がある。また、明治元年(一八六八)に置 かれた七官の一つ。神祇、祭祀、祝部、神戸に関することをつかさどった。知官事、副知官事、判官 事、権判官事、書記、筆生、使部の職員を置く。同四年の八月八日に神祇省と改称し、他の省ととも に太政官の下に列せられた。

38.小林正博(2009)、『日本仏教の歩み』、第三文明、PP.192-196。

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日本における神仏習合は、平安時代の初期より一八六八年(明治一年)までに 存したものである。

仏教が日本へ伝来以降、聖徳太子の積極的な仏教奨励策、また仏教そのもの 同化性のあったことも影響して、白鳳時代ころより神前で読経・写経などが行 われ、天平時代より日本の神は仏道に帰依し、修行しようと欲しているものに なり、そのための場として、神社に付属して神宮寺を建立したことなどは、神 仏調和というべきことである。

仏教がすみずみにまで浸透すると、固有の神祇信仰との間にさまざまの関係 および交渉が生じた。これを大別して二つとする。一は仏教との対決を通じて 固有信仰の自己形成が行われたことであり、他は神仏の接近と融合、いわゆる 神仏習合現象が見られたことである。39

次に神仏習合現象について見ると、神宮寺を建立し、神前で読経することは、

神も迷える衆生であり、仏法を信じ、それによって神身を離脱しようとするこ とを願うという思想にもとづいたものである。奈良時代中期になり、この思想 がさらに進んで、神は仏法を悦び、仏法を擁護する護法善神の思想が出てきた のである。平安時代になると、最澄40が比叡山の鎮守として日吉山王を祀り、

空海41が高野山の地主神として丹生明神を祀ることをはじめ、天台と真言の両 宗は神仏習合観を積極的に推進し、これを有力な道具に、神祇信仰に閉ざされ た地方共同体社会の内部に仏教を拡張したという。42

平安時代中期以降、特に院政期には神仏習合思想の発達が著しく、神仏関係 について仏教教理にもとづいた種々の解釈がためされたようになり、天台系を

39.村山修一、「神仏習合」、国史大辞典、JapanKnowledge、https://japanknowledge.com 、 (参照 2019-09-20)

40.平安時代の僧侶である。日本天台宗の祖。諡号伝教大師。叡山大師ともいう。

41.平安時代前期の真言宗僧である。

42.村山修一、「神仏習合」、国史大辞典、JapanKnowledge、https://japanknowledge.com 、 (参照 2019-09-20)

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山王神道に、真言系を両部神道にしたという。また、伊勢の本地は大日如来、

八幡神の本地は阿弥陀という付会説が行われ、これを本地垂迹説という。こう して神は迷える衆生とする考えから、神は仏の化現であり権現であるとする思 想が生み出されたのである。

以上のようにまとめると、やはり奈良時代の護法善神説、平安時代の本地垂 迹説が代表的である。そのために、本章はこれから神道がこの神仏習合の流れ で採取した対抗的姿勢を引き出し、考察する。

4-1 神仏習合の流れで、神道が採取した抵抗的姿勢

神仏習合の定着とともに、神と仏が一体になり、このような見方が普及され、

神は仏の影になった。神は仏教を護るという護法の善神として、仏、菩薩より 下の存在になっており、伊勢神宮や出雲大社など、格高い神社では、仏教化を 拒む伝統が生み出された。しかしながら、ほとんどの有力神社では、主導権が だんだん神宮寺に移ってしまい、別当寺の僧侶である社僧、別当のもとに、神 社の神職、社人が従属するようになった。43

ここからみれば、伊勢神宮や出雲大社のような格別なやしろを除き、ほとん どの神社は仏教化され、有力神社も例外なくそうなったが、仏教化される流れ の中でも、それを抵抗して神道の優位性を唱えている伊勢神道という教派があ った。

神道家による神道思想の展開の濫觴となったのが伊勢神道である。中世に起 こった伊勢神道は、伊勢神宮の外宮の神官が唱えた神道思想で、また外宮の神 官を代々務めた家が渡会家であったため、「渡会神道」と呼ばれている。そし

43.村上重良(1981)、『日本の宗教』、PP.66-67、岩波書店。

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に、一つの疑問は残っている。それは偽書だと判断されていることである。

「この問題については、江戸時代の中頃に活躍した吉見幸和が、一つの回 答を提出している。垂加神道に入門したこともある幸和は、晩年考証学に すぐれた業績を発表する。近世初期に至るまで神道家の中で重んじられた

『神道五部書』を批判的に研究し、五部書は奈良時代以前に編集されたと いう奥書を有するが、一三世紀につくられた偽書であったことを論証した。

それが有名な『五部書説弁』52である。同書の中で幸和は、外宮祠官が五部 書を編作した理由、外宮への信者をより多く獲得するため外宮祭神・豊受 大神の神位高揚をはかろうとして、豊受大神は天御中主神や国常立尊と同 一神であるなどの新設を設ける必要があった。」53

しかしそれを偽した理由は豊受大神の神位高揚であるため、単なる仏教への 反動的な作為や忌仏思想の発掘材料として、影響はないと本研究は判断してい る。また、偽書であると言われても、ある程度は当時当代の神道家の思想を反 映することができるため、以下、伊勢神道に出現した忌仏思想や排仏思想の源 となる部分を引き出してみたいと考えている。

伊勢神道の神仏関係を考える場合、「屏仏法之息」ということばをどのよう に理解するかが一つのポイントとなるであろう。以下、神道五部書の中から関 連部分を摘出してみよう。

「神垂以祈禱為先。冥加以正直為本。夫尊天事地。崇神敬祖則不絶宗廟。

經綸天業。又屏仏法息奉再拜神祇。(『倭姫命世記』)

52.吉見幸和著。伊勢神道の根本書とされて来たいわゆる『神道五部書』を批判し、その偽書たること を論じた書物である。

53.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、p.152、ぺりかん社。

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神垂以祈禱為先。冥加以正直為本。任其本誓。皆令得大道。天下和順。

日月精明。風雨以時。國豊民安。故神人守混沌之始。屏仏法之息。置高台 之上。崇祭神祇。住無弍之心。(『宝基本記』)

人乃天下之神物也。莫傷心神。神垂以祈禱為先。冥加以正直為本。任其 本心。皆令得大道。故神人守混沌之始。屏仏法之息。崇神祇。(『御鎮座伝 記』)

この傍線部分における「屏」の字をどのように訓むかをめぐって、古来 二つの見方がある。一つの訓み方は「カクス」と訓む説で、応永二五年書 写本の系統を引く御巫清直54の書写本『倭姫命世記』が「カクシテ」と訓 み、神宮文庫蔵建武二年書写本『御鎮座伝記』も「カクシ」と読むなど、

中世の写本類がこの訓みをとっているようである。

これに対して、思想界への儒教思想の影響とともに廃仏思想が高まる近 世になると、「シリゾク」と訓む説が広く支持されるようになる。そのこと は、吉見幸和の『五部書説弁』巻一の「屏仏法之息」の段を見れば明らか

これに対して、思想界への儒教思想の影響とともに廃仏思想が高まる近 世になると、「シリゾク」と訓む説が広く支持されるようになる。そのこと は、吉見幸和の『五部書説弁』巻一の「屏仏法之息」の段を見れば明らか