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第一章 序論

第二節 先行研究

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そのものと神道と中国思想との関わりに関する研究は極めて少ないため、少し でも日本神道への理解と日中思想文化の比較ができたらと考えている。

第二節 先行研究

中国思想が神道および天皇制への影響は、前記のように、今までその関係は なかなか認められない。儒教はともかく、特に中国の道教思想は、明らかに排 除されている。例えば、小林正博の『日本仏教の歩み』では、天台僧である慈 遍は、「根葉花実説」を提出したが、道教だけを神道に影響を与えた宗教から 取り除った。

「短期間ではあったが後醍醐の天皇親政の復活は、皇祖神を祀る伊勢信仰 と神国日本が宣揚され、神道教義の体系化が進められていく契機となった。

すでに鎌倉時代までの成立とされる神道五部書が現れ、そこでは神を仏よ り上位に位置づける理論が表明されている。伊勢外宮の神官であった渡会 家行は、外宮の祭神である豊受大神を内宮の天照大神より根源的な神であ ると説き、結果的に伊勢神宮信仰の底上げにつないでいく。(中略)また 天台僧であった慈遍は『旧事本紀玄義』を著し、神道は根であり、儒教は 枝葉、仏教は花実に過ぎないとする根葉花実説を立て、神道の優位性を主 張した。」8

以上の引用文は、つまり伊勢神宮の外宮の神官は、外宮の主祭神である豊受 大神の神位高揚を図るために、神道の体系化に貢献したことである。そして天 台僧である慈遍は、『旧事本紀玄義』において、「根葉花実説」という神道の優

8.小林正博(2009)、『日本仏教の歩み』、第三文明社、P.194。

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位性を主張する説を提唱したということである。

続いては、中国の歴史学者葛兆光は「日本における道教―神道と天皇制の争 論」において、明治時代の大日本帝国では、神道と道教を関連付けようとする 学説は当然ながら右翼団体の不快を招いてしまったのである。それによって、

津田左右吉の著書『古事記と日本書紀の研究』は発禁処分となり、出版社の岩 波書店の社長である岩波茂雄も発行元として、津田と共に出版法違反で起訴さ れた。一九四二年に有罪判決が下された。これで神道と天皇について中国思想 の有無を論ずることは背景に激しく影響されているのが明白であると指摘し た。9

以上述べたことから、戦前の時代的背景が想像できる。では、なぜ道教は採 用されていなかったかについて、福永光司の『道教と日本文化』には、以下の 記述から答えが確認できる。

「これまで日本の古代史、特に古代宗教思想史は、中国古来の宗教思想す なわち道教とは殆ど見るべき影響関係を持たないと考えられてきました。

(中略)その一つは、江戸時代の本居宣長などを代表者とする国粋主義の 思想家たち、すなわち国学者と呼ばれる人々の学説であります。彼らは日 本の古代を神代として捉え、そこでは神道=清く明らけき神の真理=がさ ながらに行われていたと説き、歴史的な事実とは異なる純粋に理想的な宗 教的世界を観念的に設定しました。もう一つは六世紀の頃、中国・朝鮮を 経て日本に伝来し、皇室や宮廷貴族に多くの信奉者を持ち、その後も日本 の宗教思想で永く主導的な地位を占めてきた仏教の学僧たちの主張であ ります。

9.葛兆光(2009)、「日本における道教、神道と天皇制の争論」、『中国社会科学 5』、北京:中国社会科 学院、 P.79。

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彼らは仏教が世界で最も優れた宗教であり、仏教をさえ信仰すれば他の宗 教は無用である。仏教に比べて他の宗教は低俗であり、迷妄であり、宗教 の名に値しないと主張してきました

特に中国の道教に対しては激しい非難と攻撃を加え、中国の道教は単なる 鬼道―シャーマニズムでしかない。日本国にこのような低俗迷妄な鬼道が 宗教として存立しうる余地はなく、それは真の意味で宗教の名に値する仏 教によって超克されなければならないと主張してきました。」10

つまり、日本の古代史と古代宗教思想史に、道教とはおおよそ見るべき影響 関係を持たないと考えられてきたのは、仏教による影響がほとんどであると福 永は以上のように述べている。

道教と天皇制の関係、特に天皇号の由来については、家永三郎によれば、天 皇という語は中国の古典に見える。文化の移植として天皇号をとったのである。

『旧唐書』などの史書や『枕中記』などの道教経典その他に出典があるが、と くていできない。七世紀の文章と認められる天寿国繍帳銘・野中寺弥勒菩薩像 銘などが現存で最古の用例であり、七世紀に入ってからそれまでの「おおきみ

(大王)」に代わる公式称号として使用されるようになったという。

そして訓みについては、『古事記』から見ると歴代名をすべて天皇号で統一 してはいない。「すめらみこと」などの国訓が伝えられているが、「てんのう」

という音読がいつ始まったかは不明である。11以上のように、最古の天皇号の 使用は、七世紀の帳銘や像銘から確認できる。出典は『旧唐書』或いは道教の 経典であると言われている。

中国思想が神道への影響は認められてはいるが、上述のように様々な立場が

10.福永光司(1982)、『道教と日本文化』、人文書院、PP.7-8。

11.家永三郎、「天皇制」、『国史大辞典』、

https://japanknowledge.com/lib/display/?lid=30010zz335110(参照 2018-01-09)

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見られ、その過程もまた興味深いことである。本研究はこれらの研究成果を踏 まえつつ、加えて比較的立場を利用し、新しい比較的視点を見出し、それぞれ の立場を理解したうえで分析していきたい。