1823年6月、シーボルトが長崎の出島のオランダ商館付医師として来日した。オラン ダ東インド会社に雇われてドイツ人のシーボルトが日本へ来たのは、日本に関する情報 収集が目的であって、すべて日本で行った研究活動とレポートを忠実にオランダ東イン ド会社に報告する義務が付けられた。すでにシーボルトが来日した前の1823年5月20日
「オランダ領東インド植民地総督・評定会決議録抜粋」では、こう記されている。
(前略)医師として日本へ赴任するフォン・シーボルトに対して、同医師が現在 受付取っている俸給ならびに会食費に加えて、さらに、月額100グルデンの報 奨金を以下の明確な条件のもとに付加することを承認する。すなわち、博物学に 関するすべての物事、別言すれば、同医師が収集する物事および同医師が博物学 のために行うすべての発見、それに伴うスケッチと記述は、政府のためにのみ行 われるものであり、誠実に政府に引き渡されるものとする。122
このほかに、シーボルトの出島の植物園の経費もオランダ東インド会社から出されてい ることから、オランダ側がシーボルトの研究活動を積極的サポートしていることがわか る。この頃のオランダ東インド会社は、アジアにおける貿易が衰退していく一方で、中
121 角山栄『茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会』(中央公論新社、1980)130頁。
122 栗原福也訳『シーボルトの日本報告』(平凡社、2009)21~22頁。
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国との茶貿易においてもすでに広東の茶商と貿易し始めたイギリスが優位であったた め、うまくいかなかった。そんな状況の下で、日蘭貿易の再検討として日本全土の徹底 的調査を博物学者のシーボルトに任せた。
シーボルトの日本茶に関する記述は、著作『ニッポン』の第九篇―「茶の栽培と製 法」に収録されている。原題はAnbau des Theestrauches und Bereitung des Thee’s auf Japan(日本における茶樹の栽培と茶の製法)で、次の内容で構成されている。
1、 日本における茶の栽培と茶の製法 2、 茶樹についての記述
3、 日本の一茶園の土壌に関する化学的研究 4、 ジャワにおける日本茶の移植栽培
シーボルトは茶の製法について、ケンペルと違い二通りの製法―乾燥法と湿潤法を紹 介している。シーボルトの記録した乾燥法は以下の通りである。
乾燥法による茶の製法は、次の方法で 行われる。選別された葉は平釜123に入 れ、適度の炭火にかけて、たえず手で かきまわしながら乾燥させ、それから あまり強くない熱で次第に焙る。ここ で使われる平釜(茶釜Tsja-gama)は、
鋳鉄でできていて平たく、加工する茶 の量の状態によって大小さまざまな釜 がある。そしてたいていは、斜めにか たむけて、土壁に塗り固めてあるのを 見出す。そして軟らかくなった葉は、
平釜から拡げた莚の上にあけて、まだ 熱いうちに手のひらでほどよく圧して捲く。その際、すべてに平釜の中でにじみ出
123 茶釜を指す。
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た黄緑色の液汁が、手といわず、莚といわずつくのである。半ば捲かれた葉は空気 で冷やし、たえず同じ操作で第二・第三の茶も処理していく。このように手を加え られた茶をふたたび取り上げて、葉が冷めるともう一度平釜の中で熱して、前述の 方法で捲く。この操作を、葉がほとんど完全に乾燥してよく捲きこむまで三回から 六回、あるいはそれ以上に何回も繰り返すのである。それに焙ることを繰り返す時 には、葉を焦がさないように注意しなければならない。二、三の製茶者は、茶が完 全に乾燥するまでこの操作を長く続けて、それで完了させるが、別に摘み取った葉 は、三回から四回焙ったりしたりしたあとで、一種の箱に入れて、その中で同じく 十分に乾燥させる。この箱は、木製の枠と紙を張った側壁とからなっている。ここ には二、三の紙底の引き出しがついている。それは箱の下に設けた炭火を、引き出 しに詰まっている茶に支障なく作用させるためである。最初に述べた製茶の方法は 嬉野で用いられている。124
釜をななめに据えることから、ここでシーボルトが述べている茶製法は明らかに釜炒 り製法であることがわかる。ケンペルの『日本誌』で言及した茶製法も同じく中国式の 茶製法である。これは、ケンペルとシーボルトが住んだ九州では釜炒り製茶が一般的で あったことから、ケンペルとシーボルトは釜炒り製法が日本製茶の主流と考えている可 能性がある。ケンペルとシーボルトの江戸参府日記でも九州地方以外の茶を飲んだとい う記述も見られるが、茶製法に関して九州地方の情報に偏っている。さらに、シーボル トが述べている箱とは、図1黒矢印の「助炭」125であり、下線部の炭火の装置は白矢 印の「焙炉」126(図1参照)である。シーボルトがこの焙炉に入れる製法は、二、三 の製茶者に用いられているという。しかし「焙炉」は蒸し製法で用いられる用具であ り、シーボルトの乾燥法=釜炒り製法と思われる記述を見ると、途中から茶を焙炉に入 れる工程から、彼は蒸し製法と釜炒り製法を混用しているように思われる。この蒸し製 と釜炒り製混用の製法は当時の九州では行われているかどうかについて確認できない が、シーボルトが九州地方で行われている茶製法を乾燥法として記録している。
124フィリップ・フランツ・ヴァン・シーボルト著、中井晶夫訳『日本』(雄松堂、2003)付録所収、132 頁。
125 炉や火鉢にかぶせて火持ちをよくする道具。枠に和紙を張る。
126 対象物を下から弱く加熱して乾燥させつつ人が対象物に手作業を加えられるように工夫された一種の作 業台である。碾茶や手揉み茶の製造に用いられる。
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製茶法として、乾燥法のほかに湿潤法について、
湿潤法による茶の製法では、新鮮で摘み取られたばかりの葉は、熱湯の蒸気の上 で独特の容器の中で乾燥され、捲かれる。ここでは普通鉄製の平釜で乾燥され る。ここで述べた容器は四角い木箱で、中国ではDsching-lung日本では蒸籠 Sei-rooと呼ばれ、(中略)その箱の下に、釜が取り付けられ、熱湯から立ちの ぼる蒸気が最下部の装置の底にある穴を通り抜けて、莚の上に置かれた葉を暖め るのである。127
シーボルトの湿潤法の記述から見ると、前述した宮崎安貞の『農業全書』で述べてい る宇治上茶の蒸し製法そのものである。中村羊一郎氏の『番茶と日本人』の中でシーボ ルトが釜炒り茶の製法しか記されていない128と述べているが、シーボルトが記録した 湿潤法は農業全書で記された蒸し製法と一致していることをまず指摘したい。さらに、
シーボルトは湿潤法について以下の通り述べている。
(前略)中国人の報告によれば、中国ではその土地で日常必要な茶は普通湿潤法で 作られている。しかし鉄製の平釜の代わりに、蒸気にあてられた茶は独特の焙炉 Pei-luで乾燥される。この乾燥炉は蓋と薄い紙の底がついた四角い木箱で、その下 に弱い炭火があてられ、茶を常に動かしながら焙じられる。こうした方法で加工さ れた葉は捲き合わないので、輸出用の中国茶は細心の方法で乾燥され加工されるこ とがわかる。129
釜炒り製が中国において主流であるが、蒸し製で作られる茶も存在している。そして、
輸出用の茶は湿潤法=蒸し製法で作られる日常必要な茶とは違い、もっと丁寧な方法で 作られることがわかる。さらに緑茶と紅茶について、「私の目の前で調整された茶は湿 潤法で、色は明緑であったが、乾燥法では概して暗緑で、茶色がかった色が出ていた。
127 前掲、133頁。
128 中村羊一郎『番茶と日本人』(吉川弘文館、1998)146頁。
129フィリップ・フランツ・ヴァン・シーボルト著、中井晶夫訳『日本』(雄松堂、2003)付録所収、133 頁。
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このことから、中国の緑茶と紅茶は同じ製法でなされるもの」130と述べ、中国の緑茶 も紅茶も釜炒り製法で作られるとシーボルトが指摘している。恐らく当時、緑茶と紅茶 は違う製法で作られる考えが一般的であったのではないかと思われる。製法に関する記 述から、シーボルトもやはり中国茶を基準に茶を考えている。抹茶は勿論だが、日本で は一級品の煎茶もすべて蒸し製法で作られている。しかし、飲み物に砂糖やミルクを入 れる習慣のあるヨーロッパ人にしては、蒸し製日本茶に残る独特の青臭い匂いが砂糖や ミルクと酷く合わないのである。このため、当時日本茶を受け入れがたいヨーロッパ人 が多かったであろうことにもうなずける。
製法のほかに、シーボルトの論文で注目すべきところは、「茶樹についての記述」
製法のほかに、シーボルトの論文で注目すべきところは、「茶樹についての記述」