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三、台湾バナナの協定貿易時代〔昭和四十(1965)年-四六(1971)年〕

(一)日本バナナ輸入組合の創設

昭和三九(1964)年 10 月に大手四団体(台湾青果輸入会社協会・中央市場青果輸 入協会・全芭連・日華青果貿易協会)で、日本バナナ輸入協議会を結成し、輸入業者 全部に呼びかけ、契約の締結、取引条件の改善を図ろうとした。しかし、台湾側が日 本側業者と円満にバナナ貿易を遂行するため、昭和四十(1965)年 1 月台北に日本側 業者百名を一挙に招待して中日バナナ貿易懇談会を開催し、日華両国のバナナ貿易関 係業者をもって日華バナナ貿易協議会を発足させたので、日本バナナ輸入協議会はま ったく有名無実な状態になり、ここに日本側の輸入組合設立は挫折してしまった。416 しかし、この時期に国会で台湾バナナ輸入についての強力な行政指導の要求が提出 され、政府も輸入組合の設立を急速に進めて自体の収拾を図る方針を明らかにした、

と高木一也(昭和四二、1967)は述べている。417

政府当局の熱心な働きかけにより、輸入組合設立準備事項の討議を経て、昭和四十

(1965)年 6 月 15 日に、日本バナナ輸入組合は創立総会を開催した。そして同年 9 月15 日、日本バナナ輸入組合の設立が認可された。418

これにより、対外的には組合一本の窓口による交渉が有効かつ強力に推進されるこ ととなる。昭和四一(1966)年以降、日華両政府の後援の下に、バナナ貿易関係業者 代表者による「日華バナナ貿易会議」が開催され、バナナの取引において品質・価格・

船積・輸送・月別輸入数量等各方面に改善が著しく見られた、とも高木一也(昭和四 二、1967)は指摘する。419

(二)協定貿易の概況

日本政府は、昭和三八(1963)年 4 月からのバナナ輸入自由化にともない、輸入自 動割当制(AIQ 制)420の物資にもかかわらず昭和四十(1965)年 7 月以降、バナナの 輸入割当制(IQ 制)421を台湾バナナの輸入のみに採用し、過去の実績を勘案して外

416同上掲注、高木一也(昭和四二、1967 年)、pp.172-173

417同上掲注、高木一也(昭和四二、1967 年)、p.173

418同上掲注、高木一也(昭和四二、1967 年)、p.174

419同上掲注、高木一也(昭和四二、1967 年)、pp.177-178

420[automatic import quota system]輸入自動割当制。通産省(現経済産業省)への輸入申請手続きだけ で,割り当てを受けられる制度。

ジャパンナレッジ《情報・知識 imidas》「AIQ 制」

421[import quota system]輸入数量の増加によって国内産業が損害を被るのを防ぐため、特定品目の輸 入数量を割り当てる制度。IQ 制度。

『デジタル大辞泉』小学館「輸入割当制度」

貨割当を実施する一方、バナナ輸入組合の設立で、輸入秩序を図ることになった。422 また前述の通り、中華政府はバナナの対日輸出弁法を制定して台湾バナナ輸出に係る 一切を統括していた。

こうしたなかで日華バナナ貿易会議は、昭和四一(1966)年 1 月に第一回が開催さ れ、昭和四五(1970)年 12 月の第二一回まで続いた。そして、実質的に継続の必要 がなくなり、昭和四六(1971)年 9 月 30 日開催の第十一回臨時総会で、それの廃止 が決議され、その効力に終止符が打たれた。423

この会議は東京・台北と交互で開催され、日本側は日本バナナ輸入組合が代表とし て、日華共にオブザーバーとして政府関係者が参加していた。日本側政府からは通産 省輸入業務課長等の外に駐華大使館公使が出席する場合もあった、中華政府側からは 中華民国行政院外匯貿易審議委員会(以下略称「外貿会」)執行秘書等或いは駐日大 使館公使等が出席していた。また、定例の日華バナナ貿易会議の外に、議題の性質に より専門委員会・特別委員会・代表者会議・品質規格改善懇談会・業務委員会等を開 催し、双方問題解決に努めた。これら部会への政府関係者の出席はほとんど見られな いが、本会議への両国政府関係者の出席は、第三回を除けば毎回出席しており、両国 政府における台湾バナナの重要性が窺える。424

(三)協定貿易時代のバナナ輸入関連主要問題

高木一也(昭和五十、1975)はその著書の中で、台湾バナナに関する協定貿易時代 の問題について述べている。425その中から特出される事項を下記に記す。

1.台湾バナナ輸入に関する黒い霧事件、輸入組合員の合理化

昭和三八(1963)年 4 月、バナナ輸入の自由化は業界に大きな衝撃を与え、

色々な変則組織の発生を見た。台湾バナナの取引を拡大するため、身替り業者、

いわゆる「ダミー」が乱立した。また利権獲得のみを目的とした、いわゆる「ペ ーパー業者」が続出した。これらの業者は名義のみで、実際には営業活動を行 わず、事務所は他の会社内に併置し、職員も全部兼務というのが通例であった。

昭和四一(1966)年 10 月頃、一部不満業者がこれら「ダミー」・「ペーパー」

422高木一也(昭和五十、1975 年)、『続・バナナ輸入沿革史』日本バナナ輸入組合、p.96

423同上掲注、高木一也(昭和五十、1975 年)、p.25

424同上掲注、高木一也(昭和五十、1975 年)、pp.26-77

425同上掲注、高木一也(昭和五十、1975 年)、pp.78-93

の業者の存在に絡み事実をゆがめた情報を新聞社等に提供したことから、マス コミが取り上げ「海苔」・「蒟蒻」とともに利潤の多い利権物質であったため「黒 い霧事件」として大々的に報道された。その内容は多分に政治的に関連がある かの如く報道された。

日本バナナ輸入組合は組合員に対し任意の結合(会社の合併または営業権の 譲渡を自発的に行う等)の促進を決定した。その結果、昭和四二(1967)年 4 月上旬までに、六七六社あった組合員は約二五〇社にまで収縮集約された。「ダ ミー」・「ペーパー業者」はすべて姿を消し、業界の諸悪の根源と目されていた 大部分が整理された。

2.台湾地域以外の台頭

昭和四二(1967)年に入り台湾バナナの出荷は、前年十-十二月期の無理な 出荷が影響し、協定量の六割にも満たない出荷状況となり、しかも品質も著し く低下していた。そのため、中南米バナナはしだいに輸入増加傾向を示し、総 合商社等では、昭和三八(1963)年バナナ輸入が自由化されて以来、大幅に伸 びる需要に着目し、アメリカ資本と提携してフィリピン地域のバナナ農園開発 ならびに輸入計画推進を図り、台湾以外のバナナ輸入する気運が台頭し始めた。

このような情勢下で全地域からの日本向配船・船積計画の調整の必要性が生 まれ、輸入組合の理事会は「グローバルバナナ特別委員会」の設置をきめた。

そして当時南米バナナ輸入の最大手だった全日本青果貿易協会ならびに伊藤 忠青果協議会から、秩序維持のための協力を惜しまないという確約を取りつけ た。この「グローバルバナナ特別委員会」の小委員会で毎月定例的に配船計画 の調整を行い、これはその後の輸入秩序維持の上で大きな効果をあげた。

昭和四三(1968)年 2 月、台湾の高雄・屏東地区を襲った突風の影響で四-

六月期の台湾バナナの生産が激減することが予測され、輸入業者は競って中南 米バナナの輸入に奔走する状況となった。その上、過剰輸入を行い、これが一 方的に積出しを強行する台湾バナナと重なり、7 月にはついに横浜・神戸の両 港でバナナボートが、一〇日間以上の沖待ち滞船を余儀なくされるという事態 が生じた。

3.違法防腐剤の使用問題

日本の食品衛生法で「パラオキシ安息香酸プチル以下六品目」が認められて

いた。しかし昭和四三(1968)年 5 月下旬、南米バナナの軸部に塗布されてい た防腐剤からこれに違反する添加物が発見された。当時食品公害426が云々され ていた折、厚生省から組合に対しこの違法防腐剤使用の禁止と使用防腐剤の分 析結果について、報告するように指示が日本バナナ輸入組合に出された。

この件に関する対策を協議し、合法的な防腐剤の開発とこれに代わり得る新 しい包装形態の開発研究を行った結果、新しい防腐剤とポリパック真空包装に よる鮮度保持の新包装形態が生まれた。そして、この防腐剤問題については当 然台湾バナナにも及び、第十一回日華バナナ貿易会議で日本側から提案し「日 本バナナ輸入組合と協議せざる防腐剤を使用した場合は中国(台湾)側におい て全責任を負うものとする」という旨の協定を締結した。

と述べている。また、「台湾バナナ輸入に関する黒い霧事件」について、当時の通商 産業大臣・三木武夫はこの問題に対する国会答弁で、「弊害のある点は、たとえば一 番問題は、バナナに少しもうけが多過ぎる」427或いは、「輸入業者が、非常にもうけ が多いというところに問題もあるわけですから」428と述べている。通商産業大臣がバ ナナ貿易に関し、その輸入業者があまりにも儲けていた点を指摘している答弁内容で あり、公然と述べている状況からして当時相当な儲けであったことが窺える。

協定貿易時代の昭和四二(1967)年まで 83%以上の占有率を誇っていた台湾バナナ

協定貿易時代の昭和四二(1967)年まで 83%以上の占有率を誇っていた台湾バナナ