江戸前期に、オランダ東インド会社の日本駐在員に任命されたドイツ人医師のアンド レアス・クライアーが1682から83年、そして1685年から86年に長崎・出島で商館の総 責任者を務めた。彼は日本から多くの植物画をオランダ市長やドイツ大公に贈り、茶に 関する学術論文も残したなど、東西の博物知識の交流に貢献した。9017世紀半ば頃以 降、オランダとイギリス学者が茶の是非について様々な茶論を発表したが、ヨーロッパ 学者に大きな影響を与えたのは1727年に出版されたケンペルによる『日本誌』に収録 された茶に関する論文である。
同じくドイツ出身のケンペルは、1690年~1692年の間でオランダ商館付の医師とし て日本に滞在した。ヨーロッパに帰った後、『廻国奇観』と『日本誌』を執筆しはじ め、のちに出版された。『日本誌』に収録されている「日本の茶の話」という論文で は、日本茶の栽培から喫茶法までを正確に記録されているが、中国茶に関する情報も入 れている。ケンペルの論文は、以下の内容で構成されている。
一、茶の概説
二、日本への茶の伝来の歴史 三、茶の木、花の状態
89春山行夫『紅茶の文化史』(平凡社、1992)29~30頁。
90 エーバ・クラフト「ケンペルの先駆者クライアーとマイスター」『ケンペルのみたトクガワ・ジャパン』
(六興出版、1992)54~55頁。
36
‧
國
立 政 治 大 學
‧
N a
tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
四、茶の栽培 五、茶の摘葉期
六、茶の種別 七、茶の製法 八、茶の保存 九、喫茶法 十、茶の効用 十一、付図の解説
付図には、抹茶用の茶筅をはじめとする茶道具の絵も細かく書かれている(図1参 照)。六の「茶の種別」について、ケンペルの考察によると、出来上がった茶は、茶摘 み時期によって三種類に分けられる。新芽から作られる碾茶(抹茶)、もっと育った葉 から中国式の製法で作られる唐茶と、最後の茶摘みで硬くて厚い葉から作られる、一般 庶民用飲料の番茶という三種類を指摘している。 番茶について、ケンペルが番茶の成91 分は、以下のように述べている。
この種別の茶はの成分は、他の種別のもののようには微妙ではないので、煮出して も空気に曝して置いても効能に変わりはない。これに反して碾茶や上質の茶の成分 は非常に変化し易く、空気に触れて湿気をよんだり、煮出したりすると品質が著し
91 エンゲルベルト・ケンペル著、今井正訳『日本誌』(下巻)(霞ヶ関出版、1996)501~502頁。
37
‧
國
立 政 治 大 學
‧
N a
tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
く損なわれてしまう。 92
より上質の茶はより変質し易いことを、ケンペルが『日本誌』ですでに指摘している。
前述した1630年の日本茶輸出記録から、どんな種類の日本茶であったかを確認できな いが、中には変質しやすい抹茶が入っていたのではないかという可能性がある。
問題なのは唐茶についての記述である。ケンペルの茶論によれば、日本の茶商はこの 手の茶を品質によって分けて売っている。シナからヨーロッパへ大量に輸出され、オラ ンダで現に5、6ないし7グルデンで売られている茶は唐茶の3級品に相当すると述べて いる。 日本の茶商が売っている唐茶は、中国の商人から買い入れたものか、それとも93 日本で生産されたものかについて明記されていないが、中国式の製法で作られる唐茶が ヨーロッパでは売れていることがわかる。興味深いのは、ケンペルは茶製法について も、中国式の釜炒り製法だけを紹介していることである。
茶の製法を一口でいうと、まず摘みたての茶の葉を鉄釜で炒り、まだ熱気があがる うちに掌をくぼめて掬いとり、茣蓙の上へ広げ、揉み捻って撚り作る。この釜炒り は、単に茶の葉を乾燥させるためばかりではなく、この作業によって茶の葉に含ま れている毒素を取り去り、飲んでも頭へ来ないように有害な成分を除去するのであ る。(中略)釜炒係は、茶の葉をあちらこちら万遍なく攪き均し、茶の葉が一ヶ所 に堆く集まって乾燥が不均等にならないようにする。(中略)釜の火加減は、両方 の素手で釜炒作業を続けるのに堪える程度の温度に調節される。両手が熱くて作業 を続けられなくなった瞬間に釜炒された茶は平鍋の形をしたシャベルで掻き集めら れ、茣蓙の上へ広げられ、揉捻係へ引き渡される。両の平手で揉み捻り、それぞれ の葉が同じ形に巻かれるように縒をかける。茶の葉はこの縒巻きによって強く圧縮 され、黄緑色の液汁を出す。茶が完全に冷えた後、もう一度乾燥して水分を完全に 発散させるために、製茶作業の総監督格の釜炒係の者へ引き渡される。釜炒係は、
受け取った葉を釜蓋の上へ広げるのだが、今度は前のようにどっとあけないで、少 しずつゆっくり振り落とす。(略)この第二回の乾燥が終わると、茶の葉はもう一 度揉捻係の者に渡される。揉捻係の作業者は、受け取った茶の葉を改めて前と同じ
92 エンゲルベルト・ケンペル著、今井正訳『日本誌』(下巻)(霞ヶ関出版、1996)502頁。
93 エンゲルベルト・ケンペル著、今井正訳『日本誌』(下巻)(霞ヶ関出版、1996)501~502頁。
38
‧
國
立 政 治 大 學
‧
N a
tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
ような方法だが、もっと入念に揉み捻る作業を繰り返す。 94
これは、九州地方の釜炒り製法であり、明らかに中国式の製茶法である。さらに「碾茶 の種別の葉は、十分に釜炒りされる後に一層丁寧に取扱い、楽に粉末に碾きうるように 乾燥する」 と述べていることから、抹茶用の碾茶の製造も平行して行っていることが95 わかる。普通、碾茶はその葉を蒸してから揉まないで乾燥するのだが、ケンペルの記述 を見ると、碾茶の製造にも釜炒りの工程が含まれているという。しかし、1679年に著 された宮崎安貞の『農業全書』では、同じく碾茶製造を中心とする宇治の上茶の製造過 程についてこう記されている。
蒸し様は釜に半分すぎ水を入れなる程たぎらかし蒸籠に葉をうすく一重ならびに入 れ先釜の口にわらにてくみたる輪をあて其上に籠を置板のふたをして蒸上甑の中に 湯気の廻りて葉しほれ箸にひたひたと付時を揚る時分とするなり過ぎたるもまだし さも宜しからず 。 96
『農業全書』では「蒸す」工程が記されているが、ケンペルの茶論では「蒸す」工程に 関する記述が見当たらない。抹茶の産地宇治について触れているものの、どんな製法で 作られるかについても言及していないのである。 しかし、ケンペルの江戸参府旅行の97 記録には、釜炒り製法として有名な嬉野 へ行った記述がみられる。 98
この地方(九州島)や嬉野、その付近の山々や肥前の国のあちこちの岡や山から採 掘される。脂気のある白土から、日本の陶器が作られる。(略)われわれの今日の 行程は、豊饒な谷地と多くの田圃を通りぬけて進む道だった。田圃の畦には、2~3 歩置きに高さ2エルレを超えない程度の茶の木が植えてあった。葉を摘みとられた
94エンゲルベルト・ケンペル著、今井正訳『日本誌』(下巻)(霞ヶ関出版、1996)503~504頁。
95 前掲、505頁。
96 宮崎安貞『農業全書』(益軒全集刊行部、1911)224~225頁。
97 エンゲルベルト・ケンペル著、今井正訳『日本誌』(下巻)(霞ヶ関出版、1996)502、503頁。
98 佐賀県嬉野市一帯で生産される日本茶は、1504年に中国の紅令民が明から南京釜を持ち込み、南京釜に よる炒葉製茶法を伝えたとされる。釜煎りにより加熱し、発酵を停止させる「釜煎り茶」で知られるが、他 の日本茶と同様に蒸すことで加熱するものが主流である。中国の緑茶に似ている。茶葉は丸く、香りも強 い。特徴的な茶ともいえる。
39
‧
國
立 政 治 大 學
‧
N a
tio na
l C h engchi U ni ve rs it y
後で見場は甚だ悪かった。 99
前述した中国茶が大量にヨーロッパへ輸出されたことから、この時期にヨーロッパ人が すでに釜炒り製法で作られた茶を飲みなれたのであろう。ケンペルの出島滞在経験か ら、彼が目にしていたのは九州地方で行われている茶製法の一つではないかと思われ る。
喫茶法について、ケンペルはシナ式の注湯法、抹茶の飲み方だけでなく、茶を煮出し て飲む一般庶民や農家の間で番茶の喫茶方も紹介している。ケンペルは抹茶の飲み方に ついて、以下のように詳しく記録している。
まず茶を味わおうと思う当日かその前日に、茶の葉を蛇紋岩の手碾臼で細かく粉に 碾いて、抹茶を作る。この抹茶に湯を加え、泡立った薄いお粥のような茶を、啜る ようにして飲むのである。注いだ熱湯に浸み出す第一の方法による薄い茶に対し て、この濃い茶を濃茶という。日本全国の大官や大名や富裕階級の間では、茶をこ の方法で嗜むのが常例である。この茶のたて方は次の通りである。100
抹茶を飲む手順を明記している上、抹茶は日本国内の大名や高官たちに飲まれる高級な
抹茶を飲む手順を明記している上、抹茶は日本国内の大名や高官たちに飲まれる高級な