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第四章 神道における中国思想

第二節 神道古典に残す中国思想の痕跡

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ことであると武光誠が指摘している。108しかしながら、『古事記』に歴史的事 実の存在部分は疑問があっても、日本思想史においては一定的な効果を発揮し ている。

第二節 神道古典に残す中国思想の痕跡

これからは、まず道教の定義について確かめていきたい。河野訓によれば、

中国に教団として道教が現れたのは五世紀で、寇謙之がつくった新天師道とい う教団である。寇謙之とは中国北魏の道士であり、「新天師道」の天師である。

道教の教義を確立し、経典や戒律などを定め、教団の組織化に力をいれたとい う。109道教の定義については、以下の河野の説明から確認する。

「古代の神仙説および古代の民間の雑多な信仰を中心とし、それに道家の 哲理、易、陰陽、五行、神仙説および讖緯(未来の予言)や医学、占星な どの説や、巫祝(巫女・シャーマン)の信仰などを加え、仏教の体裁や組 織にならって、宗教的な形にまとめられたもので、不老長生を主な目的と する、現世利益的な宗教。」110

また、河野は道教の分野を四つに分類した。一つ目は哲学的な面である。哲 学的というのは老荘思想、道家思想を中心にし、易、陰陽、五行の説などが援 用され、これらのものによって、道教の神学が形成されている。二つ目は方術 である。方術というのは、神仙の説や占い、巫祝、讖緯、未来の予言を混入し、

108.武光誠(2003)、『大和朝廷と天皇家』、平凡社、P.33。

109.河野訓(2005)、『道教と日本文化』、たちばな出版、P.46。

110.河野訓(2005)、『道教と日本文化』、たちばな出版、P.46。

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災いを避け、除く術である。幸福を招く術がこれを構成している。

三つ目は医術的な面である。つまり不老不死のために、服餌、調息、導引な どがある。服餌というのは金丹のような仙薬で、それを食することで不老不死、

長生を得ようとしているという。調息は文字のままで、息を調整するという呼 吸法のことである。最後の導引というのは、筋肉の運動である。四つ目は倫理 的な側面である。道教は現世利益が目標であるから、功利的だと思われる。死 後に地府の神に裁かれないようにするため、生きているうちに善行を積み重ね ていく、という面では、倫理的であるという。111

そして前節のように、神道を理解するに当たっては、古典を除いたのならば、

全貌が見えないと考えている。『古事記』は上巻、中巻、下巻によって構成さ れている。具体的な内容は「帝紀」であり、「帝皇の日継」とも呼ばれている。

これは天皇の位の継承を意味する。古代天皇の出生、婚姻、皇子皇女、事績、

皇后、崩御の年齢、御陵などが中心である。それ以外に歌謡を含めた古代の伝 承や物語などがある。112

『古事記』上巻のはじめに漢文の序が添えている。この序文は、『古事記』

の成立事情を知り得る唯一の資料であると言われている。上巻は、天と地が開 けた時から神武天皇までである。中巻は初代天皇の神武天皇から第十五代の応 神天皇までである。最後の下巻は、第十六代天皇仁徳天皇から第三十三代天皇 推古天皇までである。上中下の三巻は当時の歴史観を反映していると安蘇谷正 彦が指摘している。113

上巻は神代で、中巻は遠つ世、下巻は近つ世という形で、時代の区切りを意 識していたという。また、「古事」というのは、『古事記』の編纂の天武天皇の 時代では、推古天皇までの時代は古事の時代であると推測できよう。

111.河野訓(2005)、『道教と日本文化』、たちばな出版、P.48。

112.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、P.111。

113.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、P.111。

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神道文化と思想の真実に触れたいのであれば、『古事記』の内容を欠かせな い。また、序論に描述したように、神道に秘めた道教の思想は、『古事記』の 内容から窺われる。上巻、つまり神代前半の内容を以下にまとめてみる。

(一) 別天神と神世七代

天地が初めて開かれたとき、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の三 神がなり、次に宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神の二神がなった。こ れら五柱の神を別天神という。次に国之常立神、伊邪那岐、伊邪那美まで 十二柱の神々がなり、以上を神世七代と呼ぶ。

(二) 伊邪那岐、伊邪那美の国つくりと黄泉国訪問

伊邪那岐、伊邪那美の二神は、天神から漂える地上を創り固め成せと命 ぜられる。地上に降りて交わるとき、伊邪那美が先に発言したため、不完 全な子、蛭子と淡島が生まれた。天神から教えを請い、今度は伊邪那岐が 先に発言、大八島の島々と海、川、野、木、石などの神々を生んだ。

火の神を生むとき伊邪那美神はやけどをし、黄泉国に行った。伊邪那岐 は伊邪那美を連れ戻すために、黄泉国に訪問したが、伊邪那美との約束を 破り、恐ろしい伊邪那美の姿を見てしまったため、桃を投げて黄泉国から 脱出し、伊邪那美と絶縁の誓約をする。桃は神秘の力があると考えられて いる。そして伊邪那岐は現世に戻り、黄泉国の穢れを祓うために、筑紫日 向橘小門之阿波岐原で禊祓いを行った。

(三) 三貴子の誕生と誓約

この禊によって、多くの神が生まれ、その中でもっとも重要なのは左目 から天照大神、右目から月読神、鼻から須佐之男が誕生する。伊邪那岐は この三柱の神を生んだことによって、三貴子を得たことに喜ぶ。天照大神 に高天原、月読神に夜之食国、須佐之男に海原の統治を命ずる。須佐之男 は母神のいる根の国へ行きたいとなきわめいている。伊邪那岐は須佐之男 を追放した。須佐之男は姉の天照大神の治める高天原に行き、巧技を使い、

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天照大神と誓約をし、高天原に入った。

(四) 天の岩戸

須佐之男は誓約によって身の潔白を証明したが、高天原で乱暴を働いた。

天照大神はそれに怒り、天岩戸に神隠し、天地は光明を失った。八百万の 神々は天照大神を招き出すために、宴会を開いた。常世の長鳴鳥を鳴かせ、

榊に勾玉、幣帛、鏡を垂らし、天宇受売命が神懸りをし、着物を開けて踊 る。天照大神がそれを見るところに、天手力男神は天照大神を引き出した。

高天原に再び光明が甦る。114

以上は『古事記』神代の前半である。山上伊豆母の説明によると、『古事記』

と『日本書紀』の天地開闢造化譚は、日本神話冒頭の文飾的序章のようにみえ ながら、仔細にながめると矛盾と謎に包まれている。『古事記』はいきなり「天 地初発」に続いて「天御中主神」が出現するのであるが、『日本書紀』は主に

『淮南子』によって「天地未剖」の混沌から薄靡の「天が先づなり」重濁の「地 後に定る」と述べている。『古事記』と『日本書紀』とも、天地開闢は自然発 生的であり、宇宙論であって神の力によるのでなく、天御中主神すら造化神だ と書かないという。115

山上は以上の天地開闢を第一次の天地創造説と定義をづける。第二次の天地 創造説は、続々と対偶神の誕生によって、男女の人態神話の性格が濃厚となっ たと指摘している。

この二神による天地創生については、『淮南子』の「精神篇」では、「古へ未 だ天地有らざるの時、惟だ無形に像たり。窈窈冥冥、芒芠漠閔、澒濛鴻洞とし て、その門を知る莫し。二神ありて混生し、天を経し、地を営す。」116という記 載があった。この中では、特に「二神ありて混生し、天を経し、地を営す。」

114.安蘇谷正彦(1994)、『神道とはなにか』、ぺりかん社、P.115。

115.山上伊豆母(1989)、『古代神道の本質』、法政大学出版局、P.10。

116.楠山春樹(2008)、「精神篇」、新釈漢文大系『淮南子(上)』、明治書院、P.321。

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という文にも注目したい。

対偶神を総括する伊邪那岐と伊邪那美の二神は国土、草木、神人の「出産」

行為を開始されたことになり、『日本書紀』には、伊邪那岐と伊邪那美の二神 はともに天上の「日神、月神」を生むのであるが、『古事記』では、伊邪那岐 のみで「神産み」で、日と月を創造する。

太陽と月は、昼と夜の「天」を象徴するものであるから、伊邪那岐と伊邪那 美は「地」のみならず、「天」をも創造したことになる。言い換えれば、両神 は第一次神話においても「隠された宇宙造化神」とみることができる。この両 神の性格については、山上はこう定義づけている。二神婚姻譚が東南アジアに ひろがる「洪水型兄妹婚姻譚」の性格が強く、「ナギ」が竜蛇の語意をふくむ ことから、海洋的神格を有する。117

また、伊邪那岐は「天、日、明、生、父」などを表象し、伊邪那美はそれに 対する「地、月、暗、死、母」を象徴しているのであって、その原像には中国 古代の人類始祖神話に登場する「伏羲、女媧」の系譜をひくものである可能性 が高いのであると山上が言っている。伏羲と女媧は、『山海経』や『淮南子』

において夫婦神であり、また兄妹神でもある。118楠山春樹によれば、女媧と伏

において夫婦神であり、また兄妹神でもある。118楠山春樹によれば、女媧と伏