第四章 神道における中国思想
第一節 神道の古典
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第四章 神道における中国思想
第一節 神道の古典
神道において、古典文献抜きでは、その全貌は見えないと考えている。「古 典」という言葉は、古くからの法式であり、いにしえの典礼である。またはす ぐれた著述や作品で、過去の長い年月にわたって多くの人々の模範となり、ま た愛好されてきたものという意味を有している。(『日本国語大辞典』)93
現在、神道古典の代表とされているが『古事記』と『日本書紀』であるが、
神道古典の最初として扱われていたものではないといえよう。安蘇谷正彦によ れば、神道家にとって記紀が神道古典として意識されるようになったのは、教 学や神学などの形成をしようとした鎌倉時代以降であるという。また、鎌倉時 代その以前の神道古典については、神社の儀式や宮中の祭祀の記録であると推 測されている。94
典型的な例は、八〇四年に神宮から神祇官を経て太政官への解文95である『皇 大神宮儀式帳』と『止由気宮儀式帳』が有名であるという。両書とも内・外神 宮の神職によって撰録され、内容は御鎮座の由来、年中行事、神職の職掌など が主である。つまり、神宮の規範でもある。
古典神道の古典について、『古事記』と『日本書記』が最初にあげられるの であろう。『古事記』の成立は、西暦七一二年(和銅五年)に太安万侶によっ て完成されたという。また、一二〇〇年以上に語られた『古事記』は日本最古 の古典とも言われている。
93.「こてん【古典・故典】」、『日本国語大辞典』、JapanKnowledge、 https://japanknowledge.com (参照 2020-06-19)
94.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、P.91。
95.諸司や国府から、上級の役所に差し出す公文書である。
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『日本書紀』は『日本紀』といわれたことがあり、舎人親王が編纂担当者に され、七二〇年に成立した。巻一、巻二は「神代紀」であり、巻の三から三〇 までは、神武天皇から持統天皇までの歴史が記載されている。
安蘇谷によると、『日本書紀』は中国の歴史書『漢書』96『後漢書』『魏書』
などを意識し、天皇家の系譜を中心に編纂されたものである。題名である書紀 は、『後漢書』に「帝王ノ事ヲ述スル、之ヲ書紀ト謂フ」という記述があり、
命名の理由はこのように推測できるのであろう。97
『日本書紀』の特色は、『古事記』のように伝承の物語を一つに収束すると は違い、「一書ニ曰ク」の形式で、異なった伝承を記したという。このような 形式は神代巻に頻繁に出現する。また、安蘇谷は以下のように指摘している。
「日本の伝承や記録を骨子としながらも、シナの文献『淮南子』98『三五 暦記』99『漢書』『後漢書』『隋書』100あるいは仏教の『金光明最勝王経』101 などの文章によって潤色している、などの特色が挙げられる。」102
つまり、『日本書紀』は上記の書物を参考にし、修正をしていたものである。
『日本書紀』は、比較的に客観的で、幅の広い資料を掲示しており、古代日本 への全面的な理解に欠かせないものであると考えている。神道思想史の流れの 中では、本居宣長が古学神道を唱える以前では、『日本書紀』の「神代巻」が
96.中国前漢のことを記した歴史書である。
97.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、PP.96-97。
98.中国の漢に、淮南王の劉安が編著した哲学書である。現存するもの二一巻ある。
99.後漢時代(三国)の呉の太常・徐整撰の神話集である。
100.中国の史書である。唐の太宗の時、魏徴らの奉勅撰で、二十四史の一つである。
101.仏教の経典の一つである。この経を聞いて信受するところには四天王など諸天善神の加護が得られ ると説いた経典という。
102.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、P.97。
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もっとも重要な神道古典である。103
『古事記』については、寺川真知夫によれば、『古事記』の神話は個別の事 柄の由来を個々に解き明かす神話ではなく、高度に歴史化された体系のある神 話である。神話の歴史的展開のためには、ストーリ―の構想、プロットにふさ わしい個別の神話要素の選択、流れに適するように修正して配する作業を行っ たという。
それは天皇家を含む各氏族の保持した伝承においてすでになされ、『古事記』
はそれらの神話を選んで用いたのであろうが、神話の歴史かに当たって、記の 独自のというよりは、記の序文のいうように天武天皇が関与したとすると、天 皇は自らの意図する歴史の構想にふさわしいストーリーを作り、各プロットに はめ込む神話要素の選択を行ったであろうことに留意しなければならないと 寺川は指摘している。104
しかしながら、第二次世界大戦後では、『古事記』と『日本書紀』に対する 批判が強くなり、学校教育の場で、あまりにも軽視されすぎており、日本人と しての自分自身を知る上でも、貴重な財産でもあることは否定できないと安蘇 谷が言っている。105
すでに第三章の第三節にも触れたように、第二次世界大戦の一九四五年は GHQ により神道指令が出され、国家神道の廃止に繫がり、政教分離は果たされ たことを引き金に、学校教育の場では神道に関わる内容は当然ながら少なくな っている。
また、武光誠の指摘によると、大和朝廷の歴史は『古事記』や『日本書紀』
によって詳しく書かれていたため、その中に信頼できる部分をひろい出してつ なげば、大和朝廷の歴史を明らかにすることができるというような形で、日本
103.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、P.97。
104.寺川真知夫(2009)、『古事記神話の研究』、塙書房、P.3。
105.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、P.110。
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の歴史が書かれてきたが、『古事記』と『日本書紀』の古い部分は、後世に創 作されたものであるという。106
前記した武光の説明のもととなるのが、津田左右吉の『神代史の新しい研究』
である。『古事記』と『日本書紀』の真実については、津田はこう言っている。
「神代の物語は誰が読んでも、実際の人事でないことがすぐわかるように 書かれてある。勿論、神武天皇以後の物語も決してそのままに歴史の事実 とは見られないが、大体において人事らしく書かれてあるから、神代巻と は全く性質が違う。
これは記紀の編者が神武天皇以後といわゆる神代との間に截然たる区別 があるものと考えていたからである。言い換えて言うと、神代の物語は歴 史的伝説として伝わったものでなく、つくり物語であるということを示し ているのである。もし伝説として伝わっていたものならば、それを特別に 神代とする必要がないはずである。」107
つまり、津田は『古事記』と『日本書紀』のみなもととなった伝承には、オ オキミの支配を正当化にするためにつくり上げ、作り話のような要素が含まれ ていると言っている。
武光誠の解釈によれば、津田の説が、戦後の学界の常識となっており、応神 天皇以降の記事の多くの部分を事実だと考えている学者もいる。それ以外にも 仲哀天皇以前の事績に、歴史的事実を反映するものがあると考えている者もい るという。つまり、以上まとめたものは津田左右吉の説を強く固めた。
もちろん、『古事記』と『日本書紀』のどれが真実か、どれが作為を加えら れたものかを見極めることは難しいことであり、現在では、ほとんど不可能な
106.武光誠(2003)、『大和朝廷と天皇家』、平凡社、P.32。
107.津田左右吉(1966)、「神代史の新しい研究」、『津田左右吉全集別巻一』岩波書店、P.15。
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ことであると武光誠が指摘している。108しかしながら、『古事記』に歴史的事 実の存在部分は疑問があっても、日本思想史においては一定的な効果を発揮し ている。