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第 2 章 明治時代の女性語「わ」の先行研究
2.1 先行研究の概要
本章で取り上げる女性語「わ」に関する先行研究には、大きく、文法書にお ける言及と、ジェンダー論的研究、及び、歴史的変遷に言及した研究の 3 種が 存在する。
まず、松下(1930)、三尾(1942)は女性が用いる「わ」を、当時の現代語とし て扱っており、文法的な観点から女性が用いる「わ」の文法的性格に触れたも のである。ただし、これらは文法書の一部において「わ」に言及したものであ って、「わ」を対象とする本格的な考察が行われているわけではない。一方、ジ ェンダー論的研究には、鷲(1996)、中村(2007)、塹江(2013)がある。これらは
「わ」の文法的性格というよりも、「わ」を使用する女性の人物像に焦点を当て たものである。さらに、松崎(2017)は、明治時代の文学作品の用例から終助詞
「わ」の歴史的変遷について調査している。
以下、それぞれの女性が用いる「わ」の先行研究を概観し、問題点を指摘し ていく。
2.2 文法書における言及 2.2.1 松下大三郎 (1930)
松下(1930)は、女性が用いる「わ」はどのような時に現れ、さらに、いかな る文法的性格を持つのかについて、以下のように論じている。
今日は本とうに面白うございましたは。
そんなことは無いは。
「は」が特に抑へた樣に重く發音せられ、自己の感想を人の感情に訴へる。
婦人語に、明治の末あたりから「は」の下へ「よ」を附けて「はよ」とい ふ習慣が出來出した。(中略)「は」が重くゆつくり發音される場合は感想 を他人の感情に訴へる優美な語であるが、「は」が速く無雜作に發音される 樣になつて感情を他人の感情に訴へる意味は稀薄になり、「よ」の意味が強
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く爲つて否な語になつた。「有るは」は優美な語であつてこれでは喧嘩は出 來ないが、「有るはよ」ならば立派に喧嘩が出來る。
(松下1930:327‐328、下線は引用者による)
見られるように、松下(1930)は、大きく「は」と「はよ」に区別して、それ ぞれの性格に言及するわけであるが、本研究は、松下(1930)の説には二つの問 題点があると考える。まず、松下(1930)によれば、女性が用いる「わ」は、自 分の感想を対者の感情に訴えかけるものということであるが、本研究が明治時 代の小説を調べたところ、女性が一人で自身の感情を口にする例が見られた。
(9) ほんとに親切な、男らしい方と云つて、あンな方はありやアしない。
全く紳士の中の紳士だわ。早く婚禮をして了ひたい事よ。
『乳姉妹』
例(9)は、話し手の君江が、その場にはいない婚約者の昭信を思い浮かべ、彼 への好意を語るものである。即ち、特定の相手に向けて自身の感情を伝えてい るわけではないのである。
さらに、松下(1930)は、女性が用いる「わ」を優美な語であるとして、喧嘩 は出来ないと指摘しているが、対者の発言や行動に対して否定または反論する ときに使用される例も見られた。
(10) 人を御救ひなさるのも結構ですが、些とは私の事も考へて、やつて下 さらなくつちや、あんまりですわ。
『野分』
(11) さうかなあ。もつと旨く遣り繰つて行かれないかい。
そんな事を仰やつたつて、わたくしのせいばかりぢやないわ。
『不思議な鏡』
例(10)は、いつも妻に相談することなく自分勝手に行動をする夫を、妻が非 難している。一方、例(11)は、妻が赤字の家計について夫から責められている が、家計が赤字になるのは夫の所為でもあると反論するものである。
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以上のことから、松下(1930)の「わ」の文法的性格に対する説明は充分なも のではないと言えよう。
2.2.2 三尾砂 (1942)
三尾(1942)は、執筆時の現代語としての「わ」を論ずるものであり、直接、
女性語「わ」に言及しているわけではない。しかし、その述べるところは、松 下(1930)が主張する、女性が用いる「わ」を優美なものとする概念に類似して いる。三尾(1942)は、女性が用いる「わ」の例をいくつか提示して、その性格 を説明している。
馬鹿だわ。本當に馬鹿だわ。 (丹羽文雄『鬪魚』) できるだけ用心はした方がいいわ。 (同上) あなたつてひと、よくよく見損なつてたわ。 (同上)
「わ」は、「馬鹿だ」「いふんだ」「いい」「見損なつた」などいふ斷定的な表 現をするとき、そのぶつきらぼうな、そつけないひびきをやはらげる役目を するものです。
(三尾1942:410‐411)
このように三尾(1942)の主張は、基本的に松下(1930)と同様であるが、松下 (1930)が詳しく述べていなかった、何故「わ」が「喧嘩の出来ない優美な語」
と言えるのかという点について、断定的な表現の末尾に「わ」を加えることで、
響きの強さをやわらげる効果が生まれるためと説明しているわけである。
しかし、そもそも女性語「わ」には、「やわらげ」の機能しかないのだろうか。
たとえば、先の例(10)、(11)のような対者の発言に対する否定や反論などの場 合も「やわらげ」の機能が働いているのだろうか。以上のように、三尾(1942) の説明にも、松下(1930)と同様、不明な点が残されているのである。
ここまでは、文法書における女性語「わ」への言及を確認してきたが、次に ジェンダー論の観点による先行研究を見ていく。
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2.3 ジェンダー論的な観点からの分析