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ジェンダー論的な観点からの分析

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2.3 ジェンダー論的な観点からの分析 2.3.1 鷲留美 (1996)

鷲(1996)は、明治中期の女性が使う「わ」と明治後期の女性が使う「わ」が 異なっていると指摘している。

女性が使う「わ」が女らしいとされるようになったのは、明治40 年代以降 と思わる。(中略)明治後期以降、「わ」は東京の山の手の女ことばの特徴の 一つになる。そして、「蓮葉」、あるいは「品格」に欠けるなどという印象 はなくなり、むしろ、女性らしい、あるべき女ことばの一つの要素となり、

現在につながっている。

(鷲1996:50‐52)

鷲(1996)は、明治中期ごろに女学生を中心とした若い女性たちが使用してい た、いわゆる「てよだわ語」は、下町の中流以下の娘が使う言葉で、「蓮葉」な

「わ」であるとする。その一方、明治後期以降の女性が使う「わ」は「女性ら しい、あるべき女ことば」の「わ」だとして、明治中期から後期にかけて、女 性語「わ」の性格が変質したと主張している。そのような変化が生じた原因に ついて、鷲(1996)は、女学生たちが学校で受ける教育の内容が関係していると 述べている。

「わ」を含む女ことばの価値に強い影響を与えたものに教育がある。新し い女大学、国家主義を背景とする良妻賢母思想からの要請である。明治政 府は明治 20 年代から欧化主義を転換する。明治維新後高揚した男女同権、

女性の参政権運動は国会開設を期に政府に抑圧されていく。明治21 年施行 の民法は、妻を無能力者と規定し、文相森有礼は同年の東京高等女学校卒 業式で良妻賢母の美風を強調した。30 年には男女の区別教育を奨励する訓 令を出して、政府は良妻賢母教育を強化する。さらに、高等女学校令(明治 32 年)は、学問よりも家庭生活に役立つもの、裁縫・手芸・行儀作法を重視 するというもので、家政上手な妻、教育者としての賢母をつくることを目 的とした。良妻賢母教育で、言葉遣いは行儀作法の重要な一つとなったの

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である。女はかくあるべしという要請と、それに添った女らしい表現が、

教育を受ける女性全てに求められるようになる。

(鷲1996:52、下線は引用者)

明治時代に入ると、日本では新たに女学校ができ、女性も男性と同様に教育 を受ける機会が増えていった。しかし、明治中期以降、政府は、女性に対して 良妻賢母、即ち品の良い女性らしさを要請したため、女学校では学問よりも家 事・裁縫・行儀作法などを重視した良妻賢母教育が行われた。そして、その教 育により、女性たちの言葉遣いも徐々に女性らしいものへと変化し、これが女 性語「わ」の変質に繋がったのだと指摘するのである。

以上のように、鷲(1996)は、女性語「わ」に、先の松下(1930)と三尾(1942) が主張していた「やわらげ」の機能を認めるが、そのほかにも、「蓮葉な」とい う要素を指摘している。しかし、鷲(1996)は、女性語「わ」に言及する明治期 の評論等に基づいた論であって、女性語「わ」の実例は、ほとんど扱っていな い。その点、女性語「わ」を文法論的に考察しようとする本研究とは、大きく 立場が異なるものだと言える。

2.3.2 中村桃子 (2007)

中村(2007)は、女学生の間で用いられるようになった「てよだわ言葉」が「軽 薄さ」の意味と結び付くとしたうえで、三宅花圃の作品『藪の鶯』に登場する 女子学生4 人の性格を分析し、「てよだわ語」を使用している者を「軽薄な娘」、 使用しない者を「規範的娘」という二つのタイプに分類している。

四人の女子学生のうち「服部」は、「温和で怜悧で生きいき気がない」勉強 家で「温順な女徳をそんじないやうにしなければいけません」という規範的 な娘である。一方、「斎藤」は「大あくび」をして「バタバタたべながらか けて行」活発な娘で、「奥様になりやア仕事をしたり。めんどくさくつてい やだワ」と考えている。「相沢」も「アラいやなこつたワ。だれが御嫁なん かに行もんか」と言う点で斎藤と同様の考え方の持ち主である。「宮崎」は 三者の中間に位置し「私しは此学校を卒業すれば奥様になるワ」と明言する。

(中村2007:145)

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さらに、中村(2007)は、結婚という事柄を否定する者を「軽薄な娘」、肯定す る者を「規範的な娘」として、女学生 4 人をそれぞれの位置に配置した図を示 している。

三宅花圃『藪の鶯』の四人の女子学生の類型

<結婚肯定> <結婚否定>

<規範的娘> <軽薄な娘>

「服部」 「宮崎」 「相沢・斎藤」

1 三宅花圃『藪の鶯』の四人の女子学生の類型

[中村(2007):145 図 5-6 引用]

確認されるように、「結婚肯定派の規範的娘」及び「結婚否定派の軽薄な娘」

を両極に設定すると、最も規範的な服部から中間の宮崎を経て、最も軽薄な斎 藤と相沢に至る図式ができあがることになる。そして、中村(2007)は、こうし た 4 人の女学生の配置が、次の表 1 に示す「てよ・だわ・のよ」の使い分けと 一致していると主張する。

1 三宅花圃『藪の鶯』第六回の「女学生ことば」の使用

服部 宮崎 相沢 斎藤

てよ × × ×

だわ × ×

のよ × ×

[中村(2007):146 表 5-1 引用]

結婚を否定する「軽薄な娘」の斎藤と相沢は「てよだわ言葉」を用い、結婚 を肯定する「規範的娘」の服部、及び、両者の中間的な存在である宮崎は、そ れを用いないというわけで、このことから、中村(2007)は「てよだわ言葉」は 軽薄な女子学生の表象になると指摘するのである。

このように、「だわ」の使用と結婚の肯定・否定には一定の相関が窺われると 言えそうである。ただし、中村(2007)においては、「だわ」の用例を取り上げ、

それに基づいて、女性語「わ」について考察されている。けれども、「だわ」の 分析をどこまで「わ」全般に適用してよいのかといった問題も残されていると

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言えよう。

確認してきたとおり、鷲(1996)と中村(2007)では、明治中期頃の女性が使う

「わ」に「蓮葉さ」「軽薄さ」など、品の悪い、女性らしさに欠ける性格がある と主張していた。しかし、この見解とは異なるものに塹江(2013)がある

2.3.3 塹江美沙子 (2013)

塹江(2013)は、二葉亭四迷が明治二十二年に書いた作品『浮雲』、及び、同じ 二葉亭四迷の手による明治四十年の作品『平凡』という二つの作品を対象に、『浮 雲』と『平凡』の間では、女性語「わ」にどのような変化があったのかを調査 している。下記の表 2 は、塹江(2013)が作成した表の一部分を引用したもの で、『浮雲』に登場するお勢と『平凡』に登場する雪江が使う「わ」の話し口調 と利用回数を比較したものである。

表2 お勢と雪江の言葉遣いの対比

『浮雲』 『平凡』

終助詞 お勢 雪江

わ/ワ (⋯⋯になりました) わ (免れツこ有りません) ワ (有ります) ワ×24

(綺麗になった) わ (貸して上げられない) わ

(まだ要らない) わ 他5 例

〔塹江(2013):36 表 2 引用〕

塹江(2013)は、『浮雲』のお勢の言葉遣いは、『平凡』の雪江に比べて丁寧で はあるものの、お勢の「わ」の使用が 4 回であるのに対して、雪江の方は 8 回 であり、雪江の方が女性的な特徴が多いと述べている。このように、塹江(2013) の研究は女性語「わ」の特徴として「柔らかい・女性らしい口調」といったも のを指摘しており、これは、先に確認した松下(1930)と三尾(1942)の論じる「や わらげ」の機能と類似すると言える。

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以上、ジェンダー論的研究で指摘される、女性語「わ」の性格について見て きた。下記の表3 は、鷲(1996)、中村(2007)、塹江(2013)が主張する女性語「わ」

の特徴を本研究がまとめたものである。

3 ジェンダー論的研究における女性語「わ」のまとめ

明治時代(中期) 明治時代(後期)

鷲(1996) 蓮葉な 品のよい

中村(2007) 軽薄さ (言及していない)

塹江(2013) 柔らかい、女性らしい 柔らかい、女性らしい

女性語「わ」の特徴について、鷲(1996)と中村(2007)は、それぞれ「蓮葉さ」

「軽薄さ」という性格を指摘する。それに対して、塹江(2013)は、女性語「わ」

の特徴を「柔らかい・女性らしい」といった点に求め、鷲(1996)、中村(2007) とは異なった見解を提出している。次いで、明治後期頃の例に関しては、中村 (2007)には言及がなく、鷲(1996)と塹江(2013)は、それぞれ「品が良い」「柔ら かい・女性らしい」という性格を指摘している。

このように、ジェンダー論的研究における女性語「わ」への規定は、「蓮葉さ」

「軽薄さ」という要素、及び、「品が良い」「柔らかい・女性らしい」という要 素であって、ほぼ反対になっていると言える。そして、それら反対の要素相互 にどのような関連性があるのかは、不明のままである。鷲(1996)が指摘するよ うに、仮に明治中期から後期にかけて、「蓮葉さ」「軽薄さ」という要素から「品 が良い」「柔らかい・女性らしい」という要素への変化が生じたのだとしても、

その原因を女子教育に求めるのであれば、女性語「わ」の文法的性格という言 語の問題に対する直接の解答にはならないかと思われる。

そして、先行研究に確認してきたような問題が生じるのは、次の 2 点に由来 しているとまとめられるだろう。

・これらの研究が、実際の女性語「わ」の用例を分析していない、もしくは、

少数の作品のみを調査対象とするものであること。

・女性語「わ」を使用する人物の性格に対する印象を、「わ」という語の性格 に直結させて記述していること。

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したがって、本研究は、女性語「わ」の文法的性格を論じるにあたっては、

まとまった数の用例を対象とし、かつ、使用者の表面的な人物像を離れて、女

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