4 月 9 日、副島は天津より北京に赴き、4 月 11 日に到着してから、金魚胡同 にある賢良寺に泊まっていた。総署は 1871 年に(同治 10 年・明治 4 年)伊達 宗城一行を北京まで案内した孫士達に副島らの世話をさせた。副島は 4 月 11 日に北京に到着してから、2 ヶ月に渡って北京に滞在し、清帝への謁見につい て総署と交渉した。
212 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 135-137
213 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 137-138
214 前掲近史所檔案館 外交部門 №01-21-052-02-039 李鴻章より総署宛「函肅日本條約已換使 臣擬即進京並詳述與該使面談各節由」
215 前掲近史所檔案館 外交部門 №01-21-052-02-039 李鴻章より総署宛「函肅日本條約已換使 臣擬即進京並詳述與該使面談各節由」
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当時ちょうど同治帝の大婚と親政を祝うため、各国駐中国公使と総署は、外 国使節が清帝に謁見する時清帝に行うべき儀礼について交渉している最中で あった。副島も当然その交渉に加わった。
4 月 18 日、副島は柳原らを総署に遣わし、副島の謁帝期日を問ったが、恭 親王が病気のため、まだ清帝に旨を請っていないと返答された。翌日、副島は 柳原らをして清帝へ謁見する儀礼を孫士達に問わせて、以下のように返答され た。
各国公使、本年正月以来、謁見之請有れとも、遷延幾んと百日余に及ひ、
昨已に議定調印して、将に入奏せんとせり。中国従前此例無きを以て、其 周折を費やす。如此の僅に此章程の如きものを作り、現在未た奏准を経す。
余意ふに、副島大臣も亦各国公使を儀註に因て、同日謁見なさるへき事と 存す。216
そのため、柳原は以下のように孫士達を返事した。
我大使、本国公務多端の中より派し来たる故、速に使事を了りて、帰国せ んとを希望せらる。殊に貴国皇上の大婚親政を慶賀する為め、其身、我君 に代わりて来る、第一等の国使也。若し貴国、之を各国の駐京公使と同日 を以て論せは、何を以て我君、貴国を敬礼するの意に対へんや。217 それに対して、孫に以下のように返答された。
我国、従前外来使臣の等級を分つ事無く、但国書有るを以て、都て欽差と 唱へ、一体に之を優待する故、実は頭等二三等之区別を知らす。殊に謁見 之礼は、今度始て儀立する事なれは、恐くは別に頭等の国使を接待するの 例を制し難からん。218
そのため、各国公使が議した清帝へ謁見する儀礼の稿案を孫より借観してもら った。すなわち、孫士達は副島が恐らく駐北京各国公使と一同に清帝に謁見す ると柳原に説明したが、副島が第 1 等の欽差で、北京に駐在する 2 や 3 等に属 する公使らとともに清帝に謁見すべからずという柳原よりの反論が来た。その ため、孫士達は中国が従来使臣の等級を区別することがないと柳原に説明した。
216 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 141
217 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 141
218 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 141
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4 月 20 日、孫士達が各国公使と総署と談決した清帝に謁見する儀礼の稿案 を柳原らに示したため、副島らは各国公使と総署と談決した稿案には、公使が 清帝に 5 鞠躬すべきことが載せられているのを読み取った。219
4 月 21 日、副島一行は北京に駐在する魯・米・英・蘭・仏・独ら各国公使 に相互に訪問した。孫士達に「公使らに副島を頭班で清帝に謁見することが嫌 う人はいる」と告げられたので、公使らを訪れながら、それを質問したためで ある。220
4 月 23 日、副島らは英国公使を訪れ、清帝に 5 鞠躬すべるのについて問っ たが、英国公使に以下のように解釈された。
余始め蓋印せし議案に、此制を定めたる事なし。但我同僚の内に、清国の 文字・言語に通する者は、独りウユート氏有り。此人、恭親王
...
と謁帝の礼 節を議せし時、彼強ちて余等をして跪拜を行はしめん事を欲する
.....................
に因り、
万国通例三鞠躬なれとも、今更に二鞠躬を加へて、敬礼と為さんと約せし。
由を聞けり、其意は清人所喜の五福の数に従ふとの説なれとも、同僚中に 不服の者、過半なり。然るにウランガリー氏為以く、謁帝を議する以来、
日を為す既に久し、今決せ不れは、恐は成期を失はん。盍そ一時の権宜に 従はさると。是を以て、其議に聴従せしなり。221
そのため、副島は以下のように反論した。
一時の権宜に従ふは可也。公等調印約定せし上は、将来の規則と為らん。
此義は余が竊かに取ら不る所也。何則。平交の国に適て、自国の礼制を照 し行を能はされは、是我権利を抂る也。今度公等、非礼に由従して、之を 行ひ、将来清国、此れを以て成例となすとも、其れ他国の使臣、法を執て 従は不るを奈何せんや。222
すなわち、各国公使と総署と清帝に謁見する儀礼に関して商議する時、恭親王 が公使らに強いて清帝に跪拜させるため、ウユート氏が 5 鞠躬を跪拜に換える と提案したと英国公使は副島に説明したが、副島に「皆平交の国なので、中国 を特別に扱うことは、すなわち他国の権利を損なうことである」と反論された。
4 月 29 日、副島らは総署王大臣らを訪れ、清帝に謁見する期日と頭班で清
219 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 142
220 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 145-147
221 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 146
222 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 146
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帝に謁見することについて王大臣らと談判したが、王大臣に副島の謁見期日に ついて、「恭親王が日来臥病故に、まだ奏請せす」と回答された故、「貴中堂は 代わりて奏するの権を有せさる乎」と伺ったら、
職軍機を掌り事、皆余か奏宣に由る。但外務に至ては、恭王之か総裁たり。
就中謁見之儀は、礼典軽きに非らす。本年正月以来、各国公使、本署に会 晤する事、再三再四に及へとも、其議、今尚を半推半就の間に在り。…(中 略)…。惟頃ろ各公使と議決調印せし謁見の奏案を以て、旨を請ひ、将来 の典例と為すへき存意なる。故貴大臣の事は、未た奏請せさる也。223 と王大臣らに答えられて、以下のように反駁した。
異なる哉。貴国の外使へ謁見を予ふるに、必す之と議決調印するを為すや。
夫れ一国には一国の礼有り、自ら廃す可らす。彼は彼か礼を以て来り、我 は我か礼を以て接す。何の議する事か之有ん、224
また、
…(上略)。万国舟車至る所の各政府に於て、日本外務大臣、頭等欽差を 奉して入清せしを知ら不る者無し。使命の身に在る、其重き如此、而して 今京に至り、既に国書の副本を呈し、謁見の期を伺候するに及て、貴衙、
即ち奏請ひ不るは何そや。夫れ各国駐京公使は、坐ろに皇上の親政するに 値ひ、本国政府の代人たる意を表せんか為め、廷参を請ふ者にして、是を 臨時の私謁と謂ふ。国書を有すると雖とも、亦上任告身の類に属するへけ れは、我皇上の国書賀儀を致し、専ら慶悃を伸ふる頭等欽使を以て、同伍 謁見す可らす。而るに貴中堂、必ず彼等と議決せし奏案を以て、典例と為 すへき故、本大臣の事は、未た奏請せすと云はるゝは、豈本大臣を駐京公 使の列に置んとする乎。225
すなわち、王大臣らは副島に「外務に関する件は恭親王のみ清帝に奏請でき、
また外国使節が清帝に謁見する儀礼もまだ談決していないので、まだ清帝に奏 請していない」と説明したが、副島に「外人と外国使節が自国皇帝に謁見する 方を商議して決めるのには必要がない、自国で決めれば宜しい」と反論された。
223 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 147
224 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 147
225 前掲『大日本外交文書』巻 6 頁 150
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また、副島は清帝に謁見する期日を速やかに定めようと王大臣に促して、また 自分が頭等欽使で、駐京公使らとともに謁帝することも拒んだ。
5 月 7 日、恭親王の疾は直ったため、照会携わって副島を訪れて副島よりの 照復を求めた。「…(上略)。貴大換約來京,既欲親遞國書,因思貴國與中國 本係同文之國,是否照行中國禮節,即希貴大臣辨具照覆,以便本王大臣併案具 奏,請旨遵行可也。…(下略)」。226
よって、読んだ後の副島は怒って、
貴王大臣、今日茲に来る、必す謁見の日期を奏准して、其旨を宣付せらるゝ 事と思ひ待たるに、案外失敬の詞を持ち来て、本大臣を難す。抑本大臣は 我皇上に代りて、貴国皇上を聘問する者なれは、焉んそ昔んして貴王大臣 と同く跪拜せんや。227
と恭親王に非難した。5 月 8 日に照復を総署まで送った。
…(上略)。顧マ マ本大臣身本頭等欽差,代君上而來,聲聞四海各國公使,均已 認明,極其推重,故不與于該等使臣覲見之儀。…(中略)…。本大臣以兩君 之好,惠及臣民為重,是為禮之大者。況兩國之聘問‧‧‧‧‧‧
,在立倫屬朋友‧‧‧‧‧‧
,而不 屬君臣。本大臣不敢拜跪‧‧‧‧‧‧‧
,止作三揖‧‧‧‧
,不忍欺天也‧‧‧‧‧
。若謂不合中國禮節,不 可接待,非本大臣所知。…(下略)228
すなわち、副島は自らが各国に認定された頭等欽差で、当然中国の礼節(すな
すなわち、副島は自らが各国に認定された頭等欽差で、当然中国の礼節(すな