著書『日本』のほかに、シーボルトの『江戸参府旅行日記』でも、日本茶に関するい くつか記述がみられる。ケンペルは『日本誌』で抹茶の儀式と飲み方を紹介しているも のの、シーボルトは『日本』と『江戸参府旅行日記』では茶の飲み方について一切触れ ていない。抹茶の飲み方についてケンペルの『日本誌』ではすでに記録されているが、
シーボルトの江戸参府日記では、碾茶(抹茶)の飲み方に関するいる論文を頼んだ記述 が見られる。
(京都に)到着するとすぐに、友人や門弟が私を訪ねてきて、以前たのんで置いた ことを実行して、彼らが心から行動し尽力してくれたことを証明した。なかでも門 人の慶太郎は、京都周辺の植物群のうち非常に珍しいものを、私の出発直後、根を つけたまま集めて植物園に送ってくれたと聞いて、私はたいへんに嬉しかった。ま た年老いた似而非オランダ人のフォン・ギュルペンもここに来ていて、古くからの 茶人として、とうに約束しておいた碾茶の正式な飲み方についての論文を持って来 てくれた。143
フォン・ギュルペンは斉藤信氏の注釈によると、伊勢屋七左衛門、幕府御用の菓子屋で あるという。この似非オランダ人が約束とおり抹茶の飲み方についての論文を持ってき たが、それ以降の日記では抹茶に関する記録が見当たらず、シーボルトが抹茶に興味を 示したような記述を確認することができない。しかし、シーボルトが抹茶のもてなしに ついて「堅苦しい」という感想を残した。江戸に着いた当日の日記では、こう記されて いる。
奥の御殿に通じる橋の上から、東方の地平線をなして眼前にひらける江戸市街を望 む景色は美しい。世子は不在で、ひとりの老中が拝礼を受ける。儀式は本丸御殿の 場合と同じで、われわれはお城を出てから、七人の老中を訪問する。用人の出迎え
143フィリップ・フランツ・ヴァン・ジーボルト著、斉藤信訳『シーボルト参府旅行中の日記』(思文閣、
1997)134~135頁。
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を受け、粉にした緑茶と焼菓子のもてなしをうける――すべてが非常に堅苦しい 144
抹茶に関する記録のほかに、また以下のように記されている。
われわれは駕籠を降り、砂塵をかぶりながらこの大官の館の前庭に入ってゆくと、
右には美しい婦人たちが、左には他の男やこの大名の下臣たちが、びっくりした様 子で見つめていた。それからスリッパに履きかえ、帽子もかぶらず、華氏八十五度 の炎暑のなかを、石を敷きつめた前庭を通って玄関までゆき、(スリッパを)ぬぎ
――たいへん堅苦しい態度で坐っていた家来に挨拶をし、弓や鉄砲やその他の古い 武器が並べてある場所を通り過ぎる――すると其処にまたひとりの家来が坐ってい て、われわれを出迎えたので、使節は彼の前で床に跪いてお辞儀をする。それから 官等順に進み、畳も坐り注意深く足を外套でおおう。(中略)碾いた緑茶を飲んだ が(これは本当の濃茶である)。145
この記述にも、前述したヨーロッパ人が日本の緑茶を飲んだ記録と同様、出された緑茶 についての感想が一切記されていない。シーボルトも前述したヨーロッパ人と同じく、
日本の緑茶を「文化」と認識しているのでなく、堅苦しい作法と儀式がつく一種の飲み 物であることがわかる。ケンペルの頃、まだ日本抹茶の儀式と作法について詳しく記録 しているが、工業革命を経て、茶が贅沢品から商品に転じた19世紀を生きているヨー ロッパ人にとって、日本の緑茶は茶としての「緑茶」であって、「文化」として追求す るものではないことがわかる。特にシーボルトの論文では飲み方を省略し、日本茶樹の 分類と日本土壌の分析とジャワの移植栽培の際に注意すべき点を羅列していることか ら、シーボルトが日本茶を単に植物として見ているのでなく、ジャワでの茶栽培事業に おいて日本茶を価値のある貿易商品として見ている面が明らかである。シーボルトの日 本茶研究は、単なるシーボルト自身の植物への熱心だけでなく、ジャワの日本茶栽培事 業を成功させたい決意がうかがわれる。これについて、シーボルトは次のようにこう述 べている。
144 前掲、115頁。
145 前掲、137~138頁。
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私はこの成果について、ここで明記しておく義務があると感じている。それは1823 年にバタビア政片から私に与えられた日本における自然界の探求の任務のうち、な お得られると思われる種々の成果の中でも、中国および日本以外の地における茶栽 培の成功は、今日でもなおひどくむずかしいものと思われているからである。この ような状況にあるので、このジャワへの茶樹の移植がまったく黙殺されてしまうこ とがないように、ここで明らかにしなくてはならないと考えている。146
日本茶を徹底的研究して茶論文を残したことは、植物に対しての研究熱心のほかに、茶 の需要が大きい日本茶種子の移植による茶栽培計画を成功させたいという意図も含まれ ているのが明らかである。以上をまとめると、ケンペルとシーボルトの日本茶研究を並 べてみると(表1参照)ケンペルの頃、ヨーロッパでは喫茶の習慣がまだ定着していな かったが、ケンペルの記した日本茶研究は今までヨーロッパの学者が発表したいずれの 茶論よりも詳しく且つ正確に茶を記録している茶論であり、日本の番茶・抹茶の飲み方 も忠実に記録している。しかしシーボルトの日本茶研究は明らかに日本の茶樹・土壌・
栽培に重点を置き、日本の飲み方について一切記録していない。これは、茶の需要が大 きい19世紀に「泡茶」による飲み方がすでに定着していて、シーボルトの江戸参府旅 行日記での抹茶についての記述を見ると、シーボルトにとっての抹茶が、日本の「緑 茶」の特殊な飲み方にすぎないのではないかと思われる。出された茶を飲んだ、それ以 上の描写が全く見られない。シーボルトが関心を寄せているのは飲み方でなく、日本の 茶樹と変種、種子による栽培であることが、シーボルトの論文でよくわかる。製法につ いてケンペルの頃よりさらに補足しているが、やはり中国式の釜炒り製法に偏っている 傾向がみられる。これにおいて、ケンペルの研究でもシーボルトの研究でも同じであ る。
146フィリップ・フランツ・ヴァン・シーボルト著、中井晶夫訳『日本』(雄松堂、2003)付録所収、163~
164頁。
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表1 ケンペルとシーボルトが見た日本茶