第一章 序論
第一節 研究の動機および目的
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第一章 序論
第一節 研究の動機および目的
二〇一六年八月八日に、宮内庁は「象徴としてのお務めについての天皇陛下 のおことば」(以下「おことば」)をテレビ放送を通じて日本国民に発していた。
「本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのよ うな在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に 触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを 話したいと思います。(中略)天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至 った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしに も様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたり として、天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ 2 ヶ月にわた って続き、その後葬儀に関連する行事が、1 年間続きます。その様々な行 事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる 人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ま せん。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸 に去来することもあります。」1
つまり、当時高齢たる天皇は、象徴的国事行為の履行の能否に対して懸念を 表明した。そのような支障が生じる前に、あらかじめ政府に対策を練ってもら いたいと懇願する意向を示した。そして、二〇一七年六月に衆議院による審議
1.宮内庁(2016)、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」、宮内庁ウェブサイト、
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12#41、(参照 2018-01-09)
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を通じて、退位の特例法を公布した。退位の日程については、皇室会議によっ て二〇一九年四月三十日に決定された。
現在の日本憲法には、天皇は日本国と日本国民の総合的象徴であることを明 記した。それは、旧来の封建社会の頂点に立つ「天皇」を君主の実を失った「象 徴的天皇」にすることである。そして、その象徴天皇制の成立は、第二次世界 大戦での敗戦と日本国憲法の制定によるものである。
戦後の憲法改革により、天皇という制度は存続したものの、国民主権が明記 され、天皇は「象徴」であって憲法が定める限定された形式的な君主になった。
「国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」2と規定され ることになった。象徴天皇には、通常の立憲君主のもっている政治上の外形的 権限およびそれに基づく危機に際しての介入権限も与えられておらず、その点 では君主とも元首ともいえない存在となった。また旧皇室典範も廃止され、国 会の制定した法律としての新たな皇室典範にかわり、神勅に基づく万世一系の 君主に応じた制度として存在していたが、大嘗祭などの諸儀式は法文から削除 された。3
それに対して、憲法改革前の大日本帝国憲法の第一章第一条では、「大日本 帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」4と載っている。条文の「万世一系」とは天 子の血統が永遠にわたって、かわらず続くことという。
確かに日本は王朝交代の発生はほぼ存在しておらず、中国の易姓革命による 王朝の更迭のような歴史的事件がない。徐翔生によれば、中世の歴史書『神皇 正統記』には、日本は「神の国」と説かれ、天皇は日本の国土を創成した神の
2.『日本国憲法』「憲法条文・重要文書」国立国会図書館。
3.家永三郎、「天皇制」、『国史大辞典』、
https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=30010zz335110(参照 2018-01-09) 4.『大日本帝国憲法』「憲法条文、重要文書」国立国会図書館。
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子孫であると述べられているという。5
『古事記』『日本書紀』からも天皇の血筋は天津神と繋がっている記述も見 られる。古代の皇室は記紀の神話によって、「天」との連結を強めるのを図っ たことは明白である。そして近代に至って、国家神道はさらにその連結を堅め、
天皇の持つ神性が一層に上がったと考えられる。一方で、「天」という思想お よび「天皇」号の由来は中国の思想によるものだと津田左右吉や福永光司など の学者が主張していた。6
日本には、数多くの宗教が存在している。その中で「純粋」な日本的民族宗 教は、おそらく神道であろう。当然ながら、日本は古来より、儒教、道教、仏 教のような外来宗教はあったが、仏教が公式的に伝来される前に、神道は原始 的で、祖先信仰と精霊崇拝が主な構成となっており、正式的な宗教化は、仏教 との習合に関係している。仏教が主導的な立場になるのが中世であり、信者は ともかく、宗教としての絶大な政治的実力も握っており、神道はそれを附随す る組織のような地位にあった。「本地垂迹説」の内容から、中世の普遍的な宗 教観が見られる。7
ところが、神道と天皇思想に中国思想の影響が及ばされていることは、現在 の日本では認められてはいるが、その受容の過程、伝播の経緯などについては、
数多くの解釈や説明が存在する。本研究は神道と天皇思想を考察し、神道と天 皇の本質とそれぞれのあり方を探り、その中に存在する中国思想の受容を明ら かにし、加えて比較思想的視点から検討も試みる。神道の研究については、概 して神道の宗教家や神道の家柄を持つ学者によるものである。台湾では、神道
5.徐翔生(2010)、「日本神道と中国思想―天皇思想をめぐって」、『台大日本語文研究 19』、台北:台湾 大学、P.227。
6.以上、津田左右吉の『日本・シナ思想の硏究』(岩波書店)、福永光司の『道教と日本文化』(人文書 院)を参照。
7.グスタフ・メンシング(1983)、「宗教とはなにか」、法政大学出版局、P.23。
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そのものと神道と中国思想との関わりに関する研究は極めて少ないため、少し でも日本神道への理解と日中思想文化の比較ができたらと考えている。