第三章 神道と天皇―武士「道」から国家神「道」へ
第二節 武士道における神道思想
國
立 政 治 大 學
‧
N a tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
者本居宣長は、儒仏思想と結合した在来の神道説を批判し、古神道の精神に 復帰しようとした。多神教的な神観念はあるがままに認められ、神の恵みと しての産霊が神学的に重視された。その弟子平田篤胤は現世を仮の世とし、
独自の造化神観など唱えた。しかし、神葬祭の根拠となった幽世論や家庭祭 祀の奨励は、後世に貢献したという。平田篤胤については、第四章の第三節 に詳しく説明するつもりである。
第二節 武士道における神道思想
新渡戸稲造が著した『武士道』に、仏教思想と儒教思想だけでなく、神道思 想も武士道を支える重要な思想であると述べている。これは、以下詳しく説明 するともりである。仏教から運命を受け入れることや死への親しむ心や禅の心 などを寄与し、神道は主君に対する忠誠や先祖への尊敬、敬意を供給し、また 儒教の先祖の孔子、孟子の思想を取り入れ、こうした宗教と思想が武士道思想 の源となっていると新渡戸が言っている。74
武士道で求められている道徳観について、ここに羅列してある。義、勇、仁、
礼、誠、名誉、忠義この七つが武士の基本的な理念となっている。政治の場に おいても、神を敬い神事を優先させるという精神は、『御成敗式目』75や戦国武 将の家法にあり、江戸時代を経て明治時代に社格制度の先頭となったのである。
ここで注目したいのは武士道と神道とのかかわりである。武士道といえば、
多くの人々は武士の精神指標、または武士の道徳標準を指している。しかし武 士道が武士の道徳を指す言葉として一般的に用いられることになったのは明 治以降である。中世では「弓矢取る身の習」などといわれ、近世に入って武士
74.新渡戸稲造(2000)、『武士道』、岩波書店、P.32。
75.初の武家法である。第一条第一項に「神社を修理し祭祀に専らにすべき事、神は人の敬うに依って 威を増し、人は神の徳に依って運を添う」とある。
‧ 國
立 政 治 大 學
‧
N a tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
道の呼称が現われたが、なお多くの場合、士道に対置された武士の道徳論を指 すものであった。76儒教的教養が普及した近世においては、戦国時代に形成さ れた武士の道徳を儒教によって根拠づける動きが顕著に現われ、それが士道と して説かれた。
武士道と儒教との関連はすでに多くの武士道文献によく見られるが、武士道 と神道との関りは極めて希少なものである。そのため、本節は新渡戸稲造の『武 士道』を中心に、その中で見られる神道に関する描写をめぐって、神道相関の 著書を加えて、その共通している定義を見出し、前述した神道思想との比較を 試みる。
2-1.『武士道』の神道描写について
「仏教の与え得ざりしものを、神道が豊か供給した。神道の教義によりて 刻み込まれたる主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、並びに親に対する 孝行は、他のいかなる宗教によっても教えられなかったほどのものであっ て、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が賦与せられた。神道の神 学には「原罪」の教義がない。かえって反対に、人の心の本来善にして神 のごとく清浄なることを信じ、神託の宣べらるべき至聖所としてこれを崇 め貴ぶ。」(「武士道の淵源」)77
ここの部分では、武士道に仏教の教えでは足りなかったものを神道が補足作 用をもたらしたと言っている。主君への忠誠と祖先への敬意、および親に対す る孝行の教えは神道のみが唱えているのであり、武士道に融合している。他の いかなる宗教でも上述したことを教えてはいない、と新渡戸が言っている。そ
76.新渡戸稲造(2000)、『武士道』、岩波書店、P.35。
77.新渡戸稲造(2000)、『武士道』、岩波書店、P.32。
‧ 國
立 政 治 大 學
‧
N a tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
して神道により、傲慢になりやすい武士の性格に服従の心を授けた。
しかし、儒教にもこのような思想が含まれていると思われる。神道の神学理 論に、キリスト教にある「原罪」のようなものがない。その逆に人はもともと 善良なものであり、神のような清浄であるとの考えを持っている。そしてその 善良な魂そのものを神託の発せられる神聖な場所として崇敬するものである。
しかしながら、親に対する孝行は、儒教では君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友 という五倫関係の秩序とするため、家族組織から国家政治体制まで貫く具体規 定をそなえる。また、張崑将によれば、江戸時代では徳川幕府の儒学者の山崎 闇斎が唱えている「垂加神道」ないし林羅山が提唱する「理学神道」によって、
神道と儒教が関連したという。78そのため、孝行は神道のみが唱えているとい う新渡戸稲造の見解には疑問がある。
「神社に詣ずる者は誰でも観る如く、その礼拝の対象および道具は甚だ少 なく、奥殿に掲げられたる素鏡がその備え付けの主要部分を成すのである。
鏡の存在は容易に説明できる。それは人の心を表すものであって、心が完 全に平静つか明澄なる時は神の御像を映す。この故に人もし神前に立ちて 拝礼する時は、鏡の輝く面に自己の像の映れるのを見るであろう。かくて その礼拝の行為は、「汝自身を知れ」という旧きデルフィの神託と同一に帰 するのである。」(「武士道の淵源」)79
以上のように、神社に掲げられている礼拝の対象物は多くの場合が鏡である。
(または玉、銅剣など。)鏡は人の姿と魂を表すものであり、人の心が完全に 穏やかで澄んでいるときは、そこに神の姿が映るとするものである。そして自
78.張崑將(2003)、「本徳川時代神儒兼摂学者における「神道」「儒道」の解釈」、『台大文史哲学報第五 十八期』、P.146。
79.新渡戸稲造(2000)、『武士道』、岩波書店、P.33。
‧ 國
立 政 治 大 學
‧
N a tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
分自身の姿も映れると新渡戸は述べている。
2-2.武士道と神道思想とのかかわり
前章に言及した古神道は、儒教や仏教など外来宗教の影響がまだ顕著でない 八世紀前期ごろまでの神道である。日本古代のカミとは、畏敬または畏怖され る神秘で超自然的な存在であり、身近な民間信仰的な神もあったが、皇室や大 氏族の祭る神々も含まれていた。
村岡典嗣やによれば、古神道の神々は(一)自然神(自然物・自然現象に宿 り、それを支配する神)、(二)人間神(英雄・偉人・長上などの神格化)、(三)
観念神(生成・思考・生産力など抽象的な力や観念を司る神)の三種に分けら れるという。だが別の視点からみれば、最も重要な神は、当時の社会生活の単 位である氏族の守り神(氏神)であった。80
氏神は必ずしも祖先神ではなかったが、時代の下降に伴い氏神を祖神とみな す傾向も生じている。神道にはもと常設の社殿がなく、祭のたびに聖地に常緑 樹または自然石を立てて神の座とした。やがて祭壇や参列者を風雨から守る臨 時の仮小屋を、祭の後まで残すようになって社殿が成立した。神社建築の祖型 は伊勢神宮の神明造りと出雲大社の大社造りで、前者は穀倉から、後者は古代 住居からの展開といわれる。古神道の祭祀は農耕儀礼が主体で、春の祈年祭と 秋の新嘗祭が特に重視された。
以上のように、古来の神道は、主に「祭り」によって人を集中、集団化し、
それによって存続をもたらした。そして神道の神は自然神、人間神、観念神の 三つに分けられる。しかし前引用文のように、古代日本の最も重要な神は社会 生活の単位である氏族の氏神である。氏神は必ずしも人間神であるということ
80.村岡典嗣(1956)、『神道史』、創文社、P.16。
‧ 國
立 政 治 大 學
‧
N a tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
ではなく、一般に氏神とは祖神のこと、血縁的祖先にして氏一統の守護神とし て氏の長者が祭るものをいう。血縁関係が無くても特に地縁によって、その地 域の守護神として祭られる神をも氏神と称している。日本は地縁関係の強い国 であり、氏神は祖先神(つまり血縁)というよりも地縁を重視している。氏神 によって地域の結合を図った。これによって、古来には神道はもはや敬神崇祖 の精神を抱えていると言えよう。
近世になると、山崎闇斎などの儒学者によって神道と儒教は融合され、神道 は儒教の教えや道徳観によって「教義不足」という状態から脱出した。
「近世には、上下ということの形而上学的な思索を軸に据えた神道説が登 場し、思想界の大きな勢力を占めることになった。高名な儒学者であった 闇斎は、儒教における君臣上下の道のあり方と中世以来の伊勢、吉田の神 道説を結び付け、下たる者の道として神道を定式化する。(中略)物質的傾 向性を克服して完全に理と一体になった人格は聖人と呼ばれる。(中略)朱 子学の修養論は、こうした天に等しい聖人をめざす(天人合一)修行とし
「近世には、上下ということの形而上学的な思索を軸に据えた神道説が登 場し、思想界の大きな勢力を占めることになった。高名な儒学者であった 闇斎は、儒教における君臣上下の道のあり方と中世以来の伊勢、吉田の神 道説を結び付け、下たる者の道として神道を定式化する。(中略)物質的傾 向性を克服して完全に理と一体になった人格は聖人と呼ばれる。(中略)朱 子学の修養論は、こうした天に等しい聖人をめざす(天人合一)修行とし