關於近代日本的食用牛肉的形象 -假名垣魯文『安愚樂鍋』為中心- - 政大學術集成
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(2) 關於近代日本的食用牛肉的形象 -假名垣魯文『安愚樂鍋』為中心- 摘要 經過約 260 年,從鎖國狀態解放的日本,迎接了新的時代”明治時代”。擺 脫長期下來的封建社會之後,為了要成為一個近代文明國家,積極地引進西洋文 化,強化日本明治政府與國外的聯繫,參考歐美制度的體系來運用到日本的國家 及社會改革。 受到西洋文化的影響不只日本政府,也影響到日本國民的生活。在此日本飲 食生活中,雖然過去食用了各種肉類,但是自從明治時代開始食用牛肉的盛行, 慢慢被認知為文明開化的象徵。依據此事,筆者欲在本稿中針對牛肉是如何融入 日本的飲食生活,於此採用假名垣魯文『安愚楽鍋』為例探討日本飲食文化中接 納之樣態。此書是針對一般民眾以牛肉鍋店做為舞台去宣傳有關牛肉的美味及功 能的一本肉食獎勵的書。 研究方法方面,在明治時期中,為了要明確關於牛肉在日本飲食生活上之定 位,首先,使用假名垣魯文『安愚楽鍋』的全 18 章去解讀及分析。再者,根據 依文化史的觀點來判明日本的牛肉背景。不只採用當時的統計及行政文書,明治 時期的報紙、文學作品及史料也列入研究方法。藉由前述方法所得到之結果,便 可得知食用牛肉之具體接納樣態。.
(3) 日本近代における牛肉受容の諸相 ―仮名垣魯文『安愚楽鍋』を中心に―. 要旨. 260年余り続いた鎖国から解き放たれた日本は、新しい時代「明治」を 迎えることになる。長期にわたった封建社会から、近代文明国家を目指し、 一刻も早く西洋文明に追いつけるよう、欧米の文化を積極的に取り入れ、明 治新政府は外国との繋がりを強化し、欧米諸制度の体系とその運法を参考に して、日本の国家・社会改革に役立てようとした。 そのなかで、日本人の食生活のなかで、これまで他の肉を食用としていた にも関わらず、明治に入り、牛肉が食べられるようになり、そのことが文明 開化のシンボルとまで認知されるようになったのか。このことについて、牛 鍋屋を舞台にし、牛肉のおいしさや効用を庶民に訴える、肉食奨励の書であ る、仮名垣魯文の『安愚楽鍋』を中心に日本近代における食用牛肉の受容を 追求したいと思う。 研究方法としては、明治期の牛肉に於ける庶民の生活様相の位置づけを 明らかにするため、『安愚楽鍋』の全18章の内容を読み解き、分析する。次 に文化史的な観点をもとに、日本に於ける牛肉の背景を明らかにし、当時の 統計や行政文書だけでなく、明治期の新聞記事、文学作品や史料も視野に入 れて文献を横断的に明治期における牛肉食用化の具体相を明らかにしたい。.
(4) 謝辭. 說長不長,說短不短的這兩年半的時間,終於完成了屬於自已的論文。能走 到這階段,要感謝許多一路上幫助我的人。首先,我要感謝我的指導教授永井隆 之老師。因為老師的細心指導,我才能夠一步一步慢慢往前走,更感謝老師暑假 回日本時,特地幫我找了許多在台灣沒有辦法收集的一些文獻及史料。如果沒有 這些充分的資料,也沒有今天的論文。然後,2015 年 7 月時,當我去參加東京外 國語大學的論文發表時,老師特地遠到而來聽我發表,當下充滿著感謝與歡喜。 接著,我要感謝徐翔生老師,無論遇到困難或挫折時第一時間給予關心及鼓勵。 老師就像我們日文系的媽媽一樣,一直在身邊守護著我們,給我們溫暖與關心。 另外,我要感謝傅琪貽老師。碩一時,因為老師的積極與鼓勵讓我們參加台灣淡 江大學的論文發表,對於剛進研究所還沒開始著手的我們是一個很大的挑戰,但 是後來回頭想因為有那一次的發表,增長我們的經驗與見識才能夠如此順利完成 論文。另外,參加台灣淡江大學與東京外國語大學的論文發表,對我而言是一個 很貴重的經驗,透過論文發表得到的一些意見及建議對我的論文有很大的幫助。 接著,我要感謝我的仲良し三人組,陳祥和雅筑。碩士期間我們互相鼓勵, 互相幫忙,也因為上同一門課之後,增加見面的機會讓我們的關係變的更密切。 希望我們可以一直聯絡下去也要謝謝我的家人、學長姐、學弟妹及朋友們的加 油!謝謝您們! 雖然在寫論文的過程中遇到許多瓶頸,也常懷疑自已是否有能力完成論文, 但很慶幸有大家的鼓勵及關心,就這樣一步一步走到終點。在這些過程中,我學 會對於任何事情都要以堅韌不拔的心態去面對。終究一定會找到屬於自已的出口 的!謝謝您們.
(5) 目次 第1章 緒論.......................................................1 1-1. 研究背景と目的...........................................1. 1-2. 研究動機.................................................2. 1-3. 先行研究.................................................2. 1-4. 研究方法.................................................4. 第2章 『安愚楽鍋』に見る「文明開化」の軌跡.......................5 2-1. 『安愚楽鍋初篇』の分析...................................5. 2-2. 『安愚楽鍋初編』の挿絵の総括...........................30. 2-3. 『安愚楽鍋初篇』のまとめ...............................31. 第3章 『安愚楽鍋』に見る「文明開化」の軌跡.....................35 3-1. 『安愚楽鍋二編』の分析.................................35. 3-2. 『安愚楽鍋二編』の挿絵の総括...........................64. 3-3. 『安愚楽鍋二編』のまとめ...............................65. 第4章 『安愚楽鍋』に見る「文明開化」の軌跡.....................66 4-1. 『安愚楽鍋三編』の分析.................................66. 4-2. 『安愚楽鍋三編』の挿絵の総括...........................94. 4-3. 『安愚楽鍋三編』まとめ.................................94. 第5章 結論.....................................................96. 付録. 『安愚楽鍋』図表.......................................100. 参考文献.......................................................111.
(6) 第1章 緒論 1-1 研究背景と目的 260年余り続いた鎖国から解き放たれた日本は、新しい時代「明治」を迎えるこ とになる。当時の政府は、独立と国益を守るため、欧米列強のような近代国家を目指 し、一刻も早くこれら国家と伍せるような国際的地位を確保する必要に迫られていた。 そのため、長期にわたった封建社会から、近代文明国家を目指し、一刻も早く西洋文 明に追いつけるよう、欧米の文化を積極的に取り入れ、明治新政府は外国との繋がり を強化し、欧米諸制度の体系とその運法を参考にして、日本の国家・社会改革に役立 てようとした。 この欧米の文化に影響を受けたのは、政府だけではなく、一般庶民たちも同様であ った。明治4年(1871)から、インフラ環境の発展だけでなく、庶民たちの西洋 志向としては、丁髷を断髪した「ザンギリ頭」や洋服の着用、そして牛肉の食用化が あげられる。 これらの内、牛肉の食用化は、日本の教科書などで文明開化のシンボルとして知ら れる事象である。仮名垣魯文の『安愚楽鍋』(明治4年・1871年)には、「牛鍋 食わねば開化不進奴」とあり、牛鍋を食べないと、文明開化の遅れをとることになる という有名な一文がある。庶民が牛鍋を囲んで雑談をしていることから、当時の社会 風景が窺える。これが後世に牛肉の食用化のイメージを定着させた功績は大きいと言 える。 天武4年(675)、天武天皇が肉食禁止令を発効したほかに、貞享4年(16 87)、5代将軍徳川綱吉によって「生類憐みの令」が出され、「生き物を殺して食 べるとその地域社会に不幸をもたらす」という迷信が一般庶民へ広がった。 それから明治に至るまでの1200年間、日本では肉食を建て前としてはタブー としてきたと言われる。昭和30年代中期までの肉用牛は役肉用牛と言われ、農業副 産物や野草等を与えて飼育し、農耕や運搬に用い、糞尿は堆肥として利用して金肥を 節約し、飼育中に生まれる子牛や使役の後に肥育された牛は貴重な現金収入になるな ど、この時代の農業経営の中では必要欠くべからざる重要なものであった1。しかし、 文明開化を契機として、西欧文明流入の最先端と言われた横浜や神戸の開港場で、外 国人の居留地が設けられ、大量な欧米の文物が一般庶民の生活へ広まっていくなかで、 これまで農耕用として扱われた牛が、食用に変わるとされる。しかし、当初の庶民間 では、牛肉に対しての穢れや牛肉を食べたら角が生えるなどの迷信が伝えられていた が、明治5年正月に発行された『新聞雑誌』第26号に、 1社団法人全国肉用牛振興基金協会(肉用牛の歴史)http://www.nbafa.or.jp/mame/ikou.html. 1.
(7) 明治天皇肉食御奨励ノコト我朝ニテハ中古以来肉食ヲ禁ゼラレシニ恐多クモ天 皇無請儀ニ思招シ自今肉食ヲ遊バサルル旨宮内省ニテ御定メアルタリト云云。 この記事の内容は、明治天皇の肉食奨励により、天皇自らが率先して牛肉を食べ始め たことから、過去の肉食禁止が解禁された。 また、農林水産省統計情報部「食肉流通統計」によれば、明治35年(1902) の成牛屠殺頭数は206.03頭であり、枝肉生産量は27.200トンである。同年 の豚の屠殺頭数は124.265頭、枝肉生産量は5.392トンで、馬の屠殺頭数は 47.875頭、枝肉生産量は4.347トンである。この食肉流通統計から窺えるこ とは、牛肉の屠殺頭数は全体の52%をしめており、枝肉生産量は全体の74%を占 めていることから、この時期の一般庶民の肉食は牛肉が中心であったと考えられる。 それではなぜ日本人の食生活のなかで、これまで他の肉を食用としていたにも関 わらず、明治に入り、牛肉が食べられるようになり、そのことが文明開化のシンボル とまで認知されるようになったのだろうか。本研究では、仮名垣魯文『安愚楽鍋』を 通じて、日本人の牛肉食用化受容について検討し、その問題について考えてみたいと 思う。 1-2 研究動機 天武天皇の肉食禁止令及び、5代将軍徳川綱吉の「生類憐みの令」など、日本は昔 から、肉食を建前として、タブーとされてきた。しかし、明治期の文明開化を契機と して、肉食を食べることが、世間へ広まっていくようになる。このように、西洋の文 物が日本へ流入され始めたのは、安土桃山時代から江戸時代にかけての南蛮文化のこ ろからである。このころから、カボチャやカステラなど外来の食べ物が日本に伝えら れた。また、江戸時代のオランダ貿易の一環として長崎の出島では、洋食が盛んにな り、明治期に入ると、日本は全面的に西欧化の方向へと向かう。それは、インフラ設 備だけでなく、庶民の食生活にまで及ぶ。とくに、たんぱく質の源といわれた魚肉中 心の日本人の食生活が肉食中心に移り変わるときがこのころである。本稿では、日本 人の食生活のなかで、他の肉を食用としていたにも関わらず、なぜ牛肉が文明開化の シンボルと言われ、どのような重要な役割を果たしのかを研究する。そして、もう少 し丁寧に日本人が牛肉を食用として受容する過程や様子について、仮名垣魯文の『安 愚楽鍋』(明4.5)を通して検討していきたい。庶民に受け入れられ、近代国家を 目指した明治政府の下での庶民の食生活の変動を考察したい。. 2.
(8) 1-3 先行研究 史料 仮名垣魯文『安愚樂鍋 』(1871~1872年) この本は、当時仮名垣魯文が書いた本であり、注釈などは付いていない。 小林智賀平校注『安愚楽鍋 』(1967年) 両者の本は、本研究で欠かせない史料である。しかし、注釈が乏しく、読み取る ことがとても難しい。 坪内祐三編集『明治の文学 第一巻 仮名垣魯文 』(2002年) 本書は本文語句の多くに注釈が付いており、読みやすい。 論文 兼松篤子「日本におけるブランド人気の起源--『安愚樂鍋』を読み解く 」(『金城 学院大学大学院文学研究科論集』16、2010 年) この論文は『安愚楽鍋』から牛肉に関わりのある個所を取り上げ、現代語訳を付 して解説している。 福田育弘「構造としての飲食 魯文の『安愚樂鍋』から鷗外の「牛鍋」へ 」(早稲 田大学教育学部『学術研究. 外国語・外国文学編』第53号、2005 年) この論文は、日本人にとってなじみのある鍋料理を中心に、日本ではじめて鍋料 理を前面に打ち出した文学作品として『安愚楽鍋』と「牛鍋」を論じている。興味深 い点は、『安愚楽鍋』に登場する牛鍋が開化の記号となっているだけでなく、その舞 台である牛鍋屋の小さな空間から、都市全体をとらえることができると指摘している 点である。 坂井健「「牛鍋」はどんな鍋だったか―『安愚楽鍋』を中心に― 」(『京都語文』 第九号、2002 年) この論文は、『安愚楽鍋』に見る牛鍋の中身に使われている材料や味付けなどを 中心に論じている。 これらの論文の個々の成果については本研究の検討に必要な限り後述するが、全 体的な印象としては、特に兼松氏と坂井氏が『安愚楽鍋』の牛鍋や牛肉に関する個所 だけを取り上げて研究を進めており、その記載すべてを念頭において論じようとする 視点が欠けているように思われる。牛鍋や牛肉に関する検討であっても『安愚楽鍋』. 3.
(9) 全体の記述の中でこれらがどのような位置を占めているか注意すべきではないだろう か。その点、福田氏の論考は、牛鍋屋に集う様々な人物たちから都市の全体性を読み 取ろうとしている点で学ぶところがある。本研究も文明開化と一見かかわりのない登 場人物たちに焦点を当てて、牛肉受容の様々な可能性についても検討すべきだと考え ている。 ところで、『安愚楽鍋』は著名な作品の割に、出版本は文語調にいくつかの語句 に注を付したものが殆どで、少々読みづらい。そのことが本書全体に配慮した牛鍋・ 牛肉受容研究を進ませない一因であるのかもしれない。 そこで、本研究では『安愚楽鍋』の全十八章に登場する人物や話の内容や挿絵を 通して庶民の牛肉受容がどのように描かれているか、あるいはイメージされているか を検討し、そこから読み取ることのできる当時庶民にとっての牛肉の位置づけについ て明らかにしたい。 1-4 研究方法 研究方法としては、明治期の牛肉に於ける庶民の生活様相の位置づけを明らかに するため、『安愚楽鍋』の全18章の内容を読み解き、分析する。次に文化史的な観 点をもとに、日本に於ける牛肉の背景を明らかにし、当時の統計や行政文書だけでな く、明治期の新聞記事、文学作品や史料も視野に入れて文献を横断的に明治期におけ る牛肉食用化の具体相を明らかにしたい。. 4.
(10) 第2章. 『安愚楽鍋』に見る「文明開化」の軌跡. 本章では、仮名垣魯文の『安愚楽鍋』の挿絵や本文からみる牛肉における日 本人の食生活の社会風景を分析する。明治の初めに流行し始めた牛鍋は、当時、 どのような人が食べていたのか、そして、牛鍋が与えた庶民への影響などを『安 愚楽鍋』をもとに、考えていきたい。以下の『安愚楽鍋初編』における本文は、 読みやすいように、自ら適宜に句点と読点の区切りをつけ、平仮名は漢字に直 し、語句には注釈をつけることにする。. 2-1 『安愚楽鍋』初編の分析 牛店雑談. 『安愚楽鍋』初編自序. 世界各国の諺に、仏蘭西の着倒れ。英吉利の食だふれと。食台に並べ て譜ど。衣ハ肌を覆ふの器。食ハ命を繋ぐの鎖。心の猿の意馬1止て。咲 いた桜の花より団子。色則是食色気より、餐気を前の佳味肉食。牛にひ かれて膳好方便、仏徒家の五戒さらんパア。嘘と実の内外を西洋風味に 索混て。世に克熟し甘口とハ。作者が例の自己味噌。家言もあしの不果 放行。彼小便の十八町。慢〻地急案即席調理。刻葱の五分ほども透かぬ 測量のタレ按排。生肉の替りハ後輯にして。一帙端を採給へと。文明開 化開店の。告条めかし2て演述になん3。4 世界各国の諺に、仏蘭西の着倒れ。英吉利の食だふれと言う言葉がある。こ こに出てくる“仏蘭西の着倒れ。英吉利の食だふれ”とは、日本の古事ことわ ざ、 “京の着倒れ、大阪の食い倒れ”を引用していることが分かる。 『古事こと わざ辞典』によれば、 「「着倒れ」は、着るものに金をかけすぎて財産をなくす こと。「食い倒れ」は、飲食に金をかけすぎて財産をなくすこと。服飾にでき る限り贅沢をする優雅な京の気風と、飲食の質を重んじる商人の町である大阪 の気質を対比させていったことば。これにならって、他県・他国(主に近隣). 仏教語「意馬心猿(いばしんえん) 」から。煩悩のおさえがたいことを、走り回る馬、騒ぎ 立てる猿にたとえていう。 (坪内祐三編集『明治の文学 第一巻 仮名垣魯文 』筑摩書房、2002 年、P268) 。 2 〔名詞などに付いて〕……らしい( 『weblio 辞典』所収「めかし」項 http://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%81%E3%81%8B%E3%81%97 以下同じ) 。 3 「なむ」に同じ。 〔他に対する願望〕…てほしい。…てもらいたい(前掲『weblio 辞典』所 収「になん」) 。 4 坪内祐三、ねじめ正一『明治の文学 第一巻 仮名垣魯文』 (筑摩書房、2002 年、P268) 。 5 1.
(11) との対照的な違いを指したことわざが多くある」ことから、一刻でも早くフラ ンスやイギリスなど西洋の先進国における欧風化を日本の文化へ取り入れる ことに力を入れているように考えられる。「色則是食色気より、餐気を前の佳 味肉食。牛にひかれて膳好方便、仏徒家の五戒さらんパア。」の「色則是食」 は、 『般若心経』の「色即是空5」からきた言葉であり、この読みの「しきそく ぜくう」の「くう」を「空」から「食」に置き換えたことから、この世に存在 するものは、全て永遠不変なものはないことで、日本の食もこれから変わりつ つあることを意味していると考えられる。それから、仮名垣魯文は、食文化が 変わりつつあるなか、女性の色気よりも、その前においしい肉食が先であるこ とを唱え、牛肉を食べることは、仏菩薩が教え導いたことであり、仏の五戒6な んか放っておけばいいと言うことから、肉食が禁じられていた時期を反映して いる。 「嘘と実の内外を西洋風味に索混て。世に克熟し甘口とハ。」から窺える ことは、牛鍋からみる牛肉と味噌の混合で、味噌も入れて日本人の口に合う甘 口にしたことであり、牛肉は西洋風のステーキとして食べずに、食べやすいよ うに角切りや薄切りに切って味噌と煮込んで食べることから、西洋風味に仕掛 けているけれど、和洋折衷のような料理に仕上がっていることを意味している のではないかと考えられる。 しかし、ここからの文章では、前の内容と少し変わった意味が含まれていて、 主文は牛鍋についてだが、その裏には仮名垣魯文が書いた文章の紹介も兼ねて 書かれている。 「作者が例の自己味噌。家言もあしの不果放行。彼小便の十八 町。慢〻地急案即席調理。」では、作者はいわゆる仮名垣魯文を指し、自己味 噌は手前味噌で、自分が書いた文章の事を意味し、自分で自分を褒めると言う 意味があるということで、仮名垣魯文が自分の書いた文章『安愚楽鍋』を褒め ていることと考えられる。また、この一文からは、作者が書いた文章の内容具 合が見られる。「彼小便の十八町」とは、牛の小便が十八町もしまりなくだら だら続くことから、当時『安愚楽鍋』を書いているときは、牛の小便のように だらだらとゆっくり書いたところもあれば、急案即席料理と、急に仕上がる料 理ということで、すぐ思いついたことを文章にしたところもあるということで ある。 「刻葱の五分ほども透かぬ測量のタレ按排。生肉の替りハ後輯にして。 ひとなべはし. とりたま. 一帙端を採給へと。文明開化開店の。告条めかして演述になん。」は、牛鍋の 調理法を紹介すると同時に、自分の文章の紹介も兼ねている。牛鍋に入れる葱. 5. 色即是空とは、この世にあるすべてのもの(色)は、因と縁によって存在しているだけで、 固有の本質をもっていない(空)という、仏教の基本的な教義( 『大辞林第三版』所収「色即 是空」項 https://kotobank.jp/word/%E8%89%B2%E5%8D%B3%E6%98%AF%E7%A9%BA-517754(以下 同じ)) 。 6 殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒を禁じた五つの戒め(坪内祐三編集『明治の文学 第一巻 仮 名垣魯文 』筑摩書房、2002 年、P268) 。 6.
(12) は約 15 ミリで、その薄さは透きもないほどでタレの加減に苦労した。生肉の おかわりは、後に回して、まずは牛鍋にお箸をお付けください、とは実は仮名 垣魯文が書いた『安愚楽鍋』をとにかく少しでも見てほしいとの意味を表して いる。そして、文明開化の開店宣伝のためのチラシのように見せつけ、自分の 考えを述べようとしている。文章からは、主文は牛鍋のように読み取れるが、 実は、仮名垣魯文は自分の文章も面白いのでみんなに見てほしいという意味も 含まれている。例えば、自己味噌、タレ按排、帙7などに関する言葉は、牛鍋 料理に関することだけでなく、『安愚楽鍋』の文章についても触れていること が窺える。牛鍋の調理法については、仮名垣魯文の『魯文珍報』 (1877 年〔明 治 10〕)にも見られ、 葱を五分切りにして、先ず味噌を投じ、鉄鍋ジャジャ肉片甚だ薄く、 少しく山椒を投ずれば臭気を消すに足ると雖、炉火盛にすれば焼付の憂 を免れず、そこで大安楽で一杯傾けるから、姉さん酌を頼みますと、半 熟の肉片未だ少しく赤みを帯びたる処、五分切りの白葱全く辛味を失は ざる時、何人にても一度箸を内れば、鳴呼美なる哉、牛肉の味ひと不叫 もの幾希矣。 とある。肉食の材料は、獣肉から牛肉へ、そして、味噌から醤油と砂糖へと移 行していく8。しかし、当初、牛鍋に用いられた具は、牛肉と葱のみで、味付 けは、牛肉の臭みを消すために、牡丹鍋に似た味噌のタレを使っていた。葱の 長さにも独特なこだわりがあり、五分(約15ミリ)の長さに切ったことから、 「五分」とも呼ばれている。 自序は、『安愚楽鍋』の紹介と、仮名垣魯文が書いた文章を読者に見て読ん でもらうための紹介文のようである。内容は、「彼小便の十八町。慢〻地急案 即席調理。」のように、ゆっくりとだらだら書いたところもあれば、即席料理 のように、すばやく思いついたことを書いたところもあるとして、流行や西洋 の新しい思想、そして新しく仲間入りした物に追われながら、際物書きな形に 仕上げた作品であると言えよう。このような書き方は、小林氏によれば、「世 間の好尚を追随するのみで、世人の人気に投じることを心がけている9」と言 う。 以下の『安愚楽鍋』の初編に見られる以下の挿絵からは、庶民の衣食住に欧 風化が進んでいるとはいえ、庶民生活にまだ全ては行き渡っておらず、下駄を はき、服装もまだ変わらず江戸時代のままで、刀を持ちながら歩いている様子 7. 8 9. 和本などの書物を保存するために包む覆いの意(前掲『大辞林第三版』所収「帙」項) 。 岡田哲『明治洋食事始め とんかつの誕生』(講談社、2010 年、P4) 。 小林智賀平校注『安愚楽鍋』 (岩波書店、1967 年、P13) 。 7.
(13) か. ご. が見られる。また、明治時代に入る前までは、駕籠が主な交通手段であったが、 挿絵からは、明治時代から使われるようになった人力車夫と人力車と書かれた 看板が見られる。人力車は、「1872年までに、東京市内に1万台あった駕 籠は完全に姿を消し、逆に人力車は4万台まで増加して、日本の代表的な公共 輸送機関になった。これにより職を失った駕籠かき達は、多くが人力車の車夫 に転職した。1876年には東京府内で2万5038台と記録されている。1 9世紀末の日本には20万台を越す人力車があったという10」。. 出典:『安愚楽鍋』より引用. 牛店雑談. 『安愚楽鍋初編』全. 開場 かるが. 天地は萬物父母。人は萬物の霊。 故 ゆゑに11五穀草木鳥獣魚肉。是が 食となるは自然の理にして。これを食ふこと人の性なり。昔々の里諺に。 盲文爺のたぬき汁。因果応報穢を浄むる。かちかち山の切火打。あら玉 うさぎも吸物で。味をしめこの喰初に。そろそろ開化し西洋料理。その 功能も深見草。牡丹紅葉の季をきらはず。猪よりさきへだらだら歩行。 よし遅くとも怠らず。徃来絶ざる浅草通行。御蔵前に定舗の。名も高籏 の牛肉鍋。十人よれバ十種の注文。昨晩もてたる味噌を挙。たれをきか せる朝帰り。生のかはりの粋がり連中。西洋書生漢学者流。劉訓に似た 儒者あれば。肖柏めかす僧もあり。士農工商老若男女。賢愚貧福おしな 10. WIKIPEDIA 検索「人力車」 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%8A%9B%E8%BB%8A#cite_note-6)。 11 それゆえに。そういうわけで(前掲『weblio 辞典』所収「故ゆえに」項) 。 8.
(14) べて。牛鍋食はねば開化不進奴と鳥なき郷の蝙蝠傘。鳶合羽の翅をひろ げて遠からん者は人力車。近くは銭湯帰。薬喰。牛乳。乾酪洋名チーズ 乳油洋名バタ牛陽はことに勇潔。彼肉陣の兵粮と。土産に買ふも最多き。 人の出入の賑はしく込合の節前後御用捨。御懐中物御用心。銚子のおか はり。お会計。お帰ンなさい入ラツしやい。実に流行ハ昼夜を捨ず繁昌 斯の如くになん。されバ牛はうしづれの同気もとむる肉食群集席を区別 しありさまを。一個一個に穿て云ハバまづざつとしたところがこんなも のであらうか。 開場の初めに、 「天地ハ萬物父母。人ハ萬物の霊。」と描かれているが、これ は、 『尚書‧秦誓上』の経文を引用していることが窺える。 泰誓上: 惟十有三年春,大會于孟津。王曰:「嗟!我友邦塚君越我御事庶士,明聽 誓。 惟天地萬物父母,惟人萬物之靈。但聰明,作元后,元后作民父母(後略)。 こ. じ ゅ う さ ん ねん は る. もうしん. くわい. おういわ. ああ. ゆうほう. ちょうくん. 惟れ十有三年春,大いに孟津に 會 す。王曰く:「嗟!我が友邦の 塚 君 、 およ. ぎょじしょし. つと. ちかい. き. 越び我が御事庶士,明めて 誓 を聽け。 こ. てんち. ばんぶつ. ふ. ぼ. こ. ひと. ばんぶつ. たま. そうめい. 惟れ天地は萬物の父母にして,惟れ人は萬物の靈なり。まことに聰明な げんこう. な. げんこう. たみ. ふ. ぼ. な. る元后と作り,元后は民の父母と作る(後略)12。 これは、「万物生成論の初めは道家的であるが、万物一体的な道家思想から ではなく、禽獣草木を最下にすえた例秩序的な孟子・荀子の儒家思想からうま れたもの13」で、天地が万物を創造したため、天地は万物の親との意味である。 そして、人類は万物を掌握するため、人類は万物中の霊物との意味である。人 類が万物の霊として存在することができるのは、智能が他の動物より高いが故 に、人類は教育を受けることで、知識を高め、品格を向上させ、創造力を発揮 し、万物を達成または越すことができる能力を持っているからである。この一 文からは、江戸から明治にかけて劇的な変化を見せる日本の社会風景を映し出 しているのではないかと考えられる。 「故ゆゑに五穀草木鳥獣魚肉。是が食となるハ自然の理にして。これを食ふこ. 12 13. 小野沢精一『書経下』(明治書院、1985 年、P451) 。 同上、 (P452) 。 9.
(15) と人の性なり」とは、そういうわけで五穀草木鳥獣魚肉が食となるのは、自然 の理であり、これらを食べることは人の性であるという意味である。「昔〻の 里諺に。盲文爺のたぬき汁。因果応報穢を浄むる。かちかち山の切火打。あら 玉うさぎも吸物で。味をしめこ14の喰初15に。」に出てくるこのかちかち山の昔 話は、お爺さんが畑で捕まえたいたずらの狸を狸汁にして食べようとするシー ンがあることから、昔話を通じて、牛も狸と同様に殺して食べてもいいと言う ことを伝えたかったのではないか。 「あら玉うさぎも吸物で。味をしめこの喰初に。そろそろ開化し西洋料理。 その功能も深見草。牡丹紅葉の季をきらはず。猪よりさきへだらだら歩行。よ し遅くとも怠らず。往来絶ざる浅草通行。御蔵前に定舗の。名も高籏の牛肉鍋」 では、かちかち山の兎の吸い物が食べ初めで開化した西洋料理の効き目は牡丹 紅葉のように良く、たとえその歩みが猪より遅くても怠らなければ、という意 味を表し、牛鍋の食べ始めを指していると考えられる。人が多く行き渡る浅草 通りの御蔵前の定舗16に高旗を張って、牛肉店を営む様子が窺え、高旗を張る ことから、店構えを判断することができる。原田氏は、「店構えは、旗を立て ているのが上等で、提灯があるのが中等、引き戸か看板を兼ねるのが下等とし、 いずれも鮮肉をイメージする朱書で「牛肉」と書かれた17」と言う。 「十人よれバ十種の注文」とは、十人お客が来れば、十種類の様々な注文を することなのか、十人来るお客は、十種類の動機を持って牛鍋屋に訪れるのか、 または、牛鍋は十人十色の注文で、牛鍋を食べながら聞こえる話も十人十色な のか、ここでは定かではない。ただ、ここで窺えることはこの店では、牛鍋に 限らず、そのほかにもいろいろなものが売っていたことが分かる。 「昨晩もてたる味噌を挙。たれ18をきかせる朝帰り。生のかハりの粋がり19連 中。西洋書生漢学者流。劉訓に似た儒者あれバ。肖柏めかす僧もあり。士農工 商老若男女。賢愚貧福おしなべて。」とあるように、この店に行き交う人たち はそれぞれで、夕べの自慢話をする人、のろけ話を聞かせる朝帰りの人、生肉 のお代わりで得意気にする人たち、書生や儒者もいれば、僧侶も居た。商人、 職人、儒者、人力車の車夫、武士、落語家に限らず、女性も登場する。後に述 14. 兎(前掲『weblio 辞典』所収「しめこ」項)。 初めて食べること(前掲『weblio 辞典』所収「喰初」項)。 16 「定舗」は一定の場所で一定の商品を売る店。魯文が書いた引札(チラシ)の文案による と、浅草御蔵町前片町(現・台東区蔵前一丁目)には「浅草元祖・牛肉売捌所」の「日の出」 があり、牛肉鍋のほか、さまざまな乳製品を売っていた(坪内祐三編集『明治の文学 第一巻 仮名垣魯文 』筑摩書房、2002 年、P270) 。 17 原田信男『和食と日本文化 日本料理の社会史』 (小学館、2005 年、P157) 。 18 のろけること。(前掲『weblio 辞典』所収「たれ」項)。 19 いかにもいきであるかのように振る舞う(前掲『weblio 辞典』所収「粋がり」項) 。 10 15.
(16) べるが、娼妓、茶店娘など地位、身分、性別、賢愚または貧富に問わず、牛鍋 を楽しまれていた。書生が牛鍋を食べていた場面は、仮名垣魯文の滑稽本『万 国航海 西洋道中膝栗毛』の内容にも見られる。 年齢ハ二十か十二位の書生両個牛肉店の正面にはかまのままあぐらを かき持参のビイルハ疾にかたむけフラスコの徳利をかたハらへころがし 地まハりの水ッぽいさけをさしつおさへッして牛なべのかハりは生のか ら皿が二枚ばかり出て火鉢の鍋のうちハ正肉ハ喰つくし五分切の葱がた れ味噌と合併してかなへに沸るみけん尺の如くをりをり薬鑵をとりよせ て白湯をさしてにへをしづめることあり20。 年齢は20か22歳くらいの二人の書生があぐらをかきながら牛鍋を囲み、 持参のビールはすでに飲んでしまっている。火鉢の上に置いてある鍋の中の肉 はほとんど食べつくしてしまい、鍋の中で混ぜ合わさった5分(約15ミリ) に切った葱と味噌が煮詰まっている。そこで、やかんで差し湯を加え、鍋をグ ツグツ煮込む様子が窺える。鍋の中身はとても簡単で、牛肉と葱でそこに肉の 臭みを消すための味噌が入ってくる。そして、書生にも牛鍋が食べられるとい うことから、相当手頃な値段で売られていたに違いない。 牛鍋は当時の人にとって、抵抗があまりなかったことが窺え、穢れ意識も少 しずつ薄くなっていったのではないか。しかし、それほど多くの人に牛鍋が親 しまれていたかと言えば、そうではない。全ての人に牛肉が受け入れられたわ けではなく、石井研堂の『明治事物起源』には、店に客が来なくて悩んでいる 様子が窺える。 「店開きにお客が一人ないといふのは、心細い」と、口小言いひいひ、 夜の10時ごろに、店を諦めようとするとき、図部六に酔ひし、仲間二 人飛び込み来り、「さア牛肉を食はせろ、俺達はイカモノ食ひだ」と、大 威張りにて食ひ行けり。その後とも、ときたま来る客は、悪御家人や雲 助、人柄の悪い奴ばかりにて、「俺は牛の肉を食ツた」と強がりの道具に 使ふためなりし。いはゆる真面目の人は皆無なりければ、商売にはさぞ 骨の折れたることなるべし。. 20. 坪内祐三、ねじめ正一『明治の文学. 第一巻 仮名垣魯文』 (筑摩書房、2002 年、P147) 。 11.
(17) この文章から、牛鍋は食べるだけの楽しさだけでなく、 「強がりの道具」で、 後にも述べるが、牛肉は男性にとって精力剤という役割もあった。 次に、登場する「牛鍋食ハねバ開化不進奴と鳥なき郷の蝙蝠傘21。鳶合羽の 翅をひろげて遠からん者ハ人力車。」は、牛鍋を食べなければ、時代遅れにな るという、仮名垣魯文の近代化への強い思いが込められている有名な一文であ る。鳶合羽は、当時和装用のコートで、主に防寒・防雨のために用いられるこ とから、この牛鍋を食べるために遠いところから何日も歩いて来た人もいるの ではないかと考えられる。遠い者は、人力車を利用する人もいる。 この牛鍋屋には、「牛乳。乾酪。洋名チーズ乳油。洋名バタ。牛陽。」など、 牛鍋に限らず、乳製品も販売されていたことが分かり、当時の人には牛肉と同 じように乳製品は滋養品である認識があったようである。 新鮮の牛乳は、無比の滋養品にて、虚労又は絶食の病気に相用、誠に 回生肉骨の妙功有之候。小児の母乳無之者を養育致候に於て天下絶て比 類無之候。牛肉は人間食物中最第一の滋養品にて、人身を養ひ、血液を 補ひ、身體を健にし、勇気を増候もの故、殊に軍人には一日も缺くべか らざる品に御座候22。 と、このように新鮮な牛乳は、滋養品だけでなく、疲労や病気に効果があり、 そのなかでも、牛肉が人間の食べ物の中で一番滋養な品であると言っているこ とから、牛肉の滋養をとるだけでなく、もっとたくさんの滋養を庶民にとって もらうことで近代化と西洋人の食生活に見習うという観点から、多種多様な食 べ物を庶民の食生活に浸透させていき、一刻も早く西洋文明に追いつけようと していることが考えられる。 しかし、乳製品に限らず、薬喰などといった庶民が肉=滋養の概念の肉食の 啓蒙の始まりは、もう一人の肉食を推進した福沢諭吉の言説に求められると考 える。「福沢諭吉は築地に設立された牛肉販売会社「牛馬会社」の求めに応じ て1872年(明治3)に、肉食の宣伝用ともいえる『肉食之説』を発行して いる。23」. 「鳥なき里の蝙蝠」は、すぐれた者がいないところでは、つまらない者が幅をきかすこと のたとえ( 「古事ことわざ辞典」所収「鳥なき里の蝙蝠」項 http://kotowaza-allguide.com/(以 下同じ) )。 22 加茂儀一『日本畜産史 食肉・乳酪篇』 (法政大学出版局、1976 年、P214~P215) 。 23 JA全農(全国農業協同組合連合会) http://zeushi-kun.jp/news/2014/03/24/01/。 12 21.
(18) 天地の間に生るゝ動物は肉食のものと肉を喰はざるものとあり。獅子、 虎、犬、猫の如きは肉類を以て食物と爲し、牛、馬、羊の如きは五穀草 木を喰ふ。皆其天然の性なり。人は萬物の靈にして五穀草木鳥魚獸肉盡 く皆喰はざるものなし。此亦人の天性なれば、若し此性に戻り肉類のみ を喰ひ或は五穀草木のみを喰ふときは必ず身心虚弱に陷り、不意の病に 罹て斃るゝ歟、又は短命ならざるも生て甲斐なき病身にて、生涯の樂な かるべし。古來我日本國は農業をつとめ、人の常食五穀を用ひ肉類を喰 ふこと稀にして、人身の榮養一方に偏り自から病弱の者多ければ、今よ り大に牧牛羊の法を開き、其肉を用ひ其乳汁を飮み滋養の缺を補ふべき 筈なれども、數千百年の久しき、一國の風俗を成し、肉食を穢たるものゝ 如く云ひなし、妄に之を嫌ふ者多し。畢竟人の天性を知らず人身の窮理 を辨へざる無學文盲の空論なり…只管我國の風にてこれを用ひずとの説 なきにあらざれども、今我國民肉食を缺て不養生を爲し、其生力を落す 者少なからず。即ち一國の損亡なり。既に其損を知り亦これを補ふ術あ らば、何ぞ其術を施さゞるの理あらん。一軒の家にして、病人の多きは 我家風なりとて醫藥を用ひざる者あらば、これを知者といふべき乎24。 福沢諭吉は、五穀草木だけでなく肉食も一緒にとることで、バランスの良い 栄養を取ることができると説き、日本人の本来の食事様式は、五穀や野菜に偏 っていたから、病気になりやすく、畜産物をとることが重要であり、栄養を重 視したうえで、肉食や牛乳の食用の大切さを訴えている。ただ単に、牛肉の美 味しさを伝えるだけではなく、福沢諭吉は食肉を健康面や栄養学といった視点 から奨励することで、また違った方面から庶民の食文化に牛肉を浸透させよう としたのではないかと考えられる。 たけり. また、牛肉は滋養概念の認識だけではなく、「牛陽25はことに勇潔。彼肉陣 の兵粮と。土産に買ふも最多き。」とあるように、活力のもとになることで男 性の精力剤としても食べられていただけでなく、土産にする人もいた。「人の 出入の賑ハしく込合の節前後御用捨。御懐中物26御用心。銚子のおかハり。お かく. ごと. 会計。お帰ンなさい入ラツしやい。実に流行ハ昼夜を捨ず繁昌斯の如く27にな ん。されバ牛ハうしづれの同気もとむる肉食群集席を区別しありさまを。一個. 福沢諭吉『明治文学全集8 福沢諭吉集』 (筑摩書房、1966 年、P334~P335) 。 強精剤など、薬用とするときの称(前掲『weblio 辞典』所収「牛陽」項) 。 26 財布や時計など、ふところやポケットに入れてあるもの(前掲『weblio 辞典』所収「御懐 中物」項) 。 27 「斯の如く」は、 「このように」といった意味(前掲『weblio 辞典』所収「斯の如く」項)。 13 24 25.
(19) 一個に穿て云ハバまづざつとしたところがこんなものであらうか。」では、様々 な人が出入りするなか、牛鍋屋の繁盛の様子がこの文章からも窺える。人々が 賑やかに込み合うなか、個人の手回り品には十分注意するよう心がけてほしい という注意事項も見られる。お酒のおかわり、お会計。お帰んなさい、そして いらっしゃいとお客が店から慌しく出入りする様子や食事のおかわりなどか ら、商売が繁盛していたことが窺える。 開場では、牛鍋屋へ通う人たちを通じて、これから『安愚楽鍋』に登場する 人物の物語が展開されていくことを意味しているのではないかと考えられる。 そして、 「牛鍋屋に集まる当時の各階級の人物をとらえて、写実的に描写し、 その断片的な小話を集め、その中で開化期のいろいろな人物の性格や意見を映 し出したもの28」と言える。 以下の『安愚楽鍋』の開場の挿絵では、牛鍋屋の前には、たくさんの人が賑 わっていて、馬車の上には外国人が数名いる。その馬車の後ろに立っている男 性は周りの人と変わった服装で、スーツ姿の格好をしているが、髪型はちょん まげである。また、袴に刀を持ち、蝙蝠傘をさしている人もいれば、ちょんま げ姿で、鳶合羽を着ている男性もいる。女性は、とくに変わった服装はしてい ないが、珍しい外国人に目を離せずにいる。店前に懸けてあるのれんには、 「牛 乳。乾酪チーズ。乳油バタ。乳の粉パラメル。御蔵前元祖。」と書かれている ことから、全て牛に関係する食品が売られている。「牛の煉薬、氷湖道人…、 黒牡…、賣弘…」と書かれた看板があるなか、ここでの「黒牡丹」は、「魯文 が作っていた売薬29」である。. 出典:『安愚楽鍋』より引用 28. 小林智賀平『安愚楽鍋』 (岩波書店、1968 年、P7) 。 高木元「書物(テキスト)のリテラシー : 板本は読めているか」 (『日本文学』62-4、日本文 学恊会、2013 年) 。 14 29.
(20) せいようずき. ききと. 第一章 西洋好の聴取り 年頃は、三十四五の男、色浅黒けれど、シャボンを朝夕使うと見えて いろつや. あく抜けて色艶よく、頭は撫で付けか総髪にでもなるところが、百日こ の肩生やしたるを右の肩へ撫で付け、もっともヲーテコロリと言える香 水を使うとみえて髪の毛の艶よく、わげは格別大きからず。絹ゴロの道 とういと ふ た こ. さらさ. 行振に綯糸二子の綿入れまがい。更紗の下着、裏は張り返しの額裏なる べし。カナキンで張りたる蝙蝠傘を傍らへ置き、苦しい算段にて求たる 袖時計の安物をえりから外して時々ときを見るはそつちのけ、実は他の ものへ見せかけなり。ただし鎖は金のてんぷらと見えたり。隣に牛を食 いている客に話をしかける。 「モシあなたエ、牛ハ至極高味でごすネ。この肉がひらけちやア、ぼた んや紅葉は喰えやせん。こんな清潔なものをなぜ今まで喰はなかつたの でごウしょう。西洋では千六百二三十年前から専ら喰うようになりやし たが、その前は牛や羊ハその国の王が全権と云ッて家老のやうな人でな けりゃア平人の口へは這入りゃせんのサ。追々我国も文明開化と号ッて ひらけてきやしたから、我々までが喰うようになつたのは、実にありが たいわけでごス。それを未だに野蛮の弊習と云ッてネ、開けねへ奴等が、 肉食をすりゃア、神仏へ手が合されねえの。ヤレ穢れるのと、分からね へ野暮を言うのは究理学を弁えねえからのことでげス。そんな夷に福沢 の著た肉食之説でも読せてえね、もし、西洋にゃアそんなことハごウせ ん。この人ござりませんをごウせん、ござりますをげスなど言う癖あり。 彼土は全て理でおして行く国柄だから蒸気の船や車の仕掛けなんざアお それ言ったもんだネ。既にごらうじろ。伝信機の針の先で新聞紙の銅板 を彫ったり、風舩で空から風を持ってくる工風は妙じゃアごうせんか。 あれはネ、モシ、こういう訳でごぜへス。地球の図の中に暖帯と書てあ りやす国があるがネ、あすこが赤道と言って日の照りの近い土地だから みな. 暑いことは、たまらねぇ。そこでもって国の人が日に焼けて皆な黒ん坊 サ。それだから、その国の王がいろいろ工風をして風舩と言うものを造 って、大きな円い袋の中へ風をはらませて、空から降ろすとその袋の口 を開きやすネ。すると大きな袋へ一杯はらませてきた風だから、四方八 方へ広がって国の内が涼しくなるといふ工風でごス。まだ奇妙なことが ありやす。魯西亜なンぞと言う極寒い国へ行くと、寒中は勿論夏でも雪 が降ったり氷が張るので徃來ができやせん。そこで、かの蒸気車と言う 15.
(21) ものを工風しやしたが、感心なものサネ。一体蒸気車と云うものは地獄 の火の車から考え出したのだそうだが、大勢を車へ載せて、車の下へ火 筒をつけて、そのなかで石炭をどんどん焚くから車の上に乗っている大 勢は寒気を忘れて遠道の通行ができやしょう。なんと考えたものサネ。 何サ、このくれえな工風はあっちの徒はちゃぶちゃぶ前でげス。この大 千世界の形象せえ渾沌として毬の如しと考えたはサ。その以前は釈迦如 来が須弥山と号けたところが、西洋人はまんまんたる海上を渡って世界 の果てからは果てまでを見きわめたのだから、釈迦坊も後悔したそうサ。 そこで以て海をわたる工風を西洋じゃア、後悔術と言いやすはナ。オヤ、 ごぶ. モウ御帰路か、ハイさようなら、オイオイ、ねえさん、生で一合。葱も 一緒に頼む頼む。 34,35歳の男性は、肌が浅黒く、常にシャボン(石鹸)を使って風呂に 入ることで、あく抜きすることで、肌のツヤが良くなり、頭は、撫で付け髪か 総髪で長い髪をオーデコロンと言う香水を使い、髪の毛のツヤが良くしている。 髷は特に大きくなく、絹糸でゴロフクレン30のように織った織物の道行振に綯 糸と二子の二種類の綿が入り混じる。更紗の下着の裏は張り返しの額裏を仕立 てる。カナキンで張った蝙蝠傘を隣へ置いて、あれこれと方法を考えては、安 物の懐中時計を襟から外して、時々時間を見た振りをしながらも、実は懐中時 計は飾り物であって、時間を見ているかのよう人に懐中時計を見せびらかして いる。懐中時計のくさりはメッキで仕掛け、そこで、となりで牛肉を食べてい る客に話をかける。このように、初めの短い文章には、オーデコロン・蝙蝠傘・ メッキの懐中時計・牛肉など、日本文化に新しく仲間入りしたものばかりをな らべ、西洋文化の香りを漂わせる。服装や髪型などはまだ西洋風にはなってい ないが、生活用品など周りの物は着々と変わりつつあるように見られる。 そして、男性は、牛鍋を食べている客に話をかける。「貴方、牛は至極おい しい物だと思いませんか。この牛肉が食べられるようになると、これまで食べ てきた牡丹や紅葉は食えないですよ。なぜこんなに清潔なものを今まで食べな かったのでしょうね。」と、牛肉を口にした後、 「牛ハ至極高味」だと、牛肉の 美味しさに感心し、牡丹鍋や紅葉鍋はすでに時代遅れであり、牛肉が今やこの 時代の先端に立つ食べ物であるかのように、牛肉を賛美している。また、牛肉 は清潔なものだと、今までの食肉に対しての穢れ意識を打ち消すかような発言. 粗く粗末な羊毛布地( 『コトバンク』所収「ゴロフクレン」項 https://kotobank.jp/(以下 同じ)) 。 16 30.
(22) も見られる。また、話が続き、「西洋では、千六百ニ、三十年前から食うよう になっていましたが、その前は牛や羊は、その国の王や家老のような人でなけ れば、一般の人には口にすることができなかったのだ。しかし、我国は文明開 化のおかげで、段々と食べられるようになるとは実にありがたいものである。」 と、西洋では牛や羊は珍しい食べ物であり、一般の人には簡単に手が届かない 食べ物であったことに、それが今、私たちが食べることができることから、牛 鍋はちょっとした贅沢な食べ物であることを訴えている。 「未だに野蛮の弊習と云ツてネひらけねへ奴等が肉食をすりやア神仏へ手 が合されねへのヤレ穢れるのとわからねへ野暮をいふのハ究理学を弁へねへ からのことでげスそんな夷に福沢の著た肉食之説でも読せてへネ」という一文 から、今までの弊習、穢れ意識や宗教意識を振り払おうとする意図が見られる。 このように未だに肉食について穢れ意識を持っている人は、肉食の推進者でも ある福沢諭吉が書いた肉食之説を読むのが一番好ましいとまで指摘している。 なぜなら、原田氏によると、「明治三年、福沢諭吉は腸チフスを患い、牛乳を 飲んだことによって回復し、快癒後に牛肉販売会社の要請に応じて、広告文「肉 食之説」を書き、牛肉や牛乳が穢れたものではなく、身体のために有効なこと であると強調している31」からである。日本人は、肉食に対して、心身に恐れ ていては、近代化へ一歩も前進することはできないと感じたのではないか。欧 米人のように背が高く、ガッチリした体付きの欧米人に見下されないためには、 体力的にも文化的にも何としても、まず西洋料理を普及させることで、日本人 が牛肉に対してのコンプレックスを克服させようと思ったのではないか考え られる。そのために、肉食推進者が現われたり、天皇自らが率先して肉を食べ るような行為が効果的ではないかという思惑があったとされる。 次に、 「この人ござりませんをごウせん、ござりますをげスなど言う癖あり。 彼土は全て理でおして行く国柄だから蒸気の船や車の仕掛けなんざアおそれ 言ったもんだネ。既にごらうじろ。伝信機の針の先で新聞紙の銅板を彫ったり、 風舩で空から風を持ってくる工風は妙じゃアごうせんか。・・・中略・・・魯西亜な ンぞと言う極寒い国へ行くと、寒中は勿論夏でも雪が降ったり氷が張るので徃 來ができやせん。そこで、かの蒸気車と言うものを工風しやしたが、感心なも のサネ。・・・中略・・・オヤ、モウ御帰路か、ハイさようなら、オイオイ、ねえさ ごぶ. ん、生で一合。葱も一緒に頼む頼む」とあるが、彼の言葉から「ござりません」 を「ごうせん」、 「ござります」を「げす」と言う癖があるのに気づいた。また、 蒸気の船や車、伝信機などが登場することから、まだ日本ではあまり目にする 31. 原田信男『歴史のなかの米と肉』 (平凡社、2005 年、P26) 。 17.
(23) ことのない珍しいものばかりに感心する日本人を描き、牛肉もその近代的な食 として目立たせていることが窺える。最後にこの男性は、「おや、もうお帰り ごぶ. ですか?はい、さようなら。お姉さん、生で一合。葱も一緒に頼むぞ。」と、 客との会話にも夢中であったが、忘れずもう一皿生肉を頼んで食べようとして いるが、牛肉と葱は相性があうのか、牛肉単品だけでなく、葱も一緒頼んでい る。 以下の『安愚楽鍋』にみえる西洋好の聴取の挿絵では、この本文に出てくる 34,5歳の男性で、片手に首からかけたメッキの懐中時計、もう片方に箸を 持っている。また、男性の背後には、蝙蝠傘を背負っており、髪型は総髪のよ うに見える。胡坐をかき、手前に見えるのは、お酒とグツグツと煮た牛鍋が木 箱のようなものの上に置いてあり、大きさからして一人前の牛鍋を食べている ことが、挿絵から窺える。. 出典:『安愚楽鍋』より引用. 第二章. なまけもの. くるわばなし. 堕落個の 廓 話. いちょう. 年は二十四五。色生白く、頭の髪はたくさんにて銀杏に結い、噺家の あいみじん. 円朝まがい。お召しの藍微塵の小袖一ツ、胴着はさだめし女の物を直し たりと思われ、二三日居続けてぼんやりした姿。少しやつれを見せる達 なり、銀鎖十六ほんの煙草入れ、性の怪しき32に、七度焼き33如心ばり34の 本物かどうか疑わしい(坪内祐三編集『明治の文学 年、P274) 。 33 上等のめっき(同 32)。 18 32. 第一巻. 仮名垣魯文 』筑摩書房、2002.
(24) 着せる、根つけ35は象牙の鏡豚にて、これも仕いれものと見えたり。時々、 腕をまくりて腕守りの銀金具をひけらかし、連れと二人、差しつ押さえ つ36飲みかけ、目のふちを赤くして黄色い声を高調子。 「半ちゃん、夕べの世界はおいらは実に塞いだよ。あすこへは、三四た び上がった事のあるのだから剣呑だというのに。竹坊がむやみにあがら う言うから、おめえは一件の処へ脱走してしまうし、おいら一人ほかへ あがるのも面白くねえから、野面で上がりこんだところが、あいにくと う. ら. 二会まで行った遊女がおいらに出ッくわせたろうじゃあねえか。こいつ は不見識だと思ったけれど、引き付けの時、誤魔化して脇を向いていた からお茶屋が気をきかして、ヘイお召し替え、と早く切り上げたのでそ の場は切り抜けたが、番新めがおいらの顔を見覚えていやがって、ひけ て座敷へ入るとすぐに、モシエ主やアよく来なました。人が悪うざんす ヨ。…中略…もうもう吉原はごめんごめん。しかし今夜は廓の名残に。 かの一件の処へ出かけるつもりだが。もう一晩附き合うべしさ。なにま た株だ。嫌さ、実に今夜で根っきり葉っきり37、本当にこれぎりこれぎり。 さてお銚子もおつもりだ。 「堕落個の廓話」では、この男性は、二十四五歳の色白で、銀金具38をひけ らかし、お酒を飲みながら、連れてきた人と二人で昨夜の廓話について語って いるが、登場する人物は一人のみの語り手である。この男性は、昨夜、友達と 二人で遊女を探しに行ったが、友達はこの男性を捨てて一人で遊女のところへ 脱走してしまい、一人残ってしまった男性は、一人で遊女のところへ行ったと ころ、あいにく同じ遊女と二度会ってしまった。だが、不見識だと思われるの を防ぐため、初めて会う客に遊女を呼び寄せて紹介し、気まずい状況から離脱 することができた、という廓話である。そして、今晩の最後はお銚子でおしま いにする、と言う。 この「堕落個の廓話」からでは、牛鍋に関する内容が一切見られないが、唯 一挿絵から、牛鍋の絵が見られ、牛鍋を食べながら、この男性は、昨夜起こっ たことを、もう一人の相手に話している。 34. 如心型の煙管(坪内祐三編集『明治の文学 第一巻 仮名垣魯文 』筑摩書房、2002 年、P274)。 タバコ入れなどの、ひもの先端に付ける小さな細工物(前掲『weblio 辞典』所収「根つけ」 項) 。 36 酒杯をさしたり、相手のさしてくれるのを押し返して薦めたりして酒を飲むさま(前掲 『weblio 辞典』所収「差しつ押さえつ」項) 。 37 あるだけすべて(前掲『weblio 辞典』所収「根っきり葉っきり」項) 。 38 銀製の金具(前掲『weblio 辞典』所収「銀金具」項) 。 19 35.
(25) 以下の『安愚楽鍋』にみえる堕落個の廓話の挿絵では、男性はあぐらをかき ながら、銚子を片手に持ち、手前には一人分の牛鍋が置いてある。また、煙草 入れは銀鎖が付いていて、男性の隣に銀ギセル39が置いてある。そして、首に は銀鎖をつけて見せびらかしている。牛鍋とお酒は、セットであって、当時の 人には欠かすことのできなかったのであろう。牛鍋は大勢の人があぐらをかき ながら、牛鍋を囲んで食べているのではなく、一人に一つの鍋が与えられてい る。また、杯を置く「杯台揃」が置いてある。. 出典:『安愚楽鍋』より引用. 第三章. いなか ぶ. し. ひとりのみ. 鄙 武士の 独 盃. 年頃は三十ばから、色あくまで黒く、頭は自鬢の草たばね、最も総髪 の火のつきそうな乱れ髪。黒木綿の紋付鈍付く布子40に、小倉の汚れ腐っ たる袴。短き一本刀の柄の汚れを厭うか、あるいは柄糸のほつれを隠さ んためか、白木綿にて、ぐるぐると巻きつけ、つんつるてんの着物を腕 まくりして斜にかまえ、よほど酔いが回りしと見えて、割り箸の先にた れの付たるを二本つかみて、手拍子を打ちながら大きなどす声にて、 やつこい. 詩「…中略…こやこや、そしてな、生の和味41のを今一皿くれんか。ああ 39 40 41. 煙管(前掲『weblio 辞典』所収「銀ギセル」項) 。 地糸が太く節の多い、下等な木綿の綿入れ(前掲『コトバンク』所収「布子」項) 。 柔らかい(前掲『weblio 辞典』所収「和味」項) 。 20.
(26) 愉快じゃ愉快じゃ、と辺りをきょろきょろ見回して隣にいたるサムライ をじろり見やり、崩したる膝を立て直し、はあ失敬ごめん、こや女子、 何を因循しておるか。勉強して神速にせい、と言いながら又こちらの侍 に打ち向かい、気味、牛肉は至極好物と推察のう仕るが、僕なぞも誠実 かっぽうてん. 賞味いたすでござる。いや、かかる物価沸騰の時勢に及んで、割烹店な と. どへまかりこすんなんちう義は、所謂激発の徒42でござる。この牛肉とい う物は高味極まるのみならず、開化滋養の食料でござるて。いや、何か と申して失敬、御免。こやこや女子。一寸来んか。こや、あのな、生肉 をな、一斤43ばかり持参いたんすで。至極44の正味を周旋いたいてくれ。 ああ、酩酊極まった。おお、生肉か、ええわ、うええわ。会計はなんぼ か。甚句「愉快極まる陣屋の酒宴、中にますら雄美少年引、と鼻歌を歌 いながら荒々しく刀を下げ、竹の皮包みをつかにかけて、女子またくる ぞ、途方の木ばの履き物がらがら表へ立ち出で、うたしきしまのやまと ごころを人問わばアヽヽヽヽ朝日にヽ匂う山さくら花あヽヽヽ。 この鄙武士は、30歳ぐらいの年頃で、肌は黒く、髪型は総髪にするところ が、自分で束ねたため、火のつきそうな髪型と例え、ボサボサしているみだれ 髪となってしまっている。この武士は、一人で田舎からわざわざ都市部へ来て 牛鍋を食べに来た様子が見られることから、牛鍋は身分などに限らず、幅広い 人に食べられていたことが窺える。汚れた袴に、鈍付く布子の下等な布を扱い、 刀の汚れが皆にばれないように、白木綿でぐるぐる巻きつけている。「つんつ るてんの着物を腕まくりして斜にかまえ。」では、衣服の丈が短くて手足が出 てしまうので腕まくりして袖が落ちないように斜めに構えて座ることから、乱 れをあまり心がけない田舎の武士であることが窺える。 あまり西洋風に深い関係がない服装や身柄だが、食べ物には非常に興味を抱 いているように感じられるこの田舎武士は、隣にた侍に向かって牛鍋は「この 牛肉という物は高味極まるのみならず、開化滋養の食料でござるて」という。 牛肉は、味だけでなく、栄養のある食べ物であることを絶賛している。 以下の『安愚楽鍋』にみえる鄙武士の独盃の挿絵では、髪型や服装、また 西洋に関する物を一つも持っていない武士であることが窺える。飲み終えた 杯が倒れて置いてあり、刀を持ち、煙草入れのようなものが置いてある。西 思うようにならず無謀な行動をするともがら(坪内祐三編集『明治の文学 垣魯文 』筑摩書房、2002 年、P278) 。 43 一斤は、600 グラム(同 42)。 44 この上ない事。最上(同 42)。 21 42. 第一巻. 仮名.
(27) 洋のものには全く興味を示さない武士であるが、牛鍋には、「高味極まるの みならず、開化滋養の食料でござる」とまで、賛美していることから、貧し くてでも必ず一度は食べてみたいと興味津々の様子である。ここでも、貧富 や身分に関係なく牛鍋が食べられ、都市部だけに牛鍋が知られていただけで なく、すでに郊外にも牛肉の存在があったことを窺い知ることができる。し かし、どちらかといえば、まず牛肉の食べ始めと言えば、外国人である。石 井研堂は、「外人横浜に居留後、第一に不便を感ぜしは牛肉にして、これを 内地に求めがたく、生牛を遠く米国または支那より購入し、横浜と横須賀に てこれを屠り、その需用を充たせしが、当時アメリカ八十五番は、牛肉店と して有名なるものなりし45」という。. 出典:『安愚楽鍋』より引用. 第四章. の だ い こ. おベツか. 野幇間の諂諛46 め. 年頃は、三十二三。顔細長く背のひょろりとした男、藍微塵のお召し ちりめん. 縮緬47、唐更紗48は縁ばかりの下タ着にそろえ、絹縮の栗梅に染めた羽織 へ小さく五ツ所紋を付け、上州博多の船格子、のりの強い帯を締め、ま 石井研堂『明治事物起源8』 (筑摩書房、1997 年、P53) 。 諂諛は、お世辞を言ったり機嫌をとったりして,相手に気に入られるように振る舞う(前 掲『weblio 辞典』所収「諂諛」項) 。 47 お召し縮緬は、昔、貴人が着たところから縮緬の上質のもの(前掲『コトバンク』所収「お 召し縮緬」項) 。 48 外国製の更紗(坪内祐三編集『明治の文学 第一巻 仮名垣魯文 』筑摩書房、2002 年、P278)。 22 45 46.
(28) か ら じ し. がい珊瑚樹の緒締めを付けたる黒桟の一ツ下げ、根付けは角にて唐獅子 をつくりたる古風な細工。煙管は石州張りのてんぷらなり。ときどき眉 毛を上げ下げして口をつぼめて物を云う癖あり。連れはかねて得意の客 とおぼしく浅草のじ地内あたりで行き会い、取り巻きて離れぬ様子。 のづ八「もし若旦那どうでげス、このせつは、でへぶ柳橋辺でお浮かれ 筋じゃあごぜえせんか、ええ、もし。あまり迷わせすぎると罪になりや すぜ。柳の筋は誰でごぜえす、白状、白状。オット、忘れたり忘れたり、 二三日めえに嶋原の晩花から飛札到来、・・・中略・・・トぐっと飲んで頭を 叩き、鍋の牛をむちゃむちゃ喰い、また箸を下へ置き、若旦那、若旦那、 ちょっとご覧なせえやし、隣りの年間はサ、ちょっとあく抜けた風俗だ が、牛をば平気、岡本で食う達者サはありゃあ、ただものじゃあごぜえ せんぜ。なんでも北里のお茶屋の妻君か、さもなけりゃア山谷堀あたり の船宿の女房かしらん、…中略…モウ一ぺん後生でございますよ、とあ たりをはばかって手を合わして別れやした。ネモシ、あなたはどういう 腕を出して婦人をお殺しなさるのでげす、実に不思議、妙でごぜえす。 ああおそれべ、おそれべ。 この男性は、年頃32,33歳で、顔は細長く、背がひょろりと高い。服 装は、上質の縮緬や外国の更紗、そして、上着には背中、左右の表袖と両肩 の前の各五カ所に紋が付いている。また、帯にはにせものの珊瑚珠がつけて あり、黒のサントメ革で作った煙草入れで、根付は獅子の模様で少しレトロ な細工、石州型の煙管の表面をめっきで覆うことから、この男性は、とても お洒落でお金持ちのように見られる。 この無芸の男芸者は、この間、妓楼の主人から、甘海宗匠という俳諧の師 匠への伝言を頼まれた後、ついでに楼上へ行ったところ野図八さんと浮きさ んと言う人が部屋にいるのを発見し、すぐさま、そこをかけだした、との事 件を語っているが、あまりにも早口で興奮しすぎたのか、喉が渇き、茶碗で 一杯と、牛肉を押し寄せてむちゃむちゃ食べたという場面がある。 以下の『安愚楽鍋』にみえる野幇間の諂諛の挿絵では、上着に紋が付いて いて、片手に白い紙のようなものをもち、手前には煙草入れと湯飲みが置い てある。入れ箱の中に、入れ物が二つあり、中身は何であるか判断しづらい。 晴れ姿の男性は楽しそうに誰かと会話をしている様子が見られる。. 23.
(29) 出典:『安愚楽鍋』より引用. 第五章. しょくにん. ちゅうっぱら. 諸工人の 俠 言 49 しるしばんてん. ももひき. 年頃は40ぐらい大工か左官らしき風俗、印 半 纏 50股引51腹掛け、 さんじゃくおび. 三 尺 帯 52は汚れたれど、白木の算盤染め、土橋まがいの煙草入れに厚張. りの真鍮煙管、髪はしのを束ねる如く、連れも同じく職人ながら、この 人物は年かさといいことに兄弟子にてもあらんかと思われたる話ぶり。 よほど酔いが廻りしと見えてきて巻き舌の高声にていばりをつける癖あ り、 「ええ、こう、松や聞いてくれ。あの勘次の野郎ほど付合のねえまぬけ は、西東の神田三界にゃあ、おらあ、あるめえと思うぜ。まあこういう 訳だ聞いてくりゃ。夕辺仕事のことで八右衛門さんの処へ面あ出すと、 ちょうど棟梁が来ていて、酒が始まっているんだろう、手めえの前だけ れど、おらだった世話焼きだとか犬のくそだとかいわれてるからだ、だ から、酒を見かけちゃ逃げられねえだろう。しかたがねえから、つっぱ えりこんで一杯やっつけたが、なんぼさきが棟梁大工でもご馳走にばか. 中っ腹のことで、心中で不愉快に思っているさま。むかむかしているさま(前掲『weblio 辞典』所収「俠言」項) 。 50 襟・背などに,家号・氏名などを染め出した半纏。江戸後期から,職人などが着用した。 別名、はっぴ(前掲『weblio 辞典』所収「印半纏」項)。 51 男子用下衣。後ろで左右の股上が重なり,脚部が細い。近世以降,半纏(はんてん)と組 み合わせて,商人や職人が用いた。 [季] 冬(前掲『weblio 辞典』所収「股引」項) 。 52 近世,職人などが締めた三尺の手ぬぐいや木綿の帯(前掲『weblio 辞典』所収「三尺帯」 項) 。 24 49.
(30) りなっちゃあ、下聞がみっともねえから、盃を受けておいてよ、小便を たれに行く振りで表へ飛び出して横町の魚政の処へ行ってキハダの刺身 をまず、壱分とあつらえこんで、内田へはしけて一升とおごったは、お らア知らん顔の半兵えで帰ってくると間もなく、酒と肴がきた所から棟 梁も浮かれ出して、新道の小美代を呼んで来いとかなんとか言ったから たまらねえ。芸妓が一枚とびこむと八右衛門がしらまで浮気になってが なりだすとの、勘次の野郎が良い芸人の振りをしやがって、二上りだと か湯上がりだとか蛸坊主が湯気にあがったような面しやがって、・・・中 略・・・エ、コウ面白くもねえ。細工貧乏人だからだ、あの野郎のように銭 金を惜しみやがって仲間付合を外す、しみったれた了簡なら職人をさら べやめて、人力の車力にでもなりあがれば、いい人をつけ。こちとら53四 十づらさげて色気もそっけもねえけれど、付合とくれば夜が夜中、槍が ふろうとも唐天竺からアメリカの韃靼国54までも行くつもりだ。あいつら とは職人のたてが違和わあ。口はばって言い訳だが。うちには七十にな るばばアにかかアと孩児で以上七人ぐらしで、壱升の米は一日ねえし、 夜が明けてからカラスがガアと啼きやあ二分の札がなけりゃア貧乏揺る ぎも出来ねえ体で、年中十の字の尻を右へぴん曲るが半商売だけれど、 南京米55とかての飯は喰ったことがねえ男だ。あいつらのようにかかアに 人仕事をさせやがって、うぬは仕事から帰ってくると並木へ出て休みに でっちておいた56塵取なんぞを並べて売りあがるのだ。すっぽんにお月様、 下駄に焼き味噌ほど違うお職人さまだあ。・・・中略・・・オイオイ、あんね え、熱くしてもう二合そして生肉も替わりだあ、早くしろう、エエ。」。 この男性は、年頃は40歳ぐらいで、大工か左官57のような仕事に就き、印 半纏に股引と腹掛けを着け、三尺帯の白生地は算盤のように水玉模様で、すで に汚れているけれど、馬革製の煙草入れをもって、バサバサした髪型である。 連れの相手も同じ職に就いていて、年はこの男性より上で、巻き舌の高い声に 少し威張りをつける癖がある。酔い気味で、心中で不愉快に思っている愚痴を 話している。 夕べの仕事の件で、八右衛門のところへ会いに行った時、ちょうど大工の親. 53 54 55 56. 57. 一人称。おれ(前掲『weblio 辞典』所収「こちとら」項) 。 モンゴル(坪内祐三編集『明治の文学 第一巻 仮名垣魯文』筑摩書房、2002 年、P282)。 米が足りず、麦・豆・大根などを加えて炊いた飯(同 54)。 作っておいた(同 54)。 壁塗りを仕事とする職人。かべぬり(前掲『weblio 辞典』所収「左官」項)。 25.
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