明治三二(1899)年に台北・台中・台南に農事試験場を設置し、明治三六(1903)
年にこの三ヵ所の試験場を合併して台湾総督府農事試験場とした。これは台湾最初の 近代農学研究機関であった。明治四一(1908)年 1 月訓令第五号により台湾総督府民 政部殖産局園芸試験場を台北廳下士林支廳管内に設置した。その目的として、以下の 三点が挙げられる。611.園芸植物の種類撰択、繁殖及び栽培に関する事項。2.種 苗の配布及び鑑定に関する事項。3.園芸植物の収穫、貯蔵及び製造に関する事項、
57 同上掲注、若林正丈編(2001)、pp.70-71
58 同上掲注、曽山毅( 2004)、p.48
59 同上掲注、若林正丈編(2001)、p.249
60 同上掲注、若林正丈編(2001)、pp.259-260
61 臺灣總督府殖産局(大正五、1916 年)第 134 号『臺灣總督府園藝試驗場一覧』
〔台北〕、pp.1-2
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986681
である。また臺灣總督府殖産局(大正五、1916 年)『臺灣總督府園藝試験場一覧』に は、バナナに関する試験内容として、品種試験・肥料試験・加里(カリウム)用量試験・
輸送試験が記述されている。62
大正十(1921)年にはさらに台湾総督府中央研究所農業部を設立して、諸農事試験 場と農業研究機関を吸収合併し、農民に対する教育は農事・農学そのものにとどまら ず、農産物の品質管理等の産業教育にも及んだ。領台時、児玉・後藤期に成立した農 事試験場は台湾近代農学研究を推進する主要機関だった。63
また、明治四一(1908)年 6 月 22 日に「勅令第百五十九号台湾総督府農事試験場 官制」が公布施行され、その業務内容等についても詳細に規定されている。そして、
この勅令の第八条には「台湾総督ハ必要ト認ムル地ニ支場ヲ置クコトヲ得」と定めて いる。64
中村武久(平成三、1991 年)『バナナ学入門』では、日本領台当時、植民地の産業 振興政策の一つにバナナ生産の拡大を掲げ、日本人研究者・技術者を送ってその開発 に努め、台湾でのバナナの商業的栽培が始まったと指摘している。65
明治四四(1911)年 8 月中旬には、当時の園芸試験場で移出バナナの輸送試験を往 航の笠戸丸で実施した。その結果によれば、船橋66の平均温度は27.2 度、最低温度 23.9 度、最高温度29.4 度、そして船倉の平均温度は 31.4 度、最低 28.9 度、最高 33.9 度で あった。果物より発せられる水気は、天井に水滴を結び、バナナは高温のため過熟し たり、取扱いが粗暴なことにより受けた傷のために腐敗したり、バナナ籠の表面にカ ビが発生したりし、船倉内に悪臭が充満していた。輸送試験用のバナナは、左舷側小 窓下に積まれたため、通気がわずかに良く、他の部分より1.7~2.2 度低かった。門司 港に陸揚げした後、他の普通輸送品と比較した際にその腐敗が著しく少ないことを発 見し、ここに輸送中の温度及び通風の如何はバナナの腐敗に大きく関係することを確 信する。67
62 同上掲注、臺灣總督府殖産局(大正五、1916 年)第 134 号、pp.13-17
63 任燿廷(2008)〈植民地台湾の経済発展と教育〉《問題と研究》国立政治大学国際関係研究センター、
37(3)、pp.125-126
http://iir.nccu.edu.tw/attachments/journal/add/10/v37-3-2-1.pdf
64 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03020762900《明治 41 年勅令》〈台湾総督府農事試験場官制〉
(国立公文書館)
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006090418322553963&
65 中村武久(平成三、1991 年)『バナナ学入門』丸善ライブラリー、p.136
66 船を横に並べてつなぎ、その上に板を渡して橋としたもの。
『デジタル大辞泉』小学館、「船橋」
67 芳賀鍬五郎(大正五、1916 年)第 140 号『臺灣に於ける芎蕉』臺灣総督府殖産局、
〔台北〕p.122
また、海外品種の台湾移入を、三井物産会社68及び植物学者川上瀧彌はシンガポー ルから三種類のバナナを、民國三(1914)年東郷實はフィリピンから七種類を、民國 六(1917)年三宅勉はハワイから五種類を、ジャワから十七種類を台湾へ運び込む。
これらはすべて「士林園藝試驗分所」に植え付けられた。この他に增澤深知は南洋か ら多くの種類を持ちこみ台中二水で試植された。民國八(1919)年以後仙人蕉が萎縮 病に対する抵抗力を持っていることが発見され、日本人はその栽培を提唱促進し台湾 光復後においてもそれは継承された。69
台湾総督府中央研究所農業部で行われたバナナに関する研究成果が雑報に発表さ れている。70技師の櫻井芳次郎は高雄州青果同業組合の招聘により、同地域のバナナ 栽培を視察し、それをまとめた報告書「高雄州下に於けるバナナ栽培の合理化」は同 組合が非売品として昭和六(1931)年 9 月に書籍発行されている。71非売品なので組 合員である栽培農家等へ栽培合理化のため配布されたものと判断される。そこにはバ ナナに関する栽培に関する知識及び品質向上策が記載されている。また、昭和十六
(1941)年 6 月《台湾総督府農業試験所彙報》に殖産局依頼で〈東部台湾に於けるバ ナナの生産に就て(ママ)〉を報告している。72
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/986683
68 明治九(1876)年 7 月 1 日に誕生した旧三井物産。昭和二二(1947)年、連合国総司令部(GHQ)により三 井物産解散指令が下され、旧三井物産の創業以来の歴史はここに途絶える。その後、200 を超える 新会社が設立されました。中でも第一物産は小規模ながら「総合商社」の看板を掲げ、衣食住の輸 入業務に取り組む。日本経済が高成長を続ける中、昭和三四(1959)年、第一物産を中心として大合 同し、新生・三井物産が誕生し、現在に至る。
三井物産株式会社・「三井物産の歩み」
http://www.mitsui.co.jp/company/history/index.html
69 張炳楠(1972)『臺灣省通誌 巻四 經濟志農業篇(全四册)第二册』〔臺中市〕p.137
70 AFFRIT(農林水産研究情報総合センター)、農林水産関係試験研究機関総合目録に、下記 2 冊のバナ ナに関する図書情報が掲載されている。
・櫻井芳次郎(昭和元、1926)〈臺灣在來の「甕によるバナナ追熟法」に關する研究〉《臺灣總督府中 央研究所農業部彙報 第40 號》臺灣總督府中央研究
・臺灣總督府中央研究所(昭和元、1926)〈バナナ吸芽の太さの收量に及ぼす影響〉
《臺灣總督府中央研究所農業部彙報 第39 號》臺灣總督府中央研究所
http://opac.cc.affrc.go.jp/alis/details.csp?RESULTset=S8,S6,,,S7,S9&RANGE=50&RANGEst=1&DB=all&
Srt=TL&TYPE=T&LANG=JPN&ACNO=20080209T00001
71 櫻井芳次郎(昭和六、1931)『高雄州下に於けるバナナ栽培の合理化』高雄州青果同業組合
72 JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A06032556600《台湾総督府農業試験所彙報第百八十五号》〈台 湾総督府農事試験所違法(ママ)東部台湾におけるバナナの生産に就いて〉(国立公文書館)
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006090409592594239&